118 がっさい ゴロス一杯よ、凄いカでしよう、ばかカね、ところがね、 あとは一切合財放っ・ほっちゃったのよ。それがよ、ちょっ 途中で巡査に盗まれちゃったのよ、それでまたとってかえと伯母さんに言いにくいんだけどねえ、警報の出る前に して今度は半分ほどもって来たんだけど、でも重かったかね、ちょっとへんなことになりかけてたのよ : : : 」 ら途中で、赤ん坊おぶったひとにあげちゃったの」 その夜、十時過ぎに邦子は友達の家から帰って来た。や ともいった。巡査に盗まれた、という、法外な表現が、 だなあ、やだなあと思いながら帰って来た。何故なら、兄 しかし適切で動かせない実感をもっていると思われた。何が出征して以来、彼女はアパート で一人住いだった。隣組 か新しいものが動いている : の恐いポスたちは、部屋をあけるな、無人は隣組防火の敵 はんじよ 康子が、だけど九日の晩はよく助かったわね、本所でし だ、迷たと攻めたてる、だけれどもお前も新橋ホテルで ていしん ようあなたのア・ ( ートは、と言うと、邦子は待ってました女性の銃後職域奉公に挺身しているのだから、仕方がな とばかり一気に喋り出した。 、部屋をあけることは認めてやるから貯蓄債券をもう少 「それがね、警戒警報が出たのが十一時半頃でしよう。ラし余計に割当てる、と言われ、兄の会社から来る手当と給 ジオの情報がね、へんだな、ってあたし思ったのよ。伊豆料の大部分は貯金や愛国公債にとられ、いろいろな通帳だ 南方洋上に三十機、なんて言うかと思うと六十機って言うけでも十通近くなっていた、かてて加えて近頃では、空襲 し、後続機あり、とも言うでしよう。だからよ、あたしそがあるかもしれぬから部屋代を一年分まとめて払え、と とっさ れ聞いていて咄嗟に、こりやみんな来たんだ《みんなだ、 か、疎開しそうな素振りをみせると、町会費が減収になる って思ったのよ。だからよ、もう空襲警報の出ないうちからいまのうち一年分か半年分まとめて払えなどという無 に、もろに一目散、ア・ハート放り出して逃げちゃったの理難題までもち出す。だからやだやだと思いながら、抜き 1 一ちそう あ〒き よ」甘い小豆を " 伯母さん ~ に御馳走して上げて、心から足差し足で防火群長兼常会長をしている管理人の部屋の前 感謝され、邦子は大得意だった。しかし親しく話してみるを通りすぎて部屋に上った。ガスも出ず、炭もなかった、 と、邦子の言葉づかいが、何とも妙だった。だからよお、 それで、火鉢のなかで新聞を燃やし、毎日の出勤の途次拾 それがよお、それでよお、もろに : いあつめて部屋の床下にかくしてあった ( 留守中は防火の 「あたしがよ、逃け出したら防火群の群長さんが鳶ロもっ用意に鍵をかけることは許されなかった、だから何でもか て追っかけて来たけれど、かまうもんかと思ってよ、つつでももってゆかれた ) ーー木切れに火をつけて暖をとっ ずきん 走ったのよ。着られるだけ着て防空頭巾をひっかぶって、 た。十時半頃、ドアーをノックした者があった。出てみる すご しやペ とびぐち か、ゞ ひばち
170 ぎようをう はおね 醜い形相になるほかなかった。頬骨の上に、もう一つ肉の傷痕の醜さを人に見せたくないせいだろうか、などと、は こめかみ 突起が出来るのである。伊沢は首から顳類まで国防色の繃じめは康子も考えていたのだが、どうやらそれだけではな 帯にぐるぐるまきにまかれて、 さそうだった。ある夜、煙草がまったくなかったので、炒 「仕方がないなあ、これが、僕の、戦争の記念か」と、皮膚り豆を噛みながら話していたとき、伊沢は不意にこんなこ のひきつりのために発音も不自由な唇をゆっくりと動かとを言い出した。 して言った。「そろそろ馴れて来たようなんだけど、片眼「僕も矢張りね、昭和の初年に大学を出た人間なんだな。 だから、心の底の方では、基本的対立というものを信じて をあけたままで眠るってことがね、どんなに奇妙なことか、 ちょっとわからないだろうな。ホテルでね、あなたがどん来た。いまでも信じているとは思うけれどもね、しかし、 なに親切にしてくれても駄目なんだ。この世の中でね、寝あれからちょうど一一十年だ、とにかく、何だか知らぬがこ るときにさえ、片っぽの眼を半分あけたままで眠るやつは、の基本的対立というものを中和してしまうような作用が、 そう沢山いやしないだろう、なんて思うとね、妙に気が沈この日本の社会には、どうにも否定しがたく、存在するよ うに思うのだな・・ : ・こ んでくるのさ」 伊沢は、負傷以来ばったりとそれまでの活動をやめてし伊沢がそのときどきの現象についてではなく、心の底な まっていた。それまでは、毎日愛宕山の傍受所と日比谷公どというものについて語ることなど、まったく珍しいこと 園のなかにある国策通信社の海外局に出勤し、一週に三日だった。 は夜勤までするという勉強ぶりだったのである。それだけ「基本的対立って ? 」 でなく、新聞に出ない、あるいは出せない傍受情報やそれ「それは、あなたの弟君の、克巳さんの考えることとそう に基づく研究を情報局を通さずに秘かに重臣と呼ばれる人差のないこと、つまり階級という考えさ。中和したり消去 人に配布したり、和平を意図しているとされる人々を訪問したりするのは、言論弾圧ということの物凄い効果もあ し、連絡の仕事まで引受けていたのだ。 る、けれども、それだけでは説明しきれないものがある。 げんきよう それが、負傷以来、病院の・ヘッドがあくのを待っ数日のひょっとすると、中和したり消去したりするものの元兇は、 あいだ、昼も夜もホテルの部屋にこもってうつらうつらし知識階級そのものなんじゃないかという気がすることがあ ているという風に変ってしまった。外へ出る力がなかったるな。立身出世に片足つつこんでいるせいもあろうが、と みえぼう わけではない。不眠のせいよりか、恐らく見栄坊なため、 にかく、基本的対立感は、むしろ支配階級の方に濃厚なん ひそ くちびる ものすご
りのお紅茶出すのよ。グリル閉まらないうちにね。それに かに、将来、という一句があったことに気付いて、菊夫は みやげ 帝国ホテルのおじいさまからもお土産が届いているかもしぎよっとした。既に体当り特攻は開始され、神風特別攻撃 れなくてよ」 隊は第五次隊までで百名を越える突入者を出していた。人 なま おどろ と話しかけたとき、菊夫は不快に思った。演奏中に、愚生二十五年と自らも言い、身を純粋とも生ぐさいとも、愕 しやペ にもっかぬことを喋ったりして、と。おれにとって音楽会くべき気軽さとも何とも言いようのない、次第に空気が希 やつら しやば などこれが最後となるかもしれないのに、娑婆の奴等は人薄になってゆくようなところに隔離してゆくにつれて、た の気も知らないで、と思うのである。元来菊夫は、今朝十とえば今日のように外出で上京して来て、外部の、娑婆の 時に上野駅へ出迎えに来た夏子の和服姿からして気に食わ空気に触れると、心の平衡がとれなくなってゆくのであっ なかったのだ。 た。人生二十五年という、そのような自分が叫である とは思わなかった。世間の人々の方がむしろ気の毒だとい 「グリルで出すのよ、本当の紅茶よ」 とうさく 夏子はしかし、へんに執拗だった。気分をこわされた菊う、妙に倒錯したような感覚と意味の世界に彼等は生きな 夫は、 ければならなかった。だから、外部の、いわゆる世間と接 「あとで、あとあと」 し、心を許すことの出来る相手、彼にとっては夏子や母と おさ いっしょにいると、気分が一瞬一瞬、自分でもびつくりす と夏子の囁き声を抑えはしたものの、へんに執拗で、そ れに何だか浮き浮きしているらしい彼女が、『我が妻』なるほどに変るのである。怒りつ・ほくなったり、わけもなく がら、何か異様なものに思われた。また、何かしら不吉な泣きたくなったりする。それを抑えようとすれば無口にな がら ふぎげん 影のようなものが、場所柄も心得ずに、人の多勢集まるとる、人には不機嫌なのかと思われる。 ころへ派手な和服など着込んで来た彼女と自分との間に射それを、夏子は感じとっていた。だから、若い夫が第九 碑し込んで来るように思われた。これは将来とも駄目かもし交響楽の、不吉な、重々しい感動に浸り切っているのを見 すうみついん れぬな、矢張り重臣だ、枢密院だなどという、それもめかると、何か空恐しくなり、同時に自分だけその世界から疎 念 いらだ けの娘なんかは、と。 外されているような苛立ちを感じるのであった。彼女は何 記 結婚以来、いや、交際がはじまって以来、決して口にすとかして菊夫のいるところへ自分も入りたいと思う。しか まいと思っていたことばが、ともすればこのごろ浮かび上も、何か言うとなると、何ともぶざまなことしか言えな って来るのだ。そしていま自分が思い浮かべたことばのな 。今日、枢密院の会議に出る父と一緒に国府津から来る ささや しつよう だめ へい - 」う
揚げて行った。帰りぎわに、 しかしとにかく書類をそっくりそのままお婆さんのお尻 はず 「東京の方でな、そのうち呼び出しがある筈だ」さきに桑にしいていてもらうわけにはゆかなかった。 なぞ 原桑原と謎のようなことをいった年寄りの方が、 「わたし、やってみる。見ててよ」 のぶ 「な、信さん、東京から方々中継で来た電話でやったこと康子は柵の前の廊下に坐り、手をついて、 ていちょう なんだ、悪く思わんでな」 「お婆さん、先程はありがとうございました」と鄭重に礼 ささや おさななじ と囁いた。幼馴染みか小作関係の人か、と思われた。 を述べ、「でもお婆さん、どうにも仕方がなかったのです いったいどこへ隠したんだという伊沢の問いに康子が答から、どうかお許し下さいませ。その書類は、わたしたち の、 えると、伊沢は眼をまるくして、 、皆様のためにどうしても必要なもので ございますから、もういちど、いちどでいいのですから入 「そりやまったく桑原、桑原なわけだよ」 と、木柵のなかのお婆さんについて手短に説明した。おらせて下さい、一生のおねがいです」 ごくどうもの と祈るように言った。 婆さんは、三十年ほど前に極道者だった夫を両の指で絞め 殺した。 気のせいか、お婆さんがかすかにうなずいたように思わ まっす ばかぢから 「莫迦力があってね、お婆さんをつかまえに行ったいまのれた。けれども、暗い、堅い、真直ぐな視線はどこへもそ あの刑事もね、かけ出しの頃だけど、実は咽喉を絞め上げれてゆかず、柵の前に坐った一一人を刺し貫いていた。 康子は思い切って立ち上り、両手の指を握りしめて柵を られたんだ」 以来、気が変になったが、三十年間、決して乱暴もせず、越えた。床の上にちんまり坐ったお婆さんは徴動もしなか った。康子のするがままに任せて、彼女が柵を越えて再び 柵からひとりで出たりも決してしないが、柵を犯して入っ たた てくる者に対しては、誰によらず、こうやってゴリラみた廊下へ出たとき、煙管をとって竹筒の灰落しを。ほんと叩い かんだか 碑いに両手をさし出してかかってくるのだ : た。その甲高い音に、康子はとび上らんばかりにおどろい 念「まあ、するとこの柵のうち側は、神聖不可侵、なわけた。お婆さんは、すばすばと朝の煙草を吸い出した。この ひとは気違いではない。もしそうだったとしても完全にな 「そうなんだ、僕も野球のポールが転り込んだのでね、何おっている、普通の人間として振舞うより、こうしていた 方がいい、このまま死んでいった方がいいと悟っているの 気なく越して入って、やられたことがあるんだ」 「まあ : ・ だ、見透しているのだ、と、康子は断定した。 ・。だけど」 きせる しり
で落してしまった、というのよ。わたし、その話を聞い家騒動みたいたものに見えているわけだな。われわれ忠良 て、ほんとにびつくりしてしまったのよ。でもね、浮須さなる臣民には、皆目見当のつかぬ感覚だが、案外、上の方 んは浮須さんで、ほんとに心の底から、われわれは政治に へ行くというと、それがあたっていると言えるのかもしれ ついては三百年も揉まれ抜いて来たのだから、もしあの三んな」 百年がもうちょっとつづいていたら、決してこんなへまな「わたしもね、それを聞いて、はっとしたのよ」 ことはしません。あいつらはいまに惨酷な革命をおこしち「そう、ねえ。国体、国体と言うけれど、あいつらにとっ まいますよ、そうな 0 ても身から出た錆です、と言うのては本のところはお家大事というものなんじゃないか よ。もう、こうなってはあけすけでいいです、そのまま深な。大体、人間の感覚というものが、その無制限に下表に 田さんに伝えて下さい、石油の方は、戦艦大和を沖繩へ水まで無辺際にのびてゆくわけがない。 四にどしどし焼か 上特攻隊として出すとき、片道分しか石油を積まさないつれて、いろんなものが本性露呈して来ているわけだ」 もりのところ、給油の現場の連中が、それではあんまりだ かくて康子が、 というので、独断でぎりぎり往復分を積ませて出したとい 「じゃ、あなたの本性はどう ? 」 うんで問題になったくらいのものです、タンクはどこもか と、冗談めかして言ったとき、伊沢は、右の眼をとじ かす しこもからからで、いまはタンクの底にこびりついた糟をた。出来ることならば、両眼をとじたかったのであろう 0 ているところです、とこうったえておいて下さい、と が、左眼はどうにもひらいたままだった。 言うの」 そしてそのときは、伊沢はなんにも答えなかった。ひら 「そうかあ。なあるほどねえ。明治以来何年になるかしらきはなしの眼で、しきりと何かを摸索している、と看え んが、あの連中には矢張りそういう気分があるんかねえ、 まくらもと 碑われわれ平民にや想像もっかぬ気分だな。京都から出てき食べ物の包みを枕許の小机の上に置き、日比谷公園の、 念て、あそこを奪っちまいやがったと言うんだね。深刻だまだ菜園になっていないところから盗んで来たダリアの花 びんさ 記ね、これは。自分等政治の専門家にまかせとけばうまくやを、特配の牛乳瓶に挿し込んだ。 しろうと っていったものを、京都から政治の素人どもが出て来て下「このあいだ、あなたは僕に言ったでしよう、あなたの本 民たる軍人どもといっしょになって国を潰しやがるという 性は、それじゃ何だ、っていう意味のことを、ね ? 」 わけか。要するに、国民というものを疎外した、単なるお「ええ」 やまと 」 0
会秩序の存続をねがうということになり、従って夫がそのかった。厳粛な、血と涙の滲んだ滑稽とでも言うものを垣 秩序に対して尊敬を欠くということは、妻にとって不安の 間見なければならなかった。そして彼女は、それを苦いア 種となるものであろうが、克巳はしかし、転向によって現存イロニイとして見る自分は、そういう見方をどこから引ぎ の社会秩序を一応認めてしまい、初江さんは、飽くまで否出したのかとそのとき考えてみて、それが外交官であった 定しようとする。ここでは家庭自体が逆方向に引き裂かれ亡夫と直接結びついていることを自覚した。官僚というも ていた。では引き裂かれた二人を結びつけているものは何のに特有の棍棒のような神経と自惚と無責任さ、亡夫が外 か、単に肉体だけだとして限定することは、矢張り無理とい交文書をシベリア鉄道で紛失して自殺した、その自殺の理 うわさ うものであろう。康子は、五年ほど前に予審判事から呼び由を嚀としては康子の不行跡のせいという風に言いふらす 出されて克巳の転向声明書を見せられ、これでどうにか執巧みな保身術、機構の擁護のためには人間などどしどし踏 ゅうよ 行猶予にはなるでしよう、実刑とまではゆかないでしよう、みつけにしてゆくことの出来る、そういう根性を憎むとこ と言われたときのことを思い出した。弟の声明書なるものろから彼女の判断は由来していた。 : : : 克巳は執行猶予の は、康子の予想に反して、 つまり康子は政治的な議論″恩典をに浴して未決監から出て来て以来、康子の眼にも が展開されているものだろうと思っていたのだがーーー家庭声明書通りに実践し、満鉄の調査部に入ってからも参謀本 的なことを縷々として述べたものであった。両親の死や子部へ移ってからも横道 ( ? ) へそれるようなことはまった えきり 供の疫痢のことなどを述べたあとで、祖先や子孫という、こくなかった。では、そういう克巳といっしょに、まったく の縦の系列によって成立った「人倫の構造」のことを述異なった信を持した初江さんはどうやって暮して来たの べ、予審判事の「お言葉ーに対して「恩義的反省」をもっか。未決を出てから子供も生れていた : : : 。康子は、次第 とし、この「人倫共同体」の日本的中心こそ天皇制である、 に克巳の表情から彼の本心を読みとることが本当に出来な 碑と書いてあった : ・ 。五十を越した、恐らく家庭に戻れば くなっていった。一切を清算してしまったのだろうか、そ 念好々爺であるほかないような予審判事は、厳粛な顔つきれとも いや、一体清算などということがこの人生で で、読み進んでゆく康子を見下してしたが、 / 、 - 彼女は、この果してありうることかどうか ? 本心を読みとることが出 記 弟の書いたものから、苦い、アイロニカルなものをしか読来ないということはつまりは本心、伊沢の言う本性という みとれなかった。弁証法を捨て、マルクス主義を捨てる、 ものなど、存在しないのだ、ということか ? 転々とし、 弟が本気でこんなことを書いたのだとは、到底思えなそしてたた転々とだけしてゆく男性と、どうして相抱いて こう - 」うや にが こん・はう うぬぼれ
「それ、もう一度かけろよ」 と山崎が髪をとかしながらブップッ言った。 と正夫は言ってまた読みつづけた。 「俺もだよ、誰たって足りないよ」 こづかい : 速度ハえねるぎいャ質量ヲ作ルノデアルカラコレハ と正夫も言った。小遣は月給として一カ月まとめて五百 ワレワレ 第五章 = 述べタ宇宙膨脹ノ項ト重複スルガ吾々 ( 宇宙ト円母親から貰っているだけだった。そんなことでは足りる ハ誕生以来創造サレツツアル状態ヲ言ウノデアル。宇宙わけがないので、 ノ果ーーー向ウ側ニモマタ他ノ宇宙ガアルトイウなんせん「月給だけじゃ、一週間しかもたないよ」 すハ、若シ他ノ宇宙ガ存在スルナラ、ソノ宇宙モマタ吾 と一一 = ロうと、 吾ノ宇宙ニ対シテ突入シティル / デアル。何故ナラ・ハ宇「ううん、一晩で・ ( アだよ」 宙 / 生命 ( 速度デアルコトニ外ナラナイカラデアル。宇 と渡辺が言った。持っていた本が・ハラ・ハラめくれて、そ 宙ノ隣接地 ( 無デナケレ・ハナラナイ。無トハ何デアルカ、 こからまた読みだした。 ボウ / イ 無ノ概念ヲ述べル前一 ・ : 速度ノ誕生、及ビ宇宙ノ誕生ハ厖大ナ始発デハナク キ / シ・ウ 「天文学の本なんか、つまらないだろう ? 」 僅少ノ速度ノ誕生ニョッテ始メラレタ / デアリ、無ト と渡辺が机の前で言った。 質量モえねるぎいモ速度モナイ。マタ時間モナイ。詩的 「なんだってかまわないんだ、読んでさえいれば」 破格法ヲ以テ表現スレ・ハ吾々個人モマタ無プ持ッティル と正夫は言った。 ノデアリ、コレ ( 個人ノ誕生以前ノ世界及ビ死後ノ世界 「そんな本、明治時代に出版された本だよ」 ヲ指ス / デアル。速度ハ状態デアリ、無トノ対照ニョル と渡辺が教えてくれた。 状態ハ各方向カラ指摘スルコトガ出来ル / デアル。・ 「そうかな、明治時代に原子爆弾の本が出ていたかなア」 ン 急にびつくりしたように山崎が大声で、 ライ / ダンスャッ あし・もと 正夫は変に思ったので聞いた。 「体操の先生、俺の足許ばかりを睨みつけるけど、俺のズ の「そうかなア」 ポンが細くないかとそんなことばかり目を光らせてるけ の方へ手を延ばした。渡辺もよ ど、ヤツはノイローゼだナ」 東と渡辺は言ってレコード とうら、 ふんがい く知らないらしい。エルヴィスの「チャンス到来」が鳴り と、毛をとかしながら憤慨して言った。それからロの中 だした。 で・フップッと、 「俺、月給たけじゃ、とても、もたないよ」 「ズボンが細い方がス。ホーライで、太しズホンなんかオ・ハ おれ
った。それらのいちいちぜんぶが検挙者を出していた。だ労動員署と同じことを警察がしなければならなくなって来 から件数はいつになったら処理済みになるのかわからぬほたのである。特高課、労働課、検閲課、外事課、内鮮課な ど多数に達していた。井田一作は既にうんざりしていたのどの仕事が重複ごちゃま・せになって来た。やりぎれたも こうよう である。工場で図書文庫を開設して科学知識の昻揚をはのではなかった。不敬罪や造言蜚語で検挙されて来るもの かった、というので出先が検挙して来る。と思うと、工も、一日に何人となくあった。尋問してみると、四月の十 場で、壁新聞をつくって増税や公債の解説をした、 0 工場八日に戦災者に対する勅語というものが出て、勅語といっ ごないどきん の産報機関誌に「美しい小説や詩の基礎になっている其のしょに御内帑金なるものが一千万円出た、それで内脩とは てもと 時代の歴史や地理を知ったり、どんな生活様式、特に経済何のことだ、と人に聞いた。そしたら手許の金ということ だ、と答えてくれた、手許の金が一千万円か、ずいぶんな 機構をとっていたかを知ることは人生生活にとって重要な と、たったこれだけのこ ことである、だからそれ等基礎知識を得るように努力しょ金持ちなんだなあ、と言った かれつ う」という投書や、「苛烈な戦局下、我等産業戦士は一致とであった。密告されたのであった。造言蜚語の方は、焼 ・こうしゃ 団結しガッチリ手を握り合って一つの光明、労働者の大き跡の壕舎に、英語教えます、という看板の出ているのを見 な理想へ向って撓まず前進しなければならない」という投た、そうだ、いまのうち習っておいた方がいいかもしれん ぞ、と言ったとか、あの人の家が焼けなかったのはキリス 書がのった、それ検挙しろ、工場では、工場では こんな有様では、事の最終的な処分などいつのことになるト教だからだ、とかという愚にもっかぬものであった。い 。人々は空腹に やらわかったものではなかった。空襲が激しくなってからちいちとりあっていたら、きりがない : がきやみわすら は連絡も不充分だし、第一警察が焼けてしまって、何がど堪えかねて、一様に餓鬼病を患っているような有様であっ たが、毎日毎日いささかも変り栄えのせぬ新聞やラジオに うなったか見当のつかなくなったものまで数多く出てい ごう た。なかには、工場の首脳部が退避した防空壕が直撃弾でも飽きて、情報に対する餓鬼病をもかねて患い、造言蜚語 やられ、脳部のととのわぬあいだは産報ではなくて、自の方をむしろ好む有様になっていた。捕えてみたら警官だ 主的な労働組合と同じものが結成され、これが全部を管理ったという例もないではなかった。史にはまた、産業報国 しているところまで出て来ていた。そうこうしているうち会や労務報国会などの労働関係機関の会議などに出て来る しやく こ一・こと に、東京は焼き払われた、そして罹災した労働者たちの就軍人どももまた、このごろではその悉くが井田一作の癪 やつら 職や援護などの事務までおっかぶされてしまった。国民勤の種だったのである。彼は考えていた、奴等はまったく式場 たゆ
ひかるけんじ ても光源氏の恋愛であっても、何でもかでも日本の運命と「八時二十分か。少し遅いけれど、おれ、品川の先生のと 光栄に結びつけて深刻に考えたがる気持は、夏子にもわか ころへちょっといって来るー と言い出した。 らないではなかった。しかしそれはそれとしても、彼女は あきら 逆に反撥したくなるのである。そんなに深刻に考えたとこ これを言い出したらもう仕方がない、と夏子は諦めた。 ろで何になる、と言いたくなるのだ。 , 彼女はまた、菊夫が品川の先生とは、元来はドイツ語の教授だったが、漢学の 口にこそ出さないけれども、自分のことを芸者の、めかけ家筋だとかで、戦争がはじまると、まったく国文学、それ の子、重臣などというろくでもないものの娘ということがも幕末志士文学の専門家になったかの観のある教授のこと らを、いつも胸のどこかにつかえさせていることも承知しであった。 はす ! ていた。そうであればこそなお蓮っ葉な口のきき方をした「じゃ早く帰ってね、警報でも出るといけないから。義母 くなる。事の如何を問わず、言い辛く聞き辛いことにぶっさんのお部屋か、もしかするとお父さんが帝国ホテルから かるごとに、二人の気持はかけ違ってしまうことは、夏子移って来てらしたら、そっちか、どちらかにいるわね」 すで 場所は、ホテルと朝鮮総督府東京事務所が対角をなして も既に自覚していた。二人は、半年近い結婚生活で、いっ いる四つ角だった。夏子はうなだれてホテルへと向った。 しょに暮した期間は二週間に足りなかった。 しばらく話題がとぎれたので、夏子は、 だとすると、深田英人は帝国ホテルではなくて、こっち へ移るかもしれない、井田一作はホテルの裏にたたずんで 「義母様も忙しくて気の毒ね、夜働くのは身体に毒だわ」 くらやみ と暗闇を歩く不気味さと、沈黙がもって来る気まずさを考えていた、ところで、石射康子の方は社へ戻った、新し まぎらすために、言ってみた。が、菊夫は答えなかった。 い海外情報を見に戻ったのだ、それを深田英人に報告する 夏子は、いま話題にした義母のことなど忘れはてて、こののだ、それからあの五階には放送局、外務省、軍令部など 力しる 碑ひとは何を考えているのかしら、せめてわたしといるあい しいだろう「おい」 だだけでも皇国必勝の信念はやめてくれても、 念 に、と思い、 彼はホテルの守衛室へ首をつつこんだ。大抵の大ホテル 記 の守衛は刑事上りであった。 「なんだか悲しくなっちゃったな」 と口に出して言ってみた。 康子がタ方の五時までに傍受した秘特情報をまとめて伊 菊夫は、文字盤の青白く光る夜光時計を眼によせて、 沢のところへもってゆき、海外局にいる二世たちの健康状 づら
と、定平は怒るように言った。定平は表へ出て川しもへ年があけて、ウメは十七になった。おけいはウメに婿を 歩いて行った。春ゃんの畑へ行くと、春ゃんのアさんが貰わなければと思っていた。平吉よ、、 をしくさに行くとロい 土手に腰をかけていた。定平は、 出したら行くに決っているのである。そうなれば定平は 「えらいことになりやしたねえ」 ( 怒り出すにちがない ) と思った。怒られても平吉は、つま っえよ と言いながら婆アさんの杖を除けて腰をおろした。 りは行ってしまうのである。その時は、おけいは定平のな 「運でごいすよ、三河のいくさで総領は死ぬし、その孫だ だめ役をしなければならないのである。ウメに婿を貰って むこ おけば、ボコでも生れれば ( この家はそれでよいのだ ) と ちをみてくれる婿の代に畑が石の畑に化けてしまって」 と言って声を立てて泣くのである。定平は教えてやるこ思っていた。話し相手にならない男のボコを三人も、もっ とがあって来たのだった。 たが、女が一人あるから、ウメだけは話し相手になるから、 「この畑は低くなったのだから、こんど大水が出れば、きと、おけいはウメに婿をとることに腹を決めていた。だ が、婿を貰うにも相手がなかった。定平と一緒にオヤテッ っと、土が流れて来るから、心配するこたアねえ」 と教えてやった。そうすると婆アさんは、 トに出てくれる相手であればよいのである。ただそれだけ 「こんどは、、 の相手だがおけいの心当りにはないのである。ウメも十七 しつ大水が出るらか ? 」 になったのだからと、おけいは気が気でなかった。 ( 自分 と聞くのである。定平は返事に困ったが、 一人だけではだめだ ) と思ったので、誰かに頼んで遠くを 「またすぐ出るさ、毎とし毎とし水が出るだから」 と言って立ち上った。春ゃんの婆アさんは逢う人ごと探さなければならないと思った。その日、夕方、よく表を に、 通る馬方におけいは声をかけた。通りすぎてしまったので はだし 「こんどは、、 跣で表へとび出して、大声で、 しつ大水が出るらか ? 」 と聞くのである。村の人は、 「お爺いやーん」 と声をかけた。うまく聞えて、こっちを振り向いたので 吹「頭が、どうも変になった」 手招きして、 と言って相手にしなかった。定平は、 笛 「大水が出れば、きっと、土を運んで来るから、春ゃんの「寄ってけし : : : 」 婆アさんは正気だぞ」 と、騒ぐように呼んだ。馬方のお爺いやんは馬をとめて と、村の人に逢えば必ずそう言った。 すぐ引き返して来るのである。おけいは家の中へ入って待