しかし城介が酔っていることは、彼にも判っていた。城介 「じゃ断れよ」 は奉公をしている関係で、酔いを殺して飲む術に長けてい 城介は使者に言った。 「即日帰郷になったりしたら、面目がないから、壮行会はたからだ。彼は言った。 お断りします。うちでかんたんにやりますからーーー」 「もうそろそろ出かけた方がいいんじゃないか」 窮屈で酒がうまくなかったというのは、その夜の小宴の城介は素直に盃を伏せ、一一人は店を出た。暗い道を宿 ことだが、結構城介は飲み且っ食って、やはりうちはいし 舎に歩く途中、うらぶれたような飲み屋があって、入口に 、ん らようちん なあ、と好機であった。身内だけの宴で、幸太郎はつい赤い提燈がぶら下っていた。城介は足を停めて、腕時計を に姿を現わさなかった。若干自尊心を傷つけられたのであのぞいた。 ろう。酒が一本、届けられただけである。 「まだ一時間ぐらいある。もう一、一一本飲んで行こうや」 しる 関東煮は汁がすこし甘過ぎた。 「お互いに酒だけは強くなったな」 二十四、五の白粉をべっとりつけた酌婦が、卓によりか 彼は城介に言った。 かるようにして、同じ文句のどどいつを、何度も繰り返し 「おれが初めて酒を飲んだのは、お前を東京に送りに行ってうたっていた。 「朝顔の花はばかだよ根のない垣に た駅前のうどん屋でだ」 ちょうし 命がけしてからみつく 「そうだったな。お銚子半分で、兄貴は真赤になってい た」 酒はさっきの店よりも、水つぼかった。あるいは二階で 「そうだ。足がふらふらした。駅の向うは麦畑で、ゴッホ売春させて、酒やつまみものは二の次という店なのかも知 れない。そう思いながら、彼は盃を傾けていた。突然城介 が使うような黄色で、熟れてむんむんしていた」 が話を変えた。 「そうだったかな」 「プラットホームにきれいな花が咲いていた。あれは六月「ねえ。兄貴。おれには子供がいるんだよ」 「子供 ? 」 何日頃か」 何か話したいことがたくさんある。そんな気がするの城介は血走った眼で、ゆっくりとうなずいた。 同じ東京にいて、時々会っていたけれども、城介は今ま に、実際には何もなかった。一一人で六本あけて、彼は少々 うそ めいてい でそんなことを、一口も洩らさなかった。しかしそれが嘘 酩酊して来た。城介はほとんど顔色は変っていなかった。 おしろい しやくふ わか
から順々に路地に曲り込んだ。彼も曲り込もうとして、婆校長の進退にも関係して来るから、いろいろ協議の結果、 どよいた はず さんを振り返ると、婆さんは溝板を踏み外して、片足を溝「そんな大げさなことはやめにして、生徒の登校下校時を に突っ込み、前のめりに倒れていた。婆さんの絶叫がやん見張って、犯人を探し出す」 かど だのは、そのためであった。彼は曲り角で走りやめた。彼ということで話がついた。 の気持は引き裂かれた。 それで困ったのは、城介である。城介が一、番よく顔を見 ( このまま逃げようか。それとも戻ってたすけようか ) られているし、彼一人なら裏門からでも、塀を乗り越えて しかし反射的に、城介は現場にかけ戻った。逃げるのがも登校出来るが、彼そっくりの栄介という双生児がいる。 はず こわかったのか。これが見捨てて置けるかという正義感だあのおかみさんがそれを見逃す筈がない。思い余って城介 は、父親の前に坐って首を垂れた。 ったのか。婆さんはうつぶせになり、地べたをかきむしつ てうなっている。城介が抱き起した時、その溝板の家のお「お父さん。ぼくはもう学校をやめる」 かみさんが、不審そうな表情でぬっと顔を出した。城介は「なぜだ ? 」 福次郎は驚いて反問した。 早ロで言った。 「もう学問がイヤになったのか ? 」 「この婆さんが怪我をしたらしい。よろしく頼みますー 「それもあるけれど、実はーー」 そして彼は婆さんをまた地面に戻し、学校の方に走っ た。結果としては、これが一番まずかったのである。わざ わざ城介が戻らないでも、誰かが婆さんを見付けて、介抱それを栄介が知ったのは、城介から聞いたのではなく、 しただろう。すると城介のやったことは、自分の顔をおか福次郎からである。栄介は城介を責めた。 みさんに見せるために、かけ戻ったようなものであった。 「どうしておれに相談しなかったんだい。 うどんの食逃げ わか あとで判ったことだが、婆さんの転んだ怪我は大したも はよくないが、それだけなら停学の十日ぐらいで済んだ筈 のでなかった。ただそのショックのために彼女は発熱しだよ」 て、十日間余り寝込んだ。 「それがダメなんだよ。兄貴」 ア、ど うどん屋のおやじは激怒して、学校当局にどなり込ん城介は父親の命で、長持の置いてある薄暗い納戸に謹慎 だ。全校生徒の首実検をさせろという要求である。校長もさせられていた。仕事と言えば裏の菜園の草むしりとか、 ふろ みずく 弱ったらしい。首実検で新聞だねになってはたいへんだ。風呂の水汲みぐらいで、外出出来ないものだから退屈し ころ ばあ すわ なんど 、んしん
わく べッドの鉄枠にネクタイを結び、頸を突っ込んで、体を 「ええ。発作を時々起していたね」 こうしゆけい 床下に落下させた。絞首刑と同じゃり方である。その方が ひね ( ゼを器用に裂いて、加納は答えた。 けいこっ 「治療としてはアドレナリンの皮下注射、エフェドリンの見苦しくないし、頸骨が砕ける可能性もあって、苦痛がす くないという城介の説であった。 内服ぐらいなもんですな」 「ほんとかねえ」 「パビナールは ? 」 「まだ使 0 てなかったと思う。ォルドス作戦の頃からじゃ栄介は首をかしげた。城介がと 0 さにつくり話をしたの か、といぶかった。竜介の死についての記憶は、ただ暗欝 ないかと思うね。でも彼は、自分のことを、あまり語りた はいびようとう な肺病棟の記憶だけである。おそらく城介のもそれだけで がらなかったね」 なべ あろう。栄介と城介は、故郷においても東京においても、 加納はハゼを鍋にじゅっと投げ込んだ。 「自分は城介君とあんなに仲がよかったのに、身の上話はほとんど長兄について話を交わすことがなかった。あると ほとんど聞かなかった。あんたのことは言ってたよ。自分しても、 「竜兄さんが今生きてりや、いくつになるのかな」 にはふた児の兄がある。おれの方が先に生れたのに、弟に という程度で、つまり一一人にとって竜介は、すでになじ なったのは変な話だって、笑ってたよ」 みのない過去の人であった。 「それだけかい ? ー 「うん。いや。もう一人の兄貴のことも、聞いたことがあ ( しかしあの時 , ーー ) と栄介はちらと考えた。 る。共産党になって、病院で自殺したんだってね」 ( おれたちは竜介の死顔を見せてもらえなかった。幼ない 「自殺 ? 」 おれたちにショックを与えたくなかったのか、それとも 栄介は思わず大声で反問した。 「自殺したって ? ー 自殺であったなら、その事実を誰が城介に教えたのか。 「あんた知らないのかい。そりや言うんじゃなかったな」 くわ らよう 城介が加納に話したのは、その自殺の方法であった。丁しかも縊死の状況まで詳しく。そしてなぜ城介はそのこと 度その頃、便所で首をくくって死んだ兵隊があり、それかを、栄介に教えて呉れなかったのか。栄介は瞬間的に昏迷 を感じながら言った。 らその話になった。 「そりやきっと城介のつくり話だよ。あいつは時々人をか 「おれの長兄も繰死したんだ。ただしぶら下りじゃない」 ほっさ
「お前はもう兵隊なんだろう。酔っぱらうと叱られはしな 中学校を卒業して以来、彼は・ハリカンを持ったことが一 いか」 度もない。城介はしきりに痛がった。 「まだ兵隊じゃないんだよ」 「痛え。痛え」 城介は笑った。 城介はさかんに痛がって、大げさな悲鳴を上げた。実際 「明日船に乗っても、まだ兵隊じゃない。どこかに着いて彼の腕は鈍っていたが、大げさな悲鳴は幼ない弟や妹への たび から、正式に初年兵になるんだよ」 サービスのためでもある。悲鳴を上げる度に、弟や妹は喜 「ほんとかい」 んで、笑いさざめいた。弟妹は城介を見るのが初めてで、 「ほんとだ。さっきそう教えられた。まだ入隊してないん「東京の兄さん」 だから、一人前の兵隊面をするなって。今は何を飲み食い 「東京の兄さん」 しても、おれの勝手なんだ」 と、城介が帰った日から、まつわりついてばかりいた。 一人前の兵隊面をするな、という言葉を、逆に解釈して「ああ、痛かった」 いるのではないか、と彼は思ったが、とめるわけにも行か 刈り終ると、城介は妹に鏡を持って来させた。 なべ ばたけ なかった。で、そこらの居酒屋に入った。店内は鍋から立「兄貴。ひでえ刈り方をしたな。まるで段々畠じゃない っ湯気などで、かなりあたたかかった。城介は鳥打帽子をか」 脱ぎ、頭を撫でた。 「すぐ伸びるよ。伸びたら、段々も消えてしまう」 ちょうど 「頭を刈ったら、やけに寒さがしみ渡るよ」 丁度その時、幸太郎の店の者が使者として来た。祝出征 そしてお酒と関東煮を注文した。 の宴を幸太郎宅でやりたいから、今夜来て呉れ、という用 「おやじゃおふくろの前じゃ、窮屈で酒もうまくねえよ。件だ。しかしその宴は、今夜うちでやることになってい 凧やはりこんなとこでないとねえ」 城介が頭髪を刈ったのは、昨日の昼である。彼の家の前 福次郎は会社に出ていたし、母親は台所でその支度をし 狂庭で、栄介が手ずから・ハリカンを使った。矢木家は裕福でている。 ないので、床屋には通えない。子供の時から、お互いに刈「兄貴。どうしようか」 り合うのである。床屋だと金がかかるが、お互いだとタダ城介は彼に相談した。 「あまり行きたくないな」 づら しか したく
せいれ 「聞いたけど、教えて呉れなかった」 ている。彼の小学校の友達に造酒業の伜がいて、一「三度 城介はタ・ ( コに火をつけた。マッチを持つ手がすこし慄その家に遊びに行ったことがある。その家や塀の感じが、 えている。 暗がりではっきりしないけれども、ここと共通したところ 「朝鮮か満洲だと思うんだがね。今晩はここ泊りで、明日があった。 「ははあ。造り酒屋なんだな」 乗船だ」 彼は髞った。 「兵舎に泊るのか」 * とじ 「杜氏の寝る部屋にでも泊らせられるのか。寒いだろう 「いや。民家だ。地図を書いてもらった」 そして城介はコーヒーを注文した。 やがて城介が出て来た。元のままの服装である。 「台湾だといいんだがねえ。おれ、寒さが一番にが手なん まで 「十時迄にこの宿舎に入ればいいそうだ。それまで遊ぼ 「台湾かも知れないよ」 「でも台湾じや戦争をやっていない。どうしても北方だ「そりやよかったな」 な」 城介は建物を見上げ、その形を確認した。それから盛り コーヒーを飲み終えると、一一人は外に出た。地図をたよ場と思われる方向に、一一人は歩き出した。 りに歩き出した。彼が覚えているのは、その町筋の暗さで ある。下関市民は早寝をする習慣があるのか、寒いので戸先ずパチンコ屋に入って、パチンコをやった。という風 をしめ切っているのか、おそらく後者だったのだろう。三に彼は覚えているけれども、。 ( チンコが出来たのは戦後の 十分ぐらいかかって、その民家を探し当てた。軒の低い家ことだから、戦後の記憶がそこに紛れ込んでいるらしい 並の中で、その建物はぬっと夜空にそびえていた。 あるいは遊技場みたいなところに入ったのか。 「どうもここらしい」 「兄貴。酒を飲もうじゃよ / い、か」 城介は足をとめた。 言い出したのは城介の方からだ。寒いので彼も飲みたか 「入って聞いて来るから、ちょっと待ってて呉れ」 ったのだが、城介の身柄を思って、辛抱していた。 「飲んでもいいのかい ? 」 くぐり戸から城介は入った。栄介は道の真中に佇って、 きけかす 「なぜ ? 」 その建物を観察した。酒粕のにおいが、かすかにただよっ まぎ
178 アス・ヒリンに似た結晶粉末である。城介は皆の見ている前るので、咽喉の鳴りは止まなかった。城介は深い昏睡状態 におちいって、失禁していた。 でそれを口に含み、一気にパイチュウで嚥下した。 「昨夜の白い薬だな」 「何をのんだんだい ? 」 加納はそれを見とがめて言った。 歯がみしたくなるような気持で、加納は思った。あの時 . 「何でもないよ」 すぐ吐かせればこんなことにならなかったろう。 城介は答えた。むしろ浮き浮きした口調であった。 「昨日風呂に入ったのも、その覚悟だったんだな」 からだ 「どうせこわれた体だよ。この方がよく効く 城介は風呂に入るのを、面倒くさいと称して、あまり好 つも体を拭くだけにとどめていた。それが すぐ話題が別に移ったので、粉末のことはそれで済んまなかった。い だ。その夜は歌をうたったりして、皆すっかり酔って寝甕風呂に入り、念入りに洗ったというのも、その覚悟だっ たに違いない。 直ぐに兵隊が担架を持って、かけ込んで来た。城介の体 翌朝加納が眼をさますと、城介の呼吸音が変なのにすぐ せんじようかんちょう 気がついた。加納は城介の隣に寝ていた。いびきとも違は病院に運ばれた。胃洗滌、灌腸などが行われたが、城介 ねこ う。咽喉が猫のようにごろごろ鳴っている。はっとして、 の意識は戻らず、正午に死んだ。べロナールの中毒死だと びこう 向うむきになった城介の顔をのそくと、鼻孔からクリーム判った。 状のどろどろしたものが流れて、下の毛布にまで垂れてい 加納たちは同室だったという関係上、一応の取調べを受 る。鼻呼吸が出来ないから、咽喉が鳴っているのだと判っけた。しかし加納は、飲酒中に白い粉末をのんだことは、 * しゅ とうとうロ外しなかった。彼等は白木で墓標をつくり、酒 に交渉して清酒を出させ、それを墓標にかけてやり、残 「たいへんだ。みんな起きろ」 りで追悼の宴をした。 残る三人も飛び起きた。 それから一週間後、彼等は厚和を出発して、内地に向っ 「どうしたんだ ? 」 「矢木の様子がおかしい。すぐ兵隊に担架を持って来させた。 ろ」 一人が飛び出して行った。加納はガーゼでどろどろのも栄介に頼まれた通り、私は新聞社に行った。その社には のを拭ってやった。しかし鼻孔の中にもぎっしり詰ってい私の友人がいて、快よく引受けて呉れた。加納探しの文章 のど たんか のみくだ かめ ついとう こころ こんすい
でないことは、表情や口調ではっきりと判った。 「どんな風にーー」 「いくつになるんだ。その子は ? 」 「おれたちはふた児として生れた。しかしおやじは自分で 「三月に生れる予定だ」 名をつけなかった。名をつけたのは、他の人だ。その人が 「結婚の約束をしたのか ? 」 今兄貴に学資を出しているーーー」 * ほら . 21 ′、 城介は首を振った。 ある思いが磅として彼の胸に押し寄せて来た。はは 「じゃ妊娠させたまま、東京を離れたのかい ? 」 あ、城介はずっとそんなことを考えていたんだな。い っ頃 「そうだよ」 からそんな考えを持ち始めたのだろう。混乱する頭の中 栄介はにがそうに盃をあけた。 に、そんな疑問がっき上げて来た。しかし彼は冷静をよそ 「結婚は出来ないんだ。その女は人妻なんだから」 おい、強引に話題を引き戻した。 たず 「人妻 ? するとその子は、お前のかその亭主のか、どう「その人妻って、誰だね。何ならおれが訪ねてやってもい して判る ? 」 「そうなんだ。しかし女はそう信じている。信じているか「誰かということは言えないよ」 らには、何か根拠があるんだろう」 城介は突っぱねるような言い方をした。 城介は唇を歪めた。笑うつもりらしかったが、声にはな「自分のやったことは、自分で決着をつける。兄貴に迷惑 らなかった。 はかけん」 「しかしこちらには根拠がない。絶対にないわけじゃない 「決着をつけるって、無事帰還をするつもりかい」 が、絶対にあるということもない。思えば父親なんて、あ気分が急に残酷に傾くのを感じながら、彼は言った。し やふやなもんだな」 かし城介はそれを冗談として受取ったらしい 凧彼は黙っていた。黙って考えていた。 「人を葬る商売から、人を殺す商売に変るだけだよ」 「たとえばおれたちだってさ、おふくろから生れたのは事城介は短く声を立ててわらった。 狂実だ。しかしおやじのタネだとは、はっきり 「慣れたもんだから、ヘマはしないよ。そうやすやすと死 ろれつ 城介の呂律は乱れた。 んでたまるもんかね」 コ = ロい切れないと思うよ。おれは時々そんなことを考え そして城介は腕時計をのぞき、ゆっくりと立ち上った。 た。おれたち一一人のことをね」 「もう十五分しかない。出よう」 ゆが ふう
162 という好奇の視線に。 「僕はもう勉強はイヤになった」 「天ぶらうどんを二つ呉れ」 勉強がイヤになったのではなく、正規の中学から夜学へ おとな そして城介は大人ぶった声でつけ加えた。 移る、その方にイヤさの重心がかかっていたのだ。この土 「ついでに酒を一本ー 地で奉公するのも、同じような意味で面白くなかった。事 女中が奥に入ったあと、栄介は城介に聞いた。小さな声件の共犯者たちが通学しているのに、同じ街でこき使われ る。 で。 「お前。酒飲むのか。好きなのか ? ー 「どうせこき使われるなら、数百里離れた東京の方がいい 「いや。好きじゃない。いっか台所におやじの残り酒があと思ったんだよ」 ったから、飲んだら顔がほてって仕方がなかった」 酒と熱いうどんのために、二人の顔はほてって赤くなっ 栄介は黙っていた。酒とうどんが来るまで、沈黙が続いていた。 た。酒をコップ二つに分け、にがそうに飲み干した。うど「でも幸伯父は、葬儀屋なんて、へんな知合いを持ってる なあ」 んに箸をつけながら栄介は言った。 ゅううつ 「城介。お前、憂欝じゃないのか」 栄介は言った。 「何が ? 」 「昨夜、お前がやり方を覚えて戻って来たら、開店の資金 「東京にひとりで行くことだよ」 は出してやると言っていたな」 「酔っぱらっていたからだろう うどんを口に入れているので、城介の声はくぐもった。 「いや。案外本気な口調だったぞ」 「憂欝じゃないこともない。でも、ここで奉公するよりも頭や体がじんじんするのを感じながら、栄介は言った。 こんたん 「自分の葬式を出させようという魂胆かも知れない」 中学の中途退学では、まともな職はなかった。その頃は城介は突然大きな声で笑い出した。 不景気の時代、学校出でもろくな職はなかったくらいだか「その時は半額ぐらいでサービスしなくちゃいけないな」 笑いを収めて、城介は言った。 ら。したがって仕事と言えば、どこかに奉公するしかなか った。福次郎は城介に、昼間は会社の給仕になり夜学に行「兄貴。心配しなくてもいいよ」 「何を ? 」 ったらどうか、と勧めたが、城介は拒否した。 からだ まら
218 「どちらかと言うと、城介君は山よりも海が好きだったよ やと光った。城介はタオルで拭きながら、話題を変えた。 うですな」 「東京が空襲されたことを知ってるかい ? 」 加納は私に説明した。 ドウリットル空襲のことである。 「その飛行場を押えるために、近い中、作戦が開始される「人間には山型と海型と、一一つに分けられるらしい。生れ らしいよ」 つきですかな」 「するとまた野戦病院の移動か」 軍用船から汽車で大同に着く間、加納は無意識裡に、と ゅううつ いうより何か心がかりで、ちらちらと城介の動きに注意し 「まあそういうことになるな。憂欝だね」 ていた。しかし彼がパビナールを使用している現場を、あ そんな会話をしたから、四月頃のことだろう。ところが 予想に反して、彼等は大同に戻ることになった。その帰還るいはその気配も、加納はとらえ得なかった。 の準備中に、 ハビナールがごっそり抜き取られたのであ「しかしやはり矢木君はやってたんだね」 る。 加納はパイチュウをぐっとあけた。 「部隊の中で、全然打ってない奴。その徴候も動機もない 「まさか矢木が ? 」 やっ 奴。これをマイナスの人間としましよう。そんなのを名簿 と加納は一瞬いぶかった。ォルドス作戦前後、城介がパ ビアトを時々使用していたことは知っている。しかしそれから順々に消して行くと、。フラスらしいのが何人か残る。 そな は一時的な鎮静の意味で、常用すればどうなるか、衛生兵そのプラスの中で、もっともその条件を具えた、疑いの濃 ぐんそうしば として知らないわけがない。加納はその思いを一度は打消厚なのが、城介君なんだね。矢木軍曹に絞り上げられるん した。しかし薬品管理、ことに麻薬関係は特に厳重になつだ。上層部ではすでに城介君に目星をつけていたらしい」 いちまっ ていたので、部隊外から盗まれたとは考えられない。一抹 の疑念が加納には残った。 汽車は大同に到着。加納と城介たちはまた厚和の野戦病 南下と同じコースで大同へ出発。甲板の上で城介は加納院に戻る。帰還要員の指名を受ける。 に一一 = ロった。 ある日衛生兵がオンドルの焚きロの中に、かなりの数量 うしろがみ から・ 「後髪を引かれる思いだねえ」 の空アンプルが捨てられているのを発見した。調べて見る さっそく うれ 冗談めかしたような、いくぶん憂いを帯びた口調であっと、全部バビナールである。早速部隊長に届け出た。 加納は医務室でそのことを知った。城介を捜し求めた。 かんばん やっ
城介は宿舎に引っくり返って、慰問品の小説本を読んでい やがて部隊長から呼出しが来た。部隊長は中田という軍 た。帰還要員なので、サポっていても、とがめる人はいな医で、香港から戻って少佐に進級していた。進級のことば いのである。 かり考えている陰性な性格の男で、部下に対する思いやり 「矢木。。ハビナールを打っていたのは、やはりお前だったのないエゴイストとして、評判が悪く嫌われていた。そこ んだな でどういう会話がなされたのか、加納は知らない。入院加 療を命じられたには違いないが、城介は拒否した。 加納はやや語気を荒くして言った。 「空アン・フルが見付けられたぞ」 「拒否することが出来るんですかね ? 」 私はすこし驚いて加納に聞いた。 「そうか。オンドルの中のか」 城介は本を投げ捨て、ゆっくりと起き直った。すでに覚「上官の命令は絶対的なものでしよう」 悟をきめた、捨て身の気配が感じられた。 「原則としてはそうですがね 「捨てたのは、確かにおれだよ」 加納は奥歯を噛みしめるようにして、ちょっと考えた。 「何故そうなる前に、おれに相談しなかったんだ ! 」 コ一つの場合が考えられるんですよ。ひとつは中田少佐の 加納は詰め寄るようにして言った。 性格だ。部隊の中から中毒者が出たということになれば、 「その前に言って呉れりや、どうにでもなったのに」 隊長の責任になる。それまで放置していたことを、師団軍 おくびよう 城介はしばらく黙っていた。やがてだるそうに口を開い医部に報告は出来ない。隊長は小心で臆病者でね。どうせ ぜんげん 城介君は帰還要員だし、パビナ 1 ルの量を漸減するという 条件で、入院命令を撤去したんじゃないかとも思うね。そ 「もう部隊長に報告が行ったのか ? 」 はず して城介君は薬品取扱いの任から外された」 加納はうなずいた。 「じゃ彼はもうパビナールの入手は出来なくなったわけだ 凧「そうか」 城介は投げ出した本を拾い、丁寧に頁を揃えた。うつむねー 「いや。そうも行かないですよ。城介君は上に悪く下に良 狂いたまま言った。 「相談したって仕方がない。お前には判りつこないよ。おしでね、後輩の衛生兵たちも、彼を兄貴のように慕ってい いくらでも た。人望があったんだね。そんなのに頼めば、 れのことは、おれが始末する」 わざわ 都合をして呉れるんだ。かえってそれが彼に禍いをしたと 「始末出来るわけがないじゃないか。病院に入れよ」 ていねい べージそろ わか