工治をみた。守るも攻めるもくーろがねの、浮かべる城ぞ「仕方のなかよ」工治はいって井をだした。それからまた たのみーなゑあーあ、鳥も通わぬ五分隊、ドンドン、鬼さっきの半分ほど量の入っただんご汁を持って二階に上っ も泣きだす五分隊、ドンドン、新兵殺しの五分隊、ドンド 「ほら兄さん、これで終りよ、わかったね、これでおしま ン、脱走兵殺しの五分隊、あーあ、という繰返される足音 いだからね」工治は念をおすようにいって直接その丼を陸 がだんだん早くなり、津川工治はものもいわず母親のさし どんぶりはし だしただんご汁の丼と箸を手に持っと、便所の横から二階一に渡した。 「うん、腹が減るからなあ」意外に素直にそう返事して陸 につづく階段を上っていった。 一はまただんご汁を咽喉をずるずると鳴らしてすすりこん 「兄さんどうした。また具合が悪くなったのか、ほらだご 汁持ってきたぞ」津川工治は病人の子供をあやすような声だ。 でいった。 「うまかったね」工治はいった。 くちびる 「うう、だご汁か」薄い茶色の丹前をきた津川陸一は唇を「うふつ」空の丼をゆっくりと下におろして陸一は笑った。 「下にいくよ」工治は空の丼を手に立上った。 動かしてだらりとした両手を前にさしだした。 「ああ、学校にいくとか」ひどく努力したような声をだし 「そうか、これを待っていたんだな」津川工治はそういし ながらこ・ほさぬようにゆっくりとだんご汁の丼を陸一の坐て陸一はいった。 いっても教員もこないし、自習 「学校は今夜はいかんよ。 っている前の畳においた。ずるずるという音をたてて陸一 は一気に箸も使わぬようなシグサでそのだんご汁をすすつばかりだけん何にもならん」とこたえてエ治は階段を下り はんすう こ 0 た。そのエ治の言葉をゆっくり反芻するように陸一はうな かたすみ 「もう一杯か、兄さん」工治はきいた。陸一は空になったずき、それから雨戸を閉めた部屋の片隅にごろりと横にな っこ 0 レ丼をみてうなずいた。 「母さんはどうしてた・ヘんとね」工治は手持ぶさたそうに の「もう一杯だ、母さん」階段を下りたエ治は台所につづい う ( くま こふし 虚た板の間に蹲るようにして拳を額にあてている母親のムラ彼のたべる口元をみているムラにい 0 た。 「うん、珠子がかえってきてた・ヘるかもしれんから」ムラ 、 / し学ー 「あれはお前がかえる前、さっきちゃんとだご汁は二杯もはいった。 「姉さんはたべてくるよ」工治の声はすこし切口上になっ たべたとよ」ムラは・ほんやりした顔をあげた。
やかんや考えたりいうたりするのは」急にたたみこむよう多うなったね」 「けずり節でよう味のついとる、うまかよ」仲代庫男はい な口調になって津川工治はしゃべりはじめた。仲代庫男は っこ 0 黙っていた。 「何の本をよんでもそこにいくからねえ、何の本をよんで「ドイツがやられたけんねえ」津川工治はいった。 さび もなんか淋しかごとなって、しまいには結局死ぬか生きる「やられたねえ」仲代庫男はいった。 「日本にはまだ五千機ばかり本土決戦にそなえてかくして かになる、仲代はそういうふうにはならんや」 あるというけど、本当かね」津川工治はにくてんを裏返し ムラが醤油を持ってきてまた台所の方に去った。 「死ぬか生きるかという前にもう少し何か考えられんかねた。 「本当かもしれん」仲代庫男はどこか弱いひびきのする声 え」仲代庫男はいった。 でいった。 「考えてもどうにもならん」津川工治はいった。 「おかしかねえ、お前の方がおれよりなんか余裕のあるご 「五千機が事実ならどうして沖繩に千機ばかり廻さんやっ としとるけど・ : ・ : 」 たとやろかね」津川工治はいった。 たた 「焼けたそ、醤油はそこにある」鍋のにくてんを津川工治「いっぺんに叩くつもりやろ」 たま・こ は玉子返しですくい上げた。それから「余裕 ? 」ときき返「そんならよかけどね」 した。 「あたしがやるから」消炭のを持 0 てきたムラはい 0 た。 しようを - 「いや、余裕というとおかしかごとなるけど、お前の方が「そんならたのむか、た・ヘながら将棋でもするか」津川工 のびのびしとると思うとったのに急にせつばづまったこと治はいった。 ソ をいいだすからねえ」仲代庫男はちょっと弁解した。 「将棋よりレコードをききたかね」仲代庫男はいった。 ちくおんき レ 「たペろよ」津川工治はいった。 「古いレコードしかなかよ、蓄音機持ってくるけど」津川 さら の「うん」仲代庫男は皿を手に持った。 工治はいっこ。 「こそっと上らんと陸一が目を覚ますとうるさいからね」 構「みんな自分とちがうところでしか生きられんけんねえ」 ムラはいった。そして津川工治が二階にレコードを取りに 二枚目のにくてんを作りながら津川工治はいった。 いった後、二枚目のにくてんを皿に移して「さあ、たべな 「ちがうところというとなんだけど、何かわからんことのさい」と仲代にさしだした。
「どうして、いまのままでいいじゃないか、姉さんの部屋をちょっとしやくるような眼でみた。男が「どうも」と挨 じゃま さっ 四に通しても別に邪魔にならんじゃないか」工治はいった。拶し、エ治は黙って頭を下げた。 「兄さんが声をたてたりすると悪いからね」その声がひど「ムコさんじゃないのか」珠子たちの足音が階段から消え く切実なものにひびいて、彼は返事をせぬままに階段を上るとすぐ陸一は少しきんきんした声でいった。 った。珠子が義兄の信雄と結婚式をあげた晩、彼はまだ高「あの人はお客さんよ、陸一」今度はムラが陸一をなだめ 等小学校の二年だったが、「エ治は今日から下に寝なさい」るようにいった。 と母親からいわれたことを何となく思いだして、彼は「兄「それじゃあの男は誰か、エ治」陸一は同じことを繰返し さん、下にいこう、お客さんがきたからね」と暗い四畳半た。 うずくま 「お客さんといっとるじやろうが兄さん」工治はいった。 の部屋に蹲っている陸一に声をかけた。 「お客さんか、そうか誰がきたんか」陸一は糸でたぐられ「電灯つけにや。忘れとった、向うの部屋にいこう」ムラ るような姿勢で起上った。 が先に立ってミシンのある部屋の防空被いのついた電灯の スイッチをひねった。 「姉さんのお客さんだ、下にいこう」工治はいった。 「エ治はおれの話をきいてくれるんだなあー陸一はいった。 「珠子はムコさんがいるのに、どうしてあの男と一緒にな 「ああきくよ、何でもきくから、ほら危いよ」工治は陸一るんか、あの男も奥さんがおるとじやろうが」陸一はだん こうふん の腕をとって階段を先におりた。 だん昻奮した。 「珠子のお客さんというのはムコさんがかえってきたの「珠子のムコさんは戦死したんじやろうが、陸一」「兄さ か」下の板の間におりたところで陸一はいった。 ん、海軍の話をしよう」ムラとエ治はいった。 「ムコさんじゃないよ、別の人だよ兄さん」低い声でエ治「おかしいね、珠子はムコさんがいるとにね」陸一は繰返 ふすま は陸一の声を制した。ミシンのある部屋の襖をあけたムラした。彼は自分の過去の何かに関連したことを思い浮かべ が「じゃ珠子、二階に上ってもらったら、いまお茶わかしる時だけ、いやに部分的にはつぎりした記憶をよみがえら ていますから」と娘にともなく男の客に対してともなく曖せ、その連関する過去の部分の礒によ 0 て、時にはひど 昧にいった。 く狂暴になったり、泣いたりするのであった。 ゆらン 4 り 「じゃ沢野さん、私の部屋に」珠子は立上った。そして板「兄さん、タ張の話をしよう」陸一の記憶を別なものに転 の間を通るとき、その男の背中で、「弟です」とエ治の方化させようと必死になってエ治はいった。
「そうやったかね」仲代庫男はいった。 「教会のむこうのとこだから、戸尾町かな」津川工治は昻 「何だ、忘れとるんか、一緒に立たされたくせに : : : 」津ぶった声でいった。 日工治は歌い終ったレコード の針をあけた。その時、軍港「いや、もっと遠いだろう、峰の坂あたりかもしれん」 の方角からボウボウボウという船の蒸気音がたてつづけに仲代庫男はいった。 上り、つづいて海軍防備隊のサイレンがその蒸気音を圧し「危いそこりあ」津川工治はいった。 つぶすような勢いで鳴りわたった。 「爆音がきこえんとはおかしいね仲代庫男は空を見上げ 「おかしかね、今頃」といって立上った津川工治が電灯をた。その彼の顔を吹きとばすように、軍港の左手にある天 消した。 神山の高射砲が射撃を開始し、同時に、・四の爆音が頭 「空襲ね、警戒警報は鳴らんやったとにね」ムラは、焼き上にきこえた。 かけているにくてんをどうするかというふうに息子の方を「空襲か、エ治」津川工治の兄、陸一がいやにはつぎりし みた。 た声をあげて起上った。 「焼いてしもうたらよか、おれは二階にいってちょっと様「うん兄さん、服着て、早う待避しないと」津川工治はう しちりん 子をみてくる」津川工治は七輪の火に照らされたそのムラわずった声で陸一の方をふりむいた。 の眼にこたえて二階にかけ上った。 「下にいこうか」仲代庫男はいった。 うわぎ 「火を消しといた方がいいですよ、危いから」仲代庫男は「兄さん、ズ・ホンはいとるのならそのままでよかよ、上衣 っこ 0 はおれが持っていくから」津川工治は陸一の手をひつばっ 「そうですね、そうしましよ」ムラは鍋ごとその七輪を台 た。何もいわず不思議に素直な動作で陸一は段を下りた。 所の方に持っていき、その時「おーしイ 、、中代きてみろ、燃「どこがやられとるとね、火消したよ」防空頭巾をかかえ えとるそ」という津川工治の叫びがきこえた。 たムラがいナ 「どこだ、燃えとるのは」仲代庫男は二階に上った。 「母さんは兄さんをつれてすぐ町内の横穴にいった方がい 「ほら、みろみろ」津川工治は指さした。その指さした方いよ、おれは後で荷物持っていくから」津川工治はいった。 向に赤い雲のような煙が上り、その下にさっき通ってきた「荷物って何だ」仲代庫男はきいた。 せんとう 駅前の教会の尖塔が影絵のように黒くくつきりと浮きたさ「うん、ポストンとあのミシンだけど」 れていた。 「ミシンなんかとても持って逃けられんそ、燃えだしたら むすこ 食カ
「それ持っていこう。ぐずぐずするとまた連中がくるぞ」 「どうした」津川工治はいった。 「うん、きてもかまわんが、面倒見いけんね」と呟いて、 「さっきの連中が落していったんだ。靴の箱のごたる」 「わっ、こいつを馬車かなんかで運べたらね」と鹿島明彦「靴か」津川工治は息をのんだ。 は声をたてた。 「後だ。とにかくこれを運んでしまおう」鹿島明彦はいっ こ 0 「それでいいじゃないか、おろせ」津川工治はいった。 「よし下におろすぞ、受止めろーといって、鹿島明彦は目 最初の箱を倉庫の外におき、二つめを運んでくる途中で の前の箱をひきずり落した。 「靴もあるんだな」と津川工治はいった。 「おいいっぺんに落すな、危いそ」と声をかけ、津川工治「リャカーの欲しかねえ」鹿島明彦はいった。 は途中どこかに一度ひっかかったような音を立てて転がり「さっきの靴 : : : 」二つめの箱をおろすと津川工治はいっ こ 0 落ちてきた箱に近づいた。 「もう一つ落すぞ」鹿島明彦はいった。 「よし、おれがとってくる」といって鹿島明彦は入ってい りようわき 「よし」津川工治は応じた。 き、一箱ずつ両脇に抱いてすぐでてきた。 「どうせ持てんから、これでやめとこう」という鹿島明彦「士官靴か」津川工治はきいた。 の声がして、また同じ箱がドスッと落ちてきた。 「短靴のごたる」鹿島明彦はいった。 「いくら入っとるんだ、こりあ」手さぐりで段ボール製と「どうする」もう少し倉庫からとってくるか、それともこ わかるその箱を動かしながら津川工治はいった。 のまま持てる分だけでも連ぶかという表情を津川工治はし たな 「たしか一ダース入っとるはずた」鹿島明彦は棚からとびた。 下りた。 「一人で一箱かっげるやろう。靴はポケットに片一方ずつ 「持てるか」 つつこめ。これを運んでからまた戻ろう」鹿島明彦はいっ 「持てるさ、二人で一つずつ外まで運・ほう」 「よし、先に持ってでるそ」 さっき倉庫の中でしまいこんだ細紐をポケットからとり それからものもいわず二人は一つの段ボール箱を中にし だしてそれを一廻り結んで、箱の手がかりにし、二人は肩 て真暗な倉庫を運んでいったが、入口近くになって鹿島明にかつぎ上げた。しばらく歩いて第七倉庫のところまでく 彦は何かにつまずいて「あっ」という声をあげた。 ると、鹿島明彦は思いついたようにいった。 めんどうくさ っぷや こ 0 はそひも くっ
304 こ 0 さっき彼等が坂道を上ってきた方から鹿島明彦が不意にあ 「そいでも仲代はよかよ」津川工治はいった。 らわれ、「いこうか」といっこ。 「何が、何もようないさ」仲代庫男はいった。 「終ったのか」津川工治はきいた。 「七高のことは運が悪かったけど、とにかく学校にいって「ああ、終った」といって、鹿島明彦は「ほら」とポケッ 勉強できるんだからいいよ」津川工治はくり返した。 トから石鹸を二個とりだし、仲代と津川に一個ずつ渡した。 「前はよかったさ、しかしいまはめちゃくちゃになった : 「何たこれは」というふうに仲代は鹿島の顔と渡された石 : 」仲代庫男はいった。 鹸を交互にみた。 「めちゃくちやでもよかさ、おれも学校にいきたかねえ、 「一つずつやるよ、煙草二個と石鹸一個とえたんだ、む 工業専門学校でも経専でもどっちでもかまわんけどねえ」 こうの食堂の奴、配給の石鹸をしこたまくすねとってね、 津川工治はいった。 全部煙草と替えてきた。一個まけろといったら、気前よく 「いこうと思えばいくらでもいけるさ、しかしいまはいっ だしたよ、結局この方が得だけんね、まだ四個あるよ」と てもいかんでも同じだよ」 いって鹿島明彦はポケットを押さえた。 ていしん 「兄貴がああいうふうだから : : : どうにもできんからね」 「それをまた女子挺身隊員宿舎か」津川工治はいった。 津川工治は中途で言葉を切った。 「いや、これは佐賀の田舎に持っていく、この前たのまれ 「兄さん、やつばりまだ悪いのか」仲代庫男はいった。 とるけんね」鹿島明彦はいった。三人は宿舎の坂を下りて 「うん、この前市役所からきてね、どこかにやれというんふたたび軍港のみえる本道に立った。 だ、配給がもらえなくなるかもわからんらしいよ」 「どうする」というような眼で津川工治は鹿島をみた。 「どうして」 「おれはちょっといってくるけどね、一緒にきてもよか 「精神病は何にも戦争に役立たんからね、病院にいけとい ぞ」といって鹿島明彦は表情を少し動かした。 「どこに」仲代庫男はきいた。 うが、どこにもいれてはもらえないんだ、疎開もできない しね」 「この先にある女子の宿舎にいくんだ、さっきいったろ 「困るねえ」仲代庫男はいった。 う、そこに鹿島の彼女がおってね」津川工治がかわってこ 「困るよ、それにあの病気はたくさんたべるからねえ」津たえた。 川工治はいった。その時、一一人が予期していた反対側の、 「商売にいくんじゃないけど、すぐすむよ、石鹸を一個渡 せつけん たばこ
8 「いうなっていうのに」鹿島明彦が制した。 「馬鹿いえ」鹿島明彦はいった。 「こいつは煙軋を売 0 とるんだ」津川工治はその声をか「こいつは女子挺身隊員をひ 0 かけとるんだ」津川工治は っこ 0 まいつけぬようにいっこ。 「ふふふ」鹿島明彦は何か言葉をのみこむような笑い方を「嘘そ、むこうが声をかけてきたんじゃないか」鹿島明彦 よ、つこ 0 「闇煙草 ? : こ仲代庫男は不思議そうにきいた。 「同じことじゃないか」津川工治はいった。彼はまたどこ 「よもぎを干してきざんで、そいつを配給の煙草をばらばかで姉珠子と沢野という男のことを思ったが、言葉だけが らにほぐしたのにまぜて : : : 十本の煙草が百本になる、なその思いと反対にひどく浮わっいたものになってでた。 あ、鹿島」津川工治が鹿島をからかった。 「熊本からきている女子挺身隊員で大アツアツだ、なあ」 「よもぎだけじゃないぞ、まだいろいろなものまぜとると彼はつづけた。 そ、専売特許だ」鹿島明彦はいった。 「ふーん、そうか」仲代庫男は感心したような声をだした。 「嘘つけ、よもぎだけじゃないか、それとも柿の葉か」津「大アツアツは嘘だが、女子の徴用工員はひどかぞ」鹿島 ーエ治はいっこ。 明彦はいった。 「それをどこに売るんだ」仲代庫男はいった。 「挺身隊がきとるのか」仲代庫男はきいた。 ちょうよう 「徴用工員宿舎に持っていくんだ、もうすぐそこだ」津川 「うん、同じようなもんだが、徴用工員も挺身隊員もきと 工治はいっこ。 るそ、熊本とか鹿児島からきとる : : : 」鹿島明彦はこたえ こ 0 「大丈夫か」仲代庫男はいった。 「何が」鹿島明彦はきいた。 「鹿児島からもきとるのか」仲代庫男はいった。 「いや、みつかったりなんかするとうるさいんじゃない 「鹿児島といえば、仲代は惜しかことしたねえ」津川工治 ま、つこ 0 か」仲代庫男はいった。 . をしー 「大丈夫さ、むこうは大歓迎なんだ、ロ笛さえ吹けばいし 「いや」仲代庫男は言葉を濁した。 んだ」鹿島明彦はちょっと不敵な表情をした。 「そいでまた東京にかえるんか」しばらくして津川工治は 「ロ笛はその先の女子徴用工員宿舎で吹くのとちがうん案じるようにきいた。 か」津川工治はいった。 「うん、少し模様みてから : : : 」仲代庫男はいった。 うそ
「お前の持っとるのは何だ」津川工治は鹿島にきいた。 にあいにかえったようなもんだ」仲代庫男はこたえた。 「これか」鹿島明彦は、風呂敷で作った袋をちょっと左右「ほんとうにね」津川工治は笑った。 あすき 「お前の家は助かったのか」鹿島明彦が津川の方をふりむ に振るしぐさをした。「小豆だ。半分焼けとるけど、食え んことはないよ。半分やろうか」 「どうしたんだ」津川工治はいった。 「今頃ぎくからねー津川工治はいった。 こうしよう びろ あすか 「エ廠の購買所が焼けとるやろうが。もう大分誰もが拾う「お前に預っといてもらいたいものがあるとだけど、預っ た後だから何もなかったが、これだけ集めてきた」鹿島明といてくれんか」鹿島明彦はいった。 彦はまたその袋を眺めすかすようにして眼の高さに持上げ「何を」津川工治はきいた。 こ 0 「昨日命からがらそれだけ持って逃げたんだけど、もうこ 「購買所の焼けあとから拾ってきたんか」津川工治はあきうなればおれのたった一つの財産だから : : : 」鹿島明彦は っこ 0 れた顔でその袋をみた。 「半分やるそ、・せんざいが焦げたと思って食えば食える「何よ、それだから : ・ : ・」津川工治はいった。 ぞ」鹿島明彦はいった。 「うん、この前話したことがあったやろう、コンサイスの 「どうする、荷物も何もなくてこれから」横穴壕にいく病辞典だけど、おき場所もないから」 院の坂を上りながら津川工治はきいた。 「コンサイス」仲代庫男はつまった声できぎ返した。 ったて 「どうもせんよ、しばらく掘立小屋を作ってでもくらす「ああ、仲代には話しとらんやったけど」鹿島明彦は何で つどう : お前明日の昼都合っかんか、材木集めて、川の岸もないといった調子でこたえ、それから「ジャガ芋全部も に小屋作るのに加勢してくれんか」逆に鹿島明彦は問い返らっていいのか、よろこぶよ」とつづけて仲代から・ハケッ レした。 を受取った。 の「うん、そりあ加勢はするけど」そんなに簡単に考えるこ横穴に鹿島明彦が入るとすぐ母親がでてきて「仲代さ とかというふうに津川工治はいった。 ん、津川さんもわざわざきてもろうて、こんなにしてもろ 「仲代はかえってきとったんか」 うて : : : みんなやられてしまいまして : : : 」とロごもって 改めて鹿島明彦はいった。 眼をしばたたかせた。 もど 「うん、昨日きてね、明日の朝また戻らんといかん。空襲「いいじゃないか母ちゃん、みんな助かったとだから、死
「いえ、もういいですよ、たべて下さい」仲代庫男はいっ 「何でも、といっても何にもない」津川工治は蓄音機と一 緒に持ってきた四、五枚のレコードをためらうような手つた。ムラがだまって残りのうどん粉の汁をかすって鍋の中 そり に入れた。橇の鈴さえさびしくひびく、雪の礦野よ町の灯 きで仲代の前にだした。 しようじたろう 「珠子、おそいね」新しく焼けたにくてんを皿にうっしてよ、という東海林太郎の声が前奏をぬいて急調子に鳴りひ ムラはいった。そのムラの言葉をきいてちらと津川工治がびいた。 仲代の方をみたが、彼はわざとそれにきづかぬふりをして「はじめのところにひびが入っとるんだ」津川工治はいっ こ 0 「これかけてくれ」と一番上のレコードを手にとった。 「少し音が高かごたるね」ムラはいった。 「何だ〈国境の町〉か、少し痛んどるけど」津川工治はい っこ 0 「うん」津川工治はレコードの速度をゆるめた。一つ山越 ・ : 故郷はなれて しや他国の星が、凍りつくよな国ざかい : 「いいよ、かけてくれよ」仲代庫男はいった。 「仲代さん、これたべて下さい」ムラはにくてんの皿を仲はるばる千里、なんで想いがとどこうぞ、遠きあの空つく づくながめ、男泣きする宵もある : : : さびた東海林太郎の 代の前におしだした。 しよっこう 「いや、さっきから一一つもたべとるから」仲代庫男は断っ歌とメロディが二燭光の電灯に・ほんやりうっしだされた畳 こ 0 の目にしみこんでいくといったふうにつづぎ、「前によう はやったね」とまた津川工治はいった。明日に望みがない 「たべろよ」蓄音機のハンドルをまわして津川工治はいっ こ 0 ではないが、たのみすくないただ一人、赤いタ陽も身につ 「いやもう いい、お前たペろ」仲代庫男は笑ってにくてんまされて、泣くが無理かよ渡り鳥 : : : という歌の文句をす くいあげるような気持でききながら「ようはやったね」と の皿を津川の前においた。 あいづち レ「そうか、じやた・ヘるか」レコード の針を選りだしてか仲代庫男は相鎚をうった。 のら、また「母さん、もう二枚位焼けるやろ、一枚ずつ仲代「ちょっとよかもんね」津川工治はいった。 「こういう歌、だんだんなくなってきたね」仲代庫男はい 虚とわけてた・ヘたらよかよ」と津川工治はいった。 っこ 0 「おれはもうよかよ」仲代庫男はいった。 あい娶ス 「もう二枚も焼けんから、残りを全部焼くよ、仲代さんあ「ほら、〈愛染かつら〉歌うて、松田先生から立たされた ことのあったね」津川工治はいった。 がって下さい」ムラはいった。 こうや
間、彼の枕もとで姉の珠子は「元気をだしなさいよ工ちゃ ん、信雄さんがかえってきたら、どんなにしてもこの家は もりかえせるからね」といっていたのである。 福石刑務所の長いコンクリート塀の横を崎辺道路の方に 「市役所の方にはどういうふうにいっておくかねえ」その折れ曲り、だらだらした坂道を上りつめて、そこからまる きげん 質問が本意ではなく、ただ工治の機嫌をとるようにムラはで腐った牛乳のように白くどろりと横たわっている明りの っぷや 呟いたがエ治は黙っていた。 ない夜の軍港のみえる地点にきたとき、仲代庫男が「津川 「市役所の人はまたくるといっとったけどねえ」 は昼間新聞配給所に働いとるんか」とふいにたずね、津川 「何で」工治は返事をした。 工治は「え、なに」とききかえした。彼はさっき篦島明彦 「そうめん炊いてくれ」陸一はまた促した。 と三人で家をでたときからずっと仲代庫男の話す東京空襲 「炊くよ陸一」ムラはいった。 の模様をきいていたのだが、その話の切れ間にふっと、恐 「市役所が何といってもどうにもならんじやろうが、病院らく今頃は沢野という軍需部部長付の男が持ってきたそう にも入れんし、疎開もできんなら」工治はいった。二階かめんをくっているにちがいない兄、陸一のことを考えてい たのである。 らそれまでとぎれとぎれにきこえてきていた話し声がびつ たり止んだ。そのびったり止んだ二階の物音を吸いよせる「新聞配給所にでているのか」仲代庫男はまだ津川と会う ような口調でエ治はさらに「どうもできんなあ」とつづけ前、鹿島からきいたことをくり返した。 た。その時、横の玄関の戸があいて、「津川君いますか」 「うん、海軍橋の配給所にでとる : : : 」津川工治はこたえ こ 0 AJ い、つ亠尸・かかカ亠ー 「おっ鹿島か、上れ」と返事をしてエ治は玄関にでた。「よ「月給五十五円也だ」横から鹿島明彦が口をはさんだ。 「こいつはかせいどるよ」ちょっと鹿島の方をみて津川工 レつ、珍らしい、仲代も一緒か、かえってきたんか」 の「うん焼けだされてね、今かえってきた」といって仲代庫治は顎をしやくった。 虚男はふふふと笑った。それにつられて鹿島明彦がふふふと「鹿島は何しとるんだ、さつぎからきいとるが笑ってばか 笑い、それから「今夜また例のところにつきあわんか、わりいてちっともわからん」仲代庫男は津川にきいた。 け前は出すぞ、仲代もくるならはじめてだから珍らしか「いうなよ、もうじきだから」鹿島明彦はいった。 そ」といっこ。 「こいつはね」津川工治はいった。 いっしょ