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検索対象: 現代日本の文学 39 野間宏集
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1. 現代日本の文学 39 野間宏集

みるということだった。もう彼には一刻もじっとしている補充兵に自分の存在を知らせようとする古年兵と同じよう と、う訳こよ、 し ; . ぐえ、し、刀 / 、刀十ー 、よ、つこ。しかし彼は班内をでて残留にに行動することはできなかった。以前、入隊して三週目に なった兵隊たちゃ、病気のために外出止になった学徒兵た面会が許されたとき、彼の兄の嫁は子供をつれて、巻ずし ちを取りかこんでいる多勢の家族たちをみると、そこに近の包みをもって来てくれたが、そのときにはいつも姉のき づいて行くことはできなくなった。彼らは衛兵所の眼をまつい言葉を荒々しい太い動作でふり切ってきた彼も、その ぬかれて持ちこんだ食物を兵隊の前にもちだして、勝手の背の高いお天気もんの姉がこの上なく懐しく思えたもので ちがった眼をときどき周囲にむけながら、せきこんでたずある。それは彼の心に訴えたいものがたまっていたからだ ねたり、笑ったりした。兵隊たちは赤くふくれ上った手にった。ひとの店で飯をた・ヘてきて、身軽に身体をうごかす じようか 大事そうに上靴をそろえてもっていたが、たえず、顔と眼ことのできる彼も入隊後最初の一週間で、うちのめされて を動かして、そわそわしていた。ときどき誰かが敬礼と叫いた。 ぶと、彼らは立ち上って方向をみさだめ敬礼した。 「毎ばんなぐられてるがな : ・ : このまま、半年ほど次の下 営庭は一面に着物と外套と髪の毛と白い顔のはんらんだの兵隊がくるまで、これで行くのやそうや : : : 」 った。母親や父親や家族のものたちは営庭の土の上に出さ「それをつとめてこんことにはなあー、松屋町の文次さん れた椅子に坐って砂をふくんだ風に冷たく吹かれていた。 も、きのうきて、いうてたが : : : えらいもんやて : ひぎ 小さい男の子供が、年寄った兵隊の膝の間にはいってたべも、しんぼうせんとあかへんぜ : : : 」彼は姉の細長い四角 ものをたべていた。その兵隊は日にやけたしなびた顔をしい尻が動きながら、義一の兄ににて小さいかりたての頭を えりしよう ていたが、その面会用にきた一一装の外出着の襟章の一つ星つれて、衛門の方へきえて行ったのを思い出すことができ おもちゃ は玩具の星のように黄色かった。学徒兵がそれらのなかにる。しかしいまでは彼はやはり姉の家のやっかいものだっ たび 帯交って坐っていたが、そこだけには、うすくはなやかな色た。その後、彼が外出する度に小使銭をもらいに行くと、 地が舞 0 ているようだ 0 た。そして洋装の女たちの細い ( 木ああ、また、帰 0 てきたかという顔が彼を迎えた。しかし 谷にはそう思えた。 ) 顔がみえた。そしてそれは彼に曾田軍隊で古年次兵に気に入られるためにはやはり何より金が 真 を思わせた。木谷は経理室の前をさけて、小銃隊の営舎の必要だった。それ故に彼はそのあらわにいやな顔をみせる 方から人々の方に近づいて行ったが、その廻りをうろうろこの姉に、顔の皮をあっくして金をほしいんやけどと申し しながら、肩をくんだり、たたきあったりして、面会中のでたのだ。・ ・ : しかしいまでは彼の兄とこの姉は一層彼を しり

2. 現代日本の文学 39 野間宏集

266 ところまで行った。しかし彼は兵隊が外出にさいして衛門式令の条文だった。彼の眼はたとい一人の上官をも見落す を向う側へとおりぬけるときに感じる、あの、「ざまみやことがあってはならなかった。 がれ」という感情をもっことはできなかった。 ( ざまみや軍人 ( 特ニ規定アル場合ヲ除ク外上官ニ対シテ敬礼ヲ行 がれ、追っかけてはこられんやろ ! ここまでは。 ) 曾田 ヒ上官ハ之ニ答礼シ同級者ハ互ニ敬礼ヲ交換スへシ の胸には部隊 ( 軍隊 ) にたいしてはきかけるこのような言敬礼ヲ行フトキハ通常受礼者ノ答礼終ルヲ待チ旧姿勢ニ こ復スルモノトス 葉が今日もでかかっていたが、それは彼のうちのどこか冫 ひっかかっていて外にはでてこなかった。彼は衛兵所で中曾田の時間、空間は条文のなかにあった。 隊名と行先とを書き入れて衛門を一歩またいだが見る見る府庁の前の公園の葉をおとした藤の下に腰をおろした ゴムのような或いは雲のようなものが衛門のうちから自分二人連の若い男を曾田はみたが、その二人がひょいと顔を の後を追うてくるのを感じた。それは紐のような、また手あげて自分の方をみたとき、その寒そうな細い表情をした のような形をしているかのようだ。それはいつも彼が衛門二人の顔は人間の顔だ。以前曾田が、この二人のいる世界 あた にいたとき、この辺りを通ったとすればそのさむい日当り を一歩外へでるたびに後からついてくるのだが、それはど こまでも部隊のなかからくりだされ、のびてくる。彼は部で二人と同じように腰をおろして、この再びくもって灰色 隊から紐をつけてだされた人間だから、再びたぐりよせらになろうとしている空に向かってのんびりと煙をふき上げ れて、そこに引きもどされなければならない人間だった。 たかもしれない。い やその位のことはいまの彼にも巡察将 街を人々はあるいていた。人々はのんびりとあるいてい校の眼をぬすんでやれば出来ないことではない。しかし彼 ばんば た。馬場町の公園前は電車を待つ人々がいつまでたってもの吐き出した煙は二人の男の煙とはちがって別の空へ昇っ 電車がこないためだろう、次第に多くなり、歩道の方にもて行くだろう。 あふれていた。大阪城の天守閣がそのうしろにくらくかが曾田は以前中学の教員であった頃、この電車道の左側に ゃいていた。公園の灌木のなかに人影が動く。そして彼ら菊の紋章をつけてつったっている白い大きな府庁の建物の はみんなのそりのそりと歩いているようにおもえた。彼ら玄関をくぐって、学務課に辞令を取りにきたり、校舎の修 の足はしばられてはいなかった。彼らには部隊の紐がつい 築予算の資料を代理でとどけにきたりしたことがある。彼 てはいなかった。しかし曾田の足をしばっているのは、歩はいまもこの府の学務課の予算内から給料のでている人間 兵操典の条文であり、曾田の眼をしばっているのは陸軍礼なのだ。しかしこの照空燈と長い耳をもった聴音器を屋上 そうてん ある ひも ふく ほか

3. 現代日本の文学 39 野間宏集

「なにをさらっしやがっか : 。やろ、やろ、やろ、お前野上等兵をたおした木谷をよろこんでいた彼も、いつまで らのような・ = ・・・ = 一年兵のなりたてとはちがうぞ、おい、四も際限なくなぐりつづける木谷の姿に身の内が冷たくな 0 かんごく 年兵の監獄がえり 2 ハッチをみせてやるから、そこいた た。彼は補充兵たちの間をわけて、木谷のうしろからその て、たて、たて。」 肩をひいた。しかしふりかえった木谷は「ふん。」と鼻で 地野上等兵はようやくおき上って窓ぎわに身をよせ怒り言ったきりで、いまは床の上にたおれて動かない地野上等 の上った眼でにらみすえながら、「ちきしよう、ちきしょ兵の上にまたがったまま、「わかったか、わかったか、わ う、こんなことでほっとかんそ。」とうなるようにい ってかたカ : ーと泣くような声をあげてなぐりつづけた。 いたが、木谷が四年兵という言葉をくりかえしおしだすに「監獄が、きさまにはわからんやろ、監獄がきさまらには つれて、その顔色はかわって行った。 わからんやろ。おい、おいおい : なんとかいわんか、 : よう : 「おい、上等兵、どうした、くるか、きやがるならこい いわんか、いわんか : : ようよう : : : 」「ふん、 : ・四年兵にむかってきやがるのならきてみい。四年兵い 三年兵のくせしやがってからに、軍隊に監獄があるのがそ うてもやな、ただの四年兵とはちがうぞ : んなにめずらしいか、よう、よう、よう : : : ぬかせ、ぬか 「四年兵そ 、なにが四年兵ぞーーー右手で頭をおおうせ : : : 」木谷の体ははげしい勢いで上下した。曾田はそこ にばくはっする奇妙な泣き声とどこまでもつづく殴打に胸 ようにしてたちあがってきた地野上等兵のロはゆがんでい た。すると木谷は上等兵の上に再びはげしい勢いでとびかをかきむしられ、またぞっとした。おお、そこにいるの は、まさにあのポ。フラの下の土をほって何かかくしていた かった。彼は相手を一撃で床におしたおした。彼はわめい た。「くるか、くるか、こ 監獄がえりにこ木谷ではないか。 わいもんはないぞ : : : さあ、殺してやるから。」彼は地野「おい、でてこい、まだいる。監獄がえりといいやがった 上等兵の頭を床にごんごんぶつつけて行った。彼は大きくやつはまだいるそ、おい、でてこい、殺してやるそ ! ー木 眼をむきだした自分の下にある顔が、さらに歯をむきだ谷はやがてゆるゆるとたちあがった。彼は周囲をじろりと し、しゅうしゅう音をたてて、はねかえそうとするのをそみまわした。彼は三年兵のかたまっている方に眼をすえた。 のままさらにごんごんぶつつけた。やがて地野上等兵の頭「こい、上等兵、今井。」 の下から流れでてきたものは、ねばねばした液体だった。 木谷は今井上等兵の前にぐんぐんすすんでいった。彼は 曾田の耳をうったのは木谷のわめく奇妙な声だった。地気おされたままばそりとたっている今井上等兵に、まるで い、たて :

4. 現代日本の文学 39 野間宏集

「おー、かえってきましたか よかった、よかった。」それこそすべての兵隊の願望なのに。 ) 安西は鶏のように 曾田は言って近づいて行ったが、彼は決してよかったなど首を動かしていた。 と思ってはいなかった。彼は安西の真前にすすんで行っ 九 て、もう一度、「かえってきたか。」と言い 、「はいっ 三年兵殿。」という涙をまじえたような安西の声をきくと、 事務室で週番下士官の調査がはじまったが、安西ははい くりかえ すぐ後の方にさがりながら、一隊のものに対する言葉、つという言葉を繰返しては眼の玉を上の方にあげた。彼は 「ごくろうさん、ごくろうさん。」を連発した。 家を出たのは二時間前であった、ちゃんと外出前に週番士 いただ 「おい、安西 官殿に教えて頂きましたように十分時間を取って出てぎた 「はい のでありますが、電車にのってふと気がついてみると外出 証がない、いろいろ身の廻りをさがしたが「外出証を家 「えろかろうがーーー」 「はい におきわすれてきたことにようやく気づいて取返しに行っ た。外出証がなければ衛門を入ることができないと思い 「えろかろうがよう。」 おくれたらどうしようと考えながらあともどりしました。 食事ラッパが鳴りわたった。なぐさめるというのかいじこのためにおそくなったのであります。とやはり眼を動か めるというのか、全く理解できぬような声をだして安西のしつづけて泣くような声で言った。 かえっ 、そのままかえってくるんじゃ : 「あほが 傍からいいつづけていた地野上等兵もだまってそれをきい てきて週番士官殿に連絡とるんじゃとあれほどいうてある 「安西、ラツ・ハきいて安心したやろ。」酒の匂いを胸の間のがわからんのか : : : 外出証の問題やないそ : : : もしおく 帯からさせる用水兵長が言った。 れたら、どうする : : : あほがーー中隊全体が、お前一人の 地「はいッ ためにこんなにごったかえさんならんじゃないか。」週番 真曾田は安西の大きな首のふりかたをみているわけにはい下士官は声をたかくした。 かなかった。彼はラッパの音をきいて安心したかときく用「わるかったであります。わるかったであります。」 水兵長に苦笑した。ラッパのきこえない世界へ、はたして「わるかったよりも、もし、一回でもおくれてみろ、お前 かんこう 安西はのりだそうとしたのだろうか。 ( ラツ・ハのない世界、幹候には絶対なれんそ : : : 」 にお

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らなかったのであるが、乱暴な憲兵のようなものを想像し「はい。」 ていたのだ。検察官は経理室の将校などと同じようになか「はいじゃ、わからん、どうじゃ。」と検察官はテー・フルの しゃれ なかの洒落者で、顔や手もいいつやをしていて、その給与上にのりだした。 状態が非常によいことを感じとらせた。 木谷は下の方をむいてまた「はい。」と言った。すると検 木谷の取調べは最初彼が刑務所にはいって二日目に行な察官は机の引出しをあけていたが、なかから見覚えのある われた。彼の取調べの順番は二番目であったので、くらい金入れを取りだした。 てじよう 「これはお前のものか。」 狭い控室の固い長様子に手錠をはめられたまま、順番がく 、え、ちがいます。」 るまでのこりの未決囚と背中合せに腰かけていた。 : : : 検「いし 「はっきり、こっちをみないか。」 察官は看守に手錠をとらせたのち最初全く事務的に木谷の てあぶら みぞ 姓名、本籍、部隊名、父母、兄弟などについてたずねた。 金入れは以前は手脂がついてつやがでていたが、溝の底 みずびた その声と言葉っきはいかにも木谷の心をなでるように温和で水浸りになっていたため、そりかえって型がくずれてし だった。それは木谷の不安をいくらか取り去った。彼は眼まっていた。木谷は憲兵隊でもこの金入れをみせられたこ をあげて検察官の顔をみた。すると検察官はつづいて憲兵とがある。 からの報告書にもとづいて木谷の犯罪行為についてききと「林中尉殿のものであります。」 って、「おい、木谷、お前はばかなやつだな、お前、これ「そうか。」 で一年以上ははいらんならんことしってるか : : : お前それ「はい。」 と知ってやったんやな。」と言っていたが、突然声を大きく 「何時林中尉のものだということを知ったのか。」 して、「おい、木谷、お前みたいな兵隊が、日本にふえて木谷の頭はこんぐらがった。 , を 彼ま返事ができなかった。 ぐんそう 帯きたら、一体この日本はどうなるのだ。」とどなった。それそして彼は青ざめた。「憲兵隊の取調べのとき、軍曹殿が 地は木谷の全く予想していない大きな声だったので、彼はど : これが林中尉殿の持物であると言われました。」 きっとして、体全体がひえて行くのを感じた。彼は何回か「よし。なぜ、そんなことに時間がかかるんだ。」 真 うつむいては顔をあげた。とそのたびに彼はするどくなっ 「はあ。」 た検察官のきつい眼にぶつかった。 「この紙入れは、便所の目隠し板の下にあったんやな っ 0 「どうだ。」

6. 現代日本の文学 39 野間宏集

しんばう か。これから、ずっと辛抱してやっていけるか。」 更する手続きをとっておかなければならないと考えていた にかかわらず、彼の足は事務室へは向かわなかった。彼は「はい、三年兵殿、御心配かけてすみませんです。」安西 しゅほ ひとりでに石廊下を真直ぐにつきぬけて、酒保の方へむかはカのこもった近眼の大きい眼を曾田の眼の方にぐっと近 って行くのだ。彼は出口のところで初年兵の一人に靴をかづけた。「ほんとにわるかったであります。」 りて酒保まで行ったが、その真中で大きな顔をして ( 曾田「ほんとにやっていけるのか。」 「はい にはそう思えた ) 煙草をふかしている木谷の顔をみると、 今度はどうしてもそのそばによって行くという気が起こら「腹がヘるのか : : : 」 「はい なくなった。彼はたしかにいま木谷をさがしにここへやっ : しかし彼はすぐそこをつき「腹がヘるときには、俺のとこへ言うてこいよ : : : 俺がな てきたのではなかったか。・ ぬけて出て行こうとした。ところが出口の横のくらいとこんとか食物をみつけてくるからな : : : 」 あわ・が、 ・ : 有難うございますです。」 ろに、安西が帽子に入れたコーヒー瓶を片手にかかえこん「はい で、一方の手でごくごくと瓶をかたむけているではない しかし曾田は安西とこのような対話をかわしている自分 か。あの安西が ! それは全く曾田をおどろかせた。しかに次第にがまんができなくなっていた。「いうてきてくれ よ : しその安西の方も、うまくひとにかくれてやっているとば 恥ずかしいと思わずにな。」 かりおもいこんでいたらしく、ひどくびつくりしてふりむ「はい、三年兵殿。あの : : : 三年兵殿、あの自分の外出止 いたが、それが曾田と知ると、あわててコーヒーの瓶を前めいうのは、一体どの位の期間になったらとけるものでし へだした。 「安西、こんなところにいるのをみつかると、またやられ「さあ 、そらわからんけどな。しかし一月か二月位は るそ、のんでしもうたら、はやく班内にかえれよ。」 つづくやろ。」曾田はこの安西が余りにもただ自分のこと 「はい ・ : 三年兵殿。」 ばかりしか考えていないということにあきれた。彼はいま 「安西、つらいか。」 はいじめつけるような調子で言った。 「はあ 、そんな長い間になるのでしようか : : : 」 「はい、つらいです。 : : : 三年兵殿、あの、コーヒーおの 曾田はこれ以上このような安西と一緒にいるということ みになりますですか。」 ・ : しかしお前、ほんとに大丈夫にはたえられなかった。「しかしな、 : : : 染の方はな、お 「いや、おれはいらん。 びん くっ おれ

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まききやはん だけを準備して巻脚絆を忘れてきた一等兵に不満を感じ木谷が出獄の時期が近づくにつれて、刑務所のなかで一 た。彼は将校たちの眼が巻脚絆のない自分の足をすくめる番よく考えたことは、やはり自分が原隊に帰った場合、自 しし力としうこと のを感じていた。たしかに彼はそれだけで陸軍刑務所出所分を知っているものが一人もいなければ、 であった。彼は自分の同年兵達が大陸にでて行ったという 者なのだ。 ある こうさてん 交叉点の混雑で准尉との距離がとおくなったとき、木谷ことは、最後に隊長がよこした手紙で知っていたが、或い はそのうちの少数のものがまだのこっているのではないか は引率者に言った。 と恐れていた。 「おい、お前、 いつの兵隊なんや ? 」 木谷は話しながら、前にいる准尉の方を見つづけてい 「はい、去年の五月の兵隊です。」 ゆす 「補充兵か ? ー た。背の低い体の大きくない、左右に肩を揺って歩く准 尉。彼のもっともおそれなければならないのは、隊長と准 「はい ? 「俺のことをお前知ってるのか ? 隊できかされたか ? 」尉の二人であり、ことに准尉だった。そしてこれがその准 県た 、え : : : 自分は何もまだきいておりませんです。」 補充兵の頬は寒気のために赤かった。彼は物を言うたび『飲み助じゃない ? こいつはあかん ? 』と彼の身体は判 に女のように首を左右にゆり動かした。彼が古い兵隊でな断していた。固い融通性のない准尉にちがいないのだ : いということは明らかなことだったが、それはこちらのロところが、あの、馬鹿みたいな顔はどういうのだ : : : 准尉 調をうけとめる相手の腰の弱い言葉の調子にそのたしかなは交叉点のところで信号を待って、・ほんやりとどこを見て いるかわからぬような眼をして、空を見上げていたが、そ 手応えがある。 あご の顎は、ゆるんだまま前につき出されていた。彼は左横の 「現役はいないのかい ? 」 方からやってきた背の高い少尉に思い出したように敬礼を 「はあ : : : おりますです。」 いや : : : 四年兵だそ : : : 十 x 年にはいったした。それからふいと木谷の方を突然ふりかえった。木谷 「何 ? は不意をおそわれたようにぎくっとして、ロをつぐんだ が、准尉はもう振り向きはしなかった。 しいえ : : : 現役の三年兵殿であります : : : 」 「はあ・ : さっき 准尉は先刻師団司令部の控室でも木谷が昨夜から予想し 「四年兵は一人もいないのか ? ー ていた長々しい説教や、訓話を彼にしなかった。いや訓話 「はあ : ・・ : 一人も、おいでになりません : ・・ : 」 おれ ほお

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182 行く ! 」 : もっとええ、話、「どこい行くのじゃ : : : 白い汁。」 ーい、にげんない : : : 逃げんない : きかしたりいなーー、外出は、何時やねん ! 」兵隊たちは「穴のなかから、墓の中、よいよいー。」 やかん 彼らは薬罐をもってきてたたいていた。 外出のこととなると、既にわかりきっている同じことを、 * まん、そうてん 繰り返し繰り返し質問するのだ。外出のことにいかなる仕「満期操典やれ ! 満期操典やれ。」多くの声が同じこと 方にしろふれるということが、彼らに哀れな喜びをもたらをもとめていた。 しゃぜん 金ある単ちゃんたよりない せる。「七時、かい ? 八時、舎前に整列 ! 泣かす ! いきな上等兵にや金がない 泣かす ! 」 女なかせる二つ星、よいよい 「あーあ、たつよ、たつよー。」 「もう、たちどおしやがなー。」 一人の兵隊は相手の兵隊の首に腕をまきつけて引きょ 女なかせる二つ星、よいよい しり せ、自分の体の上に相手の尻をのせて、大きな嘆息をつい 「おーい、曾田さん : : : 愛してね : : : 外出さしてね : ・ てみせた。 ね、お願いよ。」大住班長の声色をしてみせるのは、橋本 「われ、こんど、あの白い襟布俺にかせよー。」 三年兵だった。かって彼は曾田が初年兵としてはいったと 「なにをいう、あかんあかん : : : あれは俺がこんどあのラき、現役兵として六カ月はやく入隊していたために、曾田 シャの服につけて、しゅうっとして : : : 」 を毎日その長くつり上った眼を横の方からっきつけるよう 百十一一部隊の衛門で にして、最後になぐり倒したのだが、いまでは曾田が事務 じゅんい 室にいて准尉の仕事をしているので、ときどきお世辞や、 はんかち片手に眼になみだ びたい 古い兵隊たちはうたったが、それは次第に殺気だって、 あらわな媚態を示した。ところがその媚態というのが、相 わ ほお めらやくらや 手を女として取扱い、頬ずりしたり腋の下に手を入れた 減茶苦茶にくずれそうであった。 さがふじ り、股でしめたりすることなので、曾田はその手の下をく あなた上から下り藤 ぐりぬけて、「ああ、たまらん・ : ・ : そんなことされたら あたしや下から百合の花 : どうなることやら」などといいながら体裁よく逃げな 一汗かいたそのあとで やってよおー、行く行くければならなかった。「おーい、曾田しゃん : : : そのぼっ 「なあ 1 なあ、なあー、おー すで おれ こわいろ しる

9. 現代日本の文学 39 野間宏集

ころまででてきている。 「もってると、貯金さされてしまうかもしれないですね。」 靴は重いし服はだぶだぶ。ざらざらざら。おかあさん「そいつが、こわいよってね : 、そんなにたんとあるわ * せみ ・ : また、今日も蝉、せみです。 けやないねんけど : : : 。花枝をさがすのにいるやろおも 曾田はじっとたちつくした。おかあさんと彼はロのなかて、むこうでためてましたんや。」 で言った。 「土のなかへうめたりしたら、雨でぬれてしまわないです か。」曾田はやはり自分があずかってやろうとは言いだし 十六 かねた。 そうじ 階上から「点呼掃除。」というどなり声がきこえてぎた「少々ぬれたって、こればっかりは、だれもいやとはいわ ので曾田は手紙とノートを引出しに放りこんでおいて、下んしな : : : ー木谷は言ったが、照れかくしのように、大き 靴をもって便所へ行ったが、ふと向うにみえる黒いポ。フラな背をさむそうにすぼめて、「ああ、冷えやがる、冬の土 つらいな の樹の方をみると、そこに誰かうずくまって動いているよはほんまに熱をぜんぶすいとりやがるさかい、 さつかく うに思えるのだ。いや、眼の錯覚ではないだろうかとちょ っとうたがったが、曾田は便所をすませてすぐさま裏へ廻「木谷はん。」曾田は改めて木谷をよんだが、木谷の運命 をかえる野戦行きのことをいざったえるということになる って射てき台の後のところに近づいて行くと、はたして、 と、ためらわずにはいられなかった。しかしもはや相手の びつくりしたようにふりかえって、こちらをうかがってい らゆうちょ るのは木谷だった。しかし木谷はそれが曾田だとわかる心がうける衝撃をおもいはかって、躊躇してばかりいれ ば、ますますったえにくくなってくるのだ。「木谷はん。」 と、ようやくたちあがって、向うから近づいてきた。 と曾田はもう一度よんで、先ほど陣営具倉庫できいた話を 「金のかくし場所をかえとこうおもて、掘ったんやけど、 帯土のかたいのなんのて : : : 」木谷はいかにも具合わるそう全部ったえたが、彼には木谷の体がみるみるかたくなって 地に曾田の方をみた。曾田は眼をそらせることなくそれを見じっと動かなくなるのが感じられた。木谷は、ちょっと曾 田の話がつまると、「それから。」「それからどうだ ? 」と かえした。「お金ですか。」と彼は言った。 ぐんそう 真 「へへ、この間から射てき台の板の間にかくしておいたあせきこんだ調子でいっていたが、そこにでてくる金子軍曹 1 ったんやけど、もう一週間以上にもなるので、場所をかえの名前には全くおどろいた模様で、最初はどうしてもそれ が納得いかないようだった。彼は全部ききおわると「野戦 とこ : : : おもてな : : : 」

10. 現代日本の文学 39 野間宏集

むち ・ : 隊長にはしなはったんだっか 。それやったら、あ ぞきこんできたので木谷の鞭の跡のある右手はひとりでに て行きまっさかい : ・ : 申告やったら : : : 曾田三年兵殿にき 後にひかれて行った。 いてみなはれ : : : なあ三年兵殿。」一等兵はもう後をむい 一等兵の表情はちょっと解けた。「なんやけど、あんた、 煙草をもってはりまっか : : : 持ってはんのやったら。」彼て大きい声をだしたが、それに返事したのはあの向うの寝 あた 台の事務室の一等兵だった。「なあ : : : 申告の順番をおし は言って辺りを見廻した。彼は自分の言葉に薄笑いした。 「煙草か。それが・ : : ・煙草をもってえへんのや。」木谷はえてほしいいうてはんのん : : : 三年兵殿おしえてやっとく おれ 物入れから財布を引き出した。「俺も煙草ほしいおもたとなはれな。」 こやけど、煙草買うてくるか。」「それやったら、よろし銃手入れをしていた初年兵がみなこちらを向いた。木谷 ま。これから、どこか廻って、さがしてきまっさ。ー相手はその三年兵の一等兵のところへは行きたくなかった。し は失望の表情をあらわにしめした。彼は廊下の方から呼ぶかしこの「染ーとよばれた兵隊が大きな声をだすので、そ 声がしたのでその方へ行こうとした。「おーい、染めえ、れをふせぐためにも、どうしても、そこまで行かなければ ひづめ われ、群福の蹄、馬手入れのとき、みたったか。」声は言ならなかった。「染」は木谷の代りにその三年兵に申告の そうらよう 順序をきいてくれたが、隊長、曹長、自分の班長、それか 「あんなもんもう、あきまっかいな、くさってまんがな。」ら兵器、被服の班長、隣りの二班の班長の順序でやるのだ が、それほどせかなくともよいのではないかという返事だ 一等兵は振返って言った。 ていさふらん った。「染」がその返事の中途で行ってしまうと、二人は 「やつばり蹄叉腐爛やろ。」 「蹄叉腐爛もティサフラン。足がくさってきてまんがな。両方とも少しばかり固くなった。二人は互いの眼と体付を りゅうさん 見合った。木谷は眼をさけた。相手もさけようとしている あした、硫酸のなかい足漬けてしもたるわ。」 ようだった。 向うで呼んでいるのは顔の円い一等兵だった。 木谷は自分らのときは、申告は将校にも、各班の班長に 「われ、無茶すなよ。」 「なあ : : : ここの班長だれだれなんや。ちょっと、おしえもしたけれど、その順番がおしえてほしいのだと言った。 たりいな。俺、申告せんならんねんけど、何班長から先にそらしてもええけど、そんなことをわざわざしなくともい いように思うと相手は言った。 したらええやろな。」木谷は言った。「班長は三人やろが。」 「班長は三人だっけど、将校やら、ごたごたいるさかいな木谷にはそれが自分のことを特別に何か考えていってい さいム まる