164 「私は服をぎちんと畳む癖があるんだ。上って見ると、掻 き廻した形跡がある」木原は自分の言葉に一つ一つ自分で うなず アメリカ軍のリンガエン湾上陸が始っていた。キンケイ 頷きながら、独白のように言った。 「そうか。失礼しました。然しあの・ ( ンドは中々いい物だド中将麾下の第七艦隊の艦艇八百五十隻という数字は、耕 ゅううつ 二にも今更に憂鬱な驚ぎであった。二月に入るとマニラの な。何処で買われたんですか ? 」 いおうじま おじき みやげ 「シンガポールへ行ってた伯父貴があって土産に貰ったも陥ちた発表があり、間もなく硫黄島への米軍の上陸が続い みとお た。明るい見透し、希望のかけらをつなぐ所も、もはや無 んやが・ : : こ木原は言った、〈嘘をつけ ! 〉耕二は憎々し くなったように思われた。士官室のラジオは東京放送の勇 い気持を抑えながら、出来るだけ皮肉な調子で、 わにがわ 壮な軍艦マーチと、それに続く大戦果の発表を始終聞かせ 「とにかく一寸無い しい鰐革ですな」と言った。 「まあ、そう分ればよろしい」木原は一寸ほっとしたようていたが、彼は今では大本営の発表を信頼する気持にはな うそ にそう言って、机の上のルビイ・クインを一本取って火をれなかった。よしそれが嘘でないとしても、米軍の艦船部 隊航空機は、その一切を無視しているかのように、着実に 点けた。 「よろしいと言って、然しその、部屋へ入って物を探した計画通りに進んでいるのが感・せられた。 ようや というのはどうなるんです ? 気持が悪い話だ。調べてみ暗号と情報との仕事が、慚くの気持の拠り所であった。 わす 仕事を守る事でーー・守っていると思い込む事で、彼は僅か ようじゃないですか」耕二は言った。 な安心を自分の心に植えつけた。海戦の際に艦船乗組の、 その事の正体は然し直ぐ分った。従兵を呼んで訊くと、 しようそう ちょうど 丁度木原の言っている時刻に、従兵がペッドを直しにその直接戦闘配置のない主計兵達は、非常な焦躁と不安に駆ら たま しばらそこ 部屋へ上り込んでいた事が判明した。彼は暫く其処にいれるのが常で、自ら進んで弾連びを志願し、それで漸く安 て、 心するのだという話を聞いた事があったが、彼は自分の近 「それじゃあ、仕事があるから失礼します」そう言い、隠頃の気持がそれに似ていると思った。 し針で意地悪く突いてやったような快感を感じながら、作彼が防空情報電台の暗号を解いて以来、班の傍受電信 業室〈引揚げた。然し彼はこの事はには他の者に口外員達の気分は眼に見えて引締 0 た。彼らは喜んでオーヴ 出来ないと思った。 ア・ウク 1 クの当直を引受けるようになっていた。この暗 号は成都基地の四群の出撃方向を早く察知するのに実に っ おさ かんてい せき
酥年 鼠歳 左京橋書院刊 ( 昭和 25 年 ) 左下新潮社刊 ( 昭和 27 年 ) 春の城 阿川弘之 春え , 年 , 体制の理念について論したり、ドイツ語を好んで使っ 「終年年 たりしていた。彼らはいわば戦争適齢期で、大学を出間 に、 2 和 - 2 後書和昭和れば兵隊になるに決まっていた。 兵隊になれば死んで ある を昭昭 しまうか、或いは長期戦」に行きつばなしになるか 字 , 数部之よ のどちらかしかなく、その先に就職とか結婚というよ の一弘み婚 つのの ( 結うな日常生活が戻ってくることは、ちょっと想像でき 四」ろ妻に 城こ月ないのだ 0 た。しかし、私の目には、彼らが兵役をい 上のた左 やがっている様子は少しも見えなかった。彼らはアメ リカ人やイギリス人を無条件に憎み、キリスト教徒な のに天皇や「悠久の歴史」に対して信仰に近い気持を 抱き、いつも日本の運命を心配していた。 私はこの人たちの条件なしの忠誠心が、一寸かなわ ないと思いながら、それでもどうしても頭が上がらな いような部分があった。彼らはめいめい「国家」をハ がネの帯のように、息がつまるほど固く体の周りに巻 きつけていた。 番疑い深そうな大学生でも、そのハ がネのワクについての疑いは洩らしてくれたことかな かった。中にはヒステリックになった学生もいたが、大 体は気分のいいおだやかな人たちだったから、私とし 《、ては文句の 0 けようがなか 0 た。この人たちならシナ やその他の占領地区でひどいことはしないだろうし、 ひょっとしたらいまに新しいもっと気持のいい社会を 創り出しそうな気さえした。そして期日がくると、彼
も、康郎さんのやり方に対しても、ノウというかもしれな 「何でも学部長より偉い地位らしいわ。」 妻が大介にそう報告するのを、康郎は重い気持で聞いてい。いや言うにきまっている。だから、運営委員になると いうのは、やはり康郎さんの自己満足という意味では、立 康郎の気持を一番理解してくれたのは弘子だった。留吉身出世欲と同じで、別にそれが客観的に見て大学のために も長年大学の教師をしてはいるが、女子大の、殊に今は停なるということじゃないと思うわ。」 年で形式的に退職した後の時間講師なので、何といって康郎は何時の間にか、ムキになって弘子の言方に反論し も、感覚的にずれてしまっている。そのくせ、康郎が泊りながら、しかも反対されるのがいやではなかった。何故、 に来ている時に、近ごろの大学問題を話題にするのは、き連営委員なんか引ぎうけたのか、康郎自身が疑問に思って いたからだ。それでも委員をやっていることの正当性を弘 まって留吉なのだが、彼の言分は、近ごろの大学教授はた るんでおる、ということにつきるのだった。だから、弘子子に対して立証すると、彼女は退いて自分の体験を語るの ・こっこ 0 から、 「連営委員というのは断る訳にはいかなかったんですか。」弘子の勤めている学校は、私立学校によくあるのだが、 と聞かれると、康郎はやっと自分の苦しさをわかっても経営者である理事長と、有名な文化人である校長とが対立 どもえ らえる人に会えた、という気分がするのだった。 し、おまけにそれに組合が加わって、三つ巴になって争っ 「つまり、大衆団交反対を主張するということは、ノウとている。そして、その内幕を知ると、どれも救い難い醜悪 いうことだからね。ノウということは一種の決断ではあるさを抱えこんで、結局、そういう争いの圏外に立たざるを けれど、積極的な決断ではない。何かを進んでやることで得ないのが、弘子の立場らしかった。 はす はなく、退いて何もしないことだ。一種の逃避かもしれな弘子と話しこんでいると、最初のうちに。ヒント外れの相 家いんだ。大衆団交にノウということは、それ以外なら、何槌を打っていた留吉もマサも、いつの間にか、テレビの前 のでもイエスということじゃない。しかし大衆団交にノウとに行ってしまい、食卓の前には、カラ茶を飲みながら論争 言った主唱者の一人としては、それ以外の方式のどれをとしている康郎と弘子が残るのだった。しばしば、二人は流 るか、つまり、何がイエスか、ということを示す義務があしで食器を洗いながら論争を続け、さらにその後で、留吉 ると思った。」 夫婦が寝てしまった後まで、話しこむことがあった。 「でも、教授会全体としては大衆団交にはノウであって秋が深まると、夜おそくまでしゃべっていると、何とな けんがい
ー・トーマス・フリ ィッ・フス提督 そして二人で鼻唄で軍歌を唱いながら、どこかへ行って了国東洋艦隊司令長官のサ っこ 0 が、「プリンス・オヴ・ウェールズ」の攻撃されている間 終始艦橋にいて、愈沈没に瀕すると、「乗艦せられたし」 ハワイの奇襲攻撃で、戦争が始ったのは、それから八日という信号を発しながら近寄って来る駆逐艦に対し、「ノ きよしゅ ・サンキュー」と答えて、艦長と共に挙手の礼をしつ 後であった。 つ、艦と運命を共にしたという話であった。彼はこれに、 あつま すすが アメリカの太平洋艦隊も英国の東洋艦隊の主力も数日で清々しく天れな気持を覚えた。 壊減した。日本本土攻撃に備えられていたフィリッビンの彼は戦争で興奮した気分を矢代先生の所へも持ち込ん しようほう 米空軍は立ち上る前に完全に叩かれた。素晴らしい捷報がだ。然し先生は、 「あんまり、一生懸命になって、その方に気を取られて、 続いた。日本中が興奮と感動で湧き立っているように見え 卒業論文もなげやりになるようでは、困るんじゃないか よしだしよういん 耕二の気持も、開戦を境にして大変にはっきりして来な」などと言い、彼に勉強する事をすすめた。吉田松陰が た。彼はこの戦になら、本当に命が投げ出せそうな気がし獄中で同獄の囚人達に論語の講義をして聞かせるので、囚 ゆえ だした。それが自分達若者の光栄ある義務だという風に彼人達は、我々は明日処刑される身の上故そんな話は止めて は思った。 くれというのだが、松陰は、お前達は明日処刑される身で ありながら飯を食っているではないか、人倫の道は飯より ロ髭を蓄えた大男の水兵が、幗子を一寸斜めに 0 て、 誇らしげに大手を振って銀座を歩いていた。今まで、黙っ大事であると言って、講義を続けたという話を、先生は彼 にして聞かせたりした。 て、訓練だけにんで来た日本の海軍が、偉大な存在に思 然し何しろ耕二は戦争の事で頭が一杯になっていた。彼 城われ出した。 耕二たちの仲間は始終誰彼の家に集って、戦争の話に花や彼等の仲間の卒業は繰上げられて、もうすぐ、この夏の の を咲かせた。 休みが済むと、そのまま学生から兵隊に早変りさせられる 年が明け、シンガポールが落し、春の休みになって耕事に決っていた。 二が広島へ帰っている時、彼は新聞で「。フリンス・オヴ・ 徴兵検査の結果は甲種合格で、それに予備学生という制 ウェ 1 ルズ」の生残りの英国水兵の話を読んだ。それは英度が出来て、文科からも海軍の士官候補生になる道が開 こ 0 まナ ひん
* みえ 力しいような見栄をはる傾向がある。車を買った時にも、 「ふん。」 彼女はまず兄の家へ乗って行きたがった。 「八ヶ岳のふもとに土地があるんですって。」 尚子が銀行の貯金のことで、兄に嘘を言っただろうと和 和泉は新聞の轢きにげの記事を読みながら、返事もしな 、。尚子にしても、洗濯が終った子供の服に、穴があいて泉が言えば、尚子は怒って、そんなことはないと主張し、 しなくてもよい夫婦喧嘩をすることになろう。そして、和 いないか調べながら報告しているのだ。 「一人で買うのはちょっと重荷だから、一緒に半分ずつど泉は妻の嘘を非難する気持は全くない。和泉は尚子と結婚 できて、それほど幸福だとは思っていないのに、八年前 うかって言うの。まさか兄は間に立って、もうけやしない ばくん と思うけれど、夏の間だけにしても、隣に一緒に住むのつ反対されたということのために、尚子の兄に漠然とした不 快感を持っているのだ。彼がその電話に出れば、 て、いやね。」 「そうだなあ。そこ、高いのかい。」 「いや、うちにはそんな金ないですよ。」 「五千円とか言ってたわ。百坪で五十万円ね。」 と答えるだろうが、その場合、向うが、 「とんでもない。我々のようなビイ・ヒイのサラリーマノと 「うん。あわてて返事しない方がいいな。」 「そうね。私もあんな所、そんなに気が進まないわ。」 違って : : : 。」 と言うことを、いくらか計算に入れている。 和泉は新聞を読み続けながら、尚子が電話でどんなこと つまり、和泉には尚子の言葉の奥にある事実がわかる を言ったか、ありありと想像できるように思った。 尚子は兄に向って、五十万や百万の金くらい、今日にでし、尚子がそれをどう処理したにしても、それを支持して も何とかなるようなことを言ったに違いない。彼女が和泉もよい、心の準備がある。いや、支持という言葉では不充 分であろう。尚子が何をしても、それは和泉自身の行為と と結婚する時、 同じような意味を持っていると言うべきだろうか。 穴「図案屋なんかと一緒になったって、飯がくえんぞ。それ 和泉と伊藤の場合は、それとは違う。トラ・フルがあれ 同に、何とか喰えるようになったと思うと、すぐ女道楽をは ば、他人に対して、和泉は伊藤を支持するだろう。しかし 偕じめるんだ。そういう連中なのさ。」 マンをしていた、その兄は反対した彼は伊藤の仕事の面、それも彼と関係のある面でしか責任 と大会社のサラリ 1 ふり - 」ら・ のである。そのために、二人の結婚は、危うくだめになるを持てないのだ。四五年前、伊藤が婚約不履行で訴えられ 所だった。彼女はそれ以来、兄に対しては、一層、金廻りそうになったことがあった。その時、和泉は間に立って、 いっしょ
55 春の城 らっしゃいましたが、私たちがーーーあるいは思い過ごしかて、夕方銀座で落合う約束があった。石川は北海道大学の も知れませんが 感じたところでは、小野寺さんは伊吹医学生で伊吹と中学が同級で、耕二ともやはり少年時代か さんの御両親から、貴方が智恵子さんとの事をどのようにらの遊び友達であった。 するつもりか、私の方を通してそれとなく話をはっきりなそれまでの時間、耕二は大学へ出るのも何だか気が進ま よ、つこ 0 さりたい、そういう意向を聞いて来ていらっしやるのでは 十 ~ カー ないかと思われる節がありました。離れていてしい事情智恵子の事とは別に、彼は近頃いつも気分が屈託してい * やしろ が分りませんが、男の方は暢気でいても、年頃の女の人に た。広島の高等学校の矢代先生の感化で、国文科へ入って のんき とっては暢気でばかりはいられないです。年上の方とい はみたが、大学の講義には彼は全く気乗りがしなかった。 どう う事は如何かとも思いますが、もし貴方が積極的にそのお「中古国文学環境論」という題目に惹かれて出帝してみる つもり 心算なら、両親を始め私たちも考えようがありますし、殊と、教授は、 * わみようしようあられ に私たちに子供がありませんから貴方が少し早目に家庭を「あられ。和名抄に阿良礼。雨の氷りたるをいふ、と見え うんぬん たくさん 持って下さる事には決して不賛成は申しません云々」耕二ております。ーー森。これは木の沢山ある所を森と申しま はこれを見終って「へえ」というような気持がした。何だす。林。林は森よりもやや木の少い所を林というのであり おとな まじめ か急に自分が大人になって、「家」につながれて自由を束ます。」そんな空々しい事を、真面目になって講義をし、 縛されるような気がした。どのようにするつもりかと言っ学生たちは、それを丹念にノートしていた。 ただ いわゆる て、只ぽんやり友達の妹と遊んでいてはいけないという事栗村という、同じ国文科の友達が、彼に所謂悪い所へ行 なのかしら く事を教えた。 彼は自分の年で、早々と結婚という事を考えるのはいや「もたもたしてるのは健康に悪いぜ。行って来いよ。ェイ はず であった。第一智恵子自身がそんな風に考えてはいない筈ッという風に掛け声を掛けて入って了うんだ。初めておで しばら だが、と彼は思ってみた。暫く前にも彼は智恵子から暢気ん屋に入る時と同じ事さ。頭がすっきりするよ」栗村はそ な便りを貰っていたが、それには無論そんな事は少しも書う言った。耕一一はその「エイツ」というロ調を思い浮かべ くぐ おおもん ひと いてなかった。 ながら、独りで、小説で知っている吉原の大門を潜った かばん 彼はその手紙を鞄に入れて午後になってから下宿を出が、一度目も、一一度目も、そのんに病みつきになるような ちょうど た。その日は丁度、石川が北海道の帰りに東京へ寄ってい気持は覚えずに帰って来た。 0 のんき こと
二は軍服で来た事を気の毒に思った。応接間へ通され、彼か、その場合の貴様の奥さんとして矢野を考えてみて、ど はさりげない調子で簡単に矢野の事を訊ねた。 うにもまるでびったり来ないんだ。あれは、興信所の調べ 「矢野さん ? 矢野さんて方、数人ございましたけど、矢がどんな風だか解らないが、俺にはどうも好い娘さんだと 野典子さんというのは一寸記憶にございませんが : ・ 。わは思えないよ。貴様は盛んこ、 冫ししいいって言うけど、あ はす たくしこの学校に八年勤めております。その間の卒業生での眠っきは蓮っ葉な眼つきだ・せ。貴様は自分でそう意識し したら大抵全部憶えているのでございますが、 でも一ていないかも知れないが、この前も言ったように、谷井が っと ただいま 寸お待ち下さい。只今名簿を調べてみますから」先生はそあんな事を言って出て行ったのが、相当貴様の気持に影響 う言って、名簿を繰ってくれたが、やはり矢野典子は無かしてると思うんだ。どうだい、 もう一度考え直す事は出来 っこ 0 「改姓でもなさった方では : 「いやだよ」耕二は和田に向き合って、何かに抗するよう 「いえ、そんな事はないと思うのですが」 に言った。「大体貴様、俺が将来又文学をやり、貴様が人 耕二は何処に間違いがあったのか解らず、妙な気持で寄類学をやり、久木が外務省へ帰る、そんな事がどれだけ現 のんき 宿舎を出、下宿へ帰って行った。 実に想像出来るかね ? 俺はいっか俺が又昔のように暢気 翌朝耕二が出勤すると直ぐ、和田が呼びに来て、一一人はな旅をしたり、原稿用紙や小説本をいじったり、そんな時 また 又屋上へ上った。 が来るという事が、何だかもうありそうもないような気が 「今朝早く、昨日の事を塘に聞いた」和田はいやに堅い顔するんだよ。それで何でも無茶をやっていいとは思わない をして言った。 さ。然し唯、俺は現在の自分の純粋な気持には忠実になり 「そうか。どうも不安でしようがないもんだから : ・ : ・」耕たいんだ。へんにもやもやしたくないんだ。もう一一度と来 城二は一寸照れた。 ないかも知れない事なんだぜ。死ぬかも知れないんだも の 「三井中尉との事ね、疑えばそう取れる節があるかも知れの、計算や遠慮気兼ねはもう沢山なんだ。参謀連中や一期 ない。然しこの機会に俺はもう一度貴様に言いたいんだ」 の連中から、スキャンダルと言われようと、敵視されよう と平気だよ。勇気が出るくらいだ。好きと思って、直ぐ結 「俺は貴様の気持を別に不真面目だとは思わないよ。然し婚と、そう結びついただけ、むしろ自分じゃあ今度は真面 士官としての貴様の奥さん、それから将来文学をやるの目な積りなんだ」 どこ ふまじめ ちょ ただ
んだと思っているので、今は生命に何の執着もなく、食堂である。霞ヶ関に在った特務班は、四月の初めにこの海 欲、性欲、名誉欲、睡眠欲を慎しむに少しも苦痛が無い軍大学校の中へ移って来た。 と言っていた。酒を飲んで一緒に踊った。東京で妙なイ食堂の中は一列ずつ、細長いテー・フルが奥へ延びて、白 ざら づら ンテリ面をして話をする報道部の連中など見ていると、布の上に錨のマークの入った白皿が二枚ずつ、昼飯の。ハン そば 堀中佐のような武人らしい武人は気持がいい 。自分は横とハムの料理を載せてずらりと並んでいる。皿の側には名 須賀に一泊。朝早くの横須賀線で帰って来る。昨夜来の 札が置いてある。パンをむしりながら高声で何か議論をし たばこす どな 雪が電線に重ったく積り、陽に溶けて大粒の露になってている者、煙草を契っている者、茶を持って来いと呶鳴っ ・ほた。ほた光りながら落ちている。春が来るのだと思っている者、窓が少いので音が籠って、和田や谷井は、その た。冬の季節の終りの・ほた雪が降って、からりと晴れた中で早目にもう食事を終りかけていた。痩せた青白い額を ふと 翌朝の気分が自分は好きだ。ぬかるんだ道、着ぶくれたしたのが和田で、その向い側の席に肥った谷井がいる、そ たけやふ まわ つつみ 子供、真っ白な刈田やたわんだ竹藪、それらが皆光っての周りに耕二や久木や塘がいる。 いるのを、いい気持で車窓から見ながら帰って来た。そ和田はコッペ・ハンを半分食べ残して、煙草を吸い始め れで今日は日曜。四月初旬に役所は目黒の方へ引越す事た。 になったそうだ。 「おい、貰うよ」耕二は、つと手を伸ばして、和田の残し / に手を出した。塘が「しまった」というように顔を 上げた。元気な者にはパン一つではとても足りなかった。 山手線の目黒駅から近い、品川上大崎の海軍大学校の構「やろうか ? 」耕二は半分のパンをもう半分にちぎって、 内は、樹木が豊富で、春が来るとクロッケのコートに使わ塘と谷井の鼻先へ突き出した。 し ! ふ たくさん れる丘の芝生に、芝が青み、葉を落していた樹々が柔らか「結構だよ」「沢山だ」一一人は意地悪くにやにや笑った。 な芽を吹き、やがて庭の処々の山桜や染井吉野が花を飾る耕二は出した手の収りがっかなくなって、照れて、 よそお の と、躑躅も蕾をふくらませて、一時に美しい装いに変って「和田はどうしたんだ ? 何時も残すな」そう言った。 まゆ 春来る。 「ああ。ずっと胃の調子が変なんだ」和田は神経質に眉の テニスのコートに続く丘の一角に建った、陽のよくあた 間を寄せた。黙って何か刷り物を見ていた久木が、その時 る倉庫のような建物は、若い士官達の為の仮ごしらえの食急に顔を上げて、 つつじつぼみ ため
伊吹は時々、小さなちぬを釣上げていたが、耕二は竿のんに食事の用意をいいつけ、少量の酒を書斎へ運んだ。彼 うわ 方はさつばり駄目であった。大きな魚籃の中に三寸ほどのが何かに勢いづいて浮っ調子な事をべらべらしやべってい かに はぜが一尾入っているだけだった。餌は小さな蟹で、コッると、先生は少しどもりながら、遠慮勝ちにそれをたしな 0 ッと来る、さっと竿を上げると、鉧の先に決 0 て、小蟹めた。そして耕二は何となく新しい勇気をえながら、晴 の薄い甲らだけが残っていた。餌箱は日蔭に置いてあった天続きの夏の夜を、歩いて家へ帰って来るのが決りであっ もっと が、それでも暑さで、砂をまぶした蟹は、白い腹を引っく た。尤もその勇気はいつもそう長続きはしなかった。 たくさん り返して沢山死んでいた。 耕二は町へ出ると、いつもニュース映画を見に入った。 * さんせ、 かっ ね「みいろ 耕二は釣の方はあきらめ加減で、・ほんやり出港して行く鼠色の陰気な画面に、山西の山奥で、分解した砲を担いで ひげづら みなみしなかい 輸送船を眼で追っていたが、色々な事を考えていると、何苦しげに山道を登って行く鬚面の兵士の顔や、南支那海の くちくかん となく気分が沈んで来た。 波浪にもまれている駆逐艦の上で、忙しく手旗を振ってい 「成績が悪いね」伊吹が言った。 る水兵の姿などが映った。彼はそういう写真で時々涙が出 「駄目でがんすよ」と、背後で声がした。振返って見るる事があった。多勢の日本人が、あのような苦しい事を一 と、赤く潮焼けした顔に皺の一杯ある漁師が、大きな鯛を生懸命やっている、あれが本当に国の為になる事なら、矢 ぶら下げて立っていた。 張り自分一人超然として、石川の言うような要領のいい事 「苦が潮が来とるけえ、駄目でさ」漁師は言った。 ばかりはしていられない、どうしても、気持を確かり定め 「やめて帰ろうか」これも成績の悪い石川が言った。 て軍隊に入って、立派な兵士にならなくてはいけない、彼 はそう思うのであった。然しそれが本当に正しい事か、本 当に国の為になる事か、彼には時々分らなくなった。第 城伊吹の家へ遊びに行ぎにくい気持のせいもあって、夏休一、死ぬ事を思うと彼はぞッとした。 うじな みの間耕二はよく矢代先生の家を訪ねた。 彼は、広島の町を宇品へ行進する武装した兵士の列を、 の 先生は彼に鏡の話をし、外の歴史物を読む事を照「この中の何割かは近いうちに死ぬのだ、どの兵隊が死ぬ * かんざんし め、セザンヌの話や寒山詩の話をした。先生は又時々、陸のだろう」そんな空想をしながら、長い間見送っている事 があった。 軍の悪口を少し言った。 耕二が元気の無い顔をしていると、先生は何気なく奥さそして、いずれにしたところで、自分も二年後には行く しわ また さお ため しつ
162 いん ( いくっ 年末の或る日、熊井兵曹長が、捕虜の行進を見たと言っの朝鮮人の淫売窟によく出入りし、昼間は昼間で隊内で、 て外から帰って来た。撃墜した四の搭乗員と称する米人下士官を相手に隠れて酒を飲んでいた。一升を空けるのは の捕虜を二名、眼隠しをし、両方から憲兵が腕をささえ、軽いらしく、のような顔をにやにやさせて、便所〈行 「美鬼」とか「打倒英美」とかいう幟を押し立て、鳴物入くのに廊ドで幾度か逢い、その都度、木原は彼に、 りで漢ロの市中を行進させているという事で、熊井兵曹長「すんまへんなあ」と。へこりと頭を下げるのであった。古 つらあ の話では空襲に憤慨した中国人の民衆たちが、道の両側か手の下士官達は、やかましい事をいう耕二への面当てのよ つば ら、交る交る出て行ってその捕虜に唾を吐きかけたり、殴うに、分隊長の木原と親密になって行った。彼は木原とい う男が、生理的にも不愉快でしようがなかった。その赤い ったりしている様子で、捕虜は顔一面血たらけになって、 酒焼けした卑しげな顔、猫背でひょこひょこ歩く姿、ねと 気力を失い引摺られるように歩いていたという。 「ひどいもんですよ。見ておられんかったです」熊井は言ねととからみつくような大阪弁の話し振り。あくびのし方 メンツ っていた。それは武漢防衛の責にある陸軍側が、空襲で面子一つでも彼は木原の動作がいやでたまらなかった。 を失って仕組んだ政治的な芝居で、四は実際には一機も年があらたまって暫くした或る日、耕二がタ方入浴に行 ナンキン 撃墜されておらず、南京の収容所にいた別のアメリカ人のくと、先に木原が入っているらしく、擦硝子の扉の向うで 俘虜を急いで漢ロへ飛行機で輸送し、それを先日の空襲の湯を使う音がし、脱衣場の箱の中には衣服が畳んで置かれ てあった。彼に冫前から疑問に思っていた事を確かめてみ 四搭乗員に仕立てたものだという事であった。耕二はい るいだな のんき じんもん つか訊問した暢気そうな若い捕虜は使われなかったかしらたいという気持が湧いた。そっと様子を見て、衣類棚から もっと ちょっと と、一寸思った。尤もそれはそんなに気にはならなかっ静かに木原のズボンを曳き出し、あまりにも予期した通 た。見に行ってみたい気もないではなかったが、今からでり、その物が其処にあるのを見て、彼はハッとした。それ わにがわ はもう追付かないかも知れないし、とにかくやめにした は、いっか、戦死した久木が東京で盗まれた鰐革の・ハンド が、し彼は一体に、自分がこういう事柄に対し、次第にであった。・ ( ックルを使わず、穴で留めるようにした式の れんびん 無感覚になって行くこと、自分の中から憐愍とか親切とかもので、久木が特務班で自慢していた事があって、彼には 明らかな見覚えがあった。急いでズボンを元通りにする いう感情がだんだん脱落していく事も感じていた。 木原中尉は「清流」の流れ者の女達に少しももてないとと、彼は服を脱ぎ、素知らぬ顔をして硝子戸を開けた。 もうもう せつけんあわ いう事で、そのせいか、猟奇的な気持からか、下士官兵用湯気が濛々とたちこめ、その中で頭に石鹸の泡を盛り立 ふりよ ふんがい のり すりガラス