「ウメは大丈夫だけんど、八代のおじゃんは死んだそ」 いてしまう程やられてしまってまだついて行く気か ? 早 と、惣蔵は言うのである。 くウメを連れてきて、手前もこの家に隠れてろ」 と、定平は怒って言った。そう言うと惣蔵も怒り出し と言って、定平もおけいも惣蔵のそばへ行った。 た。でかい声で、 「やられたか ? 」 「先祖代々お屋形様の世話になって、今 : : : 」 と定平が言うと、惣蔵は首をうえ下に振った。それか と言った。定平は腕がぬける程びつくりした。 「先祖代々」 たかとお 「信州の高遠のお城で、みんな死んだと言うから」 と、思わずロの中で言っておけいの顔を見た。おけい と言った。 も、惣蔵がとんでもないことを言い出したので開いたロが ふさ 「それじやア、お屋形様もねえな」 塞がらなくなったのだった。定平もおけいも、お屋形様に うら と、定平が念を押すように言って、また、 は先祖代々恨みはあっても恩はないのである。先祖のおじ てめえ 「馬鹿じやアねえか、手前ばかり帰ってきて、ウメや安蔵 いは殺されたし、女親のミッ一家は皆殺しのようにされて しまい はどうした ? 」 ノオテンキの半蔵もお屋形様に殺されたようなも と言った。惣蔵はあわてて、早ロで、 のである。八代の虎吉もお屋形様に殺されてしまったと同 「俺は帰って来たじゃねえ、これからお屋形について、郡じであるのに、先祖代々お屋形様のお世話になったと言い 内へ行って、郡内の山へ立て籠るのだ」 出したのであるから惣蔵は気でも違ったのではないかと思 と言うのである。定平が驚いて、 った。 「馬鹿だなア、てめえは、そんなところへ行く気か ? 」 「そんなことがあるもんか」 と言うと、惣蔵は、 とおけいがロの中で言った。呆れ返って・フツ・フッ言った 吹「お屋形様はゆうべお城を焼いて、郡内へ行くと言ってこ が、声を張り上げて、 っちへ来るぞ、ウメもお屋形様と一緒にこっちへ来るぞ」 「何が先祖代々だ」 笛 と言うのである。 と言った。惣蔵は当り前だという風な顔で、 「馬鹿野 良 ! てめえ、この前、なんと言った。いくさは 「先祖代々お屋形様のおかげに、この土地の者は、みんな やってみなけりやわからんと言ったじゃねえか、お城を焼お屋形様のおかげだ」 ら、 あき
に来たのだ、いくさはどんなことになるか、今のうちに家を見ると、みんな目を泣き腫らしていた。お御台様と並ん で木の枠に腰をかけているのがお屋形様だとすぐにわかっ へ帰らなきや」 ただ と、力を入れて言った。だが、惣蔵は、 た。女だちの中に男でいるのは唯一人だった。三十五、を六 「お屋形様のお供をして行くさ、先祖代々お屋形様のおかの人で、長顔で顔色が黒く、痩せた背の高い人である。 ( 八 げになって、みんなお屋形様に背く奴ばかりだ、お屋形様代の虎吉と同じ年だ ) とおけいは思って、ふっと虎吉の顔 は泣いてるぞ、行って見ろ、安蔵も平吉も行くと言うのでが頭に浮んだ。そうして虎吉が死んでしまったことを思い お屋形様は嬉しくて泣いてるそ」 出した。 ( みんな死んでしまうじゃねえか ? ) と思うと涙 がまたこ・ほれて来た。人垣の中から頻を引っ込めた。すぐ と言うのである。おけいは ( 平吉の奴も、やつばりそう くわ だったか ) と、また思った。 そばの芽をふいたばかりの桑の畑の横におろして声を立て 「それじやウメは ? 」 て泣いた。そうして ( ウメがどうしてもお屋形様と一緒に A 」旨ロ - っ A ス 行くと言うなら、自分も一緒にどこまでもついて行こう ) 「ウメもお屋形様と一緒に行くと言ってるそ、ウメもあそと思った。そう思うと、 ( 連れて行って貰わなければ ) と みだいさん こで、お御台様と一緒に泣いてるそ」 思って帰る気もしなかった。 と言うのである。 その晩、お屋形様はそこのお寺に泊った。惣蔵の親子四 「ウメの所へ」 人はお寺の廊下にかたまって寝て、そのそばで安蔵と平吉 そう言って立ち上った。 は板壁に寄りかかって寝た。おけいは平吉と安蔵の足の前 に寝転んで夜を明かした。ウメはお屋形様だちと一緒に奥 「行って見るけ ? 」 と言って惣蔵が歩き出した。行列の前の方は人がかたまの部屋に泊った。おけいは定平に黙って家を出て来てしま っていた。大勢とり囲んで立っている中の方にまた大勢がったのである。夜、安蔵と平吉の足をつつきながら、 吹坐っていた。おけいは人垣の中から顔だけ出してウメを見「お父ッちゃんに黙って来ちまって、待ってるら」 と、何回も小声で言った。だが、平吉も安蔵もはっきり 笛つけた。坐っている人達のまん中にウメが坐っているので わ ( ある。そばに木の枠へ腰をかけている人がお御台様だとすした返事もしなかった。うす目をあけて、聞いてはいるが うなす ぐわかった。お御台様もウメと同じ位の年だった。ウメも「うんうん」と頷いてもいた。「待ってるから」と言う一の お御台様も目を泣きらしていた。まわりに坐っている人に、「うんうん」と頷くだけではどうしようもなかった。 そむ
うれ と嬉しそうに言った。 と、村の人達は言って笑った。おけいは、源ゃんの家で 雨が降る日、八代の虎吉が来た。 普請をしたなどと言い出したのは、誰だろう ? と思っ 「これからいくさに行くのだ」 た。源ゃんの家では普請などというものではなく、物置小 と言うのである。 屋のようなものを建てただけだった。 「えツ、今すぐに行くのか ! 」 年の暮、虎吉がいくさから帰って来た。川しもの橋を渡 あけ と言って定平は呆ッ気にとられた。虎吉はすぐ行ってしれば八代へ近いのだが、わざわざ遠まわりをして定平の方 まったのだった。 へ先に寄った。虎吉はお屋形様について信濃の川中島へ攻 「お母アが死んだからだ」 め込んでえらい手柄を立てたのだった。 と定平は言って、早足で雨の中を行く虎吉の後姿を眺め「夜、顔を隠した敵が五、六人、馬に乗って川を渡って来 ていた。 て、お屋形様の陣へ斬り込んで来たのを俺が見ていたの ぶしん この夏は大雨もなく土手普請も急ぎではなかった。秋だだ。 ( お屋形様が危ねえッ ) と、飛び込んで、お屋形様に向 しりやり が、春のような陽気だった。この頃、通る人がよく、 っている敵の馬の尻を槍で突きさすと、馬が跳ね上って敵 「ワカサレの源ゃんの家で普請を始めた」 は逃げてしまったが、後でお屋形様が、 と、笑いながら教えるように話して行くのである。 ( あれが敵の大将だ ) したく と言ったので、 「まさか、親を追い出す仕度じやア ? 」 けんしん と、おけいが言うと、 ( あれが謙信様というえらい人だったか ! ) 「三代親を追い出したから、こんどは息子の方が親と別れと言って、みんなびつくりした。お屋形様は顔にかすり て住むずら」 傷を受けただけだが、もし俺がいなかったら ( お屋形様は かしら と、定平が言った。 やられていたかも知れん ) と言われて、俺はすぐ仲間の頭 だんな 吹「それじやア、親を追い出すじゃねえ、息子が移って行くにされてしまった。 ( 旦那、旦那 ) と仲間が俺のことを言っ 笛のでごいす」 て、さっきも帰る時に ( 旦那 ) と言ったぞ、俺のことを」 とおけいは言った。源ゃんの家の普請が仕上って、親が虎吉はいくさの様子をしゃべっては、 四そこへ住んだのはそれからすぐだった。 「運もよかったというもんだ」 「これで四代続いた」 と言って嬉しがっていた。 けえ
312 「いくさは終わった」 「ひょっとしたら、子馬はくれるかも知れんぞ」 そむ と言うことだった。お屋形様に背いて、郡内から山を越と、話し合ってるのである。定平の家には今まで自分の して攻めて来たのだが、お屋形様の軍勢が行ったらひとた家の馬というのはなかった。もし、子馬はくれるというこ まりもなくやられてしまったということだった。家へ帰っとに決まれば有難いことだった。定平も、 たらおけいがいくさの様子を知っていた。 「子馬はくれるかも知れんぞ」 「お屋形様の伯父さんという人が、勝沼あたりで背いたと と、おけいに言ったりした。後でお届けに行ったら、 いうことでごいす」 「世話をしていろ」と言われただけで、連れにも来ないし、 くれるとも決めてくれないのである。おけいも、 とおけいが言うのである。定平は、 「郡内から攻めて来たとも言うし、いろいろ言うけんど 「子馬はくれるかも知れやせん」 と言った。それから、 と言っていた。 「俺がかなり早く駆けつけたと思ったのに、おそい方だっ その年、お屋形様の晴信様が信玄様と名を変えた。石和 の元のお屋形は「石和のお陣屋」と呼ぶようにもなった。 た。よその人は早く駆けつけるもんだなア」 いくさは先代の時より強くなって、遠い国からでも「頭を と、定平は・フップッ言った。預けお馬はまた家へ連れて きたのであるが、夕方、五頭のうちの一匹がボコをもっ下げて来る」ということも村の人達が言っていた。 こ 0 「どこといくさをしても大丈夫だ」 と、誰もが言って、 「いくさに行かなんでよかったなア」 と、おけいが親馬に言うと、 「いくさに行かん奴はだ」 「妊んでるのに、引ッ張り出して、法螺貝の音でびつくり そう言って、みんないくさについて行った。定平より年 して、早く出てしまったずら」 が上でもいくさについて行く者があったが定平は行かなか っこ 0 と、定平はおけいに言った。預けお馬がボコをもったこ とをのお屋形へ知らせに行 0 たら、定平は怒られてし 預けお馬のもった子馬もかなり太った。この年から「馬 まったのだった。いくさが終わったばかりで騒ぎもまだ納のお祭り」をすることになったのである。 まらないらしいのである。うるさがられたようでもあった「去年馬の年だから、去年からするわけだったが、今年か ので、後で来た方がよいと思った。帰って来ると村の人が、 らすることになった」 はら
ウメや惣蔵だちによく話ができると思った。夜は暗いのだ所まで来てしまったのだ ) と思った。だが、目の前に立っ ていると、そんな怒りも無くなってしまって、可哀想にな から、夜になってひき返す方がまわりの人にもわからない ってきた。おけいは・ほろ。ほろと涙がこ・ほれてきて両手で目 でよいだろうと思った。とにかく暗くなるまでついて行こ うとおけいは決めたのだった。 を押えながら惣蔵の言うことを、どこか遠い方で誰かが言 ってるように聞いた。 それから一里ばかり行った山道で行列は止ってしまった のである。日暮れには間があるが今夜はここへ泊るのでは「郡内へ行って、山へ籠って戦うというはずだったが、先 オいかと田 5 った 0 に郡内へ行って待っているという小山田様という人が、お 様子を見に近づくと、前の方で大勢かたまって何か言っ屋形様を郡内へは入れないというのだ。お屋形様の一番お てるらしいのである。そばにいてはまずいと思ったので、気に入りの家来だのに、お屋形様が行けばお屋形様に刃向 また後へ引き返してきた。一丁ばかり離れて、道の横に腰うというのだ、先祖代々お屋形様のおかげになっていたの をおろしていた。いくらたっても行列は動かなかった。きに、さっき、それを知らせに来たのだ」 おけいはそれを聞いていて、そんなことにもなるだろう っと、今夜はここに泊るのだと思っておけいは待ってい た。行列はかなりたってから動き出した。すぐおけいも立と思った。いくさはどんな風に変るかも知れないというこ とは村の人がよく話していることである。そんなことはど ち上って歩き出したが、少し行くと、また止ってしまった のである。止ったあたりの右側にお寺があるらしいのであうでもよいのである。みんな家へ帰 - ってくれればそれでよ いのである。おけいは泣きながら、 る。 ( あのお寺へ泊る ) と、おけいは思った。また道の横に 腰をおろしていると行列の方からこっちへぶらぶら歩いて「お前だちは、いっ家へ帰るだ ? 」 と言った。惣蔵は、 来る人があった。 ( 惣蔵らしいが ? ) と思っていると、近づ いて来たらやつばり惣蔵だった。惣蔵はぶらぶら歩いてき「俺達はお屋形様のお供をして、どこか別の山へ籠るの て、 と言うのである。それから、 「おッ母ア、えらいことになった」 と言いながらおけいの前へ来て止った。おけいは黙って「おッ母アは、ここから帰れし」 と言うのである。 いた。 ( こいつが一番馬鹿な奴だ ) と思った。 ( こいつのお かげで、みんないくさに行ったのである。そうしてこんな「馬鹿のことを言うじゃねえ、お前だちを連れて帰るため けえ
おけいは二人とも ( 眠いずらに ) とも思った。 ( 腹もへってったので、 るらに ) とも田 5 った。 ( ろくに、飯も食わんずらに ) とも思 「当り前だ、帰るのが」 った。おけいは家を出てから何も食べていないのに気がっ と、ロの中でブップッ言った。 いた。だが、胸がいつばいで少しも腹がへったようではな「何を言うだ ! 」 っこ 0 ・カー と、惣蔵がでかい声を出した。びつくりして惣蔵を見る たにし 夜があけて、みんな立ち上った。 ( 今日はどっちへ行くのと、田螺のような目をしてこっちを睨んでいるのである。 たた こふし か ? ) とおけいは思って気になっていたが、いくら待って目をそらすと安蔵が拳を振りあげて今にもおけいを叩きそ いても出かけないのである。お屋形様だちは奥の部屋にい うな顔をしているのだった。おけいは足がふるえてきた。 おそ かわ て出ても来なかった。みんなお寺の庭や道に出て、腰をお ( 可愛がって育てて来た自分の息子に、こんな怖ろしい怒 ろして待っているのだが出かけなかった。おけいは気がつられ方をするとは夢にも思わなかった ) と思うと口惜しく くと、安蔵も平吉も惣蔵も姿が見えないのである。あわてなってそこから離れてしまいたくなった。横に大きい木が て探しまわったら、三人共、お寺の裏の方に一緒になってあって、根元へ腰をおろしてわあわあと泣いた。 ( 息子だ いた。何か相談をしているらしいので、急いで行って三人ちは親よりもお屋形様がよいのだ ) と思った。 ( お屋形様 のまん中へ割り込んだ。そうすると、惣蔵がおけいに、「今に、そんねに一生懸命になって ) と思うと情けなかった。 朝になったらお供の人達が、半分にへってしまったぞ」 ( あんな怒り方をしてまでも ) と思った。おけいは息子だ と言った。おけいは何のことだかわからなかったが、平ちを恨んで泣いて ( 死んでしまおう ) とも田 5 った。 吉が、 お屋形様は昼すぎに出掛けたのである。郡内へ行くこと 〒んもくざん 「夜のうちに逃げてしまったのだ、お屋形様を捨てて」 は止めて天目山へ行くというのである。歩きながらそばの と言って、驚いていた。惣蔵が、 人が「北の方の山だ」と言うので「どの位ありやすか ? 」 「先祖代々お屋形様のおかげになったのに」 と聞くと、「山づたいで、少し行けば見える」というのであ と叱き出すように言った。おけいは、やっと様子がわかる。 ( それじやア郡内へ行くより近い所だから、その方が った。おけいがみんなを連れに来たように、みんな帰ってよかった ) と思った。かなり山づたいを歩いて行ったが天 しまったのだと思った。 ( 無理もねえ ) と思ったが、 ( 困っ 目山は見えないのである。「どの辺でごいす」と、またそ けえ たものだ ) とも思った。 ( ウメも帰ればいいけんど ) と思ばの人に聞くとコ一、三里行けば見える」と言うのである。 にら
( 二、三里じや今日中に着ける ) と思った。だが、日が暮れ と、言うだけである。惣蔵安蔵もおけいには教えるの るまで歩いたが着かなかった。日が暮れて、やつばりお寺が嫌らしいので、おけいはまわりの人の話を聞いているだ の所で止って、そこに泊ることになった。小さいお寺で、 けだった。お屋形様は昨日のように急ぐでもなく、 ( ただ、 お屋形様だちはお寺の中へ入り、みんなはお寺のまわりで動いているだけじゃねえか ) と、おけいは気がついたがロ 野宿をすることになった。おけいは息子だちと縁の下へも には出さないでいた。 ぐり込んで寝た。夜中に、道の方で足音がしてみんなが騒昼すぎにおけいはいくさに出逢ったのである。歩いてい ぎ出した。 ( まさか ? ) とおけいは思ったが、後で「敵だつると、突然、道の横で騒がれたのである。横の桑畑の中で た、十人ばかり通った」と言っているのが聞えた。 騒ぎだされて、おけいは身ぶるいがした。 「通りすぎただけだが、様子を見に来たのだから、後で攻「それつ ! 」 めて来るかも知れん」 と、こっちでも騒ぎ出して、みんなお屋形様のまわりを と平吉が言うので、おけいは、 取り囲んだ。みんな桑畑の方を睨んでいると、こっちから 「そんなこともねえら」 桑畑の中へ一一人飛び込んだ者があった。すぐ叫び声が聞え て、少したっと桑畑の中から出て来たのは安蔵と平吉だっ と言った。惣蔵が、 こ 0 「来るなら来て見ろ」 とカんで言った。 「逃げてしまったそ」 と安蔵が言った。おけいは桑畑の反対の木のに隠れて 夜があけるとすぐお屋形様は出掛けた。天目山へ行くと 思ったが、 見ていたが、自分のうしろの高い方にも人がいるらしいの のぞ 「郡内の人達は、もう天目山へも手をまわして、寄せつけである。振りむくと、一一、三人こっちを覗いているのが見 ないようにしている」 えた。あわてておけいはお屋形様だちの方へ飛んで行っ 吹と、まわりの人が言っているのである。おけいは惣蔵て、指で向うを差した。 こ、 「それつ ! 」 笛 「天目山へ行くかと思ったに、そうじゃねえのかい ? 」 と言って、みんなが睨みつけた。安蔵が、 と聞いた。惣蔵は、 と騒ぐようにしてそっちへ走った。すぐ帰ってきて、 「どうなるかわからん」 きのう にら
376 と言って、大きい声で、 「逃げたぞ」 と言うのである。おけいはお屋形様だちの中に入り込ん「お母ア、ここにいては駄目だ」 と言った。おけいはここから離れるという気にはなれな でいた。それから、お屋形様は急ぎ足になった。少したっ と止った。そこでおけいは「お母アお母ア」と言う声を聞かった。 ( 安蔵と平吉は甲府へ行って、用をすませれば家 へ帰るだろう。二人だけはここから帰らせれば、自分な いた。平吉の声である。それから、おけいは平吉が目の前 ど、どうなってもかまわない ) と田 5 った。平吉に指をさし に立っているのを見つけた。横で安蔵が目をキョロキョロ て、 させていた。平吉が、 「お前だち二人は早く行け」 「お母ア、これから甲府へ行くのだ、二人で」 と大きい声を出した。 と言って安蔵の方を見た。それから、 「そんなことを言わずに帰れ」 「家の方へ行くのだから、お母アを送って行く」 と、横から惣蔵が言った。惣蔵を見ると、去年生れたヤ と言うのである。 ョイをおぶって立っていた。その横にウメが着物を裾から 「ウメをここへおいてか ? 」 高くまくり上げてこっちを見ていた。そのうしろに嫁が立 と、おけいが言うと、 わらじ っていた。草鞋をいて立っている足のうしろには今年五 「ウメは」 ツになる久蔵が、ぶら下るように嫁の腕を招んで田螺のよ と言って首を横に振った。おけいは返事をしなかった。 うな目を開けておけいの顔を見ているのである。おけいは 返事もしないで動かないでいた。そこへ惣蔵が来て、 かく 「敵がこんなにそばまで来たのだから、お屋形様はもう覚 ( ここから行くものか ) と、また思った。平吉と安蔵に、 悟を決めている。平吉と安蔵はこれから甲府のお聖道様の「まごまごしていないで、早く行け」 と、おけいは纈ぎ立てるように言った。それから嫁のそ 所へ行くのだ、お屋形様の心配はお聖道様のことだけだ。 ばへ行った。久蔵の手をんでそばへ引きずり寄せて、 目が見えないお聖道様が敵の手に渡れば、どんなことにな るか、お屋形様の心配はそれだけだ。これから行って、早「今まで歩いていたのか」 と言った。抱き上げて背中へまわしておぶった。 くお聖道様に死んでもらうように知らせに行くのだ」 「いざとなったら、一緒に死ぐから」 と言った。平吉が、 と言って、おけいはわあわあと泣いた。泣きながら安蔵 「丁度行く道だから」 ため たにし すそ
360 と、定平はブップッ言った。 甲府の西の方へお城を造っているということだった。村の 年があけて、ウメは十八になった。早、甲府の惣蔵の所人だちは、 りゅうおう にらさき へ女のボコが生れた。 「なんでも、龍王より先の、韮崎の方だと」 「春生れたからャョイと言う名だ」 そう言ったりしたが「今年はまだ水が出るかも知れん」 ということを知らされて、おけいも定平も、 と言って道普請の方が急ぎだった。 コ一人もボコがあれば、惣蔵もいくさに行ってノオテンキ 「お屋形様のお城は、でき上ったら見に行きやしよう」 と言ってるぐらいだった。 のこともしめえ」 と思った。 冬のはじめに、 その夏、大雨が降った。土手は切れなかったが田や畑は「お屋形様のお城も、ほ・ほでき上った」 流された。稲の穂が出るというところを流されたので、ぬ ということも聞いた 0 けた穂を拾い歩いて植えたりした者もあった。 「新しくできたお城だから新府と言うそうだ、元のお城は 「あんなでかくなった稲を」 古府と言うそうだ」 だめ と言って、駄目だと笑っている者もあったが植えたら、 と言うことも定平は聞いた。 あとでは穂が少し出た。春ゃんの家の石畑には泥が溜って年の暮、「新府はまだすっかりでき上らないがお屋形様 家中小躍りをして喜んだが乾くと土は少ししか連ばれてい では全部移って行った」ということ村の人達が話してい ないのである。 「一尺ぐらいしか土は運ばれなんだけんど、まだ五尺も低八代の虎吉が惣蔵と一緒にギッチョン籠へ来たのは「あ えら い土地だから、こんど大水が出ればきっと畑になる」 したは正月だ」という日だった。偉くなって、別の人のよ と村の人も言って、春ゃんの婆アさんが、 うになった虎吉がウメを借りに来たのである。お屋形様で 「こんだア、、 しつ大水が出るらか」 はみんな新府のお城へ移ってしまって古府のお城は人手が と→一口い歩一くと、 足りなくなったというのである。虎吉は古府のお城に残っ っ・こう 「水など出ちゃ困りやすよ」 ているが身内の者がいた方が都合がよいと言うのである。 ふしん 「ウメを連れて行って、掃除でもさせるというわけだ」 と言い返すようになった。定平や平吉は道普請に出てい る時、お屋形様でも普請をしているということを聞いた。 と言って、定平は虎吉の顔を見た。虎吉は冢の中へ入っ こおど こ 0
と聞いた。安蔵は北の方へ指をむけて、 日が暮れて夜あけに田野の西の村へ出た。村の人に聞くと、 「山の方へ」 「下の方でいくさをしていやす」 と言った。平吉は一生懸命馬を走らせた。山道へ入る と言うので急いだが、田野へ着いた時はお屋形様だちは と、馬が動かなくな 0 たので安蔵だけを乗せて平吉は馬の死んでいた。行列の人達も死んでいた。ぼ 0 ぼっと音をた 口をとった。 ててまだ息をしている者もあった。おけいもウメも嫁も一 「お屋形様のいる方へ、この山の奥は塩山の方に出られる緒にな 0 ていた。嫁はヤョイを抱いていた。おけいは両足 から」 をひらいてうつ伏せになって、背中を大きく斬られて転が と、安蔵が言って、山道を夜も歩いた。馬はすぐ弱った っていた。 ので乗り捨ててしまった。安蔵は左足を斬られただけだが「惣蔵兄ゃんは ? 」 だんだん歩けなくなって、平吉が肩を貸して歩くのだが背と、安蔵も平吉も探しまわったが見つからなかった。そ 負うと同じだった。三日も歩いて川の所へ出た。 の頃惣蔵は、五ツになる久蔵を刺し殺して、天目山の入口 がけかど 「笛吹の川かみだ」 の崖角に隠れて、通る敵を片手で斬り倒していた。左手で と、安蔵が言 0 た。川しもへ行くと家があ 0 た。馬があ藤づるを撼んで身をささえながら一人しか通れない崖の曲 ったので黙って引っぱり出して、二人で乗って山道を下っ り角で、 ( お屋形様の御最期までは、敵を寄せつけるもの て行った。笛吹の川幅が広くなった村で、お屋形様の様子か ) をきいた。 と、一人斬っては崖下へをした。斬らなくても足を踏 「ずっと裏山のむこうの、田野でいくさをしているそうでみそこねて崖下へ落ちる奴もあった。崖下の川の流れは騒 がしかった。片手で刀を振り上げながら ( んでいる藤づ と言うのである。 ( それに違いねえ ) と思 0 たので、「どるが切れれば俺もこの川へ落ちるのだ ) と思 0 た。 ( この 吹っちへ行けば田野だ ? 」 川しもには笛吹橋があるのだ ) と思った。この ( 川の血も 家の方へ流れるのだ ) と思った。 笛 「その川に沿って上れば山の裏でごいす」 惣蔵は田螺のような目を開けて、 と言って、右側の枝川に指を差した。枝川を上って行く ( お屋形様の事切れるまでは ) と道はせまく急坂になった。馬を捨ててまた歩いた。山で と、片手に刀を振り上げて、片手の藤づるがちぎれるま たの えんざん たにし