良子 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集
16件見つかりました。

1. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

さんといっしょになってからわしは良子さんに対してわしは今になっても分らん。こういうことはいくら本人からき がやつばりおんなじようになっているらしいと知ったのいても分るものでない、わしはききもせなんだ。良子さん はわしのところへもどってきたとき、蒼い顔をしておっ ゃ。わしが遠くの置物を見るような眼で眺めるというて、 とが 良子さんは咎めたことがある。わしは普通の意味では世た。そしていきなりわしの前にたおれて、わしの足にむし を捨ててさつばりした身やから、良子さんとの肉体的な交ゃぶりつき、おしいただいた。わしの評判は良子さんの留 りも野鳥のようにたわむれればええとは思っておった。そ守のうちに急にあがっていて、わしの書いた・ハンフレット して表向きはたしかにまあ、そんなものやったし、いっしが飛ぶように売れはじめ、わしを拝みにくる者が毎日百人 たくはっ ょに托鉢に出かけたとき、昼日中、野原の中で交わったこと下らなんだ。わしは良子さんが帰るまでに実は山岡さん ともあったのや。ところがわしは自分が、こんなふうに考の家の外へ様子をうかがいに行っていたのやが、茂子さん えておることに思い当るようになったのや。もし良子さんが、山岡さんに「あなた」と外から二階に向って呼ぶのを がほかの男と交わったとしたら、いったい自分はどうなる自分の眼で見たのや。そうや、わしが自分で見たんや。良 やろう。もしほんとうに赤子の気持になるとしたら、むし子さんがわしのところを去ったさい、わしは天地がひっく ろそれに平気でおられることやないか。わしはよく托鉢のりかえるようにおどろいた。しかし、プの時わしはまた喜 みつばち ときに草花に見とれることがあったものや。蜜蜂が花粉んどったな。わしは自分がそのように浮足立ったというこ をはこんでいる姿で、わしはそのとき、美しい音楽が奏でとが、大へんうれしかったのやな。といってわしは平気で られ、花の喜び、蜂の喜びが一体になっているように思おったわけやないわ。わしは良子さんと山岡をひねりつぶ 、思わず合掌したものや。人間の便所、野の花、野のしたいと思っていたからこそ、山岡の家まで出かけて行っ 鳥、樹木、それから、わしの妻の良子さん、このわし、こたのや。茂子さんをこの眼で見なんだとしたら、わしは何 うしたものが、どのように一体になり喜び合えるか、ともをしでかしていたかも分らせん。わしはその間も行に出か くそ 考えたものや。わしのそうした考えは、自然に良子さんにけたが、便所掃除など糞くらえ、とも思っていながら、こ みじ うつったわけでもあるまい。わしは自分の口からは何もいれに頼るより仕方がのうて困ったがな。こんな惨めったら わなんだからや。良子さんは帰らなくなった。ただわしをしい、ふやけた苦役みたいなものやない、咲く花のよう に、あれや、まぶしいくらいのものやないとあかん。便所 苦しめようと思っただけかもしれん。それとも山岡さんに 心をひかれたのかもしれん。そのへんのところは、わしにの掃除にはすーと明るいものがいるのんやないか。そのよ あお

2. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

そ謙虚にならねばいかんのやが、謙虚になるのが、どんなしを何もかもありのままに見て、それが当り前であるよう むす に難かしいか。そのことについてよ、、・ をしすれあとで申さねに思っている眼付きやった。鳥が樹を見るような眼付きや な。茂子さんが良子さんの住込んでおる、自分の家に向っ ばならぬし、わしがこうして申しているのは、そのことだ けといってええのやが、今は別のことを述べましよう。そて山岡さんや良子さんの名を呼んださいにも、わしは、そ うした多くの美女の中には、あとから、私に何かさせて下れを当り前のことと思っておったにちがいないと思うの さいませ、と訴えてくる女もおったし、わしの着ているもや。それなら何のために名を呼んだのやろうか。一一人の仲 のをムリャリにぬがせて洗わせてくれ、という女もおっ間に入ろうとの切なる願いやったのや。 た。そうさせねばすまぬ激しい女には、そうさせたが、わ皆の衆、市へ出て行ったとき、ふと通りすがりの妻女に けそう をたいがいはこう答えた。ほかの人の便所を掃除させ懸想されたお・ほえはないか。ある雪の降る日わしは足の悪 ていただきなさいとな。こんどはきれいな便所にしときまい妻女が子供を負ったのに懸想して、どうしても足をとめ すから、是非おいで下され、と媚びたようにいう妻女もおるわけに行かず、その家までついて行って、掃除を頼んだ ったな。たいがいの妻女はわしに掃除させてくれるとしてが、このときはどうしてもさせてくれなかった。まだ若い も、台所へ行ってチラチラと横眼でわしの方を監視してお頃のことや。そうした妻女ではなくて、五体何一つ不足が ったものや。茂子さんはわしが山岡さんの家へ最初に行にのうて何一つ足りぬところがのうて、肉屋の店先きで主人 ふしめ おもむ の代りに無心で肉を切っておる俯目がちな妻女に懸想した 赴いたとき、まだ結婚して半年の初々しい若妻やったが、 何も私は分りませんので、申し訳ございません、と見ず知こともあり、そこへも行に行ったが、主人が出てきて、妻 らずのわしに、まるでシ = ウトにいうようにいって即座に女に近よせず、わしのそばにつききりやった。その妻女を わしといっしょに掃除をした。不浄は狭いところやが、わ見たとき、わしは茂子さんを思い出した。山岡さんは茂子 しと身体がくつつくのもかまわず、手伝った。わしの経験さんを大切と思い、その茂子さんをつきはなしたのやな。 おとず でははじめて訪れた家でいっしょに甲蛩甲斐しく手伝った良子さんが亡くなってから、わしと良子さんの住んでい た四畳半に土間のついた家は、皆の衆の意見で保存され、 妻女は、茂子さんが最初で最後ゃ。 良子さんは不思議なものを見るような眼付きやった。山来訪者が見物に立ちより、伊藤さんが案内した。良子さん いおり つます はこの庵の敷居に躓いてたおれたが、寝つくはじまりやっ 岡さんは近しいものを見るような眼付きやった。どちらも 憎しみがまじっていたが、茂子さんがわしを見る眼は、わた。わしは、それまで研修生の寮になっていた、山岡さん

3. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

217 十字街頭 んなじようなぐあいになる、といったが、あれも、うそやてくれた。こういう人達が会員になっとるのやが、これら った。今はここに三百人おり、会員は二千人おるカナ ・ : こつの中の Z 市のある井戸屋さんは、ポンプを発明して特許を むすこ たそれだけで、会員はヘる一方やないか。えらそうにい 0 とり、今は息子の代にな 0 ておるが、もうか 0 てもうか 0 とるが、お前のは生れの通り百姓根性、商人根性で、ただて仕方がない。良子さんの家でもけっこう栄えとる。良子 恵んでもらいたいだけや。それとおんなじように、赤子のさんはここでも教師をやってくれておった。茂子さんはこ 話は作り話や。ええか、わたしは何十年前にだまされたのこへ来てから、経理の方の助手をしとった。山岡さんが担 や、とこうののしった。 当やった。山岡さんが皆の衆の金を横領して逐電してか この人はいつまでも、こんなののしりを続けたというふら、茂子さんは印刷所の助手になった。山岡さんのあの事 うやなかった。あとではケロリと自分のいったことを忘れ件があったとき、わしらは山岡さんを探し求めたりせなん てしまったあんばいやった。そればかりでのうて、あんた だ。みんなが使って下さいと差しだしたり寄付したもの、 は福々しい顔をしとるとか、あんたは百いくつまで生きる建物から、田地から、豚からわしらの着ている着物から、 に違いないとか、わしをからかったり、わたしのいったこ この地所から、すべて何もなくとも、わしらは托鉢に出れ とを真に受けて心にとめておくと、身体にさわって百いくばよいのや。わしはそのようにいうて皆の衆をなだめた つまで生きられん、とか笑いながらいったもんや。もうこが、わしの内心は山岡さんの心がよう分っておった。山岡 れでおしまいかと思うと、死ぬまぎわには、またののしっさんは金も欲しかったやろう。自分の寄付した分だけ、金 たが、けつきよく、最後はとても静かやった。この人は皆で持ち去ったのやろう。それもそうやが、それは外面のこ の衆の前ではののしらなんだので、これはわしひとりが知とで、山岡さんはこのわしにわざとそうした醜いことをし っとることや。 て見せたのや。山岡さんには、わしが皆の衆をなだめて、 良子さんは、漆器を扱う家に生まれたが、珍しいことに追いかけたり探しまわったり、警察に訴えたりせんこと 学校が好きで師範学校へ行って教師になった。わしが足しは、想像がついていた。もしそういうことをすれば、わし げく行に行き、わしの話に感じてくれた人は、わしの声とのここでの生活はゼロになってしまうからや。 いうより本来自然の声をききとって拝み合うので、たいが もともと山岡さんが良子さんと自分の家に住むようにな い商売が繁昌し、店が大きくなると、前の店の構えではやったあの頃も、この逐電のさいの心づもりといっしよなの って行けんもんやから、古い店をわしらのところへ寄付しゃ。良子さんはそのことにある日気がついてわしのところ しつ、 みにく

4. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

だけ考えさせてくれ、というので一晩待ちました。あくるたものやが、そのうち良子さんがわしを同志とおなじよう 日、妻は私はあなたの妻やから、あなたと離れたら、私はに待ちくたびれておるということが分りはじめると、あの 何者でもない。どうか連れて行って下さい。まさか、地獄人の心がこちらにひびいて脳裏から離れず堪えられぬよう のような所でもありますまい、というていっしょに連れ立になった。わしは北海道に開拓団を連れてわたった時も、 しようふ ってここへ参り、財産は全部ここへ貰っていただき、私の女性との交渉は娼婦以外には一度もなかった。わしはその たど 財産があそこの谷の向うの田地になりさつばりいたしまし頃、人の心の醜さから美しさへとどうしていっぺんに辿り た。妻を十年前に亡くし、子宝にも恵まれていません。もつけるか、そのことばかり考えておったものやから、醜さ しあの茂子さんの腹の中におる子供がそこらのならず者のが米粒ほどでも目につくと、苛立ちあわてふためいて、 子供であれば、わしらが何とかしてやらねばなりません。 く日も苦しんだ。もっと若い少年の頃は、女が便所へ行く それからもし、あの腹の中の子がわしらの大切な人の子供場面を思うだけで身がよじれるほどっらかったものや。そ やったら、そのときは、茂子さんをちゃんと監視しとらんの一方、わしは美しいことを口にするやつがいると、腹が と大変なことになります。 立って腹が立って、仕方がなかった。わしはその娼婦がわ みんな不審な顔をしたようだが、うやむやのうちに会議しだけに好意を示しはじめると、もうそこへは行くのがい は終ったと思う。そのわけは、一つにはわしが椅子から転やになった。その女もわしも醜くなるように思ったのや。 がりおちたからや。わしは伊藤さんが話を始める前から目いずれ風と共に散って行くくせに何を好きになったりする まいがしとった。わしは倒れながら、伊藤さんのいうようのか、とわしは思うと、わしはその女をうんといじめてや にしなさい、といった。それから十日ほどの間、わしはロりたくなってしまい、それが堪えられぬのやったわ。その もきけない日が続いたな。妻の良子さんとおなじ病気やっ女は自殺をはかって一命はとりとめたが、開拓団の連中 頭た。山岡さんの予言したように、わしは中風になったのに、わしのことを実に恨んで語っておったということや。 ゃ。皆の衆、わしはとりとめもなく、良子さんのことを考わしはその女に何の約東もしたわけでないし、その女の心 字 を落し穴にしかけたわけではなかったのや。それにその女 えて祈ったものやて。 十 わしは若いときというても三十五、六、まだ子供がない は娼婦やった。それなのに皆の衆、どうしてその女性がわ 頃で、わしは勝手なときにさまよい歩いたりはしたが、良しをそんなに恨んだのやろうか。その頃わしは開拓団の仕 子さんに対してははじめのうちは、普通の夫のように扱っ事に夢中やったから、あまり気にかけなんた。しかし良子 ころ

5. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

らも恨まれず、学校の先生は無償で教えてくれ、誰も喜んうになってしまった。わしが三十七、妻が一一十五の時や。 でくれている。校舎も古てを市から貰ったものや。トラッ 二月たっと帰ってきたが、その間わしは妻を探しにも行か おとさた なんだし、先方も音沙汰がなかった。皆の衆も知っとるよ クも二台あるし、わしの伜の清市が運転しとるトヨペッ ト・クラウンも、あれは半分は同志の会員が寄付してくれうに、わしらは夫婦といっても妻はもともとわしの妻では たものや。あとの半分の金にしても、アメリカ産の種豚なない。わしは何も妻の夫というわけではない。わしのもの どを買った時とおなじように、余剰金から出したものやではない。わしは妻のものではない。妻にわしは、帰って ただ が、もともとみんなの金で、もとは奉仕から自然と出てきこなんだ理由というものは只の一度もきかなんだ。 ところがそれから一月もたたぬうちに山岡さんは店をた たものや。 ここへ移っ 皆の衆、わしとわしの妻の像はあそこの庭の小高いとこたんで、自分の家内の茂子さんといっしょに、 てきた。そのときの山岡さんの家はそっくりここへ寄付さ ろに立っとる。わしらは夫婦といえども互いに拝み合う。 世間の人は道で会っても拝むようになっとるが、わしが拝れて、いろいろに使ったが、今は私の住居になっとる。わ んで托鉢をしとる二、三歩あとを、妻がおんなじように拝しは良子さんにも山岡さんにも山岡さんの妻の茂子さんに んで歩いとる像や。頼みもせんのに、奇特な仁があんなもも何もきかなんだが、茂子さんがわしに話したところで のをこさえてくれて、人眼につくところにそなえつけ、市は、茂子さんは妻の良子さんが女学校の教師をしとったと を遠く見晴らすようにしかけてあるんやが、どうせあれはきの教え子やったそうや。わしの妻の良子さんは、はじめ いっかは、石といえどもこわれてしまう。わしの妻は、むから山岡さんの家に住みこんでいたわけやのうて、はじめ ギ・ウ は、親セキの家におった。そこから夜になると、山岡さん かし皆の衆と別れ別れになって市へ行に出かけたときに、 ある商人の家で便所の掃除をさせてもらった。わしもようの家へ出かけて行き、泊るうちに山岡さんの妻の茂子さん 頭知っとる山岡という家や。わしも掃除をさせてもらって御の方が外へ出るようになり、茂子さんは寝泊りさせてもら ちそう っている友達の家から、自分の家の外へやってきて、二階 馳走になったことがあり、わしに話をきかせてくれという 字 にいる夫に声をかけるのやそうや。が、妻はどうしても帰 ので、下らん話をしたことがあった。どうせわしの話やで 十 自分の今まで歩んできた道をくりかえし話しただけのことらんようになったのやそうや。わしは妻をムリャリにわし やが、大へん感心してくれたように思った。それから一一度の妻にしたわけやない。やはり妻の実家に行に行き便所掃 くろかみ ばかり妻の良子さんはそこへ行に行ったが、帰ってこんよ除をさせてもらううちに、まだ一一十二の娘やった妻は黒髪 せがれ

6. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

うなことをあれこれと思いまどっとるうちに、まあちょっ がっておるのとちがって、四十を過ぎて益々天然のものが と悟ったよ。何度も良子さんと山岡さんのいる家へ行に出人工の中におかれると、電気がかかったように恥かしゅう かけようと思いたち、その誘惑にうちかったのは、ええこてあかんのやな。自分が恥かしいばかりゃない。このわし うらや とやった。そんなことをしとったら、この境地に達するこの分まで恥かしがっとる。それが羨ましゅうて、憎らしゅ とはとても出きなんだからな。わしは良子さんがわしの前うて、可愛らしゅうて、わしはどうしても、この人を自分 に身を投げ出したさいに「長い托鉢やったな。御苦労さと二人きりにして、ただの女にしてしまいたくてたまらな ま」といって拝んだわ。あとになって、知ったようにやくなったのや。皆の衆、この人は八十いくつになったわし な、山岡さんがわしを恨んでいたとは、そのときは思いもと昔の山岡さんの居室でいくども結ばれたのやが、この人 及ばなんだわ。 は、何といったと思いなさるか。私は山岡さんも良子さん すりばち 皆の衆、わしはカスミがかかった頭で摺鉢の底をかきまも憎うなりました、と泣いたんや。清市はそのときわしの ぜるアン・ハイにこんなことを思うて暮した。私が寝とる間部屋に茂子さんがきていることに気がついた。 に、茂子さんは伊藤さんと結婚式をあげた。それで茂子さ皆の衆、わしの病気は、ありがたいことに八分通り直っ んの腹の子供は伊藤さんのやった、とうやむやにみんな思 た。清市はアメリカから予定より数カ月早くもどってきた うようになったが、伊藤さんがいうたようにあれはわしの が、茂子さんについての処置は伊藤さんと打合わせていた 子供やった。わしと伊藤さんとは出身地もおなじ、顔かたと見えて、わしに反抗する様子は見せなんだが、どうして ちもよう似とるので、まあ通せることは通せた。もともとも自家用車を持ちたいといいだした。わしらは乞われれば わしはあの席上でぶちまけるつもりやったのやが、わしが相手の払う電車賃で出かけるし、相手の自動車にも乗る。 何故茂子さんとそのようになったか、話したとしても通じ豚や穀物の運搬ならトラックもいるが、わしらが自動車 頭 まい、とわしは思いなおしてしまったのや。 をもっことは、さしひかえてきたところやった。わしら わしはずーと前にいうて、自分でも忘れかかるくらいや が、自分で出かけるときは歩くがよい。しかし、皆の衆、 ぞうきん おもむ 字 ったが、羽目板にはりつくようにして冷たい雑巾でふいて遠方へわしらが進んで托鉢に赴くときに、その途中ではな 十 いる制服を着た茂子さんの、ふりむいてはすぐ羽目板にもしに、遠方のその場所で托鉢したいときには乗物に頼らん 5 どす、眼付きの中に、恥かしさで、身のおきどころがのうわけには行かん。それは難かしいところやが、僧にあら て困っている心を読んだ。この人は、普通の女が恥ずかしず、俗にあらず、の精神、奪わずして得る、の精神に、も むす

7. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

216 を切って、どうしてもわしといっしょにこの生活に入るとれば祈りながらさすってやった。皆の衆、わしらは考えて いったのや。この話は皆の衆もわしが一度だけやが話した見れば、さすり合って生きてきたようなもんや。病人での から、知っておる通りや。そのときわしもこの生活はきびうてもわしらの心は病んでいる。それを拝み合うことで、 しく苦しいもので、わしは一個の人間としてありのままの実はさすっているのや。人に奉仕することで、人もさす 生き方であると信じるし、共産主義でも、資本主袤でものり、自分もさすられるのや。拝んで足りぬときは、直接背 うて生きて行く人間本来の生き方やと信じるが、世間から中をさするのがよいのや。わしがこう思って考えこんでお こじ、 いえば、乞食といっしょになるようなもんやから、わしもったら、この人はののしったな。それは小さな声やった 何度も断った。ただの乞食ならええが、乞食よりももっとが、天にもひびくようにきこえたし、わしの耳には裏山に ひどい。乞食は赤子になろうと思わんが、わしは赤子のよ落ちた雷のようにひびいた。あんたは、ようもようもわた ほっしん うに泣くことを発心したからには、わしの妻が、わしの妻しをだました。山岡さんの茂子さんのことをあんたは四十 であって妻でないのは、赤子には妻などないのとおんなじ年間、大事に大事に思っていなさる。とくに山岡さんが逐 リクツやでな。頼みもせぬのに、そういってわしといっし電してからというものは、そうやった。あんたはもう七十 たくはっ ょに暮すというのなら、それはあらゆる寄付とおんなじよ五になりなさる今が今まで托鉢行に出かけたさきで、茂子 こば さんと何があったか分ったもんやない。 うに、わしは拒まん。それがいきさつや。 皆の衆、知っての通りわしは良子さんとそれから三十何皆の衆、わしはただこの人の背中をさすった。ええか 年二人の子供と四畳半一室で暮した。子供が大きゅうなつの。わしとこの人は四十年間、何もこんな話をし合わなん て独立した部屋に住むようになってからも、あの部屋で暮だし、病気になってからも、この人は皆の衆からよくして した。わしらは部屋というものは寝るだけで、飯も皆の衆もらい、自分も拝んでおった。それがこの人はこうののし たくわ った。それからまたわしが落雷のようにきいたのは、この と祈りながらいただくし、何も蓄えがないのやから、タン 人が次にののしった言葉や。あんたが、赤子になれるもの スもない。カマドもいらぬ。それに人に招かれ、拝み、ザ か。あんたの赤子の泣声をきいた、という題目代りに唱え ンゲをし、・便所の掃除をさせていただくだけで、歩くこと とる話は、あれはあんたの作り話や。あんたは若いとき、 も、食べることも出来るのやから、四畳半でも、もったい ひろが あんたの考えているような世界がずーっと拡って全世界を ないくらいや。四十年たって良子さんは病気になって、い よいよこの世では生きられぬと分ってから、わしは暇があ包んでしもう。たとえ、そうならんでも、そうなったとお

8. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

ませんから、もうお止めになってはどうでしようか。やっ ばり、じっとしてこうして時々にこやかなお顔を見せて下 、のではないですか。茂子さんもあな さるだけの方が、しし たがいて下さると喜びます。あの人の喜ぶことをあなたは して下さってもいいでしようが。みんなあなたがもどって こられないと思っていました。今年は帰っておいでになら なくとも、もうありがたがらないかも分かりませんよ。そ ういっては何ですが、あなたがパンフレットに書いておら れた教えは、どんなにここの生活が矛盾しても、もう大丈 夫なのですよ。あなたはキリストになれます。それは魅力 でないとはいえないでしよう。どうですか、我が師。 まわりみら そうか、わしは何という廻道をしていたのやろう。日を 決めることはないやないか。元旦まで待っことはない。わ しは即」・ てかけるがよい。十字街頭に立って歩くがよい。 わしには良子さんと山岡さんが恋しゅうてならぬのや。そ れにくらべてどうや、ここに残っておるやつらは。いや、 即刻、何がなんでもわしは十字街頭に立つがよい が、さて、あの高速道路は渡ろうと思わん方がよいな。

9. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

へ戻ってきたのかも知れん。山岡さんがわしのところへ戻あげく、わしに向って、お前さんのあそこの生活は堕落 ってきたいと申し出たときには、山岡さんは、自分の家かや、もうお前さんには赤子の泣声をきいたって、わしらが らわしらのいるここまで三里の道を夜中に走ってござらっきく程度とおんなじどころか、もっと下や、いくら坐禅し ころ しやった。わしが坐禅をくんでいるときやった。その頃ようと、いくら便所掃除をしようと、もうなれつこになっ は、ここらあたりは、無償でくれただけあって、一万坪はてしまっておる。お前さんのいうことは、立派そうに見え きつね 狐の住む谷間やった。あの橋からの・ほりの道を息せききっても、ただの型ゃ。そのことはお前さんが一番よう知って て駈けてきたのやった。わしは山岡さんを拝んだ。山岡さおる。な、ほんとうはどうやったんやな。わしがあの良子 んに限らず、わしは誰でも拝むのやからな。山岡さんはわさんをとったとき、わしがお前さんがたの財産を持ち逃げ たびたび しのそばで何時間も泣いとったが、あなたに近づこうと思したとき、わしがお前さんに手紙を度々出したとき、ほん うと遠くなり、遠ざかろうと思うと近くなる、と叫んどっとうは、お前さんはどう思ったのやな、とこうしつこくき た。遠いも近いもない、その考えを捨てましよう、とい 0 いた。わしは黙「て拝んだ。拝むな ! とあの御仁は叫ん てやった。わしはこの人はいずれここを逃け出す、とそのだ。それから、わしが赤子や、わしが赤子や、と山岡さん にら は、赤子どころではない大きな声をはりあげて、わしをお とき睨んだわ。 山岡さんがここを逃出したのは、それから十年後のことどかした。そのあくる日山岡さんは首をくくって自殺をさ っしやった。そのあとで山岡さんの手紙が着いた。その中 やが、それからまた十年たって自殺をしたのは、みんなも にはこう書いてござったわ。「みんなお前さんがもとです。 ようおぼえておるやろう。山岡さんはここから持ち出した 百万の金を忽ち蕩尽してしまい、そのあとあの御仁はこの良子さんも、わしの妻の茂子さんも、わしも、みんなあん 市へ舞いもどってくると、自分より一一十も年長の、六十にた好きです。しかしわしらがほんとに好きなのは、仲間に どうせい とりかこまれたあんたじゃありません。あの二十代のがっ なる女と同棲し、その女の財産で食っておった。そういう ことは、皆の衆は知らぬがわしは知 0 ておる。山岡さんはしりとしたあんたが、縁の下でねころんでいたのが好きな のです。あなたは自分の教えを広めようと思えば村作りは 時々手紙をわしのところへ寄越して報告しておったでな。 じゅんなん 山岡さんが自殺をしたのは、わしが山岡さんの住居〈行にやめて、三十そこそこで殉難すべきだ 0 たのです。ところ があなたは、拝むだけです。戦争中もあなたは五十人もの 出かけ、あそこの便所掃除をお願いし、そして山岡さんが わん 老婆といっしょに、わしに一椀の飯をめぐんでくれ、その人を満州の開拓に送りこみ、あそこで同志が満人にも喜ば

10. 現代日本の文学 44 小島信夫 庄野潤三集

の町家。 数校設けられた。終戦とともに廃止され、新制大学の学芸学部、 教育学部がこれにかわった。 一公喜捨歓喜施捨の略。喜んで僧に寄進し、または貧者に金品 などを施すこと。 一三七もうしつかりとっかめん良子の「あれはあんたの作り話し 一兊東京に育った方がいい この言葉はまた良一、謙二兄弟と満 や」という言葉がここに接続し、山岡の「捨ゼリフーとともに 子とをへだてているものでもある。 つきささって、自分のすべてを裏切っていく言葉。 一兊曖昧宿正式な遊廓ではなく、かくれて売春をしている、 一一三一軍属軍に所属する文官・文官待遇の者、その他非軍人で軍 かがわしい宿。 務に服する者の総称。 にお 一智「草の匂い」最初に書きだされた「満子の書簡」には、「私 疎林への道 の身体にはあの何か草の匂いがついているので、さっそく湯に 入りたいと思いました。」とあり、良一の「日記」には「今日ま一一三九アラビアのロレンスイギリスの探検家、考古学者、軍人で、 た最初のあの場所に行ってあった。下宿に帰ってきたら、謙二 通称アラビアのロレンスと呼ばれたロレンス ThomasEdward がそばによってきて、草の匂いがする、といった。」とある。 Lawrence ( 18 ~ 1935 ) の生涯を映画化したもの。 「草の匂い , はこの三人を結びつけているもので、礼子がそれ 階段のあがりはな に加わろうとしている。作品中では唯一抒情性を喚起する言葉 じようるりかよき かるかや となっている。 一碧「石童丸ー浄瑠璃、歌舞伎などにより広く流布している苅萱 一一 0 七私は以上のような文章を前記「女流」初出にはなかった一 伝説中の人物。筑紫国の守護職の子、加藤繁氏は出家して高野 節で、ここでは、「私」は語り手であると同時に、「以上のよう 山にの・ほったが、その子石童丸がそこを尋ねあて、ついには父 な文章」の作者である。という体裁になっている。なお初出で とともに念仏修行の道に入る、という話。 は三章に区別されて書かれていたが、内容に大きな異同はな 、「時間ーも「思うままに私の中にとびこんでくる。」という 流れであった。 一一 0 九「女流」前出「文章」の題名であるが、初出にはなく、新た に書き加えられた一節。 十字街頭 三セ師範学校教員養成を目的とした学校。明治五年、東京に官 立師範学校が設けられたのがはじめで、各府県に一校、または ゅ簒′か・、