う青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。屋を選んだ。四軒の中では、まだしも、少しましなところ けっぺっ 東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰にもが、あるように思われたからである。意地の悪そうな、下 品な女中に案内されて二階に上り、部屋に通されて見る 媚びずに書きたかった。 あいつも、だんだん俗物になって来たね。そのような無と、私は、いい年をして、泣きそうな気がした。三年まえ おぎくぼ 智な陰口が、微風と共に、ひそひそ私の耳にはいって来に、私が借りていた荻窪の下宿屋の一室を思い出した。そ る。私は、その度毎に心の中で、強く答える。僕は、はじの下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物であったのである。け めから俗物だった。君には、気がっかなかったのかね。逆れども、この蒲団部屋の隣りの六畳間は、その下宿の部屋 よりも、もっと安 ? ほく、佗びしいのである。 なのである。文学を一生の業として気構えた時、愚人は、 かえって私を組し易しと見てとった。私は、幽かに笑うば「他に部屋が無いのですか。」 「ええ。みんな、ふさがって居ります。ここは涼しいです かりだ。万年若衆は、役者の世界である。文学には無い 東京八景。私は、いまの此の期間にこそ、それを書くべきよ。」 であると思っこ。、 しまは、差し迫った約束の仕事も無い。 「そうですか。」 百円以上の余裕もある。いたずらに恍惚と不安の複雑な溜私は、馬鹿にされていたようである。服装が悪かったせ 息をもらして狭い部屋の中を、うろうろ歩き廻っている場 いかも知れない。 合では無い。私は絶えず、昇らなければならぬ。 「お泊りは、三円五十銭と四円です。御中食は、また、別 東京市の大地図を一枚買って、東京駅から、米原行の汽にいただきます。どういたしましようか。」 車に乗った。遊びに行くのでは、ないんだぞ。一生涯の、 「三円五十銭のほうにして下さい。中食は、たべたい時 重大な記念碑を、骨折って造りに行くのだぞ、と繰り返しに、そう言います。十日ばかり、ここで勉強したいと思っ 景 繰り返し、自分に教えた。熱海で、伊東行の汽車に乗りかて来たのですが。」 え、伊東から下田行の・ハスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿「ちょっと、お待ち下さい。」女中は、階下へ行って、し 東うて三時間、・ ( スにゆられて南下し、その戸数三十の見るばらくして、また部屋にやって来て、「あの、永い御滞在 影も無い山村に降り立った。ここなら、一泊三円を越えるでしたら、前に、いただいて置く事になって居りますけれ 1 ことは無かろうと思った。憂鬱えがたいばかりの粗末ど。」 いいのでしよう。」 な、小さい宿屋が四軒だけ並んでいる。私は、という宿「そうですか。いくら差し上げたら、 こ しろもの
「御苦労さまです。」国十郎氏は、ちょっと頭をさげて、前はわからなかったが角帯をしめた四十歳前後の相当の幹 とうい十・ 部らしいひとが二人、部屋の隅の籐椅子に腰かけていた。 「もう一つ、こちらからのお願い。」 若い、事務員みたいな人が白ズボンにワイシャッという姿 「はあ。」 「ただいま向うでお書ぎになった答案を、ここで読みあげで、僕たちに号令をかけるのである。和服の人は着物をみ な脱がなければならないが、洋服の人は単に上衣を脱ぐだ て下さい。」 けでよろしいという事であって、僕たちの組の人は全部洋 「答案 ? これですか ? 」儺はどぎまぎした。 服だったので、身仕度にも手間がかからず、すぐに体操が 「ええ。」笑っている。 これには、ちょっと閉ロだった。で春秋座の人たち始まった。五人一緒に、右向け、左向け、廻れ右、すす も、なかなか頭がいいと思った。これなら、あとで答案をめ、駈足、とまれ、それからラジオ体操みたいなものをや いちいち調べる手数もはぶけるし、時間の経済にもなるって、最後に自分の姓名を順々に大声で報告して、終り。 し、くだらない事を書いてあった場合には朗読も、しどろ簡単なる体操、と手紙には書いてあったが、そんなに簡単 もどろになって、その文章の欠点も、いよいよ ( ッキリしでもなかった。ちょっと疲れたくらいだった。控室へ帰っ て来るであろうし、これには一本、やられた形だった。けてみると、控室には一列に食卓が並べられていて、受験生 てんどん れども気を取り直して、ゆっくり、悪びれずに読んだ。声たちは・ほっ・ほっ食事をはじめていた。天丼である。おそば やの小僧さんのようなひとが二人、れいの番頭さんに指図 には少しも抑揚をつけず、自然の調子で読んだ。 どんぶり 「よろしゅうございます。その答案は置いて行って、どうされて、あちこち歩きまわってお茶をいれたり、丼を持ち 運んだりしている。ずいぶん暑い。僕は汗をだらだら流し そ控室でお待ちになっていて下さい。」 僕はびよこんとお辞儀をして廊下に出た。背中に汗をびて天丼をたべた。どうしても全部たべ切れなかった。 っしよりかいているのを、その時はじめて気がついた。控最後は口頭試問であった。番頭さんに一人ずつ呼ばれ と室に帰って、部屋の壁によりかかってあぐらを掻き、三十て、連れられて行く。口頭試問の部屋は、さっきの朗読の 正分くらい待っているうちに、僕と同じ組の四人の受験生も部屋であ 0 た。けれども部屋の中の雰囲気は、す 0 かり違 っていた。ごたごた、ひどくちらかっていた。大きい一一つ 順々に帰って来た。みんなそろった時に、また番頭さんが の食卓は、びったりくつつけられて、文芸部とか企画部と 迎えに来て、こんどは体操だ。風呂場の脱衣場みたいな、 がらんと広い板敷の部屋に通された。なんという俳優か名か、いずれそんなところの人たちであろう、髪を長くのば
第を念 ~ ッ第を だった。私自身はもっと現実的な理由から、何度、紀 オ , 刀 伊国屋書店で万引きを計画したかも知れない 私は中学生の頃、九州の地方都市で万引きに失敗して、 書店の親父さんからひどく屈辱的な取調べを受けた経 験があり、その記憶が私の勇気をにぶらせていた。そ しまの店主は黒沢明の映画によく出る志村喬という俳優氏 ン と酷似していて、その事件以来、私は彼をスクリ の中で発見すると、いつも条件反射的な吐き気におそ われたものである。 私がはじめて津軽を訪れたのは、ちょうどそんな時 期と重なりあう重苦しい夏の、八月のはじめの頃だっ たと思う。そして、その夏の短い旅が、それから現在 まで、私を津軽という他人の土地に奇妙な形で執着さ せるきっかけを作ったと言えるのかも知れない 第人は偏見を得るために旅行する、と言「たアメリカ はしめての土地を訪 0 第の文学者がいた。私もそう思う。 れる印象は、たとえばその日の天候次第でも全く異な る事があるからだ。そしてまた、旅をするこちらの心 すす理的情況によ 0 て、未知の街は一人一人にさまざまな 」、顔を見せるに違いない 私は青森市内のホテルの六階の部屋から、明るく乾
って庭を歩くことがあるではないか。彼は私の握手にほと私はこのことから勇気を百倍にもして取りもどし、まえ んど当惑した。要するに私はめでたいのではないだろう からの決意にふたたび眼ざめたのである。しかし、弟のこ とを思うとやはり気がふさがって、みよのわけで友人たち か。私にとって、めでたいという事ほどひどい恥辱はなか ったのである。 と騒ぐことをも避けたし、そのほか弟には、なにかにつけ おなじころ、よくないことが続いて起った。ある日の昼ていやしい遠慮をした。自分から進んでみよを誘惑するこ ともひかえた。私はみよから打ち明けられるのを待っこと 食の際に、私は弟や友人たちといっしょに食卓へ向ってい えうちわ たが、その傍でみよが、紅い猿の面の描かれてある絵団扇にした。私はいくらでもその機会をみよに与えることがで しばしば でばさばさと私たちをあおぎながら給仕していた。私はそきたのだ。私は屡々みよを部屋へ呼んで要らない用事を言 いつけた。そして、みよが私の部屋へはいって来るときに の団扇の風の量で、みよの心をこっそり計っていたもの た。みよは、私よりも弟の方を多くあおいだ。私は絶望しは、私はどこかしら油断のあるくつろいだ恰好をして見せ たのである。みよの心を動かすために、私は顔にも気をく て、カツレツの皿へばちっとフォクを置いた。 みんなして私をいじめるのだ、と思い込んだ。友人たちばった。その頃になって私の顔の吹出物もどうやら直って いたが、それでも惰性で、私はなにかと顔をこしらえてい だってまえから知っていたに違いない、と無闇に人を疑っ つるくさ と私はひとりでき た。もう、みよを忘れてやるからいい た。私はその蓋のおもてに蔦のような長くくねった蔓草が めていた。 いつばい彫り込まれてある美しい銀のコン・ハクトを持って いた。それでもって私のきめを時折うめていたのだけれ また二三日たって、ある朝のこと、私は、前夜ふかした 煙草がまだ五六ぼん箱にはいって残っているのを枕元へ置ど、それを尚すこし心をいれてしたのである。 これからはもう、みよの決心しだいであると思った。し き忘れたままで番小屋へ出掛け、あとで気がついてうろた かし、機会はなかなか来なかったのである。番小屋で勉強 えて部屋へ引返して見たが、部屋は綺麗に片づけられ箱が なかったのである。私は観念した。みよを呼んで、煙草はしている間も、とぎどきそこから脱け出て、みよを見に母 どうした、見つけられたろう、と叱るようにして聞いた。屋へ帰った。殆どあらつぼい程ばたんばたんとはき掃除し みよは真面目な顔をして首を振った。そしてすぐ、部屋のているみよの姿を、そっと眺めては唇をかんだ。 こう なげしの裏へ背のびして手をつつこんだ。金色の二つの蝙そのうちにとうとう夏やすみも終りになって、私は弟や 友人たちとともに故郷を立ち去らなければいけなくなっ 蝠が飛んでいる緑いろの小さな紙箱はそこから出た。 った
てそのまま崩れるようにお坐りになり、そう一言おっしゃ庭先で燃やしたりしていそがしい思いをしていたが、お母 っこ 0 さまは、少しも整理のお手伝いも、お指図もなさらず、毎 日お部屋で、なんとなく、ぐずぐずしていらっしやるので 「きめたって、何を ? 」 ある。 「全部。」 「だって、」 「どうなさったの ? 伊豆へ行きたくなくなったの ? 」 と私はおどろき、 と思い切って、少しきつくお訊ねしても、 「いいえ。」 「どんなお家だか、見もしないうちに、 とぼんやりしたお顔でお答えになるだけであった。 お母さまは机の上に牘挙を立て、額に軽くお手を当て、 小さい溜息をおっきになり、 十日ばかりして、整理が出来上った。私は、夕方お君と わら 「和田の叔父さまが、いい所だとおっしやるのだもの。私二人で、紙くずや藁を庭先で燃やしていると、お母さま は、このまま、眼をつぶってそのお家へ移って行っても、 も、お部屋から出ていらして、縁側にお立ちになって黙っ いような気がする。」 て私たちの焚火を見ていらした。灰色みたいな寒い西風が とおっしやってお顔を挙げて、かすかにお笑いになっ吹いて、煙が低く地を這っていて、私は、ふとお母さまの た。そのお顔は、少しやつれて、美しかった。 顔を見上げ、お母さまのお顔色が、いままで見たこともな 「そうね。」 かったくらいに悪いのにびつくりして、 と私も、お母さまの和田の叔父さまに対する信頼心の美「お母さま ! お顔色がお悪いわ。」 あいづち しさに負けて、合槌を打ち、 と叫ぶと、お母さまは薄くお笑いになり、 「なんでもないの。」 「それでは、かず子も眼をつぶるわ。」 とおっしやって、そっとまたお部屋におはいりになっ 二人で声を立てて笑ったけれども、笑ったあとが、すご 陽 た。 く淋しくなった。 斜それから毎日、お家へ人夫が来て、引越しの荷ごしらえその夜、お蒲団はもう荷造りをすましてしまったので、 がはじまった。和田の叔父さまも、やって来られて、売りお君は二階の洋間のソフアに、お母さまと私は、お母さま 払うものは売り払うようにそれそれ手配して下さった。私のお部屋に、お隣りからお借りした一組のお蒲団をしい は女中のお君と一一人で、衣類の整理をしたり、がらくたをて、二人一緒にやすんだ。
しつかりやらなければならぬ。今夜は、これから、コクち連び、まるで同じ事を繰り返して、独りで、てんてこ舞 いをしているのである。恥ずかしい事であるが、実は、聖 ランの「俳優芸術論」と、斎藤氏の「芝居街道五十年」を 書もききめがなかったのだ。けさから、。ハッパッと三度も 読破するつもりである。 ひらいてみたのだが、少しも頭にはいらない。実に恥ずか あしたは、写真屋へ行かなければならぬ。 しかった。もう、だめだ。僕は寝よう。午後六時。お念仏 とな でも称えたい。キリスも、おしやかさんも、ごちゃま・せ になった。 五月八日。月曜日。 ちょっと寝てから、また猛然とはね起きた。日が暮れて 雨。ぎようは学校を休んだ。何が何やら、さつばりわか らなくなって、この貴重な一週間を、いったいどうして過しまったら、少し心も落ちついて来た。きのうの写真屋か したのか、学校へ行っても、そわそわして、何でもないのら送られて来た手札型の写真をみつめる。同じのが三枚送 に、にやにや笑ったり、家に帰っては、やたらに部屋の整られて来たのだが、その中でも割合い、顔の色が黒く、陰 頓ばかりして、そうして、参考書は一冊も読まなかった。影のあるのを選んで履歴書などと一緒に、きのう速達で研 ただ、部屋の中で、うごめいているのである。気持は、刻究所へ送ってやったのである。どうして僕の顔は、こんな 一刻と狼狽し、こうして日記を書いていても、手が震えるに、らっきようのように単純なのだろう。眉間に皺を寄せ のである。つまり、あの、緊張したような、胆を失ったよて、複雑な顔を作ろうと思うのだが、。ヒリ。ヒリッと皺が寄 うな、厳粛なような、からっぽのような、それでいて、絶ったかと思うと、すぐに消える。口を、への字形に曲げ とう、も、うまく えずはらはらして、絶間なくお便所へ行っては、よしやろて、鼻の両側に深い皺を作りたいのだが、・ う、勉強しようと、武者ぶるいして部屋へ帰って、また部行かない。口が小さすぎるのかも知れない。曲がらない 笑屋の整頓である。ゆるしてもらえないだろうか。だめなので、とがるのである。口を、どんなに、とがらせたって、 とである。どうにも、落ちつけないのである。言いたい事、陰影のある顔にはならない、馬鹿に見えるだけである。 「お前の顔は、役者に向かない顔である。」と明日の試験 正書きたい事は山々ある。けれども、いたずらに感情が高ぶ って、わくわくしてしまって、坐って居られなくなるので、はっきり宣告されたら、どうしよう。僕は、その瞬間 しかばね だ。そうして、ただやたらに部屋の整頓である。こっちのから、それこそ「生ける屍」になるのだ。生きていても、 ものを、あっちへ持ち運び、あっちのものを、こっちへ持意味の無い人間になるのだ。ああ、僕に果して、演劇の才 たえま
だ。海峡を渡って来る連絡船が、大ぎい宿屋みたいにたく弟と並んで寝ころびながら、螢の青い火よりもみよのほの さんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水じろい姿をよけいに感じていた。浪花節は面白かったろう か、と私はすこし固くなって聞いた。私はそれまで、女中 平線から浮んで出た。 これだけは弗にもかくしていた。私がそのとしの夏休みには用事以外のロを決してきかなかったのである。みよは しいえ、と言った。私はふきだした。弟 に故郷へ帰ったら、浴衣に赤い帯をしめたあたらしい小柄静かな口調で、 な小間使が、乱暴な動作で私の洋服を脱がせて呉れたのは、蚊帳の裾に吸いついている一匹の螢を団扇でばさばさ 追いたてながら黙っていた。私はなにやらエ合がわるかっ だ。みよと言った。 私は寝しなに煙草を一本こっそりふかして、小説の書ぎた そのころから私はみよを意識しだした。赤い糸と言え 出しなどを考える癖があったが、みよはいつの間にかそれ ば、みよのすがたが胸に浮んだ。 を知って了って、ある晩私の床をのべてから枕元へ、きち んと煙草盆を置いたのである。私はその次の朝、部屋を掃 章 除しに来たみよへ、煙草はかくれてのんでいるのだから煙 四年生になってから、私の部屋へは毎日のようにふたり と言いつけた。みよは、は 草盆なんか置いてはいけない、 ふどうしゆするめ あ、と言ってふくれたようにしていた。同じ休暇中のことの生徒が遊びに来た。私は葡萄酒と鯣をふるまった。そう だったが、まちに浪花節の興行物が来たとき、私のうちでして彼等に多くの出鱈目を教えたのである。炭のおこしか は、使っている人たち全部を芝居小屋へ聞きにやった。私とたに就いて一冊の書物が出ているとか、「けだものの機械」 弟も行けと言われたが、私たちは田舎の興行物を樊迦にしという或る新進作家の著書に私がべたべたと機械油を塗っ て、わざと螢をとりに田圃へ出かけたのである。隣村の森て置いて、こうして発売されているのだが、珍らしい装幀 出ちかくまで行ったが、あんまり夜露がひどかったので、二でないかとか、「美貌の友」という翻訳本のところどころ 十そこそこを、籠にためただけでうちへ帰った。浪花節へカットされて、その・フランクになっている箇所へ、私のこ しらえたひどい文章を、知っている印刷屋へ秘密にたのん 行っていた人たちもそろそろ帰って来た。みよに床をひか 思 せ、蚊帳をつらせてから、私たちは電燈を消してその螢をで刷りいれてもらって、これは奇書だとか、そんなことを 蚊帳のなかへ放した。螢は蚊帳のあちこちをすっすっと飛言って友人たちを驚かせたものであった。 みよの思い出も次第にうすれていたし、そのうえに私 んだ。みよも暫く蚊帳のそとに佇んで螢を見ていた。私は
を聞いて、やたらに姉さんの様子を知りたがり、何かとうを持っているようでは、とても日本一の俳優にはなれやし るさく問い掛けるのであるが、僕は、教えるのが、なんだ このごろ、さつばり勉強もしていないようじゃない か惜しくて、要領を得ないような事ばかり言って、あとでか。兄さんには、なんでもよくわかっているんだぜ。」 兄さんからお聞きなさいよ、僕には、よくわからないんだ「兄さんだって、ちっとも勉強してないじゃないか。毎 もの、とごまかして、お母さんの部屋から逃げだしてしま日、お酒ばかり飲んで。」 っこ 0 「生意気言うな、生意気を。鈴岡さんにすまないと思うか 十一時ごろ、兄さんは、ひどく酔っぱらって帰って来ら、 た。僕は、兄さんの部屋へついて行って、 「だから、鈴岡さんをよろこばせてあげたらいいじゃない 「兄さん、お水を持って来てあげようか。」 か。姉さんは、鈴岡さんを、ちっともきらいじゃないんだ 「要らねえよ。」 とさ。」 「兄さん、ネクタイをほどいてあげようか。」 「お前には、そう言うんだよ。進も、とうとう買収された 「要らねえよ。」 「兄さん、ズボンを押してあげようか。」 「カステラなんかで買収されてたまるもんか。チョッ・ヒ 「うるせえな。早く寝ろ。風邪は、もういいのか。」 いや、叔母さんがいけないんだよ。叔母さんが、けし 「風邪なんて、忘れちゃったよ。僕は、きよう目黒へ行っ かけたんだ。財産を知らせないとか何とか下品な事を言っ て来たんだよ。」 ていた・せ。でも、そいつは重大じゃないんだ。本当は、僕 「学校を、さ・ほったな。」 たちが、いけなかったんだ。」 「学校の帰りに寄って来たんだよ。姉さんがね、兄さんに「なぜだ。どこがいけないんだ。僕は、失敬して寝るぜ。」 笑よろしくって言ってた・せ。」 兄さんは、寝巻に着換えて、蒲団へもぐり込んでしまっ と「聞く耳は持たん、と言ってやれ。進も、いい加減に、あた。僕は部屋を暗くして、電気スタンドをつけてやった。 「兄さん。姉さんが泣いていた・せ。兄さんが、毎晩そとへ 正の姉さんをあきらめたほうがいいぜ。よその人だ。」 「姉さんは、僕たちの事を、とても思っているんだねえ。 出てお酒を飲んで夜おそくまで帰って来ないと言ったら、 ほろりとしちゃった。」 姉さんは、めそめそ泣いたぜ。」 「何を言ってやがる。早く寝ろ。そんなつまらぬ事に関心「そりゃあ泣くわけだ。自分でわがままを言って、みんなを
「おうい、キヌちゃん、お酒が無い。」 だったに違いねえのさ。まず、一升飲みかね。」 とお隣りで紳士が叫ぶ。 ともうひとりの紳士。 「よ、 冫しをし」 「よせ、よせ。ああ、あ、汝らは道徳におびえて、イエス をダシに使わんとす。チェちゃん、飲もう。ギロチン、ギ と返辞して、そのキヌちゃんという三十歳前後の粋な縞 ロチン、シュルシュルシュ。」 の着物を着た女中さんが、お銚子をお盆に十本ばかり載せ と上原さん、一ばん若くて美しいお嬢さんと、カチンとて、お勝手からあらわれる。 強くコップを打ち合せて、ぐっと飲んで、お酒がロ角から「ちょっと、」 したたり落ちて、顎が濡れて、それをやけくそみたいに乱とおかみさんは呼びとめて、 暴に掌で拭って、それから大きいくしやみを五つ六つも続「ここへも二本。」 けてなさった。 と笑いながら言い、 私はそっと立って、お隣りの部屋へ行き、病身らしく蒼「それからね、キヌちゃん、すまないけど、裏のスズャさ 白く痩せたおかみさんに、お手洗いをたずね、また帰りにんへ行って、うどんを一一つ大いそぎでね。」 その部屋をとおると、さっきの一ばんきれいで若いチェち私とチェちゃんは長火鉢の傍に並んで坐って、手をあぶ ゃんとかいうお嬢さんが、私を待っていたような恰好で立っていた。 っていて、 「お蒲団をおあてなさい。寒くなりましたね。お飲みにな 「おなかが、おすきになりません ? 」 りませんか。」 と親しそうに笑いながら、尋ねた。 おかみさんは、ご自分のお茶のお茶碗にお銚子のお酒を 「ええ、でも、私、・ハンを持ってまいりましたから。」 ついで、それから別の二つのお茶碗にもお酒を注いだ。 「何もございませんけど、」 そうして私たち三人は黙って飲んだ。 と病身らしいおかみさんは、だるそうに横坐りに坐って「みなさん、お強いのね。」 とおかみさんは、なぜだか、しんみりした口調で言っ 長火鉢に寄りかかったままで言う。 「この部屋で、お食事をなさいまし。あんな呑んべえさんた。 たちの相手をしていたら、一晩中なにも食べられやしませ がらがらと表の戸のあく音が聞えて、 「先生、持ってまいりました。」 ん。お坐りなさい、ここへ。チェ子さんも一緒に。」
倍もウイスキーを飲んだのだ。だが、なぜか余り酔わ なかった。 私はその晩、もし斜陽館に部屋が空いていれば泊め てもらおうと思っていたのだが、急にその計画をかえ、 富 タクシーを呼んでもらって五所川原へ行ってくれるよ うに頁んだ。 太宰が浅草にたとえた、〈善く一言えば、活気のある町 であり、悪く言えば、さわがしい町 : : : 〉である五所川 っ原に対して、私はなぜか急に奇妙な恋しさをおばえた からである。 ひろさき その晩、私は五所川原を経て、弘前の町へ出た。そ きっす、 おもなが して、そこで出会った生粋の弘前生れだという面長の こわ ( ノ第犠女のひとから、怖い話を聞いた。 かみそり さカ 深夜、蝋燭をともし、剃刀を逆さにくわえて鏡をの 現ぞき込むと、将来自分の男になる相手の顔が見えると 屋言うのである。それを教えられた彼女は、アハ 四畳半の部屋で深夜ためしてみた。すると、鏡の中に 天実の父親の顔がばんやり映ったのだそうだ。 くたく亠ま そんな事を喋りながら、その女のひとは太 しい腕で、干した魚を裂いて私にすすめるのだった。 津軽の人には、なぜか一般に考えられている東北人