214 びんあめ 籠がちゃんと立 0 ているのは妙な気がした。ガラス瓶が飴障子がひらいて父が炬燵に向うむきにあた 0 ていた。 のように延びて、くつついてころがっていた。川を渡す橋「お父さん帰りました、よく生きていて下さいました」 は〈の字型に歪んでいる。これは、し原子爆弾のせいで父は不自由そうに体を道雄の方〈ねじむけると、じ 0 はなくて、その後の大水の時こうなったのだと、子供が言と顔を見ていたが、何も言わず、 う。川の水はよく澄んで変らず流れていた。 「おう、おう」 「小母ちゃんの所へは時々遊びに行くの」 と、入歯のない奇妙な口元をぼかんとあけ、うめくよう 「ううん」と子供はかぶりを振り、「小母ちゃんは目が悪な声を出し、そのまま「う、う、う」とり泣きだした。 うて不自由なんじやけん、お母ちゃんがあんまり行ったら二階から甥の浩がとぶように降りて来た。 しけんいうてんじゃ」 「おかえり、道兄さん。僕もう帰って来ると思った。いっ ちょっと 「坊や、荷物は僕が押して行くから、一寸先へ走 0 て行 0 も駅に行 0 て復員者らしい人をつかまえて様子さぐ 0 て て小母ちゃんに報せてくれんか」 た。だけどおじいさん、おばあさん、生きてたなんて、不 うなす 子供は素直に頷くと、走り出した。少し走って立ちどま思議でしよう」 振りかえって彼に道を教えた。そして又走って行っ道雄は父母が泣いているので、眼のやり場がなく、浩に 「うん、うん」と頷いて間の抜けた返事をした。母は涙を ふきふき、 五 「初めは大丈夫と思うてたけど、まる半歳になっても便り 「まあまあ、まあ、坊やが来て何をいうやらと思うたら、 はなし、こっちから出した手紙は皆戻って来るし、ひょっ あんた帰って米たのか、ほんとに帰って来たのか」 としたらどこどで死んでしもうたかと思うて : ・ : こ 母はめがねを脱しながら出て来た。 「お母さんは、ああいうて心配ばかりするがのう、俺は自 「さあおあがり、靴をはよぬいで、さあ」 信があった。新聞をみても、もう大方帰る頃とは思うてお 「よく生きていて。私はとてもお母さん、生きてるなんった」 ふるえる手の甲で涙をふきながら父は言った。歯がない 「そうやろうとも、さあ」 ため、息が抜け、ひどく老い込んだ感じだった。 言ったまま顔をそむけて泣き出した。 「そんな、私の事は、わたしはずっと元気だったんです。 こ 0 くっ しようじ うなず
ああ、許すまじ原爆・ 編トイツ第第 〔八月六日その日、智恵子は 智恵子はその年の梅雨時分から又身体の調子を悪くし、徴用 広影の被服廠の勤めを当分休ませて貰う了解がついたので、六日の 点氏朝は診断書を提出旁々 ( かたがた ) 上司の将校に挨拶を済ませ 地一て来るつもりで、八時前に家を出た。 の権警報が解けたにも拘らす、四が一機、金属性の爆音をい 村 て、真上の高い雲のはとりを西へ向って飛んでいた。智恵子が 4 木 歩きながら時々のけぞって見ていると、ふと、空に三つ、小さ よすな落下傘が泛んだ。おかしいな、と思っていると、急に飛行機 地写の音が変った。飛行機は薄い飛行雲を作 0 て見る見る視界から 消えて行き、その時、電気のスパークしたような光がサソと漲 丁あたりは俄かに真っ暗になり、映画のフィルムが不意に切れ た時のように、しんと静かになった。智恵子の黒いもんべの膝 ノ町 はめらめらと燃え出していた。彼女は倒れたまま、急いでそれ 爆宇を裂き捨てたが、腰から下、白いズロース一枚になったので、 原市身のすくむような恥かしさを感じた。 ( 「春の城」より抜萃 )
に、斎藤の心が急に屈折して、信心の話になる。この問題「しかし聞いてみると、田代だって、ホテルを大きくした になると、彼は不意に熱っ・ほい顔になるし、良樹の方は茶のは彼の腕だそうじゃないか。会長というのか、彼の女房 おやじ 化されたように思うのだった。 の親爺は先代から譲られたホテルをそのまま継いだだけで 「じゃ、君なんかは大丈夫なんだな、清明心があるから。」 しゅうと 「そうだよ、これがなかったら、今ごろ、どうなってたか 「しかし、彼の舅には田代にそういうことをさせた心の幅 わかりやしない。苦しいことがあるだろう。一生懸命お祈というのも考えてやらなくちゃ。田代が何をやっても、久 れ・を、り・トムう りするのさ。すると気持が静かになって : : : 」 住がいくら器用に工事を仕上げても、どこか彼らのカ倆じ 「じゃ、仕事の中に清明心を持ちこめないのか。」 ゃなくて、時の運というか、チームワークの結果と見られ 「おれなんかの修業じゃ、そこまではいかないな。仕事のる所があるんだな。それといデのも、 苦しさを忘れるのがやっとさ。 : 全く、自分の出した手「清明心がないからか。」 形が不渡りになるかどうか、という苦労は、自分で仕事し「うん。そう言っても、 ししな言い方をすれば、彼らが てみないものにはわからんよ。こっちだって、あてがあっ飯のために働き、昇進のために手柄を立ててるからだ。」 て、手形を出してるんだが、一カ所で不渡が出ると、あと「明治うまれには、そういう所はないのか。」 はもう、津波と同じさ。狭いの奥へ行けば行くほど猛烈「うん。お坊ちゃんだからな。ちょっと見には無欲な点が なんだ。」 さっきの事務員が、 「それなのに、久住なんか、明治うまれの奴は能なしで、 従って、重役たちはダメだから、自分が重役になるんだと「社長さん電話です。」 言ってたつけ。」 と呼びに来た。電話は長かった。そして二十分もして戻 「それは室津の持論なんだよ。幕末の一代目は傑で、明 0 てきた斎藤は、額に急にしわがふえた感じで、ひどく老 む汁こ 治の二代目はドラ息子で、大正昭和の三代目が戦中、戦後けてみえた。悪い電話だったらしい。良樹が清明心や爪の の苦労を一手にひきうけて、やっと豊かな社会を作ったの会の話を持ちだしても、曖昧な相槌をうつばかりであっ だから、明治うまれを退陣させようと言うんだな。田代もた。そして彼が帰るといって立ち上っても、引きとめよう 久住もそうなったら、自分の天下だと思ってる。・ハ力な話ともしなかった。 外はうららかな日だった。もう工員はキャッチボールは あいま あいづち
「事務所へ入る時、二日酔みたいな感じがするんたろ。己なんだな。」 もそうさ。引越そうかな、と考えたこともある。車を運転伊藤がポケットから、立川駅で買ったウイスキーのビン して通ったり、・ ( スに乗ったり、地下鉄を利用したり、とを出して、一口のみながら、そう言った。風は東京の真冬 にかく、工房へ行く道順を変えようと苦労してるんだ。倦のように冷たかった。下ではそろそろ桜のことが新聞に出 怠期さ。夫婦なら、こういう時どうするんだ。己は結婚しようと言うのに、ここはまだ冬だった。 「正直言って、別れたところで、明日からいい仕事ができ てないから、わからんのだが。」 る自信はないな。」 「ガマンするんだね。夫婦の場合は。」 「そうなんだ。むしろ、それだからこそ、事務所に入る 和泉は夫婦と事務所の人間関係は全く違うように思っ 時、二日酔になるんだよ。」 て、そのことを考えているうちに、伊藤が、 「じゃ、スケさん達に、もっと短いスカートで来て貰うこ「君は二日酔はどうやってなおす。」 「仕返しか。とにかく肝臓の薬飲んで、の注射をして、 とにするか。いや、彼女等はショ ート・ハンツでも魅力ない な。いっか海へ行って、ゲッソリしたもんな。二人ともキガマンするんだ。」 ュ 1 ・ヒー人形みたいな体しやがって。」 「己達もガマンするか。」 東京方面の紫の沼は一層深くなって、黒味をおびてき「うん。」 た。じっと見ると、ネオンが見えるようにも思うのだが、 和泉もウイスキーを貰って、一口飲んだ。 くど それにはまだ上空があまりにも明るすぎた。紫色の沼は、 「君は以前、ここで女を口説いたことがないか。」 巨大なドロドロのアメー・ハで、その中にとびこんだ人間も とビンを返しながら和泉が聞くと、 物も、その体内で少しずっとかされてしまいそうにも思え 「よくわかるなあ。その通りさ。一一三年前かな。雪がある 穴た。彼の生活も仕事も、その中で少しずつ、溶けてしまとは思っていなかったんだけれどね。押せどもつけども反 り・ルか・、 同 、今ではその輪郭もはっきりしない。その沼からはい出応のない女がいて、新宿でお茶飲んでたんだけれど、急に 偕たところで、何になるんだろう。目も鼻もとけた、水爆のここへ引っぱり出したのさ。東京で二三日前に降って、つ 被害者のようになっている自分に、新しい仕事、新鮮な生もりもしなかった雪が、ここじや立派なもんだからな。」 活を営めるであろうか。 「女はムードに弱いって言うからな。」 くっした 「とにかく、この際、やめるか、ガマンするかのどちらか「うん。来る時は、薄い靴下一枚で、キャーキャー言っ けん
まなかった 0 前につき出して、おどけて叫んだ。則子は機嫌よく笑っ 「そこに英語がやたらうまいホステスがいて、どうも靖子こ。 さんらしいと、彼女のハズと海兵同期の人が久住に教えて 「そらごらんなさい。犯人は久住でしよう。だからあたし けんか くれたの。久住が行ってみると言い出して喧嘩したことをは姉を私たちの部屋にとめなかったし、グレン・コーに夫 おぼえてるわ。」 をやらなかったのよ。ひがんでる姉がいやがらせに手を出 「何だか久住と靖子さんの仲を疑ってるみたいだなあ、あせば久住なんか、ホイホイととんで行くわ。」 なたは。」 「世の中には僕みたいに誠実な男もいるのになあ。」 良樹は笑ったが、則子は笑わなかった。 「さあ、あの頃、姉は甲田さんはいい人だといったし、あ 「だって当り前よ。久住にしても、甲田さんだって、何と たしもそうかなあ、と思ったこともあるけれど、久しぶり かうまいこと言ってるけれど、ちゃんと知ってるんですかにあったら、甲田さんも久住もよく似てるわ。」 「そして、則子さんも靖子さんによく似てぎた。」 「僕はちがう。僕は則子さんを映画にさそったけれど、靖「そう。甲田さんが盗んだ姉の写真と今のあたしがそんな 子さんはさそわなかった。」 に似てるかしら。」 「相手にされなかったから、あたしをかわりにしたのよ。」「僕は写真なんかとらないったら。」 うそ 「久住なら、たとえ嘘でも則子さんの方を好きだった、と しかし水着の写真をとったのは良樹だった。高見沢夫人 言わなければならないが、僕なんかはそんな義理はない。 が知り合いの闇屋から米を融通してもらいに行った間、良 その僕が恥を忍んでこういうのだから : : : 」 樹は三十分ほど、その小屋に留守番をしたことがあった。 則子はやっと笑いだした。 すすけたような小屋の中で、靖子の服以外に、ひどく華や 「でもね、あなたたち二人のうち、どっちかが姉の写真をかな色彩のものが、彼の目をひいた。それは金と朱の美し 盗んでるはずよ。あたし調べたんだから。しかもその一枚いアル・ハムであった。退屈しのぎに開いてみて、靖子のも は姉が結婚する年の夏、あたしが鎌倉でうっした水着の写のであるのを知った。しかしそのアル・ハムのかなりの部分 真よ。」 がはがされていた。彼女の父や夫らしい写真は一枚もなか ったから、ある時期に彼女がそれを破りすてたのかもしれ 「そりやひどい。そりやとんでもない濡れ衣だ。」 良樹は倒れかかる障子でも支えるように、ひろげた手をなかった。しかし戦後にはられたと思われるあたりにも、 ぎぬ やみや
さび んだろう ? 」そんな風にからみ出した。 「馬鹿 ! よせ。貴様が行ってしまえば俺達だって皆淋し 「海軍へなんそ、俺は入るんじゃなかった。海軍なんてま いんだ」と、谷井の肩を突き飛ばした。谷井は仰向けに倒 るで愚劣とインチキの固りじゃないか」 れそうになって片腕つき、急に黙ってのっそり起き上る さかすき 「何が ? それじゃあ、陸軍へ取られりやよかったのか と、盃の中を見つめて泣きそうな表情をした。翌る朝二人 そこ 俺は陸式よりやつばり海軍の方がましだと思うが はそれぞれに冴えぬ後味で其処を出た。 谷井が朝の青森行で上野を立ったのはそれから間もなく 「そうだろう ? 貴様はやつばり軍人が好きなんだ。ハッ であ 0 た。北海道の千基地からでないと飛行機便がない 。文学なんぞやらずに、中学を出た時海兵へ行きやので、そこまで汽車旅であった。耕二が見送りに行ってみ よかったよ」谷井はヒステリックに笑って、突然菊千代のると、やっと少し晴々した顔になった谷井が両親と妹と四 首に手を廻して抱き寄せようとした。 人で駅へ来ていた。フォームへ入ると彼は耕二を横へ曳き 「よしてよ。何よー」菊千代は谷井をはねのけた。「あん出して、「行く先は家の者には言ってないんだ。北海道辺 た卑怯ね。あんたのような士官、航空隊には一人もいない りだと思わせてあるんだ。その積りでいてくれ。蔵にあっ ふかなじみ わよ。わたしのインチ ( 深馴染の事 ) はマキンで死んだのた短刀を出して来たら、古くなってた鞘が・ほっくり割れた よ。仇を討って貰うまでわたし、働くつもりなんですからんで、おふくろがひどく気にしてるんだ」そう言って、日 ね」 本紙に包んだ自分の爪を渡した。 「なんだ。お前、生意気言うとなぐるそ」谷井は言った。 「それからもう一つ、俺の発った後で、家へ行って機密事 お信が入って来た。 項を書いた物を貰うという事にして、俺の背広の内ポケッ けんか 「どうしたのよう、喧嘩なんかして。 あんた、電話」 トにある物を出して始末してくれ。変な物を入れ忘れた」 お信はそう言って菊千代を促して立たすと、「菊い坊はね、 「何だい ? 」耕二は言ったが、直ぐ気がついて、「いやな 毎日世界地図出して、マキン島の所にギリギリ爪立ててる事を言いつけるね」と顔をしかめて見せた。 のよ」そんな事を言った。 ベルが鳴り出した。列車には北へ赴任する海軍陸軍の軍 菊千代は出て行くと、それつきり帰って来なかった。谷人が幾人も乗っていた。 井はしつこく耕二にからみ始めた。耕二はとうとう腹を立「それでは行きます」谷井は父親に言って、乗ってデッキ てて、 に立った。母親と妹とは発車フォームに入れて貰えなかっ ね」 あおむ
があれば述・ヘていいと言うと、捕虜は早ロで一寸しゃべ 通訳を頼み、彼がその事を訊き出すと、捕虜は不思議そう な顔をして、 「電探があるから、アメリカの航空隊はそのような古い施「ト 0 0 。ル」と舌を打 0 た。通訳の小泉は、 「食事が食えない。もう少し食えるような物が欲しい。ビ 設には頼っていない」と答えた。 フテキ、オムレッ、ドーナツツ。たまらない、と言うんで 「アメリカの事ではない。中国空軍の附属機関なのだ」 うなす す」そう言って笑った。陸軍の人も、笑って頷いた。 「全然知らない」 捕虜は足をカチッとつけ、無帽の坊主頭に正しく挙手の 「話にそういう物がある事を聞いた事もないか」 「我々は中国のパイロットとは交際しない。だから何にも敬礼をして、収容所の兵に連れられ、出口で振向いて人恋 しそうな顔をしたが、そのまま引かれて行った。陸軍の人 聞いた事がない」 のぞ うそ ぶしよう 嘘ではないらしかった。武昌を爆撃に来て撃墜されたは収容所を出がけに庶務室を覗いて、中国兵の捕虜と同じ りよ とうじよういん のんき 搭乗員の、背の低い若い暢気そうな捕虜であった。仕方食事では可哀そうだから、少し食い物を考慮してやってく しこう なく彼は雑談風な質問になり、その捕虜は、自分が莖江のれと頼んでいた。耕二はあてにして来た事が要領を得なか 第 xx 戦闘機中隊員で、米国の何とかいうカレジを出たやったせいもあって、小泉と二人きりになると、「何だい、 し はり予備士官の少尉である事、基地では非番の日にサッカあんな者。妙に親切にするね」と言ったが、然し一方、毎 ーが盛んな事などを話した。耕二は訊いてみる気もなかつ日のように十三ミリ機銃の火を噴きながら低空で襲って来 こしやく たが、東大の国文科にいたヘルミックなぞも案外、そんなゑあの小で不気味なに、丁度自分達と同じような 所に来ていて情報係でもやっているのではないか等とも思境遇の、ドーナツツの食いたい青年が乗っているのだと思 ったりした。武漢地区の対空砲火の精度に就て感想をねうと、一寸妙な気もされた。 ると、 十分程で副官との話を津ませ、副官から、今日上海 「日本の高角砲が正確な射撃をするなら、私たちがあんな からの飛行便があるという事を聞いて、彼は玄関へ出て来 みとお こ。小泉少尉は馬の手緒を握って寒そうに待っていた。 に低く飛ぶと思いますか」と答えるし、戦争の見透しは、 「お待ちどお。さあ行きましよう」 「二三年以内にアメリカが勝つ。そして早く国へ帰りた いちじる い」という風で、極くはっきりしていた。質問を打切りに長江の水は著しい減水で、木組の桟橋が遠く低い所のポ つきそ して、最後に附添ってくれた陸軍の人が、何か不満や希望ンツーンへ伸びて、江の泥岸には、枯れた葦がひょいひょ たよ ちょっと
女がいて、彼女の手伝いをして飴を作ったり、男と女にわもし、自分がその気になれば、気のよい彼女らの誰か わいざっ かれ、猥雑なテーマのジェスチ、アをして遊ぶのも結構楽と、深い仲になれる、ということだけで、康郎は満足する ことにした。それが今は、母に秘密の女たちでなく、母の しかった。 へ行ってみると、寒いから公認の娘で、そういう関係になってもよい娘が現われたの ある冬の夜、吉田のアパート ふとん だ。それが弘子だった。 仕事をサポったという娘が一人で布団にくるまっていた。 「電熱器がこわれてんのよ。ここへはいりなさいよ。」 二度目に来た時、弘子は堅くなっていた。これが一種の と女が掛布団を持ちあげた。女は服を着たまま、夜具の見合いであることを母親から聞かされたに違いない。彼女 中にはいっているのだった。その誘いが自然だったから、 はテキストを見つめたまま、目をあげようともしなかっ やみいち 康郎は彼女と一つの布団にはいり、闇市で買ってきたビー た。そして康郎がちょっとでも大きな動作をすると、弘子 ナツを出した。女は米軍のキャンプからもらってきたといは異物にふれたいそぎんちゃくのように体を一層すくめる くちびる うカン入りのビールをあけた。唇をきりそうなほど、カンのだった。茶の間では二人の母親たちがのんびり笑ってい の切り口は鏘のに、女は平気でロをあてて一口飲むと、 る声が聞こえる。康郎はふと一一人の初老の女性から自分た おす ぶじよく 康郎にすすめた。金色のカンの〈りに、赤い口紅がついてちが侮縟されていると感じた。これは種付けのために、牡 いた。二人は布団の中で、お互いに体を温めあってしばら たと犬を持ちょ 0 て、それが終わるまでコ 1 ヒーを飲ん く雑談した。すると、女が突然、起きなおって、康郎の顔で待っている人間共と同じではないか。 を見た。 それなら、本当に牡犬になってやる、と康郎は思った。 まわ 「こんなになって、手を出さない男って、あんたがはじめ机を廻って、弘子のそばに行き、ねじ伏せようとすると、 彼女は音をたてないように気を配りながら、激しく抵抗し てよ。」 けいべっ こ 0 家讃められたのか軽蔑されたのかわからず、康郎は顔を赤 のらめた。彼は自分の衝動をおさえるのにそれまで精一杯の「いや、いや、いや。」 とささやくように言う。この上もみあっていると本当に 一一努力をしていたのだ。しかしそう言われたからといって、 衝動に我が身をゆだねるのは、あまりにも見識がないよう大きな声を出しそうなので、手をゆるめると、弘子はす早 に髞えた。 く起き直って、 「英語を教えていただきに来たのに。」 「そりや、男にもいろいろあるさ。」
話のそばに椅子を持ち出してしゃべっていた。いずれ、多 やりたいの。」 ひろうえん 幹也と多恵子が披露宴で並んでいる光景を想像してみ恵子の縁談のことに違いないと思って、帰ってきたという はくせき た。似合いの夫婦になりそうに思えた。白晳の秀才と、し合図に妻の肩をたたくと、そのまま、居間で服を脱ぎす て、セータとズボンに着替えて、湯をわかして、お茶を入 つかり者のお多福の娘と。二人はお互に相手の欠点をカ・ハ まんじゅう ーしながら生きてゆけるかもしれない。しかし、その際れ、旅先で買ってきた饅頭を出した。その間中、香代子は は、多恵子の方に負担が多くかかるように思った。姉と弟電話でしやべっている。その受け答えを聞いているうち に、大体の様子がのみこめた。 が帰った後で、清と香代子は青年について話しあった。 どうやら問題になっているのは、多恵子が送ってゆくと 「どうかしら、あの青年。」 、う幹也を、自分の家まで連れてこずに、家のすぐ近くで 「そうだなあ。特に不足はないけれど、キンタマがついてし 追い返したということであるらしかった。幹也は突然のこ いるか、と言いたくなる所がある。」 とではあるから、多恵子の家に上りこんでもてなしを受け 「下品ね。一つには年よ。年がいったら、しつかりしてく ることまでは期待しなくとも、正式に両親に紹介してもら ると思うわ。」 「うん。しかし、三十代半ばをすぎると、あの男は生え際えるものと思っていた。それが家から数十メートル離れた 所で帰されたことについて、彼もその姉も大いに不満で、 がうすくなるぜ。あれはの性だ。」 香代子はいわば、多恵子のかわりに非難を受け、弁護しょ 「まさか。」 「そうだよ。今から分け目があんなにダダッ広いようじうとしても、片端から論破されてしまうという状況である らしい。 や、先が思いやられる。」 やがて、やっとのことで電話を切った香代子は、清がい 「あなた、この話に反対なの。」 人「そんなことはない。菱田君の方だって、キリョウは悪いれたお茶を飲み、饅頭を一口たべてから、 「多恵子さん、見損っていたわ。あんなことされたら、紹 なし、マイナスはいくらもある。」 結局、正式の見合いということでなく、香代子と友人介したあたしの立場上困るわ。」 「うん。まだ若いとは言いながら、全くできていないんだ が、幹也と多恵子を連れてお茶を飲み、二人だけで、そこ な、人間が。」 に置いてゆくということになった。その日、清は用があっ げんか て、旅に出ていたのだが、夜帰宅してみると、香代子が電清は多恵子を弁護して夫婦喧嘩などしたくなかったか
伏せようと走り出した時、ポッコ 1 ンという鈍い崩れるよ彼女の身近では、 「畜生、奴ら、此処に兵隊が居る事を嗅ぎつけたんかの うな音がし、途端に身体は抱き上げられたようになって、 たた う」等と、兵隊のとぼけたような声もあった。 その石の上へ叩きつけられ、顔や手足に、焼いた砂のよう 智恵子は足を踏みしめて立ち上った。すぐ家へ帰らねば な熱い痛い物が、一面にビシ・ヒシと投げつけられて来た。 にわ あたりは俄かに真っ暗になり、映画のフィルムが不意にならぬと思った。靴はどこへか飛ばされて無くなり、彼女 切れた時のように、しんと静かになった。智恵子の黒いもはズロースの上に裂けた白いプラウスを着ていたが、周囲 ひざ んべの膝はめらめらと燃え出していた。彼女は倒れたまを見ると、それは上出来の方で、誰も彼も裸で、もう恥か ま、急いでそれを裂き捨てたが、腰から下、白いズロースしいとも感じられなかった。 やゅび 一枚になったので、身のすくむよテな恥かしさを感じた。 死人や仮死状態の人が、到る所に倒れている。拇指ほど 突然、近くでワッという女の子の泣き声が起った。周囲の太さで、両の眼球を五寸も前へ吹き出して、ロと鼻とか の懼が次第に薄らいで来ると、其処に眉毛を焼いて真 0 蒼ら多量に血を出して、血糊の中に死んでいる男がいた。 また な顔をした女学生や、ほこり叩きを逆さにしたように顔の彼女がそういう人々の上を跨いで歩いていると、うつか 皮がずるずる剥けて垂れ下った兵隊や、顔を真っ黒に焦がり脚を一本踏みつけ、踏まれた男は急に意識を取返して、 「助けてくれー」とやにわに彼女の脚にすがりついて来 して血を吐いている女等の像が、浮かび出て来た。 薄れて行く闇の中を透して、市中の方を見ると、もやもた。 やとした煙の柱が立ち昇り、それが見る間に巨大な疑問符「離してー離してー」と叫びながら、彼女はその手を振 のような形にふくれ上って、その中程は鮮烈な真紅の色り放して逃げて、走った。 で、白い入道雲のようなものが、もくもくと動きながら紅引込線の軍用フォームに、集積してあったガソリンが、 城い玉を取り囲んでいるのが見えた。下界は一面の火・ほこり猛烈な黒煙をあげて燃えていた。線路の枕木も盛り上っ のか砂ぼこりか、赤や黄土や茶やの交り合った複雑な色のもて、火がっき、列車は脱線したり、倒れたりしてすべて火 に包まれている。 春のがたちこめている。 あめ 彼女が飴のように曲った線路の佛で、おろおろ逃げ道を 人々がてんでに叫び出した。 まきぎやはん 「たすけて工、たすけてエ」という声もあり、 探していると、枕木の下を潜って、顔を焼いた巻脚絆の男 「何々班の者、生きとるかア。集れェ」等と呼ぶ声もし、 が一人、こちらへ逃げ込んで来た。男は兵隊らしく、 さが ちくしようやっ