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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

あんず きに苦労をしたもんじゃが。 杏や、桃を欲しがった時分とは違うて、あんた色気が着 ざんげ 早や懺悔だと思いなさい。私もあの時分は、意地が張っ いた。それでな、旧のように、小母さん、姉さんは、と言 こども ところ て、根性が悪うて、小児が、其嫌いじゃったでの、憎むまい。処で、つい 、言いそそくれてお了いのであろ。何、 なじみ いものを憎みました。が、もう年紀も取る。ふッつりと心むかし馴染じゃあるけれど、今では女と称うものが分った あんま を入れかえました。優しい女での、今もそれ言う通り、余で、女と男、男と女、女と男と云うことが胸にあるに因っ うらやま かわい ちょっと りあんたを可愛がるもんじやから、私は羨しいので、って、私に遠慮をして、雪のことを一寸ロへ出し悪い、とま や、もち 、それ嫉妬を焼いて、ほんに、貢さんの半分だけなと、 あ言うたわけじゃの、違うまい。むむ。」 うらうなず 私を可愛がツてくれたらなと、の、嫉妬の故に、はははは、面を背けてわれは笑いぬ。継母は打頷き、 つら あんたにも可い顔見せず、あの女にも辛かったが、みんな「それ見なされ。そこは何と言うても小母さんじゃ。胸の 貢さん、あんたの故じゃ。 中は、ちゃんと見通の法印様。 らっ ほんに、其位までに、あんたを思うて居るものを、何と、 それで私も落着いた。いや、然ういう心なら、モ些とも うら 貢さん、私の顔を見ながら、お雪は何うした、姉さんは達怨みには思いませぬ。何うして、あんたのような優しい児 か 者かと、一言ぐらいは、何より先に云ってくんなされても が、如何に余所に良いことが出来たとて、さつばりふいと、 こっち 可さそうなものを、小親に可愛がられるので、まるで忘れ此方を忘れなさるとは思やせなんだが、其処は人情。また うらみ そんな ちょいと るとは、余りな、薄情だ。芸人に成れば其様ものか、怨じ何うであろと思うたで、一寸気を引いて見たばかり。 ばばあ やよ。」 悪く取られては困ります。こんな婆々が、こんな顔で、 ものいい にわかしめ 俄に粛やかなる言語ぶりなり。 こんな怨みつ。ほい事を言うたとて、何んとも思いはしなさ るまいが、何じゃよ、雪が逢うても斯う言います。いま私 の言うたような事を言いますわいの。それはの、言うわけ 五 があるからで。 ままはは けれども、彼の女は、じたい、無ロで、しんみりで、控 其時の我顔を、継母はじっと見しが、俄に笑い出しぬ。 じようだん 目で、内気で、何うして思う事を、さらけ出いてロで云え 「あの真面目な顔が、ははは、串戯じゃ、串戯じゃ。 何の、そんな水臭い人でない事は、私が丁と知って居る。るような性ではない。因って、それ、私がの、其心を察し て、彼の女の代りに言いました。 むむ、知っとるとも。 まじめ わし そのきら らやん たら * みとおし お だ

2. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

った。」 のかい。時にもう何時だろう。」 むすめ 夜は更けたり。天色沈々として風騒がず。見渡すお堀端女は老人の顔を見たり。 こだら みやけざか の往来は、三宅坂にて一度尽き、更に一帯の樹立と相連る「何ですか。」 さぞうらやま あぎけごと れんがおく 「嘸、羨しかったろうの。」という声は嘲る如し。 煉瓦屋にて東京の其局部を限れる、この小天地寂として、 星のみ冷かに冴え渡れり。美人は人欲しげに振返りぬ。百女は答えざりき。渠はこの一冷語のために太く苦痛を感 おもむろ くっ じたる状見えつ。 歩を隔てて黒影あり、靴を鳴して徐に来る。 おまわり 老人は然こそあらめと思える見得にて、 「あら、巡査さんが来ましたよ。」 伯父なる人は顧みて角燈の影を認むるより、直ちに不快「何うだ、羨しかったろう。おい、お香、己が今夜彼家の 婚礼の席へお前を連れて行った主意を知っとるか。ナニ、 なる音調を帯び、 うれ は、だ。はいじゃよ、。其主意を知ってるかよ。」 「巡査が何うした、お前何だか、嬉しそうだな。」 おんな こうべた みまも むすめ いちがんし へんがん 女は黙しぬ。首を低れぬ。老夫はますます高調子。 と女の顔を瞻れる、一眼盲いて片眼鋭し。女はギックリ わか 「解るまい、こりや恐らく解るまいて。何も儀式を見習わ としたる様なり。 ごらそう せようためでもなし、別に御馳走を喰わせたいと思いもせ 「ひどく寂しゅうございますから、もう一時前でもござい ずさ。ただ羨しがらせて、情なく思わせて、お前が心に泣 ましようか。」 、て居る、其顔を見たいばっかりよ。ははは。」 「うむ、そんなものかも知れない、ちっとも腕車が見えんし むすめしようぜん しゅふん おもて ロ気酒芬を吐きて面をも向くべからず、女は悄然として からな。」 横に背けり。老夫は其肩に手を懸けて、 「ようございますわね、もう近いんですもの。」 やや 良無言にて歩を運びぬ。酔える足は搨取らで、靴音は早「何うだお香、あの縁女は美しいの、さすがは一生の大礼 すわ かっ * さんまいがさね はずか だ。あのまた白と紅との三枚襲で、ト羞しそうに坐った恰 査や近づきつ。老人は声高に、 はれ おんな 巡「お香、今夜の婚礼は何うだった。」と少しく笑を含みて好というものは、ありや婦人が一一度とないお晴だな。縁女 * せいもく 行 もさ、美しいは美しいが、お前にや九目だ。婿も立派な男 夜 だが、あの巡査にや一段劣る。もしこれがお前と巡査とで 女は軽くうけて、 なあ いっぞや さぞ あって見ろ。嘸目の覚むることだろう。喃、お香、過日巡査 「大層お見事でございました。」 おれ がってん 「いや、お見事ばかりじゃあない、お前は彼を見て何と思がお前をくれろと申込んで来た時に、吾さえアイと合点す かろ ど なんど、 ひとたび あれ くるま えみ あか おれ あすこ

3. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

ひとず、 人柄で、まことに愛くるしい、人好のする、私なんか女じ おなかみつぎ やが、とろとろとするほど惚れて居ました。其腹の貢さん じゃ。これが又女の中で育ったと言うもので申分の無いお ちごさま だれ 稚児様に出来て居るもの。誰でも可愛がるよ、可愛がりま あん すともさ。はははは、内のお雪なんかの、彼な内気な、引 わしはや 「はツはツはツ、可愛がられておいでじやろ。私は早あん込思案な女じゃったけれど、もう、それは、あんたの事と まるできらがい たが掌へ乗っかるような時の事から知っとるで、そこは言うたら、宛然狂気。起きると貢さん、寝ると貢さん、御 ちゃん えら 豪いもの。顔を見ると丁と分ります。可愛がられると書い飯を頂く時も貢さん、何でも貢さんで持切ってな、あんた が此地に居なくなっても、今頃はどうしておいでなさるじ てある。」 はなし やろ。船の談が出りや、お危い。雨が降りや、寂しかろ。 快よからずニタニタ笑いて、 「そして其の小親と云うのは幾歳におなりだ。はははは、人なっッこいお児じゃったから、何んなに故郷へ帰りたか べっぴんざかり ろ。風が吹けば、風が吹く、お風邪でも召すまいかと、そ 別嬪盛じゃと言えば、十七かな、八ぐらい ? 」 うそ れはそれは言続け。嘘では無い、神信心もして居たようじ いえ、二十一一。」 「む、一一十一一は丁度いい。一一十一一はい年じゃ。丁度其位やが、併し大きくおなりで、お達者なように見える。まあ、 な時が好いものじゃ。何でも其の時分が盛じゃ。あんたも何より結構。 うらや 佳い別嬪に可愛がられて羨ましいの。いんえ、隠しなさる今では能役者と言うものじゃな。はははは、役者役者。 また はて、うつくしい、能役者は亦上品で、古風で可いもんじ な、書いてある、書いてある。」 むかしなじみ やよ。私も昔馴染じやから、これ深切で言いますが、気を 「小母さん、何ですね。」 「何でも無いが少し其談話があるで、何じゃよ。お前さん着けなされ。む、気を着けなさい、女では失策るよ。若い 狂ほんとこども は真個に小児の時から可愛らしかった。色が白くての、ぼ時の大毒は、女と酒じゃ。お酒はあがりそうにも見えぬけ かおつ、 ふと 照ちゃぼちゃと肥って、頬ッペたへ噛りつきたいような、抱れど、女には、それ、可愛がられそうな顔色じゃ。 いんえ、串戯ではない、嘘ではない。余所に面白いこと いて見たいような、いや最う一寸見ると目がなくなるくら おっかさん いじゃった。それも然うかい、あんたの母様はな、何でもが十分あると見えて、それ、たまたまで、顔を見せても、 此のあたりに評判の美い女で、それで優しくって、穏当で、雪の雪の字も言いなさらぬ。な、彼の児も、あんたには大 「其小親、と言うのは、あんた、中が好いのかな。」 「何ですね、小母さん。」 てのひら かわい ほお いくっ その こっち ごろ しくじ

4. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

0 ど いらよう たらないのが不思議さね。もうもう今日という今日は発心 銀杏と出たなあ何ういう気だろう。」 がてん すべった 切った。あの醜婦ども何うするものか。見なさい、アレア 「銀杏、合点がいかぬかい。」 しゃれ 「ええ、わりい洒落だ。」 レちらほらとこう其処いらに、赤いものがちらっくが、何 うじうじ あなたがた なん 「何でも、貴姑方がお忍びで、目立たぬようにという肚だ。うだ。まるでそら、芥塵か、蛆が蠢めいて居るように見え ね、それ、真中のに水際が立ってたろう。いま一人が影武るじゃあないか。馬鹿馬鹿しい。」 「これはきびしいね。」 者というのだ。」 じようだん 「串戯じゃあない。あれ見な、やつばりそれ、手があって、 「そこでお召物は何と踏んだ。」 足で立って、着物も羽織もそろりとお召で、おんなじ様な 「藤色と踏んだよ。」 ′」′もりカ・ 0 はばか しか * ほんよみ 「え、藤色とばかりじゃ、本読が納まらねえぜ。足下のよ蝙蝠傘で立ってる処は、憚りながらこれ人間の女だ、然も * しんぞ 女の新造だ。女の新造に違いはないが、今拝んだのと較べ うでもないじゃよ / い、か」 * あたま まばゅ 「眩くってうなだれたね、おのずと天窓が上らなかった。」て、何うだい。まるでもって、くすぶって、何といって可 いか汚れ切って居らあ。あれでもおんなじ女だっさ、ヘむ、 「そこで帯から下へ目をつけたろう。」 ま あき わ もったい 「鹿をいわっし、勿体ない。見しやそれとも分かぬ間だ聞いて呆れらい。」 「おやおや、何うした大変なことを謂出したぜ。しかし全 ったよ。ああ残惜い。」 ただ ある、ぶり わっし 「あのまた、歩行振といったらなかったよ。唯もう、すうくだよ。私もさ、今まではこう、ちょいとした女を見ると、 めえ すそさばきつま かすみ ッとこう霞に乗って行くようだっけ。裾捌、褄はずれなんついそのなんだ。一所に歩くお前にも、随分迷惑を懸けた はじめ ということを、なるほどと見たは今日が最初てよ。何うもつけが、今のを見てからもうもう胸がすっきりした。何だ そだらがら お育柄はまた格別違ったもんだ。ありやもう自然、天然とかせいせいとする、以来女はふッつりだ。」 やつばらまね 「それじゃあ生涯ありつけまいぜ。源吉とやら、みずから 雲上になったんだな。何うして下界の奴儕が真似ようたっ ひいさま て出来るものか。」 は、とあの姫様が、言いそうもないからね。」 「酷くいうな。」 「罰があたらあ、あてこともない。」 * なか わっし 「でも、あなたやあ、と来たら何うする。」 「ほんのこッたが私やそれ御存じの通り、北廓を三年が間、 ところわっしに * こんびらさま 「正直な処、私は遁げるよ。」 金毘羅様に断ったというもんだ。処が、何のこたあない。 * どて はだまもり 肌守を懸けて、夜中に土堤を通ろうじゃあないか。罰のあ「足下もか。」 ひど ところ そこ ごみ いだ

5. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

、まり こうもりがさ しよう よくり のど 慾彊抜いて大急ぎで歩いたから咽が渇いて為様があるま包につけるか、小弁慶の木綿の蝙蝠傘を一本、お極だね。 ちょいと 、早速茶を飲もうと思うたが、まだ湯が沸いて居らぬと一寸見ると、いやどれもこれも克明で分別のありそうな顔 をして。 とまり しよう ど ゆかた おびひろげ これが泊に着くと、大形の浴衣に変って、帯広解で焼 何うして其時分じやからというて、減多に人通のない山 ひざ はたごや ちゅう 道、朝顔の咲いてる内に煙が立っ道理もなし。 酎をちびりちびり遣りながら、旅籠屋の女のふとった膝へ ておけ しようぎ こながれ やから すね 床儿の前には冷たそうな小流があったから手桶の水を汲脛を上げようという輩じゃ。 ちょいと もうとして一寸気がついた。 ( これや、法界坊。 ) おそろし はや あたま な 其というのが、時節柄暑さのため、可恐い悪い病が流行 なんて、天窓から嘗めて居ら。 おっ って、先に通った辻などという村は、から一面に石灰だら ( 異なことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえ やつば いのら けじゃあるまいか。 と相場が極って、すっぺら坊主になって矢張り生命は欲し いのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さ ( もし、姉さん。 ) といって茶店の女に、 あれま ( 此水はこりや井戸のでござりますか。 ) と、極りも悪し、ん見ねえ、彼で未だ未練のある内が可いじゃあねえか、 ) からか・り もじもじ聞くとの。 といって顔を見合せて二人で呵々と笑った。 めんよう とし まえさんわし ( いんね、川のでございます。 ) という、はて面妖なと思年紀は若し、お前様、私は真赤になった、手に汲んだ川 ためら の水を飲みかねて猶予って居るとね。 だいぶはやりやまい きせるはた ( 山したの方には大分流行病がございますが、此水は何か ポンと煙管を払いて、 ら、辻の方から流れて来るのではありませんか。 ) ( 何、遠慮をしねえで浴びるほどやんなせえ、生命が危く ま うれ そのためわし なあ ( 然うでねえ。 ) と女は何気なく答えた、先ず嬉しやと思 なりや、薬を遣らあ、其為に私がついてるんだ・せ、喃姉さ ただ 、けね しん うと、お聞きなさいよ。 ん。おい、其だっても無銭じゃあ下可えよ、りながら神 じよう ばうまんんたん さっき 此処に居て先刻から休んでござったのが、右の売薬じゃ。方万金丹、一貼三百だ、欲しくば買いな、未だ坊主に報捨 まん、んたんしたまわり * せんすじ 此の又万金丹の下廻と来た日には、御存じの通り、千筋のをするような罪は造らねえ、其とも何うだお前いうことを やはんももひ、 たた ひとえ 単衣に小倉の帯、当節は時計を挾んで居ます、脚絆、股引、肯くか。 ) といって茶店の女の背中を叩いた。 わしそうそうにげだ ふろしきづつみ これもちろんわらじ 之は勿論、草鞋がけ、千草木綿の風呂敷包の角ばったのを私は匇々に遁出した。 ひぎ * とうゆがつば こいっさなだひも いや、膝だの、女の背中だのといって、いけ年を仕った 首に結えて、桐油合羽を小さく畳んで此奴を真田紐で右の それ この 0 その はさ ま それ や や つかまっ

6. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

いっそ に逢えば逢うほど、一層剛胆になる様で、何か知ら邪魔がしねえが、可愛いから、ああしたものさ。気に入るの入ら ないのと、そんなこたあ言ってくれるな。」 入れば、なおさら恋しゅうなるものでな、とても思切れな おもしろ むすめ きっ いものだということを知っているから、ここで愉快いのだ。女は少し屹となり、 あなた 何うだい、お前は思い切れるかい 、うむ、お香、今じゃも「それでは貴下、あのお方に何そお悪いことでもございま あ う彼の男を忘れたか。」 すの。」 むすめややしばらく 女は良少時黙したるが、 恁言い懸けて振返りぬ。巡査は此時囁く声をも聞くべき た。」ときれぎれに答えたり。 距離に着々として歩し居れり。 こうべうらふ 老夫は心地好げに高く笑い、 老夫は頭を打掉りて、 ・もっと・も おりあいつだいす、 「むむ、道理だ。そうやすっぽくあきらめられる様では、 「う、んや、吾や彼奴も大好さ。八円を大事にかけて、世 ねうら 吾が因業も価値がねえわい。これ、後生だからあきらめての中に巡査ほどのものはないと澄まして居るのが妙だ。あ おもいや かこく くれるな。まだまだ足りない、もっと其巡査を慕うて貰いまり職掌を重んじて、苛酷だ、思遣りがなさすぎると、評 とんじゃく たいものだ。」 判の悪いのにも頓着なく、すべ一本でも見免さない、ア / じやけん 女は堪えかねて顔を振上げ、 邪慳非道な処が、馬鹿に吾は気に入ってる。まず八円の価 うら ろくぬすびと 「伯父様、何がお気に入りませんで、そんな情ないことを値はあるな。八円じや高くない、禄盗人とはいわれない、 おっしゃいます、私は、 まことに立派な八円様だ。」 ーと声を飲む。 かが そらうそぶ おんなたま 老夫は空嘯き、 女は堪らず顧みて、小腰を屈め、片手をあげてソト巡査 「なんだ、何がお気に入りません ? 謂うな、勿体ない。何を拝みぬ。いかにお香はこの振舞を伯父に認められじとは こうべ だってまた恐らくお前ほど吾が気に入ったものはあるまい。勉めけむ。瞬間にまた頭を返して、八田が何等の挙動を以 、りようよ 査第一容色は可し、気立は可し、優しくはある、することなて我に答えしやを知らざりき。 巡すこと、お前のことといったら飯のくい様まで気に入るて。 行 しかしそんなことで何、巡査を何うするの、斯うするのと 五 りくっ 夜 いう理窟はない。譬いお前が何かの折に、我の生命を助け てくれてさ、生命の親と思えばとても、決して巡査にゃあ「ええと、八円様に不足はないが、何うしてもお前を遣る 遣らないのだ。お前が憎い女なら吾もなに、邪魔をしゃあことは出来ないのだ。それも彼奴が浮気もので、ちょいと よ たと おれいのら もったい こ お このときささや ど みのが や

7. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

416 おもむ 宗吉は言った。 を徐ろに、左右に辞して、医学博士秦宗吉氏が、 「此の御婦人が御病気なんです。」 「いえ、個人で見舞うのです : : : 皆さん、何うそ。」 やつば ひちりめん ただ と、矢張り、けろりと仰向いて居る緋縮緬の女を、外套やがて博士は特等室に唯一人、膝も胸も、しどけない、 ひじかば かみそり の肘で庇って言った。 けろんとした狂女に、何と : : : 手に剃刀を持たせながら、 うず ひしすが べッドひざまず 駅員の去ったあとで、 臥床に跪いて、其の胸に額を埋めて、犇と縋って、潸 ただいま 「唯今、自動車を差上げますよ。」 として泣きながら、微笑みながら、身も世も忘れて愚に返 のぞ まるまげ と宗吉は、優しく顔を覗きつつ、丸髷の女に瞳を返して、ったように、だらしなく、涙を髯に伝わらせて居た。 * すがも 「巣鴨はお見合せを願えませんか。 : : : 屹と御介抱申しま す。私は恁う言うものです。」 またそうーち なふだにーー医学博士ーー宗吉とあるのを見た時。 ざんぎりひふ ・ : もう一人居た、散切で被布の女が、形に直立して N 0 と これつきそいぞうしム の如く敬礼した、此は附添の雑仕婦であったがーー博士が、 さ込まるまげ 其の従弟の細君に似たのをよすがに、此より前、丸髷の女 に言を掛けて、其の人品のゆえに人をして疑わしめず、連 ほうろ。う は品川の某楼の女郎で、気の狂ったため巣鴨の病院に送る のだが、自動車で行きたい、それでなければ冊だと言う。 其のつもりにして、すかして電車で来ると、此処で自動車 でないからと言って、何でも下りてすねたのだと言う。 : ・丸髷は某楼の其の娘分。女郎の本名をお千と聞くまで、 ぶっちょうづら ーーー・此の雑仕婦は物頂面して睨んで居た。 びやくえ 不時の回診に驚いて、或日、其の助手たち、其の白衣の 看護婦たちの、ばらばらと急いで、然も、静粛に駆寄るの あるひ にら しか 、つ ひとみ がいとう つれ ほほえ ひざ ど ん

8. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

せきばら、 欄干を跨いで出る奴さ。」 ( えへん、 ) と咳を太くして、大な手で、灰吹を持上げ きせる たのが見えて、離れて煙管が映る。ーー最う一倍、其の時 ずうたい 十四 図体が拡がったのは、袖を開いたらしい。此奴、寝ん寝子 どてら の広袖を着て居る。 うつむ 「両袖でロを塞いで、風の中を俯向いて行く。 ・ : 其の女漸と台洋燈を点けて、 ふ、つ の案内で、つい向う路地を入ると、何処も吹附けるから、 ( お待遠でした、さあ、 ) 戸を鎖したが、怪しげな行燈の煽って見える、ごたごたし って二階へ。吹矢の店から送って来た女はと、中段から ちょっと やつうしろ た両側の長屋の中に、溝板の広い、格子戸造りで、此の一 一寸見ると、両膝をずしりと、其処に居た奴の背後へ火鉢 軒だけ二階屋。 を離れて、俯向いて坐った。 すまい 軒に、御手軽御料理としたのが、宗山先生の住居だった。 ( あの娘で可いのかな、にもござりますよって。 ) こ tJ え ( お客様。 ) と云う女の送りで、ずッと入る。直ぐ其処の と六畳の表座敷で低声で言うんだ。 ははあ、商売も ながひばち あらまし 長火鉢を取巻いて、三人ばかり、変な女が、立膝やら、横大略分った、と思うと、其奴が、 ずわ ひま あがり あつらえ 坐りやら、猫板に頬杖やら、料理の方は隙らしい ・ : 上 ( お誂は。 ) かまち とッっ はしごだん 框の正面が、取着きの狭い階子段です。 と大な声。 い、なりほおかむり ( 座敷は一一階かい、 ) と突然頬被を取って上ろうとすると、 ( あっさりしたもので一寸一口。其処で : : : ) あかり ちょっと 風立つので燈を置かない。真暗だから一寸待って、と色め実は : : : 御主人の按摩さんの、咽喉が一つ聞きたいのだ、 やつら いてざわっき出す。と其の拍子に風のなぐれで、奴等の上と話した。 おっさげす の釣洋燈がばっと消えた。 ( 咽喉 ? ) : : : と其奴がね、異に蔑んだ笑い方をしたもの 燈其処へ、中仕切の障子が、次の室の燈にほのめいて、二です。 行枚見えた。真中へ、ばっと映ったのが、大坊主の額の出た、 ( 先生様の : : : でござりますか、早速然う申しましよう。 ) くらびる てびき えもん しばら・く 歌唇の大い影法師。むむ、宗山め、居るな、と思うと、憎で、地獄の手曳め、急に衣紋繕いをして下りる。少時し とし わか こりや何うした、 い事には : : : 影法師の、其の背中にまって、坊主を揉んて上って来た年紀の少い十六七が、 は製、 ~ め つる えりとうらりめん よく言うロだが芥溜に水仙です、鶴です。帯も襟も唐縮緬 でるのが華奢らしい島田髷で、此の影は、濃く映った。 ゆいわた 火燧火燧、と女どもが云う内に、 じゃあるが、もみじのように美しい。結綿のふつくりした らんかんまた つりラン・フ 、やしゃ マッチマッチ ムさ ほおづえ あお たてひぎ ひろ ちょっと こいつね

9. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

お蕎麦なら百十六銭でござんさあ。二人は旅銀の乏しさに、 そんなら然うと極めて泊って、湯から上ると、その約束の 蕎麦が出る。早速にくいかかって、喜多八、こっちの方で は蕎麦はいいが、したじが悪いにはあやまる。弥次郎、そ のう姉さん、と のかわりにお給仕がうつくしいからいい、 洒落かかってもう一杯くんねえ。女、もうお蕎麦はそれ切 りでござんさあ。弥次郎、なに、もうねえのか、たった二 ・せんずつ食ったものを、つまらねえ、これじゃあ食いたり すさま ねえ。喜多八、はたごが安いも凄じい。二はいばかり食っ て居られるものか。弥次郎、 : : : 馬鹿なつらさ、銭は出す ムところ から飯をくんねえ。 : : : 無惨や、かけなしの懐中を、けっ しょげ く蕎麦だけ余計につかわされて悄気返る。その夜、故郷の くめん かんべえ とってや たんすまら 江戸お簟笥町引出し横町、取手屋の鐶兵衛とて、工面のい なじみあ いいだまら い馴染に逢って、ふもとの山寺に詣でて鹿の鳴声を聞いた 木曾街道、の駅は、中央線起点飯田町より一五八 ところ てっとり * ひざくりデ 哩二海抜三一一〇〇尺、と言出すより膝栗毛を思う方が手取処 : ・ : と思うと、ふと此処で泊りたく成った。停留場を、 早く行旅の情を催させる。 やじろべえ 、だはら ここは弥次郎兵衛、喜多八が、と・ほと・ほと鳥居峠を越すもう汽車が出ようとする間際だったと言うのである。 さかいさんきち はたごや と、日も西の山の端に傾きければ、両側の旅籠屋より、女此の、筆者の友、境賛吉は、実に蔦かずら木曾の桟橋、 あげまっ * ねぎめとこ のども立出でて、もしもしお泊りじやござんしないか、お風寝覚の床などを見物のつもりで、上松までの切符を持って く呂も湧いて居ずにお泊りなお泊りなーー・・喜多八が、まだ少居た。霜月の半であった。 そばぜん しか し早いけれどーー弥次郎、もう泊 0 てもよかろう、のう姉「 : : : 然も、その ( 蕎麦一一膳 ) には不思議な縁がありまし さんーー女、お泊りなさんし、お夜食はお飯でも、蕎でたよ : 蠶も、お蕎麦でよかあ、おはたご安くして上げませず。弥次と境が話した 御存じの通り、此の線の汽車は 郎、いかさま、安い方がいい、蕎麦でいくらだ。女、は、、 昨夜は松本で一泊した。 , まゆ 眉かくしの霊 しゃれ なかば もん かけはし

10. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

怪我をさしちゃあ、大変だから : : : あれさ ! 」 「構うもんか、厭だ ! 厭だ。」 「厭だって、危いもの。返りましよう。あとへ返りましょ こわ 【ちかげた ムとや 小親の下駄の音不図止みて、取り合いたる掌にカ籠りしう。大人でないから恐いよ。」 よこた が、後ざまに退りたり。鳥居の影の横うあたり、人一人立国麿は快げに、 とどろ ったるが、動き出ずるを、それ、と胸轟く。果せるかな。 「様あ見ろ、女の懐を出られやしまい、牛若も何もあるも こうじ いなご ひら やり 螽の飛ぶよ、と光を放ちて、小路の月に閃めきたる槍の穂んか。」 「厭だ、厭だ、女と一所にや厭だ。放して、放してい。」 先霜を浴びて、柄長く文字に横えつつ、 ちょうだいわたし 「来い ! 」とばかりに呼わりたゑ国麿は、危きもの手に「堪忍おし、堪忍おし、堪忍して頂戴、私が悪いんだから したり。 堪忍おしよ。」 それ 「何だ、其は何だい。」 犇と抱きて引留むる。国麿は背ゆるぎさして、 こなた みらまんなかつった みつぎきさま われは此方に居て声かけぬ。国麿は路の中央に突立ちな「勝ったそ、ふむ、己が勝った。貢、汝が負けた。可いか、 がら、 能のな、能の女は己がのだぜ。」 くだやり しりめ いす 「宝蔵院の管槍よ ! 」 言棄てて槍を繰り込み、流眄に掛けながら行かむとす。 みまも 小親は前に出でむとせず、固く立ちて瞻りぬ。 「負けない、負けやしないや。」 「出て来い、出て来い ! 出て来い ! 」 国麿は振返り、 ほこりがお 「それじゃあ来るか。」 と最と誇顔にほざいたり。小親わが手を放たむとせず。 はさま 「出て来い。男なら出て来い。意気地なし、女郎の懐に挾「恐かあ無いや。」 ってら。」 「む、来るなら来い ! 女郎の懐から出て来て見ろ。」 す あなや われは振放たんとす。小親は声低く力を籠めて、 小親呀と叫びしを聞き棄てに、振放ちて、つかっかと うしろひと 「いけない、危いから。」 ぞ立出でたる。背後の女は如何にすらむ、前には槍を扱い 「可いんだ。」 たり。 あんな 「可いじやアありません。お止し、危ないわね。如彼がむ「さあ、来い。」 そでホぎ しやらの向うさき見ずは、何んな事を為ようも知れない。 と目の前に穂尖危なし。顔を背け、身を反し、袖を翳し すさ めろう て ぎま ひし おれ か しご