感じ - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 36 大岡昇平集
231件見つかりました。

1. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

間、つと身を落とした。それからまた突き上げた。 に揚がり、また近寄り、もつれながら野川の方へ飛んで行 しじゅう 黒い蝶は始終ゆっくりと落ちついて、下の蝶の上昇するった。 ひじ 運動を上から絶えず押えているように見えた。二つの蝶は振り上げて、肱まで露われた秋山の細い腕を道子は醜い そうして下の蝶の急がしい飛翔の間に生ずるわずかなずれと思った。 に従って、少しずつ池の上の方へ移って行った。 勉と道子の眼が合った。その互いの眼の輝きの意味を、 ヴェランダはやはり静かであった。秋山は二人がこの蝶二人はもう疑うことができなかった。 しっと の運動を見ているなと感じた。すると嫉妬が起きて来た。 第六章真夏の夜の夢 秋山の直感は正しかった。一一人はさっきからこの蝶から かす 目を離すことができなか 0 た。背景の珊瑚樹も池も霞ん勉はひとり出て行 0 た。彼の眼は飛び去 0 た蝶の姿を探 むだ うつ で、一一羽の蝶だけが浮き上がるように光って見えた。 おすめすつが したが、無駄であった。七月の陽にあぶられた虚ろな野が 二人にはこの蝶が雄雌の双いであると思われた。しかし拡が 0 ているばかりである。その激しい陽に露わな額を照 彼らはともに蝶類について知識がなかったから、そのどっ らされるのをむしろ快く感じながら、彼は「はけ」の斜面 ちが雄でどっちが雌かの判断で、正反対であった。 に沿う道を歩いて行った。 道子は下の蝶が雌だろうと想像した。雌は自分と同じ苦秋山の嫉妬を機会に道子の心を見、彼は身内に力を感じ しい片恋を抱き、上の鷹揚な雄蝶から逃れようとして、無た。それは彼がかって自分にあると思 0 ていなか 0 たカの 益な飛翔を続けているのである。しかし勉は彼女の心の隅感覚であ 0 た。事実は初めて恋する女の心を得た青年の歓 隅まで知 0 ていて、彼女の心の行くところにはいつも彼が喜にすぎなか 0 たろうが、それを「カ」と感じたところ 先にいる。 に、復員者の特色があるかも知れない。 人 勉は下の蝶が雄だと思った。道子に憧れる彼の心は、上 この恋を実現さすために何の障害もないと思われた。彼 夫の雌蝶に達したと思う瞬間、その無心にはじかれて離れねは秋山のように姦通の趣味を持 0 ていなか 0 たが、不意に 蔵ばならぬ。いつまでもそのしい試みを繰り返さねばなら自分の周囲が結婚という愚劣な軛に縛られている、男女の つが ぬ。 双いで閉ざされているような幻覚に囚われた。 秋山が不意に視野に現われて、池に馳け寄り、手をあげ家を棄てた母の不幸な子として、彼はこれまで「家庭 て蝶を追 0 たので、二人は夢から醒めた。蝶は離れて中空よ、余は汝を憎む、という坊 0 ちゃん達の世迷い言から最 あこが とら

2. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

わかいしゅ おとな ぎようせ、 に対しても「はけ」の若衆に対する場合同様、魅力を振る後彼の見た敗戦日本の大人たちの行跡は、彼の確信を裏書 うつもりではないか、と心配させたからである。勉の数少きしただけであった。彼は学生運動に興味を持たず、デモ びたい ない「はけ」訪問の時、富子の示した媚態と、勉のそれにクラシーを信じなかった。 対する気軽な反応は、かねて彼女の注意を惹いていた。 父の死を聞いて彼の最初に感じたのが、一種の解放感で にんびにん これほど二人の女の関心の的となっている人物は、ちょ あったと書けば、読者は彼を人非人と思うかも知れない。 、いたんち うどこのころ傾斜面の上の平坦地を歩いて次第に「はけ」しかしこれは事実であった。彼は前線で多くの人の死ぬの はぶ に近づきつつあった。 を見、死がどれほど面倒を省くものであるかを知ってい 晴れた六月の空には高く飛行機が飛んでいた。そのなまた。彼は父を愛していたが、その死自体については、別様 したい めかしい銀色の肢体と、キーンという澄んだ爆音に、今はには感じなかった。死んだ人は過ぎた。ただそれだけであ 警戒するに及ばない、その感じに復員者勉はいつまでも馴る。彼自身も過ぎ去るかも知れなかった。 れることができなかった。 弟の自殺の原因について、その感傷的愛国心を笑ってい そで 彼は復員後手に入れた払下げ品の航空服を着ていた。袖た宮地老人も、敗戦によって没落した弟が、利己的な後妻 すそ ひぎ や裾にやたらにチャックがっき、ズ・ホンのポケットは膝のと小さい子を背負って行く将来に絶望したためでもあるこ かっこう 前面に低かった。人中で随分目立っこの恰好は彼にとってとを察していたが、勉もほ・ほ同じ意見であった。父の死自 一一重の意味があった。第一、彼は人から復員者と見られる体について何の感慨もなかった彼は、ただそれが彼と継母 のを好んだ。それは彼が秘かに内に育ち、人にいってもわ及びその子との間を切り離すという利点だけしか見なかっ からないと信じている思想を隠すに便利な一般的分類であたのである。 った。第二、彼はその思想が彼が前線で得たもの、つまり こういう彼の死生観に、幼時から軍人たる父の風格に接 まさに復員者のそれであることを知っていた。だから彼はして来た影響が含まれているかどうかは、軍人という社会 やはり自分が復員者と見られることに誇りを感じ、それを的地位が消減した現在、なかなか決定するのが困難な問題 見せびらかしたかったのである。 である。 ままこ * かとく 敗軍の混乱の中で、彼はかねて継子として内心に育てて 彼のこういう利己主義は、旧民法による最後の推定家督 いた、頼りになるのは自分一人だという確信を強めた。さ相続人として父の遺産に対して持っ優位を、ある程度しか ふりよ らに俘虜の堕落は彼に人間に対する信頼を失わせた。復員柔らげなかったことにも現われていた。偶然自分に属した ひそ しだい

3. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

との交際を彼は恋とは考えていなかったし、いったい彼は女を尊敬しすぎていた。彼は予感は持っていたが惧れてい 恋を軽蔑していた。彼が戦場から持って帰った心と思想にた。 は、恋の入る余地はなかったのである。 一一人の恋はともに自分が恋していると知ったことから出 へや 恋してるってほんとかな、と彼は室に入って考える。彼発していた。こういう頭の働きは普通恋の衝動の反対のも はこの大発見に酔ってはいたが、まだ自分の心を検討するのと考えられているが、一種の文明の産物である恋愛にお 余裕を持っていた。彼は「はけ」へ来てからの気持の動き いて、自ら意識することが案外重大な第一歩となることが を振り返ってみた。さまざまの時に、さまざまに示されたある。 道子の姿が浮かんだ。その姿はすべて自分が前から恋して 勉の問題は道子が自分を恋してくれるであろうか、いっ いろあい かいまみ いた証拠としか思われない、あの甘い色合を帯びていた。 か彼女に垣間見たと思った恋のしるしははたしてうそだろ さかのば 彼はさらに遡って少年の彼が「はけ」の家へ来て彼女うか、ということにあった。そして自分が恋していると信 と遊んだころのことを回想した。道子が結婚したのは、彼じて以来、彼はまったく自信を失った。 の十三の時であったが、それまでの道子との親しさの記憶その日買物から帰った道子はあいにく陽気であった。勉 も、すべて未来の恋を示しているように思われた。 と感傷的な会話を交したことが、一時彼女の気持を解きほ 道子が勉との徳姉弟同志の愛情を恋の障害と感じたのに ぐしていた。彼女の無邪気な笑顔は勉にこたえた。この絶 くつじよく 反し、勉がそこに恋の下地を見たのは、ちょっと興味があ望には屈辱の感じが混じっていた。 る。読者はここに自己の恋慕の心に対する男女の反応の差生活は勉にとって新しい色合を帯びた。彼の一日は二つ みいだ 別を見出されるかも知れない。女は本能的に恋をその他のに分かれていた。つまり外出するかまたは室に籠もって道 感情と区別することを知っているが、男にはあらゆる愛情子のことを考える楽しい時間と、彼女を見て自分の絶望の に任意に恋の色をつけることができる。その気で見れば、証拠を知る苦しい時間とである。道子は相変らず彼に優し どんな愛情でもいくらかは恋に似ているものである。 く、そこには実は恋の悩みが隠されていたのであるが、一 野 蔵しかし二人が互いに相手を欲望をもって考えたことがな度恋してしまうと勉にはそれが見えなかった。最初の思い かった。道子にとっては、秋山とするようなことを勉とす込んだことを固執するのは彼の癖であったし、何よりもこ ると考えるだけでもぞっとするのである。勉も前に女友達れは自分をさいなむことが好きな心であった。 とした行為の対象として道子を考えるには、あまりにも彼道子の優しさがことに彼を傷つけたのは、彼女が秋山に けいべっ かわ えがお おそ

4. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

がわねばならなかったのは、明らかに彼自身の前方であつがこの若い兵士を見て、私の個人的理由によって彼を愛着 た ) 。 したために、射ちたくないと感じたことはこれを信じる。 ほうとうもの こんせき 私は一人の放蕩者の画家を知っていた。彼は中年をすぎ私は事前の決意がこのときの一連の私の心理に痕跡をと じよう て一人の女子の父親となったが、以来一一十歳前の少女に情どめていないため、それが私の心と行為をみちびいたとい とし へんざいてき 慾を感じないといっていた。自分の子供がこの年ごろにな うことは認めがたい。しかし遍在的な父親の感情が私に射 ったらこうなるだろうか、という感慨がじゃまをして、彼っことを禁じたという仮定は、そのとき実際それを感じた が認めた感覚的な美にたいして、正常な情念が起きなくな記憶が少しもないにもかかわらず、それが私の映像の記憶 いろあい った、と彼は自分の感覚を説明した。 にのこるある色合と、その後私をおとずれた一つの観念を この説明にはかなり誇張が感ぜられ、彼がじっさい常に説明するという理由で、これを信ぜざるを得ないのであ その感覚に忠実であったかどうか、私はあまり信用してい る。これがわれわれが心理を見つめて見いだし得るすべて タブ ないが、とにかく彼が一度か一一度、こうした禁忌を感じたである。 ぐあい と思ったことはあり得ないことではない。 しかしこれからさき万事がへんなエ合になってくる。米 私がこの米兵の若さを認めたときの心の動きが、私が親兵はそれからまた正面を向き私のほうへ進んだのを私は知 となって以来、時として他人の子、あるいは成長した子供っており、しかもその映像が私の記憶にないことは前に書 の年ごろの青年にたいして感じるある種の感動と同じであ り、そのため彼を射っことに禁忌を感じたとすることは、 今度私のお、ほえているのは内部の感覚だけである。それ けんきようムか、 多分牽強付にすぎるであろう。しかしこの仮定は彼が私は息づまるような混乱した緊張感であり、私があえてそう の視野から消えたとき私に浮かんだ感想が、アメリカの母呼ぶのを欲しない一つの情念に似ていた。すなわち恐怖で 記親の感謝に関するものであったことをよく説明する。明らある。 虜かにこれは私がこの米兵を見てから得た観念である。その恐怖とは私のふつうに理解するところによれば、私に害 俘前私が射つまいと決意したとき、私の前にどういう年齢のを与えると私の知っている対象にたいする嫌悪と危惧のま 米兵が現われるかは不明であり、私が母親について考慮すじった不快感である。それは通常その対象の「恐ろしい」 る根拠は全然なかったからである。 映像を伴うべきであり、私がこの米兵から残していたむし 人類愛から射たなかったことを私は信じない。しかし私ろこころよい印象とは両立しないと思っていた。

5. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

完成たるべきである。しかし私はいちおう私の決意がどこちている。 まで私の行為をみちびき得たかを、このときの私の心理に つぎの記憶にのこる彼の顔は、前とは反対のがわの頬を 探してみたい。 見せ、山上の銃声に耳をかたむけている彼である。しか 米兵は私の前で約八間歩いた。恐らく一分を越えない時し、この二つの横顔がただちに接続するものでないこと そうき 間である。その間私が何を感じ何を考えたかを想起するのは、私の記憶のある感じによって確実である。 、かならずしも容易ではないが、有限な問題である。 この間に私は銃を引きよせその安全装置をはずしたらし この間私の思いは「千々にみだれた」ということはできい。あるいは私はそのため手もとに目を落としたのだろう ない。私はずっとこの米兵を見ていたのであり、その間私か。が、銃の映像も同じく私の記憶にはない。 の想念は彼の映像によって規制されていた。 この空白の後で銃声がひびき、多分私はそのほうを見た 私は精神分析学者のいわゆる「原情景」を組みたてて見であろう ( これはまったく仮定である ) 。ふたたび前方を もら・ま - ・、 ようとする。この間私の網膜にうつった米兵の姿は、たし見たとき ( これも仮定だ ) 米兵はすでにそのほうへ向いて こんせき かに私の心理の痕跡をとどめているべきである。 いた。この横顔から頬の赤さは記憶にない、ただその目の ゅうしゅう 私がはじめて米兵を認めたとき、彼はすでに前方の叢林あたりに現われた一種の憂愁の表情だけである。 から出て開いた草原に歩み入っていた。彼は正面を向き、 この憂愁の外観は決して何らかの悲しみを表わすもので 私の横たわる位置よりは少し上に視線を固定さしていた。 はなく、また私自身の悲しみの投影と見る必要もない。こ ねら その顔の上部は深い鉄かぶとの下に暗かった。私は、たれが一種の「狙うー心の状態と一致するものであることを だちに彼がひじように若いのを認めたが、今思いだす彼の私は知っている。対象を認知しようとする努力と、つぎに そうばう 相貌は、その眼のあたりに一種のきびしさを持ってい起こす行為をはかる意識の結合が、しばしばこうした悲し 記る。 みの外観を生み出す。運動家に認められる表情である。 虜谷のむこうの兵士が叫び、彼が答えた。彼は顔を右なな彼はそのまま歩きだし、四五歩歩いて私の視野の右手を ほおばらいろ かや め、つまり声の方向に向けた。私が彼の頬の薔薇色をはつおおう萱に隠れた ( 前に書くのを忘れたが、私の右手山上 俘 きり見たのはこのときである。 陣地の方向は、勾配の加減でちょっとした高みとなり、伏 それから彼はまた正面を向き、私のほうへ進んだはずでした私の位置からは、った萱しか見えなかった ) 。それ ある。しかしこのときの彼の映像はなぜか私の記憶から落から私はため息し、アメリカの母親に関する感想をもらす そうりん

6. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

118 かえり ゆが 顧みて、彼女はこれで、苦しい中にも誇りと楽しさのあっ勉の顔は歪んだ。 おさ それぞれ室に引き取って浅い眠りを摂る間もなく、秋山 た勉との恋は終わったと思った。昨夜勉が自分を抑えてく じよう、げん れたのを喜ぶとともに、それを惜しむ心が働くのであってが帰って来た。彼は上機嫌であった。近所の仕事師などを みれば、なおさらである。朝まで勉が時々大きく息をする駆り集めて、てきばきそこらを片付けて行った。いい遅れ おび ごとに、自分が怯えながら待った心に照らして、今後このて変にならないように、道子はすぐ昨夜村山で勉と泊まっ 従弟と同じ屋根の下で暮らすことは避けねばならぬ。並んたことをいったが、秋山は彼女が怖れていたような反応を おそ で歩く勉の体を、今は怖れねばならぬのを彼女は悲しく思示さなかった。 「へえ、そりや困ったろう。でもよくお金が足りたな」 あらし 国分寺の駅に近く、人家が多くなるにつれて、嵐の後始もし道子が彼の様子をよく注意する余裕があったら、彼 末にいそしむ人々の姿が、ようやく道子の心を平常に戻しの眼にむしろそれを喜ぶような色が動いたのに気が付いた た。家でも方々こわれているに違いない。早く帰って始末ろう。 おくびよう しなくては、となおも何か考え込みながら歩き続ける勉を富子の憐憫を交じえたは、この臆病な学校教師に大 かわぐらこ 急がした。 恋愛の幻想をかせた。満足感が、河口湖からの帰途ずつ ばあ ひそ たど 十時すぎやっと家に辿りつくと、留守の通いの婆さんと彼を領していた。時々秘かな笑いにロ角がよじれた。彼 かんつう がフランスの人情本から得た姦通の趣味が充たされたので は、自分の家も心配なのに、二人が帰らないので泊まらな けわ ければならなかった、と険しい眼付きで文句をいって帰っある。 ムじだな て行った。古い家は無残にこわれていた。落ちた藤棚は手その趣味が妻の不貞の可能性について、夫の嫉妬を抹殺 そでが、 がつけられなかったが、倒れた二つの袖垣をつくろいながするところまで進んでいたのは、けだし現代日本の西欧か 、せき ら、勉が道子の肩にかけた手は、静かに手を重ねて除けらぶれの奇蹟の一つであろう。 ふる れた。道子の手がかすかに慄えていたのが、勉のせめても道子はしかし四十歳の夫のなにげない態度、たとえば椅 なか なぐさ すわ 子に坐るとか、箸を取り上げるとか、半ば彼の習慣となっ の慰めであったが、彼女の顔はただ普通に笑っていた。 た動作に、何ともいえないだらけたものの現われているの 「いい加減にして、少し寝ましようか」と彼女はいった。 みにく 「はけ - の古い家の屋根の下では、これは「別れて、一人を見た。彼女はそれを醜いと感じたが、自分の感覚の原 ずつになりましよう」という意味しか持っていなかった。因、また夫にそういう感じの現われた原因を考える余裕を れんびん へや しっと まっきっ

7. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

「何をそんなに感心してんの」と訊かずにいられなかった。 二人はまた欅の林を神社の横へ降り下の道へ出た。鳥居 かたわらと 道子も水に対する興味に感染していた。彼女は神社の左の傍の閉ざされた掛茶屋を過ぎて少し行くと、藪の切れ ほとばし 手の崖の上から聞こえる一つの水音に注意していた。音は目に水が滝のように迸り、深い溝を掘って道の下をくぐ すべ しゆるしゆるという滑るような音で、明らかに拝殿の後ろっていた。 の湧き水より高い位置から始まっていた。それと重なってゆるい坂を上ると野が開けた。一つの流れが右へ斜面を とどろ ゆるやかに退かせ、一つの道が降りて来た。道は野川を合 下の方へ別に轟くような激しい音があった。 すぎばやし 道子はその水音を勉に注意した。彼の地理学に初めて協流点の下で小橋で越え、対岸を遠く杉林の方へ向かってい 力できたのに誇りを感じた。 けや こみち 二人は拝殿の横から欅の林の中のジグザグの小径を登っ橋の上に立った勉は、野川の水が依然として豊かなのに そりん おうかん た。上は平らなやはり欅の疎林で意外に近く往還があり、驚いていた。 自転車へ乗った人が通って行った。 地図に水源地とされている鉄道の土手は、遠く流域の涯 一尺ほどの幅のコンクリ 1 ト の溝が林の縁の人家に沿っを限っていた。しかし右手斜面に近く、土管が大きな口を てあり、水が急がしく道の方から走って来た。斜面の始ま開けて、そこから白く水の落ちている様が望まれた。勉 るところで溝は十五度ばかりの角度で折れ、水は溝の側には、 弾ね返り、音を立てて滑り降りていた。行く手の竹藪の底「何だ。水源は線路の向うらしいや」 えがお から轟く音が上って来た。 といって笑ったが、道子は笑顔を返すこともできなかっ 溝は明らかに線路向うの玉川上水につながっており、すた。彼女はさっき神社の後ろで勉を抱きたいと思って以 かじよう なわち野川に不自然に豊かな水量の印象を与える過剰の水来、どうして自分がそんなことを思ったのだろうと、その が、結局多摩の本流の水であることを意味する。勉は道子ことばかり考えていたのである。彼女は結局自分に告白し かえり を顧みて、 ようと欲しない一字のまわりを廻っていた。 どろ 「やつばり僕の思った通りだった。上水から引いてるんだ 川はしかし自然に細くなって、ようやく底の泥を見せ始 よ」といって満足げに笑った。 め、往還を一つ越えると、流域は細い水田となり川は斜面 ぞうきばやし 道子は、そうして喜ぶ勉を抱いてやりたい衝動を感じの雑木林に密着して流れ、一条の小道がそれに沿ってい がけ たけやぶ こ 0

8. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

おとな に、勉との類似を怖れた犯罪者の眼であった。 は懇願し出した。懇願されると、彼女はいくら夫が大人し ちか この写真は彼女と「誓った」その日に撮られたはずであくなっても、自分はここの家にいる気はないような気がし った。彼が自分と別れたその足てそれを破った事実は、たて来た。彼女はかえって主張した。 「雪子をどうする気だい」 しかに彼女に打撃であった。 っ しかし今では勉とは別の意味で、その「誓い」そのもの 「あの子はあたしが連れて行きます。あなたみたいな人の を疑っていた彼女にはそれも堪えやすかった。こうして勉ところにおいて行けると思ってるんですか」 自分のカでは及ばないと感じた大野は道子に助けを求め もそれを守れないならば、やはり「誓い」は間違っていた あんど に来た。少しの間に人が変わったようにだらけてしまった のだ、と彼汝はむしろ安堵した。 彼女の気懸りなのは、ただ勉の犯罪者の眼であった。自彼の様子は、改めて道子を打った。運動家型の彼の筋力は 酒のためにたるみ、瞼が下がって、かって大きく明るかっ 分の自制はかならずしも自分一人の平和のためではなく、 「はけーの人々全部のためだと、彼女は確信していたが、 た眼を蟇のそれのように細くしていた。これでは富子がい その結果勉をしめ出して、そういう危険な状態に追い込んやがるのも無理はない、と彼女は我にもあらず競争者に同 でしまったのが苦しかった。この時それは彼自身で処理す情する気になった。 べき問題だという考えが浮かばなかったのは、彼女がやは しかし富子が家を出るという気になったということは、 り彼を愛していたからである。 彼女にとって衝撃であった。 おれ 勉が撮った彼女自身の写真については、彼女は正確に勉「なんとか頼むよ、俺のいうことてんで聞いてくれないん と同じに感じた。つまり自分はもうおさんだと思ったのだよ。道子さんからよくいってやってくれないかな」 「あたしのいうことだって聞きやしないでしよう である。いつも彼女は勉の眼にこう映るであろうかと思 「そこは女同志でまた話のしようがあるだろうじゃない う、そういう自分を考えた。 道子が夫の要求する返事を与えなかったのには、自分のか」 どういう女同志か大野は知らないのだ、しかしそれを彼 心に照らして、富子も勉に惹かれているうちは、秋山との にいうわけには行かない。彼女は彼を見凝めた。その悲し と感じたからてもあった。 間に大事なことは起こらない、 い思い遣りの色に大野は感動した。商売がまずくなって以 しかし事件は別の方から起こった。富子はある夜の争い の間に、自分が大阪へ帰る可能性を大野に暗示した。大野来、彼をそういう眼で見てくれるのは道子一人しかなかっ おそ まぶた

9. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

に代表されていると思われる。 そうになったことを思うと、下り切ってからでさえ胸が ワクッとした。 門司の親類に祝い事があって、長男である彼が弟と共に 派遣された時の記録である。大人の混雑の中に巻き込まれ た中原は孤独を感じる。広い家の方々に、人々が集ったり 長々と引用したのは、これが一生を通じて中原の対人関 散ったりしている。中原は一室に一人残される。 係の見本のように思われるからである。叙述は彼の話術の おのずか うまさを示しているし妥協の願望も語るに落ちて自ら現 次の間の声が気になり出した。何だか今の婦人は、自われている。何よりも全体の奇妙な感じが、中原の人格の だらよう 分の前を立ち去ると直ぐ先刻の駝鳥 ( これは女客の一人魅力と、切って切り離せない関係にある。この感じは少年 に彼がつけた綽名である ) と鼻合せに、自分のことを兎中原が、我々の世界に入って来る時期を語るに当って、伝 かく や角言っているのが、それ等の声のようであった。 記作者は念頭におかねばなるまいと思われる。 間もなく隣室の婦人がこそってその部屋を出て行く気 もはや 配がした。と最早何の声もしなくなった。弟はまだ湯か とみくら・ ただ ら上って来なかった。彼は心細くなって今は唯、何かに冨倉徳次郎氏は、当時京都帝大の国文科に在学し、大正 十三年の一月から三月まで、立命館中学で国語を教えた。 対して素直になりたくって仕方がなかった。 すいきよう 立って縁側まで出ると、余程長いものに彼の心には想答案のかわりに詩を書いて出した生徒を家へ呼ぶ酔興を持 けん われていたその縁側は、つい三四間向うで其処から階っていたのは、当時氏が若く小説家が志望だったからであ 段になっていた。「何だ」という気が思わず彼を歩ませる。 * とみなが た。「不可ない」と思ったが、もう半分以上来ていた。 冨倉氏は一一高で、富永太郎の一一級上であった。富永太郎 誰も見ているものがないと、彼は幼児が甘えるような気は既に学を廃し、上海に放浪中であったが、三月末、神戸 おどりば しんきようごく 持で、階段を上り始めた。所が頭がヒョッと踊場の高さ着、京都へ途中下車し、冨倉氏と新京極で酒を飲んだ。そ まじめ に達したと思うと、一一階の直ぐそこの部屋に真面目臭つの時中原が同席したのが、富永と中原が会った初めであ すわ て坐っている三人を見た。三人は階段を上る彼の足音のる。その夜富永はそのまま東京へ帰ったが、七月再び京都 こちら あわ ために一に此方を向いて眼を見張っていた。彼は慌てへ来て、十二月まで滞在した。 はす 「夏富永太郎京都へ来て、彼より仏国詩人等の存在を学 て頭を引ッ込め、それから急いで下りた。途中足が外れ はけん ま あだな

10. 現代日本の文学 36 大岡昇平集

332 、やくいん ん減少しつつあった時期である。同人雑誌はひそかに前衛 が、主として終りの二聯の、無論脚韻は除いての話だが、 結合と照応に関するものである。 ( 中原にはまたシェイク的精神を燃やしていたには違いないが、各地に孤立してそ ス・ヒアの四四四二についてもセオリイがあり、「夏ーはその勢力は知れたものてある。 はぎわらさくたろう の区切りに従っているじ むしろ高橋新吉の活動に代表されるように、萩原朔太郎 ばとう 見易くは、第三聯の終行から、第四聯初行への移行であが罵倒した文壇と称する小説家の群に近づくことが、人に また る。立原道造のソネットの或るもののような精妙な跨ぎは読まれる近道であった。 やままゆ まつりか 小林達の拠る「山繭ーは詩の雑誌ではないが、小説家達 ないが、有明の「茉莉花」のように、腰折れになっていな けいべっ を軽蔑している点では、萩原朔太郎と同じである。その道 は小林との絶交によって閉されている。仮りに開かれてい 「森並に風は鳴るかな」は「ひろごりて、たひらかの空 と同じ場にあって、一つの光景を叙しているのである。しるとしても、富永のランポオ調が持てはやされた例でもわ こうとうて、 かも前句の切字が、はっきり三聯を終りながら、内面的にかるように、一種の高踏的モダ = ズムを標榜していて、中 めいりよう つなが 原の古風なソネット・、 カ受け入れられるかどうか明瞭でなか 次行と繋っているところに、中原の技巧が見られる。 じゅし っこ 0 第三聯起句の「樹脂の香に」のためらいがちな歩調は、 「朝の歌」は中原の下宿の一室における目醒めを歌ったも 第二聯の起句の「小鳥らの」と共に、第一聯第四聯をコ一・ のであろう。 ・一」と明白に起しているのに対照して、徴妙に「中」 の感じを保っている。 あか 天井に朱きいろいで 「し」「かな」「ゆめ」による脚韻的効果はいうまでもある すき 戸の隙を洩れ入る光、 まい。欠点は「手にてなす」「めする」の二句の文法的 無理と、結句が第三聯第一一句の部分的繰り返しになってい て、カ弱いということぐらいなものであろう。 下宿でも雨戸があった古いよき時代である。しかしやは り軒下のどこかに隙があって、天井裏にさし込んだ朝の陽 何よりも事件によって自己を失ったと自称する中原が、 すい・」ら′ 六カ月の後に、こういう詩を推敲する気分になったことをが、天井板の薄い部分を赤く照し出しているという、極く しよみルて、 琵したい。作業は孤独なものである。大正十五年は「日庶民的な情景を、詩は表わしているのである。 ひな おも 本詩人」の消減で象徴されるように、詩人も読者もどんど「鄙びたる軍楽の憶ひ」は然たる軍事への思慕である よ ぜん