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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

ばあ めかけ 日本髪に織ったお妾風の女と管理人の婆さんとが、何やら わなければならない。 わたしはその訳を花枝に打明ければ昨日も考えたように 小声の立ばなし。聞くともなく立聞すると、お妾らしい女 ゅびわ 姉妹別居のおそれがあるので、どうしたものかと思案に余の指環がなくなった。洗湯から帰って来て鏡台の上に載せ せんたく って、覚えず溜息をつく。その様子に田村は気の毒になっ たまま洗濯物を取りに屋根へ上った、その間になくなった たらしく、 らしいと言うのです。わたしは急いで楽屋にもどり踊子部 「君と僕とで遠巻に見張をするんだね。ここの楽屋なら、屋へ行って見たが、皆外へ出たままで、残っている二三人 うら 万一のことがあ 0 ても、一一人が何とか言えばしもつの中、一人は昼寝、一一人は毛糸の編物をしています。妹の ハンドバックを調べようとしても持って出た後の事で、ど く。案ずるより産むが易いかも知れない。君の妹思いには うにもなりません。戻って来れば同じ時間の幕明。わたし 僕もだまってはいられない。」 これは後でわかるはなしですが、其時にはお互に知らぬは楽屋へ下りて行かなければならない。 が仏。田村はわたしを純情な妹思い、わたしは田村を見掛夜帰ってから深夜わたしは二人の寝息を窺い、そっと妹 の持物を調べると、案の定、それらしい指環がハンドバッ によらぬ深切な男だと思ったのです。そこで話はきまり、 がまぐち そう 千代美は田村が昼間特別に急穉古をして、明後日の惣ざらクの中の赤い蟇口に入れてありました。小粒の真珠をはめ にわか たプラチナの指環です。夜の明けかかる頃まで考えつづけ いから俄に舞台へ出ることになったのです。 かみくず なかば おおずもう 五月も半を過ぎ町の角々には大相撲の勝負附が出て、ラた後、わたしは廊下に出て、落ちていた紙屑を拾い、指環 をつつみ、人知れずそれを管理人の部屋の窓の敷居の上に ジオの放送に人だかりのする時節になっていました。 すき 千代美はシャンソン座への往きかえり、二度の食事から載せて置きました。そして芝居の出がけ、隙を見て千代美 舞台も部屋も姉の花枝と一緒ですから、この分なら悪い癖の耳に口を寄せ、 ないしょ ないしょ を出そうとしても、出す折があるまいと、日のたつに従っ 「内所の話がある。行ってから都合してくれ。内所だよ。」 幕間には時候がよくなってから、楽屋の男女は一人残ら て、わたしは稍安心することができるようになりました。 ある すもうけんとう ところが或日の事です。わたしはぞっとするような話を耳ず横町へ出て風に吹かれる。若い役者の中には相撲や拳闘 込ようだい まね にしました。姉妹一一人は同じ部屋の踊子一一三人と共に、幕の真似をして遊んでいるものがある。他の者はそれを取り さいわい でんばういん 間に伝法院前の洋食屋へ行く。わたしは忘れた楽譜を取りまいて囃し立てている騒ぎを、これ幸に、わたしは立っ こみあ に一人アパ 1 ト へ帰り、すぐまた下りて来ると、出入口でている千代美に目ま・せで知らせ、わざと人の込合う表通の しんせつ やや ためい、 その はや せんとう ろ・カ

2. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

ほとん 一夜翁がわたくしを案内して、西銀座の裏通にあって、殆 この年昭和七年の冬であった。 っさ * ばんさてい ど客の居ない万茶亭という喫茶店へつれて行き、当分その そうよう まじわりただ わたくしが初て帚葉翁と交を訂したのは、大正十年の処を会合処にしようと言ったのも、わたくしの事情を知っ ていた故であった。 頃であろう。その前から古本の市へ行くごとに出逢ってい いえども わたくしは炎暑の時節いかに渇する時と雖、氷を入れた たところから、いっともなく話をするようになっていたの である。外し其後も会うところは相変らず古本屋の店先で、淡水の外冷いものは一切口にしない。冷水も成るべく之を 談話は古書に関することばかりであったので、昭和七年の避け夏も冬と変りなく熱い茶か珈琲を飲む。アイスクリー かいこう 夏、偶然銀座通で邂逅した際には、わたくしは意外の地でムの如きは帰朝以来今日まで一度も口にした事がないので、 たちばなし 意外な人を見たような気がした為、其夜は立談をしたまま若し銀座を歩く人の中で銀座のアイスクリームを知らない いちにん 人があるとしたなら、それは恐らくわたくし一人のみであ 別れたくらいであった。 また わたくしは昭和一一三年のころから丁度其時分まで一時全ろう。翁がわたくしを万茶亭に案内したのも亦これが為で よるねむ く銀座からは遠のいていたのであったが、夜眠られない病あった。 気が年と共に烈しくな 0 た事や、自炊に便利な食料品を買銀座通のカフ = ーで夏になって熱い茶と珈琲とをつくる う事や、また夏中は隣家のラディオを聞かないようにする店はど無い。西洋料理店の中でも熱い珈琲をつくらない 事や、それ等のためにまたしても銀座へ出かけはじめたの店さえある。紅茶と珈琲とはその味の半は香気に在るの しか ひっちゅう であるが、新聞と雑誌との筆誅を恐れて、裏通を歩くにもで、若し氷で冷却すれば香気は全く消失せてしまう。然る これ おりかばん むこう 人目を忍び、向の方から頭髪を振乱した男が折革包をぶらに現代の東京人は冷却して香気のないものでなければ之を はなは 口にしない。わたくしの如き旧弊人にはこれが甚だ奇風に 下げたり新聞雑誌を抱えたりして歩いて来るのを見ると、 はじめ 思われる。この奇風は大正の初にはまだ一般には行きわた 横町へ曲ったり電柱のかげにかくれたりしていた。 そのふうさい 帚葉翁はいつも白足袋に日光下駄をはいていた。其風采っていなかった。 こんにら ただち 東 を一見しても直に現代人でない事が知られる。それ故、わ紅茶も珈琲も共に洋人の持ち来ったもので、洋人は今日 もっ いえども これを以て見れ たくしが現代文士をみ恐れている理由をも説くに及ばずと雖その冷却せられたものを飲まない。 よ ば紅茶珈琲の本来の特性は暖きにあるや明である。今之を して翁は能く之を察していた。わたくしが表通のカフ = ー に行くことを避けている事情をも、翁はこれを知っていた。邦俗に従って冷却するのは本来の特性を破損するもので、 そうよう これ たび ため いちゃ ごと いっさい 0 と ため これ これ

3. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

あたたか さて日は全く暮れ果てて、文科大学の堂宇ソルポンの大時煙草の煙で室内の燈火は黄く見える。空気は重く暖 さら 計の音澄渡り、街は角々のカッフェ = 、レストランの燈火音楽の一節が済むと、人の話声が皿コップの音と一緒にな かいちょう よる って、海潮の激するように、一段高く太く家中に反響する。 と音楽に巴里ならでは見られぬ夜の活気を帯びて来ると、 ガルソンでいり こら わかびと 歓楽を追う若人の腕にすがろうとて、タ化粧を凝した女の給仕人や出入の人達が目まぐるしいように椅子の間を歩く。 あけたて ひ まらじゅういたところ ・ : これが詩にも小説にも絶えず開閉される戸口からは、例の意気な姿した街の女が 姿は街中到る処に人目を惹く : ・ はながさ そのとし うかめ 能くあるカルチ = = ラタンの浮れ女である。中には画家の其年の流行と覚しく何れも花笠のような大形の帽子を思う いりかわ うしろかぶ モデルも居る。詩人の恋人も交っている。市中一流の料理さま後に冠り、一人が出て行けば入代りに他の一人が這入 あたり すわ いきなりなじみ かいろう 屋、劇場の廻廊に、宝石の星帽子の花をきらめかし、夜会って来て、突如馴染と見える其の辺の男のテエ・フルに坐る たっ おもこづく 服の裾長く曳く立派な身なりはして居らぬが、重に小作りもあれば、女同士で長々と話して居るのもある。又は唯た ぐあい かぶかたすそみじか なげや からだっ 一人離れたテエ・フルに坐り込んで壁に嵌込んだ姿見を向う の身体付き投遣った帽子の冠り方、裾短な着物の着工合に、 し、り かぶぐあい あいきよう 到底他の街の女の模し得ざる意気と愛嬌を見せるのがそのに頻と帽子の冠りエ合を気にして居るのもある。又は寄席 まわ こしつき げいにん 芸人が舞台を歩くような腰付で椅子の間を歩き廻った果は、 特徴であろう。 たたずはりばんやといばば 自分は此の書生町に入り込んだ其の日の夜。一人傾けるきまって手洗所へ通う戸口に佇立み張番の雇婆と、長たら みなり むだ へん ばんさんぶどう 晩餐の葡萄酒に陶然として其の辺を散歩した帰り道、中でしく無駄口を聞いて居るもあった。風俗の貧しい花売の婆 ひとごみ かなたこなた は音楽の酣とも見える唯あるカッフェ = にって見た。が出て来て人込の中を彼方此方、うるさい程に勧めて歩く。 ておけ 色硝子で四方を囲し、天井には天女の絵模様を描いた広金ボタンの制服ようのものを着た男が手桶を片腕に、乾栗、 さかな しおづけ ちょっと ほしえび きもの い一室の中央には、白い揃いの衣服を着た女の楽師が六人。乾海老、オリイ・フの塩漬なぞ、一寸した酒の肴を売って歩 ちょう Un bock—Quart brune—Café 一台のビアノ、二梃のヴィョロンにセロ、コントル・ ( ッスく、 Garqon かな おのおの と各自楽器を取って、威勢のいいポルカの様なものを奏しーーー・わ afé créme¯¯Addition- ・・ーー・¯Combien なそ彼 たこなた Bo づ Mo- Voilå 方此方から呼ぶ客の声。 て居た。 とびまわ すえなら あゆ 歩むだけの間を残して一面に据並べたテエプルには若い nsieur なそと飛廻りながら答える給仕人の叫び。 おろ ひとごみ かるた あるいぼうぜん 女や若い男が、或は茫然と音楽に聞き惚れに夢中で骨牌自分は人込の中の空椅子を見付けて腰を下し、近くに居 ながまわ ある を取り、新聞を読み雑誌を開き、又或者は手紙を書いて居る人達の様子をば一人一人に眺め廻した。何れも皆な書生 ようまう はなし であるらしい。肩幅広くめしい容貎に殊更恐しい頬髯や るかと見れば、大声で談話や議論をして居るものもある。 めぐら かよ はめこ

4. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

316 まいとし る理由はないものと解釈している。こういう子供が成長すわたくしは毎年冬の寝覚に、落葉を掃く同じようなこの やはり ごと れば人より先に学位を得むとし、人より先に職を求めんと響をきくと、矢張毎年同じように、「老愁ハ葉ノ如ク擢へ * たらりゅうわん し、人より先に富をつくろうとする。此努力が彼等の一生ドモ尽キズ荻蕨タル声中又秋ヲ送ル。」と言った館柳湾の そのほか この で、其外には何物もない。 句を心頭に思浮べる。その日の朝も、わたくしは此句を黙 また ねま うちいちにん よ がけえのき 円タクの運転手も亦現代人の中の一人である。それ故わ誦しながら、寝間着のまま起って窓に倚ると、崖の榎の黄 こずえ たくしは赤電車がなくなって、家に帰るため円タクに乗ろばんだ其葉も大方散ってしまった梢から、鋭い百舌の声が ばくせん つわぶ、 とんば うとするに臨んでは、漠然たる恐怖を感じないわけには行きこえ、庭の隅に咲いた石蕗花の黄い花に赤蜻蛉がとまっ かない。成るべく現代的優越の感を抱いていないように見ていた。赤蜻蛉は数知れず透明な其翼をきらきらさせなが える連転手を捜さなければならない。必要もないのに、先ら青々と澄渡った空にも高く飛んでいる。 へ行く車を追越そうとする意気込の無さそうに見える運転曇りがちであった十一月の天気も一一三日前の雨と風とに さだま 手を捜さなければならない。若しこれを怠るならばわたくすっかり定って、いよいよ「一年ノ好景君記取セョ」と東 たらまち しの名は忽翌日の新聞紙上に交通禍の犠牲者として書立坡の言ったような小春の好時節になったのである。今まで、 てられるであろう。 どうかすると、一筋一一筋と糸のように残って聞えた虫の音 ことごときのう も全く絶えてしまった。耳にひびく物音は悉く昨日のも 窓の外に聞える人の話声と箒の音とに、わたくしはいつのとは変って、今年の秋は名残りもなく過ぎ去ってしまっ ねどこ もより朝早く眼をさました。臥床の中から手を伸して枕もたのだと思うと、寝苦しかった残暑の夜の夢も涼しい月の なが とに近い窓の幕を片よせると、朝日の光が軒を蔽う椎の茂夜に眺めた景色も、何やら遠いむかしの事であったような かねぎわ か、 みにさしこみ、垣根際に立っている柿の木の、取残された気がして来る : ・ : : : 年々見るところの景物に変りはない。 ひとしお また 柿の実を一層色濃く照している。箒の音と人の声とは隣の年々変らない景物に対して、心に思うところの感懐も亦変 ごと 女中とわたくしの家の女中とが垣根越しに話をしながら、 りはないのである。花の散るが如く、葉の落るが如く、わ か それぞれ庭の落葉を掃いているのであった。乾いた木の葉たくしには親しかった彼の人々は一人一人相ついで近って そうそう また の蕀蕨としてひびきを立てる音が、いつもより耳元ちかくしまった。わたくしも亦彼の人々と同じように、その後を うず 聞えたのは、両方の庭を埋めた落葉が、両方ともに一度に追うべき時の既に甚しくおそくない事を知っている。晴 掃き寄せられるためであった。 れわたった今日の天気に、わたくしはかの人々の墓を掃い この おおしい こ まくら は その すみ はなはだ た おっ ら

5. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

おわりらよう そのころ、わたくしは大抵毎晩のように銀座尾張町の四翁は銀座から駒込の家に帰る時、いつも最終の電車を尾張 ッ角で翁に出逢 0 た。翁は人を待合すのにカフ = ーや喫茶町の四辻か銀座三丁目の松屋前で待 0 ている間、同じ停留 つじうらうり 店を利用しない。待設けた人が来てから後、話をする時に場に立っている花売、辻占売、門附などと話をする。車に いすすわ なって初めて飲食店の椅子に坐るのである。それまでは康乗ってからも相手が避けないかぎり話をしつづけるので、 いちぐう 衢の一隅に立ち、時間を測って、逢うべき人の来るのを待この門附の娘とは余程前から顔を知り合っていたのであっ むな っているのであるが、その予測に反して空しく時を費すこた。 とがあっても、翁は決して怒りもせず悲しみもしない。翁 門附の娘はわたくしが銀座の裏通りで折々見掛けた時分 たたす かたあげ * よっだけ の街頭に佇立むのは約束した人の来るのを待っためばかり には、まだ肩揚をして三味線を持たず、左右の手に四竹を むしろ ももわれ くろえり たもと ではない。寧これを利用して街上の光景を眺めることを喜握っていた。髪は桃割に結い、黒襟をかけた袂の長い着物 しばしは はんえ物 はなお んでいたからである。翁が生前屡わたくしに示した其手に、赤い半襟。赤い帯をしめ、黒塗の下駄の鼻緒も赤いの ぎだゅう 帳には、某年某月某日の条下に、某処に於いて見る所、何をかけた様子は、女義太夫の弟子でなければ、場末の色町 うら およ はんぎよく ほそおもて 時より何時までの間、通行の女凡そ何人の中洋装をなすもの半玉のようにも見られた。細面のませた顔立から、首や だんな また の幾人。女給らしきものにして檀那らしきものと連立って肩のほっそりした身体つきも亦そういう人達に能く見られ ものもらかどづけ 歩むもの幾人。物貰い門附幾人などと記してあったが、こる典型的なものであった。その生立や性質の型通りである れ等は町の角や、カフェーの前の樹の下などに立たずんでらしいことも、亦恐らくは問うに及ばぬことであろう。 あいだ はしら ねえ げいしやしゅ 人を待っている間に鉛筆を走したものである。 「すっかり、姉さんになっちまったな。まるで芸者衆だ はなはだ ある 今年残暑の殊に甚しか 0 た或夜、わたくしは玉の井穣よ。」 * ひらうら 荷前の横町を歩いていた時、おでん屋か何かの暖簾の間か「ほほほほほ、おかしか無い。」と言いながら娘は平打の しやみせん ちょっと かんざし かどづけ ら、三味線を抱えて出て来た十七八の一寸顔立のいい門附簪を島田の根元にさし直した。 じこみ から、「おじさん。」と親しげに呼びかけられた事があった。「おかしいものか。お前も銀座仕込じゃないか。」 あつら 「おじさん、こっちへも遊びに来るのかい。」 「でも、あたい、もう彼方へは行かないんだよ。」 初めは全く見忘れていたが、門附の女の糸切歯を出して「こっちの方がいいか。」 たちま そ ) こっち 笑うロ元から、わたくしは忽ち四五年前、銀座の裏町で帚「此方だって、何処だって、、、 ししことはないよ。だけれど、 葉翁と共にこの娘とはなしをした事があったのを思出した。銀座はあぶれると歩いちゃ帰れないし、仕様がないから なが のれん その こまごめ からだ おわり

6. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

あ、ら よとう 社会主義の運動もない。ューゴーがエルナニの昔、ドビュな舞蹈の曲なぞ奏し出すと、其れが又明かには聞き取れず、 ひびき あしおと か、け た 、のう 1 ィッシイが。ヘルレアス、エ、メリザンドの昨日を思わせる車の響、人の跫音、話声に掻消されて、断えたかと思えば はだ つめたしめ ムぶんほう なに ような激烈な芸術の争論もない。何も彼も例の不文法また続く。稍や肌を刺す冷い湿ったタ風につれて近所の料 おしろい ぎっとう よろん (Unwritten law) と社会の与論 (Public 。 p ぎ一目 ) とで理屋の物煮る臭いが、雑沓の男女の白粉や汗の臭いに交っ しげ、 われわれ たくみおさまゆ て何処からともなく流れて来る。神経はかかる周囲の刺戟 巧に治って行く米国は吾々には堪えがたい程健全過ぎる。 もよお しずまゆ え や によって特別の興奮を催すに反して、心は却って静り行く 已むを得ない。吾々は米国の地にある間は、米国が生んだ たそがれ うちしず 唯一の狂詩人 = ッガー、アラン、ポーの語めに一杯を捧げ黄昏の光の幽暗に打沈められる為めか、名状すべからざる ようと云って、酒場のカウンターに寄りりウイスキーを感覚の混乱ーーーーそれは酒の酔にも等しく幾分の苦悩を交 えた強い快感を生ぜしむるのであった。 飲んだ事も幾度であったろう。 なが まら 巴里は今次第に暮れて行く。四月はじめの薄色したタ霧久しい間眺め入った街の方から眼を転じて二人は互に顔 ばんさん みらばた ふゆがれすがた につつまれて、路傍にはまだ冬枯姿のままなる並木を控えを見合した。「もう晩餐時分だね、何処かでゆっくり話を かきわり た高い建物の列は程よい距離を得て丁度劇場の書割のようしようじや無いか。ニューヨーク時代の放浪生活を思出す かす に霞みはじめた。建物の屋根、軒、壁に装置した電気仕掛ような安料理屋はないか。」 もんじ の色さまざまな広告の文字は、商店の戸、両側の街燈訊くと彼は意味あり気に徴笑み、「直ぐそこのパッサ あんちよくイタリヤ たそがれ と共に一度に新しい光を放ち初めたが、黄昏の空はまだ薄ジ、に、安直な伊太利亜の料理屋がある。」と答えた。 われわれ 明るく、遠くの方までが、この空の光で夢のように見通さ伊太利亜料理ーーー此の一語は吾々二人の間には特別の ぎっとう れる。けれども極く近く、目の前を過ぎる人や車の雑沓は、記憶を呼起させる。 ニューヨークの当時吾々は二人とも木で鼻をくくったよ 一様に測然とした色になり、唯だ影と影とが重りつつ動 いて居るに等しい うなアメリカ人の下宿屋、又は無暗と人を急がせる其の料 ぐリーじゅう やといにん しろうとげしゆく へいこう 丁度巴里中の商店会社の雇人が一時に家路をいそぐ刻限理屋にも閉ロして、彼はメキシコ人の素人下宿、自分はフ しばし ゅ、さかい で、乗合馬車の混雑、馬車自動車の行交をば、少時目を据ランス人の家庭に部屋借りをなし、毎晩飽きもせず疲れも すわ えて見詰めて居ると、カッフェーの子に坐って居ながらせず、彼は商店自分は銀行からの帰り道をわざわざ蠅の多 みんまらおちあ からだ かいてんっ に、自分の身体までが周囲の廻転に連れて、動いて行くよ いイタリヤの移民街で落合い、その辺の安料理屋へ飛込み、 かどカど ぶどう うな眩暈を感ずる。折から早や角々のカッフェーでは賑か金のない時にはマカロニの煮込みと名も知れぬ安葡萄酒で いくたび いつばい にぎや ささ や にお むやみ た へん かえ はえ

7. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

たからづか 十六の時、デ・ ( ートの食堂ガールになり宝塚少女歌劇を石その年の春ほど雪のふった年はありません。・ハスも電車 て舞台にあこがれ、十八の時浅草〇〇館の舞踊研究生になも夜になってから運転中止となり、或芝居では見物がその その からだじゅう った。そして大勢一緒に海水着も同様な衣裳に、身体中は儘座席で夜明しをしたとか「ムうのも、たしか其年のことで わずかに胴だけをかくし脚を蹴上げてスッチャカスッチャしたろう。前の晩から二人とも風邪気味で、その日の朝は まくら・もと カ踊っていさえすれば、やがて人気の花形になりパトロン起るのがいやでいやで仕様がありません。枕元の目覚時計 うら なが がついて一座の座がしらになれるー・ーーー踊子になるものはを怨めしそうに眺めて、休もうか、どうしよう。休むとして 誰しも皆そう思っているのですが、扨そうなるものは十人も二人一緒には休めまい。とすればお前が休むか、おれが うち なま の中にまず一人か二人、後はみんな何年たっても、いくっ怠けるか、どっちにしようと、夜具の中でもじもじしてい しきり うち になっても踊子は踊子で、する中に一座の役者か楽師とでた時、アパート管理人の声で、頻に花井さん花井さんと言 き合い、別れては又別の男とくつつき、しまいに子供がでって呼びますから、わたしは男だけに身支度も手早く降り ともかせぎ きて、いやおうなく夫婦共稼の貧乏ぐらしに年をとってして行くと、電報が来たのです。午前十一時十分に上野駅に ある もんごん まうのです。 つくから宜しくとの文言。仙台で或工場の門番か何かして わたしと花枝との間には子供ができなかったので、一一人いる花枝の親元から、妹の出京を知らして来たのです。前 もっ の給金を合せれば何のかのと一一百円ちかくの収入。その日以て手紙もきていましたから話はわかっています。妹の千 のことには不自由もしませんでしたが、さて何商売によら代美というのが十七になり東京へ行きたがっているから何 ず、それで飯をくうようになると、初め面白かった事もっ分頼むという話。わたしは写真を見たことがあるだけです まらなくなるのが常で、二三年たっか、たたない中、わた から、姉の花枝が風邪気味ながら迎いに行くことになり、 しはジャズ音楽には飽き飽きして来る。花枝も花形になるわたしは休まずに芝居へ行きました。 夢が消えてしまえばダンスは舞台の上の労働としか思われ 二回目の幕が下りて三回目の夜の興行になるまでの間に あんばい ません。年がら年中一日も休みなし、日曜なんそは朝の九暇がありますから花枝の風邪もどんな塩梅かと、アパート かえ きようだいふたり 時から夜の十時まで同じ事を四五回やるのが公園の例ですに還って見ると、姉妹一一人で銭湯から帰って来たところで からだ から、すこし身体の調子のよくない時なんそ、つくづく家した。 業がいやになるのです。 妹はわたしの顔を見ると、姉がまだ何とも言わない先に 春になってから雪がちらちら降って来た朝でした。 それと察して、「兄さん。お願いします。」と入口の側にべ さて いしよう

8. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

ものもない。 これには何か訳がありそうな筈である。然しに畳が敷詰めてあるが、この畳の破れずにいたのを見たこ わたくしは茲に仔細らしく、わたくしばかりが唯一人、木とは、わたくしがこの楽屋に出入をして以来、四五年間 戸御免の特権を得ている事について、この劇場とわたくしわずかに一一一度であろう。 との関係やら何やらを自慢らしく述立てる必要はないだろ踊子はいつも大抵十四五人、破畳に敷き載せた破れた座 いしよう ぶとん う。わたくしがそもそも最初にこの劇場の楽屋へ入り込ん布団の上に、裸体同様のレビ、ーの衣裳やら、楽屋着やら、 ゆかた じじゅん だ時、わたくしの年齢は既に耳順に達していた。それだか湯上りの浴衣やら、思い思いのものに、わずか腰のあたり だれ ら、半裸体の女が幾人となくごろごろ寐転がっている部屋だけをかくしたばかり。誰が来ようが一向平気で、横にな へ、無断で闖入しても、風紀を紊乱することの出来るよう 0 たり、仰向きにな 0 たり、胡坐をかいたりしている。四 な体力は既に持合していないものと、見做されていたと言五人寄添って額をつき合せながら、骨牌を切っているもの らのみご もあれば、乳呑児を膝の上にして、鏡に向って化粧をして ったなら、これが何よりも一番簡単で要領を得た弁疏にな つけまっげ いるものもある。一人離れて余念なく附睫毛をこしらえた るのであろう。イヤ文壇だの劇壇だのに於ける、わたくし ふけ り、毛糸の編物をしているのもあれば、講談雑誌によみ耽 が過去半生の閲歴が、何だの彼だのと、そんな事から自然 に生ずる信用が、どうだの、こうだのと、そんな気障な文っているのもある。 畳を敷かない板の間には、歩く余地さえないばかり、舞 句は言いたくもなければ、書きたくもない。それよりはま ひも だこの別天地を見たことのない好事家のために、わたくし台ではく銀色の ( イヒールやサンダルの、それも紐が切れ かかと たり底や踵の破れたりしたものが脱捨てられ、楽屋用の草 は何よりもまずオ。ヘラ館の踊子部屋というのは一体どんな げたあしだ うわぐっ こころみ 履や上靴に交って、外ではくフェルト草履や、下駄足駄ま 処だか、試にこれを記述してみよう。 かみくずなん、んまめ 部屋のひろさは鳥渡見たところでは、正しく数字には出でが一つにな 0 て転が 0 ている時がある。紙屑、南京豆、 しにくいが、踊子の人数の多いときには、一一十人を越すこ甘栗の殻に、果物の皮や竹の皮、巻煙草の吸殻は、その日 章 とがあ 0 ても、目白押しにそれだけの人数は入れられると当番の踊子の一人や一一人が絶えず掃いても掃いても尽きな 勲云うことで、大体は推察してもらいたい。部屋は普通家屋い様子で、何も彼も一所くたに踏みにじられたままに散ら の内部に見られるような方形をなしたものではなく、三角ばっているのだ。 四なりにゆがんでいて、扉のとれた開け放しの入口から、真見渡すと、女の人数だけずらりと並んだ鏡台と鏡台との っ 0 すぐ 直に幅一一一尺ばかり、長さ一二間ほどが板敷。その他は一面間からはわずかに漆喰の落ちた壁が現れていて其面には ねころ はず ただ べんそ

9. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

水の流れ 永井荷風文学紀行 安岡章太郎 いかふ・フ 私は、学生時代に一度、震井荷風とおばしい人に出 会ったことがある。あれは昭和十七年、夏の終りか秋 かんだ のはしめの頃だった。神田の古本屋の店先きに立って あ↓・い・ 0 いたら、私の隣に背のスラリとした老人が一人、雨傘 ・ウイン を片手に、ネズミ色のセビロをきて、ショ ドウを覗きこんでいる。その面長な横顔を、何処かで 見たことがあるな、と思いなからハッとした。 まと違って当時は、テ これは永井荷風しゃないか。い レビや週刊誌で文士が俳優なみにクスリやコーヒーの 宣伝広告をつとめたりすることなどなかったし、荷風 の顔だって私は二三の単行本のロ絵写真で見たことが あるきりだったが、その老紳士は顔立ちだけではなく、 物腰態度が何となく荷風の文章を想わせるところがあ 者ったのだ。私は、その人の後にまわって、背中ごしに ・ウインドウを覗いてみた。それは、三 の書店のショー 中枚続きの木版鍗絵で、オランダ人の医師が寝台を囲ん 紀で人体解剖をやっている図であった。これもいかにも を 。といっても私は、それ 荷風好みのものに思われた ま日 以上、この老人のあとをつけたり、声をかけたりした ま真 わけではないので、果してこれが本当に荷風であった

10. 現代日本の文学 Ⅱ-2 永井荷風集

ある 得て、野の景色は一段と冴え冴えして来る。自分は緑の木いけないと、船中で或フランス人に注意されていたので、 なるほどざっとうし 蔭にれも同じ様な赤い瓦毖根と色した塗の人家を見自分も其の気でプラットフォーム〈出たが、成程雑沓は為 どあい る度々、ああ、この国に住む人は何たる楽園の民であろうて居るものの、し其の度合は紐育の中央停車場なそと は全で違う。人間が皆なゆっくりして居る。米国で見るよ かと思った。 うしろ あかげつとっき うな鋭い眼は一ツも輝いて居ない。後から旅の赤毛布を突 遙か空のはずれ、白い夏雲の動くあたりに突然ェイフェ ル塔が見えた。汽車の窓の下には青い一帯の河水が如何に飛して行く様な無慈悲な男は一人も居ない。今プラットフ おそら しげ しすか も静に流れて居る。その岸辺には繁った木葉の重さに疲れオームから往来へと出て行く旅客の中では恐く自分が ただ たと云わぬばかり、夏の木立が黙然と水の上に枝を垂れて出迎人も案内者もなく唯一人生れて初めて見る巴里の大都 いくたりつり に入ろうとする自分が一番早足に勇立って歩いて行く男で 居る。人が幾人も釣をして居る。鳥が鳴いて居る。流れは がっ いくたび うきす 木の繁った浮洲のような島に幾度か分れては又合するあったにちがいない。 やどひ、 ーー・ー・・・ー目分は車中に掲示してある地図によって、これがセ停車場の出口で制服をきたホテルの宿引が二三人、モッ シューモッシューと云って名刺を出して見せたが、自分は イヌ河であると想像した。 とおりぬ リー * いよいよ汽車が巴里サンラザールの大停車場に到着しょ構わずに出口前の広場を通抜けて電車、辻馬車、乗合馬車 まら あまた うとする時、林の間に別荘の数多立続く鵁外を過ぎる。皆なその込み合って居る向うの街の方へと進んで行った。何 せいしゃ 富める人の餌胖であろう。清洒な家屋の・ ( ル = ンから窓、処か其の辺に安そうな宿屋があるだろうと思 0 たからで。 まち こ′っ ド、ロームとして有る街の曲角に 又は整然として居る花園の造り方思い思いに意匠を凝したすると案の定ルュー 処は、定めしそれそれ専門の名称があるに違いない。し、近く、見返れば今出て来た停車場の鼠色の大きな建物が晴 あたり こなた ひびそ 自分は汽車の響に其の窓其の花園から、此方を見返る女の晴しく一目に見える辺に、見付きの小さいホテルの入口が ・フリィモデ、レ、エ 姿を見て此れまで読んだ仏蘭西の劇や小説に現れて居る幾あった。 PRIX MODERES ( 廉価 ) と書出してあるのが貧 乏旅をするものには何よりの誘惑である。 多の女主人公を思い出すばかりであった。 かたわら すすみい 進入ると傍の一室からポンジュール、モッシューと云 ふと きかだる かみさん らやく って、宿の内儀が出迎えた。酒樽のように肥った大きなマ サンラザールの停車場に着した。此の界隈は巴里中でも からだ なか すり ざっとう 非常に雑沓する処で、掏盗児の多い事は驚く程だ。時計でダムで髪の毛は半ば白いが、身体と同じ様に肥満して居る りんご も紙 k でも大切のものは何一ッ外側の衣嚢へ入れて居ては頬は熟した林檎のように血色がよく、其の頤の横手には大 はる こだち フランス こ かくし ・、ンリュー このは かいわい ほお まなこ へん みん いさみた だいと