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検索対象: 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集
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1. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

てみると、いま父が解雇されたことはむしろ一つの幸運と >-4 村へ送るのだという。箱はすでにいくつも完成した。家の さえいえるのだ。 中にはもはや連賃をかけてまで輸送しなければならないほ しかし翌日になると、父も母も解雇のことはすっかり忘どの家財や道具はほとんどなかったから、引っ越し荷物の れたように見えた。父は、そのとしの春かえったヒョコの大部分はこのトリの箱によって占められることになった。 えさ むれに、せっせと餌をやっており、母はふところ手をして荷物を発送する日、駅員はおどろき、こんなものは取り扱 たの 愉しそうにそれを見まもっているのだ。いったい何を考えったことがない、殺して肉にするなり、売り払うなり、適 もち ているのか、これから先をどうやって行くつもりなのか ? 当に処分しておくべきものだ、と言った。信太郎にも勿 とくさく 信吉が南方から帰還したばかりのころ、母と二人でささや論、その方が得策だとおもわれた。藤沢から高知まで、貨 きあったことを、いまは信太郎一人がかんがえた。そし車でなら一週間、客車便でも三日か四日はかかるという。 て、それから数日後、母は突然言った。 高知から >«村へは、さらに一日ぐらいは余分の日数を見て 「なにも心配することはないよ、お前。金融公庫でお金をおかなければならない。八月末の炎天下に、そんなものを むばう かりれば家はすぐ建つじゃないか。土地は、おとなりの運搬するのは無謀というより、まったく無益な作業にちが ごしんせ、 さんの御親戚の方がタダで貸してくださるとおっしやるし いなかった。信太郎は念のために、十数羽のニワトリのう ち何羽ぐらいが無事に到着する見込みがあるか、訊いてみ 信太郎は、母の眼に、これ以上なにも言うべきことはな た。としとった駅員は日焼けした顔にシワをよせながら無 ぞうさ いと思った。そして自分は言われたとおり、公庫の役人に造作に、「一羽のこらずャラれることは間違いない」とこ 会いに行くことにした。そうすれば自然にカタがつくこと たえた。そんなやりとりのある間、父は笑ったまま何も言 じよう、 ぶかっこう ・こからだ。 ・ : あの時、母はすでに完全に常軌を失してい わなかった。板片を打ちつけた不恰好な箱に指をつつこん たのだろうか。しかし、それに気がつくには周囲の事態がでは、ときどき「カオ、カオ」と奇妙な鳴き声を発してい あまりに騒しかったと信太郎には思われる。実際、奇矯なる中のニワトリのために、空気抜きをつくってやってい ことといえば父のふるまいにばかり彼は気を奪われて た。引っ越しが数日後にせまったというのに、父は解体し家の明け渡し期限の九月一日は、一種のお祭り騒ぎだっ ごや たトリ小舎の材木で不可思議な箱を作ることにばかり熱中た。近所じゅうから人がやってきて、挨拶の言葉といっし しているのだ。その箱の中にニワトリを詰めこんで高知県ょに、法的な強制力をともなう引っ越しがどんなものかを ろん あいさっ

2. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

たたびジャックの、この神学生の手に戻ったのである。 明や進歩の仮面を剥いで、真実の面貌を曝けだす日がやっ てくる。イボンヌと老大の世界、アデンのアラビヤの娘と 内陣の、太い、つめたい石柱に、をあてて、私はいし かっしよく ようのない怒り、情けなさを感じた。それは彼等にたいし少年の世界、動かない白い太陽の下、焼けただれた褐色の てというよりはこのマデニエやジャックの世界のなかで、草原と岩石とが本来の姿をとり戻す日がやってくる。私は ひとり生きている自分にたいしてであった・ : 知っていた。 八月のまひる、私はジュランの街を用事で通りすぎた。 五月十日、遂にナチ軍はオランダとベルギーの国境を突占領にも幾分狎れはじめた市民たちは、ホッとしたような 顔で、そこを歩いていた。 破した。マジノ線の幻影は、響きをたてて崩れおちた。 リョンの停車場は北仏から、巴里から避難する人群、召その時である。突然、背後で、呻るような独軍サイド・ 集された将兵やその家族で大混乱していた。街は空襲にそカーとトラックの響きをきいた。本能的に、私は前にある 商店の閉じた戸のかげに身をひそめた。 なえて五時以後は無用な外出が禁じられた。 けたたましい女の叫びがした。武装したナチ兵はトラッ 六月一一十五日、遂に巴里は陥落した。そしてそれから一 しさん しののめ 週間もたたぬある黎明に、リョン市民は、ローヌ河の朝霧クからとびおりると、狼狽、四散する通行人のなかに走り こんだ。手あたり次第、彼等は、ぶつかった五、六人の市 のなかからナチ軍の整然たる靴音と戦車の響きにあわてな 民の腕をとり、撲ったり曳きずったりしながら、車の上に がら目を覚したのだ。 十キュ・ハシ第ン 占領時代がその日から始まる。商店も住宅も、かたく戸押しあげた。アッという間もない。彼等の車はそのまま通 をとざした。キャフェも映画館も午後四時からでないと開り過ぎていった。 かない。市民たちは街に出ることをおそれている。・フラタ私たちにはなぜだか、その理由がわからなかった。捕え しやくねっ ナスの街路樹が七月の灼熱に生気なくたれているレビュプられた市民が、全く偶然で選ばれたのはたしかである。 リック街を、ただ、ナチ軍のサイド・カーのみが布を裂く「あの人たち反独運動者だったのかしらん」やがて街路の アチコチにかたまって助かった者はヒソヒンと話しあっ ような鋭い音を立てて走っていく。 た。ヴィシー派の仏蘭西警官が来て、われわれに即刻、帰 私といえば家にとじこもっていた。待っていた。なにか 宅するように言った。ひとびとは、うしろを振りむき、振 が訪れてくるのを待っていた。 処刑、拷問、虐殺の日が近づいている。人間世界が、文りむきちらばっていった。 くず フランス ろうばい

3. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

おたがいに呼び合うことができたら、どんなに爽快だろうで上ってこなかった。雨の降る日も家のなかにはいないの とはおもったが、そうも行かない。土佐言葉に「おんちやで、とうとう家じゅうに一着しかないレイン・コートを、 ん」というのがあるのを思いついて、そう呼んでおくことわずかの間に・ほろ・ほろに着古してしまった。 にした。そんな生活がはじまって一と月ばかりたった或る「お父さん、いったいどうするつもりだろう」と、ときど ぜん 日のことだ。三人がれいによって気まずいタ食の膳をかこき母はそっと訊く。しかし、それは誰に訊かれたって、こ んでいるとき、信太郎は母にツマらぬことで文句を言ってたえようのないことだ。 いた。すると突然、父は信太郎に箸を投げつけた。「何だ、 信太郎は服飾雑誌その他の翻訳の下受けをやっていた が、家で寝ながらの仕事では、彼一人の配給物資を買える キサマのそのロのきき方は」 いっかっ その信吉の突然の一喝は、むしろ信太郎にとってのすく程度の金にしかならず、しかもそれだけが一家の収入のす べてだった。三四箇月の間に家の中のめ・ほしいものは売り いになった。この一と言で、ともかく父を「おんちゃん」 とは呼び得なくな 0 たのはたしかだし、それは息子としてつくされ、食い物にかわ 0 てしま 0 たが、父は然として ふるま 朝から晩まで庭に出て、芝生を掘りかえしては、まるで花 振舞う目標の一つになるからだ。 いってみれば信太郎と母とは、父親の帰還ではじめて敗壇のような玩具じみた畑につくりかえているばかりだ。親 戦を迎えたわけだった。それまで彼等は、何の根拠もなし子三人の食事はあいかわらず気まずいものだった。父の方 らやわん は遠慮なしに何杯でもお代りの茶碗を差し出すようになっ に自分たちは月給でくらして行けるものだと考えていた。 実際、信吉がかえってくるまでは、これまでどおりに留守たが、こんどは母が下宿屋の女中そっくりに勘定をはらわ ばかていねい 宅渡しの俸給が支払われていたために、毎月どこかから定ないで居のこっている客に対するやり方、つまり馬鹿叮嚀 にゆっくりとお代りの盆を差しつけては急に引っこめたり った金額が入ってくるという習慣は、戦後もつづいていた のである。それが日がたつにしたがって、誤っていたとわする方法をやりはじめた。一方、信太郎はなるべく少な目 かってくるにつれて、父親によせていた期待が根も葉もなに食事を切り上げることで「節米」の模範を示そうとして なんら 、こ。しかし、こうしたデモンストレーションには何等の いことであることがハッキリしてきた。 毎日、父はほとんど一日じゅう庭にばかりいた。食事の効果もなく、父親は彼等の意図と反対に、ますます大食に なって行き、その大食の原因である畑の労働に専念するば 間だけは家に上ってくるが、それがすむとまるで逃げ出す ように庭に出て、何をしているのか、すっかり暗くなるまかりであった。ある日、母はとうとう、 - 第ノム″し ほんやく

4. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

くのだ。風がある日もない日も、その砂漠から白い堤の巻ことである。町の有力者の娘と結婚できれば、なお良い きあがるのが見え、その小さな龍巻が、むかし田舎者の勝そうしたら、自分は糸島郡にいる父親と母親との面倒をみ ることもできるだろう。平凡が一番、幸福なのだと勝呂は を包んでしまう。デパ 呂の眼を見張らせた福屋デ〔 ( ート よ″いも ~ / 、 トも内部はすっかり焼けて外郭だけが残っているのであ考える。 学生時代から戸田とちがって勝呂は小説や、詩はさつば る。 わからなかった、たった一つ戸田に教えてもらって覚 もう空襲警報も警戒警報もないようだった。鉛色をおびり、 た低い冬の雲のどこかで絶えず、ごろん、ごろんと鈍い響えている詩があった。海が碧く光っている日にはふしぎに きがきこえ、時々思いだしたように。 ( チ、パチと、豆のはその詩が心に浮んでくるのである。 なかす じけるような音がした。昨年までは中洲が焼けた、薬院の 羊の雲の過ぎるとき 一帯も焼けたと患者や学生たちは大騒ぎをしていたが、こ 蒸気の雲が飛ぶ毎に の頃は何処が燃えようが誰も口に出す者は少ない。人々が 空よおまえの散らすのは 死のうが、死ぬまいが、気にかける者もなくなった。学生 白いしいろい綿の列 たちも大部分は街の方々にある救護所や工場に送られてし ( 空よお前の散らすのは白いしいろい綿の列 ) まった。研究生の勝呂ももうすぐ、短期現役でどこかに連 はす れていかれる筈だった。 医学部の西には海がみえる。屋上にでるたびに彼は時に その一節を口ずさむと勝呂はなぜか涙ぐみそうな気分に あお いんうつ くろす はくるしいほど碧く光り、時には陰鬱に黝んだ海を眺め誘われてくる。特にこの頃、おばはんの手術予備検査を始 る。すると勝呂は戦争のことも、あの大部屋のことも、毎めてから、彼は屋上にのぼり海を見つめてこの詩を噛みし 日の空腹感も少しは忘れられるような気がする。海のさまめることが多くなった。 ざまな色はなぜか、彼に色々な空想を与えた。たとえば戦成形手術を行うためには患者の肉体的な条件を前もって 争が終り、自分がおやじのようにあの海を渡って独逸に留記録しておかねばならない。浅井助手が勝呂に命じたのは 学し、向うの娘と恋愛をすることである。あるいはそんなその仕事だった。ほとんど一日おきに彼はおばはんを大部 出来そうもない夢の代りに、平凡でもいい、何処かの、 屋から検査室によんで心臓の電気図を調べたり、尿を分析 さな町でささやかな医院に住み、町の病人たちを往診するしたり、ほそい骨だけの腕から血液をとらねばならなかっ ごと ハルソ

5. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

り残り、通学したコレジ日ロマーノ ( 今のグレゴリアン大くる。信徒たちはこの留学生を自分たちの勝手な夢のなか ばんさんまね 学 ) では成績表も保存しているし、どこの修錬院で修錬をで眺め、彼をしばしば自宅や晩餐に招いて悦んだ。 受け、いっ司祭になったかもわかっている。しかし、転び知遇をえ、皆から期待されるにつれ、荒木トマスの顔は ゅううつ 者、荒木トマスの場合は、この場合もほとんどが不明にさ次第に憂鬱になっていった。彼はペラミ 1 ノ枢機卿の前で けいけん れている。しかし、荒木がローマで司祭に任ぜられたこと いかにも敬虔な態度をとっている自分を不快に思い、しか は確かである以上、彼もまたおそらくコレジョロマーノにし他方ではその知遇を拒むことはできぬ自分を感じた。 通い、試験を受けたことは間違いないであろう。 ローマで人々から寄せられる情愛や親切は、いっか、辛 ふさわ そして彼のローマ生活がどんなものであったかは、伝えい重い荷物になりはじめた。みなの前でその期待に相応し られている話によっても容易に想像できる。その話とは いような姿を毎日とり、一日中、微笑を顔にうかべねばな す′、、け 「枢機卿ロベルト・ ・ヘラミーノは荒木を殊のほか愛し、毎らぬことに彼は疲れてきた。 とな につとう 日の聖務日まで一緒に唱えた」ということである。 荒木はやがて自分が帰国せねばならぬ日本のことを考え しかし、これは大切な記述である。べラミーノといえばた。ゴアで耳にした二十六人の殉教者たちの話はまだ記憶 当時その信仰と学識とのために基督教界では著名な人だつに残っている。彼を驚かせたのはそれらの殉教者の中に自 た。聖職者であり、後にビウス十一世によって聖人の称号分が知っていたパプチスタ神父や信徒がいたことである。 を与えられた学者である。法王庁の中でも高い地位を占め一一十六人のうち安土の神学校を卒業した三木ポーロとは一 たこの枢機卿がたんなる一神学生、一司祭と聖務日疇を共度話したことはあるし、。 ( プチスタ神父は有馬のセミナリ に唱えるなどとは普通、絶対に考えられぬことだった。 らぐう オにもたびたび来たことがある。自分も、日本に戻れば同 なんのために荒木トスはそのような知遇を得たのだろじように掛されるかもしれぬ。そしてあの連中と同様処 う。理由ははっきりしている。それは彼が日本人だったか刑されるにちがいない。その時、自分は彼等のように死ね らである。当時、欧州に来たただ一人の日本人留学生だつるか。 たからである。人々はこの極東の島国の青年が自分たちと しかし、ここでは誰も荒木のそんな心の秘密を察してく 同じ宗教を学んでいることに感激した。聖ザビエルになられる者はいない。一一十六人の日本人が殉教した報告がやが って日本に布教しようという情熱にかられた若い宣教師たて口 1 マに伝わると、信徒たちはまるで荒木自身がその一 ちは、極東の島国の情勢をきくために次々と彼をたずねて人であるようにほめたたえる。まるで彼自身がいっか帰国 こと なが よろこ

6. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

「よしてくれよ。指一本ふれなかったぜ。俺が彼女の下着とに満足していた。あわれな母、彼女は、あのクロワ・ル ッスの家で、少年の私に課したきびしい宗教教育が、今、 2 を引き裂いたからか。だが、あんたは、あの女のもっと大 どのような実を結んだかを、まったく知らなかったのであ 切なものを引き裂いたじゃねえか」 「なぜ、・ほくを : : : 」と言いかけて彼はロをつぐみ熱病患る。 あお しずかな日が続いた。夏は高原のすべてのものを碧くそ 者のように震えた。 「悪魔 ! 」と彼は叫んだ。叫びながら拳をむなしくふり上めてしまうほど深く濃かった。私は二枚の絵葉書を買い あて 飛ン・ヴァカンス ジャックと、マー ・テレーズ宛に「よい休暇を」と書い げたが、それはカなく、おろされた。 それつきり一一人に会わなかった。翌日からは夏休みだって送った。もとより返事は来ない。九月になった。霧がた ぜんそくおそ ちこめ肌寒くなってくる。母は、今度は喘息を怖れはじめ たのだ : ・ た。私たちがリョンへ戻る準備をしていた九月一日の未 Ⅶ 明、ドイツ軍はポーランドに侵入を開始した : 夏休みのあいだ、母は保養のため、私を連れてサボアの おもむ のういつけっ 避暑地コン・フルウに赴いた。彼女は脳溢血を神経質なほど十月の一日、夏休みが終ると同時に、すぐ、大学にとん メートル 懼れていた。あの千米にちかい高原の気圧が、彼女の血圧で行った。だがしずかだった。新学期の講義案紙が平和の に良かったのか、どうか。われわれは村はずれの小さなホ日と同じように構内掲示板で。 ( タ。 ( タとなっていた。五六 テルに二部屋を借りた。私はここで、ジャンセニスムの書人の断髪女学生たちが、しぎりと首をかしげながら、それ てちょう 物をよんで暮した。幼年時代から、私を、ともかくも形成を手帖にうっしている風景も、少しも変っていなかった。 。フラトン : : マデニエ講師 したこの思想をみなおしたかったのだ。そこに関心があっ ぶどうしつ ゆが その名をふたたび、見た時、私は、あの老先生の葡萄酒 たのは、人間は原罪によって歪められているということだ くちびる やけのした、丸い薔薇色の顔、いつも唇にうかべている、 けだ。人間はいかに、もがいても悪の深淵に落ちていく。 いかなる徳行も意志もわれわれを純化するに足るものでは甘ったるい微笑、煙草のヤニで黄ばんだ、あごひげをはっ ない。ジャンセニスムのこの考え方こそ、まさしく私の人きりと思いだした。かってアンリ四世中学校の生徒だった 時、老人はこの顔を机の上にのせて、倫理学概論を教え 間観を裏づけるものだ。 何も知らぬ母は、私が久しぶりに宗教書をひもといたこた。今、戦争と大量虐殺との日が、目の前に迫っている時 おそ ふる こぶし しんえん おれ

7. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

ねむ しかし、やつばり 日だ。日が射しこむと暑いばかりでなく、睡っている母の分のない遠足気分になれるわけだ : 貯ロの中がすっかり見えるのがたまらなかった。何十時間も彼女は信太郎が近づくのを待っていたように話しかけてき うわあご のど あけはなしに開いている母のロは、舌も上顎も奥の喉口また。この道を真直ぐ行けば浜通いの・ハス道路へ出られる だえきねんえき で乾き切ってヒビ割れたようになっており、唾液や粘液がかという。そのとおりだとこたえると、彼女は下駄の歯で 黄色く段になってコビりついていて、水をよくふくませた地面をえぐるように脚をよじらせながら、いま娘を入院さ だっしめん 脱脂綿で何度拭いてもとれないのだ。それはともかく、スせてきたのだと言った。 ダレを買いに出掛けたのが昨日だということをハッキリ憶「泣きますの。たいへんに泣きますの。それだけがあの娘 えているのは、途中で出会った中年の婦人のためだ。 の病気ですの」 なみ あれは桜並木の坂路を下ったあたりであった。つまり病「中学生がはじめて寄宿舎に入れられるときだって泣くで とうげ パランしよう」と信太郎は去年、母を入院させる日に看護人の言 院を字型にかこむ山の峠をこえたところだ。黒い ようす ルを持った女が一人、・ほんやりした様子で立っていた。日った言葉をおもいだして言った。 っえ いいえ、いまは注射で眠らせてございますの。でも、夜 ははげしく照りつけているのに・ハラソルを杖のように地面「 からだ に立てたまま、真直ぐなスカートを着けた驅が棒みたいだ中になると泣きます。毎晩きまって泣きますの」 ゅううっしよう った。信太郎はほとんど直感的に彼女が何をしているかを 五年前に彼女の娘は失明した。それ以来憂鬱症になって 嗅ぎつけた。肉親の誰かを病院に置いてかえるところにち泣いてばかりいるのだという話だった。信太郎はかなり気 、刀し / 「し をつけて聞いているつもりだった。だが注意して聴けば聴 おっくう くほど、それは何となく腑に落ちない話におもえた。きっ 信太郎は彼女のそばを通りぬけるのが億劫な気がした。 はぶ やっかい つごう 何か話しかけられたりするのが厄介におもえたからだ。しと話して都合の悪いことは省いてはなすためだろう。しか かし一本道を引き返す気には無論なれない。彼は病院の外し婦人はともかく話したいだけはなしてしまうと、急に元 ほそおもてひたい ひや の空気をはじめて吸ったばかりのところだった。木の葉の気になって歩き出した。日灼けした細面の額に大粒の汗を におい、海のにおい、土のにおい、そういったものがどん吹き出させ、息をはずませながら。 なに素晴らしいものであるか、また全身にふりそそぐ太陽そのことし十七になるという娘が、いま手前どなりの病 の光がここではどんなに新鮮なものに感じられることか。室に入っている。 これでもし母のことさえ気にかけなければ、まったく申し「ここはどこでしよう。どなたも知った方がいらっしゃい おば

8. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

こうり べッドから逼いおりると、阿部ミツは床においた行李をとなっているかも知れない。そんな想像が・ほんやりと彼の ひ、だ ていねい 掻き廻して、丁寧に折りたたんだ日章旗をとりだした。雨心に浮んだ。喫めぬ煙草を戸田の抽出しから取ると、彼は し それに火をつけた。幾度も考えた末、必勝という平凡な文 だれのような染みがその安つばい白地にきいろくついてい 句を味気ない気持で書きつけた。 「大部屋の人には書いてもらいましたから、先生も息子さ んのために、なにか書いてつかあさい」 一方戸田の想像を裏書するように田部夫人の予備検査は 「ああー . はお、 0 、り その旗を手にとると、勝呂は尚史おばはんにオペの予定できるだけ正確に細心に行われていった。戸田はとも角、 浅井助手としてはこの手術の成否が第一外科における自分 日を打明けることができなくなった。 手術の日どりが発表されたのは罕朝である。来週の金曜の将来に関係するから懸命なのである。助手はこの一、二 しっとう 日の午前にまず田部夫人をおやじ自身が執刀する。それか年のうちに短期現役に服務している同僚が研究室に戻るこ アス・フロ ら一週間たっと、おばはんのオペが柴田助教授の手で行わとを懼れていた。その前におやじの自分にたいする個人的 れることになったのだ。そのいずれにも勝呂は戸田と一緒な信頼感を強めておかねばならぬ。彼が狙っている講師の ちょうあい アシスタント ロは主任教授の寵愛によって左右されるのだ。 に手術助手としてたち合うことを命ぜられていた。 アス・フロ ただ柴田助教授は , ーーこれも戸田の解釈なのだがーーお オペの日どりがきまればその日から患者は動揺する。メ ろっこっ スの痛さ、肋骨を折る鈍い音などをあれこれ想像するだろやじの出世を妬んでいるらしかった。彼はおやじによって かした う。そうした苦痛な一週間を彼は他の患者なら兎も角、ほ育てられたのではなく、その前の第一外科部長、桓下教授 とんど死ぬ可能性のあるこの女には告げる勇気もなくなつの弟子だったからである。 主任教授の回診は週に一一度ときまっていたのだが、手術 てくる。 寒々とした研究室に戻ると彼は試験管やビンセットを押前のこの一週間、おやじはほとんど毎日、田部夫人を診察 しやって、机の上に阿部ミツの託した日章旗をひろげた。 勝呂にはそこに何を書いてよいのかわからない。安手の生「秋には退院ですよ」浅井助手の手渡す胸部断層写真を窓 うなす 地の上に大部屋の者たちの文字が幾つか並んでいた。このの方にむけて眺めながら彼はこの患者に肯いてみせる。 ライへ 旗が義清とよぶ息子の手もとに渡る時はおばはんは、死体「あとは半年、田舎で寝ていられればいい。来年の正月に おそ の

9. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

どの顔も兇暴にゆがめられている。連合軍にたいするナ チの憎みは昨日から、リョン市民に注がれている。死に追 ねずみねこ いつめられた鼠が猫にではなく自分の一族に飛びかかるよ 、ハンツ、ペ 1 ター、といったナチ うに、ム「日、フランツ の兵士たちはリョン市民たちをくるしめる、それだけの為 に街になだれ込んでいる。レ。ヒ = プリック街で、エ、 りようじよく ル・ゾラ街で、彼等は娘たちを凌辱し、民家や商店をあ らしたりしている。ナチの誇った軍紀など糞くらえだ。 ふんぬ 私は彼等の血ばしった眼や憤怒にゆがんだ頬を想像する わら くらびる だけで、うすい嗤いが唇にうかぶのを禁じることができ キリスト ない。文化とか基督教とか、ヒ = 1 マ = ズムなどはなんの 役にもたたない今日なのだ。ナチに限ったことではあるま ュー戸べアン レ・ザリエ 一九四一一年、一月二十八日、この記録をしたためてお 。連合軍であろうが、文明人であろうが、黄色人であろ レ・ザリエ く。連合軍はすでにヴァランスに迫っているから、早くてうが、人間はみな、そうなのだ。今日、虐殺される者は明 ごうもん 明日か明後日にはリョン市に到着するだろう。敗北がもう 日は虐殺者、拷問者に変る。明日とはリョン市民が牙をな 決定的であることは、ナチ自身が一番よく知っている。 らして、逃げ遅れたドイツ人、彼等を裏切った協力者に ガラスはげ サドはうまいことを一一 = ロって 今も、この。ヘンをはしらせている私の部屋の窓硝子が烈とびかかる日だ。マルキ・ド・ しく震えている。抗戦の砲声のためではない。ナチがみずいる。 、ようりようさくれつおん : かくて人間の血は赤くそまり 人から爆破したローヌ河橋梁の炸裂音である。けれども橋 けらくかがや その目は拷問の快楽に赫き : ・ 梁を崩し、ヴィエンヌからリョンに至る 2 道路を寸断し 白たところで津浪のような連合軍は防ぎとめられる筈はな私のつむ 0 た眼の奥で、あの老大を組みしいた女中イボ 。巴里のフォン・シ = テット将軍はリョン死守を厳命しンヌの弾力ある腿の白さが ( ッキリとうかぶ。私はそれを Ⅱたというが、死守はおろか作戦的後退すらうまくいくかわ人間が、他者にたいする真実の姿勢だと思う。 かったものではない。 ムる つなみ はオ くそ ほお コラボラチュール ため

10. 現代日本の文学 45 安岡章太郎 遠藤周作集

かこわ しば 鍵が毀れているために外側から細ビキで厳重に縛られてい るその古ぼけたカ・ハンは、あけてみると中には、たしかに 入れてあったはずだという現金も、貯金通帳もなく、荷造 わらなわ いっちょうかま りのとき藁繩を切るためにつかった一挺の鎌が、長い柄を のこぎり・ 斜にして入っているばかりだったのだーーー。鋸のようにギ ザギザの刃をつけた鎌は、まだところどころに黄色い藁ク ぶ、み ズがついており、不気味な動物をおもわせる青黒い光りを うちば 放ちながら、鋭い切っ先をカ ' ハンの内貼りの布に突き刺し ていた。信太郎はギクリとした。 : : : 毀れかかった古めか しいそのカ・ハンの中から、混乱した母の思考が流れ出し、 しつよう 執拗に自分を捉えようとしているように思えたからだ。 それから三ヶ月ばかりたった或る日、信太郎は突然、一 通の奇妙な手紙を受けとった。それが母からのものだと気 がつくまでには、しばらくかかった。ひどく曲った大小ふ ぞろいの字が、封筒の上いちめんに散らばっており、切手 は裏面の封をとじた合せ目に貼ってある。封を切ると、ほ とんど白紙のままのものや、一一三字書いただけでクシャク シャに消したり、デタラメにインクをなすりつけただけの 景ような字の並んでいるレターベー ・ハ 1 が出てきた。どうに のか判読して、つなぎ合せると次のような文章になる。 海 その後お変りありませんかわたくしはこの間キチガ イ医シャのところへ行ってまいりましたがべつにど うというワルイこともないようですおとうさんは またニワトリをかいはじめました中古のこわれそこ ないの自テンシャを高いおカネを出して買ってきて それでまい日エサを買いに行っていますどうせ卵を 売ってもエサ代と同じぐらいにしかならないのだから アホウらしいことそのくせ自分ではモハン的ようけ いをやって村の指ドウしやになるとイ・ハってばかり いますがひやく姓たちはタマゴはもうからんダメじ やといって相手にしません こちらへ来てからおとうさんは誰とも口をききませ ん伯父さんとも一言も口をききません 伯母さんはとてもワルイワルイひとですまい日 オコリどおしでこの間もマキをもってわたしを追い かけてきました マキでわたしを叩きますわたしにハダカになれとい っていど端でハダカにしておいてばんばんと叩きます はやく東京へ行きたい一日もはやく東京でくらしま しよう この手紙もかくれてやっとかいているのですこれを 出すのがまた大変ゅうびん局へもかってに行かせて くれませんひとにたのんで出してもらいますどう か無事にとどきますように 母より 信太郎どの