「それはあなた、あなたには未来がないのよ。私は、そう という満子の言葉をきいた時、私は自分の中に自分でも とまど もた いう人に同情しないのよ」 途惑うような感情が、頭を抬けてくるのに気がついた。 「そう、あなたがた女の方は、、 しつも未来、未来というわ彼女の部屋は廊下のつきあたりになっていた。そのアパ けです」 ートにしては広い十畳ばかりの部屋で、奥の方に畳の上に 私はそういって身のちちむ思いがした。すると満子は、鉄製のべッドの黒い脚が畳をへこませて横たわっていた。 わだんす はっきりといった。 小さい和簟笥が一つ、食器簟笥が一つ、それから坐り机、 さつようけい 「だから、私はあなたには、好感がもてないのよ」 座布団には穴があいて綿が出ていた。殺風景な部屋の壁に それは長い間ためておいたものが出口を見出したようなはどういうつもりか、大きな世界地図がはりつけてあり、 くっした 勢いのよさがあった。勢いよくほとばしる水を眺めるよう色あせた外国製のものであった。私はすぐ靴下が片足だけ に、我を忘れて私はつったっていた。 べッドの下にころがっているのを発見した。彼女はべッド 「分って ? だから好感がもてないのよ。ごめんなさいのまわりを片づけたらしいが、そこまでは気がっかなかっ すいぶん ね。いやだわ。私って随分はっきりしたこというのね」 たと見える。私が買ってきた花は彼女の手に渡って原稿用 「いいんですよ」 紙をのせた机の上にばらまくように置かれた。彼女はあん 「いいも、わるいもないわね」 なことをいいながら、背中を見せてガスに火をつけて茶わ とすかさず満子がはね返すようにいった。そこで私はわんを洗いはじめた。私は彼女をそうさせておくことができ ずかにつもっていた雪の上ですべりそうになった。 ないものが自分の中にあり苛々してきたので立ちあがっ それからつづいて彼女はいった。 て、「僕が」といった。「まあ、ありがとう」といいながら 「私、明夫だってほんとに、ああいうのはきらいよ。で彼女は私と入れかわって、「ああ、それからガスストープ に火をつけてちょうだい。電話をかけて何でもとってちょ も、太田のところにおいたら、一たまりもないでしよ」 流 うだい」 「ほんとにそうですか、それはそうともいえないでしょ 「僕はいらないんですよ」 女う」 つぶや と私はロの中で呟いた。 「これは私のよ。あなたもほしかったら、何でもお頼みあ 的「ちゃんと並んで歩くものよ謙一一さん。あなた昔からこうそばせ」 なの ? 」 「それでは僕も」 なが ぎぶとん
だ。私もこの人にはこれがいい道だと心の中では信じてい っているつもりだ。私は夫だからね。この人は作曲や童話 幻たから、あまり家を傷つけぬ限りは許しておいた。私たちでも書いている方が向いていた。この人が夢みていたの には別れてしまわねばならない積極的な理由は何もないのは、童話ですからな。童話的ないい奥さんになりたがって だったよ。 いたのですよ。 甲田君、別れてしまわなかったのは、私とこれが馴れ合 ひょっとしたら、この人は私の価値をあげるために私の ひきよう いだったと思うかい。それとも私が卑怯な人間だと思うか 悪口をいったのかもしれない。小説なんてものはよく私に 。そういうのはみんな表向きの見方じゃないかね。私は は分らないが、よほどの人でない限り、悪口をいえばいっ おろ た方が愚かに見えるものだろう。絵だってそうだ。 ; 調子とこれを一番よく知っていたのでね。あいつだって、私のこ いうものは、そういうものです。実在の人物を美しく書いとが分っていたのだ。 たって誰も美しいとは思わないでしよう。その反対だってそこで私は子供たちにも、明夫とも縁がある甲田君もき 同じことですからな。 ているから、このさい言っておくことにするが、菅野満子 この人は画家の妻、あるいは音楽家の妻だけでもよかっという人はもういないからね。私たちは別れたことは一度 た。この人もそれが望みだった。 もないのだから、当然太田満子だ。今日からは太田満子と この人は小説などというものは金が欲しいからおだてら いう女しかいないのだから、あれの小説のことで本にする れて書いたのがもとで、小説家になるなんて思いもよらなというようなことをいってきたら、私はお断わりするし、 - もら・ かったといっていたという話だ。その通りです。ここをし私が死んだあとは、子供らにもそうして貰います。それを し人 ~ 、 つかりお・ほえておいた方がためですよ。私への腹いせなん条件にこの人の遺骸はあちらの家の方へ移すこと。、、 さ 0 てものじゃなかった。書くことを探しているうちに、あれね。私に相談せずに病院であわてて死亡通知を頼んだのは も望みもしないことを書いたのだ。自分を食わせてくれ、感心しないが、菅野満子という名の死亡通知を出したの よろ ゼイタクをさせ、文化生活を送らせてくれる夫だからこは、今までのおっきあいもあるから宜しい。これから出す もんく そ、文句もつけたくなるというの力し しくら何でも本気二通のアイサッ状のうちあとのは、太田満子以外の名はい でそうは思いつづけることは出来ない。これが好きだったらない。このことは、子供らにはさっき申し渡しておきま かわい のは、可愛い文化的奥さまじゃないか。育ちのせいもあっした。この人もさつばりしたでしよう。甲田君、きみも長 て欠けたところがあって、私もそういうこの人のことを分 い間のつきあいだったらしいが、これでキリがついたカ
加納さん、あなたの家のまわりには、少し行くと雑木林れれば離れるほど、家の中のことを考えているのよ」 やら、竹林やら、植木がいつばいある植木屋の畠がありま「そんなことはない。心配することはないんだよ」 すね。柳がかたまって風にゆれながら生えている一画があ「私がいえば、あなたは、そうじゃないというのよ」 ると思うと、ささやかな葉ずれが、通り雨が駈けてくると「さあ、今日は恵美子と何の話をするかな。恵美子は何の しらかば きのようにきこえてくると、それが白樺なんですね。十話をしたがっているのかな」 加納さん、あなた方一一人は雑木林の中へ入って行きます 五、六の少女のような白樺なんですね。 加納さん、白樺を見て、あなたが娘さんのことを思い出ね。彼女はもう浮き浮きしている。あなたは神社の境内に 猫のような犬が一匹つながれていて、いつものように吠え すのは、まあ当り前のことですよ。 はじめる声をきく。な・せ早く抱いてやらないのですか。 あなた方はとうとう疎林へやってきましたね。 「遠くの方のあの家の庭に人が出ているね。あれは七十く 「ねえ、あなた」 らいのお婆さんだね。鶏を追っている。放し飼いの鶏を見 「ああ」 すぎ びの、 たのは最近はじめてだ。あの鶏の卵は黄身の色がこいかも 「あれは、檜 ? それとも杉」 ころ 栗の木の交った林が左手にある。右手に神社があって一しれない。ああいう卵を買うべきだね。僕ら子供の頃に は、よくサツマイモを盗みに行った。あそこのイモ畠のイ 群の高い木立が山の中から切りとってきて、はりつけたみ モを帰りに掘って行くかな。野菜は高い高い、というが、 たいになっていますね。 「どうして、きみはそう何でもきくんだい。そばへ行 0 て今きた道には = ラがはみ出していたね。あれを帰りに抜い 見たら、すぐ分ることだよ。葉がちがうんだよ。それに幹て行くかな。キャベツもあるし、茄子もきゅうりもある し、トマトもある。八百屋へ行くかわりに、きみはこの畠 だって違うさ」 へ黙って貰いにくるといいよ しったいどっちなの。ねえ教えてよ」 「それじゃ、、 加納さん、もっと強くゆっくり抱いてやりなさい。あな 「そうだな、あれはねー たはどうして坐らせないのですか。ハンカチでもしいてや 「あれは檜よ。ただきいてみたかっただけのことよ。あな りなさい たもやつばり普通の男の人ね。若い人とおんなじことだ わ。女ってどうして教えてもらいたいのかな。ああ、つく「こんど秋になったら、栗をとりにくるといいよ」 なか づくいやになりそうよ。分「ているのよ。あなたは家を離「だめよ。私子供のとき、旺舎〈遊びに行 0 て、栗を拾っ はたけ ぞうきばやし ばあ すわ ) み
「しいえ。東京の方で就職先が決っていて、来月になったすか、よく云えば欲がない、石にかじりついても頑張り抜 ら行くんです , くという気持が乏しいんです。ですから、私と一緒に八人 「お店ですか」 奉公したうちで最後まで残ったのは私ひとりだけで、他の 「ええ。銀座七丁目の方にある店です。兄も東京へ出てい者は一年か一一年で止めてしまいました」 ます。初めは京橋にいましたが、いまは浅草橋の方でやっ初めに見た修了証書の入っている額の横にコンクールで ています」 入賞した賞状の額が二つ並んで懸っていた。大分経ってか 「兄さんが居られるんですか」 ら気が付いたのだが、それもこの息子が取ったものであっ 「はい。本当は兄が帰って来て、この店やってくれるとい いのですが、帰って来ないものですから」 それは新潟県下のコンクールで、一昨年が四位、昨年は 「お父さんは ? ー 二位である。 「はい。 父がずっと店をやってるんです」 「このコンクールにはみんな三十から、それより上の人が 「おひとりで ? 」 出ているのに、私は初めて出して貰ったのが二十一で、そ れで上位に入ることが出来たのでとても嬉しいでした」 それから彼は、新潟で年期奉公していた先の主人のこと と彼は云った。 を話した。 「僕はそれじゃあ、運がよかったわけだな」 「年は若い人なんです。三十一です。この人がとても腕の と私は云った。 いい人で、新潟代表で全国コンクールに出て、八十人くら「コンクールで二位になったような人に、髪を刈って貰う いのうちで十一位になりました。新潟では一位だったんでのは生れて初めてだ」 、はく す。とても熱心な人で、やる気のある者にはみっちり仕込実際、この青年の調髪のやり方には気魄がこもってい 渡 つら んでくれます。初めは随分辛いと思ったこともありました た。私は、彼の技術と意欲をあますところなく発揮するの 佐が、私も何とかして技術を身につけようと思って、一生懸に、私の頭髪がいくらか豊かさを欠いているのではないか 命やりました。やかましく云われたことが、あとになってという気持になった。 みるとよかったと思います。大体、佐渡出身の者は新潟で外から一人、中年の男が入って来た。散髪をしに来たの は評判が悪いんです。なぜかと云いますと、島国のせいでではなくて、暇つぶしに来た客らしかった。 ひま むすこ がんば
なくて仕方がない。一度ああした良一の身体の成行をとこ あるのね。こんなものより良一さんの絵の方がいいのよ。 太田はわざと良一さんの絵を落選させたのよ」といったあとんまで見たり、抱いたりしたせいだろう、といった。 と、「さあ、車を拾ってよ」とさけんだ、その叫び方がむもときた道を、良一と歩いたように歩いて行くと、礼子 は、私が良一と満子の姿を見たという谷のところへ連れて き出しで、相当に酔っているように見えた。 彼女のいるアパートは、良一と私とが一夏過した平家か行ってくれといった。まるで復習だ。「書簡集ーの復習か、 にお らいくらも離れていないところにあった。その平家はすっというとうなずく。あなたのいった、あの「草の匂い」と いう。すんたことはもうよそうじゃないか。というと、す かりかくれてしまっていた。裏に谷があってそこに牛がい たのだ。その谷をのこしてあとはいつばいに家がたてこんんだことじゃない。礼子にはすんだことじゃない。もし、 でいた。そのアパートも戦前のあの頃にはなかったのだ。すんだことなら、どうして私がこんなところへくるもんで 道には簡易鋪装がほどこされて、もう足袋に埃をつけるこすか。時にはあなたの家の人に悪く思われながら、さいご ともない。車をおりると、満子はよろけながら歩きはじまで兄さんの面倒が見られますか。私はあの間に、兄さん ますます のことはすんだことじゃないと、益々思いはじめたの、と めた。 いうようなことを口にした。そのいい方も一気にいうわけ 礼子が満子の家を見たいというので、良一が死んでからではなく思いおこすように、自分でたしかめるように、ひ たたす とりごとのように遠慮がちにいう。するとおかしなこと 私はいっしょに例の道をやってきたことがある。道に佇ん ちょっと に、良一がしごく生き生きと、私たちの横に、私より一寸 で城のような太田家の家を五分ばかり眺めたあと、身体を たけ ばかり高い背丈をして、流行歌など歌いながら気楽に歩い ひきずりながら歩く礼子の顔は、ほんのり赤味がさしてい た。礼子は自分の顔が、あの絵の中の顔によく似ているこているような気がする。電車に乗って三つ目の駅でおり とを知っていた。やつれていて、私がいっか将来会う満子て、そこまで行くと、南側面の林は半分ぐらいは取りはら 流 の顔が、そんなふうに見えるかもしれないといった。礼子われて整地されていた。のこされた草の上に牛が草をはん 女はこの家を前にも見たことがあるような気がするというばでいた。礼子はかがみこんだあと、「草の匂いは私には強 かりか、彼女は、これからもまた時々きたいといったあすぎる」と嘆いた。抱きかかえて、 「十三貫はあるよ」 と、しかし私がいなくなっても、あなたはきてくれ、とい というと、 った。体がすりへってしまったし、身体というものが頼り
はどうしたことだろう。良一は似ているというのに、私は私がはじめてだったのは、声だけだ。 そう思わない。良一はわざとそういったのだろうか。 「こんにちは、はじめまして」 満子が午後こうして私の眼のとどくところで腰かけてい 満子はわざとていねいに私にあいさつをした。彼女は私 なが るのは、夫の留守に自分の肖像画を弟子の若い男に描かせという瘤をしげしげと眺めた。あどけない小さい顔。眼じ くらびる ているのだ。その若い男はぎつかりと一まわりも年が違りのあがった大きい眼が鋭いのに、小ぶりな唇が厚くて う。午前中、良一は次の駅の近くにある家から時々私とい 可愛いらしかった。 っしょに砂・ほこりの道をこの家に近づいてくるのだった。 「お兄さまはあなたのこと、いつも私に話していらっして もっとも、私がいっしょにくるのは、彼がすすめる時だけよ。よいお兄さまをもって幸せだわ、あなた」 だ。なぜなら私にそこへ行く用事というものが、まるでな「だから僕は炊事当番です。家でもやっているし、兄貴と いからだ。 いる時、兄貴の友達といる時は僕が係りなんですー 私たちがそこに夏の間住むことになったのは、満子がそ私はなぜそういうことをいったのか、自分でも分らな 早ロで呟くようにいうと、彼女はききかえした。私は の家をさがしてくれたからだ。私どもは夏の二カ月のあい ムにんち いなか だだけ住むために、良一の赴任地である田舎都市から、炊眼の前が暗くなる思いでもう一度くりかえした。 「そおう。おいしいものをこさえてあげてよー 事道具まで持って引越しをしてきた。私がまえから良一に きいていた満子を見たのは、自分がさがしてやった貸家私の口から出てしまったことだが私は自分のいったこと が、ある暖かさで報いられるとばかり思っていたのであろ 。ハラソルをさして砂・ほこりをハンカチでさえぎりなが ら彼女が様子を見にきた時だ。良一は私の裸をモデルにしう。私は失望した。彼女のいいかたに、冷淡さが感じられ て制作し、出来れば、あと一一作ばかり風景画を仕上げるっていたからだ。 もりであった。 「謙一「そんなことをいっていないで、ごあいさつがすん 流 だら、大掃除だ」 「謙一「先生の奥さまにごあいさっしろ」 「それじや私は退散だわね。良一さんお待ちしてるわよ。 私はフトン包みの荷物をほどいていた。出来れば彼女の 女 顔を見ずじまいにしたいものだ、と思って背中を向けてい 明夫が、甲田のおにいちゃまは ? ってお待ちかねなのよ」 四た。私は彼女についてあまりたくさんのことを良一からき「謙二はどうしましようか」 かされていた。そうして彼女の写真もちゃんと見ていた。 「あなたのいいように」 こぶ つぶや むく
いところでもなかった。 「しいえ。そうではないんですー 「そうですか。奥さんの身内が東京に居られると聞いてお もし、・ハスから降されたところが畑や田圃だけしかない りましたので、わたしはその方がお出でになったのかと思 ような場所だったら、私はどっちへ向いて歩き出してよい か見当がっかなくて、途方に暮れたかも知れない。私が道いました」 を聞きに入ったお菓子屋では、品のいい顔だちをした母親そう云ってから、 が娘と一一人いて、もんべを穿いたお婆さんと話していた。 「あの方、おばあさんが亡くなりまして、いまおひとりで 「ちょっとお尋ねしますが」 す。お気の毒な方です」 と私は声をかけた。 と云った。 「そうですか。何時ですか」 「田上というところは、どう行けばいいのですか」 すると、私の方を振り向いたもんべのお婆さんが、 「去年の十一月です。一年病院にいて、亡くなられまし 「わたし、田上です。そこへ帰ります」 た。子供さんがいなくて、ひとりでいるんですー と云った。 それは全く思いがけないことであった。私は七十七とい お婆さんは用が終ったところらしくて、すぐに店を出う年から、子供も大きくなって方々にいて、孫も沢山いる つれあ 人のことを想像して来たのであった。連合いを亡くして、 「田上のどなたのところへ行かれるんですか」 たった一人でいるお爺さんだとは夢にも思わなかった。 梅干のことを書き、豆腐のことを書いてあったあの手紙 「浦部怡斎という方の」 には、つい最近、おばあさんに先立たれて、不如意なひと と云いかけると、 り暮しをしていることを暗示するような字句は一行もなか 「わたし、親戚の者です」 「あ、そうですか。これは丁度よかった。では、お願いしった。 「そうですか」 ます」 と私は云った。 佐私がそのお婆さんについて歩き出すと、 「初めて佐渡へお出でになったんですか」 「佐渡のお方ですか」 「はい、初めてです」 いえ。東京から来ました」 「おじいさんにも ? 」 「それでは、奥さんの身内の方ですか」 しんせき ばあ たんば っ
くことが出来るだけだった。 思った。その矛盾した心の動揺のために、彼はいきなり彼 伊佐は下僕さながらに、自分より首だけ高いその婦人に女の持っている部厚い本を持ってやろうと思い立ち、走り ひきずられるようにして、校舎の中に連れこまれて行っ よってそれを自分の手にとろうとした。その場合にどのよ た。彼は婦人の、春の雪解水のように流れて行く言葉の流うに言えばいいか彼も知らぬわけではなかったが、それを れの中から、こんな破目になったのは、例の黒人のおせつ言葉にあらわすのが恥かしくて、彼はだまってそうしたの かいのせいだとやっと知った。 だ。伊佐がむりに奪おうとするので、彼女はグッと本をひ 「あんたの足はこれから手当てしてあげます。私はあなた いたが、頭をさげ、泣きそうな微笑をうかべながら、しつ の足に毒薬をつけるのではありません」 こく本に食いさがってくるので、はじめて彼女は伊佐の意 伊佐は歩きながら、 を察して礼をいったが、彼に渡しはしなかった。しかし伊 「サンキュウ」 佐は自分の意が通じたことがわかったので、これから自分 と言いたかったが、それを言えばそのあとでいろいろ話さがこの学校でどんな能足らずと思われても、少くとも人で ないわけには行かないので、唖のように黙りこくってつい なしではないと知ってもらえるだろう、と死に行く者が、 ぎんげ てくるのだが、一人で大勢の外人の中に入れられ、自分が生きている者に懺悔をしたときのようなかすかな満足をお 英語の教師である以上、さまざまな質問を浴びせられたと ほえたのだ。 きにはどうしたらいいか、それを思うと、さっきジー。フの彼女は衛生室に看護婦がいないので、そのまま伊佐を彼 中の絶望的な気持がまたよみがえ 0 てくる。び 0 こをひき女の個室につれてきた。ドアがガチャリと閉まり、彼女が 一ながら歩く彼のあとからは、生徒がゾ 0 ゾ。ついてきた。鍵をかけた時、伊佐はさ 0 き、玩具のビストルをつきつけ ス伊佐はそのことさえ気がっかない状態だったが、その婦人られた時のようにおどろいた。そのまま一歩もすすまずに ンの一声で、生徒はざわめきながら駈けもどって行った。婦ドアを背中にして立っていた。 人は何かを語りかけ、いく度も彼に微笑をあたえるごとに その婦人がエミリーということを伊佐はその部屋に入る ア伊佐はますます自分が耳がわるくて聞えないふりをした。 前に名札で知った。工、 ー嬢は彼に坐れというと、それ 彼はそのために心の中ではその婦人に対して礼儀上自責のから、 念にかられ、そのまま地べたに倒れ、その足に接吻すると「鍵をかけて煙草を吸うのよ。生徒に吸うところを見られ か、その足の下の地面に接吻するとかして詫びたいようにると困るでしよ。男も女もそうなのよ」 せつん たば (
話を聞いた時、すぐに、 であります。そのかたちはいかにも堅固で、いつまでも残 「そこへ鰹節と海苔を入れるとなおいいだろう」 るものであり、それは何かわれわれが人間生活で願ってい と思いましたので、その通りにやってみました。そうしることを象徴しているように見えます。そんな堅固なもの て、これをさかなにしてお酒を飲みますと、お酒がおいしでありながら、味はよくて、また鰹節が加わることによっ くて、いくらでも飲めるのです。そうして飲めば飲むほてまわりの物の味をよくします。願わくば、私たちもこの ど、お酒がおいしくなって来ます。いいものを教えてくれ鰹節のような人間になりたいものだと思います。 たと思いました。 四 お酒のさかなになるばかりでなく、御飯の上にのせて食 べてもおいしいので、この方法を覚えてから、うちの梅干 もうあと一回分ある。そうして、梅干と鰹節の話をし の減り方が目に見えて烈しくなったように思われます。 て、その次にした豆腐の話だけを割愛することは、やはり 私の家では、一一年前に家内が百貨店へ行「て、新しい鰹片手落ちなような気がする。 節削りの箱を買って参りました。それまでうちにありまし 。もら たのは、実は大工さんから貰った古くなったカンナで、こ 梅干と鰹節の話をしましたので、今日は豆腐の話をしま れを海苔のカンカラの蓋に当てて、柱に押しつけて削「てす。い 0 たい子供のうちは、あまり豆腐のことは考えな 居りました。 。豆腐の好きな子供というのは少いのではないかと思い ところが、刃がポロポロになってどうにも削れなくなつます。 て、捨ててあったのです。それに鰹節を削るということも 自分のことを申しますと、豆腐をおいしいと思うように 減多になか 0 たわけで、すべて店で売 0 ているダシガッオな「たのは、此頃になってからで、それまでは豆腐につい で間に合 0 ていて、海苔と鰹節の弁当をつくる時も、それてあまり関心を持たなか 0 た。では、なぜ豆腐に関心を持 でやっていたわけです。 つようになったかと云いますと、一つの原因は外国へ行っ 新しい鰹節削りを買って来ました時は、実によく削れるたことであります。 ので、私たちは驚きました。こんなによく削れるものかと 七年前のことですが、私はアメリカへ一年間行くことに 思いました。 なりました。それまでは特に自分が豆腐好きな人間だとは 鰹節は海の幸であります。そうして、わが国独特のもの思っていませんでした。ただ、私は関西の生れなので、 ふた このごろ
いる。魚屋はその場を何度も逃げ出そうとしたが、強引にに陣取ると、例によって頼まれもせぬのに世話をやいた。 うぶ そいつを引きとめて相手に意のあるところを分らせたらし柿本のような初心な女の人を物にするにはいんぎんでなけ 。魚屋は太い指でその書類をめくっていたが、歎願し吃ればならんと思いこんでいると見え、彼女が坐るまでは坐 り、躍りあがる相手のきわめて真剣らしいそぶりに次第にらず、今日の練習の箇所を唾をつけた指で教えてやったり うなず 頷く回数が増してきた。僕はそこまで来て事の真相をつかして僕をじりじりさせた。こんなことをくりかえすうち、 んだ。諸留は遂に戦法もあらたに、学友に勧誘の手をさしたぶん今まで親切にされたことのあまりない柿本は、諸留 のべてぎたのである。彼はその日の休憩時間中も魚屋を安を思うようになるかも分らない。 この分では彼は講習の二 楽に休ませなかった。魚屋はしまいに放心したようになっ十日間のうちに十分元手を取り返すのみならず、女まで手 てしまった。その日の諸留のようにはげしい吃りの連発に に入れてしまう。ところが院長は彼のこの吃りぶりが気に 責められては、いくら吃りの専門の学校とは云え彼の純真入ったらしく、 な気持に衝撃をあたえたのであろう。それに魚屋自身は少「きみのようなものが治ればまことに痛快で教育の仕甲斐 しも吃る暇もなく、妙なよそ行きの気持になったのか、彼もあるわけだ」 はしまいに漫然と案内書やカタログを拡げたり閉じたりし というわけでその覚えも悪くない。 すで きようせいほう ている具合で、彼は既に第一回分を払わせられたのだ。 諸留は僕と話す時には習い始めた矯正法にしたがってや その日は、ただ彼、諸留の戦果を見守るのみで暮れてしり出した。みみずのうような気の長い話し方だが、そこ おうへい まった。よどんだ三月の空の中にどもりのお経を読むよう には自信のほどが見られた。それがいかにも横柄そうに見 な物うい発声が調子づいてどよもして行った。外から石をえる。彼の平素の早ロの時の十倍ものろい。あまりののろ 投げる子供がいたが、誰もその方は見ず熱心と云えた。休さに何を話しているのかも分らない。それでもよき練習台 院み時間には魚屋が、諸留から逃げる口実なのか、諸留に腹と心得ている様子なのだ。僕は僕で相手を石ころと思いの 学を立てたのか、或にほんとに子供に腹を立てたのか分らぬろくさ練習のつもりでやるのだが、彼ほど思い切ってのろ つまず が、いきなり追いかけて行き、石で頤を打たれてもどってくないのでつい躓いてしまう。彼は益々得意になり速度を 吃 きた。僕はその善良そうな四角なあから顔と盛りあがったゆるめる。この調子では彼の方がずっと早く治ってしまう いかつい肩を哀れに思った。 かも知れない。そこで僕はその練習相手を峯之に取り、公 諸留の授業態度は目立ってきまじめで、柿本いね子の横明正大な矯正法に限って会話を行いつつ勉強を見てやった おど ある、 あご