川田 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 43 阿川弘之 三浦朱門集
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1. 現代日本の文学 43 阿川弘之 三浦朱門集

女のウインクに、どう反応してよいかわからなかった。・ヘ という声が聞えた。 「あ、ペギー、この人、日本から来た川田さん。この大学ギーはアメリカの女にしては、小柄な、百六十センチもな し肥りの娘で、頭にサングラスをのせていた。机の前 のやり方をスパイしに来た。それから、この人、ペギー ・・ハエズの大きな写真がはってあり、机の上 ここでタイプやプリントのことやってる。川田さんも、今 には、大学新聞と一緒に、反戦グループで出している粗悪 に何か発表するんでしよう。その時はこの人に / ートのコ な印刷の週刊新聞がおいてあった。 ビーなんかやってもらう。」 「ね、この人、ケイに似てない ? 」 金沢はもう完全に英語にきりかえているので、彼ももご あいさっ とペギーが言いだした。すると金沢がせきこんで、 もごと英語で挨拶した。 「そう思う ? ・ほくも、実はそう思ってたんだ。」 「この人ね、・ヘトナム戦争反対のデモやって、警察につか 「本当。でも、よく似てる、ケイに。」 まって、一一三日、牢屋にはいってた。」 「ケイって誰です。」 「知らないの。日本の女の子で、ケイ・オハラ。」 「どうでしたか、牢屋は。」 「彼はまだ会ってない。でも、会わしたいな。」 と彼も口を出した。 「消毒薬のにおいがプンプンしてて、食物まで消毒薬かと「川田さん、今日の・ ( ーティに来るんでしよ。」 ーティに行きませんか。ポールズとい 「あ、忘れてた。・ハ 思ったわ。」 うポストンの男で詩を書くのが、大学で助手をしていて、 「どんなものが出た ? 」 ペギーは鼻にしわをよせて、手で目の前の蠅を追うよう郊外に家借りてんですよ。そこで・ ( ーティがあるから、ケ なしぐさをしただけで何も言わなかった。金沢は大声で笑イもくるし。」 その日の夕方、金沢の訳した「愛玩」を、読んでいる る 「しかし、いい薬だな。」 と、ドアをたたく音がした。金沢が約束した通りむかえに あ の というと、・ヘギーも苦笑して、仕方がないという風に、来てくれたのだと思って、 川田にウインクした。彼は曖昧な笑い方をした。そして自「はいって待っててくれよ。」 あまいろ と日本語で言いながら戸を明けると、亜麻色の髪の大男 分ま今、ハーンの言う東洋人の神秘的な笑い方をしてい が立っていた。金沢は表のフォルクスワ 1 ゲンの運転台に る、と思った。しかし十年もこの国にいる金沢でないと、 あいま、 はえ

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310 を飲んだ。 「そう、そう。外国語を学生として習うのと、征服者とし 「あーあ、遙か祖国よ、あの日の旗よ、風に歓呼の声がすて習うのと、敗戦国民として習うのとでは、ちがう。」 「そう、川田さんの言う通り、敗戦国民として習うのが一 はす 中条が突然調子外れの声をあげた。 番上達する。外国語を習うことは屈辱だ。」 「川田さん、何ですかこの歌は、中条さん酔うとすぐこれ食事はいつの間にか終って、飲み物は・ハーポン・ウイス を歌うんですけどね、軍歌ですか。歓呼の声なんていうかキーになっていた。 ら、軍歌かもしれんですがね。」 「さりとて、習わん訳冫 こもいかんのだし。」 川田、お・ほえとらんか。戦時中の歌よ。おれが陸中条は酔いすぎて、意識が・ほやけてしまったのか、頭を しようし どうせし 軍少尉に任官して、ジャワで、ユーラシャの娘と同棲してふらふらさせながら、・ほんやり寝言のように言った。 いたころの歌よ。」 「我々、日本人には、鎖国願望というものがあるんです みそしる よ。味噌汁につけ物、米の飯に日本酒。春は花見、夏はタ ジャワ、という言葉を聞いて、彼は思い出した。 とこなっ ゅどうふ 涼み、秋は紅葉に冬は湯豆腐で雪見です。これ、完全な世 「ジャワは常夏、南の島よ、晴れた夜空に十字星。」 彼は中条が調子外れに歌った部分まで歌った。 界。ファウストのいう、「止れ、世界はかくも美わしい。」 「わりといい歌ですね、軍歌らしくなく、望郷の心があっというャツです。それで鎖国したんです。二百五十年間 歴史を凍結させようとしたんです。それをベルリがグメに 「そりや、学徒兵や、学生上りの将校が、この戦争はマケしちゃった。後の百年はメチャクチャですわ。右往左往。 だ、とささやきはじめたころの歌ですから。」 ワイワイさわぎ廻って。でもね、日本人はゆっくりしたい 「おれも、ちょっとした王侯の生活をしとったんだがね、んです。世界のことは忘れてしまって。『春は花、いざ見 ひょ 0 としたら帰れんと思 0 た。英語の勉強したのはそのにごんせ、山。色香争う夜桜や」・ 時さ。司令部附きの情報係将校だったから、それを利用し金沢は最後の一言は節をつけて歌った。 て、抑留されている英米人に食糧やタ・ ( コを持ってって、 「だけど、鎖国したら、困るな。・ヒールも飲みたいし、チ ーズもいい。 毎日、毎日。その割に上達しなかった。」 中華料理もキムチも、なくなったらさびし 「そりや、中条さんが偉い立場にいたからですよ。シェク スビア・グラマーみたいなもんで、それが通っちゃう。」 川田はそう言いながら、自分も酔ったと思った。 はる うる

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から。」 と言っている、もう一人の自分を意識するのだった。そ いんさん して、相手役の男が、妙に陰惨な目の光らせかたをして、 「兄さん、それでは : とつめよると、彼は、役柄の自分も、もう一人の自分 も、同時にたじろいでしまい 「芝居とはいっても、これは心の底の自分にまでひびいて くるものがないではない。」 とうろたえながらも、 「うん、おれは、うまく演技してるじゃないか。案外、お れは演劇の才能があるかもしれない。」 と考えた。 川田の場合で言えば英語でーーくらすこと英語でくらすことは、全く、その時の経験と似ていた。 外国語で 1 ティの席で、誰かの言った駄じゃれに対して、適当な は、奇妙なことだった。それは一日中、芝居をしているこ 相槌を打って、それが新しい笑いをひきおこした時など、 とと似ていた。 彼は学生時代、一度だけ記念祭の舞台に上ったことがあ「うん、おれは、うまくやってるじゃないか。案外、おれ った。ばかばかしい遊びだと、心の底では軽蔑していたつは語学の才能があったかもしれない。」 もりなのに、まぶしいフットライトのむこうの、暗い観客と思う。しかし、そう思う時、川田の肉体はともかく、 町席に光る瞳や眼鏡のレンズを前にして、架空の行動と言葉心は・ ( ーティの席から、一人だけ離れて、日本語で考えて るのだ。 あを演じているうちに、それなりの実感と感動がわいてくるい の 川田は今、勤めている大学から派遣されて、米国の中西 のだった。 しかしまた、それと同時に、架空の人物になって、架空部の大学にいる。毎日のように大学に出かけて、研究室を のそき、教室に出る。しかし、彼は大学のスタッフではな の事件の体験に当惑している自分の肩をたたいて、 く、学生でもない。一種の客というと聞えがいいが、水草の 「そう、むきになりなさんな。要するにこれは芝居なんた * にれ 楡のある町 けいべっ あいづち

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。ハートに行ってみた。日本論でもするつもりだった。しかのうちに、そこをまるで一つの壁面のように感じて通りす 芻し、珍しく、彼はいずに、かなり酔った金沢とケイがいぎていたのに、その日は戸が明け放たれて、いつになく、 ひざ た。ケイは土足のまま、ソフアの上で立て膝をしており、廊下のその部分が明るかった。 トロンとした目で川田をむかえて、 高木は背が高く、色が白く、日本の基準からいうと、か なり美男の方に属した。しかし白人のどぎつい目鼻立に較 ひとえまふた べると、一重臉の眼も、おっとりと通った鼻筋も、あまり と言った。金沢はお茶をいれるといって立ち上ったが、 に柔和で、どこか女性的なものを感じさせた。 ケイの姿を見て、 「ケイコさん、あなた、日本人、日本人ですよ。もっとチ今年度はもう授業はないが、九月からの新学年に、日本 ざせつ ャンとしましよう。日本人でしよう。」 の文学者の転向、挫折、という問題を、戦争中の日本兵の と真顔で注意した。ケイはうるさそうに、彼の言葉には降伏の問題と結びつけて、文化人類学的にまとめるのだ、 耳もかさず、タ・ハコに火をつけた。川田は何だかばからしといって、高木は川田に書棚一杯の書物、雑誌を示した。 くなって、金沢が淹れてくれたお茶を飲むとすぐに自分の 日本では新しい講義をはじめるといっても、雑用に追わ モ 1 テルに戻ってきた。 れて、ろくろく準備もできないままに新学期になり、一夜 ゅうゆう 漬けのような講義をしている自分に較べて、高木の悠々と 九 した勉強ぶりを、彼はうらやましいと思った。 六カ月契約で東部の大学に行っていた高木教授が帰って外国文学や、その教育について、質問したいというと、 きたと聞いて、彼は研究室へ会いに行った。彼はフルプラ高木はうなずいて、研究室の戸を締めに立った。廊下に絶 イトの初期の留学生として渡米してから、そのままずつ えず人が往き来をして、おちつかなかったからだ。 と、米国に十数年もとどまっているのだった。 「ここの学生の日本語の学力は : : : 」 日本では国文科を出て、アメリカに渡って図書館学の学 「学部のうちは、日本語を教えるだけで、読ませるのは、 位をとり、そのまま、その大学の東洋関係の本の仕事をし飜訳だけです。大学院になると、日本語を四年やってます ているうちに、日本文学の講座を持つようになったのだ。 から、ゼミナールにも、日本語のテキストを使います。し 高木教授の部屋は、もう川田はよく知っていた。ただ、 かし、学部の女の子の方がきれいです。大学院へ行くと、 それまで白いドアが締めたままになっていたから、無意識もうなりふり構いませんからな。」

5. 現代日本の文学 43 阿川弘之 三浦朱門集

品としてのよしあしを問わなければ、ちゃんと・ヒントの合日本人ができてからは、米兵が民家に突然遊びにくる、と いうこともなくなった。しかし、戦後のそういう時代に、 った写真をうっしうる国なのだ。それだけに、美しい女性 を見たからといって、 英語をしゃべれない英文科の学生であることは、つらいこ とだった。売笑婦さえ、米兵と笑いながらしゃべっている 「写真をとらせていただけますか。」 とたずねることはできない。「電気のケース」という言のに、彼は英語の教科書を音読したことを除けば、英語を しよせん 口にしたことは一度もなかったのだ。 いまわしに考えこんでしまう。所詮、外国というものは、 というよりも、演技をし 彼にとって、絶対にわからない、 川田は敗戦の翌年の夏のある日のことを思い出す時、今 ているという意識から逃がれられないものかもしれなかつでも顔が赤くなる。彼は上野公園の一部の、駐車した車と 車の間に、・ ほんやり立っていた。すると米人の運転する車 が一台やってきて、彼の足許を指さして、 と言った。彼は上野公園の位置をたずねているのだと思 戦争中に教育された川田にとって、英語とはしゃべるも リウッドの映画を見ても、その中の言 のではなかった。ハ 葉と、英語の教科書が同じ言語であるということを、知識「あなたは今、上野・ ( ークにいる。」 と言った。米人はなおも、 として知ってはいても、実感としては持っことができなか と叫ぶ。彼も負けずに、 彼は軍服を着た英文科の学生として、終戦をむかえた。 おおげさ 「ここ、上野公園。」 復員してから、大学を出るまでの三年間大袈裟に言うと、 と叫びかえした。やがて米人はあきらめてどこかへ行っ 絶えずビクビクしてすごさねばならなかった。 てしまい、彼も駅の方へ歩き出した。その時になって、や 近所の家に米兵が来た、というようなことがあると、 っと、・ハークという単語に、公園という意味と、駐車する 「川田さんとこの息子さんが大学の英文科だから。」 という意味があることを、彼は思い出した。 と誰かが思い出して、彼を呼びにくる。幸いなことに、 みやけ そんなことがあってから、彼は米兵の土産物屋の店員を 二三度そういうことがあった時はいつも、彼は不在だっ た。そのうち、退屈な米兵を相手にすることを職業にする二三カ月やった。すぐやめてしまったのは、彼が英文科の こ 0

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かったから、何かだまされたような気持で、教えられた教彼はどもりながら、これが五十年前の小説であること 室へ行ってみた。 と、そのころの日本の女性の地位を説明した。 丸くテー・フルをつなぎあわせた小さな部屋の上座に、日「しかし、この主人公の妻は、男たちと自由に話している 本人が、それも彼の知っている日本人がすわっていた。大し、木にも登るし、アメリカの女と同じだ。」 学で一年上にいた中条だった。どこかの大学の英文科の教「しかし、この女性は特別だ。貴族の娘で、主人公と駈け 授になっていて、一年ほど前に米国へ行ったと聞いたが、 おちして、ここに来ているのだから。」 ここの教師をしていたとは知らなかった。 駈け落ち、ということで、女の子が急に興味を持ち出し 中条はプーフから川田のくることを聞いていたのか、驚こ。 きもしなかった。 「そんなことは、どこに書いてあるのか。」 「諸君、この人は私の学生時代からの友人の川田氏。日本彼はそこで、自分がこの「焚火」という小説の登場人物 文学の専門家である。私と同様に。」 を実在の人物にあてはめ、彼らの現実の事件と重ねあわせ 英語で、「私と同様に、」という時、中条はさすがに照れて、この短篇を読んでいることに、今さらのように気づい たのか、彼の方を見て、ニャッと笑った。学生時代の中条た。よく指摘されることで、日本では常識以前の問題だ は秀才で、母校の英文科をつぐ候補者の一人のはずだつが、それはやはり、この国の学生にも問題らしかった。中 た。それがここでは、日本文学を教えている。 条が、英語の不自由な彼にかわって、志賀直哉の結婚に関 しがなおや * たきび テキストは英訳された志賀直哉の「焚火」だった。今日する事実を簡単に説明した。 は、最初の日と見えて、中条は、 「何故、この短篇は、そういう事情を全部書いた小説の一 「何か質問があるか。」 部として書かれなかったか。」 町とクラスを見廻した。すると、一人の大きな男がゆっく 強い近眼鏡をかけた学生が質問した。中条が何か説明し あり手をあげて、中条に指されると、 たが、彼はもう聞いていなかった。これが、外国文学を英 の 「やは妻も女友達も連れていないが、それはポートが文学として読むということなのか。 楡 小さすぎるためか。」 ふと気がつくと、授業が終ったところだった。 「行ぎましようや。」 中条はいかにもうんざりした顔をした。 「川田君、答えてくれたまえ。」 中条が日本語でさそった。何ということもなく、たそが

7. 現代日本の文学 43 阿川弘之 三浦朱門集

340 ないでしよう。」 ろう。夜遊びはやめて、勉強するように。 電話がかかってきた。高木は受話器をとりあげて、 「そのために、あなたは大学にはいったのではないか。」 「ええ、そう、そう、賛成です。おっしやる通り、例外を それは異常といえば異常だが、教師から学生への訓戒と 認めるのではなく、もしその必要があるなら、原則をかえして、当然のことだとも言えた。 るべきだと思います。原則を変えてはならない、 というな渡米したころ、まだ若かった高木は思いきり、心の底を はい。有難う。」 ら、例外を認めるべきではない。はい ぶちまけられる日本語を使うことはできなかった。米人の 英語でそういう時の高木は、ゆっくりと重々しくしゃべ中にあって、ただ一人の日本人として、起きている限り、 かんろく いかにも貫禄があった。もう一度、彼は高木に質問を借り着のような感じのなくならない英語をしゃべり、物質 発した。 的にも性的にも、欲求不満の状態で、勉学にいそしんだ。 もっ 「日本の小説が米国の学生にわかりますか。」 三十をすぎ、生活も安定し、米人殊に若い娘が敬意を以て ふとん 「花袋の『蒲団』を読ませますと、ここの連中は大学生の近づいてくるようになっても、彼は英語をしゃべる限り、 作品だと言いますよ。ここの女子学生が教師のアパートに習慣的な抑制から逃れられない。しかし長年使えなかった 出入りするようになれば、 日本語をしゃべる時、彼は臆面もなく、抑圧されていた欲 高木の言葉は早口に、つぶやくようになった。それは英望をしゃべりはじめる。 語を話していた時の堂々とした言い方とはちがって、言葉金沢だって、ケイに、 自体が彼の意識下の心の失禁であるかのように、絶えるこ 「あなた、日本人、日本人でしよ。恥ですよ。」 あこが となく、米国の娘に対する憧れと夢と欲求不満とを、語り と言う時の心理は、日本語で話す時、痴漢のようなこと かんれん つづけるのだった。 しか言えない高木とどこか関聯があるのではないかい 川田は結局、メモには何一つ書かずに、高木の研究室をや、金沢だけでなく、川田自身、中条のア。 ハートへ日本語 出た。 をしゃべり、日本料理をたべに行く時、高木が日本語をし 高木が英語をしゃべる時は紳士で日本語をしゃべると痴ゃべる時の心と同じなのではないか。 漢だ、という金沢の説が正しいのではないか、と彼は思っ 高木がうつけたような顔をしてしゃべる、夢と幻想の物 た。きっと午前二時に、お気に入りの女子学生に英語で電語は、川田にも思い当る。彼だって、日本に帰って、酒に 話をかける時の高木は、彼女に道徳的なお説教をするのだ酔えば、プラジャー一枚で殺された娘と、金沢が追いかけ かたい こと

8. 現代日本の文学 43 阿川弘之 三浦朱門集

服装だ、とほめる人がいると、 る必要があるのだと、自分の気持を正当化しようとするの ・こっこ 0 「いや、いや、日本の寝巻ですよ。」 と答える。この国では寝巻とは下着の一種で、寝巻で町英語を使う世界は、たとえ女の子とのデイトであろうと に出ることは、ステテコとアンダーシャツで外を歩くことも、仕事なのだった、アメリカとの戦いなのだった。日本 あいさっ だから、大概の米人は挨拶に困って、複雑な顔になる。す語は家庭のくつろぎであり、歎きあう場所でもあった。 ると中条はさも愉快そうに笑う。彼は正に日本教の儀式の 一人一人が借りているア・ハート や貸間は決してそういう 司祭の役にふさわしい人物であった。そして金沢は彼の使ものを与えてくれない。置いてある書物は英語だし、そば 徒であった。 にはタイプライターがあって、学期末になると、徹夜でキ そして、川田もまた、日本教の聖職者の一団に近い存ーをたたかねばならない。家の持主の夫人は、トイレや電 在、いや、その一員になりかかっていた。来た当座は、中話の使い方、掃除の仕方、その他さまざまな形で、アメリ 条のア・ ( ートに同居することが、何かためにならないよう力を日本人に押しつける存在であった。彼らは決して意地 に思えて断ったのだがーー・そして確かにその時の直覚は正悪ではなかったにしても、日本人たちに負担にならなくは しかったのだがーー一月もたって大学の中の見当がついてなかった。 くるにつれて、彼も朝から晩まで米人たちの中にいる、と中条のアパートで出る話は、この国での失敗談が多かっ いうことはすくなくなっていった。 た。トイレを使った後で戸を締めるくせがぬけないで苦労 たんとう 必要な講義・ゼミに出て、その前後に、担当の教員と話した話、パンをかじって笑われた話。中条はそういう話 しあう以上の仕事はなくなってきた。彼はここに教えに来を、ソファーの肱に頭をのせ、相槌をうち、時にはきびし たのではなく、また、学位をとるために来た留学生でもな い批判を口にして人々を笑わせた。 。そして、残った時間のかなりの部分は、中条と会い 川田は扁桃腺がなおってから、一度、田淵に礼に行こう 日本人たちと、日本風の食物をたべることになるのだっと思っているうちに、逆にタ食に招ばれてしまった。彼は その日、昼の間から、百合の鉢植えを買って待っていた。 川田はこんなに日本人とっきあっているようでは何のた車を持たない彼は、小さいとは言え、 ハスも一系統しかな めに米国に来たかわからない、 と思いながら、結局、こう いこの町では、人に招ばれても、自分のカで訪問すること なってしまうことを理解するために、わざわざここまで来はできないのだった。合図のクラクシ ' ンの音を聞いて外 こ 0

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ずっと英語をしやべってもらって、近くの米人の子と遊ば英語のように、教養ある米人には通じても、一般の人には せて、小学校は勿論、近くの公立学校へ入れて・ : ・ : 。だか理解されにくい英語だった。少年がほしいと答えると、彼 ら、そういっちゃ何ですが、英語だけは、どうやら。え女は、 え。おかげで、あたくしなんか、はずかしくて、子供の前「フ、フン」 では、英語、使えないんですの。」 と答えて、コップに一杯ついでやった。ほかの英語はヘ そこへ 、パジャマの子が、寝室から出てきて、手洗いにたくそなのに、この発音だけは本物だった。このフ、フン いったと思うと、またおとなしく、寝室へ帰ろうとした。 という、米人がよく使う答え方は、尻上りに、丁度、 「おい、修一郎おいで。」 ファくらいの高低をつけて言う。彼などは、有難うと礼を 「あなた、およしなさいよ。」 言ったのに、こういう答え方をされると、何だか、鼻であ 子供は七八歳くらいで、はじめ不機嫌な顔で、まぶしそしらわれているようで面白くない。そして、これは言葉と うに目をこすり、食物の並んでいるテープルを眺めていた いうよりも、肩をすくめる時の身振りと同じ種類のものの が、一一三度あくびをしているうちに、目がさめたのか、父ような気がして、なかなか真似をする勇気がでないのだっ 親の脇の椅子にすわった。 た。そして、こういう場合は、「フ、フン。」と言えばいい 「ジュースちょうだい。」 のだと思いながらも、昔英語の教科書で習った通りの答え 日本語がダメどころか、立派な日本語だった。 方をしてしまうのだ。彼はわざと日本語を使うことにし こ 0 ・カワ 「英語でおっしゃい、英語で。それから、ミスタ 1 ごあいさっ 「いくつ、修一郎ちゃん。」 ダに御挨拶して。」 子供は川田に挨拶をし、それから、今度は英語でジュー 「八つと、ええ、八つと七カ月かな。」 スをくれ、といった。それはまた、完全な英語だった。米「学校では何が好き。」 国の子供特有の、ちょっと鼻にかかった言い方で、彼には「うーんとね、あのね、 「ナウ・ゴ ュア・べッド。 細かい部分がかえって聞きとりにくかった。夫人はジュ また夫人がへたくそな英語で言い、ジュースを飲みあげ スをコップに半分ほどっいでやり、 た修一郎の手をひいた。 「ドユウ・ユー・ウオント・サム・モア」 「日本語うまいじゃないですか。」 と英語で言った。なるほど、ひどい英語だった。川田の

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かに日本人の学生はおらんのかね。」 電話が鳴っていた。闇の中で、不機嫌に、いつまでも鳴 りつづけている。彼はしぶしぶ起き上った。濡れた下着の彼を学生だと思っているらしいことがわかった。英語が し年をして、中学生みたいに。 よくわからなくて、とにかく、日本人に電話してくれと、 感触が不快だっこ。、、 交換手に頼んだものの、 受話器をとると、女の声がきこえた。 「あなたは日本人ですか。」 「中条という客員教授がいるが、」というような説明は全 「イエス。」 く聞きとれなかったのであろう。それにしても、教授だか 「日本語を話しますか。」 ら学生よりえらい、という態度が愉快ではなかった。 「そりや、行ってもいいですが、どういうことですか。」 「オフ・コース」 「いや、ユニオンの宿泊費が九ドルというんだがね、もう 「では、切らないで待っていてください。」 すこし安いホテルはないかね。」 「ちょっと来てくれんか。」 呼びつけて、タクシーをよばせたり、荷物を運ばせよう いきなり太い男の日本語になった。 というのだろうか。彼は急に腹が立ってきた。九ドルの宿 「誰ですか、あなたは。」 泊費は決して高くない。大都会のホテルなら、同じ設備で 彼はむっとして、荒い声になった。 「 x x 大学の理学部の教授だがね。今、ユニオンという所倍の料金をとる。この町にそれより安いホテルはない訳で ーなしが、まず五六 / ドルだろう。それだって、タクシーに にいるんだが、ちょっと来てくれんか。」 時計を見ると、十二時近かった。ュニオンというのは、乗ったり、チッ。フを払ったら、そのくらいの差はすぐ消え てしまう。もし川田が荷物を運んで、深夜の道を、一時間 大学の共済組合と、同窓会館が一緒になったような所で、 宿泊施設や食堂、各種の催しのための部屋などを持っ建物以上も歩き廻ってやれば、三四ドルの費用は浮くが、それ 町のことだった。近いならともかく、それは大学の向う側のなら、川田としたら、金をやった方が楽だった。すくなく ふゆかい あはずれにあるから、歩けば二十分もかかる。それに汚れたとも、会ったこともない、そして不愉快な日本人のため 楡下着のことを思うと、来てくれんかと言われても、行く気に、重い荷物を持って、二十分も三十分も歩く気には全く ならなかった。 にはとてもなれなかった。 「ここの大学に来た以上、誰か知人があるでしよう。」 「どうしたんですか、一体。ここからは遠いんですがね。」 「いや、ここの大学もだが、実はウイスコンシンに用があ 「今までにも、中条、金沢というのと話したんだがね。ほ