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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

たにぶんらようしゃぎんろう の書生は十年ならずして谷文晁が写山楼もよろしくというの庭に立てる位の事なら差支えないがその男の遣方はそれ となく生徒の父兄を説いて金を出させ地方の新聞記者を籠 邸宅の主人になりました。 よろん もう一人成功した家の書生でわたしの閉ロしているもの絡して輿論を作り自分は泰然としているように見せ掛ける があります。これは教育家です。大学に通っている時分或のだから困ります。 日わたしに俳句を教えてくれというからわたしももともとわたしは一体に今の人達の立身出世の仕方が気に入りま こらら 嫌いな道ではないので蔵書も貸してやる。又時には此方かせん。失敗して金を借りに来ても心持さえさつばりしてい さいそ′、 らどうだ句はまだ出来ないかと催促して直してやった事もれば、わたしは喜びます。いくら成功しても正義堂々とし しか ありました。然し後になって考えて見ると其の男は別に俳ていないものはいやです。わたしはそれ等の事から真面目 句が好きというのではない、わたしが時々句をよむから御に人の世話をするのがいやになり馬鹿馬鹿しくなりました。 気に入ろうと思ってそんな事をきいたのでしよう。兎に角それ等の事が直接の原因という訳ではありませんが小半に うら ある そのはらけいこ ぬけめ そういう抜目のない男の事ですから学士になって或地方の薗八の稽古をさせている中わたしはいっか此の女を自分の 女学校の教師になると間もなく其の土地の素封家の婿養子思うような芸人に仕立てて見たらばと柄にもない気を起す になって今日では私立の幼稚園と小学校を経営して大分評ようになったのです。世の中を相手にする真面目な事は皆 だめ だけ 判がよい。それ丈の話なら何も悪くいう処はない。わたし駄目でしたから今度は芸人を養成しようかというのです。 も大に感心しなければならんのですがどうも気に入らない今の芸人は男も女も御存じの通りで皆仕様がありません。 ながうた はず のはその男のやり方です。教育の事業をまるで商店か会社この先名人上手の出よう筈もない。それに薗八なそは長唄 らよっと きよもと の経営と心得ているらしい。毎年東京へ来て朝野の有力者や清元とはちがって今の師匠がなくなれば一寸その後をつ を訪問する。三年目には視察と称して米国へ出掛け半年位ぐべきものも無いような始末ですから、もし小半がわたし まわ たって帰って来ると盛んに演説をして廻る。まアそれも結の思うようにみつしり修業を積んでくれればわたしの道楽 構です。わたしの甚だ気に入らないのは去年の事だ。や 0 も真面目くさ 0 て云えば俗曲保存の一事業にもなろうとい と四十になったかならずの年輩でありながら自分の銅像をうわけです。」 しようたく その ョウさんが小半をひかせる事に話をきめ妾宅の普請に取 其地方の公園に建て己れの功績を誇ろうとした事です。天 かかったのはそれから三月程後のことである。その折の手 下の糸平の石碑がいかに大きかろうがそれは子孫のやった 事だから致し方がない。自分の道楽からわが銅像をわが家紙を見ると、 おの と むこようし ある く さしつか ばかばか やりかた

2. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

ばんさてい まえそうよう り出される。今より五年前帚葉翁と西銀座万茶亭に夜をふと、内心それを期待していたが、何事も無く音頭の踊は一 週間の公開を終った。 3 かし馴れた頃、秋も既に彼岸を過ぎていたかも知れない。 そうよう 「どうも、意外な事だね。」とわたくしは帚葉翁を顧て言 給仕人から今しがた花電車が銀座を通ったことを聞いた。 うすひげはや その そして、其夜の花電車は東京府下の町々が市内に編入せらった。翁は薄鬚を生した口元に笑を含ませ、 れたことを祝うためであった事をも見て来た人から聞き伝「音頭とダンスとはちがうからでしよう。」 これ 「しかし男と女とが大勢一緒になって踊るのだから、同じ えたのであった。是より先、まだ残暑のさり切らぬころ、 ぶとう ひびや 日比谷の公園に東京音頭と称する公開の舞蹈会が挙行せら事じゃないですか。」 れたことをも、わたくしは矢張見て来た人から聞いたこと「それは同じだが、音頭の方は男も女も洋服を着ていない。 ゆかた 浴衣をきているからいいのでしよう。肉体を露出しないか があった。 東京音頭は郡部の地が市内に合併し、東京市が広くなつらいいのでしよう。」 たのを祝するために行われたように言われていたが、内情「そうかね。しかし肉体を露出する事から見れば、浴衣の そろ は日比谷の角にある百貨店の広告に過ぎず、其店で揃いの方があぶないじゃないですか。女の洋装は胸の方が露出さ 浴衣を買わなければ入場の切符を手に入れることができなれているが腰から下は大丈夫だ。浴衣は之とは反対なもの とかく いとの事であった。それは兎に角、東京市内の公園で若いですぜ。」 りくっ 「いや、先生のように、そう理窟詰めにされてはどうにも 男女の舞蹈をなすことは、これまで一たびも許可せられた 前例がない。地方農村の盆踊さえたしか明治の末頃には県ならない。震災の時分、夜警団の男が洋装の女の通りかか しやく 知事の命令で禁止せられた事もあった。東京では江戸のむるのを尋問した。其時何か癪にさわる事を言ったと云うの かし山の手の屋敷町に限って、田舎から出て来た奉公人がで、女の洋服を剥ぎ取って、身体検査をしたとか、しない とか大騒ぎな事があったです。夜警団の男も洋服を着てい 盆踊をする事を許されていたが、町民一般は氏神の祭礼に た。それで女の洋装するのが癪にさわると云うんだから理 狂奔するばかりで盆に踊る習慣はなかったのである。 しんさいぜん わたくしは震災前、毎夜帝国ホテルに舞蹈の行われた時、窟にはならない。」 愛国の志士が日本刀を振って場内に乱入した為、其後舞蹈「そういえば女の洋服は震災時分にはまだ珍らしい方だっ の催しは中止となった事を聞いていたので、日比谷公園に たね。今では、こうして往来を見ていると、通る女の半分 まえ 公開せられた東京音頭の会場にも何か騒ぎが起りはせぬかは洋服になったね。カフェー、タイガーの女給も一一三年前 ふる やはり ため その

3. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

むし して古雅な曲調には夢の中に浮世絵美女の私語を聞くようしは寧ろそれをいい事にして毎晩こうして遊んでいるんで ・ : わた ・ : まアそんな事はどうでもいいとして : な趣があると述べた。一一人の言う処はれにしても江戸のすが : あいがん こっとう しが芸者に芸を仕込んで見ようなそと柄にもない事を思い 声曲を骨董的に愛玩するという事に帰着するのである。 なげう ちやわんし、し ちょうし あくび 女中が欠伸をそっと噛みしめながら銚子を取替えにと座付いたのはいささか訳があります。茶碗や色紙に万金を擲 つのも道楽だ。芸者に芸を仕込むのも道楽にかわりはあり を立った時ョウさんは何か仔細らしくわたしの名を呼んだ。 そして、「実はこの間からおはなししたいと思っていたのますまい わたしはこれまで随分大勢の人を世話しました。真面目 です。あの、小半のことです。小半はどうでしよう。うま く成るでしようか。みつしり薗八を稽古させて行々は家元に世話をしましたがその結果は要するに時勢の非なるを悟 の名前でも継がせて見たいと思っているのですが、どんなるに過ぎません。現に家には書生が三人居ます。惣領の忰 はず も来年は大学にはいる筈です。わたしは人の世話をしたか ものでしよう。」 その 薗八節は他派の浄瑠璃とは異り稽古するものの少い為めらとて其人から礼を言われたいなそとそんな卑劣な考えは 今の中どうにかして置かなければ早晩断減しはせぬかと危微塵も持っては居ません。失敗成功そんな事はわたしの深 ぶまれているものである。ョウさんがその趣味と其の富とく問う処でない。唯いつまでも心持よく話の出来るような によって衰減せんとする江戸の古曲を保護しようという計人物になってもらいたい。わたしの世話をしたものは皆成 画には異議のあろう轡がない。又小半の腕前もその年齢に功しています。体しわたしには其の成功振りが甚だ気に入 似ず望を嘱するに足るべき事はわたしもとくに認めていたらんのです。 おもむろいっさん ので、其の通り思う処を述べるとヨウさんは徐に一盞を 名前は言いませんがもう七八年前の事です。人から頼ま ある 傾けつつ事の次第を話した。 れ又わたし自身も将来有望と思って或青年の画家に経済的 かぎん ぶそん 瀟「何ぼ何でもこの年になって色気で芸者は買えません。芸援助を与えた事がありました。蕪村とか崋山とかいうよう 瀟でも仕込んで楽しむより仕様がない。あなたの前だから遠な清廉な画家になるだろうと思 0 たら大ちがいでした。展 これ 慮なく気餤を吐きますが僕はこう見えても此でなかなか道覧会で一一一度褒美を貰い少し名前が売れ出したと思うとも ひとかど だいきらい 徳家のつもりです。今の世の中の紳士や富豪は大嫌です。う一廉の大家になりすました気でに門生を養い党派を結 ふいちょう 富豪も嫌いなら社会主義者も感心しません。真面目な事をび新聞雑誌を利用して盛んに自家吹聴をやらかす。まるで 言ったって用いらるべき世の中じゃありませんから、わた政治運動です。然しその効能はおそろしいもので、素寒貧 みじん ただ はなは

4. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

困って白状したんだよ。」 しやく 「お座敷へ呼ばれて行ってお酌をするんでしよう。」 「そうなの。」 だれ 「そう。そんな事は舞台でもやるから誰でも知っているよ。「怒っちゃいけない。田村と兄さんと、どっちが先だ。こ それから先、舞台なんそでは、やれない事がある。それは うなったら皆聞いて置きたい。」 知らないだろう。」 「そんな事 : : : : ・忘れちゃったわ。」 「大抵わかってるわ。」 「僕なら忘れない。自分のことは忘れないな。みんな覚え 「わかってる。そうか。そんな事まで、預り所できいたのている。蒸暑くッて眠られない晩だった。そのあくる日。 か。」 僕が冗談にからかったら、おこってお前、泣いたじゃない 「きかなくっても。あの芸者さんだって、赤ちゃんこしらか。」 なかば えたじゃないの。」 千代美は大きな目を半ふさぎながら流し目にわたしの顔 だんな ひばら 「それは旦那ッていう。 ( トロンがあるからだろう。」 を見ていましたが、火鉢にかざした手を伸して、突然わた 「旦那は一人じゃないわよ。お見舞に一一三人、男の人が来しの手を取り、 るのよ。」 「兄さん、ゆっくり、しみじみ会いたいわ。ねえ。兄さん、 じよう わたしはこの千代美の性情や体質が姉とは全く違って いもう、いや。」と情を含ませた声、にじり寄る其の様子、 るので、その職業や生活も違うべきが当りまえかも知れな今までの子供らしい千代美ではありません一わたしは其の いと思いました。今までロに出さなかった田村との関係を盗癖と共に、この少女の体内には世に謂う淫婦とか妖婦と ききただすのも此時だろうと心づいて、まず遠まわしに、 か称する何物かが伏在している事を感ぜずには居られませ い第、 ~ ~ り 「そうか、そんなに幾人も男が来るのか。みんな関係があん。 る訳でもあるまい。」 何やら空恐しい気がしながら、もし今夜このままにして 子 「でも、そうだか、そうでないか、大抵様子でわかるわ。」置いたなら千代美は必ず明日にでも再び田村を誘惑するだ 踊「そうかな。おれよりもお前の方が利ロだよ。田村の事なろう。わたしはそれを妨止したいばかり、花枝には気の毒 んそ、おれは言われるまで気がっかなかった。」 だと思いながら、其留守を幸い、またもとのような仲にな だれ ってしまいました。 7 「誰がそう言って。」と千代美は目をひからせました。 「彼自身さ。お前が赤ちゃんの事をそう言ったんで、彼、

5. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

すすはらい 出たのであるが、帰るにはまだ少し早いらしいので、溝づまた来客を迎える時の衣服をぬいで、庭掃除や煤払の時の 四たいに路地を抜け、ここにも板橋のかかっている表の横町ものに着替え、下女の古下駄を貰ってはけばよいのだ。 あきゅうど に出た。両側に縁日商人が店を並べているので、もともと古ズボンに古下駄をはき、それに古手拭をさがし出して よらまき なおさら 自動車の通らない道幅は猶史狭くなって、出さかる人は押鋓巻の巻方も至極不気にすれば、南は砂町、北は千住か かさいかなまちあたり 合いながら歩いている。板橋の右手はすぐ角に馬肉屋のあら葛西金町辺まで行こうとも、道行く人から振返って顔を そうとうしゅうとうせいじ よっつじ る四辻で。辻の向側には曹洞宗東清寺と刻した石碑と、玉見られる気遣いはない。其町に住んでいるものが買物にで より の卅稱荷の鳥居と公衆電話とが立っている。わたくしはおも出たように見えるので、安心して路地へでも横町へでも ぶざま 雪の話からこの稲荷の縁日は月の二日と一一十日の両日であ勝手に入り込むことができる。この不様な身なりは、「じ にぎやか だらくに居れば涼しき一一階かな。」で、東京の気候の殊に る事や、縁日の晩は外ばかり賑で、路地の中は却て客足が * もうろう 、もっと・も はなはだ 少いところから、窓の女達は貧乏稲荷と呼んでいる事など暑さの甚しい季節には最適合している。朦朧円タクの さんけい を思出し、人込みに交って、まだ一度も参詣したことのな運転手と同じようなこの風をしていれば、道の上と云わず たんつば やしろ 電車の中といわず何処でも好きな処へ啖唾も吐けるし、煙 い祠の方へ行って見た。 かみくず すいが′っ 今まで書くことを忘れていたが、わたくしは毎夜この盛草の吸殻、マッチの燃残り、紙屑、・ハナナの皮も捨てられ いび、 からだ 場へ出掛けるように、心持にも身体にも共々習慣がつくよる。公園と見ればペンチや芝生へ大の字なりに寝転んで鼾 これまた なにわぶしうな あたり うになってから、この辺の夜店を見歩いている人達の風俗をかこうが浪花節を唸ろうが是亦勝手次第なので、啻に気 なら みなり に倣 0 て、出がけには服装をることにしていたのである。候のみならず、東京中の建築物とも調和して、いかにも復 えり しま てすう これは別に手数のかかる事ではない。襟の返る縞のホワイ興都市の住民らしい心持になることが出来る。 えりかざり トシャツの襟元のぼたんをはずして襟飾をつけない事、洋女子がアッパッ。 ( と称する下着一枚で戸外に出歩く奇風 トう・、 0 し 服の上着は手に提げて着ない事、帽子はかぶらぬ事、髪のについては、友人佐藤慵斎君の文集に載っている其論に譲 って、ここには一一 = ロうまし 毛は櫛を入れた事もないように掻乱して置く事、ズボンは ひざしりす 成るべく膝や尻の摺り切れたくらいな古いものに替る事。わたくしは素足に穿き馴れぬ古下駄を突掛けているので、 は穿かず、古下駄も踵の方が台まで摺りへ 0 ているのを物に躓いたり、人に足を踏まれたりして、怪我をしないよ たばこかならず 捜して穿く事、煙草は必・ ( ットに限る事、エトセトラエうに気をつけながら、人ごみの中を歩いて向側の路地の突 ほこら いなりさんけい トセトラである。だから訳はない。 つまり書斎に居る時、当りにある稲荷に参詣した。ここにも夜店がつづき、祠の か、みだ かえっ どぶ たま その てぬぐい そうじ その ただ

6. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

シャッ一枚になった役者や女優踊子どもが、幾組となく物に何とも返事ができません。 蔭を見つけ、思い思いの恋をしていると、楽屋ロの並んだ 田村はわたしを池にかけた八ッ橋の上につれて行き欄干 かなた けいこ 横町の彼方から聞えて来る稽古の歌とビアノの音が、そのによりかかりながら、 うち 場の伴奏をつとめます。わたしは稽古のかえり、初て花枝「家へ稽古に来ていた時分、つい、その、何だよ。君、怪 その やっ に導かれて其貸間へ泊りに行った晩の事を思返すにつけ、 しからんことをする奴だと思うだろうが、勘弁してくれた それから早くも五年の月日をすごした、その妹の姙娠まえ。この事が花枝さんに知れる。花枝さんが僕のワイフ どうせい はらん から必然起って来べき同棲生活の波瀾と、その結果のさまに話をする。というような事になると、僕はこの土地には はずか ざまを予想するのです。 いられなくなるかも知れない。耻しい話だが、僕の現在の うち 突然わたしの前に立止ったものがあります。 生活はワイフのカでやっているのだ。 / 彼の女の家は金沢の やまくん 「山君。、、 ししところで出会った。相談したい事があるん金持なんだ。別ればなしという事になると、僕はあの家か ら追出されて、独立しなければならない。今さらもう舞台 斜にさす向の灯にその横顔を見ればシャンソン座の舞へも出られないしなア。そこで、君。言いにくい話だが、 ーも・り 踊教師の田村でした。 千代ちゃんの子供は君のだという事にして貰えないだろう 「また、何か盗んだのですか。」 か。そうすれば姉妹の間柄、何とか花枝さん一人、拝み倒 「歩きながら相談しよう。実は申訳のない事をし出かししにしてしまえばいいのだ。ねえ、君、千代ちゃんの姙娠 た。」 中の生活費、まだ一二ヶ月は舞台に出ていられるだろうけ わたしは千代美が又もや悪い癖を出したのだとばかり思れど、無論僕が負担するさ。あんまり自分勝手の話だと思 - も、り 込んでいるので「何をしたんです。困りましたな。」 うだろうけれど、そういう事にして貰えないだろうか。ね ぎ、よう 「全く、困ったよ。君、怒らないでくれたまえ。君の義侠え、君。助けると思って。ねえ、君、相談に乗ってくれな いか。」 心に訴えるより仕方がないんだ。」 「一体、どうしたんです。」 「千代美が承知するだろうか。」 ゅうべ 「君。千代美が姙娠した。その相手は年がいもない、僕「昨夜実はもうその話をした。兄さんさえ承知なら、それ でいいと云うんだから。」 、つね わたしは狐にでもつままれたような心持。あまりの意外わたしは頭が変になって、池の水に映る燈火が、あたり はじめ もの

7. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

いいあやま また に外れてしまうのをば幾度となく繰戻す、と頭取も亦問わに若しロロ侯爵の事をロロ伯だなぞと云誤るものがあると、 そうろうこう たらま 候侯だ。戦争後 れもせぬのに海外出張店と本店の関係なそを長たらしく説忽ち他のものが鋭く口ロ伯は侯爵 侯爵になったのだと大事件の様に訂正する。貴族や富豪の 明するのであった。 ところ ふたり りようじ 無論、談話の進むにつれて、日本の領事や外交官の滞在家庭の誰の処には令嬢が一一人だとか三人だとか。其母親は ドイツえいこく 手当の事も出た。独逸や英国の銀行出張員などの事にも及正妻であるとか無いとか云う争論も出る。突然最近に到着 くわ んだが、これは外国の事、委しく実例を引いて論じ得る程、した日本の新聞紙の美人投票の事が問題になった。日本の このへん 事情に通じて居るものは一人もないので、つまり、日本の写真版は何故フランスの様に鮮明でないだろう、と此辺で 官吏と銀行会社員の手当の相違が話の重なる点となった。過激な西洋崇拝説が加わる、かと思うと、美人募集などと 、もら 云うがあれは自分の方から新聞社へ写真を送って出して貰 銀行員連は竹島を初めとして、下宿代がいくら、衣服がい うのだ。結婚さがしの広告に過ぎないなそと、日本人特有 くら、電燈料に冬は石炭代がいくらと、互に同業の身なが あらわ ら、ひたすら蓄財の困難な事をば、頭取に向って、其れとの陰険な性質を表し、強いて万事の内密を暴露しようとす ひとりごと るものもあった。 なく訴え知らせようとするらしく、果ては独語のように、 夕方の七時に食卓についてから夜の十時過ぎまで、自分 「銀行ばかりじや無いかも知れませんが、今じゃ昔と違っ こんな て、半季の賞与金なんそも、年々増えるような事は有りまの耳にした談話は此様事であった。 せんからな。」と愚痴までこ・ほす。 自分は一同と共に頭取夫婦に礼を述べて外に出た。 すると、頭取の方では幾ら昔だってそううまい事ばかり や・り・、り あおあお はなかった。自分も諸君と同様、随分苦しい中を遣繰して夏八月の夜は蒼々として並木を渡る風は何とも云えぬ程 たばこけむり しら 抄 来たのだと云う事を知せようとて、十年、一一十年前の銀行冷かである。自分は長く煙草の烟の中に閉込められていた よる こころよ うちあお 語 ので、星のきらめく夜の空が如何にも快く広々と打仰がれ おおかた あかいろ 物員の生活を物語るのであった。 むかしがた た。両側の商店は赤色の軒燈を点す煙草屋を除いて大方戸 す話は其れで済むかと思うと、今度は頭取が昔語りの中に あけはな だれだれ , んあらわ ら現れた人物の名前から、あの人は誰々の下に居た為めに出を閉めて居たが、人の住む一一階三階の明放した窓々には涼 ばら どこ 世が早かった、今は何処に行って何をして居るとか。又はしい灯。植木鉢を置いた・ ( ル 0 ンには外を見ながら話を かどかど しんせき しんしよう かの人の夫人は何々、何々紳商の令嬢であるとか、親戚して居る人影も見える。角々のカッフェ工には毎夜の如く、 なが あかるひ やりよう せんぎ こ移る。話の最中夜涼の人が大勢明い灯の下で雑談しながら往来を眺めて居 だとか云う血統の詮議や、個人の経歴談冫 れん いくたび は おも ひやや よ し と - も よる その

8. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

あ しようしよう一 。雨瀟瀟 ただ に変った話のあるわけではない。唯その頃までわたしは数 とど 年の間さしては心にも留めず成りゆきの儘送って来た孤独 ところ の境涯が、つまる処わたしの一生の結末であろう。此れか ら先わたしの身にはもうさして面白いこともない代りまた さして悲しい事も起るまい。秋の日のどんよりと曇って風 もなく雨にもならず暮れて行くようにわたしの一生は終っ て行くのであろうというような事をいわれもなく感じたま めかけたくわ での事である。わたしはもう此の先一一度と妻を持ち妾を蓄 え奴婢を使い家畜を飼い庭には花窓には小鳥縁先には金魚 を飼いなそした装飾に富んだ生活を繰返す事は出来ないで その年の一一百十日はたしか涼しい月夜であった。つづいあろう。時代は変った。禁酒禁煙の運動に良家の児女まで ほとん やくびまた が狂奔するような時代に在って毎朝煙草盆の灰吹の清きを て二百一一十日の厄日も亦それとは殆ど気もっかぬばかり、 ごと かん いつに変らぬ残暑の西日に蜩の声のみあわただしく夜に欲し煎茶の渋味と酒の燗の程よきを思うが如きは愚の至り ころも なった。夜になってからは流石厄日の申訳らしく降り出すであろう。衣は禅僧の如く自ら縫い酒は隠士を学んで自ら 雨の音を聞きつけたもののし風は芭蕉も破らず紫苑をも落葉を焚いて暖むるには如かじと云うような事を、不図あ け・いとら′ わたしはその年の日記をる事件から感じたまでの事である。 鶏頭をも倒しはしなかった あき あきらか 十年前新妻の愚鈍に呆れてこれを去り七年前には妾の悋 繰り開いて見るまでもなく期く明に記憶しているのは、 へきえ、 ゆかた 其夜の雨から時候が打って変ってとて浴衣一枚ではいら気深きに辟易して手を切ってからこの方わたしは今に独で れぬ肌寒さにわたしはうろたえて襦袢を重ねたのみか、す暮している。興動けば直に車を狭斜の地に駆るけれど家に ただらんうぐいす あわせばおり こし夜も深けかけた頃には袷羽織まで引掛けた事があるかは唯蘭と鶯と書巻とを置くばかり。いっか身は不治の病 に腸と胃とを冒さるるや寒夜に独り火を吹起して薬飲む湯 ーいかに多病な身に らである。彼岸前に羽織を着るなぞとよ もついぞ覚えたことがないので、立っ秋のに肌寒く覚えをわかす時なそ親切に世話してくれる女もあらばと思う事 しか るタといえば何ともっかず其の頃のことを思出すのである。もあったが、然しまだまだ其頃にはわたしは孤独の佗しさ その頃のことと云ったとて、いつも単調なわが身の上、別をば今日の如くいかにするとも忍び難いものとはしていな はた じゅばん せんちゃ その ひとり りん

9. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

うわやく あたり につしん ず涙の出るほどに深く感動する事があった。で急に嬉しく だ。上役や先輩の人の口から聞かれる四辺の談話は、日清 ある 懐しく堪らない心持になって、或日彼は日本の旧友に、幸戦争講和当時の恩賞金や、旅費手当の事ばかりである。人 かきおわ が用をしている最中に、古い官報や職員録を引張り出させ 福な生涯の消息を漏らそうとて筆を走らせたが、書終った みより のら すぎさ じよしやくじよ 後読み返して見ると、始めの調子とは変って次第に冷淡にて、身寄でも友達でもない人の過去った十年昔の叙爵や叙 くん なり、に此様事を書いているのに我ながら驚いた。 勲の事ばかり議論して居る。貞吉は他の人ほど戦時の増税 かくごと われわれ うけつけ かつうらや 「恋の成功とは此の如きものか、吾々の若き血が、嘗て羨については苦痛を感じなかったが、唯徹夜で電報受附の当 もだ われ み、望み、悶えたる、空想の実現とは此の如きものか。吾直をするのが、いやなばかりに一日も早くと、平和を希 まどわ われ 吾が、其の作りし空想の影に惑さるる事も又甚しからずって居た。 だんばんら ぺいこく ゃ。われにして若し彼女に死せよと云わば、彼女は喜んで講和大使の一行が米国に乗込んで来た。談判地ポオッマ 死するやも計られず。されどかくまでにして、自己の威力ウスへ派遣せられなかった居残りの公使館員は皆不平であ さしづ じよくんさた について確信するも、又何の興味かある。空想、成功の実った。それは差詰め叙勲の沙汰には縁遠くなった虚栄の失 な、ごと 現は、失敗の恨みより、更に更に大なる悲哀と落胆とを感敗から出る泣言としか貞吉には思われなかった。貞吉もワ しかおか ・せずばあらず・ : シントンに残された連中の一人であった。然し可笑しいほ ただ 貞吉は自分の書いた文句に驚いたばかりか、同時に敬服ど不平でも得意でも何でもなかった。唯日一日と深く感ず もした。考えて見ると、何も恋ばかりではない。今日までるのは外交官になっているのが不愉快である。不愉快とい クシントン こころやま 経験した事実は皆そうだ。外交官補になって華盛頓に来たうよりは心疚しくてならない事であった。貞吉は日本政府 よ いさみた 初其の翌年に日露戦争が始 0 た。けれども貞吉は自分で勇立の外交官たる以上は、夜の目も眠らぬ程な愛国の熱誠に ちたいと思うほど、どうしても勇み立つ事が出来なかった。られて見たいと思いながら、どうしても思うように行かな 語 とムしよう よ 。行かない以上は断然辞職し、国籍を脱し無籍浮浪の猶 物国家存亡ノ秋、不肖ノ身、任ヲ帯ビテ海外ニ在リ : : : ・・ / こうがいひふん ダヤじん んそと自分から其の境遇に支那風の慷慨悲憤の色調を帯びさ太人かジプシイ見たようになって仕舞いたい。然しこれも さしあた ふせて見ようとしたが、事実は差当り国家の安危とは、直接要するに「な 0 て仕舞いたい」とうだけで、事実にはど はなはだ の関係から甚遠ざかった政府の一雇に過ぎない。毎日うする事も出来ず、愚図愚図に日を送って居たのであった。 うち うわやく しゆすり けいし 盟朱摺の十 = 一行罫紙〈、上役の人の作 0 た草稿と外務省公報その中に = 一等書記官に昇進した。めしい辞令書に対し を後生事に清書する。暗号電報翻訳の手伝いをするだけた瞬間には、訳もなく、自分の身の上が滑稽で堪まらなく なっか たま はなはだ うれ た ただ しか こいねが

10. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

足を感じさせたので、これまで歩きぬいた身の疲労と苦痛ろな逸話は早くから長吉の胆を冷しているのであった。い 1 とを長吉は遂に後悔しなかった。 つも画学と習字にかけては全級誰も及ぶもののない長吉の やまとだましい 性情は、鉄拳だとか柔術だとか日本魂たとか云うものより らが も全く異った他の方面に傾いていた。子供の時から朝夕に 四 とせい しやみせん 母が渡世の三味線を聴くのが大好きで、習わずして自然に ちょう、ら ひかず はやりうた その週間の残りの日数だけはどうやらこうやら、長吉はの調子を覚え、町を通る流行唄なそは一度聴けば直ぐに そあくるあさ こうめおじ らげつ 学校へ通ったが、日曜日一日を過すと其の翌朝は電車に乗記憶する位であった。小梅の伯父なる蘿月宗匠は早くも名 うえの * ひものらよう って上野まで来ながらふいと下りてしまった。教師に差出人になるべき素質があると見抜いて、長吉をば檜物町でも * うえ、だな すべき代数の宿題を一つもやって置かなかった。英語と漢植木店でも何処でも いいから一流の家元へ弟子入をさせた したよみ 文の下読をもして置かなかった。それのみならず今日は又、らばとお豊に勧めたがお豊は断じて承諾しなかった。のみ 、ら * およ くちやかま 凡そ世の中で何よりも嫌いな何よりも恐しい機械体操のあならず以来は長吉に三味線を弄る事をばロ喧しく禁止した。 さ力さ る事を思い出したからである。長吉には鉄棒から逆にぶら長吉は蘿月の伯父さんの云ったように、あの時分から三 けいこ とかくいちにんまえ さがったり、人の丈より高い棚の上から飛下りるような事味線を稽古したなら、今頃は兎に角一人前の芸人になって ぐんそうあが いかに軍曹上りの教師から強いられても全級の生徒か いたに違いない。さすればよしやお糸が芸者になったにし みじめ あ ら一斉に笑われても到底出来得べきことではない。何によ た処で、こんなに悲惨な目に遇わずとも済んだであろう。あ らず体育の遊戯にかけては、長吉はどうしても他の生徒一あ実に取返しのつかない事をした。一生の方針を誤ったと けいぶ たと うらめ 同に伴って行く事が出来ないので、自然と軽侮の声の中に感じた。母親が急に憎くなる。例えられぬほど怨しく思わ とりすが 孤立する。其の結果は、遂に一同から意地悪くいじめられれるに反して、蘿月の伯父さんの事が何となく取縋って見 やす いやところ る事になり易い。学校は単にこれだけでも随分厭な処、苦たいように懐しく思返された。これまでは何の気もなく母 また たびたび しいところ、辛い処であった。されば長吉はその母親がい 親からも亦伯父自身の口からも度々聞かされていた伯父が ほうとうざんまい かほど望んだ処で今になっては高等学校へ這ろうと云う放蕩一二昧の経歴が恋の苦痛を知り初めた長吉の心には凡て はじめ もっ 気は全くない。若し入学すれば校則として当初の一年間は新しい何かの意味を以て解釈されはじめた。長吉は第一に もときんべいだいこくおいらん 是非とも狂暴無残な寄宿舎生活をしなければならない事を「小梅の伯母さん」と云うのは元金瓶大黒の華魁で明治の 、きし * よしわら 聴知っていたからである。高等学校寄宿舎内に起るいろい初め吉原解放の時小梅の伯父さんを頼って来たのだとやら いっせい つら たけ たな とよ てつけん