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検索対象: 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集
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1. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

320 彼の人には、声であった。だが、声でないものとして、消隠れたりするのは、この夜更けになって、俄かに出て来た カスミセヰ えてしまった。声でない語が、何時までも続いてゐる。 霞の所為だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、ほっとり くれろ。おっかさま。著物がなくなった。すつばだかでと、暖かく感じさせて居る。 ムラガ サキ 出て来た赤ん坊になりたいそ。赤ん坊だ。おれは。こん広い端山の群った先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く オホオビ なに、寝床の上を這ひずり廻ってゐるのが、だれにも訣続いた、輝く大佩帯は、石川である。その南北に渉ってゐ らぬのか。こんなに、手足をばたみ、やってゐるおれの、る長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、凡 ヤマアヒ カ 見える奴が居ぬのか。 河内の邑のあたりであらう。其へ、山間を出たばかりの堅 ウメ その晗き声のとほり、彼の人の骸は、まるでだゞをこねる塩川ー大和川ーが落ちあって居るのだ。そこから、乾の方 ッラナ 赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返してへ、光りを照り返す平面が、幾つも列って見えるのは、日 ナガセ工 居る。明りのさゝなかった墓穴の中が、時を経て、薄い氷下江・永瀬江・難波江などの水面であらう。 オポ シゾ の膜ほど透けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見寂かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡 わけることが出来るやうになって来た。どこからか、月光れたやうに、しっとりとして静まって居る。谷にちら / \ とも思へる薄あかりが、さし入って来たのである。 する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅 どうしよう。どうしよう。おれは。ーーー大刀までこんなれ咲きである。 ミナ フタカミャマヲ / カミ に、錆びついてしまった : 一本の路が、真直に通ってゐる。二上山の男嶽・女嶽の間 サガ アスカ から、急に降って来るのである。難波から飛鳥の都への古 い間道なので、日によっては、昼は相応な人通りがある。 道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓って居るのすら見え タギマヂ クダ 月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたる。当麻路である。一降りして又、大降りにかゝらうとす コズエトガ るものが少かった。山を照し、谷を輝かして、剰る光りは、る処が、中だるみに、やゝ坦くなってゐた。梢の尖った栢 クマグマ 又空に跳ね返って、残る隈々までも、鮮やかにうっし出しの木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃って見え コカゲ る。月の光りも薄い木陰全体が、勾配を背負って造られた マプタ 足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、 円塚であった。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く睚 ソレ 入りくみ、絡みあって、深々と畝ってゐる。其が見えたりを閉ぢてゐる。 カラ タクサン ムクロ ワカ カフチムラ ヤマト ナ = ハエ マ′コノサ ヒラタ まウバイ メ / 力を ワタ イメヰ 力へ

2. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

やそぎち 『八十吉』の話も父に関するその想出の一つである。こう わんじゅたま いう想出は、例えば念珠の珠の一つ一つのようにはならぬ ものであろうか。 八十吉は父の『お師匠様』の孫で、僕よりも一つ年上の わらペ 童であったが、八十吉が僕のところに遊びに来ると父はひ よみかき どく八十吉を大切にしたものである。読書がよく出来て、 ねつき 遊びでは根木を能く打った。その八十吉は明治廿五年旧暦 六月二十六日の午すぎに、村の西方をながれている川の深 えんでぎし 淵で溺死した。 おもい そのときのことを僕はいまだに想浮べることが出来る。 みずかさ その日は村人の計う『酢川落ち』の日で、水嵩が大分ふえ ぎち ていた。川上の方から瀬をなしてながれて来る水が一たび 八十吉 ふち つぎ 岩石と粘土からなる地層に衝当ってそこに一つの淵をなし とな . い ~ 、 ~ い よしやじ * ぎゅう 僕は維也納の教室を引上げ、笈を負うて二たび目差す・ハていたのを『葦谷地』と村人が称えて、それは幾代も幾代 ミュンヘン かま ヴァリアの首府民顕に行った。そこで何や彼や未だ苦労のも前からの呼名になっていた。目をつぶっておもうと、日 かなかめむら 多かったときに、故郷の山形県金瓶村で僕の父が歿した。本の東北の山村であっても、徳川の世を超え、豊臣、織田、 さかのほ かまくら あしかが はたけ ほっ 真夏の暑い日ざかりに畑の雑草を取っていて、それから発足利から遠く鎌倉の世までも溯ることが出来るであろう。 ろてき しげ 藝してついに歿した。それは大正十一一年七月すえで、日本『葦谷地』というから、そのあたり一面に蘆荻の類が繁っ ほしいまま ていて、そこをいろいろの獣類が恣に子を連れたりなん 集の関東に大地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。 珠僕は父の歿したことを知ってひどく寂しくおもった。そかして歩いている有様をも想像することが出来た。明治廿 あしわらしんしよく あおむき 念して昼のうちも床のうえに仰向に寝たりすると、僕の少年五年ごろには山川の鋭い水の為めにその葦原が侵蝕されて、 のころの父の想出が一種の哀調を帯びて幾つも意識のうえもとの面影がなくなっていたのであろうが、それでもその よしきり かたすみ に浮上ってくるのを常とした。或る時はそれを書きとどめ片隅の方には高い葦が未だに繁っていて、そこに葦切がか ておきたいなどと思ったこともあって、ここに記入するしましく啼いているこえが今僕の心に蘇って来ることも 念珠集 ( 抄 ) ウインナ やそ おおじしん よ ひる すかお よみがえ とよとみおだ しん

3. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

212 ( 九月作 ) 月ほそく入りなんとする海の上ここよ遙けく舟なかりけり * っちゃぶんめい 土屋文明へ けふもまた岩かげに来っ靡き藻に虎斑魚の子かくろへる見 ゅ おのが身をあはれとおもひ山みづに涙を落す人居たりけり なり しほ鳴のゆくへ悲しと海のべに幾夜か寝つるこの海の・ヘにものみなの饐ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこ ゑ聞ゅ 狂人守 ひぐらし うけもちの狂人も幾たりか死にゆきて折をりあはれを感ずもの書かむと考へゐたれ耳ちかく蜩なけばあはれにきこ ゅ るかな ひやくじっこう くれなゐの百日紅は咲きぬれど此きゃうじんはもの「ムはずタさればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり けり むらさきの桔梗のつ・ほみ割りたればあらはれてにくから としわかき狂人守りのかなしみは通草の花の散らふかなしなくに み 秋ぐさの花さきにけり幾朝をみづ遣りしかとおもほゆるか 気のふれし支那のをみなに寄り添ひて花は紅しと云ひにけも るかな ひむがしのみやこの市路ひとつのみ朝草ぐるま行けるさび しも ( 七月作 ) このゆふべ脳病院の二階より墓地見れば花も見えにけるか 夏の夜空 じんりを あはれなる百日紅の下かげに人力車ひとつ見えにけるかな墓原に来て夜空見つ目のきはみ澄み透りたるこの夜空かな ぎゃうじん なび この とらふ あけび はる あ せみ

4. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

やまばと 山鳩のこゑきこゅ、角を吹け。 ばれいしょはた いざさらば馬鈴薯の畑を越え をか 瓜哇びとが園に入り、かの岡に らふ 鐘やみて蝋の火の消ゆるまで ちじゅくち 無花果の乳をすすり、ほのぼのと くび 歌はまし、汝が頸の角を吹け。 わが佳耜よ、鐘きこゅ、野に下りて ぶだうじゅっゅしたむら 葡萄樹の汁滴る邑を過ぎ、 いざさらば、パアテルの黒ぎ袈裟 はや朝の看経はて、しづしづと 見えがくれ棕櫚の葉に消ゆるまで、 無花果の乳をすすり、ほのぼのと 歌はまし、いざともに角を吹け、 わが佳耜よ、 - 起き来れ、野にいでて 歌はまし、水牛の角を吹け。 らふ ほのかなる蝋の火に いでや子ら、日は高し、風たちて しゅろ 棕櫚の葉のうち戦ぎ冷ゆるまで、 ほのかなる蝦の火にをそろへ 鵠のごと歌はまし、汝が母も。 おうな 好き日なり、媼たち、さらばまづ っとめ しゅろ そよ さんびか 禧らまし讃美歌の十五番、 ォルガン いざさらば風琴を子らは弾け、 をぢ あはれ、またわが爺よ、なにすとか、 着眼ここにこそ、座はあきぬ、 いざともにらまし、ひとびとよ、 さんた・まりや。さんた・まりや。さんた・まりや。 をろが かうろ 拝めば香炉の火身に燃えて たま 百合のごとわが霊のうちふるふ。 あなかしこ、鴿の子ら羽をあげて みづし 御龕なる蝋の火をあらためよ。 黒船の笛きこゅ、いざさらば ほどもなくパアテルは見えまさむ、 そく さらにまた他の燭をたてまつれ。 あなゆかし、ロレンゾか、鐘鳴らし あんそく まめやかに安息の日を祝ぐは、 あな楽し、真白なる羽をそろへ 鴿のごと歌はまし、わが子らよ。 あはれなほ日は高し、風たちて 棕櫚の葉のうち戦ぎ冷ゆるまで、 ほのかなる蠑の火に羽をそろへ 鴿のごと歌はまし、はらからよ。 そよ

5. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

346 気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであ其にしても、静か過ぎるではないか。 イラツメ った。 さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳 キャウ一一ン 何時の間にか、平群の丘や、色々な塔を持った京西の寺々 母もそちらへ行ったとか、今も人が申しましたから、落 の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。 ちついたので御座りませう。 これは / \ 。まだこゝに、残ってゐたそ。 詮索ずきさうな顔をした若い方が、ロを出す。 力へ 珍しい発見をしたやうに、彼は馬から身を飜しておりた。 いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎに カ 二人の資人はすぐ、馳け寄って手綱を控へた。 つけこんで、悪い魂や、霊が、うよ / 、とつめかけて来 メグ ミタナ 家持は、門と門との間に、細かい柵をし囲らし、目隠しに るもので御座ります。この御館も、古いおところだけに、 カラチバナャプ オトナ 枳殻の叢生を作った家の外構への一個処に、まだ石城が 心得のある長老の一人や、二人は、難波へも下らずに、 可なり広く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄っ守に居るので御座りませう。 モド て行った。 もうよい′ ( 、。では戻らう。 ョコハキカキッ 荒れては居るが、こゝは横佩墻内だ。 十 さう言って、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面 を見入って居た。 さうに御座ります。此石城からしてついた名の、横佩墻をとめの閨戸をおとなふ風は、何も、珍しげのない国中の カッ 内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強ひ為来りであった。だが共にも、曾てはさうした風の、一切 てとり毀たないとか申します。何分、帥の殿のお都入り行はれて居なかったことを、主張する村々があった。何時 コノママ までは、何としても、此儘で置くので御座りませう。さのほどにか、さうした村が、他村の、別々に守って来た風 習と、その古い為来りとをふり替へることになったのだ、 ゃうに、人が申し聞けました。はい。 ザプサ と言ふ。かき上る段になれば、何の雑作もない石城だけれ 何時の間にか、三条七坊まで来てしまってゐたのである。 メグラ ど、あれを大昔からとり廻して居た村と、さうでない村と おれは、こんな処へ来ようと言ふ考へはなかったのに トネ があった。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老た だが、やつばり、おれにはまだム、、若い色好みの心が、 カタリペ ちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語り 失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、 ハヒ から、来た話なのであらう。踏み越えても這入れ相に見え 反省らしいものが出て来た。 トネリ コボ ヒトタケ へグリ マチノリ タヅナ サク 0 センサク シキタ ネャド ナ一一ハ サウ ク = ナカ ィッサイ

6. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

高座にあがるすなはち処女ふたり扇ひらきぬ。大きな 火口原 る扇を ミャウジャウガタケ しんとして声あるものか。わが脚は、明星个嶽の草に触 新内の語りのとぎれおどろけば、座頭紫朝は目をあかり行く ずをり 日だまりの山ふところに居たりけり。四方の相のこがらし 「富久」のはなしなかばに立ちくるは、笑ふにへむ心聞ゅ にあらず 峰ごしに鳴く鳥居っゝ時久し。山ふところに、日はあ 清志に与へたる たり居り 臥たる胸しづまりゆけば、天さかるひなの薩摩しさやに 見え来も 足柄の金時山に入り居りと誰知らましゃ。この草のな 、刀 告げやらば若き心に歎かめど、汝が思ひ得むわびしさな らず 峰遠く鳴きっゝわたる鳥の声。なそへを登る影は、我が しごとより疲れ帰りて、うつゝなく我は寝れども、明日さ めにけり をちこちに棚田いとなみ、足柄の山の斜面に、人うごく 見ゅ 朝鮮の教師にゆけと通め来るあぢきなきふみに、うご 森の二時間 わが心 森ふかく入り坐てさびし。汽笛鳴る湊の村にさかれる 大正五年 シンナイ トミキウ スス ナゲ サツマ アジゼラ タナダ 第ナト コズエ

7. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

336 イラツメカミカク 南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、片破れ月が、上って来た。其が却て、あるいてゐる道の辺 ソレ 翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がの凄さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、 つかずに居た。 よるべを覚えて、足が先へ / 、と出た。月が中天へ来ぬ前 ョコハキカキッ 横佩墻内に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、に、もう東の空が、ひいわり白んで来た。 ラクチュウ 洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔り人の多く見出される夜のほのみ、明けに、姫は、目を疑ふばかりの現実に行き カスガヤマ ョコハキケ 場処と言ふ場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入っあった。 横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、 タカマドヤマ たものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山の墓原も、佐一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占って居る ヤマムラ 紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村、北は奈良山、泉川やうだった。さう言ふ女どものふるまひに、特別に気は牽 メグ カラアゾ の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆空足をかれなかった郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目 踏んで来た。 がよかったから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、 姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西そは / 、と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るの へ / 、と辿って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。を、見聞きしてゐた。 姫は、誰にも教はらないで、裾を脛まであげた。風は、姫 一ト・にーリ の髪を吹き乱した。姫は、いっとなく、髻をとり東ねて、郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂った語を、内 襟から着物の中に、含み入れた。夜中になって、風雨が止容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗りに照り輝 み、星空が出た。 いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さ 姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはつうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹 ケアナメ オソロ きりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい声を、度々聞塗りに、きらめいて居る。 ガラン いた。ある時は、鳥の音であった。其後、頻りなく断続し山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奥深く、朱 タナグモ イクエ たのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見 カヅラキ ヒトヰ 広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのやえた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかった。其寂寞 フメカミ うに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに たる光りの海から、高く抽でゝ見える二上の山。 ホンムラ タイジョククワン タンカイコウ トウゾゾクチャウダザイ / ソッナンケ 本村を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居ばかりであ淡海公の孫、大織冠には曾孫。藤氏族長太宰帥、南家の ソノダイイチ尹ャウジ る。 豊成、其第一嬢子なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、 ナンケ トコロ マタ モド ハゾビト ス アラノ ウハ タダ ヤマスソ スゴ イラツメ ソレカへッ フサ セキバク アサメ ホトリ

8. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

250 をさなごの音もこそせねかかる夜に罪悔しめる人をおもは 室にて む うつうっと空は曇れり風ひけるをさなご守りて外に行かし 9 初夏 めず もの投げてこゑをあげたるをさなごをこころ虚しくわれは むか 墓原のかげよりおこる銃のおとわが向っへの窓にこだます 見がたし ひたぶるにあそぶをさなごの額より汗いでにけり夏は来向診察を今しをはりてあが室のうすくらがりにすわりけるか も ふ とのも かりそめの病に籠りをさなごを我がかたはらに遊ばせにけ悔いごころあはあはしかり昼つかた外面みなぎり雨のふる おと 曇り空 をさなごの遊ぶを見ればおのづから畳ねぶりをり何かいひ くもり空にうすき煙の立ちの・ほるタかたまけて子の音もせ つつ ず 朝はやく街にいで来てあわただし毛抜を一つもとめてかへ ほうせんくわ る 鳳仙花いまだ小さくさみだれのしきふる庭の隅にそよげり ものぐるひの診察に手間どりてすでに冷たき朝飯を食む窓のべにいとけなき子を立たしめてわが向っへの森を見て をり 窓したをののしりあひて通りをる埃あつめぐるま窓にひび まむかひの墓原なかにいっしかも白き墓ひとつ見えそめに けり けり ひたひ けぬぎ ごみ くや むな あさいひは へや つつ へや

9. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

こんちゅう 瑠璃いろに光る昆虫いづるまで最上川べの春たけむとす 雪しづく夜すがらせむとおもひしに暁がたは音なかりけ つばめ うちわたしいまだも雪の消えのこる最上川べに燕ひるがヘ る かさな 雪ぐものそのふるまひを見たりけり重り合ひにせめぐがご 春光 まなかひに見えをる山の雪げむりたちまちにしてひくくな . り . こり′ 気ぐるひが神と称するカーズスを礼拝せむと人さやぎけり 山の中ゆいで来し小雀飛ばしめて雪の上に降るきさらぎのあまつ日の光あたれる山なみのつづくを見れば白ききびし さ 門歯にても噛みて食はむとおもひけり既に塩がるるこの蕪きさらぎの空のはたては朝けよりおほに曇りぬその中の山 菜よ 辺土独吟大石田より 運命にしたがふ如くつぎつぎに山の小鳥は峡をいでくる ざわう かたむきし冬の光を受けむとす蔵王の山を離れたる雲 かたはらに黒くすがれし木の実みて雪ちかからむゅふ山を 山 白偶然のものの如くに軈涙はながく垂れゐき朝あけぬれば 園 東京を離れて居れど夜な夜なに東京を見る夢路かなしも 昼と夜 最上川のなぎさに近くゐたりけりわれのそがひはうちつづみわたせば国のたひらにふかぶかと降りつみし雪しづかに なりぬ うんめい もんし こ こがら あかっき すで かひ かぶら ゅめぢ

10. 現代日本の文学 Ⅱ-3 北原白秋 斎藤茂吉 釈迢空集

218 現身のわれなるかなと歎かひて火鉢をちかく身に寄せにけ あのやうにかい細りつつ死にし汝があはれになりて居りが てぬかも ちから無く鉛筆きればほろほろと紅の粉が落ちてたまるも ひとたびは癒りて呉れよとうら泣きて千重にいひたる空し 灰のヘにくれなゐの粉の落ちゅくを涙ながしていとほしむ かるかな かも この世にも生きたかりしか一念も申さず逝きしょあはれな なれ 生きてゐる汝がすがたのありありと何に今頃見えきたるか るかも や ( 一月作 ) 何も彼もあはれになりて思ひづるお国のひと世はみじかか 3 うっし身 りしか 雨にぬるる広葉細葉のわか葉森あが言ふ声のやさしくきこ にんげんの現実は悲ししまらくも漂ふごときねむりにゆかゆ む ねむり やすらかな眠もがもと此の日ごろ眠ぐすりに親しみにけりふ なにすが なげかひも人に知らえず極まれば何に縋りて吾は行きなむしみじみとおのに親しきわがあゆみ墓はらの蔭に道ほそる ・カ / ・カ しみ到るゆふべのいろに赤くゐる火鉢のおきのなっかしきやはらかに濡れゆく森のゆきずりに生の疲の吾をこそ思へ かも かく にんげんは死にぬ此のごと吾は生きてタいひ食しに帰へら いた なほ うつつ いちねん ただよ ひばら ゅ むな うっしみ われ いとまなき吾なればいま時の間の青葉の揺も見むとしおも なげ くれなる いきっかれ ゆれ かげ