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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

ちゃん 雪じゃと思うて聞きなさい。そこは、私が丁とあんたのこの大きくおなりの処を見たら、何んなにか喜ぶであろ。 うちみすか なか 胸の裡を見透したように、あの女のお腹んなかも破ったよそれこそ死なずに居た効があると、喜びますじやろ。ああ、 うに知っとるで、つい、嫌味なことを言うたもの。 ほんとうに。」 あんたが然うした心なら、彼の女が何、何うして居よう「小母さん、逢いたい。」 と、風が吹くとも思やせぬ。 : : : 泣いて居ようと、煩って 「む、逢いたい、い や、それは小母さん丁と見通し。」 居ようと、物も食べられないで、骨と皮ばかりに成って居「お目にかかりたい、小母さん。」 むし なまづめ やけひ 、もっと、も ようと、髪の毛を拷られて居ようが、生爪をはがれて焼火「道理じゃ。」 箸で突かれて居ようが、乳の下を蹴っけられて、呼吸の絶「逢わして下さいな。」 あたり すさ えるような事が一日に二度ぐらいずつは屹と有ろうと、暗と垣に伸上りぬ。継母は少し退りて、四辺を見まわし、 ところ まっさお い処に日の目も見ないで、色が真蒼になって居ようと、踏声を潜め、 そっら にじられてひいひい呻いて居ようと : : : 其方の事じゃ、私「養子がの、婿がの、其の大変な男で、あんたを逢わした は構わぬ。ふむ、世の中にはそんな事もあるものですか、 りなんかしようもんなら : : : 其れこそ。」 妙だね、ふふふで聞き流いて、お能の姉さんと面白そうに、 とりをん お取膳で何か召あがっておいで遊ばすような事もあるまい 井筒 と思われる。な、あんた。」 顔の色も変りたるべし。冷たき汗にわが背のうるおいし ぞ。黙して聞かるることかは。堪えかねたれば遮りたり。 ごきげん 「姉さんは御機嫌ですか。」 継母は太き声にて、 みつぎ そんな 狂 「はい、生きては居ます。死にはせいで、ああ、息のある「貢さん、何を其様にお鬱ぎだ。此間から始終くよくよし 葉 みつぎ ておいでじゃないか。言ってお聞かせ、何うしたの。何も 照内に、も一度貢さんの顔が見たいと云うての。」 わたしかく 「え ! 」 私に秘す事は無いわ。」 かく 、づか 「それが、然ういう事ロへ出しては謂われぬ女じやで、言 二三日来、小親われを見ては憂慮いて、恁は問うたりき。 かれ いはせぬ。けれど、そこは小母さんちゃんと見通し。ま、 心なく言うべきことにあらねば語らでありしが、此夜は渠 うめ 、つ さえぎ わずら こちか ふさ この らやん

2. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

4 な とこ い。私は何だか最うお妙さんが、ペろペろと甞められる夢 ンな勘作の許へお嬢さんを嫁られるもんか。 かわいそう ところ いえわたしき を見て、今夜にも寝て居て魘されそうで、お可哀相でなり 否、私が肯かないわ、とお源をつかまえて談ずる処へ、 あなた ません。貴郎油断をしちゃ厭ですよ、と云ったーー・お蔦の 熱い湯だった、と幾干か気色を直して、がたひし、と帰っ ちょいと て来た主税に、一寸お前さん、大丈夫なんですか、とお蔦方が、其晩毛虫に附着かれた夢を見た。時も河野の其の まゆ 眉が似て居ると思ったから。 の方が念を入れたほどの勢。 きれい もっと 尤も河野は、綺麗に細眉にして居たが、剃りづけませぬ ちかごろ よう、と父様の命令で、近頃太くして居るので、毛虫では 二十三 がさん ない、臥蚕である。然るに此の不生産的の美人は、蚕の世 だしぬけ 何が大丈夫だか、主税には唐突で、即座には合点しかねを利するを知らずして、毛虫の厭うべきを恐れて居た、不 すさま 心得と言わねばならぬ。 るばかり、お蔦の方の意気込が妻じい あなた いや ただ で、お蔦は、例い貴郎が、其癖、内々お妙さんに岡惚を まだ、取留めた話ではなし、唯学校で見初めた、と厭ら しく云う。其も、恋には丸木橋を渡って落ちてこそ外るべして居るのでも可い。河野に添わせるくらいなら、貴郎の おくさん たた ステッキっ 令夫人にして私が追出される方が一層増だ、とまで極端に きを、石の橋を叩いて、杖を支いて渡ろうとする縁談だか うち だれ そこいら、きあ ら、其処等聴合わせて歩行く中に、誰かのロで水を注せば、排斥する。 たのも 直ぐに川留めの洪水ほどに目を廻わしてお流れになるだろ此の異体同心の無二の味方を得て、主税も何となく頼母 0 しかったが、扨て風は何処を吹いて居たか、半月ばかりは、 おやこづれ 雖然、何為か、母子連で学校へ観に行った、と聞いただ英吉も例になく顔を見せなかった。 あるひ しやく たえ みせもの と一日、 けで、お妙さんを観世物にし、又為れたようで癪に障った。 いいえわたし ( 早瀬氏は居らるるかね。 ) 然し物にはなるまいよ、と主税が落着くと、否、私は心配 です。何処を何う聞き廻ったって、あのお嬢さんに難癖を応柄のような、然うかと云って間違いの無いような訪ず まさごちょうさん 着けるものはありません。いずれ真砂町様へ言入れるに違れ方をして、お源に名刺を取次がせた者がある。 うけと ほんやく いますまい。それに河野と云う人が、他に取柄は無いけれ主税は、しかかって居た飜訳の筆を留めて、請取って見 ちょっと ど、唯頼もしいのが押の強いことなんですから、一押二押ると、一寸心当りが無かったが、どんな人だ、と聞くと、 あばた で、悪くすると出来ますよ。出来るような気がしてならなあの、痘痕のおあんなさいます、と一番疾く目についた人 ただ くら・ や その くッっ うな はや 力いこ おかばれ

3. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

て堪えられなかったよ。え、爺様、聞きやお前の扮装が悪 いとって咎めた様だっけが、それにしちゃあ咎め様が激し ほか しぞこな いや、他にお前何ぞ仕損いでもしなすったのか、ええ、爺 問われて老車夫は吐息をつき、 おまわりさん 「へい、誠に吃驚いたしました。巡査様に咎められました ど のは、親父今が最初で、はい、もう何うなりますることや らと、人心地もござりませなんだ。いやもうから意気地が かわり ござりません代にや、決して後暗いことはいたしません。 ただいま 唯今とても別に不調法のあった訳ではござりませんが、股 ひざ むだし 引が破れまして、膝から下が露出でござりますので、見苦 しいと、こんなにおっしやります、へい、御規則も心得な だし いではござりませんが、つい届きませんもんで、へい、唐 めえどこ ていわかもの わめ いまだ 「こう爺様、お前何処だ。」と職人体の壮佼は、其傍なる突にこら ! ッて喚かれましたのに驚きまして、未に胸がど 車夫の老人に向いて問懸けたり。車夫の老人は年紀既に五ぎどきいたしまする。」 わかものしりうなず 十を越え六十にも間はあらじと思わる。餓えてや弱々壮佼は頻に頷けり。 しぎ声の然も寒さにおののきつつ、 「むむ、左様だろう。気の小さい維新前の者は得て巡的を どうぞまっぴら きっ こわ やっ なん 「何卒真平御免なすって、向後屹と気を着けまする。へい 恐がる奴よ。何だ、高がこれ股引撫えからと 0 て、仰山 に咎立をするにゃあ当らねえ。主の抱車じゃあるめえし、 なあ 巡と、どぎまぎして慌て居れり。 ふむ、余計なおせつかいよ、喃爺様、向うから謂わねえた おり こっちは 行 「爺様慌てなさんな。こう己や巡査じゃねえぜ。え、おい って、此寒いのに股引は此方で穿きてえや、共処が各々の めえ 夜かわいそうよっぱどめんくら 可哀相に余程面食ったと見える、全体お前、気が小さ過ぎ内証で穿けねえから、穿けねえのだ。何も穿かねえという あんなびくびく ちょうちん 3 らあ。なんの縛ろうとは謂やしめえし、彼様に怯気怯気しんじゃねえ。然もお提灯より見ッこのねえ闇夜だろうじゃ おらあ すこかんしやく へらま うぬ ねえでものことさ。俺片一方で聞いててせえ少癇癪に障つねえか、風俗も糸瓜もあるもんか。汝が商売で寒い思いを 夜行巡査 じいさん その ぬけ 0 こた まことびつくり おやじ この とが はじめて みなり

4. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

ひね や わっし と茶碗を捻くる。 だから私ア、冷かしに行って遣ろうと思ったんだ。嘘に こ ほんとう 「繼な人だよ。仕様がないね、さあ、茶碗をお出しなね。」 も真個にも、児があらあ、児が。ああ、 又一口がぶりと遣 0 て、りはりを噛んだ歯をすすって、「おお、」 こども と何か考え込んだ、主税が急に顔を上げて、 「ねえ、大勢小児がありましよう。」 いちにん ちっ 「最う些と精しく其の話を聞かせないか。」 「南町の学士先生も其の一人、何でも兄弟は大勢ある。 おんなたこ ほんとう 井戸端から、婦人の凧が切れて来たかと、お源が一文字 九人かも知れないよ、いや、真個なら驚いたな。」 に飛込むだ。 「おお、待ちねえ、其の先生は歳だね。」 だだんなさま 「旦、旦那様、あの、何が、あの、あのあの、」 「六か、七だ。」 はたち コ一十とだね、すると其上か、それとも下かね。どっち道 べっとう 其の人じゃねえ。何でも馬丁の因果のたねは婦人なんだ。 矢車草 いずれ縁附いちゃ居るだろうが、これほど確な事はねえ。 わっし 私ア特別で心得てるんで、誰も知っちゃ居ますめえよ。知 そう らぬは亭主ばかりなりじゃねえんだから、御存しは魚屋惣 すけ 助 ( 本名 ) ばかりなりだ。 十 はははは、下郎はロのさがねえもんだ。」 らやわんふた くちびろな あわただ ぐいと唇を撫でた手で、ポカリと茶碗の蓋をした。 お源の其の慌しさ、駈けて来た吸づかいと、早ロの急 どころ こいっ てつばう あぶね 「危え、危え、冷かしに行く処じゃねえ。鰒汁と此奴だけ込に真赤になりながら、直ぐに台所から居間を突切って、 しやく てまわ たす、 は、命がけでも留められねえんだから、あの人のお酌でも取次ぎに出る手廻しの、襷を外すのが膚を脱ぐような身悶 いっくも 頂き兼ねねえ。軍医の奥さんにお手のもので、毒薬装られえで、 だんな まさごらよう ちや大変だ。だが、何だ、旦那も知らねえ顔で居ておくん「真砂町の、」 「や、先生か。」 ねえ、兎角町内に事なかれだからね。」 ちからまっすぐ 真砂町と聞いただけで、主税は素直に突立ち上る。お蔦 「ああ、お前も最うおいででない。」 くッっ かわ はさそくに身を躱して、びらりと壁に附着いた。 「行くもんか、行けったってお断りだ。お断り、へへへ、 「否、お嬢様でございます。」 お断り、」 えんづ そ だれ おんな こみ みもだ せ、 った

5. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

あさぎか のに、浅葱鹿の子の絞高な手柄を掛けた。ゃあ、三人ある と「ムう、の一人か。おおん神の、お膝許で沙汰の限り 十五 な ! 宗山坊主の背中を揉んでた島田髷の影らしい。惜し めもと なまずひれ いすずがわ や、五十鈴川の星と澄んだ其の目許も、鯰の鰭で濁ろう、 「否な、何も私が意地悪を言うわけではないえ。」 ふくさ みなとや まえだれひざ あわれ と可哀に思う。此の娘が紫の袱紗に載せて、薄茶を持って と湊屋の女中、前垂の膝を堅くしてーー傍に柔かな髪の びん ふっさ えりあし さしうつむ 来たんです。 房りした島田の鬢を重そうに差俯向く : : : 襟足白く冷たそ ときいろ ながじゅばん いや、御本山の御見識、其の咽喉を聞きに来たと成るとうに、水紅色の羽一一重の、無地の長襦袢の肩が辷って、寒 ま はかまは せすじ なよ うちしお のこ ・ : 客に先ず袴を穿かせる仕向をするな、真剣勝負面白い。げに脊筋の抜けるまで、嫋やかに、打悄れた、残んの嫁菜 ふところ らりめん こつら な あさぎ で、此方も勢、懐中から羽織を出して着直したんだね。 花の薄紫、浅葱のように目に淡い、藤色縮緬の一一枚着で、 しりめ はたら やがて、又持出した、杯と云うのが、朱塗に一一見ヶ浦を姿の寂しい、二十ばかりの若い芸者を流盻に掛けつつ、 、んまきえ すご もろ あんたも 金蒔絵した、杯台に構えたのは凄かろう。 「此のお座敷は貰うて上げるから、なあ和女、最うちゃっ ま こつら ( 先ず一ッ上って、此方へ。 ) と内へお去にや。 ・ : 島家の、あの三重さんやな、和女、 ぐあい と按摩の方から、此の杯の指図をする。其のエ合が、謹お三重さん、お帰り ! 」 すこぶけんだか んで聞け、と云った、頗る権高なものさ。 と屹と言う。 ご、げん どかりと其処へ構え込んだ。其の容子が膝も腹もずんぐ「お前さんがおいでやで、ようお客さんの御機嫌を取って みけん りして、胴中ほど咽喉が太い。耳の傍から眉間へ掛けて、 くれるであろうと、小女ばかり附けて置いて、私が勝手へ うね まゆ うち こへび たちらご もったい 小蛇のように筋が畝くる。眉が薄く、鼻がひしやげて、ソ立違うて居る中や、 : : : 勿体ない、お客たちの、お年寄な くちびる まけほおほね こち らかごろ レ其の唇の厚い事、お剰に頬骨がギシと出て、歯を噛むが気に入らぬか、近頃山田から来た言うて、此方の私の許 し いちがん しやく おっしゃ とガチガチと鳴りそう。左の一眼べとりと盲い、右が白眼を見くびったか、酌をせい、と仰有っても、浮々とした顔 くろあばた さみせん で、ぐるりと飜った、然も一面、念入の黒痘瘡だ。 はせず : : : 三味線聞こうとおっしゃれば、鼻の頭で笑うた かたわ そば が、争われないのは、不具者の相格、肩つきばかりは、 げな。傍に居た喜野が見兼て、私の袖を引きに来た。 ぬきえ しょんぼり さつ、 みじめらしく悄乎して、猪の熊入道もがつくり投首の抜衣先刻から、ああ、恁うと、ロの酸くなるまで、機嫌を取 もん あんた 紋で居たんだよ。」 るようにして、私が和女の調子を取って、よしこの一つ上 うた 方唄でも、何うそ三味線の音をさしておくれ。お客様がお こ こ しばだか そ そう′」う わき しろまなこ きっ ど わたし っ そで

6. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

ちょっとおことわ おぼうさま ( 御坊様、それでござんすが一寸御断り申して置かねばな拭こうと存じますが、恐入りますな。 ) りません。 ) ( 然う、汗におなりなさいました、嘸そまあ、お暑うござ わし はたご はつ、り・ 判然いわれたので私はびくびくもので、 んしたでしよう、お待ちなさいまし、旅籠へお着き遊ばし ごら て湯にお入りなさいますのが、旅するお方には何より御馳 ( 唯、はい。 ) ろく わたし ( 否、別のことじやござんせぬが、私は癖として都の話を走だと申しますね、湯どころか、お茶さえ碌におもてなし ふた あ やまい 聞くのが病でございます、ロに蓋をしておいでなさいましもいたされませんが、那の、此の裏の崖を下りますと、綺 れいながれ ても無理やりに聞こうといたしますが、あなた忘れても其麗な流がございますから一層其へ行らっしゃッてお流しが 時聞かして下さいますな、可うござんすかい、私は無理に 宜ゅうございましよう。 ) 聞いただけでも飛んでも行きたい。 お尋ね申します、あなたは何うしてもお話しなさいませぬ、 おっしゃ 其を是非にと申しましても断って仰有らないように屹と念 ( ええ、其は何より結構でございますな。 ) を入れて置きますよ。 ) ( さあ、其では御案内申しましよう、どれ、丁度私も米を と くだんおけこわ 磨ぎに参ります。 ) と件の桶を小脇に抱えて、縁側から、 と仔細ありげなことをいった。 のぞ おんな わら 山の高さも谷の深さも底の知れない一軒家の婦人の言葉藁草履を穿いて出たが、屈んで板縁の下を覗いて、引出し ほこりはた そろ ふるげた わしただうなず たのは一足の古下駄で、かちりと合して埃を払いて揃えて とは思うたが保つにむずかしい戒でもなし、私は唯頷くば 0 呉れた。 わらじここ おっしゃ ーしよろ ( 唯、宜しゅうございます、何事も仰有りつけは背きます ( お穿きなさいまし、草鞋は此処にお置きなすって、 ) わし 私は手をあげて、一礼して、 まい。 ) ごんか 婦人は言下に打解けて、 ( 恐入ります、これは何うも、 ) くつろ 、たの ( さあさあ汚うございますが早く此方へ、お寛ぎなさいま ( お泊め申すとなりましたら、あの、他生の縁とやらでご せんそく ざんす、あなた御遠慮を遊ばしますなよ。 ) 先ず恐しく調 し、然うしてお洗足を上げましようかえ。 ) ぞう、ん ( いえ、其には及びませぬ、雑巾をお貸し下さいまし。あ子が可いじゃて。」 あ、それからもし其のお雑巾次手にずッぶりお絞んなすっ あ て下さると助ります、途中で大変な目に逢いましたので体 うつらや を打棄りたいほど気味が悪うございますので、一ッ背中を それ こらら 、つ その そう は ど いっそ こ がけ わにし

7. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

お蔦が物指を当てた襦袢の袖が見えたので、気にして、慌「そんなに、若いのが好なら、御内のお嬢さんが可いんだ わ。ねえ早瀬さん。」 てて、引込める。 こよ 0 これ らっ 是には早瀬も答えなかったが、先生も苦笑した。 「些と透かさないか、籠るようだ。」 めくばせしあ たえらかごろいけな 「妙も近頃は不可くなったよ。奥方と目配を為合って、兎 「縁側ですか。」 しやく かくちょうし 角銚子をこぎって不可ん。第一酌をしないね。学校で、 「ううむ、」 うしろひじかけまど かぶりふ と頭を掉ったので、すっと立って、背後の肱掛窓を開け ( お酌さん。 ) と云うそうだ。小児どもの癖に、相応に皮肉 いかめ ると、辛うじて、雨落だけの隙を残して、厳しい、忍返しなことを云うもんだ。」 ぎかり あなた くろいたぺい 「貴郎には小児でも、最うお嫁入盛じゃありませんか。何 のある、も真新い黒板塀が見える。 こっち みはら うかすると、此地へも入らっしやる、学校出の方にや、酒 「見霽しでも御覧なさいよ。」 井さんの天女が、何のと云っちゃ、あの、騒いでおいでな と主税を振向いて又笑う。 なが さるのがありますわ。」 酒井が凝と、其の塀を視めて、 あかんば しんしん たち、 「あの、嬰児をか、何処の坊やだ。」 「一面の杉の立樹だ、森々としたものさ。」 こちら ひとり くすぐ 「あら、あんなことを云って。此方の早瀬さんなんかでも、 と擽って、独で笑った。 としごろ ちょう ひど やまやけ 「しかし山焼の跡だと見えて、真黒は酷いな。俺もゆくゆ丁ど似合いの年紀頃じゃありませんか。」 こらら くは此家へ引取られようと思ったが、裏が建って、川が見と何でものう云って退けたが、主税は懐中の三世相とと うつむ もに胸に支えて俯向いた。 えなくなったから分別を変えたよ。」 ねずみ 「其の癖、当人は嫁入と云や鼠の絵だと思って居るよ。」 其処へ友染がちらちら来る。 かんじ でばな と云いかけて莞爾として、 「お出花を、早く、」 「むむ、是は、猫の前で危い話だ。」 繃「はあ、」 と横顔へ煙を吹くと、 図「熱くするんだよ。」 こども ちっ 「引掻いてよ。」と手を挙げたが、思い出したように座を 婦「これ、小児ば 0 かり使わないで、些と立って食うものの 心配でもしろ。民は何うした、彼は可い。小老実に働くか立って、 あい、よう しやく 蜷ら。今に帰ったら是非酌をさせよう。あの、愛嬌のある処「何うしたんだろうねえ、電話は、」と呟いて出ようとす る。 0 かろ し じっ じゅばんそで す、 おれ ところ あわ びつか これ つか エンゼル つぶや ふところ と ど

8. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

で、綺麗で、安いという、三拍子も揃ったのが竸争をいた するからたって、何も人民にあたるにゃあ及ばねえ。ん ! ところ よっぱど * かんがらす あんなやっ 寒鴉め。彼様奴も減多にやねえよ、往来の少ない処なら、しますのに、私の様な腕車には、それこそお茶人か、余程 おら 昼だってひょぐる位は大目に見てくれらあ、業腹な。我あ後生の善いお客でなければ、とても乗ってはくれませんで、 ふんどしすもう 別に人の褌襠で相撲を取るにもあたらねえが、これが若い稼ぐに追着く貧乏なしとはいいまするが、何うしていくら そのひ できにく かわいそう じいさん ものでもあることか、可哀相によ・ほよ・ほの爺様だ。こう、稼いでも其日を越すことが出来悪うござりますから、自然 おまわりさん ほんに このざまくるまひ 腹あ立てめえよ、真個さ、此状で腕車を曳くなあ、よくよ装なんそも構うことは出来ませんので、つい、巡査様に、 サアベル はい、お手数を懸けるようにもなりまする。」 くのことだと思いねえ。チョッ、べら棒め。洋刀がなけり くり・ごと ふくろだたき や袋叩にして遣ろうものを、威張るのも可い加減にして最長々しき繰言をまだるしとも思わで聞きたる壮佼は一 まかりまらが * こらとら なりすじ 置けえ。へむ、お堀端あ此方人等のお成筋だそ、罷間違や方ならず心を動かし、 もっとも 「爺様、たあ計われねえ、むむ、道理だ。聞きや一人息 あ胴上げして鴨のあしらいにしてやらあ。」 ののし 口を極めて既に立去りたる巡査を詈り、満腔の熱気を吐子が兵隊になってるというじゃねえか、大方戦争にも出る すすちょう さす よっや きつつ、思わず腕を擦りしが、四谷組合と記したる煤け提んだろう、そんなことなら黙って居ないで、どしどし言籠 ひまつぶ ~ じ・う らんろうそく つぎた 灯の蝋燭を今継足して、カ無げに梶を取上ぐる老車夫のめて隙あ潰さした埋合せに、酒代でもふんだくってやれば そう あわれ ふうさし わかものうちしお 風采を見て、壮佼は打悄るるまでに哀を催し、「而して爺可いに。」 めえ かせて 「ええ、減相な、しかし申訳のためばかりに、共事も申し 様稼人はお前ばかりか、孫子はねえのかい。」 、、、いれ ましたなれど、一向お肯入がござりませんので。」 優しく謂われて、老車夫は涙ぐみぬ。 ひとしおあわれ さいわい せがれ 「へい、難有う存じます、いやも幸と孝行な忰が一人居壮使はますます憤り一入憐みて、 ところ かんがらす まえさんこん トいった処で仕 りまして、能う稼いでくれまして、お前様、此様な晩にや「何という木念人だろう、因業な寒鴉め。 そこいら あんか 行火を抱いて寝て居られる勿体ない身分でござりましたが、方もないかい。時に爺様、手間は取らさねえから其処等ま またひばら * ごんつく あゆ 忰はな、お前様、此秋兵隊に取られましたので、後には嫁で一処に歩びねえ。股火鉢で五合とやらかそう。ナニ遠慮 ちと くらしたら みん と孫が二人皆な快う世話をしてくれますが、何分活計が立しなさんな、些相談もあるんだからよ。はて、可いわな。 めえかぎよう かえる 兼ねますので、蛙の子は蛙になる、親仁も旧は此家業をいたお前稼業にも似合わねえ。鹿め、こんな爺様をめえて、 けんつくすさ ちっと して居りましたから、年紀は取っても些少は呼吸がわかり剣突も妻まじいや、何だと思って居やがんでえ、こう指一 おいら くるまこ ますので、忰の腕車を期うやって曳きますが、何が、達者本でも指してみろ、今じゃ己が後見だ。」 あり - がと かも かせ この もったい おやじ まんこう なり なん 、れい ばくねんじん さかて そろ ど そのこと

9. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

めえ わっし 「まあ、忍けときねえな。其を、お前、大先生に叱られた私は、お仏壇と、それから、蔦ちゃんが庭の百合の花を 惜がったから、莟を交ぜて五六本ぶらさげて、お源坊と、 って、柔順に別れ話にした早瀬さんも感心だろう。 かみさん すり だが、何だ、其で家を畳むんじゃねえ。若い掏摸が遣損車屋の女房とで、縁の雨戸を操るのを見ながら、梅坊主の おもいれ まばたき * ゆらのすけ なって、人中で面を打たれながら、お助け、と瞬するか由良之助、と云う思入で、城を明渡して来ましたがね。 世の中にや、飛だ唐変木も在ったもんで、未だがらくた ら、其処ア男だ。諾来た、と頼まれて、紙入を隠して遣っ ばれ たのが暴露たんで、掏摸の同類だ、とか何とか云って、旦を片附けてる最中でさ、だん袋を穿きあがった、」 かけおら らから いでたら ながたっきええ 那方の交際が面倒臭く成ったから、引払って駈落だとね。 と云いかけて、主税の扮装を、じろり。 めえ 話は間違ったかも知れねえけれど、何だってお前さん頼ま「へへへ、今夜はお前さんも着ってるけれど。まあ、可い あばた れて退かねえ、と云ゃあ威勢が可いから、然う云って、さや。で何だ、痘痕の、お前さん、然も大面の奴が、ぬうと、 ところ あ、おい、皆、一番しゃん、と占める処だが、旦那が学者あの路地を入って来やあがって、空いたか、空いったか、 なんだから、万歳、と遣れ。いよう旦那万歳、と云うと御と云ゃあがる。それが先生、あいたかった、と目に涙でも ちかごろはや しんぞ 新造万歳、大先生万歳で、次手にお源ちゃん万歳ーーまで何でもねえ。家は空いたか、と云うんでさ。近頃流行るけ は可かったがね、へへへ、かかり合だ、其の掏摸も祝ってれど、ありや不躾だね。お前さん、人の引越しの中へ飛込 んで、値なんか聞くのは。たとい、何だ、二ツがけ大きな 遣れ。可かろう、」 すずめこ まんまつぶま スティションてまね と乗気に成って、め組の惣助、停車場で手真似が交って、内へ越すんだって、お飯粒を撒いて遣った、雀ッ子にだっ ほおずき なごり なじみ 「掏摸万歳ーーと遣ったが、 ( すりばんだい。 ) と聞えまして残懐は惜いや、蔦ちゃんなんか、馴染に成って、酸漿を ながしもとけえろ 、やり 鳴らすと鳴く、流元の蛙は何うしたろうッて鬱ぐじゃねえ よう。近火のようだね。火事は何処だ、と木遣で騒いで、 、んらやくきり 巾着切万歳 ! と祝い直す処へ、八百屋と豆腐屋の荷の番をか。」 しながら、人だかりの中へ立って見てござった差配様が、 「止せよ、そんな事。」 と主税は帽子の前を下げる。 お前さん、苦笑いの顔をひょっこり。これこれ、火の用心 てまわ まけ だけは頼むよ、と云うと、手廻しの可い事は、車屋のかみ「まあさ、そんな中へ来やあがって、お剰に、空くのを待 くらぶり はたき って居た、と云うロ吻で、其の上横柄だ。 さんが、あとへ最う一度払を掛けて、縁側を拭き直そう、 ばんておけ だれしやく おんなじ おかし と云う腹で、番手桶に水を汲んで控えて居て、何うぞ御安誰の癪に障るのも同一だ、と見えて、可笑ゅうがしたぜ。 ひきこ 心下さいましッさ。 車屋の挽子がね、お前さん、え、え、ええッて、人の悪い それ ひッばら おおやさん しか やッそく かた・つ ぶしつけ とん つばみ やっ ふさ

10. 現代日本の文学 Ⅱ-1 泉鏡花集

ちざまの容子であった。 先生はつかっかと上座に直って、 、んしやく お妙の顔を一目見ると、主税は物をも言わないで、其の 「謹、酌をして遣れ。早瀬、今のはお前へ餞別だ。」 ひぎ まま其処へ、膝を折って、畳に突伏すが如く会釈をすると、 お妙も、黙って差置いた洋燈の台擦れに、肩を細うして指 五十八 さきそろ たもと すわ の尖を揃えて坐る、袂が畳にさらりと敷く音。 いんぎんあいさっ こんな慇懃な挨拶をしたのは、一一人とも二人には最初で。 主税は心も闇だったろう、覚束なげな足取で、階子壇を ほとんすそくッっ みしみしと下りて来て、尤も、先生と夫人が居らるる、八玄関の障子に殆ど裾の附着く処で、向い合って、恁うして、 畳の書斎から、一室越し袋のロを開いたような明は射すが、さて別れるのである。 と主税が、胸を斜めにして、片手を膝へ上げた時、お妙 下は長六畳で、直ぐ其処が玄関の、書生の机も暗かった。 はなむけ さすがは酒井が注意してーー早瀬〈贐、にするだ 0 たのリポンは、何の色か、真白な蝶のよう、燈火のうつろう もれき 道学者との談話を漏聞かせまいため、先んじて、今夜影に、黒髪を離れてゆらゆらと揺めいた。 ひも それ は其となく余所へ出して置いたので。羽織の紐は、結んだ「最う帰るの ? 」 わずか ど と先へ声を懸けられて、纔に顔を上げてお妙を見たが、 か何うか、未だ帰らぬ。 おもかげ よろよろ 酔っては居ないが、蹌踉と、壁へ手をつくばかりにして、此の時の俤は、主税が世を終るまで、忘れまじきもので 壇を下り切ると、主税は真暗な穴へ落ちた思がして、がつあった。 くりと成 0 て、諸膝をこうとしたが、先生は兎も角、其机に向 0 た横坐りに、やや乱れたか衣紋を気にして、手 とりなり うすら か、あ ちょいちょい ひら おしつ 処まで送り出そうとした夫人を、平に、と推着けるようにで一寸一寸と掻合わせるのが、何やら薄寒そうで風采も沈 しずく か、つばた くらびる ちゅうらよ 辞退して来たものを、此処で躊躇して居る内に、座を立たんだのに、唇が真黒だったは、杜若を描く墨の、紫の雫を えんなま 偂れては恐多い、と心を引立てた腰を、自分で突飛ばす如く、含んだのであろう、艶に媚めかしく、且っ寂しく、翌日の まゆかす はずおくげ おおまたであいがしら 朝は結う筈の後れ毛さえ、眉を掠めてはらはらと、白き牡 図大跨に出合頭。 系と開いた襖とともに、唐縮緬友染の不断帯、格子の銘丹の花片に心の影のたたずまえる。 と っ 仙の羽織を着て、何時か、縁日で見たような、三ッ四ッ年「お嬢さん。」 す、がらすかさ 紀の長けた姿。円い透硝子の笠のかかった、背の高い竹台 ごきげんよ の洋燈を、杖に支く形に持って、母様の居室から、衝と立「御機嫌宜う。」 し ま ひとま す や もっと おばっか せんべっ あかりさ はしごだん ごと ちょう ゆら ともしび はじめて