驅を重ね合わせた形のまま、彼は明子の上に掌を押し「父が違うの。な・せ今、急にそんなことをねるの」 と言って、京子は彼の視線を避け、顔を背けた。 当てた。明子の腕を畳に躪り付けて、彼は自分の上半身を あらが 起し、明子の唇を眺めた。しかし、それは制服の少女の唇そのとき、ふたたび彼の驅の下で、明子が抗いはじめ こ 0 の部分だけ、悪戯に口紅を塗り付けたようにみえた。 いらだ 「な・せ、口紅なんか塗り付けたの。口紅が余計だと言った 彼は苛立って、視線を京子に移した。身動きできぬまで に縛り上げられて畳の上に転がっている京子の顔も、やはのは、伊木さんじゃないの」 明子は彼の驅を押し除けようとして、烈しく身を揉ん り強張った表情に覆われている。しかし、その二つの顔に とお だ。筋肉の束が烈しく動くのを、衣服を透して感じ取った は、姉妹をおもわせる共通点は、ほとんど見出すことがで きない。突然、彼は花田の言葉を思い出した。そのとき、彼は、明子の顔を眺めた。その顔は、やはり強張ったまま だった。彼はその驅を突放し、明子から離れて立上った。 花田光太郎は怒りをたたきつける口調で言ったのだった。 「双生児の姉妹と寝たい。右側も左側も、同じ顔、同じ驅 四十一 だ。重ね合わせれば、上も下も同じ驅だ」 はんすう その瞬間から、明子が溶けはじめた。 伊木一郎はその言葉を反芻してみた。しかし、彼の驅の 赤い唇を中心にして、波紋が拡がってゆくように明子の なかの兇暴なものは、しだいに薄らいで行きかかってい た。空いちめん金属で覆われるほどの沢山の飛行機からの硬い顔が溶けてゆき、ついには唇が軽く外側にめくれ上っ ほのお 空襲によって、噴き上る烙に包まれた都市が、やがて薄らた。そのめくれ上った唇を中心に、ふたたび硬直がはじま はいきょ いだ焔のうしろから廃墟の姿を現すような、そういう予感るか、と彼は見詰めたが、そのことは起らなかった。 にさえ捉えられはじめた。京子を初めて見たときにも、そ全身の筋肉がほどけ、明子はやわらかく溶けて横たわっ の顔に明子を思い出させるものがほとんど無かったことをていた。はじめて、真赤な唇と紺色の制服との対照が、彼 思い浮べながら、彼は京子に声をかけた。平素の声に近いの予期していたものになった。明子の驅は、溶けて、淫ら しげき はだ にセーラー服から食出していた。さまざまの刺戟が、長い 声が、彼の咽喉から出て行った。 時間かかって明子の細胞の内側に届き、いま一斉にその細 「きみたち姉妹は、あまり似ていないね」 胞が伊木に向って花開いたようにみえた。 今までに見たことのない明子の顔が、彼の足もとに在っ 「本当の姉妹か ? 」 こわば いたすら おお
蒲団に横たわった彼は、女の軈を引寄せた。顔と顔とが こび えがお 真近かに向い合い、女が笑顔を見せ、それは余裕と媚とを「厭」 示しているようにみえた。 彼は一層強く女の驅を引寄せ、二つの驅はそれそれ横腹「こわい」 を下にして触れ合いながら並んだ。顔が密着するほど近付に、彼はその試みを繰返し、ついに女は大きく頭上 き、女の顔が鼻ばかりになった。 に持上げた腕を畳の上に落した。そこに脱ぎ捨ててあった その鼻の形に、はじめて彼は気付いた。鼻梁の通らぬ、肌着を五本の指がむと、その腕は硬着して動かなくなっ のんき まるい、暢気な鼻である。横になった顔の中のその団子鼻た。驅も、少しも揺るがない。女の動作に異常なものを感 かし は、わずかに傾いでいる。彼はその鼻をつまみ、正しい位じ、彼は軽くその驅を揺すぶって、訊ねた。 置に持ち上げてみた。指を離すと、鼻全体がわずかに傾「どうしたんだ」 一瞬、女の顔に子供っぽい表情が現れかけたが、それ「どうしたのかしら」 はすぐに消えた。暗い、侮辱を受けたような光が眼に浮女は困惑した笑いを見せて、言った。 び、烈しく驅を押付けてきた。 「いつもと違うわ」 その誘いに応じようとすると、女の驅はぎごちなく強張やがて、女の驅から離れて、彼は便所へ行った。部屋に り、頸の付根から両肩一帯に堅く力がこもった。その部分戻ってきたとき、女は蒲団の上に坐り、背をかがめてい こす たた を解きほぐすように、彼は軽く指先で叩いたが、それは反た。指先で、しきりに敷布の一部分を擦っている。赤い色 しわざ が、染み付いていた。女は指先に唾をつけて、その赤い色 射的な仕業で、すでに彼は体内に衝き上げてくるもののた 群めに余裕を失っていた。彼の指でなだめるように叩かれたの上を擦っている。その作業に熱中していて、彼が戻って 植女が、戸惑 0 た恥じらうような笑いを見せたときにも、そきたことに気付いていなか 0 た。 「まさか」 のの笑いの意味を深く考える余裕はなかった。 あら えきか と、彼は呟き、眼を凝らした。 の彼が女の片腕を、頭上に押上げて、露わになった腋窩に 砂 その女の姿態は、女から少女に戻っていた。と同時に、 唇を押当てようとすると、女は烈しく掴んだ。肩をす・ほめ ひじ て、肘を脇腹にめり込ませて拒んだ。彼は、女の大きく膨なまなましく女を感じさせるものでもあった。隠れずに傍 れた乳房を眺め、爪を立て、ふたたび片腕を押上げはじめに立っているのに、覗き見している気分があった。彼は咽 ふとん くび こわば っふや たたみ こ つば
になった男たちの間に彼は自分の姿を見出したのだ。一年感が残った。全身の細胞が一斉に暴動を起す直前のような とら 前、木暮の家を出てタクシーに乗込んだ花田光太郎は、繁予感に捉えられた。 華街の高級クラ・フに、伊木と井村と二人の友人を案内した彼はおもわず立上った。驅の中の異変が、彼を突き動か のだった : ・ す方向についての予感は全く現れてこない。一一、三度、地 べンチから立上ると、彼は海に向って歩き出した。海に面を判の底で踏み付けてみた。 そう 沿って鋪装された散歩道ができている。その道をゆっくり そのとき、吹き消されたように、タ焼が終った。赤い色 ねすみいろ と横断すると、防波壁に行き当った。 は一瞬の間に消え去り、鼠色の空間が残った。それと同時 のぞ 立止まって、水を覗き込む。 に、彼の驅の中に予感も消滅した。夜の匂いが、公園の土 タ焼はその色を濃くして、水の面も赤かった。港の中のの上から立昇ってきた。 海なので、波は静かだったが、それでも防波壁の下の水は きくすじんかい 小さく波立っていた。藻や木屑や塵芥が黒ずんで打寄せら れ、たぶたぶと揺れていた。 海に背を向けて、彼は地面から堅い矩形のトラソクを持 水面から眼を離し、彼は海に背を向けて元の場所に戻っ上げようとした。 てきた。べンチに落ち込むように坐った。華やかな想念に 眼の前に、塔が立っていた。塔の胴の中を、黄色く燈を 引込まれていただけに、反動が大ぎかった。セールスの仕ともした昇降機が、上下しているのが見えた。最近建てら かす 事の屈辱的な場面が、つぎつぎと頭の中を掠めて過ぎた。れた観光搭なのである。 からだ うわさ タ焼は、さらに、その色を濃くしてゆき、その色は驅の 「そういえば、噂は聞いていた。しかし、見るのは初めて 輪郭まで押し寄せてきて、彼は赤く濡れた心持になった。 重いトラ 色が深まる一瞬一瞬に、彼の耳は空気中に放電してゆく低高い塔である。遠望できる高さなのだが : うな い唸り声に似た音響を聞き、空と彼の驅を包む空気の全部ンクを提げ、肩に力を籠めて二、三歩先の地面に眼を据え が唸りを発した。そして、全身の細胞がその音響に共鳴をて歩いてゆく自分の姿勢を、彼は思い浮べた。、 、つも顔を うつむ 起し、ペンチの上の彼の驅はこまかく揺れ動いた。 俯けて、空の方へはめったに眼を上げたことがなかったの 憤怒に似た感情が、彼の底から湧き上ってきたが、それだ。 はすぐに大気に蒸発し去って、あとには驅の中に異変の予 公園の出口に向い、彼はトランクを提げて歩き出した。 ふんぬ にお
て、困惑を含んだ笑いが浮び、それが薄笑いに変り、彼は スタンドに坐って彼は待ったが、京子はなかなかに来 きわ にぎ 京子の耳に唇を寄せてささやいた。 ない。奥のポックスの一つが、際立って賑やかなので、彼 「紐の結び目をほどいて置くのを忘れた」 はその方を見た。女たちが、その席に集まって、華やかな しゅうち 京子の顔に、羞恥の色が浮び、片方の肩を捩るように驅笑い声が湧き上っている。 こす をくねらせ、横腹を彼に擦りつけた。 その席の中心に、彼も顔を知っている映画スタアの梅村 あきらおうよう 「いやあね」 晃の鷹揚な笑顔が見えた。 京子は、低い声で笑いはじめ、その官能的な笑い声はし伊木は、いくぶん苛立って、京子を待った。京子も、そ ばらく続いた。彼は、畳の上に横たわっている二本の紐のの甯にいる。 一方の端が、固い結び目になっている光景を思い浮べた。 ようやく、京子が彼の傍の椅子に腰をおろした。 京子の驅と彼の力とによって、喰い入るように固くなって「ごめんなさい。やつばり、直ぐに立ってくるわけにいか はず いる筈の色情的な結び目を、彼はなまなましく眼に浮べないの」 「どうして」 その結び目は、彼にとっては色情的ではあったが変態的「だって : 、お店の良いお客さんですもの」 あざ なものではなかった。 不意に、京子の乳房の横の三つの青い痣が、彼の眼に浮 ただ 唯、部屋を片付けに入ってきてその紐をつまみ上げる女び上った。その痣と、梅村晃の力を籠めた指先とが重なり 中の姿を考えたとき、その結び目は不意に、変態的なもの合った。 もうそう に変貌した。 彼は頭を振って、その妄想を追い払おうとして、苦笑し 群 た。京子の驅を共有している未知の男がいることは、分っ 物 二十四 ている。その男が梅村晃であることが、特別の意味を自分 のその翌日の夜、伊木一郎は「鉄の槌」に出掛けて行 0 の心に投げかけるのは筋道の通らぬことだ。自分は京子の のた。 心を求めているのではなくて、その瞬間における京子の軈 おま 前の日、彼は二本の紐の結び目に気を取られて、京子とに溺れることを欲しているのではなかったか。 の次の約束の日を定めるのを忘れた。彼の驅は京子の驅を いや、梅村晃の存在に苛立っことが、京子の心を求めて おもむ しきりと欲したので、彼は京子のいる店に赴いたわけだ。 いる証拠になるとは限らないだろう : : : 。彼は迷いなが こ 0
た。しかし、見覚えのない顔ではない。そのことが、彼に 「いま、きみはそっくり同じ顔をしている」 は不思議に思えたが、間もなく理由が分った。それは、京「え ? 」 - 一くじ こうこっ 子の恍惚としたときの顔に、酷似していたのだ。 不意に、京子の驅の波動が停った。 「明子があんな顔をしている」 「きみと明子と、そっくり同じ顔だ。さっきまで違う顔だ と、彼は京子に言ったが、京子にはその正確な意味は伝ったのに、同じ顔になってしまった」 わらない。 彼の声が耳に届いた瞬間、明子は大きく眼を見開いた。 硝子玉に似た眼に、しだいに光が戻ってきたとおもうと、 「あの子ったら : : : 、何時、明子と知り合ったの ? 」 ね起ぎた明子は掌で顔を覆い、隣室〈走り去 0 た。 京子が自分の恍惚としたときの顔を知らないということ が、彼にふたたび攻撃的な気持を起させた。 「伊木さん : ・ : こ うめ とが 「この部屋ではやめて」 呻きと咎める語調との混り合った声を出した京子の唇 京子は首を振りながらその言葉を繰返した。明子は眼をは、一層大きくめくれ上った。その唇を中心に、京子の顔 瞑り、同じ表情のままで横たわっている。京子の声はしだが強張りはじめ、それは全身に拡がり、彼の驅の下で京子 いに弱くなり、不意に誘うロ調になった。発音が、曖味にの驅が硬く反り返った。 なった。彼は、京子の顔を調べる眼で見た。唇が軽くめく 四十二 れ上り、その顔はやわらかく溶けていた。彼は首をまわし て、明子の方を見た。そっくりの顔がそこに在った。 伊木は京子から離れると、立上って隣室へ歩み込んだ。 こうふん とびら 烈しい昻奮を、彼は覚えた。彼は自分の驅の中に、真赤出入口の扉のある部屋なので、明子の姿は消えてしまった 群なタ焼を感じた。繰返している京子の同じ言葉が、一層曖だろうと彼は考えていた。 すみ 植味になり、快感を訴えている口調になった。 しかし、明子は部屋の隅にいた。両手を顔に当てて、う 上「明子が、あんな顔をしている」 ずくまっていた。彼はその前に立って、明子の姿を見下し の もう一度、彼は京子の耳に口を寄せて、ささやいた。京た。 砂 つむ 子は眼を瞑ったまま、 彼の驅の中の赤い色は、すでに消えていた。ふと、途方 8 「この部屋ではやめて : : : 」 に暮れた気持に捉えられた。明子は掌から顔を離すと、彼 うめ というやわらかい呻き声で、答えた。 を見上げた。不意に立上ると、明子の掌が彼の頬で鳴っ ラス 津お
ある筈はない。骨だけになっても、二倍に肥っても、自分 計の目盛板の上にとどまって動かなかった。 は自分だ。自分の嘔を重たく感じ、歩くと腿と腿との肉が 翌日、土蔵の中にある台秤に載った少年は、また自分のぶつかり合うのを覚えるが、やはりこれは自分にちがいな 体重が増えているのを知った。 しかし、体重計に載ったとき、自分の目方を両腕に抱き その次の日も、また体重は増えていた。 少年の驅は、むくむく肥りつづけているのだ。腕や脚や取りたいとおもった心持は、いまは無くなってしまった。 胴の周囲が、毎日太くなってゆくのが、眼で見ただけで分「それに、これは回復と言えるのだろうか」 る。じっと見詰めていると、その部分がじわじわと太くな布団の上に横たわり、あちこちの筋肉を動かして、少年 は二十日前の自分を思い出そうと試みた。筋肉を動かす度 ってゆくのが見えるような気持さえした。 に、重い驅が布団の中に、めり込んでゆくような気がす どこまで肥るのか、少年は自分で無気味になった。 肥りはじめてから二十日目、つまり少年が土蔵に入ってる。 から二十日目に、少年の体重は二倍になった。そして、そ少年は、一つの異常な状態から、べつの異常な状態に移 行しただけのような気持になった。 の日で肥るのが止った。 親戚の人が、大きくふくれ上った少年の驅をみて、矢い それからまた二十日ほど経って、少年はこの土地を離れ ながら言った。 「まるで手品をみているようだね。骨と皮だけの人間を土た。もとの場所、自分の家に戻ってきた。 蔵に入れて蓋をする。二十日経って、ハイツと懸声もろと少年の軅は、発熱する以前の形に戻っていた。二倍に肥 も蓋を開ける。中から、二倍にふくらんだ人間が出てくった驅からは、しだいに肉が取れて、元通りの形になった 謡る。よっくおあらためください、種もシカケもない、別ののである。 久しぶりに、学校へ行った。あの友人は、少年の姿をた 人物ではありませんよ」 童その笑いは、素朴な笑いだった。少年の目ざましい回復しかめるように眺め、 「すっかり良くなったね。今だから言えるけれど、見舞に ぶりに驚嘆している顔つきでもあった。 行ったときはびつくりしたよ。とても、君とは思えなかっ 「別の人物ではありませんよ」 その言葉が、少年の気に入った。たしかに、別の人物でた」 かけごえ 、 0 たび
「気の置けない友だちだよ」 ならぬ、と呟きながら、彼は花田に抱きすくめられている からだ と言って、離れた京子の嫗をふたたび抱き寄せた。京子京子を見詰めていた。 もた はそのまま、驅を花田に靠れかからせている。観察する眼「どうしたんだ」 を伊木は向けたが、二人の関係については判断が付かな花田の声が聞える。 レト・うは・、 。京子を抱えている花田の掌が、丁度、京子の上膊を着「そこは、駄目なの」 京子が答えている。 物の上からおさえている。 あざ 「どういう具合に、駄目なんだ」 花田の掌の下に、輪の形をした青紫色の痣がある。その ことを花田は知っているのだろうか。その痣は自分が付け「とにかく、駄目なの」 「性感帯かな、へんなところに在るものだなあ」 たものだ、という事実を、伊木は心の支えとした。 そのとき、花田が京子の耳もとに冗談ごとをささやき、 その酔った声を聞いて、京子と花田とは今のところは関 大きく笑いながら掌を内側に曲げ、京子の腕を堅くん係が無い、と伊木は判断を下した。 ふん たばこす 京子の驅を離した花田は、やや憮然として煙草を喫いは ばくぜん じめた。半ば放心し、半ば漠然と何ごとかを思い描いてい 「あ」 京子は小さく叫んで、驅を深く折り曲げた。ゆっくりとる表情で、ゆっくりと煙を吐き出している。 顔を上げながら、驅を捩った。眼が伊木に向けられてい 京子は、花田の顔を窺い、一瞬困惑の表情になって、言 る。眼の白い部分が、薄い灰色にみえる。そして、その眼った。 「煙草を契っている先生って、とっても素敵。あたし、い に潤んだ光がれた。 その眼は伊木に向けられていたが、はっきり焦点を結んつもそうおもって見ているの」 きん でいないことに、彼は気付いていた。 金払いの良い客の機嫌を取っている口調だ、と伊木は思 かす 「痣が燃えている」 おうとした。しかし、そのとき花田の顔を掠めた甘い表情 と、彼はおもった。 によって、その言葉はこれまでにも幾度か京子の口から出 京子の眼は、頭の中に浮び上った影像に焦息が合ってい たのかもしれぬ、とおもった。もっと多くの言葉、花田の くすぐ る。その眼は、いま、左右の腕に輪の痣がついたときの自心を擽る言葉と一緒に言われていたのではないか。 分たちの姿態を見ていることは確かだ。あの痣を消しては伊木は、咎める眼を向け、その眼と京子の眼と合った。 だめ 一′か っぷや
192 ら陽が水たまりのように漂っているだけだ。 「おっと」 少年は立止った。あたりを見まわした。勢よく首をまわ 口に出してそう言い、少年は手の甲をぐうっと上に反ら きんこう すと、驅が平衡を失いそうなので、そろりそろりと首を左し、均衡を取戻そうとした。その動作は、平素のときより かっこう 右にまわす。そして、人影のないのを見定めた。 もずっと誇張されたものだった。ビエロの恰好をして、わ みどり色のガウンのポケットに、手を入れた。尖って飛ざわざ危い足取りで綱を渡ってみせる芸人の姿が、少年の 出した腰骨に、指が当った。ポケットの中から、キャラメ脳裏に浮かび上った。 ルの箱を抜き出した。蓋を開け、キャラメルのを取出そ少年の驅は、一旦、捩れたようになり、元の位置に戻 0 うとして、少年はわざと顔を大きく崩し、笑い顔を作っ た。驅が捩れたとき、視界の端に人影を見たようにおもっ こ 0 少年は、酒でも飲んでみせたい年齢である。それが、人首をまわした少年の眼に、少女の姿が映った。少女は、 そば 目を避けて、キャラメルの粒をつまみ出そうとしている。灰白色の建物の傍に立って、少年の方をみていた。少年と お・もは ししや、・ヘッドに寝そべってキャ眼が合ったとき、少女の顔に戸惑った、怯えに似た色が走 そういう自分が面映ゅ、。、 ラメルを頬張るのは、恥ずかしいことではない。危うい足った。 「あ」 取りで歩いていた自分が、立止って、みどり色のガウンの ポケットからキャラメルの箱を取出した、そのことが子供少年は、おもわず声を出した。 染みて面映ゆいのだ。さりとて、少年の生理はいまキャラ全部見られたな、とおもった。少女には見覚えがある。 じちょう メルを欲求している。そこで、少年は自嘲の笑いを洩らし見覚えがある、という言い方では足りない。時折、ぎごち た。誰も見ていないとおもうので、ひどく誇張した笑いをなく言葉を交したこともあった。 「お見舞にきたの」 作ってみた。 このときは一層ぎごちなく、少女は言った。そして、少 キャラメルの粒は、箱の底の方にすこし残っているだけ だった。少年は、指先を深く箱の中にもぐり込ませ、箱の年の友人の名を告げ、見舞に行くようにすすめられた、と 底を探った。指先を鉤型に曲げ、その指先にキャラメルの言った。 「でも、そんなにお悪いとは、おもわなかったの」 粒をひっかけ上げようとする。その指先の動きが、少年の 少女は顔を伏せ、弁解するように言った。 全身に伝わってゆき、驅がぐらりと傾く。 こ 0 からだへいこう ほおば かぎがた
もっとも、どんな「縛って」 伊木は、加虐の嗜好は持っていない。 その声が、彼をかえって冷静に戻した。 人間の心の底にも、その傾向の種子は埋もれている。そし ふんぬ 「やはり、その趣味があるのか」 て、彼の中の憤怒に似た感情と、京子の淑かで同時にした 京子は烈しく首を左右に振りながら、言った。 たかな身のこなしが、彼の心の底の種子に働きかけ、小さ 「腕を、ちょっとだけ縛って」 な芽を出させた。 たたみ ねまき 畳の上に、脱ぎ捨てた寝衣があり、その傍に寝衣の紐が 「ひどい目に遭わせてほしいの」 二本、うねうねと横たわっている。 という津上明子の言葉も、彼の耳の奥で鳴る。 ひも からだ しかし、彼が京子の驅に加える荒々しい力は、抵抗なく彼は、その二本の紐の端を結び合わせ、京子の左右の上 その驅の中に吸収され、かえ 0 てその驅を生き生きとさ膊にませて、ふたたび引き絞 0 た。京子の両腕は一層強 うめ せ、その皮膚は内側から輝きはじめる。 力な搾木となり、頭部を両側から挾み付けた。京子は、呻 その日の夕方、彼は驅を重ね合わせた形のまま京子の両き声を発したが、それが苦痛のためか歓喜のためか、判別 ひじ 腕を、頭上に押し上げようとし、京子は肘を脇腹に押し当がっかない。 てて、んだ。 旅館を出て、タクシーに乗った。京子を店の近くまで送 彼は、明子のことを思い浮べた。明子は、肘を脇腹にめり、彼はそのまま去るのがいつもの例である。タクシーが り込ませて拒んだ。 走り出して間もなく、 その懸命な拒否に比べて、京子の拒み方には、どこか馴「しまった、忘れた」 っぷや れ合いの感じがあった。 と、彼は呟いた。 あしもと 京子の両腕は、しだいに彼の力に従い、やがて大ぎく頭京子は、反射的に、視線を彼の足許に落した。そこに 上に上った。 は、藍色のトランクが置かれてある。 彼は、京子の左右の手首を掴み、交叉する形に引き絞 0 京子は、ねる眼を、彼に向けた。 ) し、ム′はく た。京子の左右の耳殻に、左右の腕の上膊の肉が押し当「ライタア ? 」 、両腕が搾木となって頭を挾み付けた。 あら えきか くちびる 露わになった腋窩に彼が唇をおし当てたとき、京子は「手帳 ? 」 しわが 嗄れた声で、叫ぶように言った。 彼は、しばらくの間、曖味な表情をつづけていた。やが しめぎ しとや
消えて行かなかった。 あっても不思議のない存在にみえる。明子は、伊木に男を 「どうしたのだろう」 感じなかった。いや、男を感じないというよりも、自分が っぷや と彼は呟いたが、 はっきり形を成さないながらもその答恋愛したり結婚を考えたりする対象の男たちとは、異なっ ばくん が分りそうな気持がした。あるいは、漠然とした予感があた範囲にいる男と言った方がいい。 からだ 明子にとって、伊木はかけ離れた存在であり、なまなま ったために、少女の驅がそのように彼の眼に映ったのかも こわば しれない。少女は驅を強張らせ、苦痛を訴えつづけ、すこしく男を感じさせるものではなかった。彼の前では、比較 まゆ たてじわ やっかい しずつ擦上っていった。眉と眉の間に深い縦皺が刻まれ、的容易に裸体になれる気持がした。厄介な荷物を取払って ゆが それが少女の顔を歪め醜くした。そして、その皺は最後まくれる道具として彼を利用しようと試みた。しかし、やは で消えなかった。 り道具と見做してしまうことは十分にはできず、明子は自 少女はしばらく凝っと動かなかったが、驅を伊木の方へ分が処女であることを隠そうとした。男をよく知っている 向けると、言った。 女のように振舞おうとさえした。 うそ 「名前を教えてください。あたしは、津上明子です」 用事があって彼に会おうとしたというのは、嘘ではな 「伊木、伊木一郎」 。しかし、会った瞬間、今日の明子は彼に男を感じはじ と、彼はいくぶん慌て気味に答えた。 めた。すでに、かけ離れた存在とは感じられなくなってい 「伊木さん。伊木さんには分ったでしよう、あたしが男をた。そして今は、明子にとって彼は伊木一郎という名を持 った男となって、驅を合わせて横たわっているのだ。 知らなかったこと。それが重荷になっていたの、重荷にな 彼は黙って、聞いていた。津上明子の言葉についての感 る理由があるのよ。はやく無くしてしまいたかった」 とっさ 津上明子は、入り組んだ気持を、自分でもときどき迷い想を、咄嗟には纏めかねた。 ながら説明した。はやく無くしてしまいたかったが、その 「それじゃ、用事というのは」 相手を見付けることができない。男というものは、危険で「あたしの姉を、誘惑してしまって。そうしてほしいの」 不安な存在だった。また、その前で裸体になることを考え彼はとして、少女の顔を眺めた。津上明子は、自分 くちびる ると、恥ずかしさで耐え難くなりそうだった。 が真紅に唇を塗って塔に昇ったのも、自分の処女が重荷 偶然、伊木と口をきくことになった。ずいぶん年上におになったのも、すべてその姉のせいだ、という意味のこと もえた。十八歳の娘からみれば、四十に近い男は、父親でを彼に告げた。 すり あわ