「それ持っていこう。ぐずぐずするとまた連中がくるぞ」 「どうした」津川工治はいった。 「うん、きてもかまわんが、面倒見いけんね」と呟いて、 「さっきの連中が落していったんだ。靴の箱のごたる」 「わっ、こいつを馬車かなんかで運べたらね」と鹿島明彦「靴か」津川工治は息をのんだ。 は声をたてた。 「後だ。とにかくこれを運んでしまおう」鹿島明彦はいっ こ 0 「それでいいじゃないか、おろせ」津川工治はいった。 「よし下におろすぞ、受止めろーといって、鹿島明彦は目 最初の箱を倉庫の外におき、二つめを運んでくる途中で の前の箱をひきずり落した。 「靴もあるんだな」と津川工治はいった。 「おいいっぺんに落すな、危いそ」と声をかけ、津川工治「リャカーの欲しかねえ」鹿島明彦はいった。 は途中どこかに一度ひっかかったような音を立てて転がり「さっきの靴 : : : 」二つめの箱をおろすと津川工治はいっ こ 0 落ちてきた箱に近づいた。 「もう一つ落すぞ」鹿島明彦はいった。 「よし、おれがとってくる」といって鹿島明彦は入ってい りようわき 「よし」津川工治は応じた。 き、一箱ずつ両脇に抱いてすぐでてきた。 「どうせ持てんから、これでやめとこう」という鹿島明彦「士官靴か」津川工治はきいた。 の声がして、また同じ箱がドスッと落ちてきた。 「短靴のごたる」鹿島明彦はいった。 「いくら入っとるんだ、こりあ」手さぐりで段ボール製と「どうする」もう少し倉庫からとってくるか、それともこ わかるその箱を動かしながら津川工治はいった。 のまま持てる分だけでも連ぶかという表情を津川工治はし たな 「たしか一ダース入っとるはずた」鹿島明彦は棚からとびた。 下りた。 「一人で一箱かっげるやろう。靴はポケットに片一方ずつ 「持てるか」 つつこめ。これを運んでからまた戻ろう」鹿島明彦はいっ 「持てるさ、二人で一つずつ外まで運・ほう」 「よし、先に持ってでるそ」 さっき倉庫の中でしまいこんだ細紐をポケットからとり それからものもいわず二人は一つの段ボール箱を中にし だしてそれを一廻り結んで、箱の手がかりにし、二人は肩 て真暗な倉庫を運んでいったが、入口近くになって鹿島明にかつぎ上げた。しばらく歩いて第七倉庫のところまでく 彦は何かにつまずいて「あっ」という声をあげた。 ると、鹿島明彦は思いついたようにいった。 めんどうくさ っぷや こ 0 はそひも くっ
8 「いうなっていうのに」鹿島明彦が制した。 「馬鹿いえ」鹿島明彦はいった。 「こいつは煙軋を売 0 とるんだ」津川工治はその声をか「こいつは女子挺身隊員をひ 0 かけとるんだ」津川工治は っこ 0 まいつけぬようにいっこ。 「ふふふ」鹿島明彦は何か言葉をのみこむような笑い方を「嘘そ、むこうが声をかけてきたんじゃないか」鹿島明彦 よ、つこ 0 「闇煙草 ? : こ仲代庫男は不思議そうにきいた。 「同じことじゃないか」津川工治はいった。彼はまたどこ 「よもぎを干してきざんで、そいつを配給の煙草をばらばかで姉珠子と沢野という男のことを思ったが、言葉だけが らにほぐしたのにまぜて : : : 十本の煙草が百本になる、なその思いと反対にひどく浮わっいたものになってでた。 あ、鹿島」津川工治が鹿島をからかった。 「熊本からきている女子挺身隊員で大アツアツだ、なあ」 「よもぎだけじゃないぞ、まだいろいろなものまぜとると彼はつづけた。 そ、専売特許だ」鹿島明彦はいった。 「ふーん、そうか」仲代庫男は感心したような声をだした。 「嘘つけ、よもぎだけじゃないか、それとも柿の葉か」津「大アツアツは嘘だが、女子の徴用工員はひどかぞ」鹿島 ーエ治はいっこ。 明彦はいった。 「それをどこに売るんだ」仲代庫男はいった。 「挺身隊がきとるのか」仲代庫男はきいた。 ちょうよう 「徴用工員宿舎に持っていくんだ、もうすぐそこだ」津川 「うん、同じようなもんだが、徴用工員も挺身隊員もきと 工治はいっこ。 るそ、熊本とか鹿児島からきとる : : : 」鹿島明彦はこたえ こ 0 「大丈夫か」仲代庫男はいった。 「何が」鹿島明彦はきいた。 「鹿児島からもきとるのか」仲代庫男はいった。 「いや、みつかったりなんかするとうるさいんじゃない 「鹿児島といえば、仲代は惜しかことしたねえ」津川工治 ま、つこ 0 か」仲代庫男はいった。 . をしー 「大丈夫さ、むこうは大歓迎なんだ、ロ笛さえ吹けばいし 「いや」仲代庫男は言葉を濁した。 んだ」鹿島明彦はちょっと不敵な表情をした。 「そいでまた東京にかえるんか」しばらくして津川工治は 「ロ笛はその先の女子徴用工員宿舎で吹くのとちがうん案じるようにきいた。 か」津川工治はいった。 「うん、少し模様みてから : : : 」仲代庫男はいった。 うそ
「お前の持っとるのは何だ」津川工治は鹿島にきいた。 にあいにかえったようなもんだ」仲代庫男はこたえた。 「これか」鹿島明彦は、風呂敷で作った袋をちょっと左右「ほんとうにね」津川工治は笑った。 あすき 「お前の家は助かったのか」鹿島明彦が津川の方をふりむ に振るしぐさをした。「小豆だ。半分焼けとるけど、食え んことはないよ。半分やろうか」 「どうしたんだ」津川工治はいった。 「今頃ぎくからねー津川工治はいった。 こうしよう びろ あすか 「エ廠の購買所が焼けとるやろうが。もう大分誰もが拾う「お前に預っといてもらいたいものがあるとだけど、預っ た後だから何もなかったが、これだけ集めてきた」鹿島明といてくれんか」鹿島明彦はいった。 彦はまたその袋を眺めすかすようにして眼の高さに持上げ「何を」津川工治はきいた。 こ 0 「昨日命からがらそれだけ持って逃げたんだけど、もうこ 「購買所の焼けあとから拾ってきたんか」津川工治はあきうなればおれのたった一つの財産だから : : : 」鹿島明彦は っこ 0 れた顔でその袋をみた。 「半分やるそ、・せんざいが焦げたと思って食えば食える「何よ、それだから : ・ : ・」津川工治はいった。 ぞ」鹿島明彦はいった。 「うん、この前話したことがあったやろう、コンサイスの 「どうする、荷物も何もなくてこれから」横穴壕にいく病辞典だけど、おき場所もないから」 院の坂を上りながら津川工治はきいた。 「コンサイス」仲代庫男はつまった声できぎ返した。 ったて 「どうもせんよ、しばらく掘立小屋を作ってでもくらす「ああ、仲代には話しとらんやったけど」鹿島明彦は何で つどう : お前明日の昼都合っかんか、材木集めて、川の岸もないといった調子でこたえ、それから「ジャガ芋全部も に小屋作るのに加勢してくれんか」逆に鹿島明彦は問い返らっていいのか、よろこぶよ」とつづけて仲代から・ハケッ レした。 を受取った。 の「うん、そりあ加勢はするけど」そんなに簡単に考えるこ横穴に鹿島明彦が入るとすぐ母親がでてきて「仲代さ とかというふうに津川工治はいった。 ん、津川さんもわざわざきてもろうて、こんなにしてもろ 「仲代はかえってきとったんか」 うて : : : みんなやられてしまいまして : : : 」とロごもって 改めて鹿島明彦はいった。 眼をしばたたかせた。 もど 「うん、昨日きてね、明日の朝また戻らんといかん。空襲「いいじゃないか母ちゃん、みんな助かったとだから、死
「今日は一人ふえとる」 もあるぞ」鹿島明彦はいった。 「あれで全部か」 「よし、いこう津川士治はいった。 「うん、たぶんそうだ : いこう」鹿島明彦は中かがみに 「もう少し待っとこう。もう少し外も真暗になってからが なった腰をまっすぐにして歩きだし、「よし」といって津 しいからね」 川工治がその後につづいた。 「誰かでてきたぞ」 / へいそう 大扉の右側にもう一つ通用門になっている鉄戸を押して 「被服班の兵曹たちが運んどるんだ。連中は昨日からやっ とるからね」人影と見分けのつかないほど暗くなった前方「開くやろが、みろ」と鹿島明彦はちょっとふりむいた。 たな とら 「右の棚にのっている箱がみんな衣服だ。奥の方に行くそ」 の横穴倉庫の扉をみて鹿島明彦はいった。 「ローソクかなんかもってくるとよかったね」 「何かいわれんか」 「明りはいらんよ。気をつけてこいよ、連中が散らかして 「何もいわれるもんか、連中も同じことをやっとるじゃな いるから」 いか、どうせアメリカにとられる品物たけんねー 「おい、たしがいのところでくくっていこう」 「よう兵隊だけで誰もきとらんね」 じよう 「錠がおりとると思っとるんだ。昼は本当に鍵がかかっと「なに : 「どこまでいくんだ」 るからね、連中と同じ時刻にやらんと入れんよ 「もう少しこい、白い士官服をみつけとるんだ」鹿島明彦 「誰からきいたんか」 「おれは地獄耳に地獄目だからな」うふっという声をたての声は意外に遠くの方からきこえた。 「わからんごとなるぞ」 て鹿島明彦は笑った。 「おい、あまり声だすな。ずうっとそのままくればよか 「倉庫を閉めていったら : : : 」 だいしようふ レ「大丈夫だ、これから連中は何回も往復するんだ。十二時ぞー ク 津川工治が手探りに歩いていくと、こんどはすぐ間近に の頃までは閉めんよ 構 「そうか、津川工治はきちんと計算されている言葉に感心「おいこっちだ。被服班の連中、見境いなくかきま・せとる から、どうもならん」という鹿島明彦の声がした。 して鹿島の横顔をみた。 「あったか」 「でていくぞ、みろ」鹿島明彦はいった。 「白い服はみつからんが、折衿がいつばい入っとる」 「三人か」 おりえり
396 わあ 「戦争に負けたとに、国賊もへったくれもあるか , 荷台の「今日の奴は馬鹿だな、喚いとったけど。平田勝はいった。 上で吐きすてるようにいって、平田勝は四つ目の南京袋を「昨日は二度とも何かぐずぐずいうとったけど、あげん何 投げおろした。 回も叫ばんやったからね」友末洋一はいった。 「よし、友末行くそ、一つずつかっげ」鹿島明彦はいった。 「うずら豆かもしれん」津川工治はいった。 「お前らそがんことして、あとでどんなめにあうかわから「昨日の油が砂糖ならね : : : 」と、 しいかけた平田勝の声に んぞ」倒れた男が叫んだ。 おしかぶせて「おい交替して持とう」と友末洋一はいった。 「何いうか、この糞じじいー友末洋一は、その思ったより「こりあ福石まで持っていくと目立つから今夜は平田のと あしサ 年寄らしい男を足蹴にした。 こにおいとこう。どこかかくしとくところあるやろう」鹿 「おいやめとけ、いくそ」鹿島明彦は制し、その間にまた島明彦はいった。 平田勝が一つ袋を持ったまま荷台からとびおりた。 「うん、うちはかまわんけど、風呂場かどこかにおけばわ 「持てんぞそんな」鹿島明彦はいった。 からんけど」左手に持った袋を渡して平田勝はちらと友末 それぞれ 四人が夫々一袋ずつ肩にかつぎ、平田勝がさらに残った洋一の方をみた。 袋の端を左手に持上けて「もったいないから津川さん半分「かわろうか」鹿島明彦が声をかけ、津川工治は「うん」 ずつ下げていこう」といった。 といって自分の持っている袋の端をさしだした。 「おけおけ、持てんそ」鹿島明彦はとめたが、津川工治は 「そのうち全部一緒にどこか集めとかんといかんね : : : 」 「よし」とその袋に空いている方の手をかけた。 友末洋一は、不服そうな口調で一昨日からの獲物をはっき 「交替で持とう」友末洋一がいい 足早に去っていく四人り確めるような口調でつづけた。「味噌と油に塩、それか の後から男がまた「お前ら徴用工員だな、わかっとるそ。 らこの南京袋か」福石町の津川工治の家に油と塩、味噌樽 4 の ~ 、た、 しらはえ 海軍にひつばってもらうぞ」と悪態をついた。 は鹿島明彦、それにいまの南京袋は白南風町の平田勝のと 「うまいこといったな」橋を渡った所で平田勝はいった。 ころと、遠い梅田町に住む自分の家に何一つおいていない 「ざらざらしとるが何かな」津川工治はいった。 のが彼には不満だったのである。 だいじようぶ 「大豆かもしれん」友末洋一はいった。 「大丈夫さ、腐るもんじゃないし」鹿島明彦はその友末の 「大豆より能の太いそ」かついでいる南京袋を指の先でつ言葉の方向を外した。 まんで鹿島明彦はいった。 やっ いっしょ だる
392 くらやみ 「夏服か」津川工治は暗闇の中で動く鹿島を見上げた。 「わからん、おれのカンはそうだけどね、軽いから六着入 「どうかわからんけど : : : おとすそ」ふわっと津川工治のりかもしれん」 すぐ目の前をかすめるように箱が落ちてきた。 第十二倉庫の前を過ぎると、生ぬるい風と一緒に調子の まるざか 「それ表まで持ってでてくれ、あともう一つおれが持ってはずれた「田漿坂」が整備工場の方からきこえてきて、「馬 っふや いくから」鹿島明彦はいった。 鹿者たちだな」と鹿島明彦は呟いた。 津川工治がその箱を抱えて倉庫をでたとたん、何かはっ きりとはわからないが、話し声のようなものがきこえ、彼「あいつら、二日か三日酌いつぶれるまで飲めばそれでよ はじっと耳をすませた。そして、鹿島の足音が近づくのを 」と思うとる〈だらね先 0 一」とも考えな」「・・・・・」 待って「おい誰かおるそ」と低い声をかけた。 「先のことか : : : 」津川工治は反撥するようにいった。 「誰だ」鹿島明彦は倉庫から出てきた。 「戦争は終っても、時間はずうっと続いとるんだけんね、 「話し声がする、さっきの連中かもわからん」 酔っぱらって今のことを忘れても何にもならんよ」鹿島明 「被服班の連中はまだ戻ってこんだろうが、とにかくいこ彦は珍らしく津川の言葉をおし返した。 うか : : : 」 それからしばらく黙り、時々狂ったようにきこえてくる びようち 「いこう」前の箱より平たくて軽い箱を津川工治は肩にか歌声を背に二人は歩いていったが、潜水艦錨地にいく分れ つめしょ 道にある警備員詰所のところで、「おい、なんやそりあ」 A 」い、つ亠尸・かかカった 0 「惜しかね、もう一箱位持てるかもしれんけどね」 「いこう、誰かわからんから」 「何ですか」立ちふさがった三名の人影から身を守るよう 七号倉庫の角を曲るところで立止って鹿島明彦は耳をすに鹿島明彦はこたえた。 「お前らどこのもんや」同じ声がいった。 ませたが別に人影もみえず、「誰もおらんぞ、惜しかねえ」 AJ 、つこ 0 「軍需部ですが : : : 」鹿島明彦はいった。 「明日もある」津川工治は鹿島をうながした。 「軍需部、軍需部のどこや」別の男がいった。 ひづく [ 「うん」鹿島明彦はいった。 「干尽倉庫にでとります」鹿島明彦はいった。 「白い服かこれは」右肩の箱を左肩に代えて津川工治はい 「その箱はなんや、二つももったいなかけん、一つおいて いかんや」同じ男がいった。 っこ 0 お
386 はたたみ重ねた。 「自殺か」「二人目だな、これで軍需部は」「軍需部の士官 「防備隊の士官やろかね」 かどうかわからんそ、これは」「誰かその腕、拾わんか」 「どうかな、ああいう士官は特攻隊にはおらんからね、駆「いやそのままにしとけ、巡察に知らせんといかんぞ」「巡 ちくかん 逐艦乗りじゃないか、昨日一隻入っとったから : : : 」 察なんかおるもんか、馬鹿だな」 「泣いとるね」と津川工治がいいかけたとき、「危い、 伏それらの話し声を鹿島明彦と津川工治は魚雷班の待避壕 せろ」と叫んで鹿島明彦は津川の頭をねじふせた。その瞬の中でじいっと耳をすませてきいた。 せんこう きゅうじようようはい 日 赤いチカッとした尖光が二人の網膜をよぎり、つづい 「宮城に遙拝しとったね」津川工治はいった。 つらぬ しようげき てつんざくような衝撃が二人の耳を貫いた。 「うん」鹿島明彦はいった。 しゆりゅうだん 「手榴弾だ、自殺した」しばらくして鹿島明彦はわれに返「なんで死んだのかね」声を殺して、津川工治は自分の思 っこ 0 いを確めるようにいった。 「死んだのか」耳をおさえた津川工治は、生臭い煙が一筋「おい、かえるな、処置はどうするんだ、処置は」岸壁の 地を匍うように立上る岸壁の方をみていった。 方でまた誰かのあわただしい声が上った。 「誰もおらん、死んだ」鹿島明彦はいった。 「貴様自分でさきにいけよ」「そんなことより帽子を拾い あげろ、帽子の方が先だ、形見じゃないか」「自分でとび 「手榴弾で死んだ。自殺したんだ、誰もおらん」鹿島明彦こんで拾え」「ふえつ、どもならんな、これは」「早く始末 よ由ー、こ 0 せんと日が暮れてしまうぞ」「戦争には負けるもんじゃな 「死んだね」津川工治はいった。 いな」 たいひごう 「誰かくるそ、かくれろ」鹿島明彦は前の待避壕にとびこ「死なんでもよかったのにね」津川工治はいった。 んだ。「なんだ」「どうしたんた」と口々に叫び声がきこえ 「うん」鹿島明彦は声だけの返事をした。 てきた。 「どうなるかね、これから」 「ふえ 0 、手があるぞ、手が」「死んだんだ」「拳か」 「何が : : : 」 「馬鹿、拳銃でこんなに吹飛ぶか」「士官らしいそ」「ふえ 「いや、日本さ、朝鮮も台湾も失くしたらどうもならんや からだ つ、ここにもとんどる」「どこの士官だ」「体はどこにあるろう」 んだ」「海に帽子が浮かんどるぞ」「拾いあげろ拾いあげろ」 「なんとかやっていくさ、なんとか生きていけるよ。空襲 いっせき なまぐさ
ナいくらとってもとりきれん位あるからな。崎辺の下のもう海軍もなにもなかとやろが。誰のものでもなかとだけ んね。誰もとがめる者はおらんよ。・ 倉庫には」鹿島明彦は前と同じことをくり返した。 うめ 「カンパンでもよかぞ」兄陸一の呻き声を考えて津川工治「海軍のものじゃなくなったかもしれんが、陛下のものか はいった。今日の昼すぎ、「おい津川一緒にこんか、カンもしれんからね : : : そう思ったらきりはないけどね」思わ パンでも油でもなんでもあるそ」といって鹿島明彦がさそず一度口にだしてしまってから、津川工治はその言葉を不 った時、ちょうど陸一は「うどん、うどん、ひもじか」と得要領に打消した。 つば いいながらフウフウという唾をところかまわず吐きとばし「陛下のね : : : 」鹿島明彦は途中でいったん言葉を切っ ていたのである。 た。「そいでも戦争に負けたとだけんね」 「カンパンなんか持ちきれんごと連んでもいくらにもなら「うん」津川工治はさっきの言葉を弁解するようにうなず ーレト - ノ くっ ん。それより靴を一足持っていけば五升になるそ」鹿島明いた。 「士官たちもどんどん勝手にとってきよるけんね : : : 鹿 ( 咳はいっこ 0 島明彦はいった。 「靴があるのか」津川工治はきいた。 ちょうか 「うん、これからどうなるのかね。どう思う」津川工治は 「士官のはく皮の長靴もある。士官服もあるところをしつ 言葉の方向を変えた。 とるんだ」 その時第十二倉庫の方から不規則な・ハタッメタッという 「ふーん」津川工治は息をのんだ。 「しかしあるところにはあるねえ、昨日カン・ ( ンとりにい靴音がきこえ、坐ったままのびヒってみた鹿島明彦が、 ってびつくりしたけんねえ。ポンポン何の音かと思うとつ「士官だ、一人で歩いてくる」といった。 かわおび たら、カンパンの中に足をつつこんで水兵が袋をなけつけ「酔うとるね」国防色の士官服の上に革帯をしめて軍刀を レ 合って暴れとるんだから : : : 」鹿島明彦も自分の思いだし吊り、兵隊のようにゲートルを巻いた足で前方を通りすぎ ク る士官をみながら津川工治はいった。 のた情景に感嘆した。 : みつかったら困「うん酔うとる」鹿島明彦はいった。 虚「そいでも勝手にとってよかとかね、 るやろが」ずっと考えつづけている気持に津川工治は自分「何するつもりかな」急にべたりと坐りこんで両手をつい た士官をみて、津川工治はいった。 でダメを押した。 きゅうじ上うようは、 「誰にみつかるんだ。誰にもみつからんよ。戦争に負けて「泣いとるぞ、宮城遙拝だ。東の方をむいとる」鹿島明彦
412 よぎたか」とさっききいたことを改めて感動するように鹿「ええ、北満の方にね」とこたえてから、気を変えるよう 島明彦はいっこ。 に仲代庫男はまた鹿島の方をむいた。「いっぺんゆっくり 話さんといかんね、戦争が終ってから一度もゆっくり話し 「うん、みとったら妙な気がした」仲代庫男はいった。 「ちょっとがっかりやね」鹿島明彦はどうにでもとれるよ合ったことがないけんね」 うなことを呟いた。 「うん、ここでたら津川も一緒にいっぺんぜんざい会か何 「津川も一緒にそこまできたけどね、よろしくいうてくれかやろう」鹿島明彦はうなずいた。 というとった」 「もうよかろう」巡査が顔をあげ、「まだ五分にならんよ」 「うん、津川は変っとらんやろね」 と鹿島明彦はその巡査の方をむいた。 「この前、面会にきたけど、会われんやったというとった」「本当にいろいろ話さんといかんな」仲代庫男は同じこと 「そうか、またきたんか、ちっともしらんやった、もうすをくり返した。 ぐでるから心配するなというといてくれ」 長崎からトラックに乗って帰ってきた夜の翌々日、彼は かんづめしゅうだっ 急に言葉がとぎれた、それを埋めあわせるように「おれ津川工治の家で鹿島に会っていたが、市役所に罐詰を収奪 くす が戸島にいっとる間だったからね、かえってからびつくり にし力ないかとさそわれて、よし、何もかも崩れたんだや ことわ したんだ」と仲代庫男はいった。 ってみるかと、一度は気持を動かしながら、結局同行を断 「うん、戸島にいったことは津川にきいとったけどね、あ、った。その時、「そうか、仲代はやめとくか」とそれきり強 それから津川がいうとったけど、おやじさんのこと何かわ いて深く誘いもしなかった鹿島明彦のロぶりがすっと影を かった」鹿島明彦はいった。 ひいて仲代庫男の胸に浮かんできた。 「いや、何もわからんけどね。ばあちゃんがしよっちゅう「仲代はまた東京に帰るんやろ」鹿島明彦はいった。 なげいとるけど、考えてみても仕方がないから : : : 満州の 「どうなるかわからんよ、もうおやじの方はだめだから、 ことは何にもわからん」 おれがかせがんと家がどうにもならんからね。学校なんか 「生きとられればよかけどね」 いかれんよ」仲代庫男はいった。 「うん、捕虜になっとればよかけど、戦っとればだめやろ , 「学校は卒業しとった方がよかやろうけどね」 「親父さんは満州におられるんか、満州のどこにおられ「うん、そいでも、どっちみち出直しだけんね。これから た」巡査がいった。 どう変るかわからんし、学校の段じゃないよ」 おやじ っぷや いっしょ
336 んだ人もいつばいおらすとよ」その後から鹿島明彦がでて「どうするんだこれを」津川工治はその行李に半分手をか あすき きて、仲代庫男に ' ハケツを渡した。「小豆を半分入れとるけて歩きだし、同じことをくり返した。 「どうして、この前、お前には話さなかったか。いま本屋 そ」 あわ 「いらんよ、うちはいらん」仲代庫男は慌ててその・ハケツには英語の辞引しか売っとらんからね。買っとくんだ」鹿 島明彦はいった。 を鹿島に戻そうとした。 何だかおかしいぞというそぶりでその・ハケツをおしつ 「それで何に使うんだ。煙草の巻紙じゃないとこの前はい け、 うとったろう」津川工治は黙りこんだ仲代の気持をはかる 「コンサイス、少し重いからおれが一緒にお前のとこまでような声でいった。 持っていくよ」といってまた鹿島明彦は横穴に入った。 「少し川端で休もうか。おやじは家が焼けたというのに、 こうしよう 「持ちきれんほどあるとやろか、がっかりさせるね」後の今朝はもうエ廠にいっとるんだからね。かなわんよ」鹿島 がっかりという言葉を無意味につけ加えて津川工治は呟い明彦は津川の問いかける言葉をはずした。 こ 0 「鹿島、本当にコンサイスを買溜めしてどうするんだ。昨 力し + ! 「本当にコンサイスを買溜めして、鹿島はどうするつもり 日津川からきいた時もようわからんやったが、今頃そんな かしらんが、かわらんね」考えこむように仲代庫男はいっ英語の辞引を集めて何をするのか、本当のことを教えろ」 こ 0 仲代庫男はいった。 「コンサイスだけ持って逃けたというとったね」 「本当のことというても」改った仲代庫男の言葉の調子を 「ようわからん」仲代庫男は重い声でくり返した。 鹿島明彦は受けとめた。 その仲代の疑問を自分が代弁することで軽くするというふ「本当は煙草の巻紙に売るのとちがうか」津川工治は軽い - 」ら・りッ うに、鹿島が小さい竹の行李を持出してくるとすぐ「一体言葉をはさんだ。 どうするんだ、そんなにコンサイス買溜めして。その中に「本屋に英語の辞引しかないからといってもようわからん 入っているもの全部か」と津川工治はきいた。 からね。何で行李一杯も買溜めするんか : : : 」仲代庫男は 「これか」いったんその行李を持上げて「全部」だと鹿島疑問をくり返した。 明彦はいった。それから母親の方をふりむいた。「母ちゃ 「わあ仲代からこんなふうにきちんときかれると困るね」 ん、津川のところにいくよ」 鹿島明彦はいった。 っふや