大学ではもうさよなら講義と試験とが前後して始ってい * とうこうはくにのぞみ しいとしていずくによらんとっす そうだいドゆかく 諌綿薄暮望。徙倚欲何依。 耕二の聞いていた「宋代儒学」の講師はしめくくりの 樹樹餡。〔唯落暉。 ぼくじんとくをかってかえり りよう ! きんをたいしてか・鷲る 六七行を読んで了うと、学生達の方を向いて、 牧人駆犢返。猟馬帯禽帰。 あいかえりみるにそうしきなく ちょうかしてさいびをおもう 「以上で約一年有半にわたった私の「宋代の儒学』と題す 相顧無相識。長歌懐采薇。 る講義を終ります」と言った。 というのと、 「在学三年の諸君とはこれでお別れでありまして、諸君は その十六七年の長きに及んだ学生生活を了えて、ここに新 かどで しく社会への首途をされる訳でありますが、国の情勢は諸 城闕三。風煙望津。 はな おなじくこれかんゅうのひと きみとともにりべつの 君に必ずしも華やかなる前途を許さず、大部分の方は直ち 与君別意。 同是宦游人。 てんがいひりんのごとし かいだいちきをそんす に軍に服して征戦の事に従われるものと思います。私は諸 海内存知己。天涯若比鄰。 けっぺっ じじよとともにきんをうるおすを なすなかれきろにありて 君と訣別するに当って、言うべき言葉を知らない者であり 無為在岐路。 児女共沾巾。 くそう * がくようろうき せんく * はんぶんせい ますが、ここに北宋正学の先駆、范文正公の岳陽楼記の一 もっ 節を高唱し、以て諸君の恐らくは苦難の多い前途に対し、 という詩であった。 はなむけ ささやかながら餞の言葉としたいと思います」 先生は自分で書いた詩をすぐ黒板拭ぎで消した。白墨の そで 講師はくるりと後を向くと、黒板に漢文を書きつけ、粉が背広の黒い袖にかかったのをはたき、朱先生は一歩退 びようどう すなわそのたみうれ 「廟堂ノ高キニ居リテハ則チ其民ヲ憂工、江湖ノ遠キニ処いて、 これ リテ ( 則チ其君ヲ憂ウ。是進ムモ亦憂 = 退クモ亦憂ウ。耐「再会再会」と言 0 て、学生達の方へ頭を垂れた。 いずれのとき ラ・ハ則チ何時ニシテカ楽シムャ。其レ必ズャ言ワン。天耕二はあとで唐詩選の註釈書を見ていると、「野望」と 城 ちょうざん いう題の前の詩の解題に、「秋タ凋残の景色を叙べたるが 下ノ憂ニ先ンジテ憂工、天下ノ楽シミニ後レテ楽シマン の 力」と、朗々と声を挙げて二度繰返し、一揖すると、身を為め、或に町く際のびんとするを悲しむなり」とあるの 春。、して教室を出て行った。 に気がついて「おや」と思った。 とうし 朱先生は最後の時間に唐詩を一一つ黒板に書いて、それを耕二の海軍へ入る日取りも決定した。それは、九月三十 ーぎんしよう 日佐世保海兵団集合で、その上でどこか外地へ訓練に連れ 吟唱して聞かせた。それは、 ) 0 しま ツアイホイ
うまくゆかず、夫が多恵子のことを家でロにしなくなるが知らない言行を告げロしたというのではないが、清にし ても職場の人間関係や、研究所の経済上のデリケートな状 と、自然に彼女のことを忘れてしまった様子だった。 中務も何カ月か多恵子につきまとっていたが、求愛は失態について誰かに理解しておいてほしかったが、それが多 敗したらしい。彼女が入社して一年ばかりたってから、中恵子しかいなかったということなのだ。 氏から電話がかかってきたら、こう答える。氏から 務は既製服会社に勤めている友人にさそわれたから、と言 のこういう質問には、こう言っておく。ほかの事務員だ って研究所をやめていった。 うちかぶと 夫婦の間でも情熱が持続するのは結婚一二年の間で、そと、清の内兜を見すかされそうで言えないことが、多恵子 になら言えた。彼女は秘密を守るし、電話がかかってきた の後は異性というよりも、肉親に似た感情が強まってゆく ように、職場の男女の間にも、関心が急激に高まる時と、時、受話器をとるのは、まず彼女だった。 小さな研究所には組合などなかったが、多恵子は従業員 潮の引くようにそれが消えてしまう時期があるようだっ た。幹也との縁談の世話をしたり、中務がやめた後に、彼の不満や要求をよく伝えた、盆暮になると、清は多恵子か 女から、中務の押しの強さや身震いするような不潔感のこら聞いた話を胸にしまって、皆の前に通帳をさらけ出し とを聞かされて、忠告めいたことを言っているうちに、清て、ポーナス交渉をした。従業員というと記者が過半数で ぎぜんてき あり、彼らは午後の暇な時間に、他社の原稿書きやコンサ は最初はいくらか偽善的な感じがないではなかったが、い つの間にか彼女を異性としてよりも、頼りになる下僚としルタントの助手などの内職をしていたので、ポ 1 ナスに目 の色を変えるのは高田たち二三名の事務員だけだったか て考えることの方が強くなってきてしまった。 しかしそうなってからの方が、清は彼女を仕事の上の相ら、多恵子からの話で、彼らの考えは見当がつくのだっ 談相手として頼れるようになった。記者は研究所より、自た。 人分の仕事、自分が自由業の人間として独立することを考え記者たちは一人一人、清にむかって要求することは要求 なているし、他の事務員は、月給分だけの仕事しかしたがらした。しかし事務員たちはその勇気もないままに、何時の ない。多恵子はアル・ハイトや印刷係、女給仕を除くと、研間にか多恵子に代弁を依頼するようになっていた。事務員 しんざん 齦 究所で新参の方ではあったが、研究所内の人間関係や、仕の中の最古参の高田までが十以上も下の多恵子に頼むのだ 事のことについて、自分の問題として、清に提案する唯一つた。 の人間だった。多恵子はス。ハイになって、同僚、先輩の清「所長、菱田さんにも口そえをお願いしときましたが、昇 みぶる
「君は恋人がいますか。」 「お招きは有難くお受けしますが、要するにいただけるん 加奈子は驚いた顔をした。 ですか、ダメですか。」 「こんなことを聞くのは失礼なんだけど、実は、君が一年受話器の底で、笑い声が聞こえた。 のころから好きだった。できれば結婚したいと思う。た 「さし上げます。一生、面倒を見てやって下さい。御承知 だ、僕は君より十も年上だし、教師の収入なんか知れたもの通り、できの悪い娘ですが。」 のだから、貧乏させることになるけれど : : : 。」 その年の謝恩会に、康郎は出席しなかった。婚約した女 加奈子は体を堅くして聞いていた。それはハーディを教が学生としている席に、教師として出席する勇気はなかっ えた時の弘子と似ていた。しかし、あれから、六七年たっ た。しかし後で聞くと、新卒学生が次々に卒業後の計画や た康郎は、性急に娘の体に手をかけないだけの分別を持ち就職先を話すうちに、加奈子の番になると、誰からともな あわせるようになっていた。 く拍手がおこって、鳴りやまなくなってしまった。加奈子 「何だか、教師として、君に要求し、 0 ているみたいなは両手で顔をおお 0 て立往生したが、にそのまま坐 0 て 感じになっちゃったけれど、僕は君に愛してくれと幀んでしまった。誰か気のきいた学生が、仲間の拍手や笑声をお あわ いるのだ。キザにならないなら、ひざまずいて、君の憐れさえて、 みを乞いたい気持だ。」 「はい よくわかりました。では次の方。」 「そんな、そんなこと。」 と言ってくれなかったら、加奈子はその席にいたたまれ 「しかし本気なんだ。考えておいて下さい。」 なくなったかもしれないという。康郎はその話を聞いて加 加奈子は夢遊病者のように研究室を出ていった。翌日も奈子を哀れに思った。自分のために、彼女が不当に苦しん 翌々日も、加奈子から、電話も手紙もこなかった。彼がそでいる、という気がした。 あきら 家ろそろ諦めかけている時に、彼女の父親の大介から電話が 五 のあった。娘がいろいろお世話になっている上に、先日は特 マサも留吉も息子がいつまでも結婚しないことに、よう 一一別のお話があったようだから、ゆっくり食事をさし上げた かんじん いということだった。康郎はそんな挨拶よりも、肝腎なこやく心配しはじめていたから、彼が結婚する決心をしたこ とだけが聞きたかった。しかし電話ロのそばにマサがいたとはむしろ喜んでいたが、同時に、嫁が幼すぎることを危 ので、 ぶんだ。すくなくとも、年も三十近くになり、社会経験も あいさっ むすこ
いるのであろう。 建物を出たとき、一人の学生が近づいてきて、「三浦 先生は今、どこでも教えておられないのですか」 と尋ね、氏がうなすくと、 「ばくは先生が希望の星でした」 と、はつんと言って去っていった。 「ワア、 こと聞いちゃった′ . 」と氏 私はつい、 をからかったが、、いの奧ではしんとなった。 ー風景 「二つの家」には、大学の先生の主人公が、事業家の の娘を妻にし、その妻のほうが生活上の主導権を握っ いて、三浦半島の先端のマンションに住むところがで 穴 一口 てくる。「妻の父親と彼の仲間がそこにヨット・ ーを作り、ヨットの所有者が利用するためのマンシ ョン」である このヨット・ ーヾーは実在する。三浦氏の山荘が この近くにあり、氏は年に三カ月ほどそこで仕事をさ 本れるそうで、おそらくそこでの見聞を利用したのだろ そこを訪れたときは、幸い晴天で、車窓から見る海 青 もごく鮮やかであった。ただ私は体の具合がわるく、
た。彼が大変な見当ちがいな言い方をしたのだろうか。たそして、ケイは戦後の日本のさまざまなことを記憶して * ぼくとうきたん とえば澤東綺譚の女主人公の服装を、「新選組」という映いないくせに、意外なくらいよく英語で伝えるのだった。 画に出てくる芸者を基準にして考えるような過失をおかし金沢はある程度までは言うものの、どうせわかりつこな たのだろうか。しかしそれはそれとして、坂本龍馬の恋人 という風に沈黙してしまうのに、ケイは彼の言葉を受 の和服と、大正時代の売笑婦の和服に共通点があるようけて、徹底的に米人たちにわからせようとするのだった。 に、西部劇のサルーンと、「卵」のレストランに、共通点「私は一九四二年うまれで、よくおばえていないのです があるはずだった。 が、母からよく聞きました。普通の食事が一日に一度たペ 彼は笑われたのが心外だった。笑われたことよりも、そられたら、その日一日、とても幸福だったそうです。朝は じゅうそう 家畜用のとうもろこしの粉に重曹を入れた・ハンに、人造・ハ の笑いの内容がよくわからないことが心外だった。 「私の言ったことに大きな錯誤があったのか。」 ター。昼は、むしたさつま芋に、お漬物。夜は御飯に魚と と言うと、教師が、 野菜の煮たもの。」 「いや、そういう訳ではない。もしあなたが感情を害されそういうケイの話を聞いているうちに、彼はまた一種の たのなら、私がクラスを代表して謝る。」 屈辱をお・ほえるのだった。あの占領されていた時代は、 笑いはおさまったが、教室の中の空気が何かこわばって やはり米人の前では忘れてしまいたい過去であるらし しまった。彼はそんな強い言い方をするつもりではなかっ かった。そして、「愛玩」を説明するために、苦しかった たのに、と後悔した。 日本のあの時代を復元するのを聞きながら、彼は、 「それでは、「愛玩』にはいって。」 「君たちにも、スタインペックの「怒りの葡萄』の時代が と教師はまず英文として不適切な表現の吟味をはじめあった。」 た。それもただ、通りのいい英語になおす、というのでは と言いたくなるのだった。 なく、その部分の日本語が持っている = 、アンスをうるさ帰りは金沢と一緒になったが、話は「愛玩」やアンダー くわ いくらいにつきとめ、道具、たとえば鍬の形、使い方、代スンのことではなく、ケイのことになった。金沢は彼女が 用食としての芋の料理法、食器、平和な時代の典型的な日英語のうまい理由を説明した。 本の献立などを問い正しながら、それを註にして書きいれ「彼女、男出入りが激しいんだなあ。日本の女子留学生 てゆくのだった。 の、悪いタイプだなあ。」 つけもの ぶどう
「さ、やめた。帰るぞ。後たのんまっせ。おい、和泉、行 れてくる。いつもより肝臓の薬が多いようだ。 こうや。」 「昨夜そんなに飲んだのか。」 伊藤はガレージへ行くのかと思ったのに、そうでもな 「うん。それより、奥さんとケンカでもやって来たのか。 おちゃみす 。そしてタクシーをとめるでもなく、ぶらぶら御茶 / 水 いささかグロッキー気味だぜ。」 「いや、今日は何だか仕事がいやでなあ。あきちゃったのの坂を登り出した。彼等は小川町の小さなビルの一室を借 りているのである。 かな、もう。」 伊藤は自分で切符を二枚買い、先に改札口を通ると、和 「大金持の心境だね。おれのような独り者には、お前がど うやって、税金を払って、妻子をくわしてるか、じっくり泉の方に顎をしやくった。 「どこへ行くんだい。」 聞きたいもんだ。」 ひとにぎ 伊藤はそう言ってニャリと笑い、一握りの薬をのみはじ「黙ってついてくりやいい。」 下り電車の中で、二人は雑談とも仕事の打合せともっか めた。お茶でむりやりに食道に流しこむと、胸をたたく。 「君がさ、そうや 0 て、胸をたたくのを、昨日も一昨日ない話をとぎれとぎれにした。伊藤は人目をひく女が乗 0 てくると、それとなくそちらの観察を怠らない。そういう も、その前もみた訳だよ。」 「しかし十年前は、薬なんかいらなかった。第一、金がな時、下唇がっき出て、ふてぶてしい、しつ 0 こさが頬か ら顎にかけて、にじみ出てくる。彼は女にかけては、・フル いもんな。そんなのが気になるのは、スラン。フなんだよ。 けんたいき ドッグのように強引だと聞いている。和泉は男だから、彼 倦怠期という奴さ。今日は仕事を早仕舞して遊・ほうや。」 しかし事務所へ出てしまえば、なかなか早仕舞という訳のそういう面を知らないが、下唇をつき出した彼の顔を見 うわさ に。いかなかった。今日中に片付けなければならない仕事る度に、その噂は本当だろうな、という気がするのだ。 もあり、電話や来客もある。和泉は早仕舞という約束を忘和泉に対しては、伊藤はさつばりして、つき合いよい仲 れたのではなかったが、二時すぎると、もうあまりあてに間だった。二人で一つの仕事をする時でも、意地になって していなかった。気が進まないながらも、トレーシング・ 自分を主張することはしなかった。それだからこそ、今ま ーの上に、軟い鉛筆で、グラビャ頁の割付の下絵をで十年も、一緒に仕事をしてこられたのだ。 おぎくぼ かいていると、隣の伊藤の机でパチリと鉛筆を製図台に置新宿をすぎても、伊藤は腰をあげる気配はない。荻窪へ 行くのかな、と和泉はふと思った。二人がはじめて会った く音が聞こえた。 やっ あご したくちびる はお
役にも立たんが、車の運転くらいはできるよ。」 れ「そうよ。だから、あたしは今でも学校時代の人や、お勤「ホテルからだろ、この電話は。」 交換手の声が聞こえたように思ったので、良樹は念をお めに出ていたころの人とおっきあいしないの。」 ・フザーがなった。六時ちょっと前になっていた。則子がした。勤め先から女房の暇つぶしの依頼の電話をかけると は考えにくかったからだ。しかし田代の元気な声がはねか とび上った。 「あら、大変。お話に夢中になって、お夕食まだ何もしてえってきた。 「うん。会長室からだよ。女房もその父の会長も、ここに ないわ。」 いるんだがね。とにかく、退屈してるんだよ、女房は。」 則子は帰ってきた久住の胸にすがるようにして、鼻声で あやま 謝った。久住は照れたように、良樹にウインクして、 田代の明るい声に引きずられて、良樹も罪のない遊びに 「おい、一彦はどうした。」 さそわれたような気になった。しかしすぐ、田代の声にど 「今日は塾の日だから、もう帰るわ。」 こか作った明るさがあるのに気づいた。 「じや一彦が帰ったら例のチャンメシ屋に行こう。甲田、 いいんだが 「ねえ、どうだろう。いっか適当な機会で せつかく 折角よんでおいて、よそへ連れだすなんておかしなものだ が、近くに住宅地にしたら、ちょっと喰わせる店があるん返事をしないでいると、田代がかぶせるように聞いた。 しつよう だ。則子、お茶でもくれ。」 声ばかり明るいのに、執拗で、もし良樹が答えなければ、 久住はオ 1 ・ハ 1 をぬぎすてて、背広のままテープルにむ くり返し、同じことを言ってきそうだった。 「おれの仕事というのは、奥さま方の暇つぶしにしかなら んもんかなあ。」 九 「いや、そんなことはないよ、君、何言ってんだ。」 田代から電話がかかってきた。資料をそろえて原稿を書田代はせきこんだ声でそう言い、とってつけたように笑 き出した時だったから、良樹は不機嫌な声しか出せなかっ った。気のせいか受話器の底でカリ、カリというかすかな こ 0 音が聞こえた。良樹はふと、田代が指先に電話のコ】ドを 「実はね、女房が君の取材の時についていきたいと言うん巻きつけている光景や、メモ用紙に意味のない線を書き散 だがね。よかったら連れていってやってくれないか。何のらしている様子を想像した。顔は笑っているくせに、指先 っこ 0
を聞く気力もなかった。同じ女事務員が出てくると思うだ 人生の横綱になろうとしているのではない。年寄の株か、 小料理屋の店でも持てば充分だと考えている。これで一生けでも不愉快だし、彼女は病状は知らないにきまっている ささやかな幸福と安定した生活が送れるという保証を望んし、住所は教えてもらうために、たつぶり十分は待たされ でいる。それは良樹にしても同じことだった。彼は重役にる覚悟をしなければならない。 なるとか社長になるというような形で、人生の歯止めを手良樹はしばらく爪の会のことは忘れようと思った。とに に入れることはできない。仕事はある時はよく、ある時はかくこの会は精神衛生に悪い。しかし取材にとび廻った 悪いが、恐らく、年をとってくると次第に世間との間にギり、原稿を書いている時は忘れられても、疲れた時など、 ャップができてきて、受け入れられにくくなるであろう。青空にポツンと黒雲が現われて、それが見る見る拡がるよ うに、爪の会のことを思い出して、心が暗くなるのであっ 「金をためなきゃいかんなあ。」 良樹は近頃よくそう思う。そんなことを仕事の関係者にた。そのきっかけは、自分の爪を噛んでいて、思い出すこ 聞かれたら、冷笑されるか、 ともあり、飲食店のポーイや、作業服を着た男を見て、田 「甲田もそろそろあかんな。」 代や久住を連想することもあった。しかし爪の会を思いだ と陰口をきかれるのがおちである。しかし良樹がそう思すきっかけになるものは急速にふえて、間もなく、何を見 いこみはじめたのは、本当に彼が落ち目になったことかもても、爪の会のことを思い出し、自分の将来の生活のこと しれなかった。それならそれで、一層、金がほしい。そうが不安になるのであった。 いうあせりを感じだしたことから言っても、彼は爪の会の仕事で江東地区の防潮堤を見に行った帰りに、斎藤のエ 会員になる資格がありそうだった。 場が近くにあるのを思い出して、良樹は車の物入れにあっ 良樹は役所にいるはずの室津に電話をかけてみた。中学た斎藤の名刺を頼りに、その工場へ行くことにした。良樹 がこれまで何度か経験したように、斎藤も良樹によって自 会を出て以来会っていないが、爪の会にはいったのだから、 の名前くらいはお・ほえていてくれると思ったのだ。しかし不分の会社が有名になることを期待して、卑屈になるだろう か。ならなければ、良樹のうしろにある強大なものの力を 愛想な女事務員の声で、 爪 ひけらかしてもよい、と考えた。 「室津課長は病気で欠勤です。」 斎藤の工場はゴムの焼ける異様な臭気のただよう区画に と言うなり、良樹が反問する間もなく、一方的に電話を 切ってしまった。もう一度ダイヤルを廻して、病状や住所あって、しかもその発生源であった。狭い空地に粉炭が山 ひろ
298 言ったことなのか、彼が勝手に誤訳したことなのか、いさ ように、この異国の大学にうかんでいる心細い存在なのだ。 米人たちは日本の大学から、彼らの大学のやり方に興味さか心許ない。 よどみなく流れる教授の言葉の中で、一瞬たりとも立ち を持ってやってきた男を、当惑と好奇心と誇りとを交えた 気持でむかえているようだった。その証拠に、彼らの仕事どまってはならないのだった。 turn という動詞の後に、 ていねい きげん の内容と問題点を、彼がたずねれば機嫌よく、丁寧に説明何か一種の破裂音が伴ったのを、彼の耳はとらえても、そ れが過去を示す ed なのか、 out かそれとも、 it か at か してくれた。 彼はまた、二十年ぶりくらいに、学生に交って、教室にはわからない。立ちどまって考えてみれば、前後の関係か すわってみた。その時々の必要に応じて、一年生用のクラら、それは「判明する」という意味の 'tu 「 nout' である ことは納得がゆくのだが、それには以後一一三秒の間に語ら スから、大学院用のクラスまで。そして、それは意外なく らい楽しいことだった。それというのも、彼が客であるたれたことを、全く犠牲にしなければならない。 いや、犠牲になるのは、決してその二三秒間のことだけ めだった。 単位の心配も、卒業や就職の不安も、おまけに、生活のではなかった。一度、見失った文脈は、またその尻尾をつ かまえるのは、大変な苦労だった。それは日本語の話を、 苦労もない状態におかれてみると、教室や研究室へ行くこ とが、この上なく楽しいことなのだ。彼は自分がかってな居眠りしながら聞いていても、目をさました瞬間から理解 いほど、いそいそとした気持で大学に出かけてゆくのを、 できるのと較べると大変なちがいだった。 「おれは、どうかしてしまったのではないか。」と思いなが講義を聞いた後で、彼はよく自分を、自転車で・ハスを追 ら眺めるのだった。 いかける人間になそらえた。米人の学生たちは・ハスの中 川田は自分が学生生活を送った薄暗く冷たい大学の建物で、・ほんやりと、ある者は居眠りしながらすわっている。 を思った。そして、二十年近くもっとめてきた、大学をただ彼一人が、汗をたらして、自転車で・ハスに追随するの だ。ある時間は彼は・ハスと並んで走れる。しかし、石ころ 雑用がこれでもか、これでもかと、おそいかかってく る職場をーーー思った。しかし、ここでは人の研究のテーマと一つのために、人を一人よけたために、彼は・ ( スに抜かれ る。一度、・ ( スとの間に距離ができはじめると、それはも その苦心を聞き、教室で、その結果を聞けばよいのだった。 もっとも、彼は教授の講義がよくわかるのではない。何うひろがるばかりだった。やがて、彼は・ ( スを追うことを となくわかるのだが、聞きとりえたと思うことは、教授の諦めてしまい、道端に息をきらせて立ちどまる。そして、
に出ると、田淵が白い車の運転台から手を振っていた。 いささかオー ・ハーだとは思われるが、とにかく・ハーティを 「やつばり、医学部というのは、・フルジョアですな。文学する時のアメリカ婦人によく似ていた。いや、事情を知ら 部には車を持っているのなんかいませんからね。」 なかったら、二世の女性だと思ったかもしれない。 「なーに、中条さんだって買えるんですよ。それを先生、 食事はスープからはじまって、大きなハムのステーキ すっかり飲んじゃうし、それに、文学部というのは、下町と、つぶしたじゃが芋とサラダだった。その料理も味つけ に近いから、先生のア・ ( ートから、歩いて十分。買物もそも、彼がそれまでに招ばれた米人の家の夕食のそれと、お の辺で間にあいますから、いらないんじゃないですか。 そろしくよく似ていた。 ・ : それに、あの先生、顔が広いですな。『ハイ、』なんて、 「修一郎は ? 」 通りすがりの女の子に挨拶されているから、女子学生かと「寝かせましたの。・、 ′ーティがあるから、と言って。」 思うと、半年くらい前にビャホールをやめた娘だとか、イ「いいじゃないか、別に肩のこるお客様じゃなし。」 タリー料理屋の地下室の遊戯場で、・ハチンコゲームをやっ 「でも、くせがつくと困りますから。」 た相手とか。」 田淵はちょっと不快な顔をしたが、すぐに彼にむかって 病院は岡の上にそびえていて、その片側が医学部、反対徴笑をうかべ、ビールをすすめた。 側の緑にかこまれたあたりに、病院、学部の教職員、看護「うちの息子、日本語が全然だめなんだ。」 婦の宿舎などが点在していた。緑の樹木のしげつた斜面田淵が溜息まじりに言うのに、夫人の方は、 とん に、道が迷路のように、うねり、分岐していて、その道の 「ええ、もう殆ど英語でくらしてますから、あたくしも、 奥には、数軒ずつの住宅が並んでいた。 なるべく、修一郎とは英語を使うように心がけています 田淵の家はその一軒で、部屋数にして、三四室の小住宅の。」 町だった。田淵夫人というのは、夫の言葉によると英語がで「その割にお前、うまくならないじゃないか。」 あきなくて、買物にも不自由しているというが、そう思えな「だって、あたし、遠慮してたんですよ。あたしなんかの いくらい、アメリカ風の女だった。彼をむかえる時の、両ひどい発音がうつったら大変だと思って。ねえ、川田さ 楡 手をひろげる時の身振りや、高い躑の靴をはいて、かなりん、最近まであたしは息子に日本語で話しかけてきました 正式の服を着ているあたり、夕食に招ばれる、とはいっての。聞けばわかるらしいんですのよね、でも、それじゃ勉 も、ごく内輪の、わずか三人だ、ということを考えると、強になりませんから、米人の女子大生に子守りを頼んで、