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検索対象: 現代日本の文学 35 三島由紀夫集
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1. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

この一言が少年の自尊心を傷つけた。少年は冷たい心に 少年は大きな目をみひらいて、まじまじとの姿を眺めなり、復讐を企てた。 た。「ここに恋に悩んでいる人がいるんだ。僕ははじめて「だって本当の詩人だったら、天才だったら、詩がそうい 恋愛というものを目の前に見ている」とまれ、それは大しうとき、救ってくれるんじゃないですか」 て美しい眺めではなかった。どちらかというと不快な眺め「ゲーテはウエルテルを書いて、自分を自殺から救った に近かった。は常のように生気をなくし、潮垂れ、要すさ」とは答えた。「でもゲーテは、詩も何も自分を救え るに不機嫌だった。物を失くしたり、電車に乗り遅れたり ない、自殺するほか本当に仕方がない、って心の底から感 した人が、よくこんな顔をしているのを見たことがある。 じたからあれが書けたんだよ」 とはいうものの、先輩から恋の打明け話をきかされてい 「それなら、どうしてゲーテは自殺しなかったんですか。 ることは、少年の虚栄心をくすぐった。嬉しくないことは書くことと自殺することとおんなじなら、どうして自殺す なかった。彼はせい一杯まじめな、悲しげな同感の表情をることのほうを選ばなかったんですか。自殺しなかったの うかべようと試みた。しかし、現実に恋をしている人間のはゲーテが臆病だったからですか。それとも天才だったか ぽんよう 姿の、凡庸さはちょっとやりきれなかった。 らですか」 少年の心にようやく慰めの言葉がうかんだ。 「天才だったからさ」 「大へんですね。でもそのために、きっといい詩ができる「それなら : : : 」 でしよう」 少年はもう一つ 「いつめようとしたが、自分でもわから はカなげに答えた。 なくなってしまった。ゲーテのエゴイズムが結局のところ 「詩どころじゃないんだよ」 ゲーテを自殺から救ったのだという観念は、明確ではない 少「だって、詩って、そういうときに人を救うものじゃない が、・ほんやりと心にうかんだ。少年はそういう観念で自己 弁護をしたいという欲望を強く感じた。『君にはまだ分ら 書んですか」 ないんだよ』というの一言が、少年の心を深く傷つけて 詩少年は自分の詩ができるときの至福の状態をちらと思い いた。その年齢には、年齢の劣等感が何ものよりも強い うかべた。あの至福の力を借りれば、どんな不幸や懊悩を 口に出しては言わなかったが、少年に、をあざけるのに も打ち倒すことができるだろうと思われた。 「そうは行かないんだ。君にはまだわからないんだよ」 最も適当な、すばらしい理論が生れた。『この人は天才じ る 0 しおた

2. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

眺めのも ~ とも美しいもう一つの場所は、島 の東山の頂きに近い燈台である 燈台の立っている断岸の下には、伊良制水道 の海流の響きが絶えなかった。伊勢海と太平 洋をつなぐこの狭窄な海門は、風のある日に いくつもの渦を巻いた 割騒」 神島燈台より伊良制崎を眺望

3. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

顕子を宿に送り返して、昇一人は、待たせてあった ( イに架するために、クラッシャーのかたわらには古材が夥し ャアに乗って、宿舎へむかった。学校の前をすぎ、ゆるい く積まれている。 斜面をの・ほって、宿舎や事務所や倉庫などが一目に見渡さ昇はクラッシャーに手をふれた。油の匂いに包まれた鋳 れる地点へ出る。車の中からでも、昇にはそのあたりのき鉄は冷たく、この鉄の冷たさには威厳に似たものがあっ こ 0 のうに変る活気がわかった。 三台のダムプトラックと、二台のランドローヴァーが宿「一流品だね」 舎の前に止り、菜っ葉服の人たちが忙しげに出入りしてい と田代は言った。昇は喜びを以て、永いことこれを眺め た。それは丁度何か「取込み」のある家へ乗り込んでゆく ときの新鮮な感じに似ていた。 二台の機械は、堅固な整った姿で立っていた。これは実 昇のハイヤアが宿舎の前に着くと、汚れた軍手をはめな際、越冬のあいだ昇の心に宿った観念の形態にふさわしか がら、たまたま出て来た田代が、大仰に握手を求めた。そった。どんな肉欲にみちた観念も、またどんな詩的な観念 の目は昻奮にいきいきとし、頬は以前のように紅い も、ひとたび形をとって動きだせば、何かしら凡庸なもの 「おかえりなさい。荷物はあとで運んだらししょ ししもになった。しかしこの複雑な鉄の形、鉄のかがやき、油の のを見せてあげるから、裏へ行こう」 匂いには、昇にとって最も飽きの来ない、最も親しい、強 田代に引張られて、奥野川に面した裏庭へ出る。昇は思いて云えば、永遠のものがあった。 わず嘆声をあげた。 「俺は石と鉄でしか遊ばなかった子供だ』 と彼は徴笑して、思った。 そこには巨・人なジャイレイトリイ・クラッシャー・、 カ二台 やがてクラッシャーは動きだし、石を押しつぶし、それを 並んでいる。新品のつややかな鉄の輝やきが美しい。磨か れた縁の部分は空を映して青い。そばへ寄ると、心をそそ細かく噛み砕くだろう。砕かれた石はコンクリートに混ぜ そび るような油の匂いがした。 合わされ、コンクリートは徐々に厚く、やがて空に聳え、 この砕石機は、コンクリートの骨材の製造に用いられ、百五十米の高大な堰堤になるだろう。 この異常な力、異常なエネルギー、異常な巨大さ、 内部の倒立した円錐頭が、底部に設けてある傘歯車による 偏心軸承の回転につれて、偏心運動をして、原石を砕くの昇はこういうものに携わる喜びを誇張して感じた。人間的 うった である。今日にも四本の柱に支えられた雨よけを、その上な規模や尺度は、彼の心に愬えなかった。おそらくこんな ふち コーンヘッド こ 0

4. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

らせた。石抱橋をわたってゆく道は、屈曲のはげしい岸をつた。 めぐって、三里四方の湖の対岸をゆくのであるが、橋のた もとに残っている旧道の端は、草や、石ころや、ついきの突然、一行は、前方の空を区切ってあらわれるダムの白 い一線をみとめた。五門の水門の巻揚機のつらなりが、湖 う通ったようなトラックの深い轍をさえ残して、やがてそ の上に、奇怪な角のように現われたのである。 のまま湖の中へ消えていた。 うね 又あるところでは水辺の荒れた畑が、畝のつらなりの半案外低いのね、と一人が言うと、みんなが同感したので、 ばを水に浸し、梅の半ば枯れかけた葉の乏しい枝の一つ昇は、これは裏側で、高いコンクリート壁は表側へまわっ て見るのだ、と説明しなければならなかった。 を、水の上へさしのべていた。 二台の車はダムの下流へ来て、ダムを一望のもとに収め やがて銀山平がその下に没した人造湖の広大な風光がひ られるところで停った。 ろがった。かなたには福島県の山々が影を落していたが、 の壁を見 山の姿は、そのどの高さを水面で切っても、おのずから形百五十米の高大な重力式ダムの、コンクリート を成して、前からここが湖だったかのように自然であっ下ろした一同は、嘆声をあげた。 ごうおん た。岸の形が、昔を知らない人の目には、少しも異様に思渇水期なので水門は閉ざされてあり、轟音を立てて奔流 がその壁を流れ落ちる壮大な光景は見られなかったが、夏 われなかった。 の巨大な斜面は、両岸 女たちは自動車の窓から首を出して、水のなかに沈んだの日を浴びたこの白いコンクリート 土地のたたずまいが、そのままに見られはしないかと期待の黒ずんだ岩壁に護られて、まことに壮麗に雄々しく見え したが、湖の水は青く濁って、水底を透かさなかった。 それは何の知識も持たない一行にも、深い感動を与えた しかしいかにも人造湖らしい光景は、岸から遠い思いが はこすぎ が、この感動はダムの巨大さからでもあり、また、ダムの 滝けないあたりに、鉾杉の深い緑の梢が、穂先を並べていた にうだい る り、岸ちかく、半ば枯れた枝々が群がり立っていたり、島単純さからでもあった。単純な美しさ、厖大な水量を一つ 沈としうにをいかにも浅い島が、水面すれすれに漂って、その大きなコンクリートの肩で堰き止め支えている力の美し こに生いしげつている蘆に風がそよぎ、湖面に鶯いろの反さが、みんなの心を搏った。 四映を与えている夏の烈しい日ざしの一部を、それらの蘆が うけてちかちかと光ったりする、そういう格別な眺めであ ダムの眺めに言葉を奪われた一行は、下流の発電所へ案 わだち こ 0

5. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

178 を引受けるというのである。・ハリにはダムがないからな年間に道路は大いに改善され、道幅はひろくなり、カーヴ すいどう あ、と昇は渋った。「あら、今に出来てよ」と景子は言っの数はいちじるしく減り、険阻なところは隧道に切り換え た。「エッフェル塔の下あたりに、何かこう洒落たデザインられた。眺めの美しい枝折峠は、地上へ出るようになって の、小さなダムを作ればいいのよ」 いたので、一同はここで車を停め、昇の説明に従って、東 「夜分はさすがに冷えますね」と加奈子が言った。由良子南と北西のそれそれの谷やたたなわる山の姿へ、駒ケ嶽の はたえず鼻唄を歌っていた。彼女の困難は、話題と云って崇高な山容へ、目を向けた。 こつなげざわ は、自分の体に関することしかないのに、それがどう引き下りになって、眼下に骨投沢の見えてくるころ、そこに 伸ばしても、大てい五分ぐらいで済んでしまうことであっ多くの傾城の骨が投げ捨てられたという昇の話は、一行の 感動を呼んだ。 由良子は人の二倍も胸のうごく溜息をついて、こう言っ あさひ あくる朝の出発前、夏のまばゆい旭を浴びて、宿の玄関た。 先に立っている昇を、おくれて出て来た加奈子は、一目見「そのころ、あたしたちもここにいて死んだら、あそこへ こっ て、あら、と言った。 お骨を捨てられたのね、ママ」 加奈子はいやな顔をした。 「どうしたんでしよう。今、一瞬間、お祖父様そっくりに 見えましてよ。会社の中庭にあった、それ、戦争中金属供「あなた方と傾城とはちがいますよ。あなたって本当にも 出で献納してしまったお祖父様の銅像、あの銅像のお顔とのを知らないのね」 そっくりに見えましてよ。やつばり争われないものだわね」 昇はこの印象を尤もだと思った。祖父はいわば自己放棄石抱橋をわたらずに山そいの新道を少しゆくと、喜多川 の達人だった。昇もすでに、自己放棄を学んだ。祖父は決はダムの人造湖に流れ入っていた。石抱橋のあたりは標高 して孤独に陥らなかった。昇も今は自分を孤独だと感じる七七六米であるが、七二〇米から下が湛水区域に入るので ある。 習慣を失ったのである。 新らしい自動車道路は、喜多川の北岸の、もとは、絶壁 せみしぐれ 一行は二台の自動車に分乗して、蝉時雨に包まれた山道であった山腹を切り拓いて作られていた。 ダムの湛水区域のこの最初の眺めが、一行を大いに興が へ入り、例のコースを辿ってダムへ向った。しかしこの五

6. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

398 見られない。私はこういう巴里に倦き倦きしている。殊にて、妻がその胴に手をまわして、うしろに相乗りしている かい . わい 私のパンシオンの界隈は、沈滞した小市民の住宅街で、窓オート・ ( イをいくつか見る。夫婦とも革の上着を着、鉄兜 から見ると、黒い同じような服を着て前かがみに歩く老婆のようなものをかぶり、塵除けの眼鏡をかけている。もっ ばかり、それと乳母車を押して買物に出かける女ばかりがと勇敢なのは、そういう相乗りの夫婦が、前後の二人のあ 目立ってならない。私は仕事の合間に、曇った空と枯れた いだに子供をさしはさんで疾走してゆく。かれらは緊張の 並木と、同じ高さの建築の前をとおる彼女らを眺めながしどおしで、愉しいビクニックの目的地へ着くまでに疲れ ら、こう考える。 切ってしまうであろう。 もくれん 「ここでは赤ん坊と老人しか見ないのは、ともすると赤ん木蓮によく似た並木が道の上に穹窿を作っているとこ 坊がすぐ老人になってしまうせいではないだろうか」 ろを通ったが、緑の時分になると、それが緑のトンネルの それでも樹々は日光のためではなく、何かただ因習を守ようになるそうである。 るためかのように、少しずつ不安そうに芽吹いている。セ やがてわれわれはフォンテエヌ・フロオの森に入ったが、 エヌ河岸をゆくと、水はまだ見るからに冷たいのに、両岸それは森というよりも際限もない林であり、早春というよ の並木の梢が、ほんのりと淡緑を加えているさまが、曇り りも秋の眺めであった。木々の幹には苔が青々と生え、地 空を背景に窺われる。 面は落葉に覆われている。仏蘭西の冬は風が少いので、ま しすえ もみじ 今朝のドライヴの道中でもそうである。ところどころだ多くの下枝が、去年の紅葉を残している。茶褐色のその の郊外住宅の塀のうちそとに、われわれは花ざかりの桃葉が、林の奥のほうまで、ほぼ目の高さにつづいている。 (péche) の樹を見た。それは日本の桃よりも、見た目はむそしてそれより上の枝は葉をとどめない あら しろ桜に似ている 落葉のそこかしこから巨きな石が肩を露わしているさま 巴里から東南へ出て、いくつかの町や小都会を走り抜けは、日本の庭のようである。 る。 Ris Orangis のあたりで、鄙びた厚い石塀の上を歩い 或る一角へ来ると、それらの石の源泉ともいうべきもの ている大がある。猫がよくそうするのを見て、一度やってに行き当る。森の各所に秀でている丘陵が皆、石なのであ みたいと思っていたのであろう。 る。巨石が無細工に積み上げられて丘陵をなしているだけ フォンテエヌ・フロオに向って疾走する家族づれの自動車で、石のほかにはその割目から生い立った松のほかに何も が数を増してくる。自動車ばかりではない。良人が運転しない。石をおおう何ものもない。河原石をつみかさねて子

7. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

かし行為の失敗は屡々その目的のよさによって償われる。 十一歳の夏を私は母と妹とでそこで過した。老成てはい 私の場合にも効用はあったのだ。即ち今まで受身一点張でても病弱で発育の遅れた私は七歳位いにしかみえなかっ あった夢想からぬけ出して、私は夢想への勇気を教わっ た。私は自分がいつまでも子供であることを気に病みなが この年の鷺浦行には、行ぎ馴 た。千夜一夜譚は与えられた書物に俟つべくもなく、私自らそれに甘えてもいた。 身の手で書かれるべきであった。夢想への耽溺から夢想へれた山間の避暑地をはなれて、これを好いしおに私に泳ぎ の勇気へ私は来た。・ ・ : とまれ耽溺という過程を経なけれを覚えさせようという目的があった。永いこと医者は私が ば獲得できない或る種の勇気があるものである。 海浜の劇烈な日光に当ることを禁じて来たが、父はもうそ の禁に従ってはいられないと云うのだった。泳ぎの教師に さぎうら 房総半島の一角に鷺浦 ( もはやその名が示す鷺の群棲はは書生の小此木 ( 彼を私はオコタンとよんでいた ) が漁村 見られないが ) というあまり名の知られぬ海岸がある。類の出であったので事欠かなかった。七月の半ば頃私共は東 いない岬の風光、優雅な海岸線、窄いがいいしれぬ余韻を京を発った。 もった湾ロの眺め、たたなわる岬のかずかず、殆んど非の 出来もせぬ乗馬とか提琴とかが、夢のなかで容易く可能 ほうたん 打ち処のない風景を持ちながら、その頃までに喧伝されてになるあの放胆な歓びで、私は海へ立向おうとしていたし、 来た多くの海岸の名声に比べると、不当なほど不遇にみえ泳げるようになるという過程の怖ろしさを飛び越えた泳げ る鷺浦は、少数の画家や静寧の美を愛する一部の人士の間 た刹那の物狂おしい歓びが思われて、私もやはり鷺浦行を にのみ知られていて、その誰にとっても、不遇なままの鷺待ち兼ねていた一人だった。生れてはじめて見た海ではな かったが、山とちがって海から私は永く惹かれて求めえな 浦が愛の対象であったので、世に紹介する労をとる人はな かったものの源を、見出だしたように感じた。それが私を 又知人にさえ洩らすまいとカめている人さえあった。 物だが鷺浦が世に知られぬ理由は、美を保護せんとするこの恐怖させ拒み苛立たせるばかりに、却って私は魅わされ誘 ただなか たぎ て種の人々の秘密結社的な態度にのみあるのではなく、ここわれた。あんなに沸り立ち溢れ充満している可能性の只中 に の風景そのものに一種隠逸の美、世の盛りにあって明媚なへ身を躍らす勇気が私にはない。それはかの青き可能性へ 岬 びようぶ 風光をば酒宴の屏風代りに使おうと探している人々の目にの冒漬としか思われない。泳ぎを習うことを懸命に避ける は何か容易に糴んじ難いものを与える美が、潜在する点に一方、海をただ眺めあかす毎日は無上の倖せと思われた。 えい・こう * ミサ あったのではなかろうか。 永劫の弥撒を歌いつづけている波濤の響は、海から程遠い フリー

8. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

「それには稽古だよ。稽古のほかには何もないんだ」 「国分さん、子供をほしいと思いますか」 ときいたことがある。 と次郎は言った。 「俺か。まだそこまでは考えていないな。どうかな、自分 その五 の子をやつばり可愛いと思うだろうか」 「でもいっかは国分さんも子供を持ちますよ」 剣道部の夏の合宿は、夏休みの終りごろ、八月の二十三 「そう。そりや愉快だろうな」 日から十一泊、西伊豆の田子という漁村で行われることに べんぎ 「遠い未来かな。近い未来かな」 なった。田子の町長が同学の先輩で、いろいろと便宜を計 そのとき国分の顔からは、銀箔が風に剥がれ落ちるようってくれる。 に、何かが剥がれ落ちた。壬生はそれと知らずに、彼の禁 合宿の場所は円隆寺という禅寺だ。二十一日の田子の祭 句を言ったのだ。 がすむと、近在からの泊りがけの見物も散り、小笠原や遠 かつおぶね 「人間ってくりかえして、生れては死に、死んでは生れるくサイ・ハンへまで出漁する鰹船の出漁もはじまって、町は と思うと、退屈ですね」 みるみる閑静になる。 「それは君の考えか。それとも何か本で読んだのか」 田子音頭に、 ちょっと 「いや、漠然と、一寸そんなことを考えたんです」 「伊豆に港は数々あるが 「それだったらよせよ。先のことは考えるな。まだ若いん 田子に来て見な魚の山 じゃないか」 北の今山南をうけて 「若いから希望を持っているんです」 段々畠に花が咲く」 はざち ねっこ 「俺だって希望を持ってるよ。しかし、下らないことを考とあるが、猫越火山系の二つの支脈にはさまれた狭地が える暇はないんだ」 田子村をなしていて、平地は五パーセントにすぎない。村 だき 次郎はあたかも唾棄するようにそう言った。 の戸数は千世帯を上回るぐらいである。 しやくねっ それを見ていると壬生には、次郎の眼前に現在が灼熱伊豆半島の屈指の良港で、港ロの水深も五十五米に及 まぐろ し、その真赤に煮凝った玉を、次郎が目を放たずに見つめび、鰹鮪釣りのディーゼル漁船を二十四隻持ち、港口に つづけているのが感じられて、息苦しくなった。 は、田子島と、尊の島と、弁天島の三つの嶮しい小島があ って、眺めにおもしろい変化を与える。 「僕も早く国分さんみたいに強くなりたいと思いますよ」 にこご メートル

9. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

412 四月二十九日 四月三十日ーーー五月七日 こと」と アテネのスケッチ。 五月一日はメイ・ディである。事務所も商店も悉く閉 アテネの町は、行人の数も商品も数多いのに、日本の縁ざされ、町には一台の無就道車も電車もタクシイも見られ 日のような物寂しさがどこかしらにひそんでいる。夜の街ない。そのため私はヴィア・ルドヴィシからコロセウムま 衢のありさまは・フラジルの都会に似て、路上で立話をしてで四五十分も歩いて行った。 つばめ いる人が沢山おり、それを縫って歩くことが容易でない。 コロセウムの空の下にも燕が夥しかった。以前大徳寺へ * まくなぎ 人を呼ぶのに大を呼ぶように「プシッ、プシッ」というポ茶室の見物に行った折、夥しい蟻艨に襲われ、それらが目 ルトガル語は、リオに着いたころ実に奇異な感じを与えたに入ろうとするのを払うのに骨折った記憶がある。ここの が、ギリシャでもそうである。 燕の夥しいことは、あたかも蝦艨のようである。しかしか 映画館へ入ると、どんな映画でも途中に中休みがある。れらの飛ぶ空は高いので、こんな大きなものが目に飛び込 連続活劇のように、あわやというところで途切れるのでなんで来る心配がないだけでも幸だ。 、巻数の丁度半ば位のところで休むのである。 コロセウムは私を感動させなかった。それを芸術品と見 アングロサクソンの国ではたえてみられず、ラテン系のることがそもそもまちがいであるが、もし芸術品だと仮定 せいひっ 今は風景にも廃墟の静謐がこもっている。昔ィールの大国だけにあるカフェのテラスがここにもあるが、アテネの 理石を陸上げしたイテアの港は、地方のさびれた漁村にす中心部の憲法広場に面した一カフェでは、そのテラスの椅 ぎない。山々の緑も、緑というよりは枯れかけた苔の色で子とテー・フルを、車道をへだてた広場にまでひろげてい けいめい つばめ ある。私は難鳴を聴く。朝の燕が、これらの風景の廃墟のる。 上に、あわただしく飛び交わしている。 夕刻の交通の劇しい車道を、両手にグラスや壜をいつば 私はもうナプキンを卓上に置かねばならない。七時半にい積んだ銀の盆を捧げた給仕が、自動車や・ ( スの間を縫っ 出発する・ ( スが警笛を鳴らして、アテネ〈ゆく客をしてて、物馴れた様子で横切「てゆくのは、奇妙な面白い眺め いるからである。 である。 再びアテネ はげ マ

10. 現代日本の文学 35 三島由紀夫集

295 煙草 かたく った。はじめて私は涙の中から、横にいる伊村をみつめた。私は自分以外のものでありたくないと頑なに希ったのでは かっこう 伊村はわざと私に目を向けずにいた。彼は不安定な恰好なかったか。今や私は自分以外のものであることを切に望 ひじ で卓に肱を突き、浅く椅子に腰掛けていた。彼は無理な薄みはじめたのではなかろうか。漠然と醜く感じていたもの たちま 笑いをうかべ、卓の一部分をじっと見ていた。私はその姿が、忽ち美しさへと変身するように思われた。子供である を目に映すや、痛ましい喜びが自分に湧くのを感じた。彼ことをこれほど呪わしく感じたことはなかった。 は傷ついている。私の喜びはそれ故であろうか。それとも その夜晩く、たしか遠くに火事があったと覚えてい こんな風に悲劇的に、逆説的に叶えられてしまった、そしる。眠れずにいるうちに、蒸気ポンプの音が大へん近くき よろいど て叶えられた刹那に空しいものとなってしまう不思議な共こえたので、私は起上り走りよって鎧扉をあけた。しかし 感の喜びであったのか。 火事は町のはるか彼方だった。蒸気ポンプの鐘の音はまだ 急に伊村がふりむいた。彼は凍りついたように笑ってい 苛立たしくきこえていたが、火の粉が優雅に舞上る遠い火 しす た。その動作を何気なくみせようとするひたむきさがあら事の眺めは奇妙に謐かであった。烙が次第に寄り添うよう われて手をのばすより速く、私の指から吸いかけの煙草をにして募った。私はそれを見ると俄かに眠たさが思い出さ 奪い去った。「よせよせ、無理するなよ」ーーー強い指で、 れ、鎧扉をぞんざいに閉めるなり、床へかえって眠りに落 ナイフのギザギザな跡がある机のヘりにそれを押しつけなちた。・ がら、「暗くなるそ。帰らなくていいのか」 だが、この記憶はいかにも不確かなので、事によるとそ 皆は立上る私をみると、「一人で帰れるかい。おい れはその夜の私の夢にあらわれた火事の情景であったのか 伊村、送ってやれよ」などと言ったが、それは明らかに伊もしれない。 村へのおっきあいの言葉だった。私は見当ちがいな方向へ お辞儀をして部室を出た。薄暗い電燈のついた廊下を歩き ながら、私は家までの路のりを、はじめての長い旅路のよ うに感じた。 その夜眠れない床の中で、私はこの年齢で考えられる限 りのことを考えた。誇り高い私はどこへ行った ? 今まで おそ わが