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検索対象: 現代日本の文学 31 太宰治集
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1. 現代日本の文学 31 太宰治集

「ああ、そう。あなたの御主人なのですね。南方じゃあ、 或るお天気のいい日に、私は朝から男の人たちと一緒に たいへんだ。」 丸太はこびをしていると、監視当番の若い将校が顔をしか と首を振ってしんみり言い、 めて、私を指差し、 「とにかく、きようはここで見張番という事にして、あな 「おい、君。君は、こっちへ来給え。」 と言って、さっさと松林のほうへ歩いて行き、私が不安たのお弁当は、あとで自分が持って来てあげますから、ゆ つくり、休んでいらっしゃい。」 と恐怖で胸をどきどきさせながら、その後について行く と言い捨て、急ぎ足で帰って行かれた。 と、林の奥に製材所から来たばかりの板が積んであって、 将校はその前まで行って立ちどまり、くるりと私のほうに私は、材木に腰かけて、文庫本を読み、半分ほど読んだ 頃、あの将校が、こっこっと靴の音をさせてやって来て、 向き直って、 「毎日、つらいでしよう。きようは一つ、この材木の見張「お弁当を持って来ました。おひとりで、つまらないでし よ、つ - 0 」 番をしていて下さい。」 と言って、お弁当を草原の上に置いて、また大急ぎで引 と白い歯を出して笑った。 返して行かれた。 「ここに、立っているのですか ? 」 「ここは、涼しくて静かだから、この板の上でお昼寝でも私は、お弁当をすましてから、こんどは、材木の上に這 い上って、横になって本を読み、全部読み終えてから、う していて下さい。もし、退屈だったら、これは、お読みか とうとお昼寝をはじめた。 も知れないけど、」 と言って、上衣のポケットから小さい文庫本を取り出眼がさめたのは、午後の三時すぎだった。私は、ふとあ の若い将校を、前にどこかで見かけた事があるような気が し、てれたように、板の上にほおり、 して来て、考えてみたが、思い出せなかった。材木から降 「こんなものでも、読んでいて下さい。」 陽 りて、髪を撫でつけていたら、また、こっこっと靴の音が 文庫本には、「トロイカ」と記されていた。 聞えて来て、 私はその文庫本を取り上げ、 「ありがとうございます。うちにも、本のすきなのがいま「やあ、きようは御苦労さまでした。もう、お帰りになっ てよろしい。」 9 して、いま、南方に行っていますけど。」 私は将校のほうに走り寄って、そうして文庫本を差し出 と申し上げたら、聞き違いしたらしく、

2. 現代日本の文学 31 太宰治集

だ。油断してはならない、などと考えていたら、番頭さん先生のものなど色々やってみたが、どうも左団次や羽左衛 こわいろ 1 がひょいとドアから顔を出して、 門の声色みたいになっていけない。僕の個性が出ないの かた せりふ 「お書きになりました方は、その答案をお持ちになって、 だ。そうかといって、武者小路や久保田万太郎のは、台詞 どうそこちらへ。」また御案内だ。 がとぎれて、どうも朗読のテキストには向かないのだ。 書きあげたのは僕ひとりだ。僕は立って廊下へ出た。別人三役くらいで対話の朗読など、いまの僕のカでは危かし 棟の広い部屋に通された。なかなか立派な部屋だ。大きい いし、一人で長い台詞を言う場面は、一つの戯曲にせいぜ 食卓が、二つ置かれてある。床の間寄りの食卓をかこんで い二つか三つ、いや何も無い事さえあって、意外にも少い 試験官が六人、二メートルくらいはなれて受験者の食卓。ものなのだ。たまにあるかと思うと、それはもう既に名優 こわいろ かくしげい 受験者は、僕ひとり。僕たちの先に呼ばれた五人の受験者の声色、宴会の隠芸だ。何でもいいから、一つだけ選べ、 たちは、もう皆すんで退出したのか、誰もいない。僕は立と言われると実際、迷ってしまうのだ。まごまごしている って礼をして、それから食卓に向ってきちんと坐った。、 うちに試験の期日は切迫して来る。 いっそこうなれば「桜 る、いる。市川菊之助、瀬川国十郎、沢村嘉右衛門、坂東の園」のロ・ハ ーヒンでもやろうか。いや、それくらいな 市松、坂田門之助、染川文七、最高幹部が、一様に、にこら、ファウストがいい。あの台詞は、鵐座の試験の、とっ にこ笑ってこっちを見ている。僕も笑った。 さの場合に僕が直感で見つけたものだ。記念すべき台詞 「何を読みますか ? 」瀬川国十郎が、金歯をちらと光らせだ。きっと僕の宿命に、何か、つながりのあるものに相違 て言った。 よい。ファウストにきめてしまえ ! という事になったの 「ファウストー」ずいぶん意気込んで言ったつもりなのだである。このファウストのために失敗したって僕には悔い うなず が、国十郎は軽く首肯いて、 がない。誰はばかるところなく読み上げた。読みながら、 「どうそ。」 とても涼しい気持がした。大丈夫、大丈夫、誰かが背後で そう言っているような気もした。 僕はポケットから外訳の「ファウスト」を取り出し、 れいの、花咲ける野の場を、それこそ、天も響けと読み上人生は彩られた影の上にある ! と読み終って思わずに げた。この「ファウスト」を選ぶまでには、兄さんと二人っこり笑ってしまった。なんだか、嬉しかったのである。 で実に考えた。春秋座には歌舞伎の古典が歓迎されるだろ試験なんて、もう、どうだっていいというような気がして * もくあみ しようよう * きどう うという兄さんの意見で、黙阿弥や逍遙、綺堂、また斎藤来た。

3. 現代日本の文学 31 太宰治集

170 「そうですか。それじゃ、これだけで、よろしゅうござい 午後二時、春秋座より速達あり。「健康診断を致します ます。どうも、きようは、御苦労さまでした。食事は、すから、八日正午、左記の病院に此の状持参にておいで下さ みましたね ? 」 。」とあって、虎の門の或る病院の名が書かれていた。 いわゆる 「はあ、いただきました。」 所謂、第二次考査の通知である。兄さんは、もう之で合 「それでは、一「三日中に、また何か通知が行くかも知れ格したも同然だ、と言って全く安心しているが、僕には、 ませんが、もし、一「三日中に何も通知が無かった場合にそうは思われなかった。病院へ行ってみると、きのうの受 は、またもういちど、その先生のところへ相談にいらっし験生が、また全部集まっているような気さえする。もうい やるのですね。」 ちど、はじめから戦い直してもいいくらいの英気を、たっ 「そのつもりで居ります。」 ぶりと養って置きたい。さいわい、からだは、どこも悪く これで、ぎようの試験が、全部、すんだのである。満ちない筈だけど。 足りた、おだやかな気持で、家へ帰った。晩は、兄さんと夜は、ひとりでレコードを聞いて過す。モーツアルトの 二人で芹川式のビフテーキを作って食べた。おシュン婆さフリュウト・コンチェルトに眼を細める。 んにも、ごちそうしてやった。僕は本当に、平気なのに、 兄さんは、ひそかに気をもんでいるようだ。何かと試験の かみくになにに 模様を聞きたがるのだが、こんどは僕が、神の国は何に似七月八日。土曜日。 たるか、などと逆に問い返したりなどして、過ぎ去った試晴れ。虎の門の竹川病院に行って、いま帰って来たとこ 験の事は少しも語りたくなかった。 ろ。暑い、暑い。ごめんこうむって、・ハンツ一枚の姿で日 夜は日記。これが最後の日記になるかも知れぬ。なぜだ記をつける。病院へ行ってみたら、たった二人だ。僕と、 か、そんな気がする。寝よう。 それから髪をおかつばにした、一見するに十四、五の坊や と、それつぎりだ。あとの人は、みんな駄目だったらし 。すごい厳選だったのだ。ひやりとした。 七月六日。木曜日。 三人のお医者が交る交る、僕たちのからだの隅々まで調 曇り。けさは、眠くて、どうしても起きられず、学校をべた。峻烈を極めた診察で、少々まいった。レントゲンに 休む。 かけられ、血液も尿もとられた。坊やは、トラホームを見

4. 現代日本の文学 31 太宰治集

四 5 津軽 「お酒は、あります。」上品なさんは、かえってご自分知れない、と私は自分に都合のいいように考え直し、 「それじゃ酔わない程度に、少し飲もうか。」と Z 君に向 のほうで顔を赤くしてそう言った。「飲みましよう。」 「いやいや、ここで飲んでは、」と言いかけて、 Z 君は、 って提案した。 うふふと笑ってごまかした。 「飲んだら酔うよ。」 Z 君は先輩顔で言って、「きようは、 「それは大丈夫。」とさんは敏感に察して、「竜飛へお持こりゃあ、三厩泊りかな ? 」 「それがいいでしよう。きようは今別でゆっくり遊んで、 ちになる酒は、また別に取って置いてありますから。」 「ほほ、」と z 君は、はしゃいで、「いや、しかし、いまか三厩までだったら歩いて、まあ、ぶらぶら歩いて一時間か ら飲んでは、きようのうちに竜飛に到着する事が出来なくな ? どんなに酔ってたって楽に行けます。」とさんも なるかも、」などと言っているうちに、奥さんが黙っておすすめる。きようは三厩一泊ときめて、私たちは飲んだ。 銚子を持って来た。この奥さんは、もとから無ロな人なの私には、この部屋へはいった時から、こだわっていたも であって、別に僕たちに対して怒っているのでは無いかものが一つあった。それは私が蟹田でつい悪口を言ってしま ったあの五十年配の作家の随筆集が、さんの机の上にき ちんと置かれている事であった。愛読者というものは偉い もので、私があの日、蟹田の観瀾山であれほビロ汚くこの 作家を罵倒しても、この作家に対するさんの信頼はいさ さかも動揺しなかったものと見える。 「ちょっと、その本を貸して。」どうも気になって落ちっ かないので、とうとう私は、さんからその本を借りて、 いい加減にばっと開いて、その箇所を鵜の目鷹の目で読み はじめた。何かアラを拾って凱歌を挙げたかったのである が、私の読んだ箇所は、その作家も特別に緊張して書いた ところらしく、さすがに打ち込むすきが無いのである。私 は、黙って読んだ。一ページ読み、二べージ読み、三ペー ジ読み、とうとう五ページ読んで、それから、本を投け出 ィ一ンワフ引 ( 今甜之 みまや

5. 現代日本の文学 31 太宰治集

、ばたんばたんと音をたてて、私はお座敷の隣りの間ものがまったく理解できないのかも知れない。とにかく、 で、ローザ・ルクセンプルグの「経済学入門」を、奇妙な私には、すこしも面白くない。人間というものは、ケチな 興奮を覚えながら読んでいた。これは私が、こないだお二もので、そうして、永遠にケチなものだという前提が無い 階の直治の部屋から持って来たものたが、その時、これとと全く成り立たない学問で、ケチでない人にとっては、分 一緒に、レニン選集、それからカウッキイの「社会革命」配の問題でも何でも、まるで興味の無い事だ。それでも私 なども無断で拝借して来て、隣りの間の私の机の上にのせはこの本を読み、べつなところで、奇妙な興奮を覚えるの て置いたら、お母さまが、朝お顔を洗いにいらした帰りだ。それは、この本の著者が、何の躊躇も無く、片端から 旧来の思想を破壊して行くがむしやらな勇気である。どの に、私の机の傍を通り、ふとその三冊の本に目をとどめ、 いちいちお手にとって、眺めて、それから小さい溜息をつように道徳に反しても、恋するひとのところへ涼しくさっ いて、そっとまた机の上に置き、淋しいお顔で私のほうをさと走り寄る人妻の姿さえ思い浮ぶ。破壊思想。破壊は、 ちらと見た。けれども、その眼つきは、深い悲しみに満ち哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。破壊して、建て ていながら、決して拒否や嫌悪のそれではなかった。お母直して、完成しようという夢。そうして、いったん破壊す 、デウマ父子、ミュッ れば、永遠に完成の日が来ないかも知れぬのに、それで さまのお読みになる本は、ユーゴー セ、ドオデ工などであるが、私はそのような甘美な物語のも、したう恋ゆえに、破壊しなければならぬのだ。革命を 本にだって、革命のにおいがあるのを知っている。お母さ起さなければならぬのだ。ローザはマルキシズムに、悲し くひたむきの恋をしている。 まのように、天性の教養、という言葉もへんだが、そんな あれは、十二年前の冬だった。 ものをお持ちのお方は、案外なんでもなく、当然の事とし 「あなたは、更級日記の少女なのね。もう、何を言っても て革命を迎える事が出来るのかも知れない。私だって、こ うして、ローザ・ルクセン・フルグの本など読んで、自分が仕方が無い。」 そう言って、私から離れて行ったお友達。あのお友達 キザったらしく思われる事もないではないが、けれどもま た、やはり私は私なりに深い興味を覚えるのだ。ここに書に、あの時、私はレニンの本を読まないで返したのだ。 かれてあるのは、経済学という事になっているのだが、経「読んだ ? 」 済学として読むと、まことにつまらない。実に単純でわか「ごめんね。読まなかったの。」 ニコライ堂の見える橋の上だった。 り切った事ばかりだ。いや、或いは、私には経済学という

6. 現代日本の文学 31 太宰治集

から、お金は、お関に言いつけて、京橋の x 町 x 丁目の力と思いながらも、ついまた、・フローチなどお関さんに売ら ヤノアパートに住んでいる、姉上も名前だけはご存じの筈せて、そのお金を上原さんのアパートにとどけさせるのだ の、小説家上原二郎さんのところに届けさせるよう、上原った。 さんは、悪徳のひとのように世の中から評判されている「上原さんって、どんな方 ? 」 が、決してそんな人ではないから、安心してお金を上原さ「小柄で顔色の悪い、ぶあいそな人でございます。」 んのところへ届けてやって下さい、そうすると、上原さん とお関さんは答える。 がすぐに僕に電話で知らせる事になっているのですから、 「でも、アパートにいらっしやる事は、めったにございま 必ずそのようにお願いします、僕はこんどの中毒を、ママせぬです。たいてい、奥さんと、六つ七つの女のお子さん にだけは気付かれたくないのです、ママの知らぬうちに、 と、お二人がいらっしやるだけでございます。この奥さん なんとかしてこの中毒をなおしてしまうつもりなのです、は、そんなにお綺麗でもございませぬけれども、お優しく 僕は、こんど姉上からお金をもらったら、それでもって薬て、よく出来たお方のようでございます。あの奥さんにな 屋への借りを全部支払って、それから塩原の別荘へでも行ら、安心してお金をあずける事が出来ます。」 って、健康なからだになって帰って来るつもりなのです、 その頃の私は、いまの私に較べて、 しいえ、較べものに 本当です、薬屋の借りを全部すましたら、もう僕は、そのも何もならぬくらい、まるで違った人みたいに、・ほんやり 日から麻薬を用いる事はびったりよすつもりです、神さまの、のんき者ではあったが、それでもに、つぎつぎと に誓います、信じて下さい、ママには内緒に、お関をつか続いてしかも次第に多額のお金をねだられて、たまらなく ってカヤノアパート の上原さんに、たのみます、というよ心配になり、一日、お能からの帰り、自動車を銀座でかえ うな事が、その手紙に書かれていて、私はその指図どおりして、それからひとりで歩いて京橋のカヤノア・ ( 1 トを訪 に、お関さんにお金を持たせて、こっそり上原さんのアパ ねた。 1 トにとどけさせたものだが、弟の手紙の誓いは、いつも上原さんは、お部屋でひとり、新聞を読んでいらした。 しまあわせ こんがすり 斜嘘で、塩原の別荘にも行かず、薬品中毒はいよいよひどく縞の袷に、紺絣のお羽織を召していらして、お年寄りのよ なるばかりの様子で、お金をねだる手紙の文章も、悲鳴に うな、お若いような、いままで見た事もない奇獣のよう 近い苦しげな調子で、こんどこそ薬をやめると、顔をそむな、へんな初印象を私は受け取った。 けたいくらいの哀切な誓いをするので、また嘘かも知れぬ「女房はいま、子供と、一緒に、配給物を取りに。」

7. 現代日本の文学 31 太宰治集

五月三十日。日曜日。 六月十三日。日曜日。 晴れ。日曜なのに、心が暗い。春も過ぎて行く。朝、木曇。蹴球部の先輩、大沢殿と松村殿がのこのこやって来 村から電話。横浜に行かぬかというのだ。ことわる。午た。接待するのが、馬鹿らしくてたまらない。蹴球部の夏 後、神田に行き、受験参考書を全部そろえた。夏休みまで休みの合宿が、お流れになりそうだ、大事件だ、と言って に代数研究 ( 上・下 ) をやってしまって、夏休みには、平興奮している。僕は、ことしの夏休みは合宿に加わらない 面幾何の総復習をしよう。夜は、本棚の整理をした。暗つもりだったから、かえって好都合なのだが、大沢、松村 憺。沈鬱。われ山に向いて目をあぐ。わがはいずこよの両先輩にと 0 ては、楽しみが一つ減 0 たわけだから、不 りきたるや。 平満々だ。梶キャプテンが会計のヘマを演じて、合宿の費 用を学校から取れなくなってしまったのだそうだ。松村殿 は、梶を免職させなければいけないと、大いにいきまいて 六月三日。木曜日。 いた。とにかく、みんな馬鹿だ。すこしも早く帰ってもら 晴れ。本当は、きようから六日間、四年生の修学旅行な いたかった。 ざこね のだが、旅館でみんな一緒に雑魚寝をしたり、名所をそろ夜は、久し振りでお母さんの足をもんであげる。 そろ列をつくって見物したりするのが、とても厭なので、 「なにごとも、辛抱して、 不参。 「はい。」 六日間、小説を読んで暮すつもりだ。きようから漱石の「兄弟なかよく、 「明暗」を読みはじめている。暗い、 暗い小説だ。この暗「はい。」 さは、東京で生れて東京で育った者にだけ、わかるのだ。 お母さんは二言目には、「辛抱して」と、それから「兄 笑どうにもならぬ地獄だ。クラスの奴らは、いまごろ、夜汽弟なかよく」を言うのである。 微車の中で、ぐっすり眠っているだろう。無邪気なものだ。 義勇者は独り立っ時、最も強し。 ( シルレレ、・こっこ かな ? ) 七月十四日。水曜日。 晴れ。七月十日から一学期の本試験がはじまっている。 あす一日で、終るのだ。それから一週間経っと、成績の発

8. 現代日本の文学 31 太宰治集

幼少の頃の太宰を育てた越野たけ 生前愛用の机、湯のみ、硯箱、辞典など によって否定されている ) この作品を書いたころの 太宰の人を懐しむ気持がそこはかとなくあらわれてい この頃から、戦争末期にいたる期間、太宰の創作活 動は、他のいかなる文学者に比べても、遜色ないばか りか、むしろ一貫した戦争に対する否定を潜めた無視 の態度を維持した点において、稀有の存在であった。 彼はこの時期、戦争に苦悩する国民の心に、やさしい 本ものの慰安を与えるような数々の作品を書いた 「新釈諸国噺」「お伽草紙」などは、直接そういう意 図をもった名作であった。 「正義と微笑」 ( 昭和十七年六月刊 ) は、友人の弟で 前進座の俳優だった堤康久の日記を元にして「作者の 幻想を自由に書き綴った小説」である。少年期から青 年になろうとする時期の情念や心理が清潔に、すらす らと書かれている。そこに、太宰自身の自伝的回想が くらいところ 同化されていることはい、つまでもない のない明朗な青春小説というべきものであるが、太宰 のバイプルへの関心が随所に反映していることが注目 される 太宰か聖書をどう読んだか、キリストをどう考えた かという問題は、マルクス主義の問題とならんで、こ れまで多くの人によって論じられたものである。その

9. 現代日本の文学 31 太宰治集

0 疎開中に住んだ生家の離れ 昭和 21 年、疎開中の太宰 郷の方言によって、一篇の民話劇のような抒情を歌っ たものである。この作品には解説はいらないかもしれ ない。津軽の自然と伝承がそのまま美しい詩として形 象化されている。佐藤春夫のいう「無垢の詩魂」の流 露を味わえばそれでよいのかもしれない ) シズム しかし、この「詩魂」が、やはりただのリ というのと異っていることを示すものは、同しように 津軽の風土と伝承にもとづく「魚服記」である。この りぎよ むおう 作品の着想には「雨月物語」の「夢応の鯉魚」が働い ているというか、たとえば坂口安吾などか、父」と カ桜料」とか斜陽」をこえて、無条件に「すばら しいしゃないか」と絶賛したのがこの小品である。素 樸な民話的哀愁をこえて、ほとんど幽玄な象徴性をお びたところにまで、この作品の不思議な効果は高めら れている。 同じように伝承とも説話ともっかない素材を扱いな がら、ほとんど作者不詳としてもおかしくない初期の 傑作とされるのが「ロマネスク」である。私自身の回 想でいえば、あまり熱心な太宰の読者でもなかったの この作品だけは、いつ、どんな機会に初めて読ん ここにあらわれ だのか、さつばり思い出せないのに、 る三人の異常人の記慮だけはすっと昔から消えないで しるおかしみとともに異様な悲しさカそこにはただ

10. 現代日本の文学 31 太宰治集

章である。 しい音をたててひとしきり廻って、かならずひっそりと止 「六つ七つになると思い出もはっきりしている。私がたけるのだけれど、私が廻すと後戻りすることがたまたまある という女中から本を読むことを教えられ、二人で様々の本のだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行って を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。私は病身だその金輪のどれを廻して見ても皆言い合せたようにからん ったので、寝ながらたくさん本を読んだ。読む本がなくな からんと逆廻りした日があったのである。私は破れかける れば、たけは村の日曜学校などから子供の本をどしどし借かんしやくだまを抑えつつ何十回となく執拗に廻しつづけ りて来て私に読ませた。私は黙読することを覚えていたのた。日が暮れかけて来たので、私は絶望してその墓地から で、いくら本を読んでも疲れないのだ。たけは又、私に道立ち去った。 ( 中略 ) やがて私は故郷の小学校へ入ったが、 しばしば 徳を教えた。お寺へ屡々連れて行って、地獄極楽の御絵掛追憶もそれと共に一変する。たけは、いつの間にかいなく 地を見せて説明した。火を放けた人は赤い火のめらめら燃なっていた。或る漁村へ嫁に行ったのであるが、私がその えている籠を背負わされ、めかけ持った人は二つの首のああとを追うだろうという懸念からか、私には何も言わずに る青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池突然いなくなった。その翌年だかのお盆のとき、たけは私 や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れのうちへ遊びに来たが、なんだかよそよそしくしていた。 ぬ深い穴や、到るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を私に学校の成績を聞いた。私は答えなかった。ほかの誰か 小さくあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこが代って知らせたようだ。たけは、油断大敵でせえ、と言 のように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときっただけで格別ほめもしなかった。」 私の母は病身だったので、私は母の乳は一滴も飲まず、 には恐ろしくて泣き出した。 生れるとすぐ乳母に抱かれ、三つになってふらふら立って そのお寺の裏は小高い墓地になっていて、山吹かなにか 歩けるようになった頃、乳母にわかれて、その乳母の代り の生垣に沿うてたくさんの卒堵婆が林のように立ってい 軽 た。卒堵婆には、満月ほどの大きさで車のような黒い鉄のに子守としてやとわれたのが、たけである。私は夜は叔母 津輪のついているのがあ 0 て、その輪をからから廻して、やに抱かれて寝たが、その他はいつも、たけと一緒に暮した がて、そのまま止ってじっと動かないならその廻した人はのである。三つから八つまで、私はたけに教育された。そ 極楽〈行き、一旦とまりそうにな 0 てから、又からんと逆うして、或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、た に廻れば地獄へ落ちゑとたけは言った。たけが廻すと、けは来ない。はっと思った。何か、直感で察したのだ。私