359 死者の書 イナ あの盧遮那ほとけの俤だ、と言って、誰が否まう。 居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか / 、隠れては カウブリ お身も、少し咄したら、えゝではないか。官位はかうぶ歩き居る、と人の噂ちゃが、嘘ぢゃなからう。身が保証 。昔ながらの氏は氏ーー。なあ、さう思はぬか。紫微する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、 チュウダイ ヒャウブンヤウ 中台の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。 早く精気の尽きてしまうた心持ちがする。 ぢやが全 カミョイライウヂノカミ 家に居る時だけは、やはり神代以来の氏上づきあひが、 、文成はえゝなう。あの仁に会うて来た者の話では、 ヰノコゴ タダそロコシ え & 。 豬肥えのした、唯の漢土びとぢやったげなが、心はまる 新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土の才が、やまと心 で、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾うて に入り替ったと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを くれるだらうの。 言ふ。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、 文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居 トコロ 思ひまうけぬ処に見つけ出した嬉しさだったのである。 て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふっと思ひ ソウギョク お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持って居ると言 返すと、こんな思はざった考へを、いつの間にか、持っ ダザイア ふが、太宰府へ行った時に、手に入れたのぢゃな。あん てゐるーー・そんな空恐しい気さへすることが、あります な若い年で、わせだったのだなう。お身は 。お身の て。お身さまにも、そんな経験は、おありでがな。 氏では、古麻呂。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれ大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなる らは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせ のぢゃ。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬこと ヲミナ h んから、言ふがひない話ぢやは。 カ 。ぢやが、女子だけには、まづ当分、女部屋のほ ヒャウブタイア 兵部大輔は、やっと話のつきほを捉へた。 の暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させた お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。 いものぢゃ。第一其が、われ / 、、男の為ちゃて。 どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、家持は、此了解に富んだ貴人に向っては、何でも言ってよ 詩の出て来る元になって居るーーさうつくム、思ひます 、青年のやうな気が湧いて来た。 カタ チャウブンセイ イプセ ぢやて。ところで近頃は、方を換へて、張文成を拾ひ読 さやう / 、。智慧を持ち初めては、あの欝い女部屋には、 ョコハキカキッ みすることにしました。この方が、なん・ほか ぢっとして居ませぬげな。第一、横佩墻内の コ / オク 大きに、其は、身も賛成ぢゃ。ぢやが、お身がその年に此はいけぬ、と思った。同時に、此臆れた気の出るのが、 ハタチ ミヅミゾ オホトモ なっても、まだ二十代の若い心や、瑞々しい顔を持って自分を卑くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なの ルサナ ャカモチ カンギ ハナ オモカゲ ワウハウ ヅラ ウレ モロコザ工 0 ウハサ ウマピト オポエ ウソ ケオト ウペナ
360 タイシ ロン グワンコウジェンギ ど、と感じる。 論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習ひし カウキャウ 好、好。遠慮はやめやめ。氏上づきあひぢやもの。ほい たらしいし、まだム \ 孝経などは、これ。ほっちの頃に習 ヲナブハカセ 又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣ちゃあ、 うた、と言ふし、なか / 、の女博士での。楚辞や、小説 ジモッキ なかったつけの。 にうき身をやっす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・ ハスカイコボチヲナゴ ヲミナゴ 瞬間、暗い顔をしたが、直にさっと眉の間から、輝きが出師走の垣毀雪女ぢやもの。 どうして、共だけの女子 て来た。 が、神隠しなどに逢はうかい ナゾ ギマ 身の女姪が神隠しにあうたあの話か。お身は、あの謎見第一、場処が、あの当麻で見つかったと言ひますからの たいないきさつを、さう解るかね。ふん。いやおもしろ シカ 。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。実はこれまで、 併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天二上は、 ナカトミ / ョゴト ィッヒメ 内々消息を遣して、小あたりにあたって見た、と言ふロ中臣寿詞にもあるし : ・ : ・。斎き姫もいや、人の妻と呼ば かね、お身も。 れるのもいやーーで、尼になる気を起したのでないか、 大きに。 と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな気持ちば 今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。 かりでも居られぬて ジワ イラツメザ工ダカ お身さまが経験ずみちやで、共で、郎女の才高さと、男押勝の眉は集って来て、皺一つよせぬ美しい、この老いの ワカ ウマビト 択びすることが訣りますな 見えぬ貴人の顔も、思ひなし、ひずんで見えた。 此はー・・・ー。額ざまに切りつけるそーー。免せ / 、と言ふ何しろ、嫋女は国の宝ちやでなう。出来ることなら、人 ところぢやが、 あれはの、生れだちから違ふものな。 の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、 ヒラブカイッヒメ 藤原の氏姫ぢやからの。枚岡の斎き姫にあがる宿世を持 人間の高望みは、さうばかりもさせてはおきをらぬ ハジ 、刀し って生れた者ゅゑ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとば 。ともかく、むざム \ 尼寺へやる訣にはいかぬ。 す。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。 ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この 大師は、笑ひをびたりと止めて、家持の顔を見ながら、き頃はやりになって居りますが : まじめな表情になった。 九族が天に生じて、何になるといふのぢゃ。宝は何百人 ぢやがどうもーー。聴き及んでのことゝ思ふが、家出の かゝっても、作り出せるものではないそよ。どだい兄公 アミダキャウ ウチ 前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言ふし、楽毅殿が、少し仏凝りが過ぎるでなう 。自然内うらまで、 ヒタヒ ッカハ スグ オジカッ 0 ュル スクセ ワケ ガクキ 0 タワャメ 0 トコロ 0 ワケ アメノアタカミ
108 時に白日、 おほぢ 大路青ずみ、 白き人列なし去んぬ。 せつな 刹那、また火なす身熱、 なべて世は日さへ爛れき。 病むごとに。 なげ 母は歎きぬ。 『身熱に汝は乳母焦がし、 また、 JOHN よ、母を。』と。ーーー今も おもひで 常うるはしき追憶の 国へかゆきし。 稚児なれば はやも眠りぬ、その膝に。 しん ねっ 身熱 母なりき。 われかき抱き、 ザポンちる薄き影より のびあがり、泣きて透かしつ。 うばひつぎゅ 『見よ、乳母の棺は往く。』と。 とこ ひる ただ ひざ われ青む、かかる恐怖に。 梨 ひと日なり、夏の朝涼、 にごりざけ 濁酒売る家の爺と おぢ その爺の車に乗りて、 市場へと。 途にねむりぬ。 めづ 山の街ーー珍ら物見の 子ごころも夢にわすれぬ。 たまな さなり、また、玉名少女が ゑみ ゆきずりの笑も知らじな。 その帰さ、木々のみどりに うぐひすな 眼醒むれば、鶯啼けり。 山路なり。ふと掌に見しは 梨なりき。清しかりし日。 ウオア 水ヒアシンス 月しろか、いな、さにあらじ。 まち かへる みち あさすず おそれ
げて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手 帷帳がふはと、風を含んだ様に皺だむ。 ナギサ は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。 ついと、凍る様な冷気ーーー マッゲ ップ 郎女は目を瞑った。だがーー瞬間睫の間から映った細い白 い指、まるで骨のやうなーー帷帳を擱んだ片手の白く光る長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、 ナミ ナビ あちらへき、こちらへ乱れする。浪はたゞ、足もとに寄 ナカミチ アミダ せてゐる。渚と思うたのは、海の中道である。浪は、両方 なも阿弥陀ほとけ。あなたふと阿弥陀ほとけ。 何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急にから打って来る。どこまでも / 、、海の道は続く。郎女の 寛ぎを感じた。さっとーー汗。全身に流れる冷さを覚えた。足は、砂を踏んでゐゑその砂すらも、段々水に掩はれて スグドウテン 畏い感情を持ったことのないあて人の姫は、直に動類した来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々 とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾 心を、とり直すことが出来た。 第ナソコ ふ。拾うても / 、、玉は皆、掌に置くと、粉の如く砕けて、 なう / 、。あみだほとけ ミガク 今一度口に出して見た。をとゝひまで、手写しとほした、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ続ける。玉は水隠 ジョウサンジャウドキャウモン 称讃浄土経の文が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、れて、見えぬ様になって行く。姫は悲しさに、もろ手を以 タナマタ ムス 寺道場を覗いたこともなかった。父君は家の内に道場を構て掬はうとする。掬んでも / 、、水のやうに、手股から流 プタメビ オンキャウモン チャウモン 御経の文れ去る白玉ーー 。玉が再、砂の上につぶみ、並んで見え へて居たが、簾越しにも聴聞は許されなかった。 , る。忙しく拾はうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪 は手写しても、固より意趣は、よく訣らなかった。だが、 処々には、かつ、気持ちの汲みとれる所があったのであが、泡立ってとほる。 らう。さすがに、まさかこんな時、突嗟にロに上らう、と姫はーーやっと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さ う思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂 は思うて居なかった。 白い骨、譬へば白玉の並んだ骨の指、其が何時までも目にふ身 : : : 衣もなく、裳もない。抱き持った等身の白玉と一 ウッ トパリ 残って居た。帷帳は、元のまゝに垂れて居る。だが、白玉つに、水の上に照り輝く現し身。 ずんみ \ と、さがって行く。水底に水漬く白玉なる郎女の の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな気がする。 悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで身は、やがて又、一幹の白い刑瑚の樹である。脚を根、手 行った。山の端に立った俤びとは、白々とした掌をあを枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であった。 トバリ モト クチビルモ オモカゲ ジワ トッサ ジロジロ タナソコ スク アワタダ セッナ マタヒトモト ウッム ミナゾコミプ サンゴ イト
かうべ上げ見ればさ庭の椎の木の間おほき月入るよるは静 カ冫 春の風ほがらに吹けばひさかたの天の高低に凧が浮べり 青山の町かげの田の畔みちをそそろに来つれ春あさみかもおのが身し愛しければかほそ身をあはれがりつつ飯食しに けり 春あさき小田の朝道あかあかと金気浮く水にかぎろひのた 火鉢べにほほ笑ひつつ花火する子供と居ればわれもうれし っ よしり さみだれはきのふより降り行々子をほのぼのやさしく聞く まくら 病みて臥すわが枕べに弟妹らがこより花火をして呉れにけ 今宵かも 細り身明治四十一一年作 さす うらがれにしづむ花野の際涯よりとほくゆくらむ霜夜こほ 重かりし熱の病のかくのごと癒えにけるかとかひな撫るも ろぎ われ ひぐらし 蜩のかなかなかなと鳴きゅけば吾のこころのほそりたり 分病室明治四十一一年作 けれ たび この度は死ぬかも知れずと思ひし玉ゆら氷枕の氷は解け居 4 」 . り・け・り - まあな甘、粥強飯を食すなべに細りし息の太りゆくかも ら * ははを りんしつ あ みちのくに我稚くて熱を病みしその日仄かにあらはれにけ隣室に人は死ねどもひたぶるに帚ぐさの実食ひたかりけり 光 しもっき 赤 のび上り見れば霜月の月照りて一本松のあたまのみ見ゅ かけ うそ寒くおぼえ目ざめし室の外は月清く照り鶏なくきこゅ こよひ うまかゆかたいびを へやと かなけ あめたかひくたこ ひばら いとほ わら いろと しひ はたて ひょうちんひ いひを
97 思ひ出 心ままなる歌ひ女のエロル夫人もさみしかろ。 金の入日に繻子の黒 黒い喪服を身につけて、 いとつつましうひとはゆく。 九月の薄き弱肩にけふも入日のてりかへし、 粉はこぼれてその胸にすこし黄色くにじみつれ。 金の入日に繻子の黒、 かかるゆふべに立つは誰ぞ。 骨牌の女王の手に持てる花 わかい女王の手にもてる 黄なる小花ぞゆかしけれ。 なにか知らねど、赤きかの草花のかばいろは アルカリ うれひはな 阿留加里をもて色変へし愁の華か、なぐさめか、 ゅめの光に咲きいでて消ゆるつかれか、なっかしゃ。 にんにく 五月ついたち、大蒜の 黄なる花咲くころなれば、 忠臣蔵の着物きて紺の燕も薤るなり、 らつば 銀の喇叭にロあててオペラ役者も踊るなり。 ひるげ されど昼餐のあかるさに よわがた うため た 老嬢の身の薄くナイフ執るこそさみしけれ。 西の女王の手にもてる 黄なる小花そゆかしけれ。 かな っ 何時も哀しくつつましく摘みて凝視むるそのひとの 深き眼つきに消ゆる日か、過ぎしその日か、憐憫か、 老嬢の身の薄くひとりあるこそさみしけれ。 秋の日 小さいその児があかあかと さら とんぼがヘりや、皿まはし : 小さいその児はしなしなと体反らして逆さまに、 足を輪にして、手に受けて、 まさ か力と 顔を踵にちよと拠む。 なま 足のあひだにその顔の坐るかなしさ、生じろさ。 しづく 落つるタ日のまんまろな光ながめてひと雫。 なが あかいタ日のまんまろな光眺めてまじまじと、 足を輪にして、顔据ゑて、小さいその児はまた涙。 おやち 傍にや親爺が真面目がほ、 や太鼓でちんからと、くづしの軽業の 浮いた囃子がちんからと。 オウルドミス オウルドミス はやし こ あはれみ
うれしや監獄にも花はありけり 花 草の中にも赤くちひさく のしみじみと涙して入る君とわれ監獄の庭のの花 ふる じゅず 桐 女はとく庭に下りて顫へゐたり、数珠つなぎ よろ の男らはその後より、ひとりひとりに踉けつつ 匍ひいでてき瓜のそばにうち顫〈ゐたり、 われ最後に飛び下りんと身構へて、ふとをか いりひ 胸のくるしさ空地の落日あかあかとただかがやけり胸のく しくなりぬ、帯に繩かけられたれば前の奴の しり るしさ お尻がわが身体を強く曳く、面白きかな、悲 ふざ しみ極まれるわが心、この時ふいと戯けてや っこらさのさといふ気になりぬ まざまざとこの黒馬車のかたすみに身を伏せて君の泣ける わぎもこ やっこらさと飛んで下りれば吾妹子がいぢらしやじっと此 ならずや 方向いて居り かなあみ 同じく一一首 夕日あかく馬のしりへの金網を透きてじりじり照りつけにあみがさ 編笠をすこしかたむけよき君はなほき花に見入るなりけ けり 向ふ通るは清十郎ぢゃないか がよう似た蠕が 夏祭わ 0 しょわ 0 しよとか 0 ぎゅく街の神輿が遠くきこゅ鳳福く咲ければ女子もかくてかなしく美くしくあれよ る 四 まはどうろひっ 泣きそ泣きそあかき外の面の軒したの廻り燈籠に灯が点き にけり あぎち 監房の第一夜 この心いよよはだかとなりにけり涙ながるる涙ながるる 罪びとは罪びとゆゑになほいとしかなしいぢらしあきらめ られず 五 ひとや ふたつなき阿古屋の玉をかき抱きわれ泣きほれて監獄に居 こ . り . ひとや あまひかり どん底の底の監獄にさしきたる天っ光に身は濡れにけり あこや からだ
アヅカ 言ふ世事に与った事のない此人は、そんな問題には、詮な謂はゞ、難題であゑあて人の娘御に、出来よう筈のない オョソムダウカガ 肪い唯の女性に過ぎなかった。 返答である。乳母も、子古も、凡は無駄な伺ひだ、と思っ サッキ タギマノカタリオムナ 先刻からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、ロを出しては居た。ところが、郎女の答へは、木魂返しの様に、躊 ソレ 躇ふことなしにあった。其上、此ほどはっきりとした答へ 其は、寺方が、理分でおざるがや。お随ひなされねばな はない、と思はれる位、凛としてゐた。其が、すべての者 らぬ。 の不満を圧倒した。 キナカカタリべ アガナ フタカミャマ 其を聞くと、身狭乳母は、激しく、田舎語部の老女を叱り 姫の咎は、姫が贖ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の ッグナ つけた。男たちに言ひつけて、畳にしがみつき、柱にかき償ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るもの 縋る古婆を掴み出させた。さうした威高さは、さすがに とは思やるな。 オノヅカ ムサノチオモ 自ら備ってゐた。 郎女の声・詞を聞かぬ日はない身狭乳母ではあった。だが ソット / 何事も、この身などの考〈ではきめられぬ。帥の殿に承つひしか此ほどに、頭の髄まで沁み入るやうな、さえみ、 らうにも、国遠し。まづ姑し、郎女様のお心による外はとした語を聞いたことのない、乳母だった。 ないもの、と思ひまする。 寺方の言ひ分に譲るなど言ふ問題は、小い事であった。此 ミタチ 其より外には、ガもっかなかった。奈良の御館の人々と言爽やかな育ての君の判断力と、惑ひなき詞に感じてしまっ ウカガ ホホ っても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。 た。たゞ、涙。かうまで賢しい魂を窺ひ得て、頬に伝ふも スグ よい思案を、考〈つきさうなものも居ない。難波〈は、直のを拭ふことも出来なかった。子古にも、郎女の詞を伝達 カッ 様、使ひを立てることにして、とにもかくにも、当座は、 した。さうして、自分のまだ曾て覚えたことのない感激を、 姫の考へに任せよう、と言ふことになった。 カ深くつけ添へて聞かした。 力へ 郎女様。如何お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れともあれ此上は、難波津へ。 サプラヒビト ャッコ ぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、候人や、奴隷の難波へと言った自分の語に、気づけられたやうに、子古は タメチクゼン 人数を揃へて、妨げませう。併し、御館のお勢ひには、 思ひ出した。今日か明日、新羅問罪の為、筑前へ下る官使 何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前の一行があった。難波に留ってゐる帥の殿も、次第によっ フタタピダザイア さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御ては、再太宰府へ出向かれることになってゐるかも知れぬ。 思案お洩し遊ばされ。 手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻って、大 イカガ ムサノチオモ ジタガ ナ = ハ カヒ ジカ トガ コフル リン サカ
230 わが妻に触らむとせし生ものの彼のいのちの死せざらめや も かたはら 固腹をづぶりと刺して逃げのびし男捕はれて来るとふ朝や 岡田満 もだ いきどほろしきこの身もつひに黙しつつ入日のなかに無花 じゅくま 大正二年九月より 果を食む よひあさく土よりのばる土の香を嗅ぎつつ心いきどほり居 1 黒き ふりぐあまつひかりに目の見えぬ黒きを追ひつめにけ 郊外をか往きかく往き坂のぼり黄いろき茸ふみにじりたり しほかひ 秋づける丘の畑くまに音たえて昼のいとどはかくろひいそうっし身のわが荒魂も一いろに悲しみにつつ潮間をあゆむ わがこころせつばつまりて手のひらの黒き河豚の子つひに まんじゅ沙華さけるを見つつ心さへつかれてをかの畑こえ殺したり にけり 3 野中 ほしくさ 2 折にふれ たかだかと乾草ぐるま並びたり乾くさの香を欲しけるかも をさな妻あやぶみまもる心さへ今ははかなくなりにけるか うまぐるま も ほしくさの馬車なみ行きしかば馬はかくろふ乾くさのかげ あらたま そそ をかはた しやげ いとど いとど さや あらたま かれ ぎのこ
ひたいそぎ動物園にわれは来たり人のいのちをおそれて来 こり′ わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきもの を あか けだもののにほひをかげば悲しくもいのちは明く息づきに けり こつがめ 骨瓶のひとつを持ちて価を問へりわがロは乾くゆふさり来 べびそ さけび啼くけだものの辺に潜みゐて赤き葬りの火こそ思へ れ すぎ 納骨の箱は杉の箱にして骨がめは黒くならびたりけり 鰐の子も居たりけりみづからの命死なんとせずこの鰐の子 上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉をは おのが身しいとほしきかなゅふぐれて眼鏡のほこり拭ふなくれなゐの鶴のあたまを見るゆゑに狂人守をかなしみにけ りけり ま た 7 冬来黄涙余録の一一 ら 泥いろのは生きんとし見つつしをればしづかなるか あ 自殺せる狂者をあかき火に翠りにんげんの世に戦きにけりも 光 くちはし 赤 みづひかり ペリカンの嘴うすら赤くしてねむりけりかたはらの水光はるかなる南のみづに生れたる鳥ここにゐてなに欲しみ啼 9 力も 両手をばズボンの隠しに入れ居たりおのが身を愛しと思は ねどさびし うそ寒きゅふべなるかも葬り火を守るをとこが欠伸をした かく めがね をのの をた わに