品としてのよしあしを問わなければ、ちゃんと・ヒントの合日本人ができてからは、米兵が民家に突然遊びにくる、と いうこともなくなった。しかし、戦後のそういう時代に、 った写真をうっしうる国なのだ。それだけに、美しい女性 を見たからといって、 英語をしゃべれない英文科の学生であることは、つらいこ とだった。売笑婦さえ、米兵と笑いながらしゃべっている 「写真をとらせていただけますか。」 とたずねることはできない。「電気のケース」という言のに、彼は英語の教科書を音読したことを除けば、英語を しよせん 口にしたことは一度もなかったのだ。 いまわしに考えこんでしまう。所詮、外国というものは、 というよりも、演技をし 彼にとって、絶対にわからない、 川田は敗戦の翌年の夏のある日のことを思い出す時、今 ているという意識から逃がれられないものかもしれなかつでも顔が赤くなる。彼は上野公園の一部の、駐車した車と 車の間に、・ ほんやり立っていた。すると米人の運転する車 が一台やってきて、彼の足許を指さして、 と言った。彼は上野公園の位置をたずねているのだと思 戦争中に教育された川田にとって、英語とはしゃべるも リウッドの映画を見ても、その中の言 のではなかった。ハ 葉と、英語の教科書が同じ言語であるということを、知識「あなたは今、上野・ ( ークにいる。」 と言った。米人はなおも、 として知ってはいても、実感としては持っことができなか と叫ぶ。彼も負けずに、 彼は軍服を着た英文科の学生として、終戦をむかえた。 おおげさ 「ここ、上野公園。」 復員してから、大学を出るまでの三年間大袈裟に言うと、 と叫びかえした。やがて米人はあきらめてどこかへ行っ 絶えずビクビクしてすごさねばならなかった。 てしまい、彼も駅の方へ歩き出した。その時になって、や 近所の家に米兵が来た、というようなことがあると、 っと、・ハークという単語に、公園という意味と、駐車する 「川田さんとこの息子さんが大学の英文科だから。」 という意味があることを、彼は思い出した。 と誰かが思い出して、彼を呼びにくる。幸いなことに、 みやけ そんなことがあってから、彼は米兵の土産物屋の店員を 二三度そういうことがあった時はいつも、彼は不在だっ た。そのうち、退屈な米兵を相手にすることを職業にする二三カ月やった。すぐやめてしまったのは、彼が英文科の こ 0
次の・ ( スがやってくるのを待つ。その間にも、米人の学生じなかったが、むしろやさしいことに困ってしまう。 たちは、居眠りをしようと、よそのことを考えていよう風が吹いて、彼が借りている家の前の電柱にある、電話 と、とにかく、・ ( スに乗って、目的地についてしまうのの継電器らしい電気のケースの蓋が、吹きとばされ、ずら りと並んだスイッチの部分がむき出しになった。雨でも降 講義を二つも聞くと、頭がの・ほせたようになる。そんなると、シ ' ートして大変なことになるだろうと思って、 に努力して聞いているのに、教授がつまらないことしか言田は学校の行きがけに、家主であるモーテルのおやじに言 ってゆこうと思った。 わないと、彼はむしろ腹が立った。 はる モーテルの事務室へ、 それに較べると、二人きりで話すことは遙かに楽だっ た。槌を打ったり、質問したりして、相手のス・ヒードを「お早う。」 と言ってはいったのはいいが、彼はその時になって、 ゆるめ、いわば相手につかまって走ることができる。彼が あいま、 「電気のケース」というような曖昧ではあるが、簡単な言 文脈をとりちがえて、見当ちがいの質問をすれば、 い方に自信がないのに気づいた。電気とケースをとい 「いや、そうではなくて、 という風に説明してくれる。その緞階では語学力の不足う単語でつないだのでは、英語にならないように思「た。 と理解力の不足、常識の欠如などが一緒に働くから、彼と変圧器の蓋とか、継電器のケ 1 スとかいうなら、言いよう がある。しかし、日本語で言う、「電気のケース」という しては、語学力のことで困ることは、あまりなかった。 もっとも、それは大学のスタッフを相手にする時に限らような、不正確であるが、簡単でよくわかる言葉は、彼の 彼ま自信のない、長たらしい説明をし れた現象かもしれなかった。彼らは何といっても教養があ英語では言えない。 , を り、川田の英語力の不足を、一般の人以上の想像力で補いた。モーテルのおやじは、果して、 「え」 町ながら聞いてくれるから、会話がとどこおりなく進行する と聞きかえし、片耳を彼の方につき出すような身振りを 田にしても、 あのかもしれなかった。また、川 しぐさ 楡「転向ということは、日本の文学では大きな問題で、一九した。こういう仕種、片耳をつき出して、顔をしかめ、横 三〇年ころから、政府が共産主義の弾圧を強化してから目で彼の顔をにらみながら、彼のあらゆる表情、あらゆる 音声を聞きとろう、とする態度に、彼は意外な所でぶつか 四は、いわゆる進歩的インテリ、学生は : : : 」 というようなことを英語で言うことは、さして困難を感るのだった。 ・こ 0
ずっと英語をしやべってもらって、近くの米人の子と遊ば英語のように、教養ある米人には通じても、一般の人には せて、小学校は勿論、近くの公立学校へ入れて・ : ・ : 。だか理解されにくい英語だった。少年がほしいと答えると、彼 ら、そういっちゃ何ですが、英語だけは、どうやら。え女は、 え。おかげで、あたくしなんか、はずかしくて、子供の前「フ、フン」 では、英語、使えないんですの。」 と答えて、コップに一杯ついでやった。ほかの英語はヘ そこへ 、パジャマの子が、寝室から出てきて、手洗いにたくそなのに、この発音だけは本物だった。このフ、フン いったと思うと、またおとなしく、寝室へ帰ろうとした。 という、米人がよく使う答え方は、尻上りに、丁度、 「おい、修一郎おいで。」 ファくらいの高低をつけて言う。彼などは、有難うと礼を 「あなた、およしなさいよ。」 言ったのに、こういう答え方をされると、何だか、鼻であ 子供は七八歳くらいで、はじめ不機嫌な顔で、まぶしそしらわれているようで面白くない。そして、これは言葉と うに目をこすり、食物の並んでいるテープルを眺めていた いうよりも、肩をすくめる時の身振りと同じ種類のものの が、一一三度あくびをしているうちに、目がさめたのか、父ような気がして、なかなか真似をする勇気がでないのだっ 親の脇の椅子にすわった。 た。そして、こういう場合は、「フ、フン。」と言えばいい 「ジュースちょうだい。」 のだと思いながらも、昔英語の教科書で習った通りの答え 日本語がダメどころか、立派な日本語だった。 方をしてしまうのだ。彼はわざと日本語を使うことにし こ 0 ・カワ 「英語でおっしゃい、英語で。それから、ミスタ 1 ごあいさっ 「いくつ、修一郎ちゃん。」 ダに御挨拶して。」 子供は川田に挨拶をし、それから、今度は英語でジュー 「八つと、ええ、八つと七カ月かな。」 スをくれ、といった。それはまた、完全な英語だった。米「学校では何が好き。」 国の子供特有の、ちょっと鼻にかかった言い方で、彼には「うーんとね、あのね、 「ナウ・ゴ ュア・べッド。 細かい部分がかえって聞きとりにくかった。夫人はジュ また夫人がへたくそな英語で言い、ジュースを飲みあげ スをコップに半分ほどっいでやり、 た修一郎の手をひいた。 「ドユウ・ユー・ウオント・サム・モア」 「日本語うまいじゃないですか。」 と英語で言った。なるほど、ひどい英語だった。川田の
「だめなんですよ・もう。お父さんが教えちゃうから。こ 「日本語は、日本へ帰ったら、いくらもお・ほえられますも こうた の間も何とか小唄というのを教えちゃって : : : 。」 夫人と修一郎が寝室へ行くと、もう一度、彼は言った。 「そうすると英語を忘れる。大人とちがって、子供の場 「日本語うまいじゃないですか。」 合、両方を持っということは、父が日本人で母が米人であ 「しかし、全然、書けないし、読めない。女房はアメリカゑといったような場合を除いて、むつかしいらしいです へ来たら、英語を身につけるべきだ。アメリカで日本語をね。」 お・ほえるのは、この国で日本食をたべようとするくらい、 いつの間にか、ムキになって、夫人を相手に議論をはじ 無理だ、というんです。一応、筋が通ってるみたいだし、 めた自分に厭気がさして、彼は話を適当に切りあげて、帰 それにこっちも研究がいそがしいし。」 ることにした。 「しかし、あなたたちは、日本語で家庭のくつろぎを持て帰るといっても、田淵の車で送ってもらうより仕方がな けいこう る。それだったら、修一郎君も日本語でくつろぐべきです 。螢光のような車の計器盤の明りに照らされて、田淵の よ。もし英語でしかくつろげず、両親が英語を話さないと眼が光り、彼の顔は彫りが深く見えた。 なると、子供が可哀そうじゃないですか。」 「大丈夫ですよ。田淵さん、あと二三年のうちにはお帰り 「本当は、そういうことを、国文学者というか、英文学者になるんでしよう。そうしたら、その問題も自然に解決し の立場から、女房に言 0 てほしくて、お招びしたんです。」ますよ。」 夫人が食堂にもどってきた。川田は、雑誌で読んだこと「それがねえ、もう六年にもなるでしよう。 . と・こにいる を、知人の話として、夫人に持ち出した。それはロンドンと、雑用はすくないし、研究費も日本のことを思うと天国 で育った子が、日本へ帰 0 てくると、急速に英語を忘れてみたいにくれますから。そのうちに、もう国の大学の籍が 町しまったという実例だった。 なくなっちゃったんですよ。」 もったい あ「まあ、勿体ない。」 黒い常緑葉の間から、下町の燈がちらちらしているのが 楡「英語忘れるのが勿体ないんですか。」 見えはじめた。車は坂をおりきったとみえて、 . 田淵はペダ 「だって、そうじゃありませんか。折角、英語をマスター ルを踏みこみ、車は、弾かれたように、広い道を走り出し したというのに : 「日本語は : ・・ : 」 その晩、彼は何となくおちつけなくて、近くの中条のア こ 0
教師になって二三年して、康郎は大学で加奈子と知りあの学生はできないようだった。 った。加奈子はその年の新入生であった。彼は英文科の教通常、そういう女子高出身者は、女だけでかたまってい 師とは言っても、英文科の専門科目としては演習を一クラるものだが、夏休みをすぎるころから、女のグループをは スやらせてもらっているだけで、一週に十講座も、他学科なれてゆく者が一人、二人と出てくる。そういう娘の中か 生をも含む、一二年用の英語を持たされていた。それでもら、大変な発展ぶりを見せて、学校の面子にかかわると、 演習を持たされているというだけでも、恵まれているとい教師たちをかせる者もでるのだが、最後まで、女性とし うべきだった。一二年用の英語教員の需要は大きく、英文か親しく交際しようとしない者がいる。加奈子はそういう ぎら 科の教師の需要はすくなかったから、専門科目を持たされ男嫌いの娘の一人だった。後から考えると、その男嫌いと るのは、四十近くなってから、というのが常識だった。 いう点では、加奈子も弘子も同じだったのだが、そのころ それというのも、英文科の主任教授をはじめ、父の留吉の康郎は気がっかなかった。加奈子のそういう事実を知る と親しい人が何人かいて、いわば七光によるのだったが、 ようになったのは、教育者としての配慮というよりも、彼 おまけに、康郎の場合には、一二年の英語といっても、英女がクラスでも目立っ娘で、服装の趣味がよかったから、 文科の学生のクラスを担当することができた。英文科一二康郎も何時とはなしに彼女に関心を持つようになったので 年の英語は、一般教養としての英語ではなく、もう一歩進ある。 んで専門科目に近い教え方をするのが常識になっていて、 個人的に口をきくことはなかったが、康郎は加奈子を意 らくたん 若い教員たちは、このクラスで自分の研究を講義し、また識していた。彼女がいるはずの教室にいないと落胆し、授 自分たちが受けた演習よりもきびしい態度で、英語の訳読業をすることが、急に無味乾燥に思えるのだった。加奈子 のぞ のクラスに臨んだりした。 は彼の授業を・ほんやり無表情に受けていた。それまで友人 家加奈子はそういうことで英文科の一年の時に、康郎からと話しあって笑い崩れていても、彼が教室にはいると、そ * ひもんじ の「緋文字」を習うことになった。一口に言うと、加奈子はの瞬間に無表情になった。康郎は加奈子から、そんなにも しっと 一一美しいが頭は悪く、しかも熱心な学生だった。彼女は共学生き生きした表情をひき出せる彼女の友人たちを嫉妬し でない女子高校からの進学者特有の堅苦しさを持ってい た。彼がどんなに熱心に教えても、加奈子はそれに感情的 た。たとえば男の学生に話しかけられても、切口上で答えな反応を見せることはなかったし、答案を見ても、内容を る。そういう性質と授業に真面目すぎるために、親しい男よく理解しているとは思えなかった。
日ばかりは車を持っている人がうらやましかった。彼のモ悪寒がしはじめた。日本なら、厚い蒲団をかぶって、湯た たんぼう ーテルは、いわば下町と住宅地の境にあって、大学にも近んぼを入れるところだが、この国の部屋の冷煖房は完全な かったから、今まで車を借りようとも思わなかったが、体もので、・ヘッドには、粗悪な化繊の毛布が一枚しかない。 がだるくて、食料の重さがこたえるのだった。 モーテルの事務所へ行けばもっと毛布をもらえるだろう モーテルに帰ると、買物を冷蔵庫にいれるのもそこそこが、それが大変な事業に思われるくらい、体に力がなかっ た。室温調節器のメータ 1 を一杯にあげると、送風口か こ、・ヘッドに横になった。いつの間にか眠ってしまった。 安らかな眠りではなく、眠っているとは思えないほど、苦ら、乾いた風が吹きこんできて、そんな空気を吸っている しようこ しい苦しいと思いつづけていた。それでも眠っていた証拠と、れ上った喉があかぎれのように裂けて、血が出そう に、ドアをノックする立日に、 だった。事実、鼻をかむと血がまじり出していた。 「ジャスタ・モーメン」 薬を飲むのもそこそこに、下着を沢山着こんで、ペッド にもぐりこんだ。何だか急に心細くなってきた。いざとい と答えてから目が明いて、病気のことや、買物に行った ことや、服のまま・ヘッドに横になったことを思い出した。 う時のために、病状をちゃんと言えないといけない、と病 そうじ 気に関する単語を思い出して、いつでも使えるように、手 ドアを明けると、掃除のおばさんだった。 入れをしてキチンと並・ヘておこうと思った。扁桃腺はトン 「風邪ひいているから、今日はいいです。」 シルだったかな。アクセントはどこだったつけ。喉が痛い というと、人のいいおばさんは、茶色の目を見開いて、 同情の意を示し、すぐに、ビールを何とかして、卵をどうのはソア・スロート。はてな、ハナに血が混るというのは しんしゅ 9 えき とかして、何とかやらのシロップをいれて、というようどういうのだろう。鼻をかむと、その滲出液の中に血液が おおげさ な、風邪の妙薬の調合をしゃべりはじめたが、彼には、そまじっている、と言えばわかるだろうが、ちょっと大袈裟 ひぞう 町れをわかろうとする気力もなかった。一区切っいたところだな。それにしても、脾臓とか、十二指腸とかが悪い時 あで、微笑して、 は、そういう時の英語を知らないから困るだろうな。英語 ありがと で言えない臓器の病気はしたくない。そう思っているうち 検「有難う、早速やってみましよう。」 というのが精一杯だっこ。 に、川田はまた眠ってしまった。 目をさましてみると、まだ明るかったが、寝汗をかいて 買物に行ったのがいけないのか、薬を飲みそこなった 、た。熱はいくらかさがったようだが、気分はあまりよく り、服のまま寝たのが悪かったのか、高熱が出るらしく、 製ケん へんとうせん
340 ないでしよう。」 ろう。夜遊びはやめて、勉強するように。 電話がかかってきた。高木は受話器をとりあげて、 「そのために、あなたは大学にはいったのではないか。」 「ええ、そう、そう、賛成です。おっしやる通り、例外を それは異常といえば異常だが、教師から学生への訓戒と 認めるのではなく、もしその必要があるなら、原則をかえして、当然のことだとも言えた。 るべきだと思います。原則を変えてはならない、 というな渡米したころ、まだ若かった高木は思いきり、心の底を はい。有難う。」 ら、例外を認めるべきではない。はい ぶちまけられる日本語を使うことはできなかった。米人の 英語でそういう時の高木は、ゆっくりと重々しくしゃべ中にあって、ただ一人の日本人として、起きている限り、 かんろく いかにも貫禄があった。もう一度、彼は高木に質問を借り着のような感じのなくならない英語をしゃべり、物質 発した。 的にも性的にも、欲求不満の状態で、勉学にいそしんだ。 もっ 「日本の小説が米国の学生にわかりますか。」 三十をすぎ、生活も安定し、米人殊に若い娘が敬意を以て ふとん 「花袋の『蒲団』を読ませますと、ここの連中は大学生の近づいてくるようになっても、彼は英語をしゃべる限り、 作品だと言いますよ。ここの女子学生が教師のアパートに習慣的な抑制から逃れられない。しかし長年使えなかった 出入りするようになれば、 日本語をしゃべる時、彼は臆面もなく、抑圧されていた欲 高木の言葉は早口に、つぶやくようになった。それは英望をしゃべりはじめる。 語を話していた時の堂々とした言い方とはちがって、言葉金沢だって、ケイに、 自体が彼の意識下の心の失禁であるかのように、絶えるこ 「あなた、日本人、日本人でしよ。恥ですよ。」 あこが となく、米国の娘に対する憧れと夢と欲求不満とを、語り と言う時の心理は、日本語で話す時、痴漢のようなこと かんれん つづけるのだった。 しか言えない高木とどこか関聯があるのではないかい 川田は結局、メモには何一つ書かずに、高木の研究室をや、金沢だけでなく、川田自身、中条のア。 ハートへ日本語 出た。 をしゃべり、日本料理をたべに行く時、高木が日本語をし 高木が英語をしゃべる時は紳士で日本語をしゃべると痴ゃべる時の心と同じなのではないか。 漢だ、という金沢の説が正しいのではないか、と彼は思っ 高木がうつけたような顔をしてしゃべる、夢と幻想の物 た。きっと午前二時に、お気に入りの女子学生に英語で電語は、川田にも思い当る。彼だって、日本に帰って、酒に 話をかける時の高木は、彼女に道徳的なお説教をするのだ酔えば、プラジャー一枚で殺された娘と、金沢が追いかけ かたい こと
に、しわくちゃのまま、おかれているのだった。 戸が開いて、日本人がはいってきた。スラッとした大男 「僕はずっとここで寝てるんだ。目を明けるだろう。テレのくせに、猫のように身のこなしのしなやかな男だった。 ビを見る。」 「川田さんですね、いらっしやることはプーフさんからう 全く、横になった彼の視線の正面に携帯用のテレビがあかがってました。・ほく金沢といいます。」 った。 「この男の英語、大したもんなんだ。」 「そのうちに、テレビのむこうの中華料理屋の店が開く。 「十年もいるんですもの。」 すると、ロをゆすいで、飯を喰いにゆくんだ。」 金沢はちょっとしなをつくる姿勢になった。手の甲を今 くちもと 中条のそばに顔をもってゆくと、テレビのセットの上が にも口許に持って行きそうだった。彼は冷蔵庫をのぞい て、 窓の位置になって、そこから、駐車場をこえて、チャ・フ・ スイと英語のネオンが読めた。 「あ、牛のあばら骨がありますね、これオー・フンで焼きま しようゆ 「つまり、僕はここでは捕虜なんだ。檻に入れられた、アしよう。カラシと醤油をつけてくうとうまいですから。じ フリカのゴリラなんだ。日本人とか日本文学というもののや、中条さん、御飯たいて下さい。四合くらいでいいでし 生き見本なんだ。」 よう。川田さん、このナイフで鰹節けずって下さい。ネギ みそしる 「中条さん、日本へ帰ったら、志賀直哉を教えるつもりでの味噌汁をつくりますから。それから、ヌカミソは何があ すか。」 ったかな、大根とキュウリかな。」 「そんなことできないさ。君にしろ、おれにしろ、英語で「何でもあるんですね。」 日本文学を教え、日本語で英文学を教えられる、というの「何でもあるさ。我々、原則として、夕食は一一人で作って が存在理由なんだ。」 喰ってるんだ。」 町「ぼくはダメだな、英語で教えることはダメだし、英文学「醤油や味噌は。」 あの知識もない。」 「米や醤油はスー・ハ 1 マーケットに売ってる、加州米、 の 「君の英文学の知識とおれの国文学の知識は較べりや、同カリフォルニヤ米のいいのは日本米よりうまいから。味噌 楡 じくらいお粗末、といっては失礼かな。」 はロスの食料品店からとりよせる。」 いっしょ 「ぼくがデン・ハーの大学にいた時、一緒だった日本人がい ましてね。一橋を出た男で経済の大学院にいたんですが、 おり かつおふし
急に英語でしやべり出した。エミに聞かせないためらしか たしかに田代はそれまでの彼とは人が変ったようだっ た。エミに肩をもませ、酒のつまみのチーズの切り方がま 「あれは、知能が標準以下なんだ。十七か八なんだけれずいといって、彼女をなぐった。しかしエミは何と言われ ど、小学校四年くらいだな。母親はいない。親類と施設でても、何をされても、おとなしく笑っていた。大体工ミの たくま 育ったんだが、色がついてるからな。親類は引きとってく逞しい体は、やせた田代がカ一杯なぐっても、あまりこた れる人がいれば、大喜こびさ。」 えないようだった。黒い皮膚は打たれても色が変らない 「ハウデイド・ユ し、分厚な肉はその衝撃も苦もなく吸収してしまうのだ。 エミは酒も強かった。水を飲むように強い酒を飲んでも 良樹も照れながら、お・ほっかない英語で聞いてみた。 「ホテルの入社試験を受けに来たんだ。寄宿舎があるから平気だった。いや、それは顔色だけを見ていた良樹の思い もちろん ね。勿論おちたんだが、叔母という女が来て、どんな仕事ちがいであった。次第に息使いが荒くなったかと思うと、 ためいき やと でもしいから傭ってくれというのさ。それでおれが傭っ耐えきれなくなったように、深い溜息をついて、いきな こ 0 り、服のボタンをはずしはじめた。 それまであお向けに寝ころんで歌を歌っていた田代が、 「女なら誰にでもできる仕事というのがあるからな。」 良樹は日本語で言った。英語が出なかったからでもあるあわてておきなおった。 が、日本人離れのした田代の英語の文脈を正しくとらえて「おい、エミ、待て。今夜はお客さんがいるから、裸にな いる自信がなかったので、田代にも日本語で話してほしかるのは : : : 」 った。 しかしエミはもうシュミー ズ一枚になっていた。田代は あきら 「そう。とにかく、おれは女房の両親と同居してるのさ。諦めたように、 「まあ、 だから、ホテルでも家庭でも、「イエス・サー」「イエス・ マム』と言ってなきゃならない。おれだって、のびのびし とまた横になった。 たいさ。それから、昔、米軍の女兵士の宿舎のポーイをし そのころから良樹の記憶も大分とあやしくなる。部屋の ていたころ、黒人兵がつれてきた女と、日本語で話してい中は石油ストー・フで暑かった。三人ともほとんど裸になっ て、いやというほどなぐられてな。またその女がゲラゲラていた。やせて貧弱な体の田代が、いやがるエミを抱えあ 笑いながら見てるのさ。」 げようとして、腰をとられてころんだのを、お腹をかかえ 、、 0
学生であることがばれてしまったからで、そこには英文科何故そんなだまし方をしたのか、彼にもよくわからな どころか、中学もろくに行かない少年が、達者に英語で客 。敗戦国民のはかない厭がらせだし、手のとどかない所 と応対していた。 にいる米国の女性に対する心理的な暴行であったろうが、 「川田さん、英文科なんだってね。」 何よりも、彼はそのころから英語をしやべる時、良心の免 とそんな少年に、ニャニヤ笑いながら言われると、とて罪符をあたえられると錯覚していたからにちがいなかっ もはずかしくて、勤めていられなくなったのだ。それで も、やめるころになると、商売に必要な程度の英語ならわ彼は、卒業論文に、「明治時代の日本文学にあたえた英 せんす かるようになった。ある日、軍服を着た女兵士に扇子を売詩の影響」というテーマを選んだ。英語や英米文学を、英 りつけようとしていると、彼女が突然たずねた。 米人のようにわかることなど、とてもできないと思ったの なつめきんのすけ 「日本の水道の水は安全か。」 だ。そんなことは、明治の中頃に、夏目金之助という留学 彼女の視線の方角を見ると、店員の仲間の一人が、水道生がイギリスに渡って以来、わかりきったことだと、彼は の水をャカンに汲んで、電熱器の上にのせる所だった。水思った。しかし彼の教授はそうは思わなかった。 道は焼け残った設備をそのまま使っているから、鉛管が裸その題を書いた紙を見るなり、教授は不満そうに、窓の へび のまま、鎌首をもたげた蛇のように見えたし、そのあたり外に目をやって、しばらく無言だった。やがて、彼に視線 きたな をむけると、 は薄暗く水で濡れて、いかにも穢らしかった。 「いや、安全ではない。歯をみがくにも、あなたはコカコ「英文学とまともに取組もうという気になれないですか、 あなたは。」 ラか熱湯を使うべきだ。」 ひとみ メルビルをやろうと思ったんですが、どうしても 彼女の灰色の瞳が濃くなって、青くなったように感じら「はい 自信がなくて。自分で取り組む前に、先人がどういう形で 町れた。瞳の色が変ったのではなく、顔を動かしたために、 る 外国の文学と取り組んできたか知りたいと思ったんです。」 あ瞳がかげつたのだろうか。 「しかし、こんなテーマで、うまくまとめる自信がありま の「あなたは水を飲んだのか。」 「そう、ホテルで。今朝、日本についたものだから : 教授はもう一度、窓の外に目をやり、ふと思いついたよ 「ホテルなら大丈夫だろうが、医者に診てもらった方がい うに、黒い手帳を開いた。そこに学生の名前や、採点が書 こ 0