生活 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 35 三島由紀夫集
114件見つかりました。

1. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

ろんで、この単調な動物の運動を見物している。少くとも 四ヶ月、私は仕事をしないでもいい。仕事をしていない時「君は太平洋を泳いで横断できるか ? 」と案内書に書いて のこういう完全な休息には、太陽の下に真裸で出てゆくよある。つづけて「わけはない。毎日本船の施設完備のプー ルで泳ぎたまえ」 うな、或る充実した羞恥がある。 船客たちの抽象的な生活、それは必ずしも純粋な精神生 目の前の単調な散歩がその一つの証私たちの食卓のポオイは気さくな老人だ。彼はいつも口 活の保障とならない。 のなかで歌いながら料理を運んで来る。「コーンド・ビー 左であるが、精神生活と肉体生活が殆ど同様の意味をしか ・「グリーイーン・ティ 1 イ」ーーー時には、 もたないようなそういう抽象的な生活なのである。精神生フ、ツウ」・ 活が剌としているためには、肉体がもっと具体的なもの紅茶の袋をポットに入れるのを忘れてお湯のまま持ってく チョッ、チョッ、アイム・ソーリ につながっていなければならない。 ところがここでは具体る。「チョッ、 的なものに、たとえば海という自然に肉体がつながる場所イヴ・フォーオーゴットン」 この年とった鸚鵡は料理の名なら大抵知っている。それ とては、ただあの船酔という場所を措いてはないのであ トクアンアメポシ から沢庵と梅干まで。 かなた 一方「船客立入るべからず」の札の彼方では、具体的な 十二月二十七日 躍動する生活がたえず緊張して動いている。それは海とい きのうにまさる時化である。日は暗く、時として雲ごし う自然を指し示し、いつもその自然の機密を人間に密告し ているレ 1 ダ 1 や羅針盤をめぐる生活、さらにまた船が発に現われて、暗澹たる光を投じる。海は昨日も今日も黒 くだ 。船尾と、彼方の波が砕ける真際とに、丁度硝子の切目 明されて以来伝承されている繩をたぐったり、機関を操作 へきぎよく に見られるような碧玉色が鮮やかに現われる。それだけで 杯したりする肉体的な力のいとなむ生活なのである。 ある。私は船室へ眼鏡を忘れて来た。今・フロムネイド・デ こうした具体的な生活の営まれる場面の更に彼方から、 かもめ 航海のあいだ、自然はなお、鉄壁をとおして船客たちの抽ッキの窓際をかすめた鳥が、鵐だったか、それともポオド ア あほうどり レエルが自嘲の詩篇「信天翁」だったか、見定めることが 象的な生活に影を投じて来る。それが船酔なのである。 : 船の中では税がかからないというので、今 単なる船酔を、思考と思いちがえている知識人がいかにできない。 多いことであろう。 日私はカフスポタンを買った。ああ、愚劣な買物。 おうむ

2. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

た事務室で設計に従事した。 ここで好奇心に富んだ新鮮な聴手を前に、復習してみたに 生活はすべて快適に運んだ。若い技師たちの誰とも友だすぎなかった。しかしたちまち昇の部屋には、退屈した何 ちになり、「付合のわるい男」という彼の風評は、真赤な人かが集まり、およそ軽妙さというものの片鱗もない生活 嘘だということになった。実際本社でも、昇が一人きりでのそれが大きな慰めになった。 姿を消す夜の生活がなかったら、そういう風評は生れよう 昇はときどき自分が悔悟した者のような顔つきをしてい がなかったのである。それにしても昇は事実ここの生活をるのではないかと、嫌悪にかられることがあった。ここは 愛していたから、共同生活に対する愛情ほど、皆に等分に決して修道院なんかじゃないのだ。ひたすら善行を施し、 つぐな ゆきわたるものはないわけで、誰しもこの新参が、ここのひたすら他人の光りになって、過去を償ったりするつもり おどろ 生活を真向から肯定しているのを見て、愕いたり喜んだりで、ここへやって来た昇ではない。みんなに尊敬され、好 せずにはいられなかった。しかし城所九造の孫が、かねてかれたりする必要はみじんもないのだ。そう思って、ある カロリー不足を本社へ訴えられているここの食事の、粗末日陰鬱を装い、誰とも口をきかぬように心掛けるが、この すす な味噌汁をうまそうに駸るのを見ては、意地の悪い観察を戒律は彼自身から大てい破られた。彼は自分にこれほど波 働らかせれば、祖父の血統をついだこの青年が、労務管理立たない、これほど平静な幸福の才能があったのを、今な の不備を自分の犠牲によってすら誤魔化してみせるとい お疑わしく思っていたのである。 う、怖るべき資本家精神の持主のように思われもした。だ来て三日目に、もう調理場で働らいている土地の娘が、 が、思い返せば、よほど修養のできた人物でもないかぎ昇の皿に盛りを多くし、とうとう妙な手紙を部屋の机の本 すす り、毎朝まずい味噌汁を、いかにもうまそうに啜る芸当がの間にはさんでおくようなことをはじめた。彼女は血の気 できるものだろうか ? の多すぎる顔に、まるで不釣合の抒情的な目鼻立をしてい 滝昇と同室になった田代は、早くも昇に全幅の信頼をかけたが、若いおぼこな技師が、或る女優に似ているなどと言 るていた。昇の測量ははじめから正確で、計算は迅速であっ ったので、日夜もちあげている大きな重い鍋よりももっと めた。夜、部屋にかえると、仕事を離れた昇の話題はいかに重い自信を持 0 てしま 0 た。 も豊富で、およそ莫迦げた小話のようなものを数しれず知昇はこの大それた手紙を読み、何の表情もうかべずに、 っていた。それは昇がリ = ショールの加奈子から仕入れ、燐寸の火でていねいに焼いて灰にした。みんなに迷惑がか そのときどきの女との付合の暇潰しに使っていたものを、 からないために、そうしたのである。彼は大学時代に同じ ばか

3. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

ここにいう過剰な内面とは、そのまま三島氏の 中 材年孤独をさしているといってもさしつかえない。内 」和面を過大に意識しすぎるとき、人は自閉的な孤独 航昭 を、ひとつの特権とさえ考えるに至る。近代日本 曳 の文学の主流をなした私小説もまた、 " 内面。信仰 午の文学であった。しかし、キリスト教の生んだ精 て神性のうちに病気を見、逆にギリシャ人の〃外面。 への信仰を、三島氏が積極的に評価するとき、そ れは何よりも氏が ' 精神〃という病気に冒されて いることを一小している。そしてもし、精神とい、つ 病 ~ 1 からの回復をねがうならば、それは生活の次 元で〃肉体みを鉄のように鍛えることであり、芸 術の領域では、内面に宿る危険な情念を、すべて 年作品として外在化してしまうことである。作品を 和硬質な美的結品に近づける志向は、同時に肉体を 鍛える態度ともつながっているのである。 行 しかし、三島氏における〃太陽みと〃鉄〃との 載 5 もつ意味は、その後、どのような道をたどったで 取あろうか。代表作『金閣寺』において、いわば自 己定着による自己脱皮をとげた三島氏は、次に『鏡 リ察 子の家』において時代を定着している。肉体の門 明 と題は、挙闘選手・峻吉のうちに蘇生する。しかし、 ″生〃の原理につながる肉体だけによって、″死〃

4. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

を生きている。むこうの見えない無数の灯と、ここの一つ 夕食後のストーヴのまわりのひとときは、朝から電燈をの小さな灯との、社会的比重は同じなのだ。青年たちは好 つけて暮す暗い一日のうちでも、一等心のやすまる時刻でんでそう考える。彼らの背後で、吹雪に包まれて、まだ形 ある。にせものの夜の中から、本当の夜がはじまる。電燈を成さない、しかしすでに一つの確乎たる観念に成長し きら のあかりは、煌めぎを増し、暖かみを帯びる。時折あけらた、巨大な、威厳のあるダムが、夜の中に白いコンクリー みまも れる石炭の投入口から、のそかれるストーヴの焔は、新鮮トの翼をひろげて、彼らを見戍り、是認し、庇護している かのように 0 な懐かしい火の色をしている。 戸外の吹雪の音と、ストーヴのなかの火の小さな嵐の音瀬山一人は、こういう夢想的な生活からは別のところに いた。皆にまじって火に当りながら、。ほっねんと、心は何 との、自然の脅やかしと人間の生活との、この微妙な諧 和。 : : : ストーヴの上には鼠いろの濡れた軍手のいくつかも考えずに、吹雪の音に耳を傾けていた。彼は何者でもな かった。彼は取り残された人間だった。 が、乾かされて、さかんな湯気を立てている。 ストーヴのまわりの男たちからは、共通の匂いがする。 例のダム論争のあとエ、昇と膝をつきあわせて、彼の『エ ひげ スキー靴の油の強い匂いが、しみ込んでいるのである。髭ヴェレスト征服とダムエ事が、未知の人間能力の発見とい のすっかり延びた若い顔、毎日偏執的に髭を剃っている剃う点では同じだ』という説をきいた瀬山は、酒がまわるに はんばく りあとの青い顔、 : : : お互いに見飽きた顔であるのに、火つれて急にその反駁を試みたくなったものらしかった。 のまわりでは、自分のひとりひとりの夢や思想に、とじこ「城所君のこの間のありゃあ暴論だよ。ありゃあ理窟にな もった顔が親しみを帯びる。みんなはしんみりと酒を呑んってないよ」と彼は急に言い出した。「あれは、単なるス だ。そしてラジオをつけっ放しにしておく。きいていても、ポーツマン精神だと思うな。ここはスキーの人口宿じゃない きいていなくてもいいのである。ラジオの音楽やドラマんだからね」 は、他人を暗示する。ここにはいない他人、その生活、そ「君もスキーをやったらいいのさ。そうしたら俺に共鳴す るだろう」 の多忙、その心理的錯囃、その娯しみ : ・ と昇が言った。 戸外の吹雪のむこうには、遠く町があり、灯がともり、 鉄道があり、夜の広大な社会がひろがっている。ここには「私は共鳴したらスキーをやるだろうが、それまではやら われわれの生活があるが、あそこではみんなが他人の生活ないよ。要するに城所君は、物事の価値というものをみと

5. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

にしたほど正確な時刻に散歩をした。養生家のカントがい 禁絶してしまおうと固く決心した悪習が、遺憾なことにわ つも一人で散歩をしたのは、誰かと連れ立 0 て散歩をすれずか一ト月でぶりかえした。このち 0 ぼけな敗北が、彼に ば口を利かねばならぬ。口を利けば口から呼吸することに は天地も崩れるばかりの敗北のように思われた。そして自 なり、いきおい肺に冷たい空気が直接当ることになるから分の非力を誰のせいにしていいかわからなくなって、夜お であった。またこの神経質な哲学者は、講義の際、第一列そくまで寮歌を怒鳴りながら弥生道を往きっ戻りつした。 おたぎ にいた学生の上着の金が一つ外れているのに悩まされ、寄そんな或る晩、愛宕が彼を誘い出したが、この時宜に叶 寓先では鶏鳴に、家に居ればちかくの牢獄の囚人の歌声にった申出は、誘い手自身がむしろ意外の感を催すほど、至 悩まされた。 極やすやすと受け容れられた。帝都線で渋谷駅へ出ると、 誠がカントかぶれの機械的な生活を固執したのは、知的二人は号外の振鈴をきいた。愛宕が一一枚買って、一枚を誠 探究というものは、合理的な生活を、つまり知識の合理的に与えた。ハイラル河畔で我軍がソ連越兵と衝突したとい な体系の投影のような生活を要請し、それによってわれわう号外である。この事件はのちにノモン ( ン事件の名で呼 れを否応なしに道徳的ならしめると考えたからであったばれるようになった。 が、彼が認識と道徳との困難な割りふりに手こずって考え誠が読みおわると、事もなげに丸めて棄てたのを、愛宕 出したこの解決法には、後年の彼の無道徳の因になった道は見咎めて、こう言った。 徳に関する固定的な考え方が歴然としており、それはおそ「やつばり哲学者はちがったもんだなあ」 らくしらずしらずうけていた父親の影響でもあり、その影 「どうしてさ」 響の脅やかしに対する反応でもあった。こんな生活法の固「だって君、外界にまるつきり関心がないじゃあないか」 執は、早速彼を寮の共同生活のなかで、少しばかり孤独に 「そうでもないさ」 させた。「とつつきにくい」という批評が、いっかは誠の 「そうだよ。君の号外の丸め方と棄て方の鮮やかさといっ 肩書になった。何か辛いことをしているおかげで人を軽蔑たら、ちょっと真似手がないね」 する権利があるとでも言いたげな誠の眼差ほど、人を苛立自分の気のつかない美点をほめられたことは、誠の気に たせるものはない。 この種の軽蔑には、物ほしそうな影が入った。見ると、愛宕はまた読み返しながら歩き出して、 拭われないからだ。 あやうく電車にはねとばされるところだった。誠は彼の体 事実、五月が来ると誠の肉体はうずいた。入学を好機にをつきのけて、友を危険から救った。 たん みとが

6. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

假面の告白 由紀書き下ろし長第小 「仮面の告白」初版本 ( 昭和一十四年刊 ) 早稲田ョットクラブ ーと ( 横浜 ) のメンノヾ 後列右が由紀夫 ( 昭和 22 年 ) と三島氏との距離、いいかえれば、氏の孤独の象 徴である。しかし、ここで注目すべきことは、作 者自身がこの小説について、「この抽象化された 官能的生活は、私が自ら、精神生活と呼んでいた ものの戯画なのであった。」と述べている点である。 すてに世にい、つ〃月 籵神生活みは、戯画化の対象で しかありえない。孤独は人間の美徳ではなく悪徳 ス年である。人生が仮面劇として見えてしま「た人間 にとって、どうして真情流露の心をもった告白な 内昭どが可能であろうか。 " 内面みよりも ' 外面。を、 という三島氏の思想は、この時期にすでに確立し 皇 ていたのである。 むて 人はこういう三島氏の態度を奇異なものと考え るかもしれない。 しかし、戦後という時代のゆく 馬クえに目を注ぐとき、時代の空白感を最初に予感し 乗馬 ていた戦後作家が、ほかでもない三島由紀夫氏だ ったのである。たとえば、世に姦通小説や犯罪ト そな 年 説は数多い。しかし悪が悪としての魅力を具えて いるためには、少なくともその前提として善の基 準がなければならぬ。しかし現在、法律的な規制 会 カ以外に、絶対的な善悪の基準があるであろうか ニ一口 殺人か悪てあるという糸文白オ + 色寸勺よ艮拠もまた存在し 『愛の渇き』の女主人公が下男を殺したあ かんつう

7. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

取った。こうして何と三年間が経過したのである。誠の成のえ砦を構築して、さて一応準備が整ったとぎにはすでに やりくち 績は、それかあらぬか、「優」の数に於て記録的なものに戦争がおわっているという無能な将軍の遣口を一歩も出て し↓ / . し なり、すでに研究室から彼にさしのべられた誘いの手は、 このしらせをきいた父の毅を狂喜させた。誠は返事を留保「君と来たら十重二十重の鎧を着て、十重二十重のお城に した。素志にかわりこそなけれ、石室のような研究室へ入住んでいる臆病な専制君主と謂った調子だね。よせよ、そ るのは、もっと思うさま外光を浴びてからのことにしたくんなに万事につけて警戒するのは。そうかと思うと、まる なったのである。 で間の抜けた不用心な一面もあるし、いくら付合っていて 一九四〇年代の後半は生活の時代であった。人々は生活も君という男には尽きぬ興味があるね。君を見ていると、 を夢みていた。インフレーションとは、貨幣が空想過剰にまるで暗殺されるのを惧れて暮しているようにみえるが、 陥って、夢みがちになる現象である。夥しい不換紙幣も生安心したまえ、誰も君を暗殺してくれやしない。君の生き 活を夢みていた。戦争のおかげで永保ちのする夢想を失っ方は、暗黒時代の小国の殿様の生き方だね」 た人たちが、今日買えば明日腐るかもしれない果物のよう愛宕が誠の人物を評して洩らしたこんな感想のうち、今 な夢想のための、理想的な一時期をもったのであった。明さらながらこの「臆病」という言葉が誠の胸を刺した。「臆 日をも知れぬものはかなげな紙幣の風情が、明日をも知れ病」「卑怯」「弱虫」・ : : ・こうした系列の言葉がタ・フウであ ぬ欲望にとってふさわしい道連れのように思われた。紙幣ることは、とりもなおさず、彼がまだそういう弱点を征服 は胸を病んで余命いくばくもない佳人の流し目をもっていし切っていないことだ。誠のあのような頻繁な行動の計画 せいひっ た。絶望というものがこの世の最も静謐な感情であることには、いわば行動をずるけるための言い逃れのようなもの を知らずに、人々は騒々しい「絶望祭り」をやらかした。 があった。 代っまり「絶望」が、彼等のその場しのぎのお座なりの生活彼は数え上げ、舌打ちをした。「懸案中」という札が無 時の夢想であったのだ。 数にぶらさがっているだけだ。 青誠の耳にもたえまなくこの贋物の「生活」の呼び声がひ『耀子の奴、五十万円あなたの自由になるお金が出来たら びいていた。彼はおのれを省みて多少忸怩たらざるをえな結婚するわとぬかしやがった。三年間というもの、接吻ひ 。そうではないか ? いままで彼のやって来たことはととっさせやしない。勿論僕がわざと控えていたんだが。・ いえば、戦争にそなえて綿密な作戦計画を練り武器をとと・ : それでいてああして図書館づとめもやめないし、結婚も おそ

8. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

ている太陽が描かれ、太陽カン・ハニイと筆太の横書きのあ 物語以来の約束事ですわ」 「そういうことをいうときの君のあどけない目つきが僕はる下に TAIYO COMPANY という英字が並んでいる。 川崎夫人はこれを読んで、ロのなかで正しい発音をつぶや 実に好きなんだ」 誠のわざとらしさは彼の誠実と、自分でも見分けのつか ビルの前には乗用車が二台、ダットサンが一台停ってお ないほどしつくりまざり合っているので、そのへんの消息 り、扉を排してあわただしく出てきた男が、その一つにあ を会話の字面から察してもらうことは困難である。 川崎夫人はみちみち易の北海道の話をききながら歩いてわただしく乗り込んで、車はうごきだした。 いたが、炭坑労務者たちの悲惨な生活の話は、まわりの都「大そう繁昌している会社とみえますね」 会のどよめきのなかできくと、まるで夫人が幼ない日にき何もしらない母親は易にこう言った。易は扉のわきに掲 うた ばなし いたおそろしい因果噺のように思われた。夫人は身を入れげてある小型の看板を夫人に示したが、次のような謳い文 てしきりにうなずいたすえ、こんな明快な意見をのべて易句がそこに読まれた。 を面喰わせた。 『アメリカン・スタイルの金融会社 「私だって革命の話はいろいろきいていますよ。そりゃあ わが国唯一の金融専門の株式会社 一概にわるいとも言いきれますまいよ。でも革命のおかげ 太陽カン・ハニイ で私のようなかよわい女がそんな炭坑で働くようになった 最高の利率絶好の利殖 ら事ですね。そうかといって革命のおかげで、そんな炭坑 元金御入用の際は随時払戻 夫たちがわれわれ同様の生活をするようになったら、これ 金融は小口担保何でも即決 また、考えものですよ。だってあの人たちはナイフとフォ 期界随一の信用と経験の当社へー』 ークの使い方もしらないから、面倒がって洋食はたべない だろうし、そんなことになれば、洋食屋のコックや給仕は 川崎夫人は憑かれたような叫びをあげた。 失業して早速生活に困るでしようからね。又今度は洋食屋 が革命をおこすでしようよ」 「どうしよう、高利貸の会社だ」 易がここだと言って立止ったので、夫人も立止って、煤彼女の教養が、この文字からすぐさまそれを読みとった けた二階建のビルを見上げた。横長の看板の中央には笑っのである。夫人が扉を押して入ってゆくあとから、易は続

9. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

ようにして或る手紙を焼き捨てたことを思い出した。それ『俺はまさか嫉妬なんて莫迦げたことをはじめているんじ は祖父と共に二 = 一度招かれた旧宮家の妃殿下が、流行の婦やないだろうな』 人解放に目ざめて、無署名でよこした恋文だったのであ これは多くの月並な小説の主人公が、嫉妬をしはじめる すさ る。 ときにロ吟むお定まりの独白である。しかし昇には、世間 昇はかっての自分の生活が、ここの誰にも見破られてい にざらにありそうもない特殊の事情があった。彼と顕子は ないことにほとほとおどろいた。遊び飽いた人間というも人工的な恋愛の契約を結んだのであった。もし早速昇が嫉 きゅう のには、一種独特の匂いがある。遊び人同士はお互いの嗅妬を覚えれば、彼は自分もその荷担者である人工的な心理 覚ですぐそれを嗅ぎあてるが、ここの人たちは本社の堅造に真先に自分が欺されたことになる。今まで一度として嫉 の技師たち同様、昇のこれまでの私生活を、無色透明なも妬を知らない昇も、本物の嫉妬よりも、むしろこの自分で のだと思い込んでいるらしかった。田代がいっかこう叫ん作った羂に一番先に自分が落ち込む醜態のほうで、一そう だものだ。 深く自尊心を傷つけられる筈だ。 「だって城所さんにも恋人があるだろう」 手紙は、あの契約によれば、相手を苦しめるためならど かれらはあの二十五貫の技師長が後輩を招いた酒席で、 んな嘘をついてもよいことになっている。しかし嘘にして 滔々とお惚気を話すあの遣ロでなければ、何も信じないよは実に真率なものが文面にあふれていて、その真率さをも うにできているらしかった。 嘘だと思わねばならぬことが昇を傷つけた。顕子はこう書 いていた。又もやもとの生活に立ち戻って、絶望から絶望 顕子の手紙が来た。その日もまことによく晴れていたヘーーー自分を喜ばせず、置きざりにし、しかも最後に自分 が、設計の仕事をいそいでいたので、昇は終日事務室にい を憎悪の目で見つめる男から男ヘーーの生活をつづけてい はかど た。仕事はひどく捗らなかったので、本棚のところへ行っること。とはいえ、その男たちは次々と忘れるが、昇のあ て、何の関わりもない本の頁を、かわるがわる飜えした。 のときの憎しみを知らない表情のやさしさだけを、毎日思 おどろ 地質工学、測量学、 ーローの数表、応用力学ポケット・ い暮していること。あのやさしさこそは人生の愕きであっ ・フック : たこと 0 昼休みに昇は一人で散歩に出た。ここへ来てはじめて一 「こんな手紙はみんな嘘だ。俺を苦しめようと思って、こ 人になったと言っても過言ではない。 んな名文を編み出しただけなんだ。俺を苦しめることなん とうとう のろけ わな ばか

10. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

鳥羽港・神島行乗船場一日三便の連絡船がある 「朝騒」の島へ かみしま びさっそう 「轆」の舞台とな「た神島は、渺滄たる海中、すな くつき わち伊勢湾と太平洋相接するあたりに崛起し、鳥豺よ りは水上一時間、また伊良湖崎と相対する。古えは、 その島の形状の似たところから亀島と呼ばれ、後に神 島となったというカ 「卯の花よいてことことし神島 せんざいしやフ の、波もさこそは岩をこいしか」と千載集にみえ、名 称のかわって後すでに久しい このあたりの海流は、往古の船にしてみると、し まっ ごく険しいもので、島の頂きに、海の神を祀って、加 ひょっぱう と - フみさっ 護ねがうと共に、またその燈明の灯を、舟先きの標榜 とし、だから亀島と、神島の名は、二つながら受けっ がれたと思われる。つまり、鳥羽、伊良湖などの、陸 にいてこの島をながめるものは、ややかろんして亀と 呼び、海に生活する舟人はあがめて神と名づけたので はないか、そして、周囲一里に足りぬ小島は、標高百 まっ 二十米燈明山の頂きに祀られた堂宇のためにこそ、海 中より突出したかの如く、そして、その伊勢湾に面し のきば た山裾に、びっしり軒端寄せあって暮らす漁民の部落 は、この上なくよき守護神のしもべに思える おんちょう 頂きに神を祀り、その周辺に、恩寵受けつつ生活を すそ