社 げ′′ ひ彡 」白 島 向 右 せきひ 白鬚神社内の石碑 第を ー■・■ すなわち、 rentier ( 金利生活者 ) の生活である。 財産の利子で食う。戦前の荷風は幸運なランティ ェであった。 ( 略 ) ランティエの人生に処する態度 は、その基本に於て、元金には手をつけないとい う監戒からはしまる。一定の利子の効力に依って まかなわれるべき生活。元金がへこまないかぎり、 ランティエの身柄は生活のワクの中に一応は安全 であり、行動はまたそこに一応は自由であり、ワ クの外にむかってする発言はときに気のきいた批 評ですらありえた。 ( 略 ) 戦中の荷風はく自分の 生活のワクを守ることに依って、すなわちランテ イエの本分をつらぬくことに於て、よく荷風なり に抵抗の姿勢をとりつづけることができた。ラン ティエ荷風の生活上の抵抗は、他の何の役にも立 たなかったにせよ、すくなくとも荷風文学をして 災禍の時間に堪えさせ、これを戦後に発現させる ためには十分な効果を示している。》 戦前の荷風は《幸運なランティエ》であったことは、 荷風自身、否定はすまい 「小説作法」 ( 大正九年 ) と っ戯文のなかで次のように述べている 《一読書は閑暇なくては出来す、や思索空想 又観察に於てをや。されば小説家たらんとするも のはますおのれが天分の有無のみならす、又その
140 き馴れたソルポンへ曲る角のカッフェーに休んだ。 Mon Dieu ( わが神よ ) 自分はどうしたら可いのであろ はちものみらばた とっさ 青々した鉢物を道傍に並べたテラースは無論、広い家のう。いっそ今、咄嗟の間に汽車の発する時間が来てしまえ とても なか ゅうすすみ ばよい。自分は到底じッとして此の夜の明けるのを待つ事 内まで、丁度タ涼の人の出盛りとて、恭の書生や画工、 こみ 其れ等を相手の女達で、殆んど空いた椅子もないように込は出来ぬ。動くに如くはない、身体を何処へなり動かして さわが かなでいずにぎやか 合って居る。自分は奏出る賑な音楽、騒しい人声、明るいたならば、幾分か気のまぎれ心の変る機会もあろう。自 とおりす しばし い電燈、女の帽子の動揺に沈み果てた心をば少時の間でも分は往来を通過ぎる自動車を呼び止めた。 ゅうべ 元気づけ、せめてはわが最終のタをばたわい無く送って見車に乗ろうとする時であった。二人連れの女が丁度散歩 いすこやす たいと思ったが、姆何に強いアプサント酒も、死刑の人のしながらカッフェーの椅子に小休みしようとして自分の姿 、め を見付け、遠慮もなく、 名残に飲む酒と同じく、此の時ばかりは何の効力もない。 うら 「一緒に載せてッて下さい。散歩なさるんでしよう。」と 自分は音楽人声皿の響の騒然たる中に、時間の進む事ばか ゆるや おもいっ りを思詰める、と、かの緩かな舞蹈の拍子が時間の進みを云う。 ウイメダ よ ここら ほとん Ou 一 . Mesdames—自分は散歩するのだ。夜の明ける 刻んで行くように思われて殆ど居たたまれぬような心地に まわ なるのであった。さればやがて横町の突当り、電燈の光でまで、巴里中を風のように飛び廻ろうと思うのである。 あお うしろそび あおじろ 蒼白く見える哲人オーギュスト、コントの石像の後に聳ゅ夜はふけるに従い云うばかりもなく蒼くなって来た。並 るソルポンの大時計が何時とも知れず、沈んだ鋭い音で時木の大通はカッフェーの室内も同様に電燈の光のまばゆい あらわし うちだ あたか しずく 間を打出した時には、自分は其の響が恰も毒の雫の一滴一中を、自分等の乗った自動車はさながら餌に飢えた荒鷲が ごとあかる またあかる し 小鳥の歌を聞付けて突進する如く明い中にも亦明い燈火の 滴心の中に浸み入るような心持がした。 ちまた ほうと久′ば さら うらこわ ああこの苦痛。自分はあたりの子、食卓、皿を打破し、巻を目掛けて、世界の放蕩場モンマルトルの方へ飛び去っ ごと まわ 猛獣の如く荒れ廻って見たいと思った。同時に又、此れほ くもん なごり どまでに苦悶して名残を惜しむものを、巴里の都は自分の のら あじわい ころもさんらん そうぜん 思いとは全く無関係に、今や蒼然たる夜の衣に燦爛たる燈別れた後ならでは、誠の恋の味は解されないと同様、 まさら イギリス 火の飾りを付けて、限りなき歓楽の夢に入ろうとして居る仏蘭西の国を去って英吉利に入るや、自分は学史のように おしあ うらまらつめた のかと思えば、自分は暗い裏街の冷い寺院の壁に顔を押当仏蘭西の美しさを思返した。 午前十時過に巴里なるサンラザールの停車場を発した倫 て人知れず声を上げて泣きたいような気にもなる。 なごり フランス し からだ
復活したが、戦時中に書き溜めていた作品は別として、 性風俗の変に眼を凝らした『裸体』 ( 昭和二十四年 ) その他十いくつかの短篇小説は、齢七十歳を過ぎてな おあくなき好奇心に支えられているとはいえ、いすれ もそれ以前の作品を超え出るものではなかった。つね に独特なかたちで女を必要とした荷風は、戦後社会で はもはやスト丿、 ソプ・ガールと娼たちの世界にしか 居場所を求めることができなかったのである。随筆も また、昭和二十三年 ( 一九四八 ) の『葛飾土産』を最 後に、回顧的な随想に近いものになってゆく。これが やがて昭和三十四年 ( 一九五九 ) に孤独な死を迎える までの、荷風の生涯の最後の一時期である 水を得た魚という言葉がある。右のおおまかな時期 大三 の威区分の見取り図に示したように、荷風は反対に、自分 前男 の性に合った水、苦労してどうにか合わせた水から次 ま ~ 直三 次と追われて、もっと濁った、酸素の乏しい水の中で 風二生きることを余儀なくされた魚であった。そしてその 荷貞 荷風か、おそらく生陛こここ ーオだ一度だけ、生来の感覚的 月次で官能的な資質を存分に伸びひろがらせて、生き生き と泳ぎまわったのは、わすか一年足らすのフランス生 ( 一年郎 活であったろう。 リとリョンで、三十歳という青春 治久 明父 の最後の日々を満喫できた荷風はたしかに幸福であっ かっしかみやげ 446
きみ 「口止めされて居るんじゃありませんか。」 の淋しさと深い目の色には久しくこうした浮浪の生活に、 、え、全く知りません。二三年前までは此の辺にら 皿さまざまな苦労をしたらしいやつれが現れて居た。 ッしやる方は大概知ってましたけれど、今じやすっかり 巴里の女は決して年を取らないと云うけれど、実際だと ・ : 全く知りません。」 自分は思った。年のない女とはかかるものを云うのであろ えり・もと 「そう。じゃ昔のお馴染でもいい。何て云う人を御存じで う。若い娘ではないと知って居ながら其の襟許の美しさ。 つめみが 其の肩の優しさ、玉の様に爪を磨いた指先の細さに、男はした。」 しばら・く 万事を忘れて其の方へ引付けられる様に感ずるではないか。女は笑って少時は答えなかった。花売の婆が歩き廻って あい、よう とおりす 自分の前に立止り女の方に愛嬌を見せながら、「薔薇が一 通過ぎる給仕人を呼んで自分は女の望む飲物を命ずる。 ひきょ ュゲの花が五十サンチイムで御ざいま 女はやや近く椅子を自分の方に引寄せ、「長らく巴里に褪束、一フラン。ミ 在しやるのですか。」 だいぶ 「高いよ。おばさん一白い薔薇を半値にまけてお置きな。」 「いや一一三日前に来たばかりです。あなたは大分日本人に げんか なじみ 花売りはきま 0 て畆の相場から買出しの元価、さて世 はお馴染があると見えますね。」 ちがら ほほえ うつむきかげん ・。」と微笑んだが俯向加減にカッフ智辛い世渡りの苦労話しなそ長々としはじめる。自分は云 「ええ、一時は : ・ い価通りに一フランの銀貨一枚を渡した。 工工を啜り、「もう、昔の事です。」 すぐさま 女は花売りから花束を受取るや否や直様唇へ押付け、両 「此の辺には、今でも日本人は随分居るのでしよう。」 「ええ。ちょいちょい何のパンテオンなそでお見掛け申し肩を張るまでに息を引いて、 「ああ。いい香気だ。嗅いで御覧なさい。」と今度はテ工 ます・ : えりもと なじみ ・フル越に自分の鼻先へ差付け、さて丁寧に、襟許ヘビンで 「姉さんの一番御存じのお馴染は誰です。」 うわぎ おおき のらそ 自分は巴里に来たものの、まだ日本人の間へは一度も顔留めた後、其の中の殊に大い一輪を引抜き自分の上衣のポ さしこ を出さない。然し留学生の多い此の地の事、誰か知って居タンに挿込んで、「日本の方は、皆な赤い薔薇はお嫌いで すッてね。」 る人もやと何心なく尋ねて見た。 「そうとも限りますまい。 、。、ノテオンだのヴ ぞく 「今じゃ、どなたも知りません。時々 , 、 、え、皆なそうですよ。赤いような色は大変に俗なん イクトリヤ 、・、ーなんそで、お話ぐらいはしますけれど、 ほうこっちい ・ : 画の方で此方に在らし だッて、そうでしよう。あの : お名前なんざ、ちッとも知りません。」 たば ごし みん はんね まわ
よ - ) ちょ - っ 去の生活感情が封しこめられている。要するに、荷風ぶらあそんでくらす横丁の隠居》であるとして、その は《偏奇館楼上少からぬ蔵書》が一時に燃え上るのを代表にアンリ・ド・レニエをあげ、《このレニエの著作 こそ、すべてのランティエの、もしくはそうなること 叫めながら、自分の過去のランティエとしての生活が 灰になって崩れ落ちるのを認めたに違いない を念願しする小市民の、ささやかな哀愁趣味をゆ 罹災する以前から、時代はすでに荷風にランティエのすぶってくれるような小ぎれいな読物であった》と述 生活を許さなくなっており、偏奇館の炎上はいわばそ べている。それはその通りかも知れない。しかし作家が のトドメを刺したものといえよう。したがって、それ フ ランティエであった例は、レニエにとどまらない もちろん 以後の荷風の人生は、まったくの余剰であり、それは ローベルやゴンクール兄弟は勿論、ジッドもモーリア 偏奇館をふくめて三度の罹災を敗戦後の漂泊の生活を ックもそうであり、石川氏が荷風の読むべかりし新作 日記にしるすためにのみあったといっても、それほど家として上げているサルトルにしたところで一種のラ の言い過ぎではないだろう ンティエではなかったか。 ( サルトルといえば「七十歳 の自画像」と題する先年の対談で自身の過去現在の生 活をことこまかに語っているが、その中で、自分は生 ま れてこのかた一度も金に困ったことはないといし 前にも述べたように、荷風は決して自分がランティ た出来るだけ沢山の金をいろんな人に与えるのが好き ェであることを否定してはいない しかし、或る意味 だが、銀行の預金が少くなるとが悪くなるとい「 すうせい で時代の趨勢に敏感だった荷風は、ランティエの命運て、いまも機嫌が悪いところだよ、と冗談ましりに がそう長くは続かないことを、よく察知していたと思語っている。 ) 作家だけではなく画家でも、ロートレ ックやドガは貴族で大地主、或いは銀行家の息子であ われる。そしてランティエ以外に自分の生きようがな いことも充分承知していた。というより自分の生き方るし、セザンヌにしても父親が小さな銀行 ( 質屋のご ときものか ) を残しておいてくれたおかげで、画商の をかえる意志はまったくなかったはずである。これは たいだ 必すしも、荷風の性格が怠惰でカタクナであったとい 世話にはならず、自己の信する画法をつらぬいて絵画 に新生面をひらくことが出来た。 うことにはならない。石川淳氏はランティエを《ぶら
いごころ 烈しい日の光に、草も木もなく、黄色に焼けただれた野原何となく居心が変って眠られない。 ロザネットの事が妙に ろうごく あわれ それ を見た。牢獄のように厚い壁塗りの家の窓に、家畜の如く哀ッぼく思返されて来た。其のみか、万一死にでもしたら、 ばんじよ 居眠っている裸体の蛮女を見た。 自分を恨みはしないか、と気味さえ悪い。馬鹿な。貞吉は らんだ あんいっ 、た そう云う国、瀬惰、安逸、虚無の天国へと、再び帰り来再び以前の冷酷に立返ろうと一心にカめた。 る事なく行って仕舞おう。出来るならば、今夜にも出発の貞吉は病気の女に金を送ってやりたくもあるし、又幾分 なじみ 支度をしたいような心持になって、貞吉は長く腰をかけた たりとそれだけの余裕があるなら、新しく女芸人へ馴染を うち べンチから立上った。 つけた方がとも思い迷い、不決断の中に眠って仕舞った。 よくあさ その翌朝大使館へ出勤すると、机の上に手紙が三四通来て ところがき 居る。所書が赤字で書き換えられ、大分方々転送されて来 たらしい一通が目につき第一に開いて見ると、絶えて久し うら 家へ帰ると、夕方配達されたらしい一通の郵便が来てい いアアマからの便りであった。 めかけ かっ る。以前妾にしたロザネットの手紙だ。その後は、、、 しあ嘗て自分を恋した華盛頓のアアマは、運河工事で大勢の あきら かせ んばい、久しく無心も云越さぬので、いよいよ諦めを付け人の入り込むパナマの新開地へ稼ぎに渡 0 たが、三箇月も ひんし たかと思えば、又しても煩さい。何んだ。半月あまりの大たたぬ中に風土病に冒され、瀕死の砌りに、最終の祝福を びよう おろ 病で、家業は出来ず、頼る人はなし、薬は愚か、食べるも昔の恋人に送るとの事。筆執る苦しさも嘸そと思われる読 のもない 其れだから巴里には養育院がある、政府はみにくい文字さえ、わずかに十行に足りない。貞吉は少時 てい、ら ばうぜん 公立病院を設置しているのだ、と貞吉はひとりで腹を立て茫然として、何事をも考える事が出来なかった。アアマ みん うっちゃ おもんばかり このかた た。打捨って置け。皆な遠い慮をしない其の身の罪だ。ーーー実に三年此方、忘れられて了った響である。どうし めかけ 一時妾にしたからって、其時には其れ相当の報酬をした。 て、パナマなそへ行ったのであろう。貞吉の眼には、色香 こんにち 今日になって生死の問題にまで関係する義務はない。貞吉の失せた恁う云う種類の女の、一歩一歩に零落して行く末 まる うか ぺいこく は自分ながら冷酷な決断に痛快を覚え、手紙を円めて暖炉路のさまが、ありありと浮んだ。アアマは米国を喰いつめ あかり ところ の中に投入れたまま、寝床に邁た。燈火を消すと、窓て、技手や工夫を相手にあんな処まで流れて行ったに違い あかる ねむり だけが明くなり、夏の夜の空と星とが見える。眠に就こう よ、。可哀そうな事をした。 よあか よびさ としたけれど、いつも外で夜明しする癖が付いて居るので、電話の音に呼覚まされ、同僚の手前も気になって、貞吉 よ うる その ごと うら おか ワシントン っと
すわ 電燈の光を浴び、千代美は姉の姿見の前に坐って化粧をししたが、夜も十時過ですから、思ったとおり人は一人も居 ひざ ていました。物音をききつけ振返る顔を見ると、切下げをません。竹の涼台があったのを見つけ、腰をかけた膝の上 せつん ・ハマにちちらせ、額の上にカールをさげた顔、午後に別れに千代美を抱きすくめ、幾度か接吻してはじっとその顔を 見詰めました。消えたりついたりするネオンサインの光を た時とはちがって、別の女のようです。 「兄さん、おかしい。」と「ムってにつこり笑って品をつく受け、薄赤く、また薄青く染められる少女の顔は、一層可 けだか れん その る其表情。かわいらしい中に十分の色気もある。処女の可憐に、また一層気高く美しく見えます。 によしん 憐と、成熟した女身の魅力とを並有している姿は、さっきわたしはこのあど気ない十七の少女が、どうして人の物 その ほっさ 田村が褒めたのも世辞ではありません。いきなり後から抱を盗むような心になるのだろう。其場の発作で自分ながら きしめると、洗湯から帰って来たばかりとお・ほしく、弾力も其心持はわからないのだろうと思うと、わたしはかわい のある肉体の柔かさと暖かさ、姉花枝のもう一一十五六になそうで、かわいそうで堪らなくなり、横抱きにかかえた其 しばら った痩務の身体に触れる時の感覚とは、こうも違うものか頬の上に、わたしの頬を載せ、暫くのあいだ、何も言わず、 こら こ・ほれそうになる涙をじっと堪えていますと、横町のレコ と驚かれるくらいでした。 こがれ焦れた恋の トカ「あわい夢なら消えましょに。 いっ花枝がかえって来るか知れませんから、わたしは田 火が、何で消えましよ、消されましよ。ネ工、忘れちゃい 村から聞いた話をするため、千代美の手を取り、 やよ。忘れないでね。」 「ちょいとお出で。話がある。」 「兄さん、降りましようよ。姉さん、帰ってくるわよ。も 「兄さん。なに。」 「おいでツたら。姉さんのいない中 : ・ わたしは初め田村から聞いた二十円の事を話し、将来を 今から外へつれ出すわけにも行きませんから、わたしは 戒しめ、またお金がほしい時には、自分にさえ言ってくれ 手を引張って、屋根上の物干場へ上りました。 とうか 暮春の夜の、重くどんよりと曇った空の下、屋根と燈火ればいくらでも遣る。月給をみんなやってもいいから、そ との海をなしたその端れに、上野の山の灯が遠く、まばらんな事をしてはいけないと、言って聞かせるつもりなので はばか ため に輝き、轟々と唸るようにひびく町の物音の中からは、レしたが、若しそれが為に、千代美が自分を憚り恐れるよう コードの行唄がきこえます。表通の商店にかがやくネオになりはしまいか。それより何も知らない振りで監視した しか ンサインの光をたよりに、わたしはあたりに目をくばりま方がよくはあるまいか。然し十分に手落なく監視するには うち ほお たま
じゃよ、 : 「あたり前さ。君とは違う。僕なぞの身になっちや日々業 給仕人が手拭に包んだシャンパンの大罎を持って来て、務の責任はあるし、其ればかりじゃない。日本にも色々な はりがみ やっかい 栓を抜く前に、其の張紙の記号と商標を竹島に示すと竹島厄介者が居るんだからな。」 うなず つう は小声で何やら通をきかしながら頷付いて見せる。給仕人「厄介者 : : : ・ : とは。」 しら ひらた うつらや せん は一寸斜に背を見せ、ポンと栓を抜いて、平いコツ。フへ七「女房さ。打捨っても置けんから、月々いくらか手当を送 びん こおけ ぶんめ 分目についで、氷詰めにした小桶の中へ罎をつけて立去っらなくっちや成らん。」 「何故フランスへ呼寄せないのだ。」 * 飛オトルサソナイ 「そんな馬鹿な事が出来るものか。」 「さ、どうです—Votre づ té」 「どうして : : : 頭取だって細君があるじゃないか。君も細 竹島が先にコツ。フを上げて自分と高田のコツ。フに打合せ 君を呼んで家庭を作ると云ったら、銀行だって、相当の保 のらただ 高田は薬でも飲むように一口した後は唯きよろきよろと護はするだろう。」 あたり 「まだまだ、世の中はそう進歩しちゃ居らないよ、特別家 男や女が騒いで居る四辺の様子。コントアアルの後一面に あずか リポンや造花て飾立てた棚の上にな酒罎が並べてある族手当と云うのは、頭取だけで、其他の社員は此れに与る 資格がない。」 のやら、又四方の壁にレオンシャン。 ( ンだのホワイトロ・、 、れい 「そうか。其れなら強いて手当を請求せずともいいさ。君 アトだのと、酒や葉巻の広告画が綺麗に掛けてあるのを、 一個人の月給だけじゃ遣って行けないのか。」 子供のように物珍らしく眺めて居た。 自分は杯を下に置いてポケットから煙を取出そうと「行けんことも無かろう。すこし無理をすれば遣って行け する。其れと察した竹島は「失敬失敬、煙草なら君、此処る。外しそんな事をして見せると銀行の為に却ってよくな に沢山ある。」と銀製の煙草入をパチッと開いて差出した。 ぜいたく このくに フランスの煙草ではなくて、此国では非常な贅沢と「ムわ「どうして ? 」 れて居るエジプトの輸入煙草である。自分が一本取出すと、「若し、僕一人の滞在手当で、妻まで養って行けると云う さしつ 竹島は直様マッチをすって自分の方へ差付けて呉れた。余事になると、つまり今日まで五年間と云うもの、僕は非常 も・り なが あき に余分な手当を貰って居た事を、銀行に知らしてやるよう り機敏なので呆れるばかり、その様子を眺めて覚えず、 なものだ。」 「実際変ったね。」と繰返した。 せん てぬぐい つつ なが おおびん こんにら ワイプ その にらにら
181 すみだ川 云う話を思出した。伯母さんは子供の頃自分をば非常に可雲一ッ見えないような晴天が幾日と限りもなくつづいた。 かかわ たちま かわ 愛がって呉れた。其れにも係らず、自分の母親のお豊はあ外しどうかして空が曇ると忽ちに風が出て乾ききった道の よ ムきちら しめ、 ばんくれあいさっ まり好くは思っていない様子で、盆暮の挨拶もほんの義理砂を吹散す。この風と共に寒さは日ましに強くなって閉切 そぶり 一遍らしい事を構わず素振に現していた事さえあった。長った家の戸や障子が絶間なくがたりがたりと悲しげに動き ちょうきら はじま 出した。長吉は毎朝七時に始る学校へ行くため晩くも六時 吉は此処で再び母親の事を不愉快に且っ憎らしく思った。 ほとん みまも 殆ど夜の目も離さぬ程自分の行いを目戍って居るらしい母には起きねばならぬが、すると毎朝の六時が起るたびに、 ともしび きゅうくったま 親の慈愛が窮屈で堪らないだけ、もしこれが小梅の伯母さだんだん暗くなって、遂には夜と同じく家の中には燈火の まいとし 梅のおばさんはお糸と光を見ねばならぬようになった。毎年冬のはじめに、長吉 ん見たような人であったらーーーー小 にぶ、いろ 自分の二人を見て何とも云えない情のある声で、いつまではこの鈍い黄い夜明のランプの火を見ると、何とも云えぬ も仲よくお遊びよと云って呉れた事があるーーー自分の苦悲しい厭な気がするのである。母親はわが子を励ますつも ねまきすがた 痛の何物たるかを能く察して同情して呉れるであろう。自りで寒そうな寝衣姿のままながら、いつも長吉よりは早く し あさめし 分の心がすこしも要求していない幸福を頭から無理に強い起きて暖い朝飯をばちゃんと用意して置く。長吉は其の親 しばら なにぶん はせまい。長吉は偶然にも母親のような正しい身の上の女切をすまないと感じながら何分にも眠くてならぬ。もう暫 ある むやみ と小梅のおばさんのような或種の経歴ある女との心理を比く炬燵にあたっていたいと思うのを、無暗と時計ばかり気 較した。学校の教師のような人と蘿月伯父さんのような人にする母親にせきたてられて不平だらだら、河風の寒い往 ある とを比較した。 来へ出るのである。或時はあまりに世話を焼かれ過るのに とうしようぐう ひるごろ よこた えりま、 すていし 午頃まで長吉は東照宮の裏手の森の中で、捨石の上に横腹を立てて、注意される襟巻をわざと解きすてて風邪を引 あと らげつおじ わりながら、こんな事を考えつづけた後は、包の中にかく いてやった事もあった。もう返らない幾年か前蘿月の伯父 ムけ あした いっしよとり した小説本を取出して読み耽った。そして明日出すべき欠につれられお糸も一所に酉の市へ行った事があった : ・ みとめいん まいとし 席届にはいかにして又母親の認印を盗むべきかを考えた。毎年その日の事を思い出す頃から間もなく、今年も去年と 同じような寒い十二月がやって来るのである。 長吉は同じような其の冬の今年と去年、去年とその前年、 五 それから其れと幾年も ' 。 0 て何心なく考えて見ると、人 一しきり毎日毎夜のように降りつづいた雨の後、今度はは成長するに従っていかに幸福を失って行くものかを明か よ なさけ あと し こたっ かぎ と お、 おそ
つじ らつば ム、なら で延長したことと、市内一円の札を掲げた辻自動車が五十円タクが喇叭を吹鳴している路端に立って、長い議論も していられないので、翁とわたくしとは丁度三四人の女給 銭から三十銭まで値下げをした事とに基くのだと言って、 しばたた すし が客らしい男と連立ち、向側の鮓屋に入ったのを見て、そ いつものように眼鏡を取って、その細い眼を瞬きながら、 ところ あと のれん 「この有様を見たら、一部の道徳家は大に慨嘆するでしょ の後につづいて暖簾をくぐった。現代人がいかなる処、 なまぐさ うな。わたくしは酒を飲まないし、腥臭いものが嫌いですかなる場合にもいかに甚しく優越を争おうとしているか きようせい お ただちこれ から、どうでも構いませんが、もし現代の風俗を矯正しょは、路地裏の鮓屋に於いても直に之を見ることができる。 たらま かれら 彼等は店の内が込んでいると見るや、忽ち鋭い眼付にな うと思うなら、交通を不便にして明治時代のようにすれば やはんす いいのだと思います。そうでなければ夜半過ぎてから円タ って、空席を見出すと共に人込みを押分けて驀進する。物 たくし さきん クの賃銭をグット高くすればいいでしよう。ところが夜おをあつらえるにも人に先じようとして大声を揚げ、卓子を たた そくなればなるほど、円タクは昼間の半分よりも安くなる卩、 ロき杖で床を突いて、給仕人を呼ぶ。中にはそれさえ待 のぞ のですからね。」 ち切れずに立って料理場を窺き、直接料理人に命令するも しか 「然し今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律すのもある。日曜日に物見遊山に出掛け汽車の中の空席を奪 るわけに行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、取ろうがためには、プラットフホームから女子供を突落す まゆひそ かんいん 暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばな事を辞さないのも、こういう人達である。戦場に於て一番 よくばう いでしよう。精力の発展と「ムったのは慾望を追求する熱情槍の手柄をなすのもこういう人達である。乗客の少い電車 また と云う意味なんです。スポーツの流行、ダンスの流行、旅の中でも、こういう人達は五月人形のように股を八の字に ばくえき 行登山の流行、競馬其他博奕の流行、みんな欲望の発展す開いて腰をかけ、取れるだけ場所を取ろうとしている。 る現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それ何事をなすにも訓練が必要である。彼等はわれわれの如 く徒歩して通学した者とはちがって、小学校へ通う時から 譚は個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているとい ざっとう う事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思って雑沓する電車に飛乗り、雑沓する百貨店や活動小屋の階段 よな 東 その心持です。優越を感じたいと思っている慾を上下して先を争うことに能く馴らされている。自分の名 望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。 を売るためには、自ら進んで全級の生徒を代表し、時の大 あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に臣や顕官に手紙を送る事を少しも恐れていない。自分から れ 0 子供は無邪気だから何をしてもよい、何をしても咎められ 成長した現代人と、われわれとの違うところですよ。」 やり っえ い はなはだ みらばた ばくしん とが ごと