中村真一郎集 死の影の下に 時を巡る星 中村真一郎詩集 ( 抄 ) 草の花 一時間の航海 夜の寂しい顔 福永武彦詩集 ( 抄 ) 現イに日本の文学 中本寸真一 福永武彦 文学紀行Ⅱ源高根 評伝的解説Ⅱ入沢康夫 監修委員編集委員 伊藤整足立巻一 井上靖奥野健男 川端康成尾崎秀樹 三島由紀夫 北杜夫 現代日本の文学 永木寸 ー彦 イタリア・べニスの運河を走る遊覧船 ( 中村集「雲のゆき来」 ) 西伊豆・落居の海岸から見た波勝崎 ( 福永集「海市」 ) 2 6 4 6 41 ー 1 0 0 2 I S B N 4-0 5 ー 0 5 0 2 5 1 ー 8 C 0 3 95 学研
版「世界文学全集」に、「解説、を新潮社版「梅崎春生全集 4 」人文書院より刊行。四月、「詩人の肖像」を中央公論社版「日本の に、「解説」を旺文社文庫「硝子戸の中」 ( 夏目漱石 ) に、「源氏物詩歌室生犀星」に、「評伝」を角川書店版「カラー版日本の詩集 語の世界ーを世界文化社版「日本歴史シリーズ 4 ・王朝貴族」に収 ・立原道造詩集」に、「解説」を河出書房新社版「日本文学全集 録。三月、「古今集の歌一首ーを「短歌ーに、六月、「「死の影の下Ⅱの 3 ・今昔物語」 ( 豪華版 ) に収録。五月、「誤植の話」を「群像」 に」の出版」を「群像ーに発表。「万葉集の恋歌」を「マドモアゼに、「私の仕事の拠りどころ」を「帖面」に発表。翻訳「幻想詩篇 ルーに連載 ( 四十三年三月まで ) 。「解説」を未来社版「豊島与志雄その他ー ( ネルヴァル ) を平凡社版「世界名詩集貶」に収録。六 著作集 1 」に収録。七月、「頼山陽ーを「中央公論ーに連載 ( 八月月、「駿遠ドライヴ散歩記」を「ミセスーに、「金の苦労」を「風景」 まで ) 。「紫式部と源氏物語」を「太陽」に発表。「徳川家斉」を世に、「騒音禍ーを「新評」に、「近代日本を理解するために、私の一 界文化社版「日本歴史シリーズ・文化文政」に収録。八月、「遠冊」を「展望」に発表。「頼家の人々ーを「世界」に連載 ( 十一月 隔感応」を「文学界」に発表。十月、「金の魚」を「文芸」に連載まで ) 。評論集「源氏物語の世界」 ( 新潮選書 ) を新潮社より刊行。 ( 十二月まで ) 。「萩原朔太郎」を読売新聞社版「近代日本の文豪 2 」七月、「水の踊り」 ( 連作長篇の一章 ) を「群像」に、「革命の前と に収録。十一月、「批評の面白さ」を「風景」に、「人生の三楽」を後ーを「文学界 , に、「夏服の感覚」を「新評」に発表。「中村真一 「新潮」に、「洛西・水尾千年の孤独な山村」を「旅」に発表。「フ郎・福永武彦集」 ( 日本文学全集 ) を集英社より刊行。「フォーク ランスの精神風土 , を河出書房版「世界の旅 9 」に、「短篇小説のナーとの出会い」を冨山房版「フォークナー全集」に収録。八月、 読み方」を筑摩書房版「日本短篇文学全集」別冊「短篇への招待」「死の偶然」を「文学界」に、「「黙坐消遣集」のこと」を「山の樹」 に収録。「女性ノート」 ( 銀河選書 ) を大和書房より刊行。十一一月、 に、「観光型」を「新評」に、「豚に真珠」を「魚菜」に、「作品の 「立原道造」を筑摩書房版「詩の本 3 ・詩の鑑賞」に、「堀辰雄と四背景 ( 「雲のゆき来」 ) 」を「東京新聞」日に、九月、「江戸の漢詩」 条派」を読売新聞社版「日本の近代詩」に収録。 を「伝統と現代」に、「雲のゆき来 ( 舞台再訪 ) 」を「朝日新聞」 昭和四十三年 ( 一九六八 ) 五十歳日に発表。「文学と人生」を「新潮日本文学月報ーに連載 ( 現在継 一月、「宇佐の幻想」を「潮」に発表。「菅原道真」を世界文化社版続中 ) 。十月、「江戸後期の知識人。を「文学界」に連載 ( 四十四年 「日本歴史シリーズ 3 ・平安京」に、「立原道造・人と作品」「解七月まで ) 。円地文子と三浦朱門との「創作合評」を「群像」 ( 十一一 説」を新潮社版「日本詩人全集」に収録。一一月、随筆集「私の百月まで ) に、「温故と開発の地・倉敷市」を「太陽」に、「秋と文明」 章」 ( 桂芸術選書 ) を桂書房より刊行。「二人の前衛小説家ーを集を「新評」に発表。長篇「金の魚」を河出書房新社より、角川文庫 英社版「世界文学全集」に、「横光利一伝」「解説」を文藝春秋版版「芥川龍之介の世界」を角川書店より刊行。十一月、「小説高見 「現代日本文学館」に収録。三月、「火の祭り」 ( 連作長篇の一順」を「新潮」に、「近代化」を「新評」に、「生きがいを求めるこ 章 ) を「群像」に、「私の書斎」を「室内」に、「私の動物記」をとが生きがい」を「随筆」に発表。「猛烈な人」を中央公論社版「折 「東京新聞 , 夕刊日に発表。翻訳「繻子の靴」 ( クローデル ) を口信夫回想」に収録。この年、サンケイ新聞の「文芸時評」を担当
譜 読む。七月、翻訳「双頭の鷲」 ( 0 クトー ) を新潮社より、「一一十世「橋の上の女」第二部を「婦人公論」に、八月、「プルー・プラン・ 紀文学の展望」 ( 市民文庫 ) を河出書房より、九月、評論集「文学のプ。イを「別冊文藝春秋」に発表。十月、「芥川龍之介の世界」 創造」を未来社より刊行。堀辰雄全集の編集委員になり、遺稿やノを青木書店より刊行。十一月、新潮社版「永井荷風研究」 ( 作家研 トの整理にあたる。十一一月、河出書房市民文庫版の「高見順詩究叢書 ) を編集、「荷風の生涯と芸術」を収録。十二月、「恋の重 集」を編集。日、加藤道夫死去。 荷」を「文芸」に、「奇妙な解放ーを「文学界ーに発表。 昭和ニ十九年 ( 一九五四 ) 三十六歳 昭和三十ニ年 ( 一九五七 ) 三十九歳 三月、長女香織誕生。東京大学、明治大学の講師を辞任。五月、書一月、「虚空の薔薇」を「群像」に、四月、「空に消える雪」を「群 下ろし長篇「夜半楽」を新潮社より、翻訳「歯車」 ( サルトレ ′ ) を像」に、五月、「夢語り」を「キング」に発表。短篇集「虚空の薔 人文書院より、翻訳「現代作家の反逆」 ( アルべレス ) をダヴィッ 薇」を大日本雄弁会講談社より、「王朝の文学」 ( 新潮叢書 ) を新潮 ド社より刊行。「日本の象徴主義・超現実主義 , を岩波書店版「岩波社より刊行。 % 日、妻を喪う。六月、「家庭の幸福」を「文学界」 講座・文学 7 」に収録。九月、筑摩書房版「日本文学アル・ ( ム 4 堀に、「黒い終点」を「小説新潮」に発表。八月、「回転木馬」を「群 辰雄」を編集、「堀辰雄」を収録。十月、「芥川龍之介」を要書房よ象」に連載 ( 十月まで ) 。十月、「室内旅行」を「総合」に、十一 り刊行。この年、映画関係の仕事を多くする。世田谷区世田谷 ( 現月、「天使の生活」を「新潮」に発表。長篇「回転木馬」を大日本 在の世田谷区豪徳寺 ) に新築して転居。 雄弁会講談社より刊行。 昭和三十年 ( 一九五五 ) 三十七歳 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 四十歳 一一月、書下ろし長篇「冷たい天使」を大日本雄弁会講談社より、七一月、中短篇集「天使の生活」を東京創元社より、五月、「芥川龍 月、短篇集「野性の女」 ( 河出新書 ) を河出書房より、八月、放送之介」 ( 現代作家論全集 8 ) を五月書房より刊行。「竹取物語と幻 劇集「恋の夜は真昼」 ( ラジオ・ドラ新書 ) を宝文館より、作品想」を角川書店版「日本古典鑑賞講座 5 」に、「「ジャン・クリストフ」 集「感情旅行」 ( ミリオン・ブックス ) を大日本雄弁会講談社よりと小説 , を筑摩書房版「世界文学大系」に収録。九月、「砕かれ 刊行。岩波書店版「芥川龍之介案内」を編集。九月、「恋路」を「文た夢」を「群像」に、十月、「城への道」を「美術手帖、に、「佐藤 芸」に、十一月、「誤解、を「新潮」に発表。「高見順論」を英宝社春夫による文学論」を「声。に発表。角川書店版「近代文学鑑賞講 版現代作家論叢書「昭和の作家たち 3 」に収録。 座Ⅱ・堀辰雄」を編集。十一月、書下ろし長篇「自鳴鐘」を新潮社 昭和三十一年 ( 一九五六 ) 三十八歳より刊行。現代語訳「堤中納言物語」を河出書房新社版「日本国民 年三月、王朝小説集「恋路」を河出書房より刊行。四月、翻訳「繻子文学全集 6 」に収録。 の靴」 ( クローデル ) を河出書房版「世界文学全集・第一一期」に、 昭和三十四年 ( 一九五九 ) 四十一歳 幻六月、現代語訳「狭衣物語」を河出書房版「日本国民文学全集 5 」二月、翻訳「三声のカンタータ」 ( ク。ーデル ) と「フランス詩史 に収録。七月、「空想旅行」を「群像」に、オム = ・ ( ス・シナリオⅢ」を平凡社版「世界名詩集大成 4 」に収録。三月、評論集「文学
410 美術工芸上の一様式。 過去の回想がはじまっていくのである。 一四 0 ラヴェル Maurice Ravel ( 1875 ~ 1937 ) フランスの作曲一岩辰野博士名は金吾 ( 18 ~ 1919 ) 日本近代建築の先覚者。 主作品に、東京駅、日銀本店などがあゑ仏文学者辰野隆は彼 家。新古典的作風を示す。 の子である。 西一スキャンダル主人公の父をとりまく上流社会の大人達の世 一哭クワンティテ ート quantitäte( 独語 ) 量。分量。 界を、少年の主人公が内面に投影したかたちで表出するときに、 それは多かれ少なかれ、好奇心にみちたのぞき見、スキャンダ一五 0 ィリュミネイション多数の電燈をつけた飾り物。 ラスな大人の世界を少年がどう解釈したかという形となって表一五一アビケンナ Avicenna ( 0 ~ 187 ) アラビアの哲学者、医 現されざるをえない。 学者。アリストテレスの説を祖述し、中世ヨーロツ・ハの哲学、 この作品にはそのような大人の世界の醜 医学に影響を与えた。 聞が随所に散在しているが、主人公の少年のナイープで細緻な 一五五 内面を濾過することによって、浪漫的でリリカルな魂のリアリ ドッ・ヘルゲンガア Doppelgänger ( 独語 ) 一一重。重複。 ズムに高められている。 一五五ディレッタント dilettante ( 英語 ) 好事家。何ごともなぐ さみ半分、趣味本位でやる人。 一四三ライト Frank Lloyd Wright ( 1 9 ~ 1959 ) アメリカの近 一五七高文高等文官試験の略称。 代建築家。一九一六年来日、旧帝国ホテルを建築した。 一四五交詢社わが国最初の社交クラブ。明治十三年福沢論吉によ一五〈ブドフキン lllarionovich Pudovk 一 n ( 1893 ~ 19 ) ソ連の 映画監督。ェイゼンスティンとともにモンタージュ理論の発展 って創設された。主として実業家の団体。 に寄与。作「母ー「アジアの嵐」などがある。 一癸ヘロディアス王 Herodias ( 彗 74 ~ 彗 4 ) ユダヤの王。残忍 で暴政を布き、べツレヘムの一一歳までの幼児の殺害を命じてイ一久ェイゼンスティン Sergei Mikhailovich Eizenshtein(18 エスを亡き者にしようとした。 98 ~ 1948 ) ソ連映画の開拓者。モンタージュ理論を確立した。 作「戦艦ポチョムキイなどがある。 トルクワト・タッソ 一七九〇年、ゲーテによって書かれ ドラマトウルギー Dramaturgie ( 独語 ) 作劇術。 た戯曲。フェララの宮廷に客となって「解放されたイエルサレ ム」の創作に没頭している詩人タッソーは、公女レオノーレに一発プロット日本プロレタリア劇場同盟の略称。昭和四年一一月 に結成された演劇団体の全国組織。ナップの加盟団体。 対する愛の告白のために宮廷を去らなければならなくなる。政 治家アントニオが最後に真の友情を示す。ゲーテの内面の闘争一五九ナップ全日本無産者芸術連盟およびその改組した全日本無 から生まれた作品。 産者芸術団体協議会の略称。昭和一一一年創立。機関誌「戦旗」後 に「ナツ・フ」を発行。プロレタリア文学の最盛期を作った。後 一岩分離派ゼッェッション。一八九七年ウィーンで、オットー・ にコップに合流して解消。 ワグナーを中心とする芸術家たちが起こした過去の美術様式か 一五九フラツ・ハア flapper ( 英語 ) おてんば娘。 ら分離しようとする運動。機能性・合理性を重視した建築上・
の両脚を見た。ソックスを履いたそのほっそりした曲線が千枝子は黙ったまま答えなかった。僕は彼女のぶらぶら てのひら 小刻みに揺れている。 している両脚を掌の間に抱き寄せた。 要するに戦争のことなんだ。僕はそのうちにきっと 戦争というものは、人間の生命をまったくごみのよ 兵隊に取られる、ね、その厭な、ずうんと来るような気うに無視して、成立するんだ。僕なら僕という人間の、な 持、千枝ちゃんには分らないだろうなあ。 けなしの才能も愛情も苦しみも悦びも、そんなものは一瞬 分るわよ、とむきになって答えた。あたしたちだつで吹き飛んでしまうのだ。君の兄さんが死んだ時に、あれ て、卒業したら徴用されるかもしれないのよ。それにもしは病気のせいだったけれど、僕はそれでも許せなかったの 結婚したら、ハズの帰って来るのを一人で待っていなきや ・こ。あれは神が、 もし神があるとすれば神が、したこ ならないわ、と終りの方はひどく早口に言った。 とだ。しかし戦争は人間がするんだ。アメリカが敵なんで だけどね、実際取られる方の身になってみればもつも日本が味方なんでもなく、アメリカの戦争屋、日本の戦 と深刻なんだよ。大体ね、何のために征かなきゃならない争屋共が、血に飢えて殺し合せるのだ。殺されるのは僕た んだい、そりや悦んで、万歳と言って、減私奉公だとか、 ちだよ。それこそ藤木みたいな才能のある奴が、何万人も 聖戦だとかいう言葉を信じ切って、征ける人間はい、 一兵卒として殺されてしまうのだ。何のために、それじゃ だけど僕には、そんなものは何にも信じられないんだ。ア何のために、僕等が死にに行かなければならないんだろ メリカが横暴で、日本が逐いつめられて糧道を断たれそうう ? つよや だからしかたがないと、そういう議論も成り立つだろう、 千枝子は答えなかった。かすかに呟いた。 しかし満洲国にしたって支那にしたって、日本の帝国主義 死ぬとは限らないわ、汐見さん。それからもっとか だってことは明かじゃないか。それにイタリアとかドイツすかな声で、死んじゃ厭、と言った。 やばん 花とか、あんな野蛮な国と結んで、こんな向う見ずな戦争を僕は掌の中の暖かい両脚を固く抱いた。心が激して、も どこ あふ のしかけなければならないわけが何処にあるんだい ? それう溢れ出る言葉をとどめることが出来なかった。 こわ 僕が怖いのは自分が死ぬことだけじゃないんだよ、 草はひょっとしたら日本は勝っかも知れない、今のところは 景気がいいさ、しかし何十万何百万という人間を殺して、 と僕は言い始めた。死ぬのは誰だって怖い、そんなことは 当り前だ。しかし戦争に行けば、自分が死ぬだけでなく、 それでどれだけの代償をかち得られるんだ、そんな空しい 栄光が何になるんだろう ? 相手を穀す懼れも多分にあるのだ。そりや近代の戦争で よろこ むな おそ
する。 り刊行・ 昭和四十四年 ( 一九六九 ) 五十一歳 昭和四十五年 ( 一九七〇 ) 五十一一歳 一月、コ一つの独白ー ( 連作長篇の一部 ) を「文芸」に、「まことの一月、「死の混乱」 ( 連作長篇の一章 ) を「文学界」に、「疑惑 ( 対 恋」を「婦人之友」に、「氷花の詩」を「図書」に発表。「紫式部」話 ) 」を「文芸」に発表。「頼山陽の学芸」を「展望」に連載 ( 四月 を毎日新聞社版「日本のこころ・その代表人物」に、一一月、「龍之まで ) 。「室生犀星・堀辰雄と「蜻蛉日記」」を読売新聞社版「現代 介と西洋文学」を読売新聞社版「日本近代文学と外国文学」に収文学と古典」に収録。一一月、「街あるき」を「ミセス」に発表。「評 録。三月、「石の祈り」 ( 連作長篇の一章 ) を「群像」に発表。「わ伝的解説ーを学習研究社版「現代日本の文学・堀辰雄集」に収 たしの作品論」を恒文社版「現代東欧文学全集 4 」に収録。四月、録。三月、「中村真一郎長篇全集」第一巻を河出書房新社より刊行。 「新しい文学のために」を「東京新聞」タ刊 8 日に発表。五月、「読四月、コ一人の高橋」を「高橋和巳作品集月報 5 」に、五月、「死の 書ノート」を「展望」に連載 ( 八月まで ) 。連作長篇「火の祭り」襲来」 ( 連作長篇の一章 ) を「文学界」に、書評「堀田善衛「橋上 を講談社より、評論「現代小説の世界」 ( 講談社現代新書 ) を講談幻像」」を「文芸」に、武田泰淳との対談「小説を書く心」を「風 社より刊行。六月、「夢のメドレー」を「別冊文藝春秋」に、「モラ景」に発表。「中村真一郎長篇全集」第二巻を河出書房新社より刊 ヴィアと風俗小説」を「現代イタリアの文学月報 1 」に、七月、対行。六月、「化政期の知識人」を「すばる」に、「鈴木信太郎先生の 談「私と「失われた時を求めてヒを「三田文学」に発表。翻訳「三回想」を「新潮」に、「辛辣な一語」を「群像」に、「編集同人諸君 声のカンタータ」を平凡社版「世界名詩集」に収録。八月、「中村と私」を「人間として」に、七月、「王朝のみやび」を「太陽」に、 真一郎・福永武彦・遠藤周作」 ( 日本の文学肥 ) を中央公論社より瀬沼茂樹・川村一一郎との「創作合評 . を「群像、 ( 九月まで ) に発 刊行。福永・遠藤との鼎談「文学的出発のころ」を「日本の文学付表。評論集「近代文学への疑問」を勁草書房より、評論集「西欧文 録」に発表。「川端康成と古典」を毎日新聞社版「写真集・川端学と私」を三笠書房より、「中村真一郎長篇全集」第三巻を河出書 康成〈その人と芸術〉」に収録。九月、書評「 z ・サロート「黄金の房新社より刊行。八月、「慰めとしての芸術」を「」に発表。 果実」 - を「群像」に、「文学の地理学」を「新潮」に、「夫婦が人生九月、翻訳「消しゴム」 ( ロプーグリこを河出書房新社より刊行。 譜のすべてではない」を「ミセス」に発表。「芝木好子・中村真一郎・「神経症」を「東京新聞」四日に、十月、書評コ一重構造と幻想の 曾野綾子・北杜夫」 ( 日本短篇文学全集恥 ) を筑摩書房より刊行。怪奇ーを「文学界ーに、「酷暑妄語」を「風景」に、「黒谷あたり」 翻訳「狭き門」「田園交響楽」 ( ジッド ) を講談社版「世界文学全集を「 CARD AGE 」に発表。十一月、連作長篇「死の遍歴」を文藝 年」に収録。十月、「頼山陽の弟子たち」を「海ーに発表。「洛西・春秋より刊行。十一一月、「私の文学的読書歴」を「ちくま」に発表。 水尾の孤独」を日本交通公社版「新日本紀行第 2 集」に収録。十一短篇集「心の裂け目」を新潮社より刊行。「菅原道真」を淡交社版 月、「死の純粋」 ( 連作長篇の一章 ) を「文学界」に、「江戸の漢詩「歴史の京都 3 ・学者と僧侶」に収録。 の本」を「群像」に発表。十こ月、短篇集「遠隔感応」を新潮社よ 作製・小久保実
現代日本の文学 全 60 巻 中村真一郎 福永武彦 集 昭和 46 年 4 月 1 日初版発行 昭和 57 年 10 月 1 日 25 版発行 著者 発行者 発行所 中村真一郎 福永武彦 古岡滉 鑾査学習研究社 東京都大田区上池台 4 ー 40 ー 5 〒 145 振替東京 8 ー 142930 電話東京 ( 720 ) 1111 ( 大代表 ) 印刷大日本印刷株式会社 中央精版印刷株式会社 製本中央精版印刷株式会社 本文用紙三菱製紙株式会社 表紙クロス東洋クロス株式会社 製函永井紙器印刷株式会社 * この本に関するお問合せやミスなどがありましたら , 文書は , 東京都大田区上池台 4 丁目 40 番 5 号 ( 〒 145 ) 学研お客さま相談センター現代日本の文学係へ , 電話は , 東京 ( 03 ) 7 加ー 1111 へお願いします。 OShinichiro Nakamura,Takehiko Fukunaga 1971 本書内容の無断複写を禁す Printed ⅲ Japan ISBN4 ー 05 ー 050251 ー 8 C0393
的感覚」を弘文堂より刊行。四月、「王朝の女流作家」を新潮社版一月、「私説源氏物語」を「婦人画報」に連載 ( 三十九年三月まで ) 。一一 「日本文化研究 4 」に、「平安朝の宮廷女性」を読売新聞社版「日本月、「戦後文学の回想」を「東京新聞」に連載 ( 七月まで回 ) 。 の歴史 3 」に収録。九月、「ある出会」を「新潮」に、「三面鏡」を三月、「生き残った恐怖」を「群像ーに発表。書下ろし長篇「恋の 「人間専科」に、十月、「時を巡る星」を「中央公論」文芸特集号に泉」を新潮社より刊行。五月、「「大鏡」再読」を筑摩書房版「古典 発表。翻訳「消しゴム」 ( ロ・フーグリエ ) を河出書房新社より刊行。日本文学全集」に収録。六月、短篇集「告別療法」を河出書房新 十一一月、「迷宮事件ーを「小説新潮」に発表。 社より刊行。「死の影の下に」を雪華社版「わが小説」に収録。九 昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 四十一一歳月、「水中花ーを「婦人生活」に連載 ( 三十八年十二月まで ) 。書下 一一月、短篇集「永い狂気」を新潮社より刊行。三月、「熱愛者」をろし評論「小説入門」 ( カッパ・ブックス ) を光文社より刊行。「坪 「群像」に発表。四月、「山本健吉・中村光夫・吉田健一・中村真内逍遙」を朝日新聞社版「日本の思想家—」に収録。河出書房新社 ー・ハックス ) を編集。十一 一郎集」 ( 新選現代日本文学全集 ) を筑摩書房より、五月、長篇版「文芸読本・源氏物語」 ( 河出ペー 「熱愛者」を講談社より刊行。「・ハック・シート 」を「」月、評論「文学の擁護」を河出書房新社より刊行。 に連載 ( 三十六年七月まで ) 。七月、「黒い終点」 ( 推理小説傑作選昭和三十八年 ( 一九六三 ) 四十五歳 3 ) を弥生書房より刊行。「佐多稲子の抒情ーを「文学界」に、「我一月、「空中庭園」を「文芸」に連載 ( 十一一月まで、第一部 ) 。「水 が小説観」を「群像」に、八月、「愉しい休暇ーを「新潮」に、十の女王」を「文学界」に、一一月、「燃える薔薇」を「群像」に発表。 月、「「クセニエン」再訪 , を「群像ーに発表。十一月、放送劇集評論集「王朝文学の世界」を新潮社より刊行。三月、「正常な変態 「夢の両側」を早川書房より刊行。 者」を「芸術生活」に発表。五月、「戦後文学の回想」 ( 筑摩叢書 ) 昭和三十六年 ( 一九六一 ) 四十三歳を筑摩書房より、六月、長篇「燃える薔薇」を講談社より、「中村 一月、連作小説「発光妖精とモスラ」を「週刊朝日別冊」に、三真一郎集」 ( 新日本文学全集 ) を集英社より、八月、「私説源氏物 月、「告別療法」を「文学界」に発表。書下ろし長篇「女たち」を語」を婦人画報社より、福水武彦・丸谷才一との共著「深夜の散 中央公論社より刊行。七月、「一タ話」を「風景」に、八月、「正義歩」 ( ハヤカワ・ライプラリ ) を早川書房より刊行。九月、「昭和小 の人」を「群像」に発表。九月、「文学の擁護」を「文学界」に連説の成熟」を「文学界」に発表、十月、「文学批評家としてのポー 載 ( 三十七年十月まで ) 。角川小説新書版「黒い終点」を角川書店ドレール」を人文書院版「ポードレール全集 3 」に収録。 より刊行。十一月、「解説」を新潮社版「日本文学全集・佐藤春夫昭和三十九年 ( 一九六四 ) 四十六歳 集」に収録。この年、「発光妖精とモスラ」↓「モスラ」東宝映画、 一月、「幻を追う男」を「自由」に発表。一一月、長篇「水中花」を 「熱愛者」松竹映画、「黒い終点」↓「地獄の饗宴」東京映画、とそれ講談社より刊行。「解説ーを講談社版「川端康成短篇全集」に収録。 それ映画化された。 三月、「近代文学への疑問」を「群像」に、「匿名批評について」を 昭和三十七年 ( 一九六一 l) 四十四歳「文学界 , に発表。「求婚」 ( 「女たち」改題・カッパノベルス ) を
する。五月、「夜の寂しい顔ーを「群像」に発表。「賭はなされた」 ( 一 l) 」に収む。秋から冬にかけて、急性胃炎のため国立東京第一病 の翻訳を人文書院版サルトル全集にて刊行。新潮文庫の石川淳「紫院に入院。 苑物語」に ^ 解説 > を執筆。六月、長篇「風土」 ( 完全版・限定千昭和三十四年 ( 一九五九 ) 四十一歳 部 ) を東京創元社より刊行。七月、パスカル・ビア「ポードレー四月、「世界の終り」を「文学界」に、「未来都市」を「小説新潮、 ル」の翻訳を人文書院より刊行。八月、「鬼」を「キング」に発表。に、「素人探偵誕生記」を光文社版「推理小説作法」に、発表。五 九月、探偵小説「電話事件ーを「宝石」に発表。十月、「死後ーを月、「愛の試み愛の終り」の限定版 ( 三十部 ) を人文書院より、メ ードレール「。ハリの憂愁」の翻訳を岩波文庫にて 「群像ーに発表。ポ ースン「矢の家」の翻訳を創元推理文庫にて、刊行。六月、作品集 刊行。十一一月、書下ろしの「古事記物語」を岩波少年文庫にて、探「世界の終り」を人文書院より刊行。七月、「廃市」を「婦人之友」 偵小説集「完全犯罪」を講談社より、刊行。この年三月、神西清死に連載 ( 九月号完結 ) 。平凡社版世界名詩集大成「フランス篇Ⅱ」 す、「神西清氏のこと」を「詩学」五月号に寄す。 を編集、・ホードレール、マラルメ、ランポー、ヌーヴォーを訳出、 昭和三十三年 ( 一九五八 ) 四十歳「フランス詩史ーフランス象徴主義についての簡単なノート」を附 一月、・「地球を遠く離れて」を船田学の筆名で「別冊小説新す。夏、「ゴーギャンの世界」の大部分を書く。九月、「飛ぶ男」を 潮」第十一一巻一一号に発表。一一月、エッセイ「失われた愛」を毎日ラ「群像」に発表。十一一月、角川書店版近代文学鑑賞講座「中島敦・ イ・フラリー「恋愛と結婚」に発表。作品集「心の中を流れる河」を梶井基次郎」を編集し、評論「中島敦その世界の見取図」「梶井 東京創元社より刊行。京都に遊ぶ。三月、「愛の試み愛の終り」を基次郎その主題と位置」をそこに発表。 人文書院より、「神西清詩集」を編纂し東京創元社より、刊行。六 昭和三十五年 ( 一九六〇 ) 四十一一歳 月、新潮社版「堀辰雄全集 ^ 普及版 > 」の月報に「各巻・解説し一月、エッセイ「失われた美ー西本願寺本三十六人家集をみて」を ( 十一一月完結 ) を連載。七月、「影の部分ーを「群像ーに、探偵小説「芸術新潮」に、評論「今昔物語の世界」を筑摩書房版古典日本文 「眠りの誘惑」を「小説新潮」に、エッセイ「現代小説に於ける詩学全集「今昔物語集」に、発表。・ホヴェイダ「推理小説の歴 的なもの」を「季節 , に、発表。ェッセイ「深夜の散歩」を「エラ史」の翻訳を東京創元社より刊行。一一月、「樹」を「新潮」に、「風 譜リイ・クイーンズ・ミステリ・マガジンーに連載 ( 三十五年一一月号花」を「人間専科」に、発表。三月、小品「冬の信濃追分」を「ア 完結 ) 。十月、「堀辰雄と外国文学との多少の関係について」を角川ルプ」に、「画家のアフィシ、」を「芸術新潮ーに、発表。四月、 書店版近代文学鑑賞講座「堀辰雄」に、文芸時評「文壇の沈滞につ新潮社版日本文学全集「堀辰雄集」を編集し ^ 解説 > を執筆。五 月、現代語訳「古代歌謡」を筑摩書房版古典日本文学全集「古事記 年いて」を「群像」に、発表。佐藤春夫、大井広介と共に・ a ・ ・短篇探偵小説第一回日本コンテスト銓衡委員をつとめる。十風土記日本霊異記古代歌謡」に収む。六月、「退屈な少年」を「群 一月、文芸時評「小説の方法について」を「群像」に発表。現代語像」に発表。七月、作品集「廃市」を新潮社より刊行。八月、「・ヒ 訳「今昔物語」を河出書房新社版日本国民文学全集「王朝物語集エール・ポナールと芸術家の幸福」をみすず書房版現代美術「・ホナ
たど 去ると、解放された私の息らぎは、自然の傾斜を辿って、 た庭は、今なおそこに昔ながらの生活が営まれているよう あら そのまま季節にも非ず菊の香りへ誘われて行った。・ ・ : あな錯覚を与え、私には彼等に無関係な私が、そこに入るこ かたわ ゅうゆう の明治節の歌の旋律は古い日本の菊の色に満ちている。そとがはばかられた。傍らの父は悠々とあたりを見廻しなが うぐいすば こにある明治は、封建社会を一時に打破しようとした近代ら、 さ、あそこの廊下を歩いてごらん。鶯張りと云 はつらっ 市民的革命の、剌たる英雄時代の行進曲ではなく、優美う仕掛けになっていてね、歩くたびに床板がいい音を立て で古風な王政復古、古今集と雅楽との追憶に染った、王朝るのだ。・ : しかし私はこれを建て、これを愛した人々の あざや の舞曲である。後継者である資本主義時代の自由な知識人生活の夢ーー今にまで鮮かにこの場所に残っていて、後人 燵の生んだ、審美的な大正の、過去に対する芸術的な夢のを不思議な悔恨に駆り立てる、その微妙な雰気ーーに据 長閑な反映。従ってその歌が脣の上にふと浮び上る時、まれて、踏み入ることが出来ない。 足利将軍義満がこ あこが 私は翁さびた日本の諸世紀に対する遠い憧れに心が顫えずれを建てた、別荘として。歴史家は室町時代を中世暗黒時 にはいられない。その優雅な旋律のここかしこには、明治代なんて云うけれど、美術的には飛鳥白鳳以来の素晴らし のびのび 節が制定され、祝典歌詞が作曲された時の、そしてそれをい時代だ ! 父は屈託なさそうこ、、、 ~ し力にも伸々とそんな ばく 初めて小学校で教えられた当時の、私の過去に対する漠とことを話しながら、庭の真中に立って、池と樹木との配置 いまなおかれん ひな した愛慕が、今尚可憐にも鄙びた菊の花を小さく咲かせての関係をさっさと素描している。ーー足利は日本のメディ しゃれ いる。そしてそうした心の泉は、利兵衛君の新盆の直後チ家だと、フェノロサが洒落を云っている。実際義満は芸 に、関西へ私を連れて行った父が、この日本の過去、遠い術将軍だったんだね。先ず京都に四つのアカデミーを建て 王朝の数々の遺跡に満ちた寺社を、熱心に案内し説明してた。この寺もその一つさ。そこで支那の哲学、詩、音楽、 なかんずく ぜあみ * らようでんすせっしゅう くれた時に、更に豊かに多彩に育てられた。 就中絵画の研究を行わせた。世阿弥と兆殿司と雪舟とが出 みん たび 下 さあ、これが金閣寺だ ! 父は片手に持っているスたのも偶然ではないよ。何しろ明船が到く度に、何千と云 のうあみ 影ケッチ・・フックを大きく振った。そして私の面前には岩とう美術品を入れた箱がこの建物の庭に運び込まれ、能阿弥 の水との入り組んだ奇妙な庭園が現れた。この飛石伝いに昔と云うような専門的な美術観賞家が、義満と共にその整理 の武士や貴人が向うの建物の廊下まで歩いて行ったものなに従事したんだね。素晴しい時代 ! 父は先に立って気軽 なら 3 のだろう。私には映画の場面のようにそう云う囀しい風に廊下へ登ると、奥の方に列べてある木像にちらりと眼を 景が見えて来るような気がした。手入れのよく行きとどい やっただけで、すぐ一一階へ登り始めた。実はその日、父が に 人る あすかはくう