あまあが 事もあるが、時には久しく別れた恋人同士のように心の底自分は雨霽りの濡れた往来をば群集と共に押しつ押され から、「どうした、其後は。」と堅く手を握る事もある。 つ、ルイ十四世の騎馬像が立って居るべルクールの広小路 はる だいがらん 二人とも無性なので、下宿を引越しても通知なぞはせぬまで歩いて来る、と遙か向うの山の上なる大伽藍には燈火 ので、時々はリョンの町に居るのか、 , 。、リーに行ったのか、で、 DIEU PROTÉGE LA FRANCE ( 神フランスを守ら あるい いっこう だいもんじ 或はもう日本に帰朝してしまったのか一向分からぬ事さえせ給う ) の大文字。其の下なるサンジャンの古刹では ある かと思うと突然芝居の廊下やカッフェーのテー MERCI SAINTE VIERGE ( 聖女の慈悲 ) なる文字を輝 くら、 プルで出逢い、二時間も三時間も時には半日一日位飽きずかしたので、暗い冬の空さえ雨霽りの雲の往来までが照し あげく かたすみ つかれず話をする。其の挙句に別れるとまた忘れたように出されるかと思われた。自分は突然広小路の片隅なる池の ゆき ほとりふゆがれこだち あかる あかる 往来が絶えてしまう。 畔、冬枯の木立を前にして、此処は明い中にも又明いメイ 、んんろう ゾンドレー ( 金粉楼 ) と呼ぶ料理屋の軒下で、同じように かわばた * その年十一一月の七日、里昻の町の東南部ソーンの河端フ群集に押されながら歩いて居る「彼」に出会った。 そび くわ ールビエールと云う山の上に聳えて居る聖女マリーの大伽「や、どうした、相変らず面白い処で出ッ喰すなア。」 まつり えんぎ ことば 藍に、例年の祭典があった。縁起によると十六世紀の頃ョ 最初に語をかけたのは彼である。 えきびよう ーロッパ一円に烈しい疫病のあった時、リョンの街ばかり 「君はリョンに居たのか。」 ひご そ わぎわいのが やや は聖女マリーの庇護により其の災禍を逃れたとやら。それ自分は稍驚いた。一ヶ月ほど前丁度百聖祭と云う祭日の いえごととうみよう まつり レ 以来、毎年全市をこそって家毎に燈明を点じて祭をすると頃に出会った時、彼はフランス人がコート、 あいいろうみべ うるわ の事である。 ( 藍色の海辺 ) と云って居る景色も気候も此の上ない程麗 そ よ 抄 其の夜は降続いた雨の空が不思議にもタ方近くからがらしい南部地中海辺を旅行しようと云って居たからで。 枷りと霽れた。其れのみならず冬には珍らしい程風のない暖「旅行はどうした。お止か。」 かんこうば ドラ、レ すかさ。商店や銀行や勧工場の立ちつづくル = ー 「まずお廃止も同様さ。途中でひどい目に会って折角の計 こうじこう めらやめちゃ らビ、・フリックの大通りから、右に左に、名も知れぬ小路小画も減茶減茶になってしまった。又来年、休暇と金が出来 らっきょ 路に至るまで、家々の窓や戸口や・ ( ルコンに、燈明、電燈、るまではリョンの霧の中に蟄居する訳さ。」 がすとう 瓦期燈の光が、ソーンと。ーンとの二大河に反映するさま「どうしたんだ。金でも盗まれたのか。」 何とも云えぬ程の賑いである。 「まア其の見当だな。」 らん ぶしよう その たも せつかく
たちま ところゅう し丁度日曜日に当って夜学校を口実に出来ない処からタた。忽ち長吉は自分の影が橋板の上に段々に濃く描き出さ 飯をすが否やまだ日の落ちぬ中ふいと家を出てしま 0 た。れるのを知った。通りかかるホーカイ節の男女が二人、 しばら のちさんやばり ゆき、 ほとん 一しきり渡場へ急ぐ人の往来も今では殆ど絶え、橋の下に「まア御覧よ。お月様と「ムって暫く立止った後、山谷堀 あてつけ よどま ともしびけいようじ さかさ さん 夜泊りする荷船の燈火が慶養寺の高い木立を倒に映した山の岸辺に曲るが否や当付がましく、 かどぐち やぼり 谷堀の水に美しく流れた。門口に柳のある新しい二階家か 書生さん橋の欄干に腰打かけて こいえこうしどそと らは三味線が聞えて、水に添う低い小家の格子戸外には裸と立ちつづく小家の前で歌ったが金にならないと見たか歌 おわ いそぎあしよしわらどて いも了らず、元の急足で吉原土手の方へ行ってしまった。 体の亭主が涼みに出はじめた。長吉はもう来る時分であろ けわん しのびあい なが いっしん 長吉はいつも忍会の恋人が経験するさまざまの懸念と待 うと思って一心に橋向うを眺めた。 ほか 最初に橋を渡って来た人影は黒い麻の僧衣を着た坊主でちあぐむ心のいらだちの外に、何とも知れぬ一種の悲哀を 要 1 もな ) 、 うけおいし しりはしおり ぐっ あった。つづいて尻端折の股引にゴム靴をはいた請負師ら感じた。お糸と自分との行末 : : ・ : : 行末と云うよりも今夜 のちあした ′」義ノー 0 わ・ム ~ 、 0 あとしばら しい男の通った後、暫くしてから、蝙蝠傘と小包を提げた会って後の明日はどうなるのであろう。お糸は今夜兼てか よしちょう けた おおまた ひょりげた 貧し気な女房が日和下駄で色気もなく砂を蹴立てて大股にら話のしてある葭町の芸者屋まで出掛けて相談をして来る どうちゅう 歩いて行った。もういくら待っても人通りはない。長吉は と云う事で、其の道中をば二人一緒に話しながら歩こうと かわづら さっき 詮方なく疲れた眼を河の方に移した。河面は先刻よりも一約東したのである。お糸がいよいよ芸者になってしまえば みね あ あかる 体に明くなり気味悪い雲の峰は影もなく消えている。長吉此れまでのように毎日逢う事ができなくなるのみならず、 こだら 、ゆうれ ちょうめいじへん は其の時長命寺辺の堤の上の木立から、他分旧暦七月の満それが万事の終りであるらしく思われてならない。自分の 月であろう、赤味を帯びた大きな月の昇りかけて居るのを知らない姆何にも遠い国へと再び帰る事なくってしまう さえぎ あかる 認めた。空は鏡のように明いのでそれを遮る堤と木立はまような気がしてならないのだ。今夜のお月様は忘れられな 一生に一一度見られない月だなアと長吉はしみじみ思っ すます黒く、星は宵の明星の唯た一つ見えるばかりで其のい。 ひらめ じかたまら かずかず ことごと あかる ・こた 他は尽く余りに明い空の光に掻き消され、横ざまに長くた。あらゆる記憶の数々が電光のように閃く。最初地方町 けんか うら すきとお 「たなび す棚曳く雲のちぎれが銀色に透通 0 ている。見る見る中満月の小学校〈行く頃は毎日のように喧嘩して遊んだ。やがて は皆なから近所の板塀や土蔵の壁に相々傘をかかれて囃さ が木立を離れるに従い河岸の夜露をあびた瓦屋根や、水に こうめおじ もぐさ いし力、 まうぐい 湿れた櫞杭、満潮に流れ寄る石垣下の藻草のちぎれ、船のれた。小梅の伯父さんにつれられて奥山の見世物を見に行 こいム あお たけざお 横腹、竹竿なぞが、逸早く月の光を受けて蒼く輝き出しったり池の鯉に麩をやったりした。 せんかた いちはや ころも そ はだ こ そ
ひ、がえる あたか どめかかと くっ タン留の踵の高い靴が一足、その片々が倒さになって、恰出してくる蟇蛙の形を想像したまえ。蟇は踏みつぶすべき われわれいか ねだい も踏み潰された魚のような気味わるい態して、寐台の下にものだとは、吾々は如何なる書物からも教えられたことは かざり くっしたどめかたかた うずくまっている。リポンの飾をつけた靴下留が片々、飛ないのに、その形を見ると訳もなく踏んづけて見たくなる。 むやみ のらねこ び離れた床の上に、薔薇の花のように落ちている。そして野良猫がのそのそ中庭を歩いていると、無暗に追って見た くなる。此等の動作は何から起るのだろう。形が呼起す一 夢のような薄赤いランプの光。 自分は何に限らず、きちんと整頓しているものよりも、種の神秘だ。君は以上の理由から自分がいかに乱れた髪や、 きもの あじわみいだ 乱れたものの間に無限の味いを見出す。秩序と整頓からは皺だらけになった衣服を見ることを好むかを理解されるだ れんそう ろう。 何の聯想をもさそい出さないからね。 そのそば しか けが 君はどう思うだろう。自分には汚れがないと言われる処自分は夢うつつに長子を離れた。然し女は自分が其傍 なおさらものうげ めかけ なん 女というものは、何の感興を誘う力もないが、妻、妾、情まで近寄るのを見ても何一ッ言葉を発せず、猶更懶気に身 たましい うつろ 婦、もしくはそれ以上の経歴のある女と見れば十人が十人、をねじり、魂も空洞にな 0 たとわぬばかり、真珠のよ はなびら ーもら・そう 自分は必ず何かの妄想なしに看過することが出来ない。不うな白い歯と花弁のような舌の先を見せるまでに、カなく まぶた 、えさ くちびる もとうわさ ぎおこう 義汚行の名の下に導された女の名前は容易に記憶から消去唇をあけたまま、半開きにした臉からは、うっとりした うる けし そのおもかげ らぬばかりか、其面影は折々罌栗の花のように濃く毒々し潤んだ眼付で自分の顔を見詰めているのみである。 自分はフランスのこう云う階級の女ほど、その身分と相 く、自分の空想中に浮んでくるのが常である。 こころもら 無名の新作家の処女作よりも旧大家の旧作の方が能く読手の男の心持とを知り抜いているものは恐らくあるまいと さび えら まれる。勲章を下げた兵卒の方が、下げない士官よりも豪思った。惚れたの、愛するの、淋しいからのと、そんな人 われわれ とうと く見える。経験は尊き事実だ。事実は未来を予想させる唯の心情に訴えるような事で、吾々を誘うのは全く無益であ けんおしゅうれつ みちばた てび、 一の手引だ。道端や芝居の廊下を妙に腰を振りながら歩くる。いつもかかる女に対して、吾々が持っている嫌悪醜劣 かえっ 売笑婦それ自身は、決して人を誘惑する力を持っているもな感情を、其の起るがままに極度まで高めさせて、却て人 とりこ われ のではない。経歴が証明する予想と、も一つ、強いカで吾をしてその虜たらしむるようにするのだ。 じしやく あくるひ はなは われそのほう 吾を其方へ引張って行くものは形から生ずる一種の磁石自分は翌日の朝、甚だ満足して、其の以上を思わずに、 力である。自分は適当な言葉を見出すことができないが意外なる冒険に成功したつもりで、得々として旅館に帰り、 ローマほうおう まア日本の庭なんそでタ暮に縁の下からのそのそ午後から有名な羅馬法王の宮殿を見物し、其の夜の汽車で つぶ かんか かたかたきか せいとん しわ これら した
いしがき たけやぶ い積み方をした当世風の石垣となり、竹藪も樹木も伐択わ ものすご ところが、「ヤア大変お待たせした。失敬失敬。」と「ムつれて、全く以前の薄暗い物凄さを失ってしまった。 きりしたんざかそ まだ私が七八ツの頃かと記憶している。切支丹坂に添う て、先生は書生のように一一階の梯子段を 0 て来られたの である。金巾の白い襯衣一枚、その下には赤い観のはい 0 崖の中腹に、尢雨か何かの為めに突然真四角な大きな横穴 ゅ・くさ、 た軍服のズボンを穿いて居られたので、何の事はない、が現われ、何処まで深くつづいているのか行先が分らぬと おおかたきりしたんやしき いうので、近所のものは大方切支丹屋敷のあった頃掘抜い 外先生は日曜貸間の一一階か何かでごろごろしている兵隊さ ちらゆうぬけみち んのように見えた。 た地中の抜道ではないかなぞと評判した。 おうらい みようがだにこびなたすいどうらよう 「暑い時はこれに限る。一番涼しい。」と云いながら先生この茗荷谷を小日向水道町の方へ出ると、今も往来の真 おしだ わらじほうろく もちはこ いらよう は女中の持運ぶ銀の皿を私の方に押出して葉巻をすすめら中に銀杏の大木が立っていて、草鞋と炮烙が沢山奉納して すいどうばたとおり れた。先生は陸軍省の医務局長室で私に対談せられる時にある小さなお宮がある。一体この水道端の通は片側に寺が ところ むねもん しろいろ もきまって葉巻を勧められる。若し先生の生涯にたり幾軒となくつづいて、種々の形をした棟門を並べている処 とおりゆ、 おりおり とも贅沢らしい事があるとするならば、それはこの葉巻だから、今も折々私の喜んで散歩する処である。この通を行 かどおおっかかやくこ おとわ けであろう。 尽すと音羽へ曲ろうとする角に大塚火薬庫のある高い崖が ゅうべ 、・ようばく そび いただき このタ、私は親しくオイケンの哲学に関する先生の感想聳え、その頂にちらばらと喬木が立っている。崖の草枯 とま ねづごんげん がけみら くじすぎふたたせんだ こずえからすむれ うかが きようほくふゆがれ を伺って、夜も九時過再び千駄木の崖道をば根津権現の方れみ、この喬木の冬枯した梢に烏が群をなして棲る時な とうしようぐう うしごめ しのばずのいけうしろまわ おもむ さながら・ へ下り、不忍池の後を廻ると、ここにも聳え立っ東照宮のそは、宛然文人画を見る趣がある。これと対して牛込の ひろこうじ こ ま ゆくて こうら あかぎ なが 裏手一面の崖に、木の間の星を数えながらやがて広小路の方を眺めると赤城の高地があり、正面の行手には目白の山 ちょうぼう * しよくさんじん 電車に乗った。 の側面がまた崖をなしている。目白の眺望は既に蜀山人の とうほうぎん 東豊山十五景の狂歌にもある通り昔からの名所である。蜀 おもいだ がけ こいしかわ 私の生れた小石川には崖が沢山あ 0 た。第一に思出すの山人の記印く とうほうざんしんらやうこくじめじろムどうそん みようがだにこみち は茗荷谷の小径から仰ぎ見る左右の崖で、一方にはその名東豊山新長谷寺目白不動尊のたゝせ玉へる山は宝永の頃 せいなん せぐらそぎしゃう さいしゃうゐんほふいん * きりしたんざかななめ さえ気味の悪い切支丹坂が斜に開けそれと向い合っては名再昌院法印のすめる関口の疏儀荘よりちかければ西南に しらゆき こびなただいまら やまみち かたぶく日影に杖をたてゝ時しらぬ富士の白雪をながめ 前を忘れてしまったが山道のような細い坂が小日向台町の せんちゃうたのも おおかたおもむき 裏へと攀登っている。今はこの左右の崖も大方は趣のな千町の田面のみどりになびく風に涼みてしばらくいきを ぜいたく よじのば すす はしご そび おう っ森 、りまら ほりぬ
171 すみだ川 あせ なにか 家運の傾いて来た折も折火事にあって質屋はそれなり潰れは何も彼も一口に説明してやりたいと心ばかり急っても、 たちまいいよど ふうりゅうざんまい てしまった。で、風流三昧の蘿月は已むを得ず俶謐で世を矢張り時勢に疎い女の事で忽ち云淀んでしまった。 そ かかり 渡るようになり、お豊は其の後亭主に死別れた不幸つづき「たいした経費だろうね。」 くらし そり に昔名を取った遊芸を幸い常磐津の師匠で生計を立てるよ「ええ其ア、大抵じや有りませんよ。何しろ、あなた、月 まいげつ うになった。お豊には今年十八になる男の子が一人ある。謝ばかりが毎月一円、本代だって試験の度々に二三円じゃ れいらく 零落した女親がこの世の楽しみと云うのは全く此の一人息ききませんしね、其れに夏冬ともに洋服を着るんでしよう、 ちょうら 子長吉の出世を見ようと云う事ばかりで、商人はいっ失敗靴だって年に二足は穿いてしまいますよ。」 ほど するか分らないと云う経験から、お豊は三度の飯を二度に お豊は調子づいて苦心の程を一倍強く見せようためか声 こ しても、行く行くはわが児を大学校に入れて立派な月給取に力を入れて話したが、蘿月はその時、其れ程にまで無理 りにせねばならぬと思って居る。 をするなら、何も大学校へ入れないでも、長吉にはもっと みら らげつ 蘿月宗匠は冷えた茶を飲干しながら、「長吉はどうしま身分相応な立身の途がありそうなものだという気がした。 した。」 しかしロへ出して云うほどの事でもないので、何か話題の やさ するとお豊はもう得意らしく、「学校は今夏休みですが変化をと望む矢先へ、自然に思い出されたのは長吉が子供 ほんごう ね、遊ばしといちゃいけないと思って本郷まで夜学にやりの時分の遊び友達でお糸と云った煎餅屋の娘の事である。 ます。」 蘿月は其の頃お豊の家を訪ねた時にはきまって甥の長吉と おくやまさたけ ! らみせもの 「じゃ帰りは晩いね。」 お糸をつれては奥山や佐竹ッの見世物を見に行ったのだ。 「ええ。 いつでも十時過ぎますよ。電車はありますがね、 「長吉が十八じゃ、あの娘はもう立派な姉さんだろう。矢 とおみら 随分遠路ですからね。」 張稽古に来るかい。」 こち・と′っ 「吾輩とは違って今時の若いものは感心だね。」宗匠は言「家へは来ませんがね、この先の杵屋さんにや毎日通って じ * よしちょう 葉を切って、「中学校だっけね、乃公は子供を持った事がますよ。もう直き葭町ペ出るんだって云いますがね とうせつ ことば ねえから当節の学校の事はちっとも分らない。大学校まで ・。」とお豊は何か考えるらしく語を切った。 よほど ごうぎ 行くにや余程かかるのかい。」 「葭町へ出るのか。そいつア豪儀だ。子供の時からちょい こ 「来年卒業してから試験を受けるんでさアね。大学校へ行とロのききようのませた、い娘だったよ。今夜にでも遊 く前に、もう一ッ : : ・ : : 大きな学校があるんです。」お豊びに来りやアいいに。ねえ、お豊。」と宗匠は急に元気づい おそ ご ときわづ つぶ うち そ ねや せんべいや ねえ たんび
ムくしゅ ) くわだ は他人の私行を新聞に投書して復讐を企てたり、正義人道 を名として金をゆすったり人を迫害したりするような文明 第三樹 の武器の使用法を知らない。 えんぎ こうけん こうとうむけい やまほととぎすはつがつお 淫祠は大抵その縁起と又はその効験のあまりに荒唐無稽目に青葉山時鳥初鰹。江戸なる過去の都会の最も美し いいつく ( つけいおもむともな い時節に於ける情趣は簡単なるこの十七字に云尽されてい な事から、何となく滑稽の趣を伴わすものである。 これもんじ ひろしげら * えどめいしょえ * しようでんさま あぶらあげ まんじゅう だい ( くさま ふたまただいこん 聖天様には油揚のお饅頭をあげ、大黒様には一一股大根、る。北斎及び広重等の江戸名所絵に描かれた所、之を文字 ところ いなりさま あぶらあげあ たれ すなわ お稲荷様には油揚を献けるのは誰も皆知っている処である。に代えたならば、即ちこの一句に尽きてしまうであろう。 にちにら こまごめ いなり しばひかげらようさば 芝日蔭町に鯖をあげるお稲荷様があるかと思えば駒込には東京は其の市内のみならず周囲の近郊まで日々開けて行 しじん ほうろくじぞう 炮烙をあげる炮烙地蔵というのがある。頭痛を祈ってそれくばかりであるが、体し幸、にも社寺の境内、私人の邸宅、 みち おびただ 」ら′・つく の がけら なお が癒れば御礼として炮烙をお地蔵様の頭の上に載せるのでまた崖地や路のほとりに、まだまだ夥しく樹木を残して とんび にほんばれ こうじようばいえん おうまやがし かやでら あめなめじぞう いる。今や工場の煤烟と電車の響とに日本晴の空にも鳶ヒ ある。御廐河岸の榧寺には虫歯に効験のある飴嘗地蔵があ まれ しおじぞう 、んりゅうぎんけいだい ョロヒョロの声稀に、雨あがりのふけた夜に月は出ても蜀 り、金龍山の境内には塩をあげる塩地蔵というのがある。 えんまさま こんにやく おおく とぎす はつがつおあじわい こいしかわとみさかげんかくじ 小石川富坂の源覚寺にあるお閻魔様には蒟蒻をあげ、大久魂はもう啼かなくなった。初鰹の味とても亦汽車と氷と とうム むこうじま ばひやくにんまらおうさま しつ 保百人町の鬼王様には湿瘡のお礼に豆腐をあげる、向島のの便あるが為めに昔のようにさほど珍しくもなくなった。 まいねん のち こうムくじ いしばあさま ひやくにちぜ、 いりまめ 弘福寺にある「石の媼様ーには子供の百日咳を祈って煎豆外し目に見る青葉のみに至っては、毎年花ちる後の新暦五 したまら そな 月となれば、下町の川のほとりにも、山の手の坂の上にも、 を供えるとか聞いている。 われら これら しちゅういた 無邪気でそして又いかにも下賤ばった此等愚民の習慣は、市中到る処その色の美しさに吾等は東京なる都市に対して おどり はんものみ ばかばやし 馬鹿囃子にひょっとこの踊または判じ物見たような奉納の始めて江戸伝来の固有なる快感を催し得るのである。 あわせ ったな 駄 絵馬の拙い絵を見るのと同じようにいつも限りなく私の心東京に住む人、試に初めて袷を着た其の日の朝と云わ そとで りくっ 〒ーなぐさ を慰める。単に可笑しいというばかりではない。理窟にもず、昼と云わず、またタ暮と云わず、外出の折の道すがら、 あた tJ やま みようじんゅしまてんじん くだんさかうえかんだ ばかばか 和 いっしゅ 議論にもならぬ馬鹿馬鹿しい処に、よく考えて見ると一種九段の坂上、神田の明神、湯島の天神、または芝の愛宕山 日 しよか しちゅう すいしょ 物哀れなような妙な心持のする処があるからである。 なぞ、随処の高台に登って市中を見渡したまえ。輝く初夏 あいだあいだ あるい いらよう した かわら の空の下、際限なくつづく瓦屋根の間々に、或は銀杏、 あざやか こすえ かしゃなぎ 或は椎、樫、柳なそ、いずれも新緑の色鮮なる相に、日 いんし ほろ′のら′ し た こころみ えが
うらわ はかま あづまげた すあし て仁王門の方へと、素足の指先に突掛けた吾妻下駄を内輪は袴をはいた帯のまわりまでしみ出していた。然しもう一 に軽く踏みながら歩いて行く。長吉は其の後姿を見送ると瞬間とても休む気にはならない。長吉は月の夜に連れられ けねん ろじぐち せつな 又更に恨めしいあの車を見送った時の一刹那を思起すので、て来た路地口をば、これは又一層の苦心、一層の懸念、一 もう何としても我慢が出来ぬというようにべンチから立上層の疲労を以って、やっとの事で見出し得たのである。 うら かたがわ 片側に朝日がさし込んで居るので路地の内は突当りまで った。そして知らず知らず其の後を追うて仲店の尽るあた こうしど らいさうら みとお りまで来たが、若い芸者の姿は何処の横町へ曲ってしまつ見透された。格子戸づくりの小い家ばかりでない。昼間見 いたぺい しのびがえ そうじ ロると意外に屋根の高い倉もある。忍返しをつけた板塀もあ たものか、もう見えない。両側の店では店先を掃除してロロ かみなりもん さいちゅう 物を並べたてている最中である。長吉は夢中で雷物の方る。其の上から松の枝も見える。珮の散 0 た便所の掃除 ところ へんねこ ごみばこ みきわ ゆくえ へどんどん歩いた。若い芸者の行衛を見究めようと云うのロも見える。塵芥箱の並んだ処もある。其の辺に猫がうろ ではない。自分の眼にばかりありあり見えるお糸の後姿をうろして居る。人通りは案外に烈しい。極めて狭い溝板の らが けいこ こまがた ねじむ 追って行くのである。学校の事も何も彼も忘れて、駒形か上を通行の人は互に身を斜めに捻向けて行き交う。稽古の あらいもの みずおと よしちょう しやみせん あさくさばし くらまえ ら蔵前、蔵前から浅草橋 : : : : ・其れから葭町の方へとどん三味線に人の話声が交って聞える。洗物する水音も聞え こおんなくさまうきどぶいた ばくろちょう すそ どん歩いた。然し電車の通っている馬喰町の大通りまで来る。赤い腰巻に裾をまくった小女が草で溝板の上を掃い みが こうしど て、長吉は何の横町を曲ればよかったのか少しく当惑した。ている。格子戸の格子を一本一本一生懸命に磨いて居るの けれども大体の方角はよく分っている。東京に生れたものもある。長吉は人目の多いのに気後れしたのみでなく、さ ろじうらすすみい だけに道をきくのが厭である。恋人の住む町と思えば、其て路地内に進入ったにした処で、自分はどうするのかと初 ・もら いたイら の名を徒に路傍の他人に漏すのが、心の秘密を探られるめて反省の地位に返った。人知れず松葉屋の前を通って、 かいまみ ようで、唯わけもなく恐しくてならない。長吉は仕方なしそっとお糸の姿を垣間見たいとは思ったが、あたりが余り あかるす に明過ぎる。さらば此のまま路地口に立っていて、お糸が しいかげんに折れて行くと蔵造りの問 に唯だ左へ左へと、 屋らしい商家のつづいた同じような堀割の岸に二度も出た。何かの用で外へ出るまでの機会を待とうか。体しこれもま めいじぎ 其の結果長吉は遙か向うに明治座の屋根を見てやがて稍広た、長吉には近所の店先の人目が尽く自分ばかりを見張っ かわじようきせん い往来へ出た時、其の遠い道のはずれに河蒸汽船の汽笛のて居るように思われて、とても五分と長く立っている事は 音の聞えるのに、初めて自分の位置と町の方角とを覚った。できない。長吉は兎に角思案をしなおすつもりで、折から 同時に非常な疲労を感じた。制帽を冠「た額みならず汗近所の子供を得意にする栗餅屋の爺がカラカラカラと杵を とお なかみせつき やや 、おく みいだ しか
て時代変遷の是非なきを知らしむ。況んや刻下兵乱の世の店口に写真を掲ぐるものとしからざるものとの別あり。掲 情勢に思い到るや諸行無常の感一層切なるを覚えしむ。礙ぐるものは小店なるがごとし。たまたま門口に立ち出ずる しようぎ しようだんそ ゆかた 墻断礎の間の道を歩みてふたたび旭川の堤に上れば、水を娼妓を見るに紅染の浴衣にしごきを幅びろに締め髪をちち こうそう しつび 隔てて後楽園の松林篁叢粛然としてその影を清流に投ず。らしたるさま玉の井の女に異ならず。青楼櫛比の間に寺ま いんし えんぜんしゅん 人世の流離転変を知らざるもののごとし。客舎にかえればた淫祠あり。道暗くして何の神なるを知らねど情景宛然春 すい 日影亭午に近し。 水が人情本の挿絵に似たり。歩みてふたたび表通りに出で 、んこう 六月一一十一日。晴。午前近巷の理髪舗に入るに業をなす電車の来るを待ちしが、附近に映画館ありて今しも閉場せ げ・きせい ものことごとく妙齢洋装の女子なり。客の顔を剃るに西洋しとお・ほしく、屐声にわかに騒がしく人影陸続たり。電車 かみそり 剃刀を用いず日本在来の片刃の剃刀をもってす。また奇な来るとも容易に乗りがたきを思い月を踏んで客館にかえる。 り。帰途郵便局にて蝌書を買うに一人一枚を限りとす。 六月一一十一一日。軽陰。風冷なり。早朝警報あり。たちま ・もと 堀画伯の許に問安の書を送る。午後東京宅氏の家より携えち砲声をきく。解除のサイレンをききしは正午に近き時な はんどく しようゆう フランス 。倉敷以西の小邑爆撃せられしならんと云う。この地の 来りし仏蘭西訳本トルストイのアンナカレニンを繙読す。 斜陽さし込み来りて暑ければ折々外にでて門口に立つ。人開戦以来いまだ一度も戸障子を震動せしむるがごとき爆 ひな しゅうしようろうばい つばめ 軒裏に燕の巣ありて親鳥絶え間なく飛び去り飛び来りて雛音を耳にせず。ゆえに周章狼狽なすところを知らず、後 すくな に餌を与う。この雛やがて生い立ち秋風吹くころには親鳥楽園の河畔に走りしものまた尠からずと云う。午後池田優 、ねやごそう もろとも故郷にかえるべきを思えば、予のふたたび東京に子明石西林寺より転送せられし杵屋五叟の書を持ち来る。 るぐう 至るを得るは果していずれの時ならんと、流寓の身を顧み発信の日は六月十二日なり。代々木駅前の避難先今なお恙 涙なきを得ざるなり。晩飯を喫してのち月よければまたもなきを知る。ただちに返書を裁す。この日終日読書。旅宿 たそがれ ぼあいそうぜん や京橋に至り船着場黄昏の風景を賞す。暮靄蒼然。水色山を聞でず。 かがり叫し 、ゆうはんこう ほうムっ いちりゅうさいひろしげ 六月一一十三日。朝微雨。正午に歇む。出でて旧藩校の堂 影一立斎広重の版画に彷彿たり。橋下に小舟を泛べ篝火を あさ よっであみ 焚き大なる四手網をおろして魚を漁るものあり。橋をわた宇を見る。堂は県立師範学校女子部の構内にあり。路傍の しようカ 門も堂舎に同じく江戸時代の遺物なり。この門より堂を望 りて色町を歩む。娼家皆一一級飲食店の木札を掲ぐ。燈火ほ のぐらき納簾のかげに女の胖一一三人ズッ立ちて人を呼びむ光景おのずから人をして敬虔の心を起さしむ。堂の前に がわ・トら・ 一樹の古松臥竜のごとくその幹を斜めにしたるあり。樹下 留む。されど登楼の客ほとんどなきがごとく街路寂然たり。 ていご のれん せきぜん さしえ けいけん や つつが
221 日和下駄 路地の光景に興味を持たせる最大の理由になるのである。 らしい板塀も見える。わが拙作小説すみだ川の篇中にはか ある 路地はどうかすると横町同様人力車の通れるほど広いもかる路地の或場所をば其の頃見たままに写生して置いた。 ごと ひとひとり もよお どぞう ひあわい のもあれば、土蔵または人家の狭間になって人一人やっと路地の光景が常に私をして斯くの如く興味を催さしむる あじわ もちろんそ あやぶ 通れるかどうかと危まれるものもある。勿論其の住民の階は西洋銅版画に見るが如き或はわが浮世絵に味うが如き平 もとづ しゅじゅことな 級職業によって路地は種々異った体裁をなしている。日本民的画趣とも云うべき一種の芸術的感興に基くものである。 あんどう こころみ ばしーわ * きはらだなのなみ 橋際の木原店は軒並飲食店の行燈が出ている処から今だに路地を通り抜ける時試に立止って向うを見れば、此方は さえぎ しめ しよくしようじんみら あづまばし とうきようてい 食傷新道の名がついている。吾妻橋の手前東橋亭とよぶ差迫る両側の建物に日を遮られて湿っ。ほく薄暗くなってい あいだ かなたはるかおもてどおり よせ はなかわど 寄席のから花川戸の路地に這れば、ここは芸人や芝居る間から、彼方遙に表通の一部分だけが路地の幅だけに さるわかまらしんみち 者また遊芸の師匠なその多い処から何となく猿若町の新道くつきり限られて、いかにも明るそうに賑かそうに見える にぎわはっちょうばりきた であろう。殊に表通りの向側に日の光が照渡っている時な の昔もかくやと推量せられる。いつも夜店の賑う八丁堀北 あいだ ゅき じまらよう じようせ、 むすめぎだゅうじよう 島町の路地には片側に講釈の定席、片側には娘義太夫の定どは風になびく柳の枝や広告の旗の間に、往来の人の形が てら ちょうどとうか はりおうぎひびき せさむかいあ * どうするれんてびようし 席が向合っているので、堂摺連の手拍子は毎夜張扇の響に影の如く現れては消えて行く有様、丁度燈火に照された演 こなた うちまじわりようごくひろこうじ 打交る。両国の広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物劇の舞台を見るような思いがする。夜になって此方は真暗 べつよう まさ しゅじゅ こうりみせにぎわ おもてどおりとうか ムくろものやせんべいや 屋袋物屋煎餅屋など種々なる小売店の賑う有様、正しく屋な路地裏から表通の燈火を見るが如きは云わずとも又別様 しのびがえ かわぞ かんこうば よこやまちょうへん 根のない勧工場の廊下と見られる。横山町辺のとある路地の興趣がある。川添いの町の路地は折々忍返しをつけた其 の中には矢張立派に石を敷詰めた両側ともに雌塀の出口からに河岸通のみならず、併せて橋の欄干や過行 とんや く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此の如き光 た筆なぞ製している問屋ばかりが続いているので、路地一 けだ げいしやや いっぴんちゅう 帯が倉庫のように思われる処があった。芸者家の許可され景は蓋し逸品中の逸品である。 あきらか なまめか 路地はいかに精密なる東京市の地図にも決して明には た町の路地は云うまでもなく艶しい限りであるが、私は うち しんばしゃなぎばし しんとみざうら えがだ この種類の中では新橋柳橋の路地よりも新富座裏の一角を描き出されていない。どこから刄って何処へ抜けられる ゆきどま ば其のあたりの堀割の夜景とまた芝居小屋の背面を見る様か、に何処へも抜けられず行止りにな 0 ているものか否 けだそ おもむ 子とから最も趣のあるように思っている。路地の最も長か、それは蓋し其の路地に住んで始めて判然するので、一 よしちょうげいしややまら あたかめいきゅう くまた最も錯雑して、恰も迷宮の観あるは葭町の芸者家町度や一一度通り抜けたでは容易に判明すべきものではない。 うらくらづくわ・ いんたく であろう。路地の内に蔵造の質屋もあれば有徳な人の隠宅路地には往々江戸時代から伝承し来った古い名称がある。 こうじ にほん いたぺい おうおう ごとあるい せっさく にぎや へんらゆう こなた
よこはまち 風采さえ美なれば国民の品位は立派に保って行けるものと云うと生糸商は又折返して他の銀行員に向い、「横浜の千 ろ・カカ とせ 7 信じているーーーー其の同じ感念はこのリョン在留の日本人歳あたりじゃ、ちょいちょいお名前を伺って居ましたぜ」 っッこ の頭をも余程強く支配して居るらしい事が分った。 と突込む。 あらわ やがて、頭取の夫人が席に現れ、其の手料理と云う日本話が転じて芸者の事になる。日本も物が高くなったから あが : ・と待合や料理屋の勘定話が 料理に日本酒が食卓の上に並べられた。 中々安かア上らんそうだ : すぐさまさかずき 例の通り直様杯の取り遣りが始る。「もう、いけませ始まる。フランスの女と日本の芸者の比較論が起る。 あした んよ。そう頂き過ると明日商売が出来なくなります。」と議論は多数で、西洋はつまらぬ、無趣味だ、ゆっくりし こんな けっちゃく おしやく 云うのを無理強いに、「野郎の御酌じゃ御気に召しませんて居らぬ、余り現金過ぎるーーー・ー此様事に決着してしまっ まらあい じよろやなど かね。」などと日本中の料理屋、宴席、待合、女郎屋抔でた。 ものさわが 幾度となく幾人と知れぬ人の口から繰返される物騒しい強食事が済む。一同は主人に案内されて元の客間に移りシ さか おうしゅう 制と辞退の争論が、これ等欧洲在留の紳士の間にいっ終るガアをふかす。フランス人の下女が果物とコニャックの酒 うち ず、もちはこ とも知れず引続いて居る。其の中に赤い顔が出来臭い息が杯を持運んで立去った。 うしろすがた おこ 「なかなか別嬪ですね。」と誰かが後姿を見送りながら 起る。頭取はわざとらしく快活な態度を見せて、 云う。 「さ、どうです。御順に隠し芸でもお出しなすっちゃ : 。」と部下の銀行員を見返った。 「お世話しましようか。」と笑うのは夫人で。 「竹島さん。あなたからお始めなさい。」と夫人のお声が「お宅には余程長く居るんですか。」と生糸商が訊く。 カ・り・ 0 「もう一二年ばかりになります。」 こうざ きゅうきんばなし おくさん 「奥様、これア驚きました。」と竹島はさながら高座に上下女の給金談が始まる。つづいてフランスで日本人が暮 ど たらま えんゅう った円遊のような手振をして辞退したが、其のわざとらしらすには何れ程かかるかと云う事になる。すると夫人は忽 ちら うろた まらじひげ ある く狼狽えて見せた様子は、フランス式に縮らした -< 字髯とち或程度以上の熱心な調子になり、東京の銀行本店からは 、んぶらめがね もら 金縁目鏡とに対して可笑しいほど不調和なばかりか自分の社宅費を貰うものの相当に此れでも日本の銀行の頭取たと、 国家の名誉上、外国人からも笑われぬようにして行くには 眼には一種の不快な感を起させた。 なかなか其れだけでは足りるものじや無いと云う事をば、 竹島は順送りに其の隣りに坐って居た生糸商の一人に、 わみら 「さ、お手のものです。何か一つ伺いたいもんですな。」と種々なる方面の実例を挙げ、時には女の癖とて、話の岐路 じ かんねん すわ のば べっぴん おこ