右神島の漁民女は海草やアワビを取って生活をしている 左村の洗濯場女にとって唯一の社交場だ らない。い っこう書きもしない手合いが、俺の現在の年 に三島は、何を発表していたなど深刻に考え、それを いいはしめるなら、ラディゲ、ランポーはどうなると、む しろ海の向こうの天才を引き合いに出して、安心して みたり、「三島由紀夫を、どう思いますか」というのが、初 あいさっ を一対面の挨拶だったし、これは今でもあって、こうたすわ る相手は、たいていばくと年齢が近い。三島と同年代 の月説家が、彼をどうみていたのかさらにちがう年 ( 一 ~ ~ 一 ( 一齢の方たちが、 = 一島の出現をどう受けとめて〔たのか、 ばくにとっては、ひた 未だによくわからないのだが、 》第 ' すら驚異であって、もとより反撥もあるのだが、一種 の三島反応というものが、骨身にからんでいる。 たとえば、あるいは、雑文の中にさりげなくその名 ←参前を引用する時ですら、えらく身がまえてしまう。ま して、さらに身を三島由紀夫の近くにおくと、まった く馬鹿馬鹿しいことだが、三年前、はしめて対談した い - 時、ばくはその後で、理由もなく人に嘩を売り、指 の骨を折ってしまったほどなのだ。 りフたく 貴人流謫の孤島 それくらいだから、神島即三島、語呂合わせではな いが、両者こんがらがって、あたかも新治や初江に会 ごろ
神島・弁天岬の岸壁に打ちつける波濤 ( 「潮騒」 ) 現代日本の文学 二島由紀夫集 文学紀行ー野坂昭如 評伝的解説」〔磯田光一 監修委員 編集委員 足立巻 伊藤整 奥野ー 尾崎秀樹 端隶成 ( 宀目不丿 . 三島由紀夫集 沈める滝 青の時代 詩を書く少年 煙草 岬にての物 アポロの杯コ、》 4 寧 現代日本の文学 ・■ 横浜港にて艀に乗る三島由紀夫氏 学研 2 6 4 6 5 5 -1 0 0 2 I S B N 4 ー 0 5 - 0 5 0 2 4 5 -3 C 03 95
わたつみのみこと 右八代神社この奧に〃綿津見命〃が祭ってある 左神島燈台入口新治はこの燈台まで魚を届けに来た 紀行文が下手で、まあ下手なのはなにもこれに限った ことではないのだが、 しかも、あらかじめもう一度、〔眦 2 み直した「潮騒」を考えれば、ばくは、なにをさらに 神島について書けよ ) ) , ししのか、小説と事実はことなる だろうし、舞台が小説を生むわけでもないけれど、こ こに「歌島」として登場する島が、神島であることに ちがいなく、それは、島を訪れなくとも、小説中にあ だそく らわれたその描写以外に、つけ加えれば蛇足とわかる ような予感があり、、いなえてしまうのだ。い や、神島 に近づくにつれ、むしろ三島由紀夫に会いにいくよう な、緊張感が生じて、ウイスキーでもひっかけたいよ うな、むしろ、三島の手になる人工島へ上陸する如き、 昻ぶりをさえ覚える。 三島由紀夫との出会い ばくくらいの年齢の者にとって、三島由紀夫の名は、 しごく特別なものである。世代論をいい立てるわけで はないが、 物書きで現在あろうとなかろうと、三島の 名をきくと、びくっとするような面があるので、ばくの 場合をいえば、大体が小説を特に愛読する子供でもな 、敗戦前に春陽堂刊の明治大正文学全集には眼を通 さとみとん し、焼跡ほっつき歩いている時、その中の里見弴集と、
00 0 「潮騒」思い出のアルバム 昭和二十八年、三島由紀夫は「潮騒」を書く ために神島を訪れた。写真上はその時の取材 記念撮影。右は昭和一十九年に東宝で映画化 のロケ隊に同行。写真は神島燈台にて写す
鳥羽港・神島行乗船場一日三便の連絡船がある 「朝騒」の島へ かみしま びさっそう 「轆」の舞台とな「た神島は、渺滄たる海中、すな くつき わち伊勢湾と太平洋相接するあたりに崛起し、鳥豺よ りは水上一時間、また伊良湖崎と相対する。古えは、 その島の形状の似たところから亀島と呼ばれ、後に神 島となったというカ 「卯の花よいてことことし神島 せんざいしやフ の、波もさこそは岩をこいしか」と千載集にみえ、名 称のかわって後すでに久しい このあたりの海流は、往古の船にしてみると、し まっ ごく険しいもので、島の頂きに、海の神を祀って、加 ひょっぱう と - フみさっ 護ねがうと共に、またその燈明の灯を、舟先きの標榜 とし、だから亀島と、神島の名は、二つながら受けっ がれたと思われる。つまり、鳥羽、伊良湖などの、陸 にいてこの島をながめるものは、ややかろんして亀と 呼び、海に生活する舟人はあがめて神と名づけたので はないか、そして、周囲一里に足りぬ小島は、標高百 まっ 二十米燈明山の頂きに祀られた堂宇のためにこそ、海 中より突出したかの如く、そして、その伊勢湾に面し のきば た山裾に、びっしり軒端寄せあって暮らす漁民の部落 は、この上なくよき守護神のしもべに思える おんちょう 頂きに神を祀り、その周辺に、恩寵受けつつ生活を すそ
「潮騒」遠泳の記 三島由紀夫文学紀行 野坂昭如 神島を取材中の野坂昭如氏八代神社の石段にて ( 「潮騒」 )
売っている、 一ヶ十円くらいらしい、若い娘が何の屈 託もなく買ってい 午後三時近くなって、夜明けの 釣からもどり、そのまま寝入った若者が起き出してく る、なんとなくねたましくなるような肌の色艶である ジ 漁師は声こそ大きいが、みな口数がすくない ュの上衣のギャングまがいを、するどい眼でにらみつ ける。他所者の心細さが生れ、海の秋は早くて、すで に凉風たちそめ、神島は、都会者を早くおつばらいた くて、うすうすしているのであろう。 天才の所業 船着場に、女子高校生が十数人たむろし、どこから あらわれたか、同人数の釣レジャー族が居汚なくしゃ がみこむ。島の高校生たちは、日曜日を親のもとで過 ごし、また本土の下宿にもどるところなのだ。潮風に スカートがひるかえり、ふとももあらわとなって、 ささかも行儀のわるい印象はないし、彼女たちびくと もせぬ。老人にかわって、若者が網にとりついている、 彼方を、豚の水歩きがまた、かっこうに走り過ぎ、 かえりも漁船と考えたのだが、便がない。田端義夫の 歌にでてくるようなちいさな連絡船に乗り込む。 すぐれた小説の舞台となった土地は、あたかも、小 くっ 説によって設計されたような印象を与えるものだが、 潮騒」もまさしくその例であって、すっと以前から 知っている土地に遊んだような気がする。三島由紀夫 の創り出した虚構の歌島と、現実の神島がこんがらが って、通り過ぎる少年の面影にひょいと新治の姿をあ カてきしよう てはめ、観的哨のくらがりに、裸のまま立ちすくむ初 江を思いうかべ、これは頂きへの胸突き八丁登るより じゅばく も、さらにばくをくたびれさせた、三島呪縛とでもい うものから早くはなれこ オく、ようやく連絡船が海に滑 り出し、ふりかえってもう一度、神島をながめ、つく づくうんざりする 少し上の年代にこういう天才をもっことは、栄光で あるとともに、物書きのはしくれとしては、折りにふ れこっぴどい目にあうもので、実をいうと、この粗雑 な文章を書くために、二週間もかかったのだ。恥をし がくやばなし のんでこんな楽屋噺うちあけるのは、ある時、三島そ も何物ぞと気張ってみたり、とても長続きせす、その ト説を読み直しメモをとり、まことに七転八倒の苦し みであって、アメリカでベストセラーとなっている、 「潮騒」の英訳本まで眼を通したのである。 しかも、何の偶然か、その最中に、三島由紀夫稀覯 本目録とい、つパンフレットが舞いこんで、ばくは「花 ざかりの森」のぞいて、ほば持っているつもりだった
営むという、この古代さながらの舞台こそは、考える までもなく三島由紀夫の世界であって、さらに二百段 2 に近い石の階段と、一双の石の唐獅子に守られ、神さび た堂宇のたたすま い、また、そこから見はるかす伊勢 うず 湾のながめ、風強い朝には、 ) しくつもの渦を巻く伊良 せいし 遊間との狭い海門、晴れたタベには西方に勢志の山容く 、、 ) 「好つきりと浮かび、いすれも古代ギリシャ的恋物語の、介 放にくりひろげられるにふさわしい道具立てであろう。 神の がち神島の名をはしめて耳にしたのは、戦争中のことであ のた る 9 も る。ばくより二歳年長の飛行予科練習生が学校へやっ 、疋ど て来て、応募をすすめ、その自慢めいた話の中に、伊 見子 えんえ・い にの良間崎、島羽間遠泳のくだりがあり、それは百数十人 方島 が参加して、完泳したのは彼を含め三名、他はすべて 八ロ 神島へ生命からがらたどりついたというものだった。 へる 「朝騒」の舞台が神島であり、それが伊勢湾にあると 神て 知ってから、ばくは大阪、九州へ飛行機を利用する時、 路っ 一泊 丁度、コースがその上空にあたっているから、ただ げ場面さざなみの凍りついたような海をながめては、なん 上着 となく神島の所在を求め、また、鳥羽へは、志摩半島へ を八ロ の道すがらよく立ち寄り、同しく、はるか冲合いに眼 ぶ港 し島を凝らしたことがある。 波神 そのいずれの時にも、二十五年前にきかされた遠泳 上左のエピソード思い出さなかったのに、 このたび紀行文 、っそう
「神島でもっとも美しいもうーっの場所」 ーー神島燈台より伊良湖崎を遠望する
神島行連絡船の中行商人、観光客など神島を訪れる人は多い