127 帰郷 「なるほど。」 女はお辞儀して、 さしえ 「雑誌のエトワールから伺いましたが、小説の挿画をお描と、画家は機嫌がよく、こっくりして見せた。 いのくま 画家は近頃深く酔うと、前夜のことまで忘れることが多 き願えないでしようか。猪熊先生のところでお聞きしてま 。守屋伴子と云う名には、何の感興も湧かさず、 いったのですが、マラッカはこちらの先生がいらしったし、 「原稿を読まして貰おう。長いのか。」 おくわしいと伺いましたので。」 「三十枚ばかりのものです。」 画家は名刺を受取ったが、それを見る前に、 「読んでから、描くかどうか、返事しますよ。どうもね、 「マラッカ ! 」 挿画も度々描いたことがあるが、今だって、どうせ画料は と、突然に目をむいて笑にな 0 て、 「知ってるって ! マラッカはよかった。ふうむ、誰れか廉いんだろう。」 「さあ。」 の小説。」 と、困ったような顔が、小麦色をして、若々しくて清潔 少女は、知名の作家の名を告げて、 「マラッカのお寺が出たり、スペインの城砦が出ますのな感じであった。 「伺って、社へ戻って : : : 」 「聖ジョオンズ・ヒルだ。」 と、画家は、大きく手を振って、 と、城砦のある丘の名を叫んで、 「なっかしいものだ。あの辺のスケッチ・ブックは先へ内「金のことを云ってるんじゃない。ただ、僕は、挿画は商 地へ送ったお蔭で、失くさなかった。しかしどんな小説か売になるまいと云おうとしたんだ。こう見えても僕は金満 家で新興財閥でね。だから無理な画は描こうと思わない。 ね ? 僕に描けるようなものかね。」 うつ 少女は、土間に立ったまま俯むいて、 ( ンド・ ( ッグの蓋しかしねえ、マラッカとはねえ。描けるかどうか読んで見 をひらき原稿を出そうとしていた。その間に画家は、このるから、君、ちょっと、待ってくれたまえ。それとも外を 目立って髪のふさふさと豊かな少女の名を、貰った名刺で歩いて来る ? 」 、え、よろしければお待ちしております。」 読んだ。 「ところが、画室へお通り願って待って頂くというわけに 「エトワール社の守屋 : : : ばん子さん。」 行かんのだ。」 「伴と書いてとも子と読みます。」 かげ じようさい ふた きげん
「女だけで危険なことは御座いますまいね。」 亭を開いているのかは画家もまだ知らずにいるが、静かで ようぼう 「しいえ、もう静かな、人気のいい町ですから。僕なんか、貴族的な容貌に、目立って現実的な欲望が組み合わさって のんきに、ひとりでどこへでも入って行きますよ。やはり いると知っても、別に驚かないのだった。 歴史のある古い町ですから、シンガポール辺りの、人間ば 画家は、拳闘家のような巨きな肩をして見かけは堂々と かりうようよしていて人気の悪い新開地と違うし、とにかしているが、もう五十に手がとどいていて、髪など白い方 く小さいんです。自動車でしたら、往来にいる誰れかを探が多く、青年ばかりの従軍作家の中では変り者扱いにされ そうとなさったら、二十分も走らせたら必ず、どこかで見ていたが、その代り、安っぽく驚いたり腹を立てたりする つかるでしよう。そんなに狭い : : : 」 ような性質はなくなっている。 運転手は、芝刈りのマレー人のところへ行って、ふたり ほんとうをいえば、この小野崎公平は、自分を画家だと ゅうちょう とも悠長に芝に腰をおろして話し込んでいた。 は思っていない。若い時代に画家として勢い込んで仏蘭西 パリ 「ドラ ! 」 に勉強に行ったのだが、巴里に着いて美術館を魁っている と、名前のア・フドラをちちめて澄んだ声で左衛子が呼ぶ 間に、最初の一箇月で画を描くのを断念してしまったとい びんしよう と、小腰をかがめて敏捷に、自動車のところに戻って来た。 う男であった。もともと画家としては頭の冴えた方の男だ やがて自動車は = ナメル塗りの背を光らせながら、ゆるや 0 たし、古今の大画家の作品の前に立 0 て、自分の才能の かに坂を降りて行き、青い樹立の陰に姿を隠した。 限度が見えてしまって、勉強しても無駄だと思い込んだの である。それからは、段々と身を持ち崩して、ぼん引同様 よせ 「買出しだな。」 の留学生相手のガイドから寄席の楽屋番までして、日本に 画家は、こう思うのだ。高野左衛子はそういう女なので帰っても画を出さずに、美術批評をしたり、画商の真似を ある。椰子の林が、黒い花火を連発したような形で海を縁したり、新劇の舞台裏で働いていた。そこへこの戦争で、 郷取 0 ているデ = フィ好みのラ , 力の明るい風景や、三世内地にいては食えないと見ると、急に画家に戻 0 て運動し 紀も昔に日本にも来た耶蘇の坊さまの墓などには興味はなて軍属となって従軍した。巴里でやっていたように、もぐ 帰 。もっと、彼女は、現世的な本能を働かして動いている。りの生活法であ 0 た。お座なりのスケッチで、画に素人の ひご どういう由縁があって、左衛子が海軍の特別の庇護を受軍人をだますのは易しかった。ところが、他にすることが け、三十そこそこの若さでシンガポールに来て、高級な料何もなかったという事情もあろうが、南方にいる間に、ほ あた むだ
と、画家は、自分の方がその事実を面白がっているようと、急に声を落して黙読し始めたような感じだったが、拳 たた な顔色であった。 固で、ぼんと原稿を叩いて叫び出している。 うそ 「景色が好過ぎてね。待っていたまえ、椅子を借りて来「違う ! 違う ! こんなマラッカはない ! 嘘つばちだ。 このひとはマラッカへ行ったのかも知れぬが、見てやしな 事務室に入って行ったかと思うと、曲木の粗末な椅子を 嘘だ。嘘だ ! 」 持ち出して来て、 そして白い長髪の中へ、手を突っ込んでいた。 みが 「この土間では靴でも磨きに来たようで変だ。その桜の木画家の言動の半分は、善意に依る芝居であった。小さい おおげさ の下へ持って行きたまえ。」 ことを誇張して、身振りまで入れて大袈裟に見せ、平凡な 伴子は、われたとおりにしながら、もう髪も白い画家事務を面白くして楽しんでいるのだ。無論、これは相手に を、見かけよりも若い変ったひとだと見た。見れば画家は、依ることだ。芝居を見せて効果のある者とそうでない者と 伴子を桜の木の下に追いやってから、自分は二階へ昇る階ある。 画家が、頭を抱えて考え込むような形になったので、こ 段に無造作に腰かけて、膝の上に原稿を開いて読み出して ひとごと いた。それも、独り語のように、声を出して節をつけて読れは画家に依頼を断わられると思い、伴子は、心配であっ た。雜誌社で働くようになって、まだ日が浅く、まったく んで行くのであった。伴子は頭の上の花の枝を見上げてい しろうと かけひき たのが、ふいと、くっと笑いが込み上げて来て、我慢する駈引のない素人だったから、心細いのである。あれだけの 笑いは消えた。花の下から、画家を見まもって、ほんとう のに骨が折れた。 「ええとう : : : マラッカは : ・ : ・」 の真顔でいる。ロもきけない程でいる。 椅子に掛けていて、画家の方を見ないように脇を向いて桜が咲いてから寒い日が続き、日は照っていて外気は冷 くちびるか いて、ひとりでに笑いかけ、唇を物んで、一所けんめ いえていた。画家が見てその風のない冷たい空気と、生真面 おさ に堪えているが、ハンド・ハッグを膝に抑えている腕が、こ目な表情でいる若い娘とは、不思議に美しい調和を見せた。 まかく慄え出した。若い笑いというのは、とまらないもの花の咲いている下に椅子に腰かけているのもよく、半身に である。 画家の方を向いてハンド・ハッグを抑えている胸から肩の線 も、女らしくしなやかでいて清純であった。 「ええとう・ : : こ 画家は平気で、調子をつけて読んでいる。そして、ふい 「お願い出来ないでしようか。」 ふる ひざ わき げん
106 んですって。」 不意と、並んでいた大学生が、 「それ、御覧なさい。」 「小父さま。」 と、大学生は得意らしく白い顔で微笑して芸者たちの注と、彼を呼んだ。 意を一身に集めた。 「さっきの待合を、高野の小母さまが買って了ったのを御 「わからないこと、ありませんよ。世の中って複雑なよう存じですか。」 「知らん。」 で単純なものなんですよ。僕の従兄から線を牛木って方に と、画家は、急に、むやみに怒りぼくなって、どなるよ 引けばいいんです。」 うに云った。 画家は、それを望まなかったのだが、この大学生と帰る「そんなこと、僕は知らん。」 方角が一緒で、自動車で自宅へ帰る左衛子に別れると、一一岡村俊樹は、なぜ画家が機嫌を悪くしたのか理解しなか ったし、また鈍感に見えたくらいに平気であった。 人だけになって駅に入った。 「あの小母さまのことですから、何かなさる御計画なので こんな遅い時間にプラットフォームはまだ混んでいた。 画家もかなり深く酔っていたが、人中へ出ると軅をちゃんしよう。」 おとな気ないと気がっかなかったら、画家は、もう一度 とする習慣があったのは、昔巴里で習得したものである。 かんしやく べンチに倒れ伏している者や、柱の根元に、立っていられ癇癪を爆発させてどなり出すところであった。彼自身は夜 つか うずくま ないで軅を折って畳んだように蹲っている酔漢を見ると、のキャ・ ( レの音楽師で、百円札を反古のように費う柄はあ 力、とう 古外套につつんだ胸の奥に同情とともに暗いものが、動いまりよくない客に仕えているのだが、五十面さげて、いっ か好い画を描いて見せようという夢があって、夜の稼ぎも 是認しているのだった。画家の目には高野左衛子が、忽然 ( やけになっているんだ、皆。 ) と自分とは別世界の人間に見えて来た。シンガポールでは 酔っていない他の人間も、この遅い夜の時間に見ると、 幸福そうには決して見えなかった。寒風の中に外套や帽子軍人ばかりいる中で、そうでない人間だから、なっかしん なしでいる者が多かった。楽しむことがあって家へ帰るので来たのである。 が遅れた人達には見えなかった。待合室では、浮浪児が、 「帝国海軍を喰いちらして来た女だ。」 用もなく遊んでいた。 と、突然に彼は云い出した。 からだ つか ぎげん づら こっぜん
102 「そのお話だったら、この次伺うことにするわ、どっちへ 「こちらで御座います。」 ふすま いらっしやるの。銀座 ? 」 襖をあけて見せて、 「きめてないんです。小母さまと御一緒だと思ったから。」「あの、お見えで御座います。」 奥で左衛子の声がした。画家が次の間で外套を脱いでい 小野崎公平を乗せた自動車は、銀座通りを横切って築地ると、日本髪に結った若い芸者が迎えに出て来た。そして、 まぶ に出てから、速力を落してコンクリート の厚い塀に接近し左衛子が待っていた眩しいように明るい座敷にも、四人の て停った。 老若の芸者が居住いをなおして画家を迎えた。 「こちらなんです。門の前につけると、うるさいもんです「やあ ! これア、きれいだ。」 から。」 「小野崎さんに見せて上げるつもりで、召集したの。」 ろうぎ もったい 「有難う。」 老妓が手をついて、急に勿体らしく、 降りて見ると真っ暗だったが、大きなお茶屋か料理屋と「あの、裏口から伺いました。」 わき 知った。門は閉っていたが、脇にある木戸を押すと、簡単「好きなひとに、会いに来たようで、 しいじゃないの。」 ほかげ にあいた。石のたたきが、灯影の映っている玄関に通じて と、左衛子は空けてある上座に画家が坐るように勧めな 、た。歩いて入りながら画家は、梅の匂うのを感じた。石がら、 どうろう 燈籠の上に、花の白い枝が出ていた。しんしんと冷たい夜「でも、裏木戸とでもいわなけれア、裏口はちょっと、・ になっていた。 * まぶだんな 広い玄関のたたきに立って、尋ねると、お待ちになって「御当節なんですよ。間夫も旦那も、すべて、裏口からで ひのき いらっしゃいますと、答えた。きれいに拭き込んだ檜の縁御座います。」 くっした とこばしら ひばち * きようそく に上って、画家は沓下が破れているのを不面目に感じた。 画家は、床柱の前に火のよくおこった火鉢と脇息との間 みまわ 「寒い晩ですねえ。」 に坐り、目をばちばちゃって、女たちを見廻して、 「ほんとうに、急に冷えてまいりました。」 「違う。」 おおげさ 廊下を先に立って小腰を屈めていた女中は、階段を昇ら と、大袈裟に呼ばわった。 ふしん せた。大きな、そして木ロのいい立派な普請が、戦災にも「やはり、日本だ。日本に限る。」 おっしゃ 焼けずに無事に残ったことである。 「印度がいいって仰有った癖に。」 かが にお つきじ いし インド がいとう
368 注解 はチューインガムのかわりになる。 契華僑つねに海外にいる中国の商人の総称。きわめて経済力 があったことで有名。 老チャイナ・タウン China Town 中国人街。 老聯一対の書画の板、柱や壁にかけて装飾にする。 五〈昭南太平洋戦争当時、日本占領下のシンガ。ホ 1 ルの名称。 帰郷 一九四一一年より一九四五年に至るまでシンガ。ホールは日本に占 領され、南方軍総司令部などが置かれた。 五三マラッカ Malacca マレ 1 半島の港市。・ホルトガル・オラン 六 0 纒足中国の唐末期から清朝に至るまで支配的だった風俗習 ダ領であった時代の遺跡を多く残している。ポルトガル、オラ 慣。四・五歳の女児の足に布を巻いて成長を抑え、繊少な足を ンダを経て、イギリスが支配していたが、太平洋戦争開戦と同時 もって美人の条件とした。 に日本軍はマレ 1 半島に上陸、翌年二月にはシンガポール占領。 六 0 孫逸仙 ( 1866 ~ 1925 ) 中国革命の父親的存在である孫文のこ 小説の導入部におけるこ 五三逆に、日本の夏の着物や帯を・ : のような左衛子の行為のなかに、左衛子のユニークな性格がは つきりとうかがえる。思いきった行為をあえてとる左衛子、と六 0 サロンマレ 1 語。インドネシャやマレ 1 シアで回教徒が腰 にまきつけている衣類をいう。 いうイメ 1 ジである。「現世的な本能」を働かして動く女でも 六一盆石自然石や砂を盆にのせて風雅を楽しむもの。 あることが以下わかってくる。 六三。フリンス・オプ・ウェ 1 ルス Prince of Wales イギリスが 五四フランシスコ・ザピエル Francisco Xavier ( 一 506 ~ 一 552 ) 世界に大いに誇っていた戦艦。昭和十六年十一一月、太平洋戦争 一五四九年、わが国の鹿児島に来てキリスト教をはじめて伝え 轣発と同時にマレ 1 沖の海戦で、日本の航空隊により、沈めら たスペインの宣教師。わが国に来る前は、インド、マラッカな れた。ハワイの真珠湾攻撃とともに、太平洋戦争の緒戦をかざ どをまわり伝道していた。 けんでん る勝利として大いに喧伝された。 五五デュフィ Raoul DufY ( 1877 ~ 1953 ) フランスの画家。印 象派からのち野獣派 ( フォー・ヒズム ) に転じた。単純・軽快な六三この戦争は敗けるねこの時点において、はっきりとこのよ うに前途を見透していた人物がいたことは、やはり大きな驚き 色調を特色とし、港や海水浴場などを多く描いた。 である。こういう人物を左衛子との結びつき、これがこれから 五五従軍作家昭和十年代の戦時下においては、中国や南方に多 はじまる一篇の眠目となる。 くの作家が徴用されて従軍し、戦地の状況を報道した。画家も 六四地方人特殊な軍隊内にいるものからいえば、一般の社会は、 また同じであった。 「地方」というふうにうつってくる。本当は軍隊こそが隔離さ 契檳榔ヤシ科の常緑高木。マレ 1 地方が原産地で、その種子
107 帰郷 ートナーを抱える形をして、ダ 「今度は何を喰う気か知らんが、あれは、優しいきれいなその中の一人よ、、 ンスのステッ。フを踏んでいた。画家はそれを睨むようにし 顔をしていて、化物だ。」 俊樹は、驚いた様子もない目の色で、画家を見まもってて見ていたが、やがて、視線を他の乗客に移動させて行っ た。歌っている若いものたちを見て咎めるように光ってい いたが、自然な調子で云った。 ばくぜん た目は、栄養不足と過労でやつれて居眠ったり、漠然と疲 「小父さまも古風な方なんですね。」 れた目を見張っている人々の顔を見て、移っていった。そ 「古風 ? 」 くたび たけ と、云いながら、画家はまるで別のことを、猛り立ったの人々は顔の表情とともに、衣服もまた草臥れていた。 「君。」 様子で云い出した。 と、今度は、画家の方から、大学生に話し掛けた。 「そう、なれなれしく俺を小父さまと云うのは、よしてく 「僕はね、これから人間の悲惨を画に描くのだ。疲れた人 れ、それだけは絶対によしてくれ。」 あき 間や、生きる苦しみを描く気でいるのだ。」 青年は呆れたようだったが、冷やかなくらいに平気でい る。酔っぱらいをいたわる気持ではなく、冷静な打算から、俊樹が見て、画家の顔は一変し柔和な影を深くしていた。 ぜいたく この遙か年上の大男に逆らってもくだらないと感じたまで「無論、僕の画はきれいではないから金持ちの贅沢な客間 には向かぬ。売れないと最初からきまっているんだ。」 である。 「小母さまのお仕事を手伝ってお上げになったらいいじ 「だがね、僕は南へ行って土人たちの惨めな生活を見て来 ありませんか。」 た。兵隊の嘗めた苦しみも残らず見て来た。これア、当分、 「厭だ。」 描く気になれぬほど思い出すのも苦痛なんだが、いっかは と、画家は片意地に云った。 必ず一所けんめいに描いて見せる。それから戦災浮浪児だ。 「わしは貧乏で、よろしい。」 上野のルンペンだ。復員者だ。その前に僕は巴里の貧民の これで話すことはなくなっていた。 ねむ 電車が来て、ふたりは並んで腰かけたが、俊樹は睡った悲惨も見て来ている。ちゃんとしたインテリでいてセーヌ の橋の下で寝ている宿無しもあるのだ。僕ほど、各国の人 振りをして目をつぶった。離れたところで、若い男女が一 間の生きる苦しみを見て来た男はないと云ってもいしナ 塊りになっていて、ホールの帰りらしく澄んだ女の声でジ ャズンングを歌って、合唱のところを他の者がはやし立て、から描くんだよ。僕でなければ描けない苦しい画を、その はる ばけもの おれ にら
108 内、きっと描いて見せるんだよ。こういう電車の中の人間ある。 も描いて見せるよ。まだ画が拙いけれど、うまくなったら 恭吾の服装がそれであった。顔に影をつけているポルサ 必ず、きたないものを堂々と描いて押し出してやる。そ、 リノらしいソフト帽も、深い茶色が、リポンも色が褪せて そうなんだよ、君。」 いた。その代り品よく見えた。隣りに腰かけている中年の そして、ふいと彼の視線は、乗客の間に写生のモデルに男の海軍将校の外套が手入れも悪く、色がみす・ほらしく見 くぎ ひとみ 坐っているように動かずに瞳は一方に釘づけにしている美えるのと、格段の違いであった。 力しと′ノ しい顔を一つ見出した。これは外套もきちっと身についた 画家は、恭吾の顔立ちを見ていて、画になる顔だなと感 はず 紳士であった。そして画家は知る筈はなかったが、これはじた。殊に、一種ひき緊った強い表情に心を惹かれた。鼻 守屋恭吾であった。 筋も通っていたが、その目は一点を強く凝視して動かない。 その癖、顔を形作っている線は、柔和な性質のものであっ た。云わば、カは内部から出ている。画家は奈良の大寺 再会 かいだんいん 戒壇院の四天王の顔を聯想していた。あの彫刻は、鎌倉期 一度、他の乗客に移した視線を、知らず識らずまた恭吾のものがを外部の強い線で表現しているのと違 0 て、 の横顔に戻して来て、画を描く人間に特有な深い見詰め方力を内側へ追い込んで、強く見えながら優美な姿でいる。 をした。どこかで見た顔だと思い、きびしさが現れていな運慶などの筋骨ばかり強く硬く彫りあげてあるのとは違う がら影に変に淋しいものがあるように感じた。 のである。柔和でいて強いのである。 おばっか 見た顔のようでいて、記憶は覚束なかった。あるいは、 その時、電車は、新宿に着いていた。画家は急に気がっ ぎわだ この電車の中では際立ってあか抜けて整って見える服装か いて立ち上り、出口の方へ歩き出してから、連れを思い出 ら画家は巴里あたりで見た人間の誰れかと思い違いしたのして振り向いて、 かも知れなかった。 「失敬。」 力いとう・ と、云って、。フラットフォームへ降りて行った。自働式 そう云えば、天色がかった落着いた服も外套も、仏闌西 アメリカ 人の好みを感じさせた。仏闌西人は決して、亜米利加人のの扉は、すぐに音を立てて、その後姿は閉ざされた。 電車はまた走り出していた。中野まで行って降りる岡村 ように印象の強過ぎる明るい服装をしない。色なども渋く くつろ 落着いたのを撰び、古びているのも平気で着ているもので俊樹は、ひとりになって急に寛ぎながら、画家を年寄りの さび えら ます とびら れんそう かまくら
141 帰郷 「このお嬢さんを御存じなんですか。」 僕の云ったとおりになりますね。」 銀座の道の雑沓する人の流れを、脇に避けての会話左衛子は、首をけて、陰影のある微笑を示した。 「少しばかり。」 であった。 と、答えてから、 「小野崎さん。」 「私のお友達のお嬢さんなんです : : : まだ、お目に掛った と、左衛子は、急に、 ことはないの、小野崎さん、私、お供してもいいでしよう 「あなたがランデ・ヴウにいらっしやるという、おきれい な恋びとの名を、あてて見ましようか。」 「どうそ。」 「どうぞ。」 画家は、まだ気がっかないでいる。忘れてしまっている 「守屋伴子さん : : : 違いまして ? 」 のだから一向に平気なのである。 画家は目をまるくして、 「画を、おとどけになるの ? 」 「可笑しいね。」 「小説の挿画。ああ、そうですよ、奥さん、例のマラッカ とロ走ったが、急に気がついて、自分が小脇に抱えてい さしえ を描いたものなんですな。それ、奥さんと御一緒に行った た雑誌の挿画の原稿の包みを取り直して、 めいたんてい 「名探偵、シャーロック・ホルムズ夫人。この上書を読ん 「まあ ! 」 だのですな。」 「夢だ、夢だ、ですよ。しかし、僕は、南では、あの町が 「きれいな方 ? 」 好きだった。」 「絶対に。」 「あなたが、毀れたお寺のところで写生をなさっていらっ 「おいくつぐらい ? 」 しやる間に、私、町をドライヴしてまいりましたのね。」 「左様・ : : ・二十一か二。いや、もっと下かも知れない。」 「そうですよ。あの町ですよ。昼寝しているように、、 「歩きましよう。」 と、静かに左衛子は申し出て、たった今、自分の来た道も静かな : : : 」 かきよう 左衛子は、華僑の大邸宅ばかり並んでいるヘエレン・ス を平気で戻って、画家と並んで歩いた。 ト丿トの真昼の、陽ばかり照っている空白な道路を思い 「はてな。」 起した。漆塗りの厚い門の扉を閉ざして、外からは人が住 と、画家は首をひねって、 こわき うるしぬ こわ とびら
って話していたので、 して瞳を据えた。 「お掛けなさいまし、小野崎さん。」 「歌わして下さい、マダム。」 と、画家は道化て、きれいな白毛頭でお辞儀して見せた。「やあ。」 と、初めて、子に腰をおろしながら、また改めて、 「小野崎先生、あなた ! 」 「暫くでした、奥さん。しかし、どうも、さっきから、奥 小野崎公平は、人なっこげに笑った。 「そう云えば、どこかでお目に掛った奥さんでしたな、こさんらしいと思って。しかし、すっかり変りましたね。洋 装で、見違えましたよ。」 れは ! 」 「ああ、何のことかと思いましたわ。変ったと仰有るから、 「どうなさって ? 」 お婆さんになったと。」 「いや、敗けましたよ。」 画家は、こう云ってから近くにいた女給にギターを渡し「やあ、とんでもない。三つ四つ、お若くなった。僕を見 かたづ て下さい。このとおり、真っ白だ。ビルマは、ひどかっ て持って行って片附けさせた。 しばら た ! そうだ、奥さんは、あの晩、よせと云って留めてく 「暫くでした。しかし、 れた。勝っているというから行って見たら、負けていたん と、大学生の方へも会釈して、 だから、ひどい。」 「お邪魔になりませんか。」 「とんでもない ! 」 「印度を見て来るって、出ていらしったのね。ほんとう と、左衛子は叫んだ。 「印度どころじゃない。お話になりませんでしたね。食物 「でも、御無事で、よ御座んしたわ。ほんとうに、こんな まわ ところで、お目にかかるなんて。 いつ、お帰りでしなんかなしに、逃げ廻っていたんで、でも、どうにか生き て帰って来ました。今になっても、まだ自分が生きている た ? 」 「非戦闘員でしたから、早かったのです。終戦後、最初ののが嘘のような気がして : : : 」 気がついて左衛子は、黙って見ているばかりの大学生に、 送環船で。・ いや、奥さん、僕は、ビルマから昭南まで、 てくてく歩いて帰って来たんです。そうだ、ビルマに立つ「俊さん、ビ 1 ルでも頼んで上けて下さい。」 うかが 「そうだ。」 前の晩にお宅へ伺いましたなあ。」 と、画家は無邪気に磊落に、 律義に、客と店の者との区別を附けて、画家は、まだ立 びとみす っ ばあ らいらく おっしゃ