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検索対象: 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集
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1. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

屋だ。もう大体完成に近付いてるだろう。そばへ行くと分た、ウインター・スポーツの大売出しの運動具店や、全て 離派建築特有のデザインのステンドグラスが見えるよ。あが薇園のように、暖かい幸福の匂いを、街頭にまで溢れ れは父さんの会社でやったんだ。来年の正月の賀状はあのさせていた。そして毛皮に首を埋め、両手に一ばいの買物 様式でちょっとやって見た。 ほら、あれが第一相互のを持って、街路を往来している家族連れ、酔って元気に話 こうさてん 建物だ、なかなかいいだろう。辰野博士の晩年の作品だ。 しながら、大股に人波を切って行く大学生、交叉点に立っ 明治時代の建築の代表的なものだよ。 これが日本橋て見廻している外国人の夫妻、どこかの店先から溢れ出て さ、欄干の中央の装飾のところが、昔の東海道の出発点来るラジオの音楽。 : : : やがて私達の車はそれらの店の一 はなや さ。江戸時代の日本の心臓の真中はここだったんだが、今つ、しかし故意に間接照明を用いて、隣りの華かな店々の では東京駅の前になってしまったな。そう云う時の父は、 間で、落着いた控え目な空気を漂わしている小さな間ロの ムだん 普断より遙かに優しく、窓の外を指さしながらその博識な店、 ( その照明は父の設計によるものだが ) の前にとまっ 愛情で私を酔わし続けていた。 Chevrolet と云う続け文字た。それは当時浮田氏が道楽半分に経営していた美術商店 とびら のまわりを赤橙青黄の色電気がエスカレイタアのように だった。私達が扉を排して入って行くと、珍らしくタクシ 一方に廻っている、自動車会社の広告塔が、窓のガラスを ードを着た子爵が、よう ! と鼻声を出しながら片手を挙 とお 透して夜空の中に、星座のように見え出すと、いよいよ銀げて、奥から立ち上って来た。ーー野々宮の娘の結婚式は 座だった。 どうだった。日 , 上の伯母から招待があったんだが、どうも にくしんせ 或るクリスマスの晩、私達の車は、おびただしく前後に顔を合せ難い親戚連中があるんでね、わざと遠慮したよ。 続いた車の間で徐行していた。軒並のショウ・ウインドはしかし新聞で見ると大分盛大だったらしいじゃないか。私 なら 金色に輝き、クリスマス・トリ ーやサンタクロースが、蝋は父と子爵とが立話を始めた間に、店の中に一面に列んで に 下燭と綿の雪の間に立っていた。室内の温気のために、氷花いる西蔵の仏像などにこわごわ手を触れたりした。浮田氏 もう大分集 影の凍てついたように白くなった、大きな窓ガラスの向うは先に立って二階への階段を登り始めた。 を、わ・ ってる・せ。そろそろ始めようと思ってた所だ。この店の階 死で、霧の中のように動きまわっている、ペンギン鳥染みた おもちゃ レストランの給仕や、明るい玩具屋の店先に並んだ、私よ上は一種の社交クラ・フとなっていて、いつも通り掛りに立 Ⅷりも大きい、役者の似顔のついた羽子板や、マフラアを風ち寄ると、知人の誰彼が話し込んだりポ 1 カーをやったり なび に靡かしてスロー・フを滑っているスキーヤーの人形の立っしていたものだが、その晩はクリスマスの会食をしようと チベット おおまた にお あふ

2. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

110 店に倚り、太った男が広いネクタイを乱しながら、痩せた比較宗教学的方法を育て上げていた。だから天国、極楽、 よみのくに 女給仕の腰を抱こうと戯れている。酔っているらしく、足エリゼの園、黄泉国と、そんな幾つものそれぞれ伝統と雰 許の危いその男は、先程仲間と立って行った宮田氏であ囲気とを異にした死後の国の観念の中で、私は利兵衛君の ひと り、相手は、先程孤りでいた私のところへ、わざわざ冷た迷える魂を何処に想像すればいいのだろう。それらのいず えくぼ いコーヒーを持って来てくれた、可愛い笑窪のある女だつれも人工的と思える既成の領域から遠ざかり、私はただ、 さから たび た。彼女が抗って腕をつつばる度に、白いエ。フロンの上でこの黒々とした空を地上のダンス曲に送られながら、星々 赤い絵具のような光が、濃くなったり淡くなったりして、 の間を通り抜けて、無限に向って進んで行く死者の行列を 二人の動きを大きく見せている。私はこの一組に急に好意想像した。下界の物音はやがて次第に微かになり、それに が感じられて来た。あの親切な少女に愛着を感じる宮田氏変って明るい天体の響き合いがあたりを巡り、夜でも昼で ほのあお の気持も判るような気がする。それを、意地の悪い眼付もない仄青い気体の中に出ると、死者達は顔を見合せて徴 ちょうしよう で、ロ許に嘲笑を浮べて見詰めている夫人は、突然私に笑する。その静かな顔をまわりの空気が染めている。頭上 なぐ ちょうど けいけん は殴り付けてやりたい程憎らしくなった。丁度、幼年時代を高く流れている永遠の時間。・ ・ : 敬虔な私の感情の間を、 けんお はもル一 にはセザール・フランクの複雑な美には、退屈と嫌悪とし夜の草や枯枝の匂いが足許から立ち昇って行った。時なら かを感ぜず、『古きケンタッキーの故郷』の単純な旋律にぬ人の足音に近くの虫は泣き止むのだった。 ばかり心が惹かれるように、私は結城夫人を前にしながら だろう。月々の手当もお前さんの出方によっては増して上 も、あの無知な給仕女にばかり懐しさを発見していた。 げてもいい。」不意に近くの木蔭から、特徴のある老人の 私は立ち上ってその辺を歩き始めた。人々の踊っている声が出て来たので、私は驚いて足を止めた。「御承知のよ 中央の広場から遠ざかるにつれ、燈火も乏しくなり空気もうに、わしがお前さんの前に現われるのは、精々月に一週 こみら 間ぐらいのもんなんだから。な、いし 、じゃないか。女一人 冷えびえとして来て、草深い小径が森へ入って行く。枝の そよぎの間にまたたいている明るい星を見上げながら、私で暮せるものじゃないよ。堕落するに決っている。」 はあの星の上にも人が住んでいて、働いたり遊んだりしてふふふ、と云う徴かな泣き声とも笑い声ともっかない若い あら とげん いるのだろうか、と考え始めた。また利兵衛君のように死女の声が濁った男の言葉を中断すると、急に露わな上機嫌 んだ人間は、どこへ消えて行くのだろう。 ・ : 明治以来のな調子で、「ああら、私独立してやっと堕落から抜け出し のぞ 新日本の複雑な文化的推移は、少年の私の心にも、一種のたつもりよ。」私は星明りの間を透かせて、木蔭の闇を覗 わか なっか かす にお かす ごくらく ムん

3. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

藤木、と僕は心の中で呼び掛けた。藤木、君は僕を愛し てはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれな かった。僕は一人きりで死ぬだろう : 次第に速力を早くする夜汽車の窓に倚って、僕はいつま でも、冷たい窓硝子に顔を当てていた。 ガラス よ 0 長い冬が過ぎて春になった。 その年の冬は長かった。春はすぐそこまで来ていなが ら、三月になっても気温が零度を降る日が続き、毎朝、痰 コツ。フの水が凍った。昼は霜解の道がぬかるみに変り、や あらし こすえゆる がて季節の変りめの嵐が雑木林の梢を揺がせると、空は黄 じんおお 塵に覆われ、ペッドの上にまでざらざらした埃が舞い込ん ふとん で来た。患者達は首まで蒲団にくるまったまま、温室咲の はち 草花の鉢などを床頭台に飾った。療養のためには、為すこ からだ びようが ともなく病臥している冬の間の方が遙かに身体によく、暖 ひぎし かい日射が続くようになると、それだけ病状に変化を来す ことも多かったのだが、私達はしきりと太陽の光を恋しが ほころ った。梅林の梅が綻び、新しい草が萌え始め、麦がちょっ かげろう とずつ延びて行くと、重症の患者達の眼にも、陽炎のよう な希望の色が燃えた。春はそのように待たれていた。 よく晴れた日に、私は外気舎の建ち並んだ間を通り抜け て、サナトリウムの裏手の小道を歩いた。麦は青々と延 び、土は黒く、雑木林の中に新芽が芽ぶいていた。道を真 こうさ * のびどめ 直ぐに行くと、それはやがて野火止用水と交叉した。徳川 」わ・わり 、・んよい 末期につくられた灌漑のための掘割で、一間ほどの幅を保 むさしの ったまま、武蔵野の面影を残した野原の間をのどやかに流 はる たん

4. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

と彼がつい口にしたのが、そもそもの原因なのだ。高等学お母さんは言うだろうか。「どうも頭の悪い子で、」とあの 校の入学試験を春に控えている以上、冬休みが大事なのは人は言うだろう。困 0 たような顔で。「あなたは大丈夫よ。 当り前だった。しかし、何も今更くそ勉強をしなければな だって出来るんだもの、」とトシ子さんは言った。ひとり らないほど、自信がなかったわけではない。「そうね、うで承知して、まるで何でも自分の思う通りになる、自分が ちだとお正月は、お父さまのお客さまが多勢いらしてうる大丈夫と言えば試験官だって満点をくれる、というように さいから、クニ叔父さんのとこで勉強したらどう ? ーとお眼をばっちり開いて。トシ子さんがそう言ったって、それ 母さんが甘い声で言った。彼は眼をばちばちさせた。「そはひょっとしたら僕が特別に分けてあげたドイツ製色鉛筆 うよ、それがいいわ。あそこなら気兼もないし、たんと勉のお礼のつもりかもしれないのだ。トシ子さんよ、、 をしつま うつむ 強が出来ますわよ。」しかしどうしてそんなにうまく、答でも俯向きになって、丹念にその色鉛筆を削っていた。ど が用意されていたのだろう。まるで僕が勉強しなくちゃと んなに自信があるからといって、試験に受かるとはきまっ くらい 言うのを待ってでもいたように。 ていないのだ。それに自信なんて。一体どの位出来たら、 しかしもし試験に落っこちたらどうだろう、と彼は考えそれで自信があると言えるだろう。 そう た。波の荒れている、ひと気のない岬の麓では、不安な感沖合の遠くを船が一艘走っていた。遠くに、遠くに。そ かたわ からだ 情が風のように突き刺った。見上げると、不具なひねこびの小さな身体が波の間に隠れて見えなくなったかと思う た松が、岬の上の方で苦しげに身顫いした。斜面にぎっしと、次の瞬間には喘ぎ喘ぎ空を目指して伸び上った。高等 かが りと生えた松が、一斉に、風のために屈んだり伸びたりし学校にはいっても、まだその先に大学というものがある。 おとな ていた。雲の間に、太陽のある位置が、そこだけ明るい円まだ幾つも試験を受け、何度もびくびくし、少しすつ大人 形をつくっていた。波の穂が一層高くまで盛り上って、次になって、それでどうなるのだろう。大人になれば存在の しお こわ 第に潮が満ちて来るようだった。もし潮が満ちれば、両手感情を身につけて、もう何も怖いことはなくなるのだろう - もと で抱くようにして通った岩の足許を、波が洗うようになるか。夜訪れて来る見知らぬ女の顔も、もう見ることもなく すで だろう。しかし僕は、不安だとは言うまい。試験に落ちてなって。船は既に小さくなり、波の間に全く没した。雲の のぞ おも しまえば、僕はうちに毎日いて、お母さんの顔ばかり見間から、ふと太陽が覗いて、海の面の白い波の穂が明るく て、お話をしたり遊んだり出来るだろう。「恥ずかしいわ、輝き出す。顔が潮風にひりひりした。お父さんは死んだ。 この子は高等学校の試験に落ちましてね、ーとお客さまに今僕が此処にいるようにはもういない。 いっせい ぶる あえ

5. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

供はそうして千枝子を抱いたまま、時の流れの外に、ひ いま気が付いてみると、僕等が横になっていたほんの側 とり閉じこもった。僕はその瞬間にもなお孤独を感じてい に、小さなねなの木が幾つも枝を垂れていた。花はもう散 た。いな、この時ほど、自分の惨めな、無益な孤独を、感って、ただ羽毛のように葉をつけたしなやかな枝が、かす ほのお じたことはなかった。どのような情熱の焔も、この自己をかに揺れながらその廻りに静寂を繰りひろげていた。もし わずら 見詰めている理性の泉を熱くすることはなかった。山が鳴僕等がお互いに愛し合い、理解し合い、何の煩いもなく何 り、木の葉が散り、僕等の身体が次第に落葉の中に埋めらの不安もなく、ねむの葉蔭に新床を持っことが出来るなら ごと ば。このように苦しむこともなく、もっと自然に、もっと れて行くその時でも、愛は僕を死の如き忘却にまで導くこ ーーーねむの葉は、タベ とはなかった。もう一歩を踏み出せば、時は永遠にとどま素直に、僕等が愛し合えるならば。 はずよろこ るかもしれない。しかしその死が、僕に与える筈の悦びとを待って、一日の、平和な、忘却の眠りを眠るだろう。そ なが は何だろうか、ーー , 僕はそう計量した。激情と虚無との間の小さなねむの眺めが、僕の心を悲しくした。 しばら にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑僕が暫く放心している間に、千枝子は林の間を抜けて、 する限り、僕は僕の孤独を殺すことは出来なかった。そんどんどん元の方へ戻って行った。僕もその後を追ったが、 なにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のさ千枝子の足は走るように早かった。な・せともしらぬ後悔 さやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益たった、 が、僕の心を重たくし、何処までも尽きない原始林のよう しかしこの孤独は純潔だった。 に心の中に薄暗く生い茂った。 千枝子は僕の手から抜け出し、向うむきになって急いで林道に出てやっと千枝子に追いっき、僕等は肩を並べて うつむ 服の乱れを直した。それから俯向いて散らばった摘草を拾歩いた。振り返ると、次第に西に傾いた陽の光を受けて、 なでしこ りんどう だいだいいろ い始めた。僕も半身を起した。撫子やたかねすみれや竜胆浅間の山肌が橙色に移っていた。山頂からは噴煙がむく ところほう などが、そこここに落ちていた。僕は少し離れた処に抛りむくと絶え間もなく立ち昇った。僕が足を停めて山を見て 出されたままになっているカーディガンを取って来て、そ いる間にも、千枝子は振り向きもせずに黙って道を歩いて しお れを千枝子に着せかけてやった。千枝子は黙って向うを向行った。摘まれた花が、彼女の手の中で、いっしか萎れ始 めていた。 いたまま、僕がジャケツの袖を通してやるのにまかせてい 次の日、僕は道で菅さんに会い、千枝子が午前の汽車で ここにねむの木があったんだね、と僕は言った。 東京に帰ったことを知った。 そで

6. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

かりしたように腰を下す。矢代が両手に荷物を下げて後かてよかった、と思 0 た。下で柳井の怒鳴っている声が聞え ら来る。僕は歩き出した。藤木は随分船に弱いんだね、汐る。 見さん、と森が言った。ああ君みたいに頑健じゃないよう 直に飯にさせるから、荷物を置いたら食堂に集まっ だね、と僕は言い捨てた。僕は振り返らずに棧橋を渡っててくれ。午後からは全員アル・ ( イト : : : 。 行った : ・ 僕は一番あとから、石鹸箱を手に階段を下りて行った。 むね 左手の断崖がいっしか低くなり、道と同し高さの松林に隣の棟との間をつなぐコンクリートの渡り廊下の途中に、 なると、右側も次第に砂浜が海と道との間を隔て出す。静洗面所がある。僕はポンプの柄を押し、古・ほけた金盥中 かな内海に、午前の太陽がきらきらと反射している。僕等に水を注いだ。ふと窓から、松林の間の細道を、矢代から は次第に急ぎ足になって松林の中を通り抜け、雨戸を下し一一足三足おくれて藤木の歩いて来るのが見えた。藤木は重 かばん ほお たままのしんとした建物の横手へ出た。中庭に、キャプテそうに小さな鞄を下げていたが、その頬はもう・ ( ラ色に ンの柳井が交通巡査のように両手をひろげて立っていた。 いていた。僕はひどく胸のはずむ気持で、勢いよく、汲み おれ 今年は己たちの天下だからな、うん、こっちだ、二 たての冷たい水の中に顔を浸した。 階の南向きの部屋に陣取ろう。そこのとこからはいってく れ。 僕は立花と薄暗い階段を踏んで一一階にのぼった。広い 村は伊豆西海岸の小さな漁村だ。細長い岬と荒れ果て 畳間の中は黴くさく、開け放した窓枠に服部が腰を下してた断崖とに入口を扼され、漣波に浮んだ油の汚点がひとり 海の方を見ていた。部屋の真中に、帳面をひろげているのでに伸び縮みしながらひろが 0 て行くものうい内海。昼 やぐら は木下だった。 は、港の奥の船着場を中心に、火の見櫓、小学校、村役 花 ーー何だい、会計委員はもう金勘定かい ? と立花が訊場、一一軒の旅人宿、郵便局、それに海岸沿いに背の低い漁 ふもと のした 師の家の屋根屋根が左右に開け、赤茶けた断崖の麓には、 なごり くず りゅうこっ 草 なに先生腹がへって坐ったきり動けないのさ、と服徳川末期の造船所の名残である頽れかけた建物と、竜骨ば 部が説明した。 かりの木造船の船体とが、ひっそりと内海に影を落してい 僕はその側に行き、上衣を脱ぎ、潮気を帯びた微風に肺る。夜になれば、船の航跡に、棧橋の脚柱に、渚の打ち上 をふくらませた。急にひどく幸福な気がした。やつばり来げられた海藻に、夜光虫が銀色にきらめく。 かび すわ まどわく おろ すぐめし かいそう せつけん ひた

7. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

おも の掌に紙幣を滑りこませ、動き出した汽車に、慣れた調子が ) が、また、今迄に見たこともない程貧弱で古ぼけた玩 ちゃ これは、こんなことはいけませんで具のようだった。そして停る時の鐘の間抜さ加減。出て来 で飛び乗った。 す。これは、 いただけませんですで。謙さは一一三歩駈け出る車掌のよれよれの服。押し出されて来る動作の鈍い不規 し始めたが、諦めると顔を真赤にして麦藁帽子を脱ぎ、車則な客。しかもよく見れば、それらは全て出発前と変って りくっ しようぜん の窓に向って悄然として首を下げた。その時私は眼前の一一一はいないのだ。しかし理窟の上では確かにこれらは以前に 等車の窓に、殪んど手を掛けんばかりにして、・フラットフ見たものと同じであると自分を説き伏せても、やはり眼前 こつけい オームを駈け出しながら、車内の若い女を見送っている青の滑稽な卑小な光景は私の心を少しも揺ぶってくれない。 つめえり 年に気づいた。黒い詰襟服のその男は私の受持の木村先生永い間私にとって、都会への門であった、駅や電車やが、 いつの間にか、一月の都会生活の留守の間に、逆に田舎へ だった。さてはと思ってもう一度よく見ると、車中に立っ たままこちらを見ているのは、あの戸並先生。私は突然にの戸口と変ってしまった。それに謙さのはだけた胸。木村 うわぎ まで あか あの女臭い厚い胸を思い出し、今迄の楽しい軽い旅の気分先生の垢じみた上衣。そうした今迄には見えなかった醜い そこな を傷われると、それを振り捨てるようにして、汽車の進む面が私の神経にこたえる程はっきりと見え、豆腐屋や小学 方角にもう一度目を送った。遙か前方の二等車の窓から教師に対する私の感情もすっかり変ってしまっている。そ は、元気な父の顔と、そして相変らず爽かな夫人の笑いとれに気のつかぬ相手が、以前通りの態度で私に接しようと がこちらを眺めながら遠ざかって行き、車がゆるやかに曲するので、相手は更に私に弱点を露呈することになる。結 り始めると、夫人は私に答えるように片手を小きざみに振局一月の間に変ったのは対象そのものではなく、私自身の しゅうえん ってみせた。私にはそれが、愉しい一月の都会生活の終焉眼なのだ。一月の都会生活がそれまで私が疑うことなくは まりこんでいた田舎生活から、私をはっきりと抜き取って にを合図しているように思われた。 そうしつ 下私が都会から持って帰って来たものは、一種の欠乏の感しまった。喪失と云うものは必ずしも対象自体にかかわる 影覚だった。私は駅の構内から一歩踏み出した時、眼の前のものでないと云うことを私は初めて実感させられた。「千 死広場が、いつの間にか驚く小さくなっていることに気づ一夜物語』や利いちゃの死のようなものの他に、私自身の いた。中央の松を植えたロ 1 タリーも縮まり、駅の両側に変化が、それまでの貴重なものを、一時に価値なきものに たちま ちょうど 軒を並べた宿屋も前にせり出している。広場〈入 0 て来たする。丁度一瞬の光線の侵入が、沢山のフィルムを忽ちに 電車 ( それに乗って私は田舎の町へ帰って行く訳なのだして駄目にしてしまうように。人生はその主人公が、自己 はる たの きわや

8. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

る大いなる未来の闇に、一瞬の光を投じると、また後は沈に見つめ、汗ばんだ顔を醜く歪め、白いナ。フキンの陰で、 黙に返った。そうした光の礫のような無数の洒落の中で、女給仕のかみ殺したあくび、 それらは正に都会生活そ その日は女の髪の寺 この女の髪に対するものだけは、意外にもそのまま私の記のものの効果的な縮図だった ! 憶の上に止まることになった。と云うのは、その寺に行っ から突然に思い立った父は、 ーーそんな風に折角の予定を くつがえ た晩、私達は大阪の或る郊外電車の開設何周年かの記念と自ら覆すのが父の常習だったが、それと云うのも予想と さきほど して、就任早々新社長野々宮氏の、派手な営業方針から、実行とは二つの異った快楽であると云う、先程私の考えた その沿線の遊園地で行われた園遊会に出席し、そのエビグマキシムの忠実な体現者だった父は、生活の極度の忙しさ ラムの意味をはっきりと実感することになったのだから。 から、一つの事柄に対して、予想か実行かいずれかを止む おとな 園遊会 ! それは都会生活の複雑な諸相に対する私の最なく省略した。それが私には父のような立派な大人にも子 初の体験だった。そして一晩の間に次から次へと急調に味供らしい気紛れがあると云うので、英雄の生涯に人間的な った様々な事件はーーそれは崖から墜落する旅人が下の海親み易い欠点を発見することが、伝記作者をそうさせるよ 面に到着するまでの短い間に、彼の一生を記憶の中に復習うに私を驚かせ且っ喜ばせたのだが、父にして見れば一つ するにも似た、目眩るしさだったがーーその後の私の全生の予定を抛棄することは、それが快楽に関することである 活の根源となったくらいだった。私は結局、この晩一時に限りは、更に悔恨と云うもう一つの快楽を増すことになっ めった 味った、種々の感情的震幅の外に、その後減多に踏み出る た。そして事業に於いては一分の違算をも許さない、鋭い ことはなかったのだから。ーーそれは独逸人ならば、原体父のことだから、そうした気紛れは彼の慌だしい二重三重 しゅうとう 験とでも名付けるであろうような性質のものとなった。電の生活の生んだ、時間の肩に羃を書き加える周到なる数 ひた ぢようちん 球を入れた数知られぬ色提灯の下、涼しい夜気に浸って、 ーーその寺の近所 学、綿密に計画された無計画であった。 あお たくさん そほうか 「華やかなジャズに煽られながら踊っていた燦びやかな男の或る素封家のところへ寄って、足利時代の絵を沢山見 あぎや の 女、ーーー鮮かに投げ交される機智に富んだ会話ーー卓の上た。そしてつい話し込んで、夕食まで御馳走になると、そ 影 な ささや こかげ のでカクテルを嘗めながら囁かれるゴシップーー・仄暗い木蔭こから真直ぐにタクシーを拾って園遊会に駈けつけた。 もとつぶや 死かく に陰れ遠くの男女の群を横目に見ながら耳許で呟かれる愛父は人波の間の或る卓に私を一人残すと、ちょっと電話 あわた 7 の言葉ーー・何気ないそぞろ歩きの間に慌だしく纏められるを掛けて来ると云って、慌だしく立って行った。照明の加 くまど 重要な商談ーーー愉しげに笑っている人々をやり切れなそう減で顔の陰影が誇張されて隈取ったように見え、それがそ はな かわ つぶて べき せつかく や

9. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

んどん金儲の話を進めながら、一方でせっせと同文書院のつの話の糸に結びつけてしまった。何と云う偶像破壊 ! 特別講義に出席していたのも大したものだがね。おまけに ところでそんな宮田氏と話している父は、先程私の前で と、わ 講義の帰りに常盤花園か何かへ廻り、それから : : : 。君、静かに悲しんでいた時とは全く別人のように、俳優のよう からだ あぎや きわや ( と身体を起した父は敲き伏せるように手を動かすとすかに鮮かに皺は延び、眼は輝き、手付も爽かに、気取った一 せつかく さず ) 制作と云いや君のカ作子像も、折角のところで中人の都会人と変った。そしてもう私などには少しも気をか やっ 絶だね。ーー・朱実の奴もひどいよ。では明日午後一時からけてくれない。私はそうした父親が誇らしくもありなが ら、一方父を横合から奪ってしまった宮田氏に対する悪感 きっとよ。お仕度しておかなきゃいやあよ・ : ・ : とか何とか 云って帰って行ったっきり、翌日の朝の新聞でこっちを唖情は押えることが出来なかった。嫉妬 , ーーその感情の眼醒 ぜん 然とさせたんだから、それつきり絵も駄目になるし。 めがこの時に起った、将来、それが殆んど幾度も私の生活 それから父と宮田氏との対話はいよいよ私の理解しがたい の梶を急転回させることになろうとは知るよしもなく。 そこへ利兵衛君がちょっと顔を出したが、見知らぬ一一 方向へ急旋回して行ってしまった、野々宮の禿だの、道楽 子爵だの、夫人だの、浪ちゃんだの、三文文士だのと云う人の立派なお客さんに狼してすぐ引っ込んで行った。用 けんか 難解な術語めいた単語の間を、飛石づたいに駈け出して行事は今学校の運動場で武男君と朝鮮人の子供とが喧嘩をし くような具合に。そしてその半ば外国語めいた会話の中たが、・ とちらが正しいかと云うことで皆の間に議論が分 に、どうやら私の熱情の対象である、しかし相互に最も懸れ、私に最後の決断を聴くと云うことになって、利兵衛君 はず 隔した世界に住む筈の二つの偶像、上村氏と吉岡嬢とらしが使者に立ったのだった。 ふうん、小学校も変ったも いけ ~ 強、 い姿が、奇妙に歪められて大洋の波間の人魚のようにちらんだね。 ( と父は利兵衛君が生墻の向うへ陰れるとすぐに りと現れ、瞬く間に他の漂流物と共に消えて行くのだっ口を切った。 ) 我々子供の頃は、学校は出来なくても腕カ た。しかし触れる対象を何でもすぐ漫画化してしまうようの強いのが大将だったが、この頃は弱くても頭のいいのが な、機智に溢れているとは云え、何だか品のない宮田氏の心服されている訳か。喧嘩の仲裁を床の上に寝ていてする 話し方は次第に私には不愉快で耐えられなくなって来た。 なんてのは、政党総裁のすることだね。なるほど、大正時 それに上村氏と吉岡嬢との間には私の内部では到底道がな代の子供はデモクラシイだなあ。 しかし武男君て云う なかまろ * い筈なのに、丁度百科辞典が一頁に平気で阿倍仲麿とアベのは大分憎まれるらしいね。 ( と宮田氏も初めて半ば私に ロエスとを並べるような具合に、無造作に冷淡に二人を一向って話しかけた ) 腕もないのに何事によらずロ出しする したく たた だめ しわ ろうまい しっと

10. 現代日本の文学 41 中村真一郎 福永武彦集

ほど 心の動きと、実はそれ程相違している訳ではなかったの制服の大学生と手を繋いだ若い吉岡嬢が、元気に駈け下り て行く様を想像していた。次第に遠ざかって行く一一人の背 だ。感情の振幅と速度とを別とすれば。・ 或る日私は朝刊の三面に大きく出ている彼女の写真に驚には、爽かな朝日に溶けた小鳥の声が一面に注ぎ、やがて まばゅ こみち かされた。それは映画に出て来る時よりも一段と、眩いばその姿が森の小径の間に見えなくなったかと思うと、銀色 たた かなた かりに直接に迫って来る横顔だった。私はそれまでに映画に光っている枝々の彼方から、今度は自由を讃える美しい のスナツ。フや画面でしか、つまり或る役の人物としてしか二部合唱が洩れ聞えて来る。そして画面はどんどん遠のい いて行き、選に「終」と云う字幕と共に風景全体が現実の日 彼女を見なかった。それがこの写真は何かの役を演じて ひとみ ・ : それが私の最初の女性への熱情の るのではなく、彼女自身の笑いを笑い、その瞳は彼女自身光に色薄れて行く。 の秘密を宿している。それに田の私が一番最近に見た映「終」だった。彼女は永久に、純粋な光線ばかりの夢の彼 画でも半年以前の彼女の姿であり、その古い映画が同じ表方へ脱出して行き、もはや銀幕の窓から私の方に微笑みか 情を繰り返しながら全国を巡回している間に、売出し最中けることはないのだ。「千一夜物語』が闇の底、無限の夜 の現実の彼女はどんどん生長していたのだ。ーー私は身近の中へ沈んで行ってしまったように、吉岡嬢は映画の終っ はだにお にんどその肌の匂いさえも感じた。それからその記事のた後に我々を取残す白ちやけた真昼の光の中に、フィルム みだし 表題の駈落と云う字に気付いた。目下「カルメン』撮影中の銀粒を青空の金粉と化して昇天して行ってしまった。そ ひそ ゆくえ おんぞうし の吉岡嬢は突然に華族の御曹子である某大学生と共に行方の日一つの面影が私の心の森蔭で誰にも知られず秘かに息 を冥ましてしまった。原因は全く不明。撮影は中止か主役を引き取って行った。・ だが一度何物かに満された心は、そのまま空虚に戻ると 変更かに迫られ、映画初出演で張り切っていたドン・ホセ 云うことは出来ない、心情の空間もやはり真空を忌むのだ 役の新劇俳優原口氏は彼女の無責任に激昻している。 と云うのである。そしてその記事の裏面には世人も私も知から。私は無意識のうちに代りを求め始めていたらしかっ ることは出来なかったが、野々宮社長と原口氏と浮田子爵た。それは突然に一枚のプログラムから来た。足を痛めて なが もっ はなは との間に、甚だ複雑な感情の絡れがあり、私の父はその日学校を休んでいた私は、床の上の永い昼の時間の所在なさ まくらもと の朝刊を片手にして、大阪中の新聞社を記事揉み消しに駈に、枕許に童話や雑誌やクレョンやを積んで、それで閑を け廻っていたのだ。その頃何も知らない私は、駈落と云うつぶしていた。そんな時、一冊の本の間から偶然に学芸会 あざや のプログラムが出て来た。それは一月程前に劇場でやった 不思議な鮮かな言葉から、広いなだらかな緑の丘を、黒い さわや つな やみ