いることに気がついた。百合人は立ち上った。もうけろりの間で何かひとりでこっこっ仕事をしていた。そうでなけ としていた。我ながらおかしくてくすっと笑った。そしてれば表に出て柳並木のある歩道で近所の若者と棒押しをし すもう ペろりと舌を出した。何か今度は目に見えるものが滑稽でたり、相撲をと 0 たり、それにあきると店の間の上框の所 阿呆らしく思えた。ポッポ、ポッポ。臠時計が時を知らせで将棋をさしたり腕相撲をしたり。そういう好どんの姿を た。百合人は、短く上の方に上ってしまった鳩時計の鎖見かけると百合人は何となくそばによって行って彼にまっ わりつきたくなった。「好どん、ねえ、くびこんましてよ を、冊籠の役目もする踏台を持って来てそれに上って、引 つばって下の方に垂らした。部屋の中の家具をみんな横にお」すると好どんはち 0 とも嫌な顔を見せないで百合人を 引繰返してみたい気持になったが、それをする勇気のよう肩車にのせたり、仰のけに引繰返 0 て両足で百合人を宙に なものはし・ほんでいた。その代りのように百合人はたんす支えたり、くすぐったり、高い高いをしたり、両耳を持っ の上の・フリキ罐の中から亀楽せんべいを二三枚ぬき出してて吊り下げたりしてみせた。それが百合人にはとても楽し かった。その度に好どんのふとん部屋のにおいに似た体臭 食べたのだ。 はつらっ そのようなことを母が何うしてだか知ってしまって、そも不思議にいやに思えなかった。それは湲剌とした若さの して百合人に新しい扱い方を始めたのであろうか。それは象徴のように思えた。百合人に希望があるとしたら、自分 そうでもないようだし、然し案外その辺に原因があるのでも大きくなったら好どんのような身体つぎになり度いと思 った。力も強く、顔立もきりりとして、と考えると、もし はないかとも思った 0 かしたら兵隊にとられた方がいいのかも知れないとも思っ 又こんなことのあったことも気にかかった。それは好ど んについてのことだ。金どんと好どんの二人の番頭のうちた。百合人は好どんと遊ぶ時はげらげら馬鹿声を出して笑 いころげた。「ユリンド、そんなに好どんにばっかりくっ で、百合人は書生っ・ほくさい好どんに好意を持っていた。 きんぶちめ 金どんは背が低く小ぶとりで、丸い色の白い顔に金縁の眼ついていちゃ、好どんが迷惑だよ」「そんなことないねえ、 鏡をかけていた。そして夜になるとよく外に遊びに出てし好どん」「そんなことないねえじゃありませんよ。好どん 子 まうばかりでなく、百合人の遊び相手になることを好まなもちっとはきつくしておやり、癖になるから」「奥さん、 格 しいんですよ。ねえ坊ちゃん」 いように見受けられた。好どんは凡そ金どんと反対に見え 母はどうして好どんから百合人を引きはがそうとするの た。骨太で背が高く、眼鼻立がはっきりしていて、傍によ ると青年のにおいがした。夜になってひまになっても、店だろう。百合人は好どんの顔色に毛筋ほどの不快な色も見 こつけい あお
まで 「ええか、よく飛行機を見張れえ」 海峡の中程迄つき出ているような場所もある。低潮の時は 無残にもその全貌を海の上に現わしていても、満潮の時どうも私はのみを一匹背負い込んで来たらしい。私はも は、ひたひたと海水をたたえて、航海者にとってはひどくもの辺をズボンの上からもそもぞかく。 危険な場所となる。敵の潜水艦が、たとえ海峡内に強行侵海峡ロの方が、ぼっかり開く。両岸が、そそり立ってい ざしよう 入して来ても、此処で坐礁するに違いないのだ。そんな希る。そして海水はその両岸の間に高く盛り上り、そして又 望的観測をして私は一体どういうつもりなのだろう。此の低く吸い込まれるようになり、いやな光りを帯びて見え 一「三日、あれ程しげく此の島を訪れていた敵の飛行機がる。そしてその向う側には果てしもない海の広さが、空し 意味だろう。敵が新しい作く位置をしめている。十三号艇は、細長い煙突からやがて 姿を見せない。それはどういう 戦のわなを作っているのではないか。此の二、三日は敵機暑い日中を予想させる青い広い空に向って淡い紫の煙を輪 を一機も認めなかった。然し今日も又その幸運が与えられにして出し乍ら、そのにぶく光っている海峡ロへ吸われる るだろうか。一匹の魚に群れて襲いかかる執拗な海鳥の不ように近づいて行った。 吉な光景を見たことがある。このか弱い三十トンの漁船が 戦況はひどく不安定であった。空一面が暗雲に閉されて その運命に逢わないとどうして言えよう。 うっとう 仮に一部隊の指揮官である私は、どれ丈の科学的な正確いるような鬱陶しさがあった。風向はどう変るかも分らな 何か新しい徴候が現われて局面は急転直下しそうにも さを持った見通しと確信を持って、此の危険な航海に乗出い。 思われる。おどろおどろした雲の一角が崩れ出して、も したというのだろう。私にはどれ程の正確な情報も得てい しゅうしゅう ただいま ない。防備隊の警備班が、只今の所では異状が認められなう収拾のつかない破局がやって来るのではないか。それが この二、三日 いというような情況を私に与える。すると私は或る奇妙な妙に嵐の直前のような静寂の空虚のなかに、 誘惑に引っかかって、大へん愉快そうな顔をして、兎に角というものがはまり込んだのではないか。それは人為なの 一度搭乗員に徳之島迄でも水路見学をさせる必要がありまだ。誰かが知っていることなのだ。そして私たちは知らな ちょうちょう 。憎悪のない戦争参加。十三号艇は一匹の蝶々なのだ。 之すから、決行します、というようなことを言う。そうか、 どこ せき 充分注意して行って来るように。私は十三号艇に七・七粍海峡内の何処を見廻しても一隻の島舟も見当らない。幅一 とうさい の機関銃を一・台と二個の爆雷を搭載した丈で、徳之島への米もない藁すべのような小さな板付舟が敵のグラマンに 襲撃された恐怖を島びとは知っていた。海峡の外に出た 航海に乗出しているのだ。 しつよう なが わら じんい むな
感じられたからである。彼の着ている学生服のボタンはた さえた女が足をまげたが、仲代は黙っていた。 % 列車はかなりの速度を出しはじめ、人々は少し解放されだ「学」という字の彫ってある黒い木製の統制ボタンで、 帽子はかぶっておらず、ただそれだけではどこの学校か不 た気分になった。 明であったのである。 「ねえちゃんも焼けだされたロか」端に坐っている男がい っこ 0 「中野にいたんですが、すっかり焼けだされてしまって」 仲代はその曖味な言葉につづけた。 「ええひどかったですわ。夕方からずっと燃えつづけよ」 「まあ、あなたもやられたんですの」女子学生はいった。 若い女はやや青ざめた顔をあげてこたえた。小さく寒 0 た 、 - 彼女はそれ「ここに乗っているのは誰も彼もですよ」仲代の前の女が 鼻の先に黒い油のようなものがついてしたが、 , どぶろく 言葉をはさみ、それからまた「濁酒一升十円というのはい に気がっかないらしく、声だけが元気だった。 「動員で行っていたんですけど、はじめその工場が燃えて、くらなんでも高いですよ」と別の話に割り込んでいった。 「けれどもよかったわ、乗せてもらって。乗せてもらえな かえってみたら、下宿まで丸焼けなんです。だからこんな かったらどうなることかと思っていたんですよ。戦災証明 荷物もなにもなくて : ・ : こ若い女はつづけた。 「ねえさん、学生ですか」仲代の隣の熊本まで行くという書もなにもないけど、とにかく汽車にさえ乗れればなんと かなると思って」女子学生は急に現実に引戻されたような 男がいった。 顔になった。 「ええ、薬専です。大阪の : : : 」 「薬専ですか、そんなら木須とも子というの知りません「通れませんよ、駄目ですよ、便所はいつばいだ」という 声が便所に近い通路でおこり、赤ん坊が急に火のついたよ か、僕の親類ですが」仲代庫男はいった。 「木須という人、佐賀の方でしよう。上級生で顔は知ってうに泣き出した。 「あーあ、大阪でほんとにしとけばよかった。学生さん、 いますが、話したことはありません」女子学生はいった。 「学校は : ・ : ・東京の学校ですか」と、しばらくして女子学神戸まで大分ですか」前の女はその赤ん坊の声に苛だつよ 、つこいっこ 0 生はきいた。 「ええ」仲代は曖昧な返事をした。彼はいまある私立大学それからしばらく経って列車は三ノ宮駅に五分、神戸駅 の専門部と工業専門学校の両方に籍をおいていたが、そのに約七分間停車したが、仲代の前の女は便所にいくことが くつじよくてき 名前をいうことが女子学生に対してひどく屈辱的なものにできなかった。車中は身動きもならず、またいっ発車する あいま、 ひきもど
はひとたまりもなく崩れ去ってしまうだろうという怖れをばあさんは思無邪を呼ぶ。ばあさんのロが開かれてお歯 かすかながら抱かないではいられなかったのは、どういうぐろが見える。思無邪は走ってばあさんのに行く。する ことであったか。 とばあさんは又どんどん歩き出す。しばらくはおくれない でついて行くが、又次第に距離が開いて来る。傍の小川に もぐさ 帰途の道は長い。防波堤のかげの陽だまりに寄り合った浮いている藻草の花。魚の影。ゲンゴロウやミズスマシ、 ゴマ虫、アメリカ、・ヘッチョ虫。稲の葉かげにすっと身を 竹垣の多いほし魚くさい村上部落を通り抜けて土橋を一つ からす あふくま かくすイナゴ、トン・ヒの輪、たん・ほに降りて来た鴉。足も 渡ると、見渡す限りのたん・ほが、阿武隈山脈の山のふとこ にお スモウトリ草。所々に小川の魚をすくっ ろあたりまで続いているのが眺められる。青くさい稲の匂とのゲールッパ、 いがむんむんしている。はるかのかなたに鉄道線路の土手たらしい黒い泥がすてられていて、半ばかわきかけたどろ ふな が視界を左右に走っていて、その線路にからみ合って見えの中で、白い腹を出して死んでいる小さなドジョウや鮒の かえるヘび しゅうらく る聚落や、シグナルや陸橋のある停車場の構え、そこに起子。とびはねる蛙、蛇のぬけがら。そんなものがふと思無 れんが 点を置いている街のたたずまいとその屋根屋根、煉瓦工場邪の眼につくと、何か今まで一色に考えていたことが打ち 切られて、そのものに注意が向くと、つい足もとがおそく の煙突などが、青稲の波のそよぎの向うの方に、平べたく、 : ・カ・カ 耳の遠鳴りに似たはるけさで置かれてある。思無邪はそのなって、ばあさんとの距離が開く。びたびたびた : とを打っ駄の音が一つのきまりきったリズムになってこ あたりまで、歩いて帰らねばならない。 ばあさんは満々と水をたたえた小川に沿ったたん・ほ道をのたん・ほ道の行進を一層単調にする。ばあさんは何を考え すそ どんどん歩き出す。着物の裾を片方だけからげた下から清て歩いているのだろう。思無邪はくたびれ果てているが、 ま守 潔な無地の腰巻が見える。後ろに小さくひつつめた髷。黒まさかもうばあさんに負ぶさって歩くわけにもいかなし ひがさ ふろしきづつみ い日傘。背中に斜めにしよった風呂敷包。ばあさんはどんイナゴがおぶさっている。虫が巣をかけた稲の葉をちぎつ かどん歩いて行く。そしてどうしても思無邪との距離が開いてみる。オタケ、マンマタケ、オキャク、キタカラ。足も とのスモウトリ草が結び合わされてわなの作ってあるのが てしまう。するとばあさんは立止ってうしろをふり向く。 思無邪がわき見をしながらのろのろ歩いて来るのが見え眼につく。誰か先に通った子供のいたずらなのだ。思無邪 る は、ふと立ち止りかがまって、右手と左手に草を一にぎり ずつんでそれを結び合わせた。 「シムやい、早っ来う」
340 からだして谷田技師は団扇で風を入れた。 「仲代君は困るな」岩松助手はいった。 「タオル、し・ほってきましようか」仲代庫男はいった。 「僕はいいですよ」仲代庫男はこたえた。 「仲代君はどうでもなるさ、しかし残念なような気もする「いやいい、体を拭いてくるから」 「それが水がでんのですよ、水船が故障だとかで、さっき な、折角授業になれたのにな」小野係員はいった。 「しかしまだ何にもいってきませんからね。解散ならもう生徒を病院まで貰いにやって飲み水はタンクに入れてあり ますが、それで拭かれたらいいですよ。そうして下さい」 いってくるはずだが」岩松助手はいった。 小野係員はいった。 「谷田さんが副長によばれたのはそのことじゃないかな」 「わっ、水道も止っとるんですか。洗面器に一杯だけもら 自分の子に戻りながら庄野係員は額に小皺をよせた。か いますよ」といって谷田技師は職員室をでた。 けもちで辛いとはいっても、特別手当と自由に息抜きので 「顔洗ってから話すんですな。やつばりこりあ解散です きる口実をかねた「技能者養成所勤務」を失いたくなかっ よ」と谷田技師の後を見送って岩松助手がいった。 たからである。 「そうかもしれん」庄野係員はいった。 「へえ、谷田さんはそれででていってるんですか」自分の 「仲代君は佐世保空襲の時、むこうにいたんだね」小野係 だした情報が具体的になったために逆に衝撃をうけた声で 員が全然話題と別のことをきいた。 岩松助手はいった。 「ええ、ちょうど佐世保にかえっていました」仲代庫男は 「労務課長から電話があって、副長がよんどるから一緒に こたえた。 話したいといってきたらしいよ、君の情報はしらなかった から、また時間割かなにか変るのかと思っていたがね「新聞にはちょっとしかでとらなかったけどひどかったら しいな」 庄野係員がいい終らぬうちに、まるでその言葉がひきだ「ええ、ひどかったですよ」 したというふうに、養成所責任者の谷田坑務技師が「ふう「五百人も死んだというのは本当かね」 「さあ、何人かしりませんけど、それ位はあったんじゃな しいながら職員室に入ってきた。 をいね」と、 いですか」 「ああ、おかえんなさい、外は暑いでしよう」小野係員は 「ここもいずれやられるね、島だから逃げだすわけにもい はんモで かん」 「蒸すね、風が全然ないんだから」半袖のシャツをズ・ホン せつかく こじわ からだふ うちわ
ートーリ・ ノクの天主堂が美しい。日本でありながら何かス ペインの港に入るような、東洋と西洋の幻想がかさな り、ふっと夢見心地になる。お寺のたたすまいとゴチ せんとう ソクの尖塔とがえも言われぬ不思議な調和を示してい て、平戸の美はこれにつきると言ってよい 小長崎と 島尾も書いているように、オランダ商館あとのしつく い塀や石畳の坂が美しい観光ホテルのためいちじる しく眺めがさえぎられるが、天満宮からザビエルやじ ぶみ やがたら文の記念碑のある高台にのほると平戸の瀬戸 ト路を歩くとサルビ の渦潮が白く雄大に眺められる。 ヤはしめ色鮮かな草花が咲きみち、石垣から小蛇があ らわれ、十月というのに、国はるか〃じゃがたら〃に 通しるような異国風の熱気に汗ばむほどだ。 古き長崎を求めて 平戸から大村湾沿いに、佐世保、川棚、諫早を経て、 ぎよらい 長崎に向う。川棚の少し手前には戦争中川棚臨時魚雷 しんようてい 艇訓練所があり、島尾はここで⑩特攻兵器、震洋艇の うん 訓練を受けた。大村を過ぎて諫早、ここは博多から雲 仙に向う「贋学生」に描かれている。 夜着いた長崎の街は、おくんちの観光客でみちあふ れていた。もっとも長崎らしい異国風俗豊かな長崎く ぜん いさはや 右平戸オランダ塀遠くに平戸城が見え る ( 「月下の渦潮」 ) 左長崎諏訪神社の長 い石段より市街を望む ( 「贋学生」 )
右三池炭鉱を取材中の光晴 左 > 映画「もう一つの広島」 ( ラジオ中国 ) の取材でヘリコ プターに乗る ( 昭和四十一年 ) 橋川文三夫妻と光晴がおぶ 0 ているのが長女の荒野ちゃ《 ん ( 昭和四十二年一月 ) ーリン批判を自 結のよ、つにも見えよ、つ。しかし、スタ 己内部の〈腐敗部分〉に突き入れながら、井上光晴は なによりも、党にかかわる自己、戦後の革命現実にか 、かわる自己、端的にいうと、おのれの内部にある戦後 的人間像を、その根本から見なおさなくてはならぬ立 場に、自分を追いつめたといえる。この自己追及に耐 えないでは、世界の中に自立する真に主体的な人間の 立場というものは、創造されない このようにして、戦後の十年を生きて来た日本人の 問題が、ひとりの作家をとおして文学の前面に浮上し て来た。、 しや、戦後の十年ばかりではなく、その十年 を問われることなく生きのびて来た戦中の日本人の思 オ心、刀し ) まや問われることとなった むろんこのことを、井上光晴は、その強烈な個性と、 戦中の独自な生をふまえながら、実行した。素材を戦 中にとりながらのこの作業は、当然かれの青春を反映 しているが、しかし井上光晴は、《過去》をもってまさ に《現在》を撃ったといえよう。現在に立てるべき きょてん 《私》の新しい拠点をつくりだすためにこそ、《過去》 的に問われなけれ とそこにかかわった生の形が、徹底 ばならぬ。このようにして、『ガダルカナル戦詩集』 『虚構のクレーン』『死者の時』は、書かれるべくして 書かれたといえるのである。同時に、戦後文学のいき 460
とっぴょうし 歌っているのにちがいないのです。加那やもう見えらぬるのか分らなくなりました。突拍子もなく笑ってみたり、 むやみにおしゃ・ヘりをしたり、お芋を掘ったり、ビーナッ 隼人少尉も眼がく・ほんできはじめました。隼人少尉は夜の根を植えたり、髪をお下げにしてみたり、リポンを着け かっこう もおちおち眠れなくなりました。頭目が本当に頭目の部屋てみたり、お砂糖をこっそりなめてみたり、気取った恰好 で寝ているかどうかが気がかりなのでした。頭目の部屋でで部落うちを歩いたりしていました。そうするとタ方にな りました。 ことりと音がする度に隣の部屋では隼人少尉の眼が異様に 夕方になるとトエは思うのでした。今夜はきっとおいで 光っていたのでした。 になる。そうしてじっと庭の方に耳をかたむけるのでし しかし、やがてそんな心配はいらなくなりました。戦争た。部落びとの足おとにさえどきりとしました。やがて何 しんしんふ ペんも驚かされているうちに深々と更けわたる夜に耐えら の情況は全く行き着く所に来てしまったのです。 なが れなくなり、廊下に出て星空を眺めました。そして越し方 頭目は昼も夜も、隊の外には一歩も出なくなりました。 運命の日のそのときのために、頭目の朔中尉は部屋にこものもの思いにふけりました。 りました。そして五十一人をひとところに集めては、最期自分がどうなるのか分らなくなるのです。・ほろ・ほろ涙が あふれました。 のときのことについてこまかい打ち合わせをしました。 こ さいころ それは此の間のように骰子の出た目ではなかったので今朝お逢いしてさえタベとなれば またお逢いしとうございます す。日にちの問題でした。 どうして十日二十日 昼間は敵の飛行機があぶなくて仕事などすることはとて 別れて居らりゆめ もできなくなりました。それで、昼は洞窟の中に寝てい トエはそんなうたをうたってみました。するとまたして てて、夜になると起き出してきては仕事をしました。しかし 果それとても大っぴらにはやれなかったのです。夜は夜で夜も胸がこみ上げてきました。トエは自分がどうしてこんな のの眼を持った飛行機がとんで来ました。 になってしまったのか分らないのです。朔中尉の世にも不 島 思議な仕事を知ったときにトエは気が違いそうになりまし た。そして自分のからだを眺めてみて、自分が人間である トエはどんなにか待っていたでしよう。トエにとっては ことをどんなに悲しんだでしよう。トエはただ祈りまし 夜たけがこの世でありました。昼間は自分でも何をしてい ( ャヒト たび かた
問題はむしろ、島尾氏がなぜそのような人間であるか氏の青春の終りのときも、失われてしまったのでしょ とい、つ占 ~ にあります う。この前後の経緯は「出孤島記」や「出発は遂に訪 二つの異常な体験から生まれた小説と、それをくりれす」などに詳しいのですが、ここには、死刑を宣告 され、刑場に引きだされたうえでシベリア流刑をいし かえし小説に書く人間の生きかたとを考えあわせてみ わたされた ( じつは流刑はそのまえに決っていたとい ると、島尾氏の青春はいまもつづいているというほか われますが ) ドストエフスキーの場合と似た、恐しい ないようで、それは氏が私小説作家であることの別の 喜劇があります。 表現であるともいえます。もともと島尾氏とはそうい 青春が大人の生活をまえにして自分を形成するか形 う人間だったのだといってしまえば話は簡単になりま すが、青春の時期にあの異常な体験をしなかったなら成に失敗するかの時期だとすると、その生活をとりあ ば、青春はやがて終り、したがって私小説を書きつづげられ、かわりに「死」を突きつけられて、死ぬため の自己形成を強いられるのはまことに苛酷なことだと けることもなかったのではないか、とい、つ仮定の、つえ いわなくてはなりませんが、さらに一転してその「死」 でのことを考えてみるのも無益ではないでしよう。 がとりあげられ、ふたたび生活がかえってきたときの 異常な体験がそれ自体で人間を決定的に変えるとは 虚脱感は、その後のいかなる自己形成をも不可能にす いえません。むしろ戦争の体験を異常なこととして、 るほどのものであったかもしれません。そうなればあ 自分が自分でなくなるような人間こそ異常というべき とには青春だけが残り、自己形成ができないかぎりは でしよう。死」は人間から正気を奪おうとしますが、 青春もそのままつづくほかなくなります。島尾氏の「特 しかし人間は「死」を恐れるよりは正気を失って人間 攻隊もの」には、夏の太陽がそのまま止ってしまうの 以下のものになることのほうを恐れます。島尾氏もま にも似た青春の永遠化がみごとに描かれています。私 た、孤島の特攻隊の基地でそのような意志で「死」と たちは南の孤島の、風と波の音や真夏の日ざしのなか たたかった軍人のひとりであるはずで、氏の一連の作 に、ひとつの石化した青春を感しることができます。 品にもその意志はうかがわれます。しかし氏の場合、そ この停止した時間のむなしい明るさは、島尾氏にしか 「英雄」ま のたたかうべき「死」がある日突然消え、 たは「軍神」となるみちがなくなってしまったときに、書けなかったものだといえるでしよう。 439
158 その言葉からは、何かしら世間というものからの私に対に、私に彼女の美しさは見えなかった。ロもとのとがって する批評に似たものをかぎつけてみるだけで、折笠先生と見えたのが、私がいつも厄介で美しくないものに感じてい その妻との毎日の生活のどんなかげりもひき出すことは出る私の上の妹の、ひねくれの気性に似ていると思い、失望 いなかっぺいだと思えた。 した。頬の赤いのは、 来なかった。 あわただしく小さな嵐が過ぎ去ってしまったように、し 私の母がこしらえ上げた物語めいた生活など、此の世の つのまにか私は再び眠りの中に陥ち込んでいた。 中にありはしなかった。私はそういう智慧を覚えて帰った 翌朝眼をさましてからの、私のちぐはぐな気持を調整すのに、何故かその日のことが強く脳裏に刻みつけられては る為の努力は、私を一層無口にし、おしやまなものに見せなれない。 かけていたであろう。あれ、こんな人だったのかしらん。 顔のひげが美しく剃られて青く見える。血色のいい顔の何だって又私たちは折笠先生の所を訪問してみる気にな どこ 人。眼が象のそれのように細くてやさしく何処にも荒廃のったのだろう。何か魔物に魅入られた具合に、私たち三人 気配など見えはしない。昨夜お酒をのんで来た不幸な人のは折笠先生の村にやって来た。私は大きくなっていた。あ 面影など、何処にも留めていない。そして奥さんとのおだらゆるものの意味が理解出来そうだと考えていた。然し何 も分ってはいなかったのではないか。気構えだけは、いっ やかな応待。 かちゅうと 私ははぐらかされていた。だから一層完全に振舞おうとでも事件の渦中に跳び込んでみせることが出来ると思って いたのだが。 して、私は折笠先生が大事にしていたレコードをふみ割っ とまど たりした。すると彼は、私の戸惑いするすきも与えずに、 いくらかはその気負った気持で、折笠先生の所を訪問し こわれたレコード の残骸を私の見えない所にあわてて押してみる気持になったのだろう。何かに甘えた気持と、又何 込んでしまった。私は自分の勘定の彼からの借方がふくら かを見極めて、自分が招待されているのか拒絶されている んで来るように思った。然し救済されている感じを植えつのかをはっきり知りたい気持。私は二人の妹を連れて折笠 けられたことも事実だ。 先生の所に出かけて来た。上の妹は、かっての日に祖母に 匡子はまだ小さかった。一言もものを言わない子。私は連れられて私と一緒に折笠先生の屋敷を尋ねて来た。妹は 彼女を美しいとは思えなかった。彼女が私に美しく見えれそれについてどんな彼女自身の記憶があるだろう。私はか ば、私の小さな世の中がふくらんでくる期待が持てたのっての日の彼女は、私に向っても意志や感情など少しも示 ふるま ほお また やっかい