きて地野上等兵の前にたっと、処罰をうけた報告をはじめ既に補充兵たちもあつまってきた。 肪たが、地野上等兵は「上等兵殿、上等兵殿」とまといつく「おい、染、おりてきてくれ。」染をよびにきた中隊当番 安西にそっ。ほをむいて全然とりあってやろうとはしなかっ が向うから言ったが、いい よよ染一等兵の営倉入りの時間 がきたのだ、人事係准尉は彼を衛兵所までつれて行くだろ 曾田は皆の注意が安西と地野上等兵の方にむいている間 からだ ただいま に、そこをにげだしてやろうと思って、「染、身体に気い 「上等兵殿、染、只今より行ってまいります。」染は地野 しやご 上等兵に向かって言った。 つけよ。」といいすてて舎後の方に木谷はいないかとさが しつづけたが、彼はたちまち三年兵たちにとりかこまれて「よし、行け。夜中にな、あつい、水筒もたしてやらな しまった。 、行け。」地野上等兵は言った。 「おい、曾田、三年兵に野戦行きがないいうのは、あれ、 「おい初年兵、だれか、染を下までおくって行かんか : ・ ほんま、やろうな : ・ 。まあ、一本とれや。」彼らは煙草ふん、染はな、だれのおかげで営倉にはいるとおもうん をつきつけながらいうのだ。 や、おい。」 「ええ、ほんとですよ。」 「はいつ。」とでてきたのは田川一一等兵だった。 「そしたら補充兵は全部野戦へ行くわけか。」 「田川、染一等兵殿をおくってまいります。」 じゅんい 「そら、准尉さんにきかんとわからんことですよ。」曾田「よし、行け。」 すで は既に補充兵たちも自分のまわりにやってきはじめたのを「よし、どけ、染いるか。こ い。」はいってきたのは大住 感じてわざと声を大きくしてこういう言い方をした。「野班長だ 0 た。彼はぐんぐん染の前にすすみでると、染の顔 戦行きなんて、この俺にきいてもなにもわからんぜ。」 をつかんでめちゃくちゃに左右にふりつづけた。「おい 「そうはいわずに、曾田さん、お煙草一ついかが。」今井染、貴様、営倉へはいりやがるおもて、大きなつらしやが 上等兵が言った。 ったら、承知せんそ・ : 。おい、染、貴様、営倉だけで、 「ばくばく一つ : ことがすむおもてやがったら、あてがちがうそ。貴様が俺 「花子さん、おとおし。」 の班の名をつぶしやがったのを、営倉位で許すおもてやが 「駒子さんへ、三十一一番さん、駒子さんへ、おなじみさんるとあてがちがうそ。 : おい染、わかったか、わかった ・ : おとおし : : : 」 か、わかったか。」
変ったが、彼は気づいて彦佐三年兵を強引に先につきや すで 笑声がおこったが、古い兵隊たちは既に染のこのような り、「三年兵殿、事務室の用事がでけたよって、先へ行っ 年次をこえた態度に舌打ちをした。彦佐一等兵は染の体をとくなはれ、すぐ行きま、すぐ行きま。」とまだわけがわか おさえて寝台のところに引っぱって行った。曾田はそこへらずおどろいているひとのいい彦佐をさばいておいてすぐ 歩いて行ったが、染はそれほど酔っているというのではなもとのところにかえってきた。 かった。まぶたを女のようにうすくそめて、小さなふたを「蹄鉄おとしはったて ? 誰がでんねん ? 三年兵殿だっ したような小鼻をふくらませているだけだった。「三年兵か ? 」 と染は彼をみつけるとたちあがってかるく不動の曾田はうなずいた。「そう、今日、馬運動をやっててお 姿勢を取った。「三年兵殿、染、本日外出先異常なくかえとしたんや : : : 」 りました。 ・ : あのう、あの手紙入れときました。」曾田染はしばらく黙っていたが、顔をふった。「よろしま。 てんこ は彼の次の言葉をおさえた。染はうなずいた。染はすぐさなんとかしまっさ。点呼までに、ちゃんと始末しときまっ すみ ま、廻れ右をすると部屋の中央の四柱と四隅の寝台のとこさ : : : まだ、三年兵のだれにも言うてはらしまへんやろな ろに陣取っている三年兵の先任の兵隊たちに次々と挨拶し てまわった。それからただちに服をきかえて、馬手入れに曾田は再び同じようにうなずいた。「厩当番にはいうた 厩に行っている兵隊たちに加わるためにでて行った。曾田あるけどな : ・ なんとかするいうて、できるかしら、エ は染が部屋をでるやその後を追って行ったが、ようやくに場に代りの蹄鉄があるかしら。」 して階段のところでおいつくことができた。 「厩当番だけだんな。それやったら大丈夫だっさ : : : よろ 「三年兵殿。木谷はんのことだっか。」染は気づいて向うしま。蹄鉄の一つや二つ位 : : : 」 帯から先に言った。「木谷はんのことやったら、あとで話し「無理するんやないやろな : : : 工場は今頃、しまってるん 地ま。手紙の方はちゃんと入れときましたよって。」 ゃないやろか : : : 」 「いや、木谷はんのこととはちがう。」曾田はロごもった。「工場がしまってたって、蹄鉄の一つや二つ位、あてがな 真 「別のことなんやけどな。 彼はようやくにして、今んとかしま : ・ : ・点呼までには、ちゃんとしときまっさかい ていてつ 日、馬運動で蹄鉄をおとしてしまったということを先に行 ・ : 全然心配いりまへんぜ : : : ほんまにいりまへんぜ く彦佐三年兵をはばかって小声で言った。染の顔色が瞬間
186 「何でありますか ? 何でありますかて、いかやないかき入れながら言った。「よし、曾田 : : : 俺あ : : : お前をみ いまに墨をはかして、泥をだして、うらむけにしこんで : : : こいつの前でたのみたいことがある : : : きいて きいてくれるかといってるんや : くれるか : : : おい どないやーーー」 「染がどうかしましたか ? 」 「はあーー班長殿、何でありますかーー」 「どうかしましたか ? とは何だ : : : これ、みてみろ : ・ 「きいてくれるか、というてるんや : : : 俺は。」 これ ! ー班長は寝台を指さした。 「はあーーー」 「さあ : : : それが、どうか : : いかにしてほしいか : : : それと「きいてくれるか、きいてくれるか : : : 」班長はこういう 「おい、曾田、貴様も : ・ もたこか : : : 」 。そのた 間にも、染の首筋のところを竹刀でしばいた : 「はあ : : : 」曾田は、ちらと右側で故意にそ知らぬ顔をしびにうつぶしている染は、首をまわして班長の方へ向き直 つづけて、書類に赤線をひつばったりしている、吉田班長ろうとするらしく、「いひ : : : 」「いひ : : : ー苦しげな声を ばたあげながら、あやつり人形のように首をうごかした。 の方をながめたが、吉田班長は不意に立上って : ・ んと戸をひらいて : : : 大きな音をたてて出て行った。 「班長殿 ! 班長殿 ! いうて下さい。」曾田一等兵は言 「おい : : : 染 ! 吉田班長にたのまれたなら、たのまれた った。彼はこの染のいいようのないいやな声をきいて、染 といえ : : : 吉田班長にたのまれたんやろ : : : おい ! 返事を愛している自分の心が深いのを感じとった。「班長殿 ! 」 するんなら、逆立ちやめて : : : 立ってよろしい。」 「よし : : : こいつを班内につれて行って、俺の手箱と寝台 染一等兵はいつまでも逆立ちをつづけようとするらしをこんなところにほうりださしやがったのはだれかききだ く、立ちあがらなかった。 してくれ : : : こんな奴、こうして殺してしもうてやるんや 「よし 、そのまま、しておれ : : : 」大住班長は机にた こうして、こうして、こうして・ : : ・」 てかけてあった竹刀を取り上げて、横なぐりに染の上にあ「いひ : ・ げた足をはらった : : : 「いひひひひ : : : 」染一等兵は奇妙「死ね、死ね、死ね : : : 死ね : : : 」班長の顔は見る見るぶ な声をあげて、右にどーっとくずおれ倒れた。 くっとふくれ上ってきた : : : 彼の鼻は先がいよいよとがっ 、うとらんそ : : : えい 「おい、よしとは、し て、ふるえているようだった。と不意に、ふりあげた竹刀 ・ : 」大住班長は、竹刀を染の脇腹のところにぐいぐいつがストー・フの上の薬罐にひっかかって、それをはじきとば しない やかん やっ おれ
木谷は曾田が自分の方へ歩いてくるのをみた。その顔の 隊、うちの隊はうちの隊じゃ。」 ぐんそう 白いのをみた。彼はいまは曾田からきいた、金子軍曹と准 「しかし : : : 」 「しかしも、何もない。」 尉の間にかわされた話をぜんぶぶちまけてしまおうと考え 木谷の眼と舌はつり上った。彼は声を大きくした。「師ていた。しかし自分の方へやってくる曾田をみると、彼の 団から命令がでたとか、いう話でしたけど、ほんまにそんロはひらかなかった。 な命令がでたものでしようか、その命令があったら、自分「木谷、行くか。」曾田は言った。 「はやく行け。」准尉は言った。 にみせてくれまへんか。」 「木谷、何をいうか。お前が何を口出しすることがある。」「曾田、ぐずぐずするな。はやく、はやく。」曹長が横か 「いいま、なんで、自分が転属せんならんのか、一度きまら言った。 ったものを、どないしてかえてまで、転属ささんならへん「はいります。」このとき戸をあけてはいってきたのは、 えいそう のか : 営倉入りを終った染一等兵をともなった衛兵だった。・ 「木谷 ! ー准尉はたち上ったと思うと、後の窓わきにたて衛兵は報告をおえて染を准尉に渡すとすぐにかえって行 かけてあった竹刀を取った。しかし彼は急に気をかえてそった。木谷はぐずぐずしたまま入口のところにつったって れをつかわなかった。「出ろ、木谷、かえれ。誰がはいれ染をみた。染の顔も耳も真赤だった。 ただいま 「染、只今、営倉よりかえりました。」染は准尉に申告し といった。お前にもう用はない。・ : いえんでしよう : 「わけはいえんでしよう : ・ : ほしたて言った。准尉はそれをうけた。彼は型通りの説諭をした ら、こっちから言うてもよろしますぜ : ・ : ・」木谷は准尉のが、急に声を大きくした。 「よし、染、これから、このようなことの二度とないよう 机の方へ一歩でた。 にできるか、どうだ。」 「木谷を外へだせ、曾田、おい、すぐ、木谷を一一階へつれ 、できますです。」染は低い声で平然として言った。 て行け ! そして班長をよべ。」 「曾田、何をしとるか。貴様このごろ、どうかしとるそ、 曾田は立上ったが、自分の机のところでぐずぐずした。 はやく木谷をつれて行かんか。よし、すぐ、染も一緒につ 「でないだす、准尉さん。」木谷は言った。 「曾田 ! はやく、つれて行かんか。」烈しい声で准尉はれて行け。」准尉は言った。 一一一口った。 木谷も染もそろそろとした足つきをわざとっくって事務 そうちょう
たが、染が食事の後片付けのために動いている安西一一等兵のところであそんで店を出て新世界の方へ行こうと思っ ののろのろした後姿に眼をすえて黙ってしまったのでやめて、通りをまがったところ、阪堺線の線路の方の城門か ら、安西がひょこひょこはいってきた。そして横の通りへ 「群福はな、あした工場へつれて行って蹄鉄うちかえてきまがった。染はそれにはびつくりしたという。安西がこん まっさ。三年兵殿、今日、安西のやっ五分前になってかえなところへくるのかしらとあとをつけるような形になっ ってきたいうこってすな : ・ 。ほんまに今度の初年兵どなて、まがり角まででてみると、その安西が太田楼のなかへ いしてんのか、自分らにはさつばりわからしまへんな。あっかっかとはいって行った。この二つの眼でみたのだか てらでも、外出のときは三十分前にはきちんとかえってきら、絶対に人ちがいではない : ・ : というのである。それで てまんのにな、 自分ら態度太い態度太いよういわれるは安西がおくれてかえってきたのは、外出証を家へ忘れて けど : : : 。安西のやっ、初年兵のくせして、飛田へあがっきて、電車のなかでそれに気づき、取りにかえってきたか てきてまんねんぜ : ・ そのくせ : : : ちょっと・ ( ッチくろらだという話は、全くでたらめではないか。曾田はぎくっ として染の顔をみつめないわけこま、 冫 . ぐし、刀十ー・カー うたら、もう床の上へひっくりかえってしまいやがって、 ぐずぐずしてやがる : : : あてらのときは、つきとばされて「三年兵殿にうそなんてつかしまへんぜ。」染の言葉はい 床の上にひっくりかえって起きられへなんだりしたら、そっものように淡々としていた。 れこそ顔中はれあがるほどどづかれましたぜ : : : 」 「染、お前、だれかにもうその話をしたか : : : 」曾田はも ゅうかく あの安西一一等兵が飛田の遊廓にあがってあそんできたとしこの事実がばらされた場合、安西がどのような処分をう いう話は曾田をびつくりさせた。彼自身あそびに行かないけるかと考えると、安西のいつわりを追求しようと考える わけではなかったが、あの安西が女を買いに行くというよよりも、はげしい不安におそわれた。曾田は染にそのこと うなことは、かって考えたことのないことであった。それは言わずにおくようにとロどめしなければならなかった。 はおよそ想像もできないことであった。しかしいま安西の染は彼の申し出を承知したが、「あんなやつは、どづきま 軍服の下にかくされていたものが、それによってばっとてわしたらんとあきまへん・せ。」と言うのだった。「あああ、 さび らしだされたのだ。曾田は何時頃に飛田で安西にあったの外出したあとは、なんやら淋しまんなあ。」染は言いなが やかん かと染にききかえした。三時半頃だしたかな : : : 太田楼いら、薬罐の水をごくごくのんだ。「三年兵殿あとで話がお うて、裏手にある店にはいるのをみたのだという。染が女まんねん・せ : : : あれなあ : : : 」彼は木谷の方を顔でさして
「安西、どうした。」 「三年兵殿 : ・ : ・、安西一一等兵は言ったが、顔中涙でぬらし「辛抱するよりほかに仕方はないぜ。」 「はい。辛抱しますです。」 ているということが、くらいにかかわらずその声でわかっ 「染がお前をなぐったといって、染がわるいんやないぜ。」 「はい、わかっておりますです。」 「おい、安西、かえろう。」曾田はその涙の声に言った。 ま頃、なきや明るいところでみると安西の顔は涙のために眼のうちか 「おい、たたんか、たてんのか : : : おい、い がるのなら、なにもひとさわがせなことするな。」染の声ら、までが赤かったが、彼はその顔をつよく前にふるの ひぎ はきびしい怒りにみちていた。彼は安西の膝の上においた 「染、心配したやろ。」曾田はうしろからくる染に言った。 手を荒々しくつかんで、ひったてた。 「三年兵殿が、お前のことを心配してわざわざ、きてくれ「へえー、別に。もう、覚悟してまんがな。」染の女のよう お礼をいわんかな眼はまたたかなかった。 : おいわかるか : てはんのやそ、 ああ、曾田は忘れていたのだ、たしかにこの二人は班へ しいま頃、お前のその 。これがほかのひとやってみ、 かえってから正式の処罰をうけるにちがいないのだ。「そ 頭は、大きくふくれあがってるのやそ : : : 」 すで うか。」と曾田は言った。彼の体はつめたかった。彼は既に 「はいつ。」 うまや 「安西、行こう。染、はなせ。」曾田は染の言葉に恥ずか安西がみつかったということを厩週番上等兵の報告によっ しくなって先にたってそこを出た。ようやく彼について歩て知り、二階の窓から首をつきだして、自分たちの方をみ きだした安西は、「三年兵殿、申しわけありませんですているものたちに手をふってみせたが、その窓のところに ・ : 」と寒さと恐怖のためにふるえがとまらず、歯ががち地野上等兵の皮の厚そうな顔がぬっとっきでてきたとき、 がちとかみ合うのだった。そして彼は曾田がなぜ染が一緒はっきりとそっ・ほを向いてもう再び上の方をみなかった。 みんなは階段をどたどたとおりてきて、乾草が一ばいく に行こうといっても行こうとしなかったかとおこっても、 つついている安西のおびえて眼をむきだした姿をみた。 それにはだまってこたえなかった。 「おお、いたカたか、ようかえってきた。」「あほう、 「つらいか。」 え、一体、どこにどんな気持でいやがったんや。」「おい 「はい。」 そう無茶いうな : 。またにげるそ : : : 」みなは一息つい 「軍隊がつらいのか。」 しんばう
362 うと待っていたのである。しかし木谷はいつまでたってもでくるのはまず第一に染の顔であった。染のほかにはだれ そのような気配をみせはしなかったのだ。その上彼は班の一人として兵隊でその前歴を知っているものは、ないので 統制をにぎる三年兵たちにたいして、何ら気をくばるとい ある。もちろん事務室要員の小室や他のものは、かたく口 うことをしなかったので、それはまたひどく三年兵たちのをとざしていうはずはなかった。またそれをもらしたもの 気をわるくさせることとなったのである。 として一応班長連を考えることもできたが、班長たちが しかし刑務所からかえってきて間もない木谷に一体そのあの地野上等兵にわざわざ木谷のことをしゃべるなどとい ような班内のわずらわしいことができようか。それに帰隊うことは考えられはしなかった。すると残るのはやはり染 した木谷の頭のなかをみたしていたものは、ただ林中尉や一人である。しかし曾田はあの染がそのようなことをした 岡本検察官やその他彼がさがしだしたいと言っていた人たとはどうあっても思いたくはなかった。あの染はそのよう ちのことだったにちがいない。それ故にこのような事情をなことを決してする男ではないのだ、そして曾田が染に木 知る曾田は班のものたちに木谷のことをよく説明してみな谷の手紙をたくしたというのもまた染を信じたからだっ の反感をとこうとっとめてきたのだが、しかしもはや彼のた。とはいえ染に手紙をたのんだのは彼なのだから、染が 説明などによってそれがとけるなどというものではなかつもしその秘密をもらしているとするならば、その責任はや た。たといいかに曾田が木谷の罪を弁護しようとも、いまはり自分にあると思わなければならないのではないかと考 では彼のいうことに耳をかたむけようとするものはいなかえていると、曾田はふと、或は木谷が彼の前歴をもらした った。ことに地野上等兵のような男が、木谷の前歴を知っのは自分ではないかと考えているのではないかと思いつい た。そうとするならば今日の木谷の自分に対する態度もま てそれを意識的にばらしてみなの反感をあおろうとしてい るのだから、同じように地野上等兵とはよくない曾田が、 たなっとくが行くというものなのだ。そう考えてみるとた いかに努力してもそれが受入れられるということはないのしかに木谷が自分に疑いをもっということはありうること である。なぜといって曾田は今日まで木谷のためにかなり である。 曾田は今夜の不寝番に地野上等兵を五番立につけることの世話をしてきたとはいっても、まだほんとうに木谷のた にしてその名前を黒板にかきだし、中隊当番に廊下へかけめに、はかってやるということはできはしなかったのであ るように渡したが、いまもまた一体誰が木谷の前歴を班内る。彼は木谷に深く同情はしていたが、むしろ木谷をおそ でもらしたりしたのだろうかと考えてみると、そこに浮んれているではないか。いやいまもなお彼には木谷の正体を だち
「木谷 ? しいや、木谷はんのことをなんでこのあてがしとのぞいてみたが、すでにそこには兵隊たちはいず、奥の ゃべったりしまっかいな。三年兵殿からいわれてますし方で下士官が口を動かして坐っているきりだった。彼は機 な。木谷はんのことは、あてもこの間から気にかかって心関銃中隊の方へあるきながら先日自分の前で染が暗記して 配してましたんや : ・ 。三年兵のあほんだらが、木谷はんみせた『共産党宣言』を心の中でいってみたが、染がこの が刑務所がえりやいうて、さわいでるけど、刑務所位がな宣言の言葉を理解しているなどとはいまもどうしても考え んでんねん : : : あらきっと被服係の成山兵長がしゃべったられはしないにもかかわらず、むしろその染が自分をとお にちがいおまへんぜ。あいっ山海楼で、さぐりだしてきやくへはじぎとばしたことを感じるのだ。おお、たしかに曾 がったんでんな。三年兵殿、三年兵殿、木谷はんがどない 田がおそれているのは刑務所ではないか : げんこっ かしましたか。」 は先ほど自分の頬に木谷の拳骨をうけたときのことを思い うかべたが ) 、とすれば彼が木谷の拳骨をうける資格をも 「いや、別に。木谷はんがなんやということないけどな そうか、被服係兵長か。」曾田はようやくにしてい たないなどとどうして考えることができようか。 ま染に対する自分の疑いがとけたことが何よりうれしかっ たしかに俺はそれをおそれている、このことはうちけす たが、染にわかれてかえる途中、ふきつける冷たい風のよことのできないことである。 : ・そして俺は刑務所がえり うに彼の前にしつかりとたちはだかったのは、この営倉のの人間だというだけで、あの木谷をおそれ、うたがいをも なかでいかにものん気にふるまっている染の姿だった。 ってみていたのだ。木谷は班のものと同じようにこの俺を なぜおれ : ・何故、俺はあの染を疑うというようなことをしたのだ ならべてなぐりやがったが、どうして木谷がこの俺をなぐ ったのかその理由はじつに明らかなことではないか。木谷 ろうか、彼はつめたく頬や手足や全身につきささる冷たい 風に、ぐっと心をつぎさされながら、経理室の横を通ってがさっき班内のものをならべて総・ハッチをくらわせたとい 帯営舎の方へあるいて行った。「刑務所位がなんでんねん。」う点から考えても、彼が思想をもっているなどということ 地と染は言 0 たが、その染の言葉が真正面から向か 0 てくるはもはや絶対に考えられないことである。しかしそれにも のは、むしろ曾田自身にたいしてだった。「刑務所位なんかかわらず俺が木谷になぐりたおされないですますなどと 真 でんねん。」 いうことはできはしなかったのだ。たしかにあの木谷はこ 曾田は右側の電燈の光のもれている経理室の窓近くに顔の俺という人間をその底の底まで見抜きやがったのだ。し ある かんごく をよせて、或いは林中尉のことについて何か得られないか かしそれも当然のことではないか。木谷は監獄がえりの拳 ほお
じゅんい は班長にむかって言った。「大住班長、お前はこれからこ 「准尉殿、すみませんです。」二人は声をそろえて言った。 の二人を十分みてやらなければいけないそよ。」 「隊長殿をおよびしてくれ。」准尉は言った。彼は隊長が はいってくると隊長の前に一一人をならばせておいて、これ「はつ。」班長は言った。 から処罰をいいわたすと静かな声で言った。彼は染一等兵「すぐに営倉の衛兵を中隊から準備し、衛兵所に営倉入り えいそう の営倉入りと安西一一等兵の外出止めをつたえたが、彼は突が一名あると通知してくれ。」准尉は曾田に言った。曾田 然声を大きくした。 は染の態度が立派なのに安心した。 , 彼の衛兵所に連絡に行 「染一等兵、お前のしたことはこれ位の処罰ではすまんく足もそれほどおもくはならなかった。曾田は衛兵所に行 おれ ぞ。染、ふたたびこのようなことがあっては俺は絶対に許ったついでに、かえりに二中隊まで行ってちょうど外にで さん。」「安西一一等兵、お前の外出止めの処分はこれがお前 てきた古い兵隊を三人ばかりつかまえて、林中尉というの のしたことにたいする相応の処分だと思ってはちがうぞ、 が最近病院からかえって中隊づきになっているかどうかを お前がまだ一人前の兵隊にな 0 ていないが故に一応の処分きいてみると、たしかに病院からかえ 0 てきた林中尉とい ですませるが、染とお前の行動はどちらも同じ処罰にすべ うのがいるが、なんでも近いうちに満州の方へ転属になっ きものなのだそ。」 て一人で出発するという話だった。しかし彼らもその林中 准尉の荒々しい声は二人の身体をすくませたが、隊長も尉が以前経理委員であったかどうかということは全然しる またその声によってどぎもをぬかれたようだった。いやそところがなかった。曾田はそこでできれば将校室をのそい の准尉の声は隊長をおどしつけるのが目的であったのかもてみようと、近よって行ったが、将校が出入りするたびに しれないのだ。 少しばかり部屋のおくがみえるきりで、はたしてそこに彼 「染、敬礼しないか、隊長殿に。」准尉は言った。染は敬のめざしている林中尉がいるかどうかということは全然し 礼の号令をかけた。 らべるなどということはできなかった。 隊長は一一人の敬礼をうけたが、身体をうしろにそらせ 九 て、一一人の処分、准尉の申しわたしたことをもう一度くり しよう かえした。 染と安西の処罰は中隊内にたちまちひろがって大きな衝 げき コ一人とも、今後、よく注意するのじゃぞ : : : 」隊長は撃をあたえたが、処罰をうけた一一人を迎えた班内は異様な : ・兵隊たちには染の方に重い処 「じゃそーという芝居のような言葉をつかった。そして彼空気につつまれていた。・
証を自分の家に置き忘れてきて後で気づいて家へとりにか話では、その木谷がなんでも、巡察とかにきた将校の銭入 え 0 たりしたそのような処置があやま 0 ていたことから起れをと 0 てつかまえられた、ところがその木谷が山海楼の こったことである、幸い時限には間に合って事故にはなら名をとうとうだしたので憲兵といろんなえらいひとがやっ なかったが、このような時には先ず何よりも隊にかえっててきて花枝の部屋をしらべて行った、それでえらいことに きて週番士官に連絡を取るようにしなければならないとい なってしもてな : : : 花枝もそれからとうとうここにいられ うことが、中隊全員集合の上でったえられた。安西二等兵 へんようになって、かわって行ったというのである。染は は下士官室によばれたが、すぐかえってきた。また群福の話しながらも声をひくめていたが、曾田は被服係兵長にも らくてつ 落蹄鉄の報告があったが、それはいたって簡単にすんでし同じようにこの話がったわっているのだとすれば、もはや まった。染は点呼がおわると腕を。ほいぽいふりながら曾田明日にもそれは隊全体にひろまってしまうだろうと思っ の寝台の辺りを行ったりきたりしていたが、ついにそばに やってきた。彼はやはり山海楼へ行ってきたのだった。 「どこやら、ちごてるおもてたけど、やつばりちごてたな ・ : 染が手紙を投かんしてから、被服係兵長と山海楼へ一 ・ : 三年兵殿は知ってはりましたんやろ。」染は言った。 緒に行って花枝のことをさぐってみたところ、はじめはな「うん。知ってた。けどな : : : みんなには言うなよ : ・ : ・」 しんせき かなか用心して話さなかったが、染が花枝の親戚すじにあ「そんなもん、いうたりしまっかいな : ゆくえ たるひとにたのまれて行方をさがしているのだとたのんで 「しかしな被服係兵長は知ってるんやろな : : : 染。」 みると、それでもなお警戒していたが、結局相手が兵隊だ 「なにを ? そんなもん、ちゃんとしてま : : : 。知らしま というので信用して、それからいろいろと木谷のことがわへん : ・ : ・ばあさんにはな、こっそりききましたんやもん。」 かったというのである。染が山海楼へよってみたのは全く 最初はひやかし半分だった。しかしやがて花枝のことをよ く知 0 ているばあさんが奥からでてきて、花枝にはあんた曾田は消燈前一二十分にな 0 たとき、事務室におりて行く はんみたいな兵隊が男にでけてな : ・ ・ : なんぎしたんでっせ かっこうをして、兵器庫の前にたった。彼は今朝吉田班長 : そやから兵隊はんはな、こわいこわいと話しだした、 からあずかった鍵をだしてその戸をあけた。これは昨日か その兵隊の名前をきいてみると木谷という上等兵やったとら彼が予定していたところだった。それは先日の犯罪情報 つづり いう話で、染はもうびつくりしてしまった : : ばあさんの綴の残りのきれはしをさがすためだったが、もしそれがあ ぜに