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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

其の間抜けさ加減だから、露店の亭主に馬鹿にされるん附風情が何を知って、周章なさんな。 なかもの せんじよう だ。立派な土百姓に成りゃあがったな、田舎漢め ! 」 僭上だよ、無礼だよ、罰当り ! お前が、男世帯をして、いや、菜が不味いとか、女中が 焼豆腐ばかり食わせるとか愚痴った、と云って、可いか、 四十 此の間持って行った重詰なんざ、妙が独活を切って、奥さ ようようそれつば んが煮たんだ。お前達ア道具の無い内だから、勿体ない、 主税は漸々、其も唾が乾くか、かすれた声で、 、れいも 「三世相を見て居りましたのは、何も、そんな、そんな訳一度先生が目を通して、綺麗に装ってあるのを、重箱のま ま、売婦とせせり箸なんそしゃあがって、弁松にや叶わな じやございません : : : 」とだけで後が続かぬ。 ほんやく いとか、何とか、薄生意気な事を言ったろう。 「飜訳でも頼まれたか、前世は牛だとか、午だとか。」 とんし くわ いきさことばひった じようだん よく、其の慈姑が咽喉に詰って、頓死をしなかったよ。 と串戯のような警抜な詰問が出たので、聊か言が引立っ 無礼千万な、未だ其の上に、妙の縁談の邪魔をすると云 て、 「、実は其の何でございまして。其の、此間中から、おうは何事だ。」 と大喝した。 嬢さんの御縁談がはじまって居ります、と聞きましたもん ですから、」 主税は思わず居直って、 なか そっ 小芳は窃と酒井を見た。此の間でも初に聞いた、お妙の「邪魔を : : : 私、私が、邪魔なんぞいたしますものでござ 縁談と云うのを珍らしそうに。 いますか。」 こうの 「ははあ、じゃ何か、妙と、河野英吉との相性を検べたの「邪魔をしない ! 邪魔をせんものが、縁談の事に付いて、 おれ 坂田が己に紹介を頼んだ時、お前何故其を断ったんだ。」 かい。」 、んだら かなれいのしん 偂果せる哉、礼之進が運動で、先生は早や平家の公達を御「 : ・ 「何故断った ? 」 図存じ、と主税は、折柄も、我身も忘れて、 まぶたさっ 婦「はい、」と云 0 て、思わず先生の顔を見ると、臉が颯と「あんな、道学者、」 「道学者が何うした。結構さ。道学者はお前のような犬で 暗く成るまで、眉の根がじりりと寄って、 しゅんぞう ない、畜生じゃないよ。何か、お前は先方の河野一家の理 「大きに、お世話だ。酒井俊蔵と云う父親と、歴然とした、 かど っ、ん 想とか、主義とかに就いて、不服だ、不賛成だ、と云った 謹 ( 夫人の名。 ) と云う母親が附いて居る妙の縁談を、 ほしみせ はっ れつき しら たえ ろけ だいかっ わわたくし ま あわて もったい おんな

2. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

とこ かしわや か、と電話を掛けねえ。柳橋の小芳さん許だ。柏屋の綱次 「全くお生憎なんですよ。」 あらわ こっぜん と云う美しいのが、忽然として顕れらあ。 と入口を塞いだ前へ、平気で、ずんと腰を下ろして、 ど さかなや たんび 「見ねえ、身もんでえをする度に、どんぶりが鳴らあ。腹何うだ、驚いたか。銀行の頭取が肴屋に化けて来たのよ。 いよ、御趣向 ! 」 の虫が泣くんじゃねえ、金子の音だ。びくびくするねえ。 ほこりはた と変な手つき、にゆうと女中の鼻頭へ突出して、 お望みとありや、千両東で足の埃を払いて通るぜ。」 はんてんぎ もりじおこなた とあげ膝で、ボコボン靴をずぶりと脱いで、装塩の此方「それとも半纏着は看板に障るから上げねえ、とでも吐か てめえとこ して見ろ。河岸から鯨を背負って来て、汝ン許で泳がせる へポカン。 かいわいこうずい やていばね 声が高いので最う一人、奥からばたばたと女中が出て来ぞ、浜町界隈洪水だ。地震より恐怖え、屋体骨は浮上る て、推重なると、力を得たらしく以前の女中が、 女中二人が目配せして、 「真個にお前さん、お座敷が無いのですよ。」 「とも角お上んなさいまし、」 「看板を下ろせ、」 ど と喚いて、 「何うにか致しますから。」 なじみ 「座敷がなくば押入へ案内しねえ、天井だって用は足りら「何だ、何うにかする。格子で馴染を引くような、気障な 事を言やあがる。だが心底は見届けたよ。いや、御案内 。ゃあ、御新規お一人様あ、」 しりあが げどうづら と尻上りに云って、外道面のロを尖らす、相好塩吹の面 きなこえ ごと の如し。 と黄声を発して、どさり、と廊下の壁に打附りながら、 そっちあねえ やつば 「其方の姉は話せそうだな。うんや、矢張りお座敷ござな「何処だ、何処だ、さあ、持って来い、座敷を。」 あんま づら く面だ。変な面だな。はははは、トおっしやる方が、余り で、突立って大手を拡げる。 こらら 変でもねえ面でもねえ。」 「何うそ此方へ、」 にぎりこぶしねじこ ひっこす と廊下で別れて、一人が折曲って二階へ上る後から、ど 行詰った鼻の下へ、握拳を捻込むように引擦って、 ふとん 「んながら恁う見えても、余所行きの情婦があるぜ。待しどし乱入。只ある六畳へのめずり込むと、蒲団も待たず、 はんももひ、 おおあぐら た - がい、、 こしれ 合へ来て見繕いで拵えるような、・ へら・ほうな長生をするも半股引の薄汚れたので大胡坐。 ごしゅ んかい 「御酒をあがりますか。」 おう、八丁堀のめの字が来たが、の、の、承知か、承知「何升お燗をしますか、と聞きねえ。仕入れてあるんじゃ おっかさ ほんとう わめ あいにく ふさ ひざ こ が そうごう まら かん と ひろ おっかね よっか

3. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

取って、仏壇の中に落ちた線香立ての灰を、フッフッと吹 いて、手で撫でる。 戸外を金魚売が通った。 しとね お蔦は蓐に居直って、押入の戸を右に開ける、と上も下「何でしよう。此の小使は、又可訝なものじゃないの、 も仏壇で、一ツは当家の。自分でお蔦が守をするのは同居とお妙が顔を赤うして「ムう一新聞に書いたのは ()B 横 / 、、 0 ぶよ せんげん みだし だけに下に在る。それも何となくものあわれだけれども、町。 ) と云う標題で、西の草深のはずれ、浅間に寄った、 こうじ らか【」ろあだな つまな 後姿が褄の萎えた、かよわい状は、物語にでもあるような。最う郡部に成ろうとする唯ある小路を、近頃渾名して AB ごろ あべごおり とな なでがた もすそ 直ぐに其の裳から、仏壇の中へ消えそうに腰が細く、撫肩横町と称える。既に阿部郡であるのだから語呂が合い過ぎ ここしじゅく これ るけれども、是は独語学者早瀬主税氏が、爰に私塾を開い がしおれて、影が薄い。 ところ たわむれし たえま さきか、さが 紙入の中は、しばらく指の尖で掻探さねば成らなかったて、朝から其の声の絶間のない処から、学生が戯に爾か ひろ 、ちん かわいそうだいじしま ほど、可哀相に大切に蔵って、小さく、整然と畳んで、浜名づけたのが、一般に拡まって、豆腐屋までが AB 横町と せいしようこう 町の清正公の出世開運のお札と一所にしてあった、其の新呼んで、土地の名物である。名物と云えば、最一ッ其の早 にたきふ、そうじ なじみ へだてごころ 聞の切抜を出す、とお妙は早や隔心も無く、十年の馴染瀬塾の若いもので、是が煮焼、拭掃除、万端世話をするの はなうたうた いなせあにい うなじ とこもた のように、横ざまに蓐に凭れながら、頸を伸して、待構えであるが、通例なら学僕と云う処、粋な兄哥で、鼻唄を唱 えばと云っても学問をするのでない。以前早瀬氏が東京で て、 ちかづき ある すり ちょいと 「一寸、どんなことが書いてあって。又掏賊を助けたりな或学校に講師だった、其処で知己の小使が、便って来たも やくしゃ んか、不可ないことをしたのじゃないの。急いで聞かしてのだそうだが、俳優の声色が上手で落語も行る。時々 ( 入 ちょうだい らっしゃい、 ) と怒鳴って、下足に札を通して通学生を驚 頂戴な。」 とんあい、よう あなた かす、飛だ愛敬もので、小使さん、小使さんと、有名な島 「、まあ、貴女がお読みなさいまし。」 山夫人をはじめ、近頃流行のように成って、独逸語を其の 「拝見な。」 ごひい ほおづえ と寝転ぶようにして、頬杖ついて、畳の上で読むのを見横町に学ぶ貴婦人連が、大分御贔屓である、と云う雑報の ひ、だしのぞ ながら、抜きかけた、仏壇の抽斗を覗くと、其処に仰向け意味であった。 ちから 小芳が、おお暑い、と云いつつ、いそいそと帰って来た。 にしてある主税の写真を密と見て、ほろりとしながら、カ うわさ ふところ タリと閉めた。懐中へ、其の酒井先生恩賜の紙幣の紙包を話に其の小使の事も交って、何であろうと三人が風説と たえ そっ さっ おもて な こ たよ アアベ工

4. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

もた いつばく、ゆうし 言うに及ばずながら、奥方は何うかすると、一白九紫を口凭れかかって、でれでれと溶けた顔が、河野英吉に、寸分 よろ にされる。同じ相性でも一姆わるし、中程宜しからず、末違わぬ。 だんないカカ おほっか 「旦那如何でございます。えへへ、」と、かんてらの灯の 覚東なしと云う縁なら、幾干か破談の方に頼みはあるが だしぬけ かげ 蔭から、気味の悪い唐突の笑声は、当露店の亭主で、目を ・ : 衣食満ち満ち富貴 : : : は弱った。 細うして、額で睨んで、 のみならず、子五人か、九人あるべしで、平家の一門 藤原一族、天下にらむずる根ざしが見えて容易でな「大分御意に召しましたようで、えへへ。」 「幾干だい。」 ひるすぎ とぎよっとした主税は、空で値を聞いて見た。 既に過日も、現に今日の午後にも、礼之進が推参に及ん だ、と云うきっさきなり、何となく、此の縁、纏まりそう「然うでげすな。」 ひさし ひとかた と古帽子の庇から透かして、撓めつつ、 で、一方ならず気に懸る。 あたま コ一十銭にいたして置きます。」と天窓から十倍に吹懸け ああ、先生には言われぬ事、奥方には遠慮をすべき事に しても、今しも原の前で、お妙さんを見懸けた時、声を懸る。 あお わたしいや 爾時かんてらが煽る。 けて呼び留めて、もし河野の話が出たら、私は厭、とおっ ひとこと 主税は思わず三世相を落して、 しゃいよ、と一言いえば可かったものを。 その 大道で話をするのが可訝ければ、其辺の西洋料理へ、と「高価い ! 」 、ゆうせいはやドてんとう、ゆうて すくの ゃぶそば 「お品が少うげして、へへへ、当節の九星早合点、陶宮手 云っても構わず、鳥居の中には藪蕎麦もある。さしむかい おんな び、ぐさ まるまげつ、そ に云うではなし、円髷も附添った、其の女中とても、長年引草などと云う活版本とは違いますで、」 ひつら * いぬたかほうばい 「何だか知らんが、散々汚れて引断ぎれて居るじゃない の、大鷹朋輩の間柄、何の遠慮も仔細も無かった。 お妙さんが又、あの目で笑って、お小遣いはあるの ? と しゅうらん らやん 図は冷評しても、何処かへ連れられるのを厭味らしく考える「でげすがな、絵が整然として居りますでな、挿絵は秀蘭 こり・ さんぜそう さいさだひで なか 斎貞秀で、是や三世相かきの名人でげす。」 婦ような間ではないに、ぬかったことをしたよ。 みつ と出放題な事を云う。相性さえ悪かったら、主税は一一十 なそと取留めもなく思い乱れて、凝と其の大吉を瞻めて あえ たちましつば さしえ 居ると、次第次第に挿画の殿上人に髯が生えて、忽ち尻尾銭の其の一一倍でも敢て惜くはなか 0 たろう。 のように足を投げ出したと思うと、横倒れに、小町の膝へ「余り高価いよ。」と立ちかける。 おかし よ こ いやみ まと そ そのとき さんざ とろ た ふつか

5. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

0 やっかい 「沢山頂きました、こんなに御厄介に成っては、実に済み そろそろ ません : : : 最う、徐々失礼しましよう。」 十六 まじめ と恐しく真面目に云う。 この 「否、返さない。此間から、お泊んなさいお泊んなさいと扨て湯へ入る時、はじめて理学士の書斎を通った。が、 あなた わたし ぎぶとん そこす 云っても、貴下が悪いと云うし、私も遠慮したけれど、可机の上は乱雑で、其処に据えた座蒲団も無かった、早瀬に それ いわ、最う泊っても。今ね、御覧なさい、牛込に居る母様敷かせて居るのが其らしい いで こどもおもらや から手紙が来て、早瀬さんが静岡へお出なすって、幸いお机には、広げたままの新聞も幅をすれば、小児の玩弄物 ごちそう ちかづき 知己に成ったのなら、精一杯御馳走をなさい、と云って来も乗って、大きな書棚の上には、世帯道具が置いてある。 うれ たの。嬉しいわ、私。 湯は、だたっ広い、薄暗い台所の板敷を抜けて、土間へ これ ひあわい すえぶろ あのね、実は是は返事なんです。汽車の中でお目にかか出て、庇間を一跨ぎ、据風呂を此の空地から焚くので、雨 こちらじゅく った事から、都合があって此方で塾をお開きなさるに就いの降る日は難儀そうな。 ちっ まりこ て、些とも土地の様子を御存じじゃない、と云うから、私其処に職なで居た、例のつんつるてん鞠子の婢が、湯加 じようあんばい がお世話をしてなんて、其処はね、可いように手紙を出し減を聞いたが上塩梅。 そ たの、其の返事、」 どっぷり沈んで、遠くで雨戸を繰る響、台所をばたばた てのひら とんう す と掌に巻き据えた手紙の上を、軽く一つ丁と拍って、 二三度行交いする音を聞きながら、やがて洗い果てて又浴 かあさん こしらえ やしき 「母様が可い、と云ったら、天下晴れたものなんだわ。緩びたが、湯の設計は、此の邸に似ず古びて居た。 こともしもう、もう めしあが いなりふんどし り召食れ。而して、是非今夜は泊るんですよ。其のつもり 小灯の朦々と包まれた湯気の中から、突然褌のなりで、 で風呂も沸してありますから、お入んなさい。寝しなにし下駄がけで出ると、と風の通る庇間に月が見えた。廂は のぞ ますか、それとも颯と流してから喫りますか。どちらでも、ずれに覗いただけで、影さす程にはあらねども、只見れば しろがねよろ はだみ 最う沸いてるわ。そして、泊るんですよ。可くって、」 尊き光かな、裸身に颯と白銀を鎧ったように二の腕あたり あお 念を入れて、やがて諾と云わせて、 蒼ずんだ。 おととい 「ああ、昨日も一昨日も、合歓の花の下へ来ては、晩方寂思わず打仰いで、 しそうに帰ったわねえ。」 「ああ、お妙さん。」 うつむ 俯向いた肩がふるえて、 さっ うん あが かろ よ きみ たえ ひとまた しょだな くうち おさん と

6. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

めえ わっし 「まあ、忍けときねえな。其を、お前、大先生に叱られた私は、お仏壇と、それから、蔦ちゃんが庭の百合の花を 惜がったから、莟を交ぜて五六本ぶらさげて、お源坊と、 って、柔順に別れ話にした早瀬さんも感心だろう。 かみさん すり だが、何だ、其で家を畳むんじゃねえ。若い掏摸が遣損車屋の女房とで、縁の雨戸を操るのを見ながら、梅坊主の おもいれ まばたき * ゆらのすけ なって、人中で面を打たれながら、お助け、と瞬するか由良之助、と云う思入で、城を明渡して来ましたがね。 世の中にや、飛だ唐変木も在ったもんで、未だがらくた ら、其処ア男だ。諾来た、と頼まれて、紙入を隠して遣っ ばれ たのが暴露たんで、掏摸の同類だ、とか何とか云って、旦を片附けてる最中でさ、だん袋を穿きあがった、」 かけおら らから いでたら ながたっきええ 那方の交際が面倒臭く成ったから、引払って駈落だとね。 と云いかけて、主税の扮装を、じろり。 めえ 話は間違ったかも知れねえけれど、何だってお前さん頼ま「へへへ、今夜はお前さんも着ってるけれど。まあ、可い あばた れて退かねえ、と云ゃあ威勢が可いから、然う云って、さや。で何だ、痘痕の、お前さん、然も大面の奴が、ぬうと、 ところ あ、おい、皆、一番しゃん、と占める処だが、旦那が学者あの路地を入って来やあがって、空いたか、空いったか、 なんだから、万歳、と遣れ。いよう旦那万歳、と云うと御と云ゃあがる。それが先生、あいたかった、と目に涙でも ちかごろはや しんぞ 新造万歳、大先生万歳で、次手にお源ちゃん万歳ーーまで何でもねえ。家は空いたか、と云うんでさ。近頃流行るけ は可かったがね、へへへ、かかり合だ、其の掏摸も祝ってれど、ありや不躾だね。お前さん、人の引越しの中へ飛込 んで、値なんか聞くのは。たとい、何だ、二ツがけ大きな 遣れ。可かろう、」 すずめこ まんまつぶま スティションてまね と乗気に成って、め組の惣助、停車場で手真似が交って、内へ越すんだって、お飯粒を撒いて遣った、雀ッ子にだっ ほおずき なごり なじみ 「掏摸万歳ーーと遣ったが、 ( すりばんだい。 ) と聞えまして残懐は惜いや、蔦ちゃんなんか、馴染に成って、酸漿を ながしもとけえろ 、やり 鳴らすと鳴く、流元の蛙は何うしたろうッて鬱ぐじゃねえ よう。近火のようだね。火事は何処だ、と木遣で騒いで、 、んらやくきり 巾着切万歳 ! と祝い直す処へ、八百屋と豆腐屋の荷の番をか。」 しながら、人だかりの中へ立って見てござった差配様が、 「止せよ、そんな事。」 と主税は帽子の前を下げる。 お前さん、苦笑いの顔をひょっこり。これこれ、火の用心 てまわ まけ だけは頼むよ、と云うと、手廻しの可い事は、車屋のかみ「まあさ、そんな中へ来やあがって、お剰に、空くのを待 くらぶり はたき って居た、と云うロ吻で、其の上横柄だ。 さんが、あとへ最う一度払を掛けて、縁側を拭き直そう、 ばんておけ だれしやく おんなじ おかし と云う腹で、番手桶に水を汲んで控えて居て、何うぞ御安誰の癪に障るのも同一だ、と見えて、可笑ゅうがしたぜ。 ひきこ 心下さいましッさ。 車屋の挽子がね、お前さん、え、え、ええッて、人の悪い それ ひッばら おおやさん しか やッそく かた・つ ぶしつけ とん つばみ やっ ふさ

7. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

もみで 女房は染めた前歯を美しく、 と亭主は前へ出て、揉手をしながら、 「しかし、此のお天気続きで、先ず結構でござりやすよ。」「あいあい。」 すす と何もない、煤けた天井を仰ぎ仰ぎ、帳場の上の神棚へ目 を外らす。 四 「お師匠さん、」 ちょっとな 「時に何かね、今此家の前を車が一一台、旅の人を乗せて駈 女房前垂を一寸撫でて、 ちょうし 抜けたつけ、此の町を、 「お銚子でございますかい。」と莞爾する。 てぬぐい と千した猪ロで門を指して、 門附は手拭の上へを置いて、腰へ三味線を小取廻し、 うら あぐら うちわ コ一三町行った処で、左側の、屋根の大きそうな家へ着け 内端に片膝を上げながら、床儿の上に素足の胡坐。 あすこ あお たのが、蒼く月明りに見えたがね、 : : : 彼処は何かい、旅 ト裾を一つ掻込んで、 ごや 籠屋ですか。」 「早速一合、酒は良いのを。」 みなとや 「ええ、もう飛切りのをおつけ申しますよ。」と女房は土「湊屋でございまさ、なあ、」と女房が、釜の前から亭主 ひばし ひばち 間を横行歩き。左側の畳に据えた火鉢の中を、邪険に火箸を見向く。 で掻い撼って、赫と赤く成った処を、床几の門附へずいと「湊屋、湊屋、湊屋。此の土地じゃ、まあ彼処一軒でござ ぜん りますよ。古い家じゃが名代で。前には大きな女郎屋じゃ 寄せ、 ったのが、旅籠屋に成ったがな、部屋部屋も昔風其のまま 「さあ、まあ、お当りなさりまし。」 うら てすり ありがて な家じゃに、奥座敷の欄干の外が、海と一所の、大い揖斐 「難有え、」 すず、は てつかつまひッばさ の川口じゃ。白帆の船も通りますわ。鱸は刎ねる、鯔は飛 と鉄拐に褄へ引挾んで、ほうと呼吸を一つ長く吐いた。 うら がけうら とん 燈「世の中にや、こんな炭火があると思うと、里心が付いてぶ。頓と類のない趣のある家じゃ。処が、時々崖裏の石垣 あかり かわやっ かわうそはいこ 行尚お寒い。堪らねえ。女房さん、銚子を何うかね、ヤケとから、獺が這込んで、板廊下や厠に点いた燈を消して、悪 おそろしばけかた ずら ちっ あっかん 歌言う熱燗にしておくんなさい。些と飲んで、うんと酔おう戯をするげに言います。が、別に可恐い化方はしませぬで。 こんな月の良い晩には、庭で鋼叩きをして見せる。 : : : 時 と云う、卑劣な癖が付いてるんだ、お察しものですぜ、え ぐ てんばうせん 雨れた夜さりは、天保銭一つ使賃で、豆腐を買いに行くと 7 え、親方。」 えら あい、よう それ かた 言う。其も旅の衆の愛嬌じや言うて、豪い評判の好い旅籠 「へへへ、お方、それ極塾じゃ。」 たま かっ おかみ く あ す ま につこり ( とりまわ かみだな っ なだい そ いか かけ はた

8. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

こども たもと ら、留守では、芋が焦げて、小児が泣く。町内迷惑な : やがて、水道橋の袂に着くーー・酒井は其の雲に駕して、 ゅうゆう 其の、男女交際会の軍用金。諸処から取集めた百有余円を、 悠々として、早瀬は霧に包まれて、ふらふらして。 なじみ ま、たばこ から 無言の間、吹かして居た、香の高い巻莨を、煙の絡むだ馴染の会席へ支払いの用があって、夜、モオニングを着て、 あかる まま、ハタと其処で酒井が棄てると、蒸気は、ここで露に扨て電燈の明い電車に乗った。 たいじん 、今日の午後。 ) と酒井先生方の ( アバ大人ですか、ハノノ なって、ジューと火が消える。 ちから もえぎ 萌黄の光が、ばらばらと暗に散ると、炬の如く輝く星が、書生が主税に告げたのと、案ずるに同日であるから、其の あみあげぐっ そとばり っ 編上靴は、一日に市中の何のくらいに足跡を印するか料ら 人を乗せて衝と外濠を流れて来た。 れぬ。御苦労千万と謂わねばならぬ。 先哲日く、時は黄金である。そんな隙潰しをしないでも、 うけと 電車 交際会の会費なら、其場で請取って直ぐに払いを済したら あらた ふうし ひとま てもと 好さそうなものだが、一先ず手許へ引取って、更めて夫子 みずから 自身を労するのは ? 知らずや、此の勘定の時は、席料な しに、其家の何とか云う姉さんに、茶の給仕をさせて無銭 三十二 で手を握るのだ、と云ったものがある。世には演劇の見物 こうの それ 河野から酒井へ申込んだ、其の縁談の事の為では無いが、の幹事をして、其を縁に、俳優と接吻する貴婦人もあると れいのしん 同じ此の十二日の夜、道学者坂田礼之進は、渠が、主なる云うから。 ところ ほっ、しやか 発企者で且っ幹事である処の、男女交際会ーーー又の名、家尤も是は、嘘であろう。が、会費を衣兜にして、電車に くわ ちゅう 族懇話会ーー委しく註するまでもない、其の向の夫婦が幾乗ったのは事実である。 ひとところ 「ええ、込合いますから御注意を願います。」 組か、一処に相会して、飲んだり、食ったり、饒舌ったり びろう ・ : と云うと尾籠になる。紳士貴婦人が互に相親睦する集 礼之進はにながら、人と、車の動揺の都度、成 図 系会で、談政治に渉ることは少ないが、宗教、文学、美術、るべく操りのポンチたらざる態度を保 0 て、而して、乗合 あばた す、ま 演劇、音楽の品定めが其処で成立つ。現代に於ける思潮のの、肩、頬、耳などの透間から、痘痕を散らして、目を配 しようびくん えんげん はしやす せん 淵源、天堂と食堂を兼備えて、薔薇薫じ星の輝く美的の会って、鬢、簪、庇、目つきの色々を、膳の上の箸休めの たすき えどッこ どくしやく 合、とあって、おしめと襷を念頭に置かない催しであるか気で、ちびりちびりと独酌の格。ああ、江戸児は此の味を そ 、よごと ため かれ しゃべ もっとこれ びんづらかんぎしひさし ほお やくしやキス ひるすぎ ひまつぶ かくし

9. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

おすまい に車を持たせて、大急ぎ、と云って遣ったんですがね。 「結構な御住居でございますな。」 しか あの、地方の車だっていでしよう。其でも何よ、未だ 此処で、つい通りな、然も適切なことをって、部屋へ か・さりさ ぬれいろ ながひばち 入ると、長火鉢の向うに坐った、飾を挿さぬ、巻の濡色か、未だか、と立って見たり坐って見たり、何にも手につ やままゆちりめん が滴るばかり。お納戸の絹セルに、ざっくり、山繭縮緬のかないで、御覧なさい、身化粧をしたまんま、鏡台を始末 縞の羽織を引掛けて、帯の弛い、無造作な居住居は、直ぐする方角もないじゃありませんか。とうとう玄関の処へ立 たてひざ に立膝にも成り兼ねないよう。横に飾った簟笥の前なる、切りに待って居たの。何処を通って来らしって ? 」 ぞうげ うなじ おくれげ 返事も聞かないで、ポンポン時計を打仰ぐに、象牙のよ 鏡台の鏡の裏へ、其の玉の頸に、後毛のはらはらとあるの うな咽喉を仰向け、胸を反らした、片手を畳へ。 が通って、新に薄化粧した美しさが背中まで透通る。白粉 ぎぶとん 「まあ、未だ一時間にも成らないのね。半日ばかり待って の香は座蒲団にも籠ったか、主税が坐ると馥郁たり。 こっち ところ 「こんな処へお通し申すんですから、まあ、堅くるしい御たようよ。途中で何処を見て来ました。大東館の直き此方 わさび ちょいとゆうべはたごや あいさっ 挨拶はお止しなさいよ。一寸昨夜は旅籠屋で、一人で寂しの大きな山葵の看板を見ましたか、郵便局は。あの右の手 れんが ひろこうじ の広小路の正面に、煉瓦の建物があったでしよう。県庁よ。 かったでしよう。」 ちょうだい たんとあが ひばしおさ お城の中だわ。ああ、そう、早瀬さん、沢山喫って頂戴、 と火箸を圧えたそうな白い手が、銅壺の湯気を除けて、 ・もら ロッャまき ちらちらして、 お煙。露西亜巻だって、貰ったんだけれど、島山 ( 夫を の ちっ 「昨夜にも、お迎いに上げましようと思ったけれど、一度、云う ) は些とも喫みませんから : : : 」 ありがた 寂しい思をさして置かないと、他国へ来て、友達の難有さ が分らないんですもの。是れからも粗末にして不実をする け ) と不可ないから : ・・ : 」 まんじゅう ちらり につこり 其から名物だ、と云って扇屋の饅頭を出して、茶をじ どう と莞爾笑って、暼と見て、 てつびん それも 図「其に最う内が台なしですからね、私が一週間も居なかつる手つきはなよやかだったが、鉄瓶のは未だ沸らぬ、と銅 ひしやく 婦た日にや、門前雀羅を張るんだわ。手紙一ッ来ないんです壺から湯を掬む柄杓の柄が、〈し折れて、短く成 0 て居た もの。今朝起抜けから、自分で払を持つやら、掃出すやら、のみか、二度ばかり土瓶にうっして、最う一杯、どぶりと あなた ちっ かたづか 大騒ぎ。未だ些とも片附ないんですけれど、貴下も詰らな突込む。他愛なく、抜けて柄に成って了ったので、 かろうし、私も早く逢いたいから、可い加減にして、直ぐ「まあ、」と飛んだ顔をして、斜めに取って見透した風情 ゆる すわ どうこ わたし たんす ふくいく よ それ たわい や や たぎ

10. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

112 ひとり みつぎ わたしその 然うってくれたのなら、私や其人に礼を言おうや。貢さ「独で承知をしてるのね、姉さん。」 よろ 「うつかりじゃあないわね、可いよ、万更知らない方じゃ ん、逢ったら宜しくと申しておくれ。」 こらか あなし、私も一度お目に懸って、優しそうな可い方だと思 「むこうでも然う云ったよ。小親によろしくッて。」 そんなひど ってるもの。お雪さんが那様酷いめに逢って居なさるんな 「何のこッたね。」 「其が、何だって、其養子がね、大層姉さんのことを、美ら、可いよ、貢さん、お前さんにつけて、其位なことなら ばしてあげようや。」 い女だってね、云ってるそうだ。」 あやぶ いぶか ひばら 、せる と静にいう、思いの外なれば訝りもし、はた危みもしつ。 煙管を落して、火鉢の縁をおさえつつ、小親は新しくわ それ わか みまも 「解ってるの。姉さんが何うにかしておくれなら、其を言 が顔を瞻りぬ。 ムみもら ぐさにして、不品行だからって、其養子を出して遣ろう。 「時か見物をしたんだろうね。」 ぶあしらい ただそそう えみ そんな奴だけれど、唯、疎匇があるの、不遇をするのツて、 小親はこれを聞きて笑を含み、 おっと 「貢さん、もう大抵分ったよ。道理でお前さんは妙な顔をお雪さんをめるばかり。何も良人の権だから、其をとや こないだ しちゃあ、此間ツから私を見て居たんだわ。ああ、そしてこう言うわけのものではない。他に落度は無いものを、立 派な親類が沢山控えて居るにつけて、此方から手の出しょ お前さんは何う思います。」 うがない。そんならって、浮気などするんじや無し、生真 「何をさ。」 ままはは 「何をつて、継母はお前さんに私となかが好いかッて聞い面目だから手も着けられないで居たのに、ついぞ無い、姉 きっと さんを見て、まるで夢中だから、屹度其何なんだって。而 たろう。」 ひとかど して、何うかしておくれなら、もう一廉のものいいがつく。 「そりや聞いたよ。今も話したように。」 たた 屹度叩き出してお雪さんを助けると継母が云うんだがね。 「道理で。」 よろ ) なず 承知だ、宜しいッて、姉さん、何うして分ったんだね。 とまた独り頷きつつ、 「貢さん、そして何だろう、お前さんの口から、ものを私何うして知っておいでなんだい。」 うつむ 小親は俯向きたる顔をあげて、 に幀んでくれと言やあしないかい。」 「ええ。」 「貢さん、お前ざんは何とも思っちゃあ居まいけれど、私 「云ったろうね、ほほほ、解ってるよ、解ってるよ。」 は何だよ、お前さんの事はと云うと、みんな夢に見て知ッ まっくらところ この とまた笑えり。 てるよ。此間だっけ、今だから云うんだがね、真闇な処で わか こっち