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検索対象: 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集
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1. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

「ジョロ挺身隊 : : : 」息をのむように仲代庫男はきき返し してくればいいんだ」鹿島明彦はてれたように笑った。 こ 0 「いこう」津川工治はいった。 「うん、鹿島にじゃまでなかったら」仲代庫男はいった。 「そういうアダ名がついとるんだ、外の女子工員の宿舎は 「いいよ、なあ鹿島」津川工治はいった。 監視がきびしかけんねえ」津川工治はいった。 「ひどかぞ、あそこは、仲代はびつくりするかもしれん「鹿島は : : : 」鹿島もこんなことをしているのか、という ね」鹿島明彦はいった。 調子をこめて仲代庫男はいった。 「ひどいって、何が」仲代庫男はきいた。 「鹿島は内村という二つ上の女の子と仲ようなっとるん 「いけばわかる、すぐそこだ」鹿島明彦はいった。 だ、おれはこの前、一度しか会ったことがないけどね」 たしかにものの五分と歩かぬ地点に、・ほっかり切り開か「ふーん」仲代庫男はいった。彼はさっきから何かひどく しゅうしゅう れた林がみえ、紙のような塀をめぐらした平べったい宿舎収拾のつかぬ考えに襲われはじめて、何とかその考えの が黒い天幕に似た月影をおとしていた。黒い天幕に近づい つじつまを合せよう合せようとしていたのである。 ていくうち、仲代庫男は「どうもおかしな気がするね」と「ここの挺身隊はね、女学校をでた奴が多いんだ、みんな いった。宿舎だけでなく切り開かれた林のあちこちに奇妙二十より上の奴ばかりだというとったよ」津川工治はいっ うすくま に蹲っているものの気配を感じたからである。 た。そのあとで彼はふたたび姉珠子と沢野の関係をちらと 「黙っとれ」低い声で鹿島明彦はその仲代の言葉を制し、念頭に浮かべたが、その重い考えにくらべて、自分の言葉 それからまた「このへんにおれ、つれてくるから」といっ だけが何か彼の体のある部分から二つにも三つにも分れて こ 0 べらべらとでていくような感じであった。 あわ 「おい、つれてくるんか」津川工治が慌ててそういったが 仲代庫男はまた息のつまった声で短く「うん」と返事を うす レそれに返事もせず、鹿島は宿舎の裏手の方に去った。 した。彼は自分の胸の中の疼くような混乱を、今日、夜明 はんすう の「何だあれは」仲代庫男はおかしな気配を見廻すようにい前の早岐駅で別れ際に芹沢治子がいった言葉を反芻するこ 構っこ 0 とで統一し、切り抜けようとしていた。彼女はその時、「じ あいびき 「逢引しとるんだ、さっきの徴用工員宿舎の奴もきとるやこれでお別れね、手紙をだしますから、仲代さんも下さ 5 し、普通の工員もきとる、ここの宿舎はジョロ挺身隊だか い、がんばってね : : : 」と固い表情をして窓から手を振っ らな」津川工治はささやいた。 たのである。

2. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

「一昨日はおれをひつばるより、市長をひつばれとかいう「学生、学生ですか。そうかね、そいで警察はどうなると とったよ、何か思いちがいをしとるぞ、あいつは : : : 」 思うかね」 「何がですか」 地下の留置場の入口にある担当部屋をのぞきこんで刑事「いや、民主政治になったらみんな変 0 てしまって、それ は親指をつきだした。「すみませんがね、鹿島明彦と面会で、署長やなんかはひ 0 ばられるかもしれんという噂がで させてくれませんか。上につれていってもよかとだけど、 とるんだが」 いまコレがおらんのでね、めんどうでもここでたのみます「誰にひつばられるんですか」 「いや、アメリカ軍という者もいるし、朝鮮人と共産主義 「あ、鹿島ね」耳の後に傷あとのある担当巡査は気軽く応者が革命をやるという情報もあるし、警察に勤務した者は じ、「アメリカがきたっていうけどどうかね」といった。 絶対就職できんというとるしね」不安な気持をえきれな 「ああ、おれもまだみとらんのだけど、みんなそれで出と くなって吐きだすように刑事はいった。 るんだけどね。タンクの音はさっききこえとったな」と刑「朝鮮人と共産主義者が革命をですか : ・ : ・」仲代庫男がい 事はいっこ。 いかけた時、担当巡査と一緒に鹿島明彦が入ってきて「よ 「警察はどうなるのかね」といい残して担当巡査が輪になお」といった。 った鍵を持って出ていき、「坐らんかね」と刑事は仲代の 「ここに入っとるときいてびつくりしたよ。どうしたん 方をむいた。 だ」仲代庫男はいった。 「どういうことになるのかさつばりわからんね。民主主義「ああ、もう無茶苦茶やからね、一度調・ヘて帰しといてか というのが天下をとるという話もあるし、・政治だとら、またひつばるとだからね。それからろくに調べもしな いうものもいるし、・というのはアメリカの憲兵のこ いでもう一週間も入っとる」鹿島明彦はいった。 たたみ はんお とらしいな : : : 」黙って畳の上り口に腰をかけた仲代の方「お前調書に判押さないからさ」刑事が横からロをだし、 をちらとみて、刑事はひとりごとのようにいった。 「まあ坐れーと担当巡査がいった。 「あんなでたらめな調書、認めたらそれこそ何されるかわ 「あんたは、何かね仕事は」刑事はきいた。 からん。配給品をかつばらったことを認めろというんだか 「学生ですよ」仲代庫男はこたえた。 ら。認めるならだしてやるというけど、そんなことしたら

3. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

ぐび を読んで、その文学的感性の形を手がかりにして、そし、このように鋭い内感の世界を心に具備している少 年が存在していなかったら、崎戸炭鉱はおそらく、 、つ考える かれは、他人の苦痛や不幸を、だまって見ているこ滅していたことだろう。たとえ、眼に見える現実とし とかできない いや、不幸な者にであうと、そのひとてそこにあるとしても、わたしたちは決して、崎戸炭 坑の悲惨な現実のなかから、朝鮮人やケッワリ ( 炭鉱 以上にかれは、そのひとの不幸を感しとってしまう。 逃亡者 ) の声を、ききわけることができなかったにち そして、そのひと以上にかれは苦しんでしまう。こう がいない。井上光晴は、昭和二十二年の六月に、「人 いう性質の人間が、井上光晴の中に住んでいると思う。 つよ 勁い活力にひしめかれた楽天というものをかれは持 間」と題するつぎのような詩を書いているので、参考 にあげておきたい。 っているが、その内側に、他者の生の不幸をあまりに 人間はかけがえのないもの も鋭く感しとるために、そのことによってあまりにも 人間は大切にせねばならぬ 深く自分の、いを傷つけ苦しめてしまう、そういう性質 の人間が住んでいる。そして、これはおそらく井上光 晴が、崎戸炭鉱における少年期をつうじて、自己に与 俺たちは人間労働者も人間 びんばうにんもみんな人間 えたものなのである。 かれは、流民の子として、豐田地帯にたどりつ 人間は大切にせねばならぬ き、下層社会に住みついて、やがて炭坑夫となった。 ふんだりけったりしめあげたり たぶん、少年光晴は、生活ばかりでなく、心の深い底 ひばしにしないよ、つ で飢えつくしていったのではないだろうかそして、苦 しみやすい内感の世界は、その飢えのただなかに、ま 人間はかけがえのないもの るで苦い母みたいに立ちあらわれた。 崎戸炭鉱は、飢えにつきまとわれるこの内感の世界 この詩に、素朴なヒューマニズムとか公式主義を見 に吸収されて いく。そして、飢えにみち、苦しみにひ いだすことは、しつにたやすい。また、井上光晴の戦 いつくんばんみんしゅぎ しめかれた若い魂の形を、そこに生みだすだろう。も中における一君万民主義が、ここではたんにヒューマ 454

4. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

「うん、誰もおらん。暗うなってきたからそろそろいく「学校ね : : : 」鹿島明彦は重い声で相槌を打った。 たいひ・こう 「コンサイス、どうする」その重い声に津川工治はひっか か」待避壕からでてあたりを見廻し、鹿島明彦は片手をつ っこ 0 , 刀子ー いて岸壁にとび上った。 あすか 「ああ、あれはもう少し預っといてもらうよ。うちは雨が 「やつばり行くか」津川工治は後から声をかけた。 「行くさ、食うのが先決だけんね。陛下の運命はまた誰か降ればイチコロだからねえ」 「英語の授業が復活したら売れるね」 がきめるさ」 、くら戦争に負けたと「誰にでも売れるさ」 「鹿島いかんぞ、そがんいい方は、し いうても」津川工治はむっとした声でいった。 「もう少し預っといてくれよ、わけ前はだすよ」 「どんないい方 : : : 」 「陛下の運命がなんとか、といういい方さ、やつばりいか「わけ前なんかいらんよ : : : 」 ・ : なんだ怒ったの 「きたそ、その塀の向う側の横穴だ。・ んよ」 か、今日はいやにびりびりしとるね」鹿島明彦は津川の方 「そうかね、お前がそういうならあやまるよ」 をみた。 「びりびりはしとらんけどね : : : 」津川工治はいった。 「あやまるよ、あやまりましたよ」 「あの倉庫た、鍵はかかっとらん。黙って入りこめばいし しけど、仲代は 「お前はすぐちやかすからねえ、おれはい、 んだ」 それでいらいらするんだ」 「仲代といえばどうしとるかねえ、一昨日のラジオを何と「誰かおるごたるぞ」 「誰かおってもかまわん、同類だ。かまわんよ : : : 持てる 思うてきいたかねえ」鹿島明彦はいった。 だけ持ちだせ、靴もあるけど、靴より衣類の方がいいそ、 「かえってくるかもしれんぞ、さっき話したことやなんか ほら : : : 」鹿島明彦はポケットからとりだした細紐を津川 仲代にはいわん方がいいぞ」 「よっ。ほどおれは非国民らしいね。コンサイスでいっか仲に渡し、それから「はなれるな、中は真暗だからおれにつ 代からしめあげられたからね」第七倉庫から待避壕の側面いとけよ」といった。 「衣服倉庫か」津川工治は少し顫える声でいった。 に沿って歩きながら鹿島明彦はいった。 「なんでもある。国防色ばかりじゃない。白い麻の土官服 「仲代は学校にいっとるからね」 かぎ ふる あいづ そひも

5. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

りだした。 「うん、そうかもしれんけど」弱い声でムラは返事をし、 「兄さんのこと」工治はどきっとしたような返事をした。 それからまたその返事を別のことにすりかえた。「今夜も彼もまたさっきから陸一のことを考えていたのである。 さしそく お前学校休む、こんなに戦争がひどうなると先生もきなさ「うん、どうするかって催促にみえられたんだけど : : : 」 らんとやろ」 「どうするかって、どう」 「教員は何人かくることはきとるけど、みんな昼間の動員「何とか法というのがあって、このままにはしておけんと いわれたんだけどね」 疲れだけんね、少しも授業に熱が入らん。この前も、昼間 の学生はみんな動員で働いとるとにお前たち夜間生は勉強「何とか法って、なに : ができてええなあと、 しいよった」工治は母親のすりかえた 「うん、なんか空襲があったりしたとぎ、このままじゃ困 話題にわざと自分から乗った。 るじやろうなんていわれたんだけど、このままじや配給も 「夜間中学生でも、みんな昼間は働いとるとやろうが」ムだんだん少くなって、年寄よりももっとひどいことになる ラは明らかにほっとした声になった。 からって : : : 」要領をえぬいい方でムラは説明した。 「夜間中学生は新聞配給所とか、自分の家で加勢とかそん「だからどうしろっていうんだ。病院かなんかにいれてく こうしよう なのが多いからね。昼間のやつはみんな動員でエ廠にいつれるっていうと」工治は二杯目の丼をおいた。 とるから : : : 」 「いや病院はいまどこもいつばいだし、それにそんな病院 しんせい 「どこで働いとっても同じじやろうにね」 はだんだん少くなっているから申請してもとてもだめだろ 、つ A 」 「みんな自分だけが働いとると思うとるからね」工治が しいよらした」 どんぶり そかし 丼をおいた。その丼をだまってムラはとった。「いいよ」 「それじやどうもできんじゃないか。疎開するとこだって いつばい とエ治はいった。「もう一杯位あるよ、母さんはまた後でどこもないし」 なんでもたべるから」その丼にまたムラは八分目以上にだ「どうしたらよいかねえ、あんなことで病気になっとらん めんどう んご汁をすくいあげた。 なら、まだなんとか海軍の方で面倒みてもらうことができ 「今日の昼、また市役所からきてね」しばらくだんご汁のるかもしらんとにねえ」板の間の食膳を片づけながらムラ 丼をみつめてためらい結局手にとってしまったエ治の方をはもう何べんもいい古してきたことをカのない声でいっ みて、ムラはずうーっと別のところで思っていたことを切こ。

6. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

っしようが、逃げることもできんからね」 え、ばったり手紙もこんごとなったし、手紙だけでも何か その時「父ちゃん、坂井さんがみえとられますよ、橋本いうてくると安心するけど : : この前大家さんは朝鮮との さんのところはやつばり家作も全部焼けてしもうたそうで境の海にアメリカの潜水艦がおるから、満州からはもう郵 すよ」という定代の声がかかり、「あ、坂井さんがみえられ便は送れんごとなるかもしれんというとってやったが」 たか」と戻っていく中島十吉のせかせかした足どりにさえ「中島さんは変なこというね、手紙がもし駄目になっても ぎられて、鹿島は死ぬような奴じゃないと考えようとした電報があるから心配いらんよ」戸島炭鉱に勤務するとすぐ おりえり ちゅう ことが、なんとなく仲代庫男の中で宙ぶらりんになった。配給のクジに当ったスフの折衿の上衣を着ながら仲代庫男 「ばあちゃん、ジャガ芋が少しあったろう、あれを蒸してはいった。 「中島さんはいろいろいわすよ」きくは家主を批難するよ くれんね、鹿島んとこやられとるかもしれんからもってい うな口調でそれに応じた。「この前も、お宅の息子さんは ってみる」家の中に戻った仲代庫男は宙ぶらりんになった よらした。さあよう 満州で何をしとられるんですかといい 考えに結着をつけた。 「ジャガ芋はよかけど : : : 戸島には今日戻るとね」久しぶわからんというたら、毎月どの位金は送ってくるかと根掘 りに家に帰ってきたのだから、あまり外にでるなという気り葉掘りきいてね」 ( しい、ほんとにわからん 持をこめてきくはいった。 「わからんわからんというとけま、 びん 「戸島には明日の朝の便でかえるよ、今夜もう一晩とまのだから」仲代庫男はいった。 「ずっと前はよう金も送ってこんやったが、戦争がはじま る」 ってからは父ちゃんもきちんきちん送ってくるごとなった 「ああ、もう一晩とまるとね」きくはほっとした声をだ し、その声からまた別の何かをひきだす感じでつづけた。 からね、何も人からいわれることはなかよ」達雄を父ちゃ レ 、方こ変えてきくはいった。 「いつになったらみんな一緒に住めるごとなるやろかねんといういし冫 のえ、お前の学校の間は仕方がなかけど、達雄からはもう大「おれが兵隊にいく前に一度帰ってくるといいけどね」 「お前が兵隊にいく時はかえってくるさ、そいでもやつば 虚分手紙のこんし、空襲がひどうなってきたらやつばり一つ り兵隊にとられるとね」 ところにおらんと心配になるからねえ」 「父ちゃんからはこの前いくら送ってきた」 「兵隊にはいくさ、誰でもいっとる」きくの気持とは逆の みつき 「この前は二百五十円、そいでもう三月以上になるけんねことを仲代庫男はいった。 おおや

7. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

こ 0 「鹿島は変っとるね」しばらくして仲代庫男はいった。 「うん、英和辞典だけどね、それも煙草かなんかの巻紙に「接吻してぎたそ」という言葉と、煙草の巻紙に使用する するというなら話はわかるけど、巻紙にせんでずっと溜め目的ではなくコンサイスを買溜めしているという二つのこ とくというからおかしかよ」 とがとっさにうまく彼の中で整理できなかったからであ る。 「溜めとく、どうして」仲代庫男がたたみ返してきいた。 「どうしてって、どうしてかわからんけど、いま本屋にあ「入れよ : : : もしおふくろが兄貴のことを何やかやいうか るのは英語の辞引ばかりだけんね、店にはでとらんけど、 もしれんけど適当にいうといてくれよ」いつのまにぎたの 奥にはいつばいどこの本屋にでもあると鹿島はいうとっ かというふうに、自分の家の前で急に立止って津川工治は た。それを買溜めしてどこか東京あたりに送るとじゃない 仲代をふり返った。 かね」 「東京に送るって ? ・ : : ・ 東京が空襲で焼けたから、外国語 「東京 ? 」 の学校にでもまわすのかな」仲代庫男は玄関で自分の思い 「うん、本当のところはどうかよくわからんけど、いっかっきに救われていった。 鹿島からちょっときいたことがあるような気がするから : 「えつ」津川工治はききかえし、それからすぐその意味が ・ : あいつのことだから、そうして持っておけま、 。いまに値わかったらしく「東京に送るとかどうかはわからんよ、鹿 がでるかもしれんと思うとるのかもしれん : : : 」 島がはっきりそういうたわけじゃないからね、ただなんと 「値がでる ? 」仲代庫男はまた咽喉のところでからむよう なくそうきいたような気がしたから : : : 」といった。 な声をあげ、「値がでるって英語の辞引がどうして」と同「うん」自分の考えていることと、別のところで仲代庫男 ンじことを繰返した。 は返事をした。 レ 「いや、あいつがそう思うとるかどうかわからんけど : 「母さん、仲代をつれてきたよ」津川工治は奥に声をかけ ク とにかく買溜めしよることは本当だけんね」仲代の声におこ。 の 構 されるように津川工治はこたえ、さらにまたその言葉を「なんか戸島炭鉱の学校につとめられとるとかききました 「はっきりはわからんけどね、ひょっとするとそういうとけど : : : 」津川の母親のムラが姿をあらわした。 っても案外煙草の巻紙にするのかもしれん、あいつはよく「はあ、さっき寄ったんですが、みえられなかったから・ : ・ : 休みをもらってちょっと戻ってきたんです」仲代庫男は 変ったことをいって人をおどかすから : ・ : ことおぎなった。

8. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

はこのや . わらかな子供たちはどんなことになってしまうのふるえました。がつくりと小舟に乗ると、小城は岸からこ だろう。この考えは居ても立ってもいられないものでしぎ放しました。折しもせききれなかったもののようにさあ ーっと水の面をたたくものがありました。それはあたりが 「この島に敵が上ってぎたらこの子供たちをどうしましよしぐれてきたのでした。水面には・ほっ・ほっ・ほっ・ほっ一ばい う。中尉さん敵は上ってくるのですか」 あばたができました。黙って二人とも濡れました。ウイノ ウイノさんはこうききました。 さんがくれた。ヒーナツを小城のポケットにいれてやると小 「こんな小さな島に来るものですか」 城は黙って頭を下げました。仕事はもう終ってしまったら 中尉さんはごまかしました。そしてそんなふうにしらばしく、チタン、サガシ・ハマ、タガンマ、スンギ・ハラ、ウジ くれていることにがまんができなくなりおいとま乞いをしレハマはみんな物音もなく雨足のみ蚕しぐれのようにふり ました。敵が上陸して来そうだからこそお別れにきたのでそそいでいました。 はありませんか。子供たちはおみやげの棒飴をおいしそう ひざこそう に食べながら膝小僧をそろえてあがり口に並びました。 次の日は、一日中雨でした。 ーテの中尉さん」 「中尉さん、さようなら、ショハ 中尉さんは子供たちの手をにぎりました。おお、やわら そしてこの島への危険は通りすぎたようでありました。 かな手、世の中にこんなにやわらかいものがあったのだろ敵はずっと東の方の小島に新しい作戦をはじめ出しまし こ 0 うか。ョチはおませな口調で、 あま娶し しやじく 「ね、中尉さん。トエが、トエがお魚をたくさんたくさん 雨勢はだんだんつのってきて、車軸を流すようになった 買いましたから、ショ、 / ーテの中尉さんに、 いっしょに食ので、午後はみんな休みました。中尉さんはつかれたので てべにおいでって」いきをはずませて言いました。 自分の部屋で寝ました。板敷の床下でヒメアマガエルのな 果朔中尉の前にもうこの世のことは何もありませんでしくのをぎいているうちにすっかり眠ってしまいました。 どうくっ の ・ : 夢の中で隣の部屋の人声がやかましくて仕方がな た。追っつけ命令が下り、あの洞窟の中のものを海に浮べ ぼうじゃくぶじん 島 。そんな傍若無人な奴はとても許して置けないと自分で て打乗り、敵の船に体当りにぶつかって行くこの世とも思 われぬ非情な自分と五十一人それぞれのふう変りな運命のひどくいらいらしてるなと思っていると眼が覚めました。 おお 姿ばかりが先立つのです。小舟のある所まで行くのに足が部屋はまっくらでした。またいつのまにか夜のとばりに覆 かいこ

9. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

いえ私に直接じゃないですけど、自分のうちのものに気は戦うこともできんですからねえ : : : 」ムラは言葉をつ 陸一さんもいまのうちになんとかせんとアメリカが上陸しまらせた。 てきたら軍に銃殺されることになるかもしれんというてね「そんな : : : 」何か別のことを考えるようにいい、 それか ・ : 」そのことだけをはじめからきいてもらいたかったよら「主義者を殺すといったんですか」と仲代庫男はその考 えを声にした。 うな口調でムラはいった。 : そりあ戦えるものは戦わにゃならんでしよう 「そんなことはできないですよ、同じ日本人をそんなこと「ええ、 やったらもうおしまいです、そんなことしたら何で戦争しけど、足手まといになるものを殺さにゃならんとしたら年 とるのかわからんごとなるから・ : ・ : 」仲代庫男は強調し、寄りも赤ん坊もみなそういうことになりますからねえ : それからその自分の言葉の終りのところを前よりも少し低・ : 」仲代に対しての返事ではなく自分にいいきかせるよう にムラはつづけた。 い声で「本当にそんなことしたら何で戦争しとるのかわか 「刑務所にいる主義者を殺すといったんですか、しかしこ らんですからね」と繰り返した。 この刑務所にはそういう者はおらんでしよう : : : 」仲代庫 「定良は小さい頃、よく可愛がったのにねえ : : : 」ムラは ふしん っこ 0 男は呟くようにいった。その声にムラがちょっと不審な目 どんふりと 「なんか疎開した方がいいといわれたのが、まちがって伝をあげた時、津川工治が丼に溶いたうどん粉を持って入っ てきた。 えられたんじゃないですか」仲代庫男はいった。 「それがね、よそからもいろいろきいたんですよ、あんま「できたぞ、ちょっと粉がゆるいかもしれんけど : : : 母さ なべ り心配になったんで、ここの町内のしっとる人にたのんん鍋持ってきて」 じゃ 一で、警察の方にでとられる人にききにいったとですが、そ「主義者のことはわからんけど、あんな病気でも戦争に邪 レしたら、はっきりはわからんけど、もしアメリカが上陸し魔になるわけじゃないから : : : 」ムラはいった。 のてきたら刑務所にいる主義者は殺すことになるかもしらん「何をまた、いい よっとね、兄さんのことは心配せんでも 虚なあ、そういう通達がでとったとかでとらんとかというてよかよ、それより早う鍋持ってきて、ついでにけずり節と それで病気の方はどうなりますかとききましたら、そ油も少し : : : 」津川工治はムラの言葉を制し、それから仲 りあ主義者のごとはならんじやろう、戦えるものは全部戦代の方をむいて「戸島炭鉱の配給はどうや、やつばり佐世 わにゃならんからというとられましたけど、陸一のあの病保と同じやろうかね」ときいた。 っふや

10. 現代日本の文学 42 島尾敏雄 井上光晴集

ペんに吹飛ばしてしまうことができる。佐中、佐中と威張「おれがいうよ。昨日回覧板まわってぎたけど、よそにい じやばらぼうし っていても、熊本エ専の蛇腹の帽子の前にはどうにもならっとったから、今日とりにきたといえばいい。おれがいう んだろうという考えがわっと叫びたいほど彼の中をかけめけどね。それで白南風町からきたということにしとこう」 てはず : だが、姉はどうして家に金を入れるのだ、海鹿島明彦は手筈をきめた。 ぐんじゅふ 軍が駄目なら、いままで通り軍需部に勤めることもできな「白南風町か。うちはもう鰯の罐詰は取っとるとだけん くなるかもしれないのだ。ふっと突きさしたようにし・ほんね」さっき自分のいったことを少し後悔した口調で平田勝 だ思いの中で、死んだ義兄と重なっていっか彼の家にたずはいった。 だいじようふ ねてきた姉のつきあっている男の顔が浮かび上ったが、彼「大丈夫さ、下宿しとると、え・ま、、。 下宿人ももらう権 は何か汚れたものでものみこむように頭を振った。たしか利があるといえばよかさ。とにかくみつかった時の話だか 軍需部の部長付とかいっていたが、あの男にたのめば何とらねー鹿島明彦はいった。 たた かできるかもしれんという考えが走ったからである。彼は「ぐずぐずいえば叩きのばすさ」友末洋一は右手を曲ける その思いをうち砕いた。海軍がなくなればあの男の力も失ようなしぐさをした。 われてしまうのだ。戦争に負けたら、あの男はもうどうす「誰もおらんごたるそ」津川工治はいった。 - だよ ることもできないのだという未練がましく漂う気持を彼は「平田、罐詰はどこにあるかしっとるか」鹿島明彦は後を 馬鹿な、と自分にいいきかせてたたきつけた。うどんくれ、むいた。 ぞうすい 雑炊よりうどんがよかそ、という兄陸一の泣声がふたたび「いや、はっきりしらんけど、うちの者が昨日行ったとき 彼を現実につき戻す。 は一階にはどこにも山んごと積んであるというとった」平 「足の重たかねえ」平田勝はいった。 田勝はこたえた。 「市役所は電気ついとらんそー友末洋一はいった。 「いけばわかるよ」友末洋一はいった。 「いってみよう。何もなくてもともとさー鹿島明彦は足を「ものいうな、これから」制して、鹿島明彦はまっすぐ市 早めた。 役所の正面に通ずる道を入っていった。 「市役所の奴がきいたら何といおうか」平田勝はいった。 「閉まっとるんか」立止った鹿島に後から津川工治は声を かけた。 「糶をいにきました、といえばよかさ」友末洋一はい っこ 0 「閉まっとる、裏にまわってみよう」鹿島明彦はすぐ方針 しらはえ