352 こりや、おもしろい。絹の糸と、績み麻との間を行く様其を説いたのが、法華経ぢやと言ふげな。 な妙な糸の 此で、切れさへしなければなう。 こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと ッムタ ハスイト ヒトマト かうして績ぎ蓄めた藕糸は、皆一纒めにして、寺々に納め 思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの ソレソレギヂョ ようと、言ふのである。寺には、其々の技女が居て、其糸ちやで、法華経々々々と経の名を唱へるだけで、この世 テンヂクフウ で、唐土様と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。 タダクドクタメ 言ふ評判であった。女たちは、唯功徳の為に糸を績いでゐ ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化り変って、 み経の名を呼ば & るのかえ。 る。其でも、其が幾かせ、幾たまと言ふ風に貯って来ると、 アイヂヤク 言ひ知れぬ愛著を覚えて居た。だが、其がほんとは、どん郎女には、いっか小耳に插んだ其話が、その後、何時まで ゾョウサシジャウドブッセフジュ な織物になることやら、其処までは想像も出来なかった。 も消えて行かなかった。その頃ちょうど、称讃浄土仏摂受 ワカウド 若人たちは茎を折っては、巧みに糸を引き切らぬゃうに、経を、千部写さうとの願を発して居た時であった。其が、 ョパナシ 長く / 、と抽き出す。又其、粘り気の少いさくいものを、 はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此世話が まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく糸にする間も、 再また、紛れ入って来たのであった。 ちっとでもロやめる事なく、うき世語りなどをして居た。 ふっと、こんな気がした。 モチロン オキテ オンキャウ 此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ掟になって居た。なっ ほゝき鳥は、先の世で、御経手写の願を立てながら、え フサ ては居ても、物珍でする盛りの若人たちには、ロを塞いで果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのでは ギャウ 緘黙行を守ることは、死ぬよりもつらい行であった。刀自 なからうか。 ・ : さう思へば、若しや今、千部に満たず らの油断を見ては、・ほっム、、話をしてゐる。其きれム \ が、 にしまふやうなことがあったら、我が魂は何になること セッ 聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつみ、這入って来勝ち やら。やつばり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続 なのであった。 けることであらう。 ウグヒス 鶯の鳴く声は、あれで、法華経々々々と言ふのぢやてつひに一度、ものを考へた事もないのが、此国のあて人の ミガ 0 娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまゝ、何も知らず思は = ョジャウ ハチス ほゝ、どうして、え テン尹ク ずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性の間に、蓮の 天竺のみ仏は、をなごは、助からぬものぢやと、説かれ花がぼっちりと、莟を擡けたやうに、物を考へることを知 / 、して来たがえ、其果てに、女でも救ふ道が開かれた。り初めた郎女であった。 0 0 ホケキャウ ヲナゴ ギャウ プタビ マギ ハサ 0
ジヒノオムナ らうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであった。 志斐嫗の負け色を救ふ為に、身狭乳母も口を插む。 郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し 唯知った事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心が イチゾ お育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覚えたゞけの事予期したやうな興奮は、認められなかった。唯一途に素直 タマイプ は、郎女様のみ魂を揺る様にして、歌ひもし、語りもしに、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、静かな、美しい眼 パチカウム オッジャ て参りました。教へたなど仰っては私めらが、罰を蒙で、人々の感激する様子を、驚いたやうに見まはして居た。 其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習ひとほした。 らねばなりません。 こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの偶然は友を誘くものであった。一月も立たぬ中の事である。 アスカデラグワンコウジ 恃む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎早く、此都に移って居た飛鳥寺ー元興寺ーから巻数が届け リアグワン 女の望むまゝに、才を習した方が、よいのではないか、とられた。其には、難波にある帥の殿の立願によって、仏前 ドクジュ 言ふ気が、段々して来たのである。 に読誦した経文の名目が、書き列ねてあった。其に添へて、 コ / ミタナ まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重って起っ 一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。 た。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだったと見父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志 ランナデ ッヅ えて、二巻の女手の写経らしい物が出て来た。姫にとってを発して、書き綴った「仏本伝来記」を、其後一一年立って、 ホケキャウ グワンコウジ は、肉縁はないが、曾祖げにも当る橘夫人の法華経、又其元興寺へ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かった寺 オホッパ オハフ 御胎にいらせられるーーー筋から申せば、大叔母御にもお当なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠め * ガクキロン り遊ばす、今の皇太后様の楽毅論。此二つの巻物が、美し たもの、と言ふことは察せられる。其一巻が、どう言ふ訣 い装ひで、棚を架いた上に載せてあった。 か、一一十年もたってゆくりなく、横家へ戻って来たので ョコハキダイナゴンイ 横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のある。 書やうに大事にして居た。ちょっと出る旅にも、大きやかな郎女の手に、此巻が渡った時、姫は端近く膝行り出て、元 トネリ の 箱に納めて、一人分の資人の荷として、持たせて行ったも興寺の方を礼拝した。其後で、 者 のである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、 難波とやらは、どちらに当るかえ。 死 誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強い刀自たちも、と尋ねて、示す方角へ、活き / \ した顔を向けた。共目か ジュズ タマスヰジャウ 此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲たらは、珠数の珠の水精のやうな涙が、こぼれ出てゐた。 ノチアト れたやうに、顔を見合せて居た。さうして後、後で恥しか其からと言ふものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起 イラツメ タナカ ムサノチオモ タチパナ ガヅョ サンハサ カサナ プンナデ モド ウチ クワンズ コ メ ワケ
であった。 かり変って居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語 イラツメ コトパ 若し又、適当な語を知って居たにしたところで、今はそん其ものさへ、郎女の語が、そっくり寺の所化輩には、通じ ミダ よう筈がなかった。 な事に、考へを紊されては、ならぬ時だったのである。 オモカゲ 姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤をでも、其でよかったのである。其でなくて、語の内容が、 観じ入ってゐるのである。寺奴は、二言とは問ひかけなか其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気の った。一晩のさすらひでやつれては居ても、服装から見てふれた女、と思はれてしまったであらう。 ミタチ それで、御館はどこそな。 すぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかっ みたち : ・ た。又暫らくして、四五人の跫音が、びたム、と岡へ上っ おうちは : て来た。年のいったのや、若い僧たちが、ばらみ、と走っ おうち : て、塔のやらひの外まで来た。 おやかたは、と問ふのだよ こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところでは をゝ。家はとや。右京藤原南家・ : ない。女人は、とっとゝ出てお行きなされ。 姫は、やっと気がついた。さうして、人とあらそはぬ癖を俄然として、群集の上にざはめきが起った。四五人だった タケガキ つけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣ののが、あとから後から登って来た僧たちも加って、二十人 ジャ・ヘ 以上にもなって居た。其が、口々に喋り出したものである。 傍まで来た。 アラジ トコロ よう・ヘの嵐に、まだ残りがあったと見えて、日の明るく照 見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな処にい サキ コピル って居る此小昼に、又風が、ざはっき出した。この岡の崎 らっしやる。 それに又、どうして、こゝまでお出でだった。伴の人もにも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根々々 にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の 連れずに 此方にも小桜の花が、咲き出したのである。 口々に問うた。男たちは、咎めるロとは別に、心はめ 此時分になって、奈良の家では、誰となく、こんな事を考 / 、、貴い女性をいたはる気持ちになって居た。 コレ へはじめてゐた。此はきっと、里方の女たちのよくする、 山ををがみに : ナラハ ヒトコトタウ まことに唯一詞。当の姫すら思ひ設けなんだ詞、匂ふが春の野遊びに出られたのだ。ーー何時からとも知らぬ、習 如く出た。貴族の家庭の語と、凡下の家々の語とは、すっしである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、 ゴト = ョ = ン ャッコ トガ アジオト ポンゲ ト = ホ ヘイプン ジョケハイ
326 生ひを & り繁み咲く 磐余の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、 馬酔木の にほへる子を 一目見てなごり惜しみがしたくて、こらへられなくなり 我が 捉り兼ねて、 ました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりま ウカガ 馬酔木の あしずりしつゝ した。小高い柴の一むらある中から、御様子を窺うて帰 吾はもよ偲ぶ。藤原処女 らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期 に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心 歌ひ了へた姥は、大息をついて、ぐったりした。其から暫となったのでおざりまする。 らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。 もゝったふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや、 オゴソ コワネ 姥は居ずまひを直して、厳かな声音で、誦り出した。 雲隠りなむ とぶとりの飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍る この思ひがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私 モロコザ タギマ カタリべ 尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土の学 ども当麻の語部の物語りには、伝へて居ります。 カラウが タンカイコウ イラツメオホナン 芸に詣り深く、詩も、此国ではじめて作られたは、大その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父君南 オンカ第 ケダイジャウ 友皇子か、其とも此お方か、と申し伝へられる御方。 家太政大臣には、叔君にお当りになってゞおざります る。 近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやま シアジン ちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企て人間の執心と言ふものは、怖いものとはお思ひなされぬ をなされると言ふ噂が、立ちました。 かえ。 * タカマノハラヒロヌヒメノミコト ナ ゴャウ 高天原広野姫尊、おん怒りをお発しになりまして、とう 其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言ふ御諚で、此山 / 、池上の堤に引き出して、お討たせになりました。 の上、河から来る当麻路の脇にお埋けになりました。 其お方がお死にの際に、深く / 、思ひこまれた一人のお其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てゝ清々しい ミミモ / トジ タイショククワン 人がおざりまする。耳面刀自と申す、大織冠のお娘御心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、 でおざります。前から深くお思ひになって居た、と云ふ と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今に カクリョ でもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、 おき、耳面刀自と、其幽界の目には、見えるらしいので 都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。 おざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さ イヨイ日 タギマ 等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、々、 まが、其力におびかれて、この当麻までお出でになった アフミ アスカ フタタビ カタ イハレ ガラ イハレ カ第 プジン
マポロジ 其とも、この葛城郡に、昔から残ってゐる幻術師のする迷ったのである。 カタリべ ジャウゴン はしではないか。あまり荘厳を極めた建て物に、故知らぬだが、さう言ふ物語りはあっても、それは唯、此里の語部 反感まで唆られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしの姥のロに、さう伝へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古物語 ワヅ たものも、その供人のうちにはあった。 りであった。纔かに百年、其短いと言へる時間も、文字に タダ 数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼって来て、唯一縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となっ カヤダウ タチマチアト 宇あった萱堂が、忽痕もなくなった。そんな小な事件がてしまった。 カメズ 一一ョジャウ ウナガ プクデン カツウルハ 起って、注意を促してすら、そこに、曾て美しい福田と、旅の若い女性は、型摺りの大様な美しい模様をおいた著る カサ ハジ 寺の創められた代を、思ひ出す者もなかった程、それは物を襲うて居る。笠は、浅い縁に、深い縹色の布が、うな じを隠すほどに、さがってゐた。 / 、、微かな遠い昔であった。 以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原の寺 オノヅカ デラ を起した。当麻の村にありながら、山田寺と言ったからでは、人の住む所から、自ら遠く建って居た。唯凡、百人 ジチュウ アスカペゴホリ ある。山の背の河内の国安宿部郡の山田谷から移って二百の僧俗が、寺中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養 キャウエン クジャ 年、寂しい道場に過ぎなかった。其でも一時は、倶舎の寺饗宴の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにゐ る。 として、栄えたこともあったのだった。 飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られその女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍の廻りを、残り ヂュウリョ て、おん子をぎれ、堂舎をひろげ、住侶の数をお殖しに なく歩いた。寺の南境は、み墓山の裾から、東へ出てゐる ヂギャウ サキ なった。おひ / \ 境内になる土地の地形の進んでゐる最中、長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻と フウスヰ その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水に、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登 書 の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よし / 、った旅びとは、東の塔の下に出た。 の 墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあった。其雨の後の水気の、立って居る大和の野は、すっかり澄みき 死み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのって、若昼のきら / 、しい景色になって居る。右手の目の は、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほ下に、集中して見える丘陵は傍岡で、ほのム \ と北へ流れ カヅラキガハ 訂どの、意味であった。ところが、其おことばが縁を引いて、て行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたやう ソノマタ ミミナジ 此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起に見える遠い小山は、耳無の山であった。其右に高くつつ アスカ サウ タギマ ウジロ トモビト ョ ワカヒを ザカヒ ガラン ハナダイロ カウゲン タダオョソ フル クャウ
クチビル一一ホ のでなうて、何でおざりませう。 に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た : : : その俤 ソ / カミ 当麻路に墓を造りました当時、石を搬ぶ若い衆にのり移日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの様な人もお ウタ セウト った霊が、あの長歌を謳うた、と申すのが伝へ。 いでになるものだらうか。我が家の父や、兄人たちも、世 タギマ / カリ / オムナ 当麻語部媼は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂する 語って居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所が、其すら似もっかぬ : ・ ガ第 である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖尊い女性は、下賤な人と、ロをきかぬのが当時の世の掟で カメリペ とは言へ、語部の古婆の心は、自身も思はぬ意地くね悪さある。何よりも、其語に、下ざまには通じぬもの、と考へ を蔵してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守っられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の ミタ イラツメ て居る者の優越感を、充すことにも、なるのであった。 語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。 大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかっ そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、 た。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語答へしておくれ。 アスカ 部の物語りである。詞端々までも、真実を感じて、聴い その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、 ワケ て居る。 昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立 ンユクンフ カウガウ 言ふとほり、昔びとの宿執が、かうして自分を導いて来た ち現れては、神々しく見えるであらうそ。 ことは、まことに違ひないであらう。其にしても、つひし此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、 サウガウ か見ぬお姿ーー尊い御仏と申すやうな相好が、其お方とは 郎女の内に動く心もちの、凡は、気どったであらう。暗い 思はれぬ。 み燈の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋 ヒガンチュウ = チ 春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざム、との内の物の形を、朧ろげに顕しはじめて居た。 書見たお姿。此日本の国の人とは思はれぬ。だが、自分のま我が説明を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若 だ知らぬこの国の男子たちには、あゝ言ふ方もあるのか知日子。天若日子こそは、天の神々に弓引いた罪ある神。 カタハダ 者 らぬ。金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかゝる片肌は、白其すら、其後、人の世になっても、氏貴い家々の娘御の 死 ネャ 々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で閨の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若 夢見るやうにまみを伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下みこ」と言ふのが、其でおざります。 ョガ に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて : : : あゝ雲の上 天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞 プルババ ナソコ ハコ コレ アカゾ ソレ = ョゾャウ ソノブ 0 ャウ ウハサ オモカゲ オキテ 0
塚道の扉を叩きながら、言って居たのも今の事ーーーだっ共から、どれほどたったのかなあ。どうもよっぽど、長 い間だった気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てく たと思ふのだが。昔だ。 ヰネム れたのは、居睡りの夢を醒された感じだった。其に比べ おれのこゝへ来て、間もないことだった。おれは知って ると、今度は深い睡りの後見たいな気がする。あの音が ゐた。十月だったから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みた してる。昔の音が いに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになったこ とも。かうっとーー・姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌を手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎮めてーー。鎮 * イソ めて。でないと、この考へが、復散らかって行ってしま うたひあげられたつけ。「巌石の上に生ふる馬酔木を」 ふ。おれの昔が、あり / 、と訣って来た。だが待てよ。 と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌け初めた頃だ ムクロ ・ : 其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。 と知った。おれの骸が、もう半分融け出した時分だった。 だれの子なのだ。だれの夫なのだ。其をおれは、忘れて そのあと、「たをらめど : : : 見すべき君がありと言はな しまってゐるのだ。 くに」。さう言はれたので、はっきりもう、死んだ人間 クビマハ になった、と感じたのだ。・ : : ・其時、手で、今してる様両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐって居る。 にさはって見たら、驚いたことに、おれのからだは、著さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れ ホジゾ こんだ著物の下で、胎のやうに、べしゃんこになって居て出た。 大変だ。おれの著物は、もうすっかり朽って居る。おれ ハカマ の褌は、ほこりになって飛んで行った。どうしろ、と言 臂が動き出した。片手は、まっくらな空をさした。さうし サグ ふのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。 て、今一方は、そのまゝ、岩牀の上を掻き捜って居る。 * フタカミャマイロセ うっそみの人なる我ゃ。明日よりは、二上山を愛兄弟筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け廻るに似た 書 ものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が闇の中に起き上っ と思はむ のナキウ 誄歌が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つた。 オッャ 者 つぎ足して、歌ってくれたのだ。其で知ったのは、おれをゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおっか 死 さま。おれが悪かったと言ふのなら、あやまります。著 の墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。 ジカ 。おれのからだは、地べたに凍 四よい姉御だった。併し、其歌の後で、又おれは、何もわ物を下さい。著物を りついてしまひます。 からぬものになってしまった。 カヒナ ソレ インマ カヒナ アト クサ ヤミ
貴人一家の者にも、知れ渡って居た。あらぬ者の魂を呼びともあれ、かうして、山ごもりに上った娘だけに、今年の 出して、郎女様におつけ申しあげたに違ひない。もう / 、、田の早処女が当ります。其しるしが此ぢや、と大事さうに、 オコナヒ 軽はずみな咒術は思ひとまることにしよう。かうして、魂頭の躑躅に触れて見せた。 の游離れ出た処の近くにさへ居れば、やがては、元のお身もっと変った話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下は モドアソバ ヰナカバナジ になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母あっても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舎咄をして 行った。共を後に乳母たちが聴いて、気にしたことがあっ は唯、気長に気ながに、と女たちを論し / 、した。 こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどうみ、と踏み ツッジ く寂しかった山に、躑躅が燃え立った。足も行かれぬ崖のおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様 ヒトムラ 上や、巌の腹などに、一群々々咲いて居るのが、奥山の春にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、 クダ は今だ、となのって居るやうである。 真下へ / 、、降って行った。・、 カらム \ と、岩の崩える響き。 ある日は、山へ / \ と、里の娘ばかりが上って行くのを見 ちょうど其が、此廬堂の真上の高処に当って居た。こ ハズ た。凡数十人の若い女が、何処で宿ったのか、其次の日、 んな処に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案 オホナギ ヂャウ てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭の定、赤岩の大崩崖。ようべの音は、音ばかりで、ちっと ツッジパヤシ アト から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練って降るやも痕は残って居なかった。 うだ、と声をあげた。 其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく / \ 子から丑の間 そよム \ と廬の前を通る時、皆頭をさげて行った。其中のに、里から見えるこのあたりの峰の上に、光り物がしたり、 ワカウド ィットキオロジスゴウナ 二三人が、つくねんとして暮す若たちの慰みに呼び入れ時ならぬ一時颪の凄い晗りが、聞えたりする。今までつひ ナハンロ ツツ られて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時であに聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言 る。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしゃれ。こ った。 んな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑こんな話を残して行った里の娘たちも、苗代田の畔に、め ふ者もあった。 い / 、のかざしの躑躅花を插して帰った。其は昼のこと、 ネャ こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、田舎は田舎らしい閨の中に、今は寝ついたであらう。夜は 都までも聞えた物語りのある田ちやげな。 ひた更けに、更けて行く。 マジモノウバ 若人たちは、又例の蠱物姥の古語りであらう、とまぜ返す。昼の恐れのなごりに、寝苦しがって居た女たちも、おびえ ウマビト アクガ オョソ ハヤ サト イホリ マ サウトメ ツッジ / チオモ コ / ゴロ ウゾ
318 耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。共が次気がした。俄かに、楽な広々とした世間に、出たやうな レンサウヒ 第に蔓って、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想の紐に貫い 感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふっとさう考へ ニガ て行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯れたからだ たきりで : : : 、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消 プ′タビ に、再立ち直って来た。 え去ったーーーおれ自分すら、おれが何だか、ちっとも訣 耳面刀自。おれが見たのは、唯一目ーー・唯一度だ。だが、 らぬ世界のものになってしまったのだ。 おまへのことを聞きわたった年月は、久しかった。おれあゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまっ によって来い。耳面刀自。 たのだ。 クルプジ ヒザヒッカガミ 記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。 足の踝が、膝の膕が、腰のつがひが、頸のつけ根が、 おれは、このおれは、何処に居るのだ。・ ・ : それから、顳が、ぼんの窪がーー・と、段々上って来るひょめきの為 こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。 に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばったまゝの膝が、折り カガ トコヤミ 其をすっかり、おれは忘れた。 屈められた。だが、依然としてーーー常闇。 * イセ だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声を をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女ーーおれの姉 プサダ 聞いたのだっけ。さうだ。訳語田の家を引き出されて、 御。あのお人が、おれを呼び活けに来てゐる。 磐余の池に行った。堤の上には、遠捲きに人が一ばい 姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御神に仕へてゐ カヤハラ あしこの萱原、そこの矮叢から、首がっき出て居た。皆る人だ。おれのからだに、触ってはならない。そこに居 が、大きな喚び声を、挙げて居たつけな。あの声は残ら あゝ るのだ。ぢっとそこに、蹈み止って居るのだ。 ず、おれをいとしがって居る、半泣きの喚き声だったの おれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ。 忘れ て居た。さうだ。此は、おれの墓だ。 ッカ 其でもおれの心は、澄みきって居た。まるで、池の水だ いけない。そこを開けては。塚の通ひ路の、扉をこじる った。あれは、秋だったものな。はっきり聞いたのが、 のはおよし。 : よせ。よさないか。姉の馬鹿。 カモドリ 水の上に浮いてゐる鴨鳥の声だった。今思ふとーーー待て なあんだ。誰も、来ては居なかったのだな。あゝよかっ よ。其は何だか一目惚れの女の哭き声だった気がする。 た。おれのからだが、天日に暴されて、見る / 、、腐る ミミモノトジ をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、 ところだった。だが、をかしいそ。かうっとーーーあれは おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通った 昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、 イハレ ヒロガ ソレ マ セッナ カモネ コメカミ ウ h メ クポ テンピ トマ サラ バカ トビラ
336 イラツメカミカク 南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、片破れ月が、上って来た。其が却て、あるいてゐる道の辺 ソレ 翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がの凄さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、 つかずに居た。 よるべを覚えて、足が先へ / 、と出た。月が中天へ来ぬ前 ョコハキカキッ 横佩墻内に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、に、もう東の空が、ひいわり白んで来た。 ラクチュウ 洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔り人の多く見出される夜のほのみ、明けに、姫は、目を疑ふばかりの現実に行き カスガヤマ ョコハキケ 場処と言ふ場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入っあった。 横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、 タカマドヤマ たものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山の墓原も、佐一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占って居る ヤマムラ 紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村、北は奈良山、泉川やうだった。さう言ふ女どものふるまひに、特別に気は牽 メグ カラアゾ の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆空足をかれなかった郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目 踏んで来た。 がよかったから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、 姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西そは / 、と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るの へ / 、と辿って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。を、見聞きしてゐた。 姫は、誰にも教はらないで、裾を脛まであげた。風は、姫 一ト・にーリ の髪を吹き乱した。姫は、いっとなく、髻をとり東ねて、郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂った語を、内 襟から着物の中に、含み入れた。夜中になって、風雨が止容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗りに照り輝 み、星空が出た。 いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さ 姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはつうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹 ケアナメ オソロ きりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい声を、度々聞塗りに、きらめいて居る。 ガラン いた。ある時は、鳥の音であった。其後、頻りなく断続し山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奥深く、朱 タナグモ イクエ たのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見 カヅラキ ヒトヰ 広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのやえた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかった。其寂寞 フメカミ うに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに たる光りの海から、高く抽でゝ見える二上の山。 ホンムラ タイジョククワン タンカイコウ トウゾゾクチャウダザイ / ソッナンケ 本村を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居ばかりであ淡海公の孫、大織冠には曾孫。藤氏族長太宰帥、南家の ソノダイイチ尹ャウジ る。 豊成、其第一嬢子なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、 ナンケ トコロ マタ モド ハゾビト ス アラノ ウハ タダ ヤマスソ スゴ イラツメ ソレカへッ フサ セキバク アサメ ホトリ