水と大岡昇平 丸谷才一 大岡昇平文学紀行 昭和 45 年春のとある一日 , 陽光につつまれた武蔵野を散策する丸谷才一氏
目次 大岡昇平文学紀行 水と大岡昇平 武蔵野夫人 俘虜記 花 朝の歌 母 父 丸谷才一一七 : 三奕 : 三九四 : ll< 五 : 一一 0 四 一茜
現イに日本の文学 大岡昇平集 文学紀行Ⅱ丸谷才一 評伝的解説日秋山駿 監修委員編集委員 伊藤整足立巻一 井上靖奥野健男 川端康成尾崎秀樹 三島由紀夫 杜夫 大岡昇平集 大岡昇平集 武蔵野夫人 俘虜記 花影 朝の歌 林の上に遠く、一つの岩山が雲をかぶっていた。半島山脈の主峰カンギポット山は、敗軍の首脳部によって 「歓喜峰」と呼ばれていたが、その年老いた鐘状火山の山容は、レイテ敗兵にとって、「歓喜」よりは「恐怖」 北方より見たカンギポット山 撮影・熊谷錦治 をもって形容されるにふさわしかった。 ( 「野火」 ) を、ツ キャ 0 ン Ⅲ「門 A コ 5 VOICE 新当第。 、いリリ イ〒しヒー PEP ト 0 LA PEPSI に第一ン : ・ フル をユ第 東京銀座の夜景 ( 「花影」 ) 撮影・生井公男 2 6 4 6 5 6 ー 1 0 0 2 I S B N 4 ー 0 5 - 0 5 0 2 4 6 ー 1 C 0 5 95 学研
大岡昇平集
0 下昭和 32 年 9 月 5 日、大磯の 自邸の書庫で。福田恆存と 上昭和 34 年、「声」の発刊記 念の集まりで。左から吉田健一 中村光夫、吉川逸治、福田恆存、 昇平、三島由紀夫 4 考えるようになる。この力によってあらわされる人間 の姿は、ただひたすら自己の無私の努力によって生を 変えようと試み、そこにおのすと生存の深い光景をあ らわすのである。普通の人間ほど深いものはないのだ。 ストエフスキーは、こうい、つ力によって、バルサッ ク的な小説世界に物理学上の発見にも似た改変をもた らし、ポードレールやヴァレリイは、その知性の天オ ではなく、ただ裸の力によって、新しい私を見出し、 新しい言葉の発見によって、生存を深化させる「内的 革命家」 ( 『近代絵画』 ) として、考えられるのである。 この精神のカーヴと見えるもののなかにこそ、一つ の知性の形を見出し、血肉化し、新しい言葉を得るに 至る、彼等一連のグループの使命があったのであり、 われわれは、大岡昇平において、この知性を人間化し ようとして小説へと至る、或る一小説家の場合を、そ の臨床例として見出すのである。 こ、つい、つ、まだどんな言葉もない、形のないあいま いな場所から、小説家が出発するためには、一つの事 件が必要だった。 大岡昇平の場合、それは彼自身にも意外な背後から
昭和 27 年春、鎌倉由比ケ浜で昭和 28 年、「鉢の木会」の集まりで。右から吉田健一 昇平、二人おいて中村光夫、福田恆存、三島由紀夫 長男貞一、長女鞆絵と それは、この人間や社会や観念がみるみる毀れてし まう状態、その状態を逃れ、ついで解明し、そこに言 葉を得て人間化するためには、、ー、武器を選ぶとすれば、 知羅の領土を描く批評がます最短距離にあり、ついで 「自然の断面」への手がかりのない、生の切れ切れの 言葉としての詩がこれにつぎ、失われた生活の中でこ の状態を人間化しなければならぬ小説の言葉が、もっ 原型におし とも ~ からやってくるとい、つこと。どだい てその「象徴」はサンポリスムの詩の中にあるもので あった。たとえ、その良質の身体がヴァレリイの精密 な批評の言葉の中に再び見出されるとしても そして大岡昇平は小説家であった。彼は何をすればよ 説を描く いかウアレリイの『テスト氏』のよ、つな小 のかもしそ、つでないとすれば、彼は何を描けばいい のか。 ・及もいっているよ、つに、 この一連のグループには、 類縁的な者も含めて、批評家が多かった。したがって、 この知性の形式は、ます人間の状態を一種の知性の特 、ヒ半的・な知として獲日寸さ 別の諸断面として考える社一 れ、出発したのである事実、この内的混乱の事件の 渦中から本当に出てきた小説家は、大岡昇平一人である そして、もう一つ注意すべきことは、だから、彼に 1 ト林や中原にあったような、生活上の第二の事件
1 2 らは亠く、 「既存のわが文壇文学に殆んどなすめなか った」 ( 河上 ) 、「私はといえばそれまで読んだもの を尽く軽蔑し、ただその軽蔑を持っていたにすぎな かった」 ( 大岡 ) ことは、大岡昇平の『文学的青春伝』と 、カ 『昭和文学への証言』、河上徹太郎の『私の詩と真 実』などに明らかだ。 その頃の心の状態を「何の装飾も許さない解析の螺 を登り始めてから幾年になるだろう」 ( 『からくり』 「 ~ 半件」はこんなふ と回想している小林秀雄の前に、 、つにやってきた。 「僕は、はしめてランポオに、出くわしたのは、廿三 歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩い ていた、と書いてもよい向うからやって来た見知ら ぬ男か、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、 何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付け たメルキュウル版の『地獄の季節』の見すばらしい豆 本に、どんなに烈しい爆薬か仕掛けられていたか、業 は夢にも考えてはいなかった。 ( 略 ) 僕は、数年の間、ラ かちゅう ンポオという事件の渦中にあった。それは確かに事件 であった様に思われる」 ( 『ランポオⅢ』 ) どんな「事・件」であったか 或る全く新しい名付け様もない眩埴が来た。そ の中で、社会も人間も観念も感情も見る見るうちに崩 上昭和 19 年 3 月、東部第二部隊に入隊し たころ。この後 6 月に臨時召集をうけ、フ ィリピンに送られ、第百五師団大藪隊西矢 隊の暗号手としてミンドロ島サンホセに駐 屯した ( 前列右から二人目が昇平 ) 右昭和 19 年 6 月、入営当時の昇平 きそん かい廿一、、 426
建てられた中原中也詩碑の除幕式に小林秀雄、河上徹太郎、今日出海に、学芸書林より刊行される「現代文学の発見」を平野謙、埴谷雄 とともに出席。七月、日本の文学「大岡昇平集」を中央公論社から高らとともに編集、解説を担当する。 出版。八月、「私の戦後史」を「文芸」に、「この八月十五日」を読昭和四十三年 ( 一九六八 ) 五十九歳 売新聞に発表。 三月、「ナポレオンの首」を「芸術新潮」に、四月、「大来る」を 五十七歳「婦人公論ーに、六月、「歩行者の心理ーを「朝日新聞」に、十月、 昭和四十一年 ( 一九六六 ) 一月、「在りし日の歌ーーー中原中也の死」を「新潮」に、一一月、「龍「学歴詐称ーを「新潮ーに、十一月、「世界文学における日本文学」 馬殺し」を「小説現代」に発表。遺稿集「成瀬仁蔵先生」を編集刊を「朝日新聞」にそれぞれ発表。 行。四月、「母六夜」を「群像」に発表。現代の文学「大岡昇平集」昭和四十四年 ( 一九六九 ) 六十歳 を河出書房新社から出版。五月、スタンダールの「赤と黒」を戯曲一月、現代日本文学大系「大岡昇平・三島由紀夫集』を筑摩書房よ 化して芸術座で上演。六月、イタリア語版「日本現代小説集」の序り刊行。四月、「三田文学」で「わが文学を語る」の題で秋山駿と 文を書く。同集に「俘虜記」をのせる。「渡辺崋山」を「小説新潮」対談。「文芸」で「転回期としての戦後」の題でいいだ・ももと対 に発表。「将門記」を中央公論社より刊行。富士山麓の鳴沢村に長談。五月、「六十の引越し」を「読売新聞」に発表。六月、中央公 男貞一設計の山小屋を設ける。十月、「在りし日、幼なかりし日」論社版日本の文学「柳田国男・斎藤茂吉・折ロ信夫集」の解説を書 を「群像」に、「最後の家長 , を「新潮」に発表。筑摩書房現代文 く。「愛について」を「毎日新聞」に連載。「中央公論」に連載の 学大系「大岡昇平集」刊行。十一月、「秋の悲歎ーを「新潮ーに発「レイテ戦記」完結。「なぜ戦記を書くか」を「朝日新聞」に発表。 表。戯曲「赤と黒」限定五百部を講談社より刊行。十一一月、戯曲大磯の家を引払い仮住居に移る。「富永次郎のこと」を「毎日新聞」 に発表。八月、「ミンドロ島ふたたび」を「海ーに発表。「昭和文学 「遙かなる団地」を「群像」に発表。 昭和四十ニ年 ( 一九六七 ) 五十八歳の証言」を文藝春秋から刊行。「中山義秀の死」を「朝日新聞」に、 一月、戯曲「遙かなる団地」を劇団「雲」が上演。「レイテ戦記」十月、「葬送記」を「中央公論」にそれぞれ発表。同月、東京都世 を「中央公論」に連載。「朝日新聞」の「文芸時評」を始める。二田谷区成城七ー十五ー十一一の新居に移転。十一月、「富永次郎の思 月、「遙かなる団地」を講談社より刊行。「雪の思い出。を「朝日新い出」を「童説ーに、十一一月、「欠陥高速道路。を「中央公論」に 聞」に発表。三月、フィリビン戦跡訪問団の一員として十八日よりそれそれ発表。中央公論社より「ミンドロ島ふたたび」を刊行。 三週間、レイテ、ミンドロ島を旅行。四月、「戦跡を訪ねて」を「朝昭和四十五年 ( 一九七〇 ) 六十一歳 日新聞」に、七月、「ダナオ湖まで」を「別冊文藝春秋 , にそれそ一月、「鎮魂歌ーを「文芸」に発表。「婦人公論」に「青い光」を連 れ発表。六月、新潮社より刊行される「小林秀雄全集」の編集、解載。「読売新聞ーのコラム欄「東風西風」を担当。「三十一一年目の正 説を中村光夫、江藤淳とともに担当する。十一月、角川書店より刊月 , を「毎日新聞」に発表。 行される定本「中原中也全集」を中村稔、吉田熈生とともに、さら ( 本年譜は編集部が作成し、大岡昇平氏の校閲を得ました )
大岡昇平の作品には水のイメージがよく出て来る。 もちろん、一般に水のような基本的なイメージをぬき にして小説を書くことは不可能な話で、たとえば船の 旅をあしらえば海や河や湖の描写は不可欠となり、荒 天のくだりでは雨を除くわけにはゆかず、悲しんでい なみだ る女を書けばとかく泪のことに筆が及びがちだろう が、大岡の場合、作品の重要な箇所に水が使われるこ とが多く、そのイメージの差出し方がまた、丁寧でカ がこもっていて鮮かなのである。彼は水が好きな小説 家なのだ。 もっとも、彼の作ロ明のこ、つい、つ 特徴を指摘するのは ばくが最初ではない。残念ながらまだ読んでいないけ れども、岡田喜秋の著書『作家と風土』のなかにこの ことはすでに記されているそうである。それに第一 大岡自身に『水』という小説があって、書きだしのと ころは岡田の本の紹介にもなっているから、ぜひとも これは引用しなければならぬ。 このほど岡田喜秋さんから近著「作家と風土」を 贈られた。石川啄木以下十人の詩人小説家の作品に
現代日本の文学 36 全 60 巻 大岡昇平集 昭和 45 年 7 月 1 日初版発行 昭和 57 年 10 月 1 日 29 版発行 電話は , 東京 ( 03 ) 720 ー 1111 へお願いします。 著者 発行者 発行所 大岡昇平 古岡滉 鑾学習研究社 東京都大田区上池台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振替東京 8 ー 142930 電話東京 ( 720 ) 1111 ( 大代表 ) 印刷大日本印刷株式会社 中央精版印刷株式会社 製本吽映精版印刷株式会社 本文用紙三菱製紙株式会社 表紙クロス東洋クロス株式会社 製函永井紙器印刷株式会社 * この本に関するお問合せやミスなどがありましたら , 文書は , 東京都大田区上池台 4 丁目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学研お客さま相談センター現代日本の文学係へ , OShohei Ooka 1970 Printed ⅲ Japan ISBN4 ー 05 ー 050246 ー 1 C0393 本書内容の無断複写を禁す