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検索対象: 現代日本の文学 34 井上靖集
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1. 現代日本の文学 34 井上靖集

不安な思いにも駆られず眠りに落ちて行った。 中狩野村の医者の息子で、学校を卒業してから家でぶらぶ が、この夜は洪作は門ノ原から逃げ帰ったことで多少興らしていたが、教師の数が足りないからという役場からの 奮しているのか、なかなか寝つかれなかった。伯父の顔依頼で、一一年ほど前から代用教員として湯ヶ島の小学校に や、般若の面のような歯の黒い伯母の顔や、意地の悪い唐勤めていた。 平の顔などが目の先でちらちらした。 洪作も中川先生は好きであった。この若い先生にだけは 運動場などで平気ですがりついて行けた。 翌日、洪作が上の家へ行くと、祖母のたねが、 「洪ちゃ」 「洪ちゃ、逃げて来たんかい。せつかく泊まりに連れてつ若い先生は先生らしくない呼び方をして、いつもすがり てもらったのに。 門ノ原の伯父ちゃん、伯母ちゃんえついて行く洪作の体を両手で抱き取って、頭の上に高く差 らい災難なことだった」 し上げてくれたりした。こうしたことをするのは洪作の場 と、いつも困ったことが起きたとぎする悲しそうな顔を合ばかりでなく、どの生徒にも同様であった。だから生徒 まゆ して、眉をひそめて言った。祖父は祖父で、 っせいにいつも彼の たちはこの若い先生の姿を見ると、い 「黙って帰って来ちゃだめじゃないかい。しようのないや周囲に集まった。 つだ」 「中川先生がいらあ」 しっせき と、このほうは明らかに叱責の口調で言った。さき子だ洪作が言うと、さき子は初めて中川先生に気づいたふう けは多少異った言い方をした。彼女は洪作の顔を見ると、 「やったわね、洪ちゃ」 「あら、先生ー」 と言って、軽く睨む真似をして、さもおかしそうに笑っ と、はにかんだ表情をして、 「もう出てください。わたしがはいるんですから」 その日、洪作とみつはさき子に連れられて久しぶりで西と言った。 平の湯へ行った。西平の湯には五年受持ちの先生の中川 「よし、川へ行って泳いでこよう。その間にはいったらい 基がひとりではいっていた。中川基は東京の大学を卒業し ているということで、村からも生徒たちからも、特別の目中川基は言った。そして中川は洪作に、 で見られている二十八歳の若い代用教員であった。隣村の「洪ちゃ、女の人たちをここに置いて、泳ぎに行こう」 こ 0 ちが で、 い」

2. 現代日本の文学 34 井上靖集

生徒たちはみんなこわい校長が洪作の伯父であることなど洪作が言うと、 「先生のことはわかってらあ。先生は先生でもふたいろあ 考えたこともなかった。 しかし、こわい校長ではあったが、ときどき正面から顔るんだ。さき子はほんとうの先生じゃないんだ。先生の代 くちひげは 聞いて来い」 を合わせると、石守森之進はロ髭の生えているロもとを少用じゃ。 上級生はまた言った。洪作は妙に自分が恥ずかしめられ し尖らせるようにして、 たような気がして不快だった。 「洪作、勉強しとるか」 その日、昼休みのとき、洪作は教員室の前の廊下でさき と、睨みつけるようにして言った。 子と顔を合わせた。 「しています」 洪作は蛇に睨まれた蛙のように小さくなって答えた。す「洪ちゃ」 さき子は平生の呼び方で、背後から洪作を呼びとめた。 ると、 周囲に何人か生徒もいたし、洪作はさき子からそんな呼び 「いっか一度遊びに来なさい」 伯父はいつも命令するように言 0 た。しかし、洪作は一方をされるのは迷惑だ 0 た。聞こえない振りをしてどんど 里ほど離れた部落の父の実家〈は一度しか行 0 たことはなん歩き去ろうとすると、 かった。父の父、つまり祖父にあたる林太郎が病気のと「洪ちゃ」 さき子の声はまた追いかけて来た。しかたないので足を き、本家の祖母に連れられて、その見舞いに行ったことが 止めると、 あるだけである。 「家へ行って、お弁当取って来て」 校長が朝礼でさき子のことを発表して二日ほどしてか さき子は言った。洪作は命令どおりにしたが、いまは女 ら、さき子は初めて先生として学校へ姿を現わしたが、そ の日洪作は学校で一日中緊張していた。上級生のひとりがの先生になったさき子の弁当を上の家へ取りに行くこと は、周囲の生徒たちに対して、気のひけることであった。 校庭で洪作の額を小突いて、 「お前んとこの本家のあまっちょは代用教員ずら、聞いて洪作は弁当の包みを上の家から取って来ると、それを持っ て、教員室へはいって行ったが、教員室の空気は、さき子 来い」 ひとりいることで、いつもとまるで違ったものになってい と一一 = ロった 0 た。窓の傍のさき子の机の上には、赤い花が、細い硝子の 「ううん、先生だ」 にら ガラス

3. 現代日本の文学 34 井上靖集

を持っていたので、たいして気おくれしないで鳥居をくぐ「そんなこと言いっこないわ。洪ちゃって、嫌いよ、ずる って行った。六年生のあき子は下級生たちを監督している いから」 とい 0 たで、社殿の横手に立 0 ていた。洪作はあき子洪作としてははなはだ心外な言いがかりだと言わざるを が自分の姿を見つけたはずだと思ったが、いっこうにそ知得なかった。 らぬ顔をして、ほかの女生徒と話をしているのが不満に思 「ほんとうに先生から相談しろって言われたんだ」 われた。洪作はあき子のところへ行くと、 洪作は相手を睨みつけながら言った。すると、あき子も 「先生から聞いた ? 」 瞬間はげしい顔をした。洪作はこれまであき子がこのよう と言った。 な敵意をもったはげしい顔をするのを見たことはなかっ こ 0 「何を ? 」 あき子は初めて洪作のほうへ顔を向けて言った。 「じゃ、洪ちやは洪ちやで、書くことを先生に話したらい 「綴方のこと」 。わたしはわたしで先生に話すわ」 洪作が言うと、 それからあき子は、洪作のほうへきらりと光った目を当 「ああ、あれ、聞いた。ーー・何を書いてもいいんでしょ て、 う」 「そうでしよう。そんならいいでしよう」 と言った。 と言った。洪作はあき子の口から出る村の言葉とはまる 洪作は人から誤解されるということをあき子によって初 で違った言葉使いが眩しく感じられた。 めて経験した。自分の気持や自分が考えていることを、ど 「何を書く ? 」 うしても相手に理解してもらえず、そればかりか自分が相 洪作はまた聞いた。 「秘密よ。ずるいわ、洪ちゃって。 わたし、書いてし手に対して悪意を抱いているようにすら受け取られること の、なんとも言いようのない悲しさを味わった。 まうまで言わない」 洪作は、翌日登校すると、受持ちの教師に、自分が書こ そんなことをあき子は言った。 うと思っている綴方の題を知らせた。 「先生が相談しろって」 「あき子さんとふたりで先生に題を言いっこすることにし 「嘘 ! 」 しいたけ こういう題で書きます」 たんです。″祖父と椎茸″ 「嘘なものか。ほんとうにそう言ったんだ」

4. 現代日本の文学 34 井上靖集

向かされたりする。さき子はみつと洪作の体を洗い、ほか くして、赤い顔になった。 の子供たちのほうは、体は洗わないで、醤油で煮しめたよ洪作はさき子が学校の先生になることがうれしい半面、 うなその手拭いだけを洗ってやった。 さき子が生徒たちに評判のいい先生になるかどうかが不安 こうしたある日、さき子は浴槽で暴れ回っている子供た だった。それからいちばん心配なのは、自分がさき子と近 ちに、 親の間柄であることから、さき子に贔負されるというふう 「あしたからお姉ちゃんは学校の先生になるのよ。みんなに生徒たちから見られるのではないかということだった。 もりのしん 言うことをぎかないと大変よ。びしびしやっちゃうから」近親と言えば、校長の石守森之進は洪作の父の兄であり、 かどはら と、さき子は言った。学校の先生になると聞いて、みん正真正銘の洪作の伯父であった。石守家は門ノ原というち ようど一里ほど離れた隣の部落の農家で、長兄の森之進が なその瞬間暴れるのをやめた。 うそ 家の跡を取り、次男の洪作の父は伊上家へ聟に来ていた。 「嘘だあ」 兄妹はほかにも何人かあったが、みんな近くの部落や近く 幸夫が言った。 「嘘なもんですか。あした朝礼のとき、校長先生がなんとの村々へ嫁いだり、聟に行ったりしていた。 だから洪作は父方の親戚もたくさん近くに持っていた おっしやるか聞いてなさい」 さき子は言った。子供たちにはどうしてもさき子と学校が、どういうものか父方の親戚とはあまり往き来していな の先生とを結びつけて考えることはできなかった。学校のかった。校長の石守森之進はいつも細面の顔にきびしいも 先生の持つものとはおよそ違った雰囲気を、さき子はそののを漂わせている五十年配の人物で、用事がある以外はめ 体に着けていた。あの冷たい教員室の中へさき子を置いてったに喋りもしなければ笑いもしなかった。生徒たちから も村人からも気むずかしい人物として知られていた。だか 考えることは、洪作にはできなかった。 ・ま しかし、翌日、洪作たちはさき子の言ったことが嘘でなら伯父ではあったが、洪作はめったに伯父の石守森之進と いしもり ・よかったことを知った。学校で朝礼のとき、石守校長が三年はロをきくことはなかった。それどころか、だいたい洪作 み受持ちの若い教師が教職を辞すことになったことを告げ、 はこの人物に伯父といった特殊な気持を懐いたことはな 近くこの学校の卒業生である上の家の伊ムさき子が母校でく、やはりひとりのこわい校長先生でしかなか 0 た。した きようべん がって、この場合は、相手が伯父ではあったが、贔負とい 教鞭をとることになったことを発表した。伊上さき子とい う名が校長の口から出ると、みつと洪作のふたりは体を固ったような見方がふたりの間に成立するすきはなかった。 しようゆ しやペ むこ

5. 現代日本の文学 34 井上靖集

へと帰って行った。酒屋は祖父文太の出た家で上の家とは 川を外に待たしておいて、 , 自分が先に部屋へはいって電燈 とも 濃い親戚であった。中川が帰るとぎ、さき子はほんの二町を灯し、それからなおも何かごそごそやっていたが、やが ほどの短い距離を、その離れまで彼を送って行った。 て戸外へ出て来ると、中川に、 「お床とっておきました」 洪作は榎本先生の勉強の帰りに、そうしたふたりと上の 家の前でぶつかったことがあった。 と言った。そんなさき子の言動は、洪作には、いつもの 「洪ちゃ、中川先生を送って行きましよう」 さき子の持たないいそいそとしたものに見えた。 さき子は言った。洪作はそれに応じた。夜のことではあ中川と別れると、さき子は少し散歩しようと洪作を誘っ り、村人に見つかることもないと思われたので、さき子のた。洪作も、夜間さぎ子と散歩するようなことはめったに 言うなりになったのである。 なかったので、さき子のあとに従って歩き出した。道は長 「洪ちゃも、さき子と基は怪しいそ、って唄ってるの ? 」野部落に通じており、その長野部落へはいるまでは人家と さき子は笑いながら聞いた。 いうものは一軒もなかった。この道は洪作には親しいもの であった。夏、へい淵へ泳ぎに行くとき、いつもひる下が 「ううん。唄ったりしないや」 わらぞうり りの太陽に照らされながら、藁草履をばたっかせながら通 洪作は答えた。するとさき子は、 「ほんとに怪しいんですもの、怪しいって言われたってしる道である。しかし、夜歩くことはめったになかった。 かたがないわ。ねえ、洪ちゃ。それを中川先生ったら、男「洪ちゃと、このごろちっとも遊ばないわね。勉強してい のくせにびくびくしているの。おかしいわね。洪ちゃだつる ? こんどは一番にならないとだめよ」 さき子は言った。 たら、平気よ、ね」 さぎ子は言った。洪作にむかって言ってはいたが、明ら「うん」 かたわら まかにそれは傍の中川基を意識したものであった。中川は洪作はうなずいた。 ばそれに対しては何も言葉を出さないで、 「中川先生は、先生になっても勉強してるわよ」 「うん」 し「星が高いな」 そう言って夜空を見上げるようにした。洪作も空を仰い 「好きでしよう、洪ちゃも」 「何が」 四だ。ほんとうに星が高く見えた。 中川の起居している離れまで行くと、さき子は洪作と中「中川先生よ」

6. 現代日本の文学 34 井上靖集

花瓶に挿されておかれてあり、さき子のえび茶の袴の色「来たぞ」 が、薄暗い教員室の空気を、そこだけまったく違った華や と叫・ほうものなら、それを合図に、子供たちは世にもお かなものにしていた。そして窓の向こう側には、教員室にそろしいものでもやって来たように、それまでやっていた おけるさき子の動静をのぞき見るために、子供たちの顔が遊びは中途でほうってしまって、口々に、 鈴なりになっていた。 「来たそ、来たそ」 さき子は三年を受け持ったので、洪作やみつはさき子に と喚きながら、街道をム手のほう〈逃げた。真剣な逃げ おび は教わらなかった。学校では教わらなかったが、学校の先方だった。そして逃げ遅れた一年坊主は、怯えたような目 生になられてみると、洪作にはさぎ子が今までのさき子とをして、その場に立ちすくんだ。 違ったものに見えた。なんとなくさき子の目は、今までの「何してたの」 彼女のそれとは違って感じられた。さぎ子の目の前では、 さき子が笑いながら声をかけると、声をかけられた子供 いたずら それまでのように悪戯もできなかったし、荒っ・ほい口のきはたいてい、叱られたと思い込んでありったけの声を張り き方もできなかった。これは洪作ばかりでなく、幸夫、亀上げて泣き出した。 男、芳衛たちにも同じことらしく、彼らもまたさき子に対こうしたことはさき子の場合だけではなかった。子供た して従来のように無心にはふるまえなくなった。 ちには、ことに下級生たちには、学校の先生は、世にもお さき子が先生になってからは、洪作たちはしだいにさきそろしいものと考えられていた。親たちも、子供が自分の 子のお供をして、西平の湯に行くことはしなくなった。さ命令に服さないと、よく、 ぎ子からは誘われたが、極力それを避けるようにして応じ「学校の先生に言いつけるぞ」 なかった。それでも十回に一回は、さき子に誘われると、 と言った。学校の先生に言いつけられてはたまらないの で、子供たちはたいていの場合親の言うことをきいた。学 ばさき子のお供をしないわけには行かなかった。 ん さき子のお供をして新道を歩いて行っても、もはやはや校はいやなところ、学校の先生はこわいものと、子供たち ろし立てる子供の声は聞かれなかった。事情はすっかり違っは大人たちから教え込まれていた。 てしまっていた。新道では前と同じように子供たちがたむ実際にまた学校は、子供たちには親しみのないところで 9 ろして遊んでいたが、さき子の姿をめざとく見つけたひとあった。八つの教室を持った校舎はすこぶる殺風景な建物 であり、どの教室にも硝子戸の替わりに障子がはまってい かびん はかま

7. 現代日本の文学 34 井上靖集

った。アーチをくぐると、掃ぎ清められた校庭には上級生ガンの音が流れ、それに足を合わせて、生徒たちは所定の が作った万国旗が縦横に張りめぐらされ、その一隅には賞位置へと移動した。ォルガンは紫の袴をいたさき子が、 品を授与する校長の席や、村長の席などが作られてあつ上半身で拍子をとりながら弾いていた。そんなさき子の姿 こ 0 が、洪作には美しく立派に見えた。 洪作たちは運動会が始まるまでに走り回ってはいけない 中川基が進行係でメガホンで出場者の名前を呼んだ。中 すみ と思って、校庭の隅のほうに固まっておとなしくしてい 川基の声も、洪作には村中に響き渡るように思われた。呼 た。各部落の生徒たちも、いつもより早い時刻にぞくぞくび出しの声は中川先生の声がいちばんいいのだとさき子が 言っていたのを聞いたことがあるが、なるほどほんとうだ とアーチをくぐってやって来た。 しかし、運動会はなかなか始まらなかった。平生の授業と思った。メガホンを持って、白いズボンを履いた中川の より一時間おそい九時から開かれることになっていたの姿も、洪作にはまた立派に男らしく見えた。 で、生徒たちにはそれまでの時間はひどく長く思われた。 運動会は午前中が一部、午後が二部となっていて、午前 生徒たちは早く集まっていたが、先生たちはゆっくりやつ中の一部では洪作は体操と、帽子とりに出た。帽子とりで て来た。さき子は平生と同じ服装だったが、男の先生たちは真っ先に帽子を奪られてしまったが、村人がまだあまり はそれそれ白いランニング・シャツを着たり、白い運動帽集まっていないころだったので、洪作は自分の弱いところ などをかぶってやって来た。ひとりの先生がアーチをくぐを大ぜいの人に見られないでよかったと思った。上の家の って校庭へはいって来ると、そのたびに、生徒たちはうわ人たちも来ていなかったし、おぬい婆さんもまだ姿を見せ ていなかった。 っと喊声を上げた。 九時に朝礼が行なわれた。石守校長が演壇に立っている 一部が終わるころから父兄席や観覧席は人で埋まった。 さくれつ ばとき、青年が打ち上げた花火が空で炸裂した。生徒たちは隣村の月ケ瀬の小学校からも、何十人かの生徒が先生に丱 ばみんな気をつけの姿勢をしていたが、首だけを曲げて空を率されて参観にやって来た。遠い部落の父兄たちも、それ し見上げた。秋晴れの空の一角に花火の煙が黒い線を引いてそれよそ行きの着物を着せた幼児たちの手を引いてアーチ をくぐって詰めかけて来た。 散りつつあった。 その花火の音で、村人たちはあわてふためいて学校へ集おぬい婆さんは上の家の祖母たちといっしょになって、 はず まって来た。校長の話が終わると、運動場の一隅からオル父兄席の端れのほうに座を占めていた。洪作はときおり自 かんせい

8. 現代日本の文学 34 井上靖集

く湯ヶ島の小学校に奉職して来た師範出の教員のところ榎本は生真面目な気むずかしい教員であった。洪作は毎 へ、毎夜のように勉強にやらされた。榎本は部落に三軒あ夜二時間ずつ、榎本の前にきちんとすわっていなければな たにあいろう る温泉旅館の中でいちばん大きい渓合楼の一室に寝泊まりらなかった。そして彼の出す問題に答えたり、書き取りを していたので、洪作は毎晩のようにタ食後渓合楼へ通っしたり作文を書いたりした。洪作はそうした勉強がいやで た。おぬい婆さんの言い草だと、湯ヶ島の小学校には校長はなかった。師範出の若い教員に教わることで、自分が今 の石守森之進を初めとして、ひとりも正式に教員の資格をまでとは違った優秀な子供になって行くような気がした。 持っている者はないが、こんど来た榎本先生だけは県庁所同級生も部落の子供たちも、洪作が榎本のところへ教わり 在地である静岡の師範学校を出ているので立派なものだとに行くことについては、とくに反感は示さなかった。洪作 いうことであった。 は大学へ行くのでそうしなければならぬのだと、ほんとう 「洪ちゃ、あの先生の言うことだけは当てになるがな。何に思い込んでいるようであった。 しろ師範出じゃ。 5 「ノ原の伯父さんがいくら校長だと言っ「洪ちゃ、われ、いつ大学へ行く ? 」 て威張ったって始まらんこっちゃ。あの伯父ちやはどこも そんなことを真顔で聞く子供もあった。しかし洪作はそ 出ておらん。検定じゃ。十のうち五つは嘘を教えているずれについて答えることはできなかった。まだ随分先のこと ら。中川基にしても同じこっちゃ。東京の大学出たとかなであった。小学校の卒業も何年か先であったし、それから んとか言ってるが、大学で何をしておったかわかったもん中学校へも行かなければならなかったし、さらにその上の じゃない。そこへ行くと、洪ちゃ、洪ちゃの先生は師範を学校へも進まなければならなかった。そして大学へ行くの しつよう 出とる。同じ師範といっても、ニ部じゃない。ほんとの師はその先であった。あまり執拗に聞かれると、 範を出た。おばあちゃんの気に入った先生が初めて来おっ 「まだなかなかだ」 洪作はそんなふうに言った。実際にまだなかなかであっ ばおぬい婆さんは大変ないき込みであった。毎夜、洪作がた。 し榎本のところへ教わりに行くことはすぐ部落中にひろまっ 二学期になってから洪作のいやなことは、上の家のさき てしまった。おぬい婆さんが会う人ごとに、洪作は将来大子と、同じ教師の中川基とが恋愛関係にあるという噂が、 学へ行くので、もうそろそろ勉強させなければと、そんな村の大人たちの間にも、学校の生徒たちの間にも立ち始め ことを言った。 たことであった。

9. 現代日本の文学 34 井上靖集

0 きゅうめい て、障子の紙を破きでもしようものなら、徹底的に糺明さの原因はわからなかった。その日は、しかし、洪作ばかり れた。そのあげく犯人は受持ち教師に二つ三つ頭を小突ではなく、三人の子供たちが頬をなぐられ、生まれて初め かれた上、家から紙を持って来て、それを張らなければなて浮世の風のきびしさを知って震え上がってしまったので らなかった。障子の張り替えは一年に一回、夏休みの終わあった。 った二学期の初めに、高等科の女生徒が受け持ってやっ校舎や先生ばかりでなく、校庭もまた決して生徒たちに は親しみやすいところではなかった。校庭には黒土の地面 教室と教室の前の廊下は、授業が終わったとき、毎日のの間から石がいたるところに頭を出していて、体操のしに ように生徒たちが掃除した。箒で掃き終わると、・ハケツに くいのはもちろん、遊ぶ場合も遊びにくかった。転ぶとひ ぞ ) きん 水を汲んで来て、雑巾で拭いた。その間、教室の入り口どく痛かった。樹木が少なかったので、夏は樹陰もなく暑 で、先生が監視していたので、生徒たちはとがめられない かったし、冬は北風が吹き通して、風のある日はひどく寒 ように絶えず体を動かしていなければならなかった。 小さい富士が見えるということ以 かった。遠くに形のい 掃除のときが、洪作はいちばん嫌いであった。洪作は自外何一つ取り柄はなかった。しかし、子供たちはここから 分でも意識しないで、ときおり・ほんやりと手を休めて突っ見る富士が日本でいちばん美しいのだと、大人たちから言 ようしゃ 立っているときがあったが、そのたびに、容赦なくどなりわれ、それをそのとおり信じていた。 つけられた。二年の受持ちの教師は、一里半ほど離れた山 村から毎日のように徒歩で通勤して来る老人で、教師の中さき子が学校の先生になってから、またたく間に一学期 ではいちばん年長であり、 いかなる小さい過失も、この教は終わった。一学期の終わる最後の日は、いつもこの日に 師は決して許さなかった。 通知簿 ( 成績表 ) を貰うので洪作はよそ行きの着物を着せ 洪作は一年生として初めて登校し、初めて小さい教室のられ、袴を履かされ、先生から貰った通知簿を包む大型の ハンケチを持たされた。 自分の机の前にすわったとき、 洪作にとっては学期末の通知簿を貰う日は辛い日であっ 「こら」 という大きいどなり声を浴びせられ、耳を引っ張られた。袴を履くのは全校でふたりしかなかった。履く者は決 て、教室の前の廊下に立たせられたことがあった。洪作はまっていた。洪作と上の家のみつだけであった。それから 自分がいかなる理由でそのように罰せられたか、ついにそお役所という呼び方で村人から呼ばれている帝室林野管理 こ 0 うき

10. 現代日本の文学 34 井上靖集

314 た。おぬい婆さんは、洪作の手もとに目を当てながら、何は素直に口から出なかった。いつもおぬい婆さんの枕もと 度も、 にすわり、彼女の言うことを、むつつりした表情でうなず やけど 「火傷しなさんな」 いて聞いてやり、そして一つ二つ彼女の命ずることをして と注意した。おぬい婆さんはうまそうにそばがきを食べやってから、 た。 「ばあちゃん、また来る」 「洪ちゃに作ってもらったそばがきを食べれば、これで思そう言って座を立った。 い残すことはない」 大飼が入院して一か月ほど経ったとき、大飼は全快して そう言ったと思うと、おぬい婆さんは皺だらけの手を目近く退院するが、もうこの湯ヶ島の小学校には来ないで、 すんとうぐん のところへ持って行った。おぬい婆さんの目から涙が出て駿東郡のどこかの小学校に転任するらしいという噂が立っ た。その噂は事実であった。気持のいい秋晴れのある日、 「洪ちゃに、ずいぶんそばがきを作ってやったが、とうと朝礼のとき、そのことは校長の口から全校の生徒に知らさ れた。 う婆ちゃも、洪ちゃに作ってもらうようになった」 おぬい婆さんの声は震えていた。洪作もこのとき、はげ 犬飼先生は体をこわすくらい勉強に没頭された。そ しい感動が胸に衝き上げて来るのを感じた。しかし、それの点から言えば実に得がたい先生であった。今度郷里の村 はおぬい婆さんの言葉から来た感動ではなく、そば粉を掻に近い駿東郡の学校へ転任されることになった。先生はみ しぐさ き回しているとき、その掻き回すという仕種から自然に湧なさんに御挨拶しに来たいと言っておられたが、私が一存 き起こって来たものであった。洪作自身もまた、ずいぶんでお留めした。先生はこの学校へ来たら、ここから他校へ おぬい婆さんにそばがきを作ってもらって来たが、いまは転任して行くことがいやになるに決まっている。 自分が彼女のためにそばがきを作ってやっているという、 校長はそんなことをしやべった。学校の生徒の中では、 そんな感懐に襲われたのであった。そして洪作が感じたと洪作がいちばん熱心に校長の言葉を聞いたに違いなかっ 同じことを、おぬい婆さんもまた感じたのであった。 た。洪作は大飼に会ってみたい気持をはげしく感じた。犬 洪作は、おぬい婆さんが病床に就いてから、自分でもそ飼の病気が癒らないのならともかく、他校に赴任できるく れと感じられるくらい無口になっていた。おぬい婆さんにらいに癒っているなら、ひと目でもいいから彼に会ってみ 優しい言葉をかけてやりたいという気持はあったが、言葉たいと思った。洪作はそのことを母の七重に言ったが、一