で、それだからその人々の生活を考えただけで陶酔的ない り、それを子供相手に繰り返しているのだった。彼女はい い気分になることが出来る。たとえば僕の右隣りの部屋につでも自分の言葉に涙を流すことの出来る他愛のない感傷 は那珂という荷扱夫の一家が住んでいる。その妻は四十性を夥しくもっていた。彼女はその夫故にその息子故 かま ぜんそく 五、六の身なりを構わない女だが、十年も喘息をわずらっ に、世界中で一番不幸な人間だった。そのためにまた人々 もら・ ていて、最近余り堪えがたいので医者に見て貰ったら、胃から軽蔑されるのだった。そして彼女はこういっては涙を も悪く心臓も悪く肺も悪いということだった。しかし彼女流すのだった。全くこのような感傷性は我慢がならないも は寝ても居られず一日中ごそごそ立働いているのだ。彼女のだ。 ろっこっ さこっ のいつもはだけている胸には鎖骨がとび出していて、肋骨彼女はアパートの人々に対しても同じ調子だった。彼女 の数えられる青黄色い薄い胸板には、しなびた袋が醜くぶは会う人毎に愚痴るので、彼女の家庭の内情はすっかりア せっとう ら下っているのである。そして彼女はそのはだけた胸へ手 ハート中に知れ渡っていた。彼女の夫は窃盗の前科が一一犯 ぞうすい を入れて始終・ほり・ほり掻いているのだが、それが何かの虫もあった。そして彼は家族に菜っ葉だけの雑炊を食べさせ こと せき がいるようでひどく不潔な感じがするのだ。その上咳をしても自分は米の飯を食わないと承知しないのだった。殊に たん たいら ては、ところきらわず痰をはくので、肺患かも知れないし三人家族一日分の配給のパンを一度に平げて、そのために 第一何だかきたならしいからというので、このア。ハート の自分たちは一日何も食べることが出来なかったというの 隣組の人々は配給物に手を触れられるのを防ぐために、彼が、このごろ一番多く繰り返される彼女の愚痴なのだっ 女の病身をいい立て気の毒を理由として配給の当番を免除た。しかもその子には子供らしい盗癖があって、絵本を持 しているのである。 って行ったと誰かが苦情をいいに来ると、いつもの困った 那珂の妻は、いつも困ったような泣くような声でゆっくような泣くような声で、 あき 宴り話すのだった。その話は大抵自分の夫と十四になるひと「全くあの子には呆れているんですよ。わたしのいうこと 一旧むすこ のり息子に対する愚痴に尽きていた。その言葉の調子は、まなんか一つもきかないし、ねえ、お神さん、うちの子はど ゆいん ひんし うしてああなんでしよう ? それに何しろうちの人の兄弟 深るで瀕死の病人が遺言でもするような大儀な哀れつぼさに 満ちていて、それが息子へのロ小言となると、文字通り一は、みんな手癖が悪いんで、あの子もうちの人の方の血に 日中続いているのだった。子供がロ返答するとぎはその声似たんですよ。 ものう は高まり、そうでないときはいつの間にか夫への愚痴にな と物憂さそうに訴えるのだった。そして愚痴がはじま けいべっ おびただ と ゆえ
という作品もある。 一徴発軍のカで強制的に民間人の所有物をぶんどること。 一尺べロナール催眠薬の類。 一尺酒保軍隊内にあって、日用品、飲食物の類を売るところ。 一合ニューギニヤ太平洋戦争のとき、手をひろげてこの南太平 洋のニューギニヤ地方にまで出兵したが、一時占領したのち、 大敗北をした。 一八四。 ( ビナールアトロ・ヒン「パビナール」は、鎮痛に用いる薬。 「アトロビン」は、末端の神経をしびれさせる劇薬。 一 0 八路軍抗日戦線の第一線で戦った中国共産党に属する部 隊。のち、人民解放軍となる。 一 0 シェード shade 日よけ。 一 0 苦カ東洋各地にいる下層労働者のこと。 一兊オンドル満州や朝鮮で行なわれている暖房装置。 一九四桃源境理想郷と同じ。俗世間から遠く隔った別天地をい とうえんめい う。陶淵明の「桃花源記」よりきたことば。 一突レオ・マッケリイい eo Macarey ( 1898 ~ ) アメリカの有 名な映画監督。代表作に「我が道を往く」「善人サム」などが ある。 一突チャールズ・ロートン Charles Laughton ( 1899 ~ 1962 ) イギリス生まれのアメリカの映画俳優。ュニークな演技で知ら れている性格俳優である。 解 一突特高特別高等警察の略。戦前、主として思想犯を取りしま 注 った。社会主義者、自由主義者からは、大変に怖れられ、嫌わ れた存在。戦後、廃止となった。 一一 00 掃蕩作戦そのあたり一帯を、大規模に、徹底的に平伏させ ていく作戦をいう。 一一 0 四エフェドリン風邪やぜんそくの薬。 IIO 五パオ包。蒙古人のまんじゅう型の組立ての家屋をいう。 一一 0 六凝然としてじっとして動かぬさま。 一一 0 八チアノーゼ寒さなどのため皮膚や唇などが鬱血して黒く なること。 一一一五サンパン中国や東南アジアの各地の河で用いている小船。 一一石マレー作戦大東亜戦争勃発の際に行なわれたハワイ攻撃、 マレー上陸をいう。 せつかん 三七浙作戦中国の浙江省にある航空基地を破壊する目的で昭 和十七年五月より開始された作戦をいう。 三〈ドウリットル空襲による本土空襲。アメリカのドウリ ットル中佐が指揮した。 一三三カラト死骸を入れる棺。 一一三 0 舞踏会の手帳一九三七年に作られたフランス映画。ジュリ アン・ド、ヴィヴィエの監督。二十年前に踊って交渉のあった 八人の男性を思い出して、未亡人がたすねていくが、それそれ 別の生活をしている話。フランスの名画のひとっとして、わが 国の映画ファンを楽しませたもの。 一一三四コルサコフ症状群アルコール中毒による精神病。 一一三七御陵浅川にある大正天皇の御陵をさす。
わか 展覧会に〈イボのある風景〉というのを出したじゃない れば直ぐに判りますが、そうすれば野呂のことだから信書 村れ 開封の故で難癖をつけて来るだろうし、追い出しの口実を Ⅱか。あれは俺の顔だろ ? 」 「飛んでもない」と僕は抗弁しました。「君の顔なんかで与えるようなことになるかも知れない。 と言って放ってお 、よ、し、とつおいっ迷ったが、ついに好奇 あるものか。あれはシュールレアリズムの風景画に過ぎん」くわけにもいカオし 「いや、うそを言うな。僕の直感ではあれはたしかに僕の心の方が勝ちを占めました。警察大学のやり方にならい、 さっそく 顔だ」 湯気をあててそっと開封する手を思いついたのです。早速 のり 「へえ。合理主義者の君が直感なんてものを信じるのか。 お湯を沸かし、その湯気を封にあてていると、やがて糊が ハカ・ハ力しいや。あれは僕が描いた画だよ。僕が描いたかゆるんで来て、難なく開封出来た。胸をわくわくさせて、 あかけい らには、僕が一番よく知っている。そもそもあの画のモチ中身をひつばり出して見ると、それは一枚の赤罫のペラベ 1 フなるものはーーー」 ラ紙で、内容証明専用の罫紙なのです。それに文字がぎつ うんぬん 云々と僕が、いろいろ専門語を混ぜて説明し始めたものしり詰まっている。僕は急いで読み始めました。それは次 くや ですから、野呂は口惜しげに黙ってしまいました。野呂にの如き文面です。 とっては画は専門外ですから、自分の顔だというキメ手が 発見できなかったのでしよう。 『拝啓用件のみ申し上げます。かような手紙を差上げる 陳から家の売渡しを受けて、二カ月経った頃、すなわち事情は御推察のことと存じますが、貴殿名義の世田谷区 今から一カ月ほど前のある日のことです。僕が昼食を済ま大原町 xxx 番地の家屋につきまして、今般陳根頑氏と せて、玄関の手紙受け ( これも家が僕らのものになって以協議の結果、陳氏に十万円を手交して、私がその権利を 後野呂がつくったものですが ) をのそいて見ますと、封書譲り受けることになりました。その際陳氏は〈不破数馬 が一通入っています。手にして見ると、宛名人の居住先不氏は十八万円自分に借金があり、目下行方不明のため 明の符箋がついていて、つまり発信人に差戻しの手紙なの この家の登記が自分名義に変更できない始未である。し ですが、その宛名を見て僕はあっと驚いた。なんとその宛かしこの家に関する一切の問題については不破氏と陳と いっさっ の間において解決す〉との一札を入れて下さいました。 名が『不破数馬』で、裏を返すと発信人は野呂旅人です。 そこで十万円を陳氏にお渡ししたのですが、固定資産税 何かたくらみやがったな、とそれを持って僕は部屋に戻っ て来た。何を野呂がたくらんだか、封を切って中身を調べ支払いの関係もあり、至急当方名義に登記する必要に迫 ふせん あてな ごと す こんばん
て、舎から出て来たんだ」 「じゃおれたちはーー」 「どうしてそれが判る ? 」 一一人の老人はほ 0 としたように、ロ同音に言 0 た。 私は瓣ねた。 「これで失礼する。元気でな」 ムう 一人はよぼよぼと、一人は婦人にたすけられるようにし「終戦後、君の伯父さんは、どんな風な生き方をしていた て、そこから離れて行った。あとには幸太郎と栄介だけがんだね ? 」 「それが判らないんだ」 残された。 栄介は街路樹の葉を引きちぎり、指で丸めて押しつぶし 十五 た。しばらく何とも言わずに歩いた。やがて低い声で、 たび まじめ 私と栄介は公園内の道をぶらぶらと、広小路の方向に歩「初めは真面目に聞いていたんだが、その度に答えが違う べつぶ んだね。熊本で店を開いていたとか、同じ時期に別府で温 いていた。 泉療養していたとか、伯母が死んだのも終戦直後だったと 「それで泊めることを断ったのか」 たび 老人の姿を想像しながら、私は言った。 か、昭和三十年頃だったとか、しゃべる度に話が違うんだ 「冷酷なもんだね」 よ。友人の医者に聞いてみたら、コルサコフ 「冷酷って、おれがか ? 」 栄介は言いにくそうに発音した。 「いや。時間の流れというものがさ」 「よく診察しなきや判らんけれど、コルサコフ症状群を伴 としより ちほう オしか、と言うんだ。つまり年寄・ほけだ 私はごまかそうとした。しかし栄介はごまかされなかつう老人痴呆じゃよ、 こ 0 ね」 「そりやおれは冷酷かも知れない。しかし異物が家庭内に私たちは公園を出た。街には街のにおいがした。 入り込んで来るのは、イヤなんだ ! 」 「しかしそろそろ金も尽きかけて来た。それで定額以外を 栄介は声を強めた。 せびりに来るようになった」 「学資はたしかに出してもらったさ。中途半端だったけれと私は言った。 どね。そこでおれも金を出すことにした。月に五千円」 「そういうわけだね」 「それじや生活出来ないだろう」 「うん。そういうことらしい」 「だからもう先、言っただろう。幸伯父はかなり金を持っ栄介はうなずいた。 せん はんば わか
からね」 をとがらせて言いました。 「あっ、そうだ」 「だって、そんなこと、契約書には書いてなかったじゃな 野呂はびよこんと飛び上って、あたふたと表の方にかけ いか」 て行きました。そこで僕もサンダルをつつかけて、そのあ「書いてなくっても、そういうロ約束になっているんだ」 とを追った。門前に大八車がとまっていて、荷物がわんさ「そりやおかしい。ウソだろう。ふつう間借人なんてもの と積んであります。どこから引っぱって来たのか知らない は、一部屋だけに決ってるものだよ。それを不破氏がいな が、こんな大荷物をひとりで引っぱって来るなんて、痩せ いからと思ってーーー」 つ。ほちのくせに相当な体力だと内心舌を捲きながら、僕は「ウソじゃないってば」僕も大声を出しました。「契約書 荷物の搬入をせっせと手伝ってやりました。ところが野呂に板の間共同をうたってないと君は言うが、一部屋だけだ しごく はそれを特に感謝する風でもなく、至極あたり前の表情とも書いてないじゃないか。君の言い方は実証的でないぞ」 さしず で、時には僕に指図がましい口まで利くのです。この椅子「それじや水掛け論は止しにして、現実的に行こう。失礼 を持てとか、これはこわれやすいから大切に運べとか、そながら拝見したところ、君は道具類をろくに持っていな んな具合に命令する。好意で加勢してやっているのに身勝 全然ないといってもいいくらいだ。ところが僕はごま 手なことを言うなと思ったけれども、とにかくすべてを運んと持っている。持てるものが場所を広く取るのは、こり ひともんらやく び入れました。ところがそこで一悶着起きた。運び入れた や当然の話じゃなかろうか」 だんす 洋服簟笥や机のたぐいを、野呂がせっせと中央の板の間に 「そんな横車があるものか」 据え始めたものですから、僕が一文句をつけたのです。 さかんに言い争っておりますと、庭の方から、ごめん、 「板の間にあまり置かないで呉れ。西の四畳半に置けま、 しという大声が聞えてきました。見ると何時の間に入って来 がんじよう いじゃないか」 たのか頑丈そうな男と肥った男が、二人並んで立っていま の 野呂は顔を上げて、じろりと僕を見ました。 す。頑丈な男が急に眼付をするどくさせて言いました。 家 ロ「そんなことを指図する権利が、一体君にはあるのかい」 「不破数馬はいないかね」 「あるんだよ」 「旅行に出かけました」 そして僕は、僕と不破との間にかわされた板の間共同使「トンズラしやがったな」 かっこう 用の約束を、野呂に説明してやりました。すると野呂はロ 肥った方の男が、騎手が馬の尻をひつばたくような恰好 ふう ムと
「見ろ ! 課長が運転してやがらあ」 「武藤 ? 」と私は意外な声を出した。「あの男に女が ? 見ると、やせた神経質そうな課長が、前を必死な顔で見 そんな阿呆な」 あぶな 「ところがそうなんや」と別所も不思議そうな声を出し据えながら、シリ 1 ズ運転で危そうにのろのろ・ 0 を引 た。「あんなゴチゴチに女がと思うやろ。おれもそうなん張って来たのであった。すると誰かが本能的な叫び声をあ ゃ。でもあいつが電話で市から呼び寄せたんやもん、こげた。 「見つけられど ! みんな身体を伏せろ ! 」 りや仕様があらへんやないか」 くさむら で、みんなも本能的に身体を叢の中へ倒した。私も、 私は、ひろ子の近くで十数人の人々とまじりながら、ま るで彼女の護衛者のような厳然とした顔付で、足を投げ出正々堂々と休んでいるのでその必要はなかったにもかかわ こつけい してすわっている武藤を見た。半裸の彼のいかめしそうにらず、滑稽にもみんなと同じようにあわててうつ伏してい 張った肩には、かたそうな筋肉がもり上っていた。全く乗た。だが見ていると、課長は課長で、あたりを見る余裕も しい身体だった。私は、いささかがっかなく、一心にレールを見すえながら、のろのろすぎて行っ 務員には珍らし、 たのである。私の近くで大儀そうに起き上った志村は、・ほ りして木かげへ腰を下しながら、残念そうな声で云った。 かすみ んやりと海の方を眺めていた。その向うには霞がかかった 「そうや、思い出した。あれ、船越の女やったんや、 「そうや」と別所が云った。「おれもそれ今日聞いたんや。ように島がうす黒くうかんでいた。志村は、ふいにぼん 武藤が市に女が出来たという話は、大分前から知っとつやり云った。 「島へでも渡ろうか。こんなとこに長くいたって仕様が たけど」 浜では、仲間の五六人が、脱衣場のおかみからもらってあらへんもん」 来た二個の西瓜で、西瓜割をはじめていた。松林のなかにすると武藤のいる一団から声がかかった。 女休んでいた一団からも二三人が・ ( ラ・ ( ラと駈けつけた。だ「いまから渡ったって、金があらへんやないか。一晩でも 宿へ泊らんならんのやど」 が、もう二個とも、呆気なく割られてしまっていた。 し 「志村、お前一往復のって来て茶碗むいて来い。今日なら 美「阿呆くさ ! 」とひとりが私たちの方へ帰って来て云っ ぎようさん た。 仰山出来るわーと誰かが云った。 人々も、割れた西瓜を松林のなかへ運んで来た。そのとそのとき金本という車掌が奇声をあげて叫んだ。 「このひろ子さんが、金もってるて ! 」 きだった。誰かが叫んだ。 あっけ なが ちやわん
私は黙っていた。一人が梨を食ったというかどで、残りの上空を、古・ほけた練習機が飛んでいた。風に逆っている 全部の兵隊が制裁されることはまことに意味が無いことせいか、双翼をぶるぶるふるわせながら、極度にのろい速 ちょうど だ。数日間の此処での生活で、私は私の部下にあたる暗号力で、丁度空をっているように見えた。特攻隊に此の練 兵たちに、ほのかな愛情を感じ始めていた。意味なく制裁習機を使用していることを、一一三日前私は聞いた。それか されるような目に合せたくなかった。表情を変えず、私はら目を閉じたいような気持で居りながら、目を外らせなか とうじよう 込らへいそうらよう がんこ 頑固に押し黙っていた。吉良兵曹長は急に横をむくと、送ったのだ。その機に搭乗している若い飛行士のことを想像 していた。 信所の方に急ぎ足で入っていった。 * さ ばうのつ 私は元にむいて、食事をつづけた。私は、応召以来、佐私は眼を開いた。坊津の基地にいた時、水上特攻隊員を いぶす、 らん 鎮の各海兵団や佐世保通信隊や指宿航空隊で、兵隊として見たことがある。基地隊を遠く離れた国民学校の校舎を借 なまなま くつじよく 過ごして来た。さまざまの屈辱の記憶は、なお胸に生々しりて、彼等は生活していた。私は一度そこを通ったことが 。思い出しても歯ぎしりしたくなるような不快な思い出ある。国民学校の前に茶店風の家があって、その前に縁台 は、数限りない。自分が目に見えて卑屈な気持になって行を置き、二三人の特攻隊員が腰かけ、酒をのんでいた。一一 十歳前後の若者である。白い絹のマフラ 1 が、変に野暮っ くこと、それがおそろしかった。 すさ ( しかしもう死ぬという今になって、それが何であろう ) たく見えた。皆、皮膚のざらざらした、そして荒んだ表情 わいざっ ごう みら 私は暗い気持で食事を終えた。壕を出、落日の径を降をしていた。その中の一人は、何か猥雑な調子で流行歌を かんだか 甲高い声で歌っていた。何か言っては笑い合うその声に、 り、暗号室に入って行った。そして当直を交替した。 でんばうつづ 電報は多くなかった。今日の電報綴りを見ても、銀河一何とも言えないいやな響きがあった。 機どこそこを発ったとか、品物を何番号の貨車で送ったと ( これが、特攻隊員か ) いなか 丁度、色気付いた田舎の青年の感じであった。わざと帽 か、あまり重要でない電報ばかりである。当直士官に立っ だてしゃ あみだ ている暗号士がうつらうつら居眠りをしている。電信機の子を阿弥陀にかぶったり、白いマフラーを伊達者らしく纏 あたり 音が四辺に聞える。電信兵の半ばは、予科練の兵隊であえば纏うほど、泥臭く野暮に見えた。遠くから見ている私 る。練習機不足のため、通信兵に廻された連中なのだ。私の方をむいて、 「何を見ているんだ。此の野郎」 は頬杖をついたまま、目を閉じた。 先刻、タ焼の小径を降りて来る時、静かな鹿児島湾眼を険くして叫んだ。私を設営隊の新兵とでも思ったの ほおづえ けわし さから
顔は小さいのだが、その顔とは不調和なほど高い鼻は先がさん ! 」と呼んでしばらく気のつかないことのあったの 0 ていて、その鼻の両側には、犯罪人のような陰険な眼は、僕の頭がどうかしているからではなく、全くこの建物 が黒く澄み通っていた。頭は真白できちんと五分に刈り込のせいなのである。 くらびる た み、皺もない青白い顔には、暗紫色の唇が厚く垂れてい 僕は部屋へ入って、品物を仕訳しながら売上の伝票を書 まゆ ふ、げん た。やがて仙三は眉をしかめたまま不機嫌そうにいった。 いた。僕は露店の売子なのである。仙三が知合から刷毛を むすこ 「うむ。金沢の息子が死んでな。今晩お通夜なのだ」 仕入れる。それを僕が売るわけだ。そして僕は売上の一分 「金沢さんの息子 : : : ああ、あの少年ですか。仕方がない を月給として貰うのだ。月百五十円から三百円にはなる。 もらろん でしよう」 勿論それでは食えないから常に飢えているのである。それ そして僕たちは何事もなかったように、その言葉を挨拶に僕は一「三日前に、まだ来月までには十日もあるという がわりに行き違ったのだった。仙三は再び運命的な足どりのに、外食券を食い切ってしまっていた。勿論金なんかあ らんかん はず で橋の方へ歩いて行った。戦時中、欄干の鉄材という鉄材ろう筈はない。だが小岩の刷毛屋の問屋へ品物をとりに行 をとり除かれてしまったみす・ほらしいその橋は、そのためったとき、その主人が僕に何となく米を一升呉れた。そし に空襲のとき、数十人の避難者を水の上に落してしまったて僕も何となくその米を貰って来たのだが、そのおかげで までしの のだ。仙三はその死の橋の傍に、・ハラックを建てて、ただやっと今迄凌ぎをつけて来たのである。 ひとりで住んでいたのである。 売上の一分とはひどいと僕の隣に露店を出しているライ トの廊下にはむせかえるような煙が立ちこめて いター屋がいう。どんなに少くとも一割が相場だと憤慨して た。廊下といってもいつもじめじめしているたたきの土間甚だ民主的じゃないというのである。そこで僕は仕入から で、それが何の奇もなくその建物の中央を縦に一筋につら販売まで一手に引受けていて、僕の資本家はこの露店の権 ぬいているだけなのだ。その廊下をはさんで大小とりまぜ利を持っているだけというと、ストライキを起して要求し た部屋が十二室向い合っていて、その端の一室は炊事場とろという。だが売子は僕ひとりなのである。ストライキと ひぎよう 便所に仕切られている。だがその部屋部屋の構造や高い屋は同盟罷業のことだから、同盟する相手のいない僕にはス むなぎ けげん 根裏の棟木から長く吊り下っている暗い電燈の感じゃ、そ トライキの仕様がない由を説明すると、怪訝な顔をして沈 し の建物に沁み込んでいる陰鬱な調子などは、僕の服役して黙した。全く僕が飢えているということがそれほど重要な いた田舎の刑務所そっくりで、僕が思わず仙三を「御担当ことなのだろうか ! しわ いんうつ すいじ あいさっ はなは ムんがい
らりとり すみ うに仙三が動くたびに揺れる彼の胸の勲章を物憂い心で眺 場の隅にある大きな木製の塵取には、白いかびが生えてい らゆうかい めていた。しかもその勲章は、仙三が菜を茹でている鍋の て、あらゆる種類の厨芥が投げ捨てられて異臭を放ってい た。一方の板壁に焼け亜鉛が張ってあって、生活の疲れを蓋をとるたびに湯気にさらされて鈍い銅色に光り出すのだ すいじば 見せているさまざまな種類の焜炉が並んでいた。そして他った。だがやっと仙三が跛をひきながら炊事場から去る と、主婦たちは忌々しそうに愚痴をこ・ほし合うのだった。 の一方の板壁に沿って長い木の流しがとりつけてあって、 ~ 、わ・ 21 、り それはもうぼろぼろに朽ち、いたるところから水が洩るの「本当に嫌ねえ。 : : : 栗原さんに炊事場へ入って来られる っえ とぞっとするわー だった。そこに思いがけなく仙三が杖をつきながら、フロ ックコートを着て立っていた。その彼の胸には勲八等の勲 「あの人はまるでここの殿様みたいなのね。何をしても文 むすこ 章が下っているのだった。そして顔をしかめながら立って句をいうのよ。昨日だってうちの息子にまでお説教なんで いる彼は、この場所では何か醜悪だった。だが彼はふいにすの。お酒を飲むといって」 一人の主婦へ押付けた威厳のある声でいい出したのだっ僕はその女たちの間へすべり込んだ。そして昨日の残飯 やきめし をフライ。ハンで焼飯にしたのだ。僕はそれを出来るだけ不 「あんたはその大根の葉っぱを捨てるのかね ? 大根の葉器用にやった。すると女たちは奇妙に静かになって、一人 つばにはヴィタミンが根より多くふくんでいるのだ。それ二人と炊事場を出て行ったのだった。そして遂に炊事場に さっき ためいき いるのが僕ひとりになると、思わず僕は深い溜息を洩ら を捨てるのは全く命を捨てるようなものだ。わしは先刻も いうように単なる経済からいうのじゃない。食生活の合理したのだった。自分自身が重かった。そして人間が重かっ た。帰りの廊下でおぎんに会った。彼女はひどく興奮して 化のためにいうのだ。全く大根の葉っぱは枯れたものさえ つけもの いた。彼女は坊さんがまだ来ないといっていら立っている 千葉といってな、漬物にしてもうまいもんだ。それにわし は仲仕をしていたとき足を挫いたことがあったが、その干のである。彼女は僕までつかまえていうのだった。 「七時という約束なのに何しているのでしようねえ。ああ 葉を入れた湯を立てて立派に直したことがありましたよ」 たま そしてまた仙三は、フライ・ハンの取扱方を若い主婦に教ほんとに忙しい。堪らないわ。それに何かいつも自分のし えた。彼は右手で杖を握りしめながら、左手で器用にフラたいことと違ったことばかりしているような嫌な気持で イバンのなかのものをかえして見せるのだった。そしてま た彼は菜の茹で方に苦情を持ち出すのだった。僕はそのよそして荷扱夫の妻を見ると怒鳴るようにいうのだった。 なかし にぎ くじ こんろ びつこ ものう
めに独占使用してるじゃないか。僕はほんとに君の身勝手えたくないらしい。それに彼は一軒の独立家屋を所有する には呆れ果てているんだ」 ことに異常な熱意を示しており、時々そういうことを僕に どな どちらが身勝手かと腹が立って、勝手にしろと怒鳴って洩らしたこともあります。一軒の家を自分のものにして、 まつばだか やりたかったのですが、もし呉れなきや真裸になって女生田舎から老母を呼び、そして適当な相手を見付けて結婚し 徒の前をウロウロするそ、などと言い出してきた。自分のたい。それが彼の小市民的な理想なのに、不破、陳の両人 からしてやられ、しかも僕という男と同居の羽目に立ち到 家で全裸になる分には、誰からもとがめられる筋合いはな った。それが腹が立ってたまらないらしいのです。その忿 いとの言い分です。この男だったらやりかねないことだ し、そうなれば生徒は皆次回から通って来なくなるでしょ懣はほんとは自分に対して向けられるべきなのに、当面の あご う。僕の顎はたちまち干上ってしまいます。そこで僕は涙僕にぶつつかって来るというのが真相らしい。しかしそれ を呑んで野呂の言い分をいれた。額だけは一割に値切ったで黙って引き下っていては僕の立っ瀬はないじゃありませ ふんまん が、それでも千一一百円ということになります。忿懣を胸にんか。 ごと またこんなこともありました。ある日の夕方僕が板の間 蔵して僕は月末毎に千二百円を手渡すのです。 しかし今考えると、これらは単に野呂のケチンポ根性かで画を描いていると、折しも学校から戻ってきた野呂がに こにこしながら、 しいものがあるよ、と僕に一枚の小さな らだけではなく、僕に対する嫌がらせの意味も充分にふく まれていたらしい。そう僕は思います。すなわち野呂は不板チョコレートをつきつけました。野呂にしては珍らしい 破から家を買うために手付けを置いた。手付けを置いた以ことですが、念のために訊ねてみました。 上は、この家の権利は自分にある。ところが僕の方は初め「うまそうなチョコレートだが、一体いくらだね ? 」 秋から間借人である。そういう心理からどうしても彼はぬけ「売り物じゃないよ」野呂は瞬間イヤな顔をしました。 春られないし、また頑強にぬけ出そうとしないのです。だか「今日学校出入りの商人から貰ったんだ。食べたきや上げ しそうろう るよ」 家ら彼は心の奥底では、僕を間借人または居候視していて、 ポ嫌がらせすることによって僕を追い出そうと試みているの 「へえ。君にしてはずいぶん気前がいいんだね。じゃ、 ではなかろうか。どうもそんな風に思われます。僕の側か ただこうか」 らすれば両人とも四万円ずつ出したのだから、家に関して「どうぞ。君は近頃顔色が悪いから、こんなもんでも食べ は同等の権利を持つべきだと思うのですが、野呂はそう考た方がいいんだよ」 あ、 ひあが ふう