ミスター・ゴルソン - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集
12件見つかりました。

1. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

と・ほくらは陽気に話しあったのである。その日の夕暮ににとっては七番目の演技者にあたる学生で、その男は背の さる は、十人の学生が (.5—0 を訪れる日と、かれらの役まわり低い猿のような額をした色の浅黒い学生で、ぼくもはっき りした知識をかれについてもっていなかったが、ミスター のすべてがきまっていた。 次の週から (.5—0 にとって始まって以来の豊かな内容をゴルソンはその学生にかれがインタヴィューを始めてもっ じようきげん とも典型的な後退青年を見たのであった。そして、通訳兼 もつ日々がつづいた。ミスター・ゴルソンは上機嫌で、い てんけい ままで自分が会いたいと望んでいた後退青年の典型とインタイビストの女子大生がを辞める決心をしたのもそ タヴィューでぎた、と毎日のようにいっていた。・ほくもまの七番目が動機になったことがあとでわかった。 た、実にたくみに告白遊びをしてくれる学生たちを隣の部報告書の作成がおわりそれを本国むけ飛行便で発送し、 ーティをひら 屋へ陽気な感情でおくりこむだけでよかったから、解放さを一応閉鎖した夜、・ほくらは簡単な。 ( いたが、その時、女子大生は、な・せを辞めたくなっ れた良い気分だった。 ただ・ほくにとってわずかな不満の種になったのは、通訳たかとミスター・ゴルソンが問うのにこたえて、あんな恥 兼タイ。ヒストの女子大生が不意にを辞めるといいだ知らずの日本人青年を見たくないからだ、と答えた。・ほく しようそうん したために、その月の調査を途中でうちきり報告書をいそは、その始めておとずれた深い焦燥感にみもよもないよう よゅう な女子大生にたいして余裕にみちたおかしさを感じていた いでまとめる決心をミスター・ゴルソンがしたことだっ た。・ほくが予約しておいた演技者が二人あぶれることになし、ミスター・ゴルソンのふと当惑したような顔にも、か ったのである。 って感じた、異質な、招みきれない感じではなく、ごく平 ミスター・ゴルンンはその月の報告書とともに日本での凡な世間知らずの学者の、あるもどかしさだけしか見なか 所仕事が完了したことを本国むけ報告し、一応 0—0 を閉じった。・ほくは、あの猿のような額の七番目がどんな告白を 研て地捻を待つつもりになっていた。そして女子大生につくりだしたのか知りたいとさえ思ったものである。 しんせい しかし、・ほくはまったく意外な形で、七番目の告白を知 青も O—O の閉鎖まで働いたものとして特別手当を申請して やるとい 0 ていた。ミスター・ゴルソンはその月のインタることにな 0 た。・ほくらの閉鎖記念パーテイから一 ヴィ 1 の成功に深い自信をいだき、かれの報告書が最後週間たって、日本で最大の発行部数をほこる新聞紙上に、 かっさい ・ほくは七番目の写真および、その告白を読んだのだ。写真 の花として大喝采をうけることを信じていた。 しようかい ミスタ 1 ・ゴルンンがとくに自信をもっていたのは・ほく はミスター・ゴルンンの— 0 の仕事についての紹介記事 ひたい

2. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

、い。そしてこういう問題を研究対象にえらんで現に日本憂鬱なミスター・ゴルンンととりとめなく話しあった。あ あ、 (.5—0 はまさに憂鬱地獄であったわけだー にきて調査所をひらいた二十八、九のアメリカ人青年がい ミスター・ゴルソンが・ほくにかれの日本での仕事が終っ かにも奇妙な、変則な精神構造をもった男のように思われ、 しんえん たあと、台湾か朝鮮に一緒に行こうと誘ったのもこういう ・ほくはミスター・ゴルンンを、深淵の主として見るより しつついしゃ も、この現実世界の深淵に吸いよせられた最初の失墜者と雑談のあいまにおいてであったし、ぼくがミスター・ゴル して感じ始めるのであった。こういう考えはむろん自分にソンのなにげない動作のはしばしに同性愛的傾向を見たの くったく はねかえってくるのであって、・ほくは自分を、同胞の学生もそういう屈託した時間においてであった。そして・ほくは かんぼっ たちがその心情の暗い陥没を告白しにやってくる外国人の 、、スター・ゴルソンがいかにも懐かしげに語る東部の田舎 * げんやりてばばあ オフィスで働いている自分を、女衒か遣手婆のような種類都市をはなれて東洋までやってきていることの陰にはこの の、ごく卑しい人間のように感じることがあった。そして同性愛的傾向に由来する原因がまつわっていて、ミスター りゅうけい 自分が少年のころ、それは戦争の時代であったが、二十歳ゴルソンはむしろ日本に流刑になっているようなのではな いかと考えたりもしたものである。それは大学のアル・ハイ という年齢に楙薇色の幻影をいだいていたことを思いだ し、平和の時にこのようにあいまいな奇妙な役まわりをしト課へ話相手とか案内人とか通訳とかいう名目でアル・ハイ くじゅう ている二十歳の自分に、 いようのない苦渋の味のする嫌ト学生をもとめにくる外国人の大半が同性愛的発展をのぞ んでいる、そういう底意を心の内部にひそめている、こう 悪をいだいたものだ。 いうことがもはや常識であったからだ。・ほくの友人の一人 この自己嫌悪について・ほくがともに語りあうべきは、お なじアル・ハイト学生の女子大生にたいしてであったが、憂はアル・ハイトを契機にして外国人の・ハイヤーと同性愛関係 究鬱な彼女は仕事が暇だとわきめもふらずに毛沢東を読んでにおちいり、その後・ ( イヤーに棄てられると自殺した。棄 研いて、・ほくのいる部屋へは顔を見せなかった。・ほくのほうてられたという言葉はこの自殺者が遺書に自分で書きこん いやおう 青でも、奥の部屋へ入って行くことは否応なしに整理箱の力だ言葉である。それもやはり、あの朝鮮動乱のあとの一時 ードを見ることであり、告白にやってきた憂鬱きわまる学期だ。 後 生たちのイメージにおしつぶされることなので、決して女・ほくとミスター・ゴルンンとは隣の部屋で文庫本の。ヘー とびら 子大生のいる部屋の扉をこちらからひらくつもりにはなれジをめくる音さえ聞えるくらいの低い声で黙りがちな話を きんみつ ないのであった。そこで・ほくはやはり憂鬱な顔で、これもいつも長いあいだ続けたが、おたがいの心情が緊密にふれ お ひま けん いっしょ なっ だま

3. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

とを本国から求められており、その最低線が今後保証され生も、暗い気持で永いあいだ議論しあった。ミスター・ゴ ない時には極東研究員としての職務を解かれる、どうしてルソンはいま日本を離れたくない個人的事情をもっていた ほうき もわれわれは能率をあげなければならない、そういうことし、この仕事を途中で放棄することは本国に戻っても大学 の良いポストにつけなくなることを意味しているはずであ であった。 能率をあげるためにはどうしたらいいだろうか、大学新った。また、・ほくにしても女子大生にしても、きわめて安 聞にもっと大きい広告を出そうか、また大学構内に張り紙定した、しかも効率の良いアル・ ( イトとしてのをそ して訴えかけようか、《学生連動を離れた旧活動家の学生う早急に辞めたくはなかった。 ミスター・ゴルソンは、あと一箇月だけでいいから良い をミスター・ゴルソンが待っています ! 》 しい始めた。議論がお先まっくらの行き ミスター・ゴルソンの問いにこたえて、・ほくはその広告成績をあげたいと、 づまりの色をおびてくるのにつれてミスター・ゴルソンが による方法では決定的な状況の好転は望めないのではない だきようあん だろうか、といった。すでにミスター・ゴルソンの後退青妥協案を出したわけだった。一箇月全力をあげて活動し、 年研究所は学生たちのあいだに有名であって、これ以上広すばらしい成績をあげた上でなら、すでに日本の学生につ 告しても大勢の傷ついた青年が新しくやってくることはまいては大略調査が終ったと報告でき、別の任地へうつるこ とを許されるだろう。いまのように悪い成績を非難されて ずあるまい る時に任地変更を申し出たりしたらたちまち馘になっ 通訳兼タイビストの女子大生もほ・ほ同じ意見で、もし自い 分たちが大学構内に広告をはってまわり、またに来て、南朝鮮や台湾には別の男が行くことになるだろう。 ぼくと女子大生も、いますぐこのアル・ハイトがなくなる てその体験を語ってくれそうな傷ついた青年をスカウトし よゅう てまわ 0 たとしても、の調査が始ま 0 たころのよう場合とちが 0 て一箇月余裕があれば別のアル・ ( イトを探し 研に多くの青年がやってくることはあるまい。それは結局だすひまもできるわけだった。そこで・ほくら三人とも、次 青 ( 傷ついた青年》がそう沢山この世に存在しているわけでの一箇月に、実に良い報告をまとめることのできる調査を ざせつ 退 しようという結論にたっしこ。 はなく、学生運動で挫折を体験した青年が ch—O に呼びか 後 それにしても、まず・ほくらはにやってくる後退青 けられるのを待って数知れなくひそんでいるわけでもな 、 0 年を何人かみつけることなしには一枚の調査データカード もう底をついたのではないか ? ミスター・ゴルンンも・ほくも通訳兼タイピストの女子大もっくれないし、報告書もまとめられないわけである。そ のうりつ くび

4. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

392 そうにゆう のなかに挿入されたもので、ミスター ・ゴルソンも七番目 くは通訳兼タイビストの女子学生の声が頭の暗く熱い中央 の隣に立って笑っていた。それはインタヴィューのあとでによみがえるのをはらいのそこうとした、あんな恥知らず さっえい よの日本人青年を : ・ 通訳兼タイビストの女子大生が撮影したものにちがいオ 。その写真にうつっている君と新聞は説明していた、 かんき 君はミスター・ゴルソンが後退青年の典型とよび、— 冬で、五時限目の授業がおわるとタ暮と激しい寒気が大 まえかが 0 の調査の最大の収穫とするもので、君の後退青年とな学を閉ざす、・ほくは躰をすくめ前屈みに正門を出たところ てぶくろ ったいきさつは次のようだ、と調査カードを引用してい で、電柱の陰にかくれていた背の低い男が手袋で横顔をか きよう・」う くしながら・ほくにむかって歩いてくるのを恐慌の思いで見 れんがぺい は日本共産党の東大細胞のメム・ハーであったが、仲間 た。・ほくらは黙ったまま肩をならべて大学の煉瓦塀にそっ かんきん ・こうもん からスパイの嫌疑をかけられ、監禁されて拷問をうけ小指た暗がりを歩いた。 を第二関節から切りとられた。そして恋人から逃げられ、 告白遊びのつもりだったんだ、とうちひしがれた声 じよめい 細胞を除名されたあと、自分からこころざして本富上署ので七番目の学生はいった。おれはそれであんなめちゃくち ぼう 某警官に情報提供をした。しかし、学生連動の外に出てしやをしゃべったんだ。新聞にのるなんて思ってもみなかっ まったの情報は有効でなかったためスパイにも不合格た。 きゅう で、現在は孤独な学生生活をおくっている。かれは自分 おれも思ってもみなかった、と・ほくは絶体絶命の窮 ぎせつ ゆいいっ を挫折に追いこんだ唯一の原因として、かっての仲間を憎地から悲鳴をあげる気持でいった。ミスタ 1 ・ゴルンンに んでいるが、スパイ嫌疑のもとになったのは裏切った仲間抗議しよう。 の密告によるものであったらしい 、スター・ゴルソン 抗議ならしたんだ。新聞にあれをとり消してくれ は、に日本の左翼学生の後退の一典型を見ている。 と、あいつに会いに行って抗議したんだ。しかし、とり消 ・ほくは新聞の囲み記事の中央でミスター・ゴルソンとなさないというんだ。あの紹介記事にのったおれの告白は、 らびあいまいな猿のような笑いを頬にうかべている七番目 いまでもテー。フが残っているし、証人もいるから、とり消 ふち の男を、いま絶望的な深さの暗い淵がのみこもうとしていさないというんだ。おれはあれを、告白遊びだといった、 るのを感じた。・ほくは震えはじめ、そして自分が七番目のでたらめだといった。ところがあいつは、遊びにしても、 男の不幸の外にいることを確認したい欲求にかられた。・ほでたらめの告白にしても、とにかくおれがしゃべったこと かこ こうぎ からだ

5. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

に意味がある、というんだ。 聞に出すと約束してくれたんだ、テープも戻してくれると たんかいしよく ミスター・ゴルソンの淡灰色に澄んだ限、細く高い鼻いうんだ、きみもそれを覚えておいてくれよな。ああ、な りよう ・こうまん 梁、桃色のぶよぶよした皮膚、それらがたちまち傲慢な統ぜおれはあんなに熱心にしゃべったか、わからないよ。 きよう 一をおびてぼくのまえにあらわれた、それは途方にくれ恐 ・ハスがとまり、・ほくはそれに乗りこんでから、学生が・ほ 慌におちいっている猿のような額の青年を醗につぎはな くに続いて乗りこんでくるのを一瞬おそれたが、かれは暗 している。・ほくはミスター・ゴルソンの傲慢なイメージのがりにひそんでぼくを見送っているようなのだ。・ほくは解 陰に自分をとけこませた。不意に余裕と冷淡さが胸のなか放感とともに、おれにもなぜあいつが、そんなに熱心にし で育った。 や・ヘったかはわからない、と考えた。そしてそれは今も、 しかし、あの新聞記事の不明瞭な写真からきみを見・ほくにとってはっきりしないことなのである。一箇月た つけだすのは、きみのごく親しい人たちだけじゃないか ? ち、ミスター・ゴルソンはその報告書を高く評価されてョ と・ほくはその余裕と冷淡さに乗じていった。そしてきみの ーロッパの研究所へ転属されることになった。かれは新聞 ごく親しい人たちになら、あの告白遊びのことを説明してに紹介された分のデータが事実に反することを発表し訂正 はす 大笑いするだけじゃないか。 しても、その新しい研究所への出発を、もう妨げられる筈 だめなんだ、おれの恋人にしてからが、あの記事をはなかった。しかしかれはそれを発表せず、訂正もせず、 読んでおれを見る眼がかわった、と背の低い猿のような額・ほくと女子大生の見送りをうけて羽田を発って行った。そ の男はいった。そして・ほくのまえにその左手をぬっとさしれはあの七番目の学生が一箇月たっても再びかれのまえに だすのだ。 あらわれなかったからである。ミスター・ゴルソンはあの 所・ほくはその小指が第二関節から切りとられているのを見七番目の学生に返してやる・ヘく、そのテー。フを・ほくにたく てもと 研た。・ほくは胸をふさがれ黙って立ちどまった。男はいじめしたが、それはまだ・ほくの手許にある。・ほくはミスター・ おさな 青られている稚い子供のような眼で・ほくをすがりつくように ゴルソンからそのテープをうけとった時、ミスター・ゴル 退見ながら左手を・ほくの顔のまえにさしだしつづけているのソンが注釈するようにい 0 た言葉を思いだす、このテープ だ。ぼくは鋪道を走ってくる・ハスを見、それに乗ろうとすの学生こそ、典型的な後退青年でしたよ ! る身ぶりを示した。 そしてぼくは、この現実世界のそこかしこにひっそりひ ていせい しんえん ろうとじよう ーーミスター・ゴルソンは一月たったら訂正の記事を新らいている暗黒の深淵への漏斗状の傾斜を身のまわりに感 どう れいたん び

6. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

増とん あったりすることはなかった。・ほくは、貧しい英語力で面りを殆どこの現実世界のあらゆるものに求めていた。それ 白くもない話し合いをアメリカ人相手にしている自分に苛に若い青年にとって性的関係とはそれが正常なものであれ だたしくなったり、なぜおれはここでこんなことをしてし 倒錯したものであれ、奇怪な無秩序を感じさせる他存在に ちつじよ るのだろう、という深い嘆きにとらえられたりした。そし盲目的な没入をおこなうことで、それに意味づけをし秩序 からた て、・ほくはたいていアメリカ人と一緒に仕事をしている日をあたえ、自分の躰の一部のように親しいものにかえる行 おおぎよう たいくっ 本人、それも三十前後の女たちが極度に大仰な身ぶりと表為なのだ。もしミスタ 1 ・ゴルソンと・ほくとの退屈しのぎ しろくじちゅう 情で四六時中叫びたてていることの秘密をさぐりあてた気の話し合いが毎日、毎日、永いあいだ続いたなら、・ほくは 持だ 0 た。あの、派手な眼と赤く大きい脣とで顔に痙攣発作的にミスター・ゴルソンと同性愛の交渉をむすぶか、 的なアクセントをつけた女子大卒の女たちは、決してそのあるいは、これも発作的にミスタ 1 ・ゴルソンと争って 心情にふれることのできないアメリカ人のまえで自分が埋— 0 を辞めることになったかもしれない。 むな ところが、ある月始めのこと、その前の月にアメリカ本 没して行きそうな虚しく無味乾燥な放心から自分をひきと めようとしているのだ。彼女たちは古い女たちと同様に仕国へ送った調査データがあまりにも貧弱だったために、お たいまん どれい りかえしミスター・ゴルソンあてにその怠慢ぶりを非難す 事への奴隷的な忍従を自己に課しているのだ。 る手紙が届いた。それはかなり手きびしい内容をはらんだ ・ほく自身にしてからが、現に面とむかって話しあってい る相手の、ガラスほど無神経な感じに澄んでいる眼ゃぶよ手紙であったらしい。かれは朝、オフィスに出てきてそれ いら ぶよしたゼリーに粉をふりかけたような顔と手の甲の皮を読むと昼まで部屋を苛だたしそうな早い足どりで歩きま 膚、高く細い鼻、それに突然まったく予想に反した音をたわって考えこんでいた。かれは歩きまわるあいだも煙草を あわ てる脣などを見つめていると、その相手の人間の心情に深のんでいるので、灰がかれの通路に点々とおちて淡くあい く入りこんでゆき、その相手の顔に人間的な統一感をとりまいな灰色の輪をつくった。ミスター・ゴルソンは午後に もどさせるためになら、簡単にいえば・ほくとその相手とに なってやっと決心して、かれのオフィスの従業員スんな そうじふ 人間的つながりを発見するためになら、同性愛の関係に入に、といっても掃除婦をのそいて、・ほくと女子大生とかれ はっさてき きゅうきよう りこんでもいいとさえ、発作的に考えることがあったもの自身とに窮境を演説した。 ミスター・ゴルソンの論旨はぎわめて明快であって、か ・ほくは二十歳になったばかりだったし、人間的なつながれは o—o の調査データを先月の三倍の分量毎月おくるこ わ

7. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

ひふきた こんだわけである。その部屋を・ほくの大学の仲間たちは、や、皮膚に汚ならしくしみついてぬぐいとれない影のよう 後退青年研究所とよんでいた。正しくは、ゴルソン・インな陰気さにたいして、無感覚といってもいいくらいだった タヴィ、ー・オフィスという名称をもってはいたが、このし同情的な気分になったりすることは、まずなかった。そ ごうまん を誰ひとりその本来の名においてよぶものはいなかれでも、 o—o が日本人にたいして優越者としての傲慢さ ったのである。結局ミスター・ゴルソンの質問は、なぜきを誇示する種類の研究所であったなら、そこへおずおずと ひだ みは後退したのか ? という問いにおわったし、みんな、 自分の心の暗い襞のあいだのしこりをあらわにして見せに なぜ自分が青年の身で後退をよぎなくされたか、を告白しくる同胞をさばく仕事などはひきうけなかったろう。むし ちんうつ にきたからである。 ろ自分も、その沈鬱な告白者となって学生たちの行列のう それは朝鮮動乱が終ったあとのかなり反動的な安定期でしろにうなだれて帽子を胸にかかえたまま続くことをえら あった、学生運動にとっても中だるみのエアポケットのよんだろう。 うな一時期で、学生たちはその社会的な関心をソヴィエト しかしゴルソン氏は標準的な明るい米人で短い油煙色の くちひげ 民謡を合唱することで代償していたし、一「三年間の激しロ髭こそ生やしているが、まだ三十歳に達してはいない男 い学生運動のさなかに傷ついた学生たちが復学して憂鬱でだったので、・ほくはあまり深刻なコムプレクスはなしに、 陰気な、年をくった学生としてその傷口をなめてみていたかれのオフィスにつとめることができたわけである。日本 ぼうじゃくぶじん 一時期であった。 にきている米人インテリには、奇妙に戦闘的で傍若無人な おんこうとくじっ そして、この傷ついた学生運動家を主な調査対象とする連中と、うってかわって温厚篤実な連中とがいるようだ こくせき 研究所が、東京大学のすぐ傍にアメリカ国籍のある若い学が、・ほくらがミスター・ゴルソンとよんでいたシカゴ生れ 者によってひらかれ、それは毎日かなりの人数の、いわゆの社会心理学者は、その温厚篤実ながわの代表とでもいう る後退学生を吸収していたのである。始めは、たんに次の・ヘき人物であった。 ような広告を大学新聞にだしただけで、多くの傷ついた学 ・ほくには、今にいたっても、あのミスター・ゴルソンが 生がやってきたのだ、〈学生運動を離れた旧活動家の学生なぜ日本に来て傷ついた学生の精神傾向を調査する仕事に をミスター・ゴルソンが待っていますー〉 たずさわることになったのか、はっきりこたえることがで ・ほくはアル・ハイト学生としてそこにつとめていた。・ほくきない。また広い見地からいえば、ぼくは今もなお、あの は二十歳にやっとたっしたばかりで、青年の憂鬱な表情朝鮮動乱のあとの一時期に多くのアメリカ人たちが日本の

8. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

くっせつ った女子学生にとってもおなじ事情であったのではないか 学生の屈折した心理に関心をもち始めたのか、はっきりは わかっていない。社会心理学のいかにもアメリカ的な方法と思う。オフィスで、・ほくはこの背が高すぎる痩せつ。ほち ゅううつ によって日本の学生たちを調査し、その結果を、あのアメの女子大生が憂鬱から解放された表情をうかべるのを一瞬 リカ人たちはなんのために役たてようとしていたのだろたりとも見たことがないけれど、東京大学と東京女子大学 が合同で開催した、歌と踊りの大集会というもよおしで、 極東における反共宣伝の一つの基礎固めの方向に、あの偶然出会った時のわが憂鬱な同僚は、頬をじつに胸をうつ ばらいろ こうふん アメリカ人たちの調査がふくまれていたのだ、と一般的に意外な薔薇色にそめており昻奮していてとめどなく短くか なっとく んだかい声で鳥がさえずるように笑ってばかりいた。そし 解釈することは一応人を納得させる要素をはらんではい る。しかし、・ほくのっとめていた (-5—0 については、少なて翌日、ある種の期待と奇妙なはずかしさとを心こ、 ないぶんびつ てオフィスに出勤した・ほくは、あいかわらず内分泌異常を くとも反共宣伝につながって行きそうな印象はミスター まゆね 思わせる憂鬱を眉根によせた深い皺にあらわした女子大生 ゴルソンからあたえられなかった。 ゴルソン・インタヴィュー・オフィスはアメリカ本国にを再び見出したのであった。 での仕事は、きわめて憂鬱な性格のものであった 毎月、調査データを送っていたが、それはミスター・ゴル ソンが卒業したか在学中だかの、東部の大学の研究所あてわけである。・ほくは一度、ミスター・ゴルソンから、日本 にであって、アメリカ国務省とか議会とかとは直接の関係での仕事が一段落したら台湾か南鮮で同じ仕事をやるつも がなかったようである。もっとも、そのオフィスで働いてりだからそれを手伝いに一緒に日本を出ないかと熱心にす いたあいだ、・ほくが一種の自己嫌悪からオフィスの機能やすめられたことがあるが、その時はきわめて乗り気になっ ざせつ れいたん たものだ。そして南鮮で朝鮮人の挫折した青年たちをイン 所目的にたいして冷淡であり、深く知ろうとしなかったとい こつけい タヴィューしている夢さえ見た。夢のなかでは滑稽なこと 研うことも一方にはあるわけだ。・ほくはオフィスにいるあい 青だ、そこへ訪ねてくる学生たちとおなじようにきわめて鬱に・ほくがミスター・ゴルソンの役割をはたしているばかり どれい 屈した気持であ 0 た。その反面、大学の教室に出ているあか、片手に鞭をも 0 ていて告白する青年を奴隷をむちう 0 いだは、理由もなく希望にあふれているような感情、いきたようにびしり、びしり殴っているのだった。これは、表 面非常におだやかな調査室のようにみえた O—O にも、結 いきした解放感があった。 それはミスター・ゴルソンの通訳およびタイ。ヒストであ局は傷ついている青年の傷口に指をいれて職と肉のあい けんお うつ むち しわ ほお

9. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

だをひっかぎまわすような不人情さがひそんでいたためか いのが通訳兼タイビストの女子大生で、彼女は机にむかっ * むしゅん じっせん もしれない。それを・ほくの潜在意識が感じとっていて、たてきちんと腰をおろし、文庫本で《矛盾論〉や《実践論〉 またま夢のなかであかるみに出したのだろう。 を読んでいた。それも、とくに思想的な意味あいをまわり ・ほくの仕事の中心は、インタヴィ、ーをうける学生のの者に感じさせる本の選び方であ 0 たということはでぎな 。その一時期は、女子大で毛沢東がロマン・ローランの 許調べと、インタヴィューが終ったあと学生に謝礼をはら うことであった。謝礼はインタヴィュ 1 一時間につき五百ように愛読された一時期であったからだ。 円で、ミスター・ゴルソンはたいてい二時間のあいだイン調査に応募する学生がやってこない時、ミスター・ゴル タヴィュ ーがつづけられたように伝票を書いてよこした ソンは通訳兼タイビストと話すかわりに、ばくのいる受付 し、本来は大学にかようための定期券があるため不要の交の部屋まで雑談を交わしにきたものだった。それは、女子 はとん 通費まで学生の現住所からわりださせたので、学生たちに大生がきわめて無ロで殆ど自分の意見をのべなかったのと とってこれは悪いアル・ハイトではなかった。ただ、特別な ( それは異常に感じられるほどに徹底した無口さであって、 場合をのそいて二度このアル・ハイトに応募することはでき ミスター・ゴルソンに自分の意見をのべることが、あたか ざせつ ということと、近い過去に学生運動への積極的な接も自分もまた、その挫折について告白しにくる傷ついた学 近と後退という、思想的な劇がおこなわれた人間でなけれ生たちとおなじ存在に変えてしまう、とでも思いこんでい ばならない、 というところに、それも思ったほどではない る風なのだ ) ミスター・ゴルソンの方でもこの女子大生を にしても、一般的なアル・ハイトとしては難点があったわけ いくぶん煙たがっていたからだろう。・ほくとミスター・ゴ にんごう である。 ルソンとはオフィスの窓から本郷の大学の高い樹立を見や りながら、できるだけビジネスに関係のある話題、やって そこで、 (.5—0 を訪れるアル・ハイト学生の数は、・ほくが こない後退青年をめぐる話題をさけ、自然とりとめのない そこにつとめ始めて数箇月たっとめだ 0 てりはじめた。 ことばかりを長い時間話しあうのだった。 ・ほくは一日中、ひとりの学生の名もカードに記入しない日 があったし、ミスター・ゴルソンは退屈しきり悲しそうに こういう自由な会話をつうじて、・ほくはこの赤貧白人の むすこ しようがくしきん 眉をひそめて部屋のなかを熊のようにぐるぐるまわったり息子として奨学資金をえ大学に入った男が、決して・フリリ して時をすごすことがあった。そういう成績不良の日にアントな才能をもってはいないにしても、きわめて深く日 ふきげん ざせつ も、決して苛だったり、不機嫌なそぶりを示したりはしな本の挫折青年に関心をいだいていることを知ったといって プア・ホワイト こだち

10. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

の時不意に・ほくが心にうかべたこと、それは後退青年を、 たという印象とか、また、多くをしゃべりつくしたあとの ざせつ こうふん けんお なにか傷ついて挫折したような告白をする青年を・ほくらの疲労感と昻奮から紅潮した皮膚に後海とか自己嫌悪とかの しめ 手でつくりあげること、簡単にいえば、任意の学生たちを暗く湿っ。ほい汚物がまといついているのを見なくてもよく にせ しば、 後退青年にしたてて— 0 へ贋の告白をしにこさせるとい なる筈である。なぜならすべてはお芝居にすぎず、かれは うプランだった。そしてそれは思いついてみればな・せ今ま《傷ついた青年》ではないのだから。 でそれについて考えなかったかわからなく思われるほどの ・ほくはミスター・ゴルソンに、・ほく自身が明日、大学で 良いプランであると思われた。・ほくらはいままで、学生運インタヴィューの応募者を個人的にあたってみて何人か見 動に、あるいは党活動に深く入りこんで働き、その後、政つけてこよう、それも学生運動に何年か前、はなばなしく 治的・思想的な挫折を実際に体験した、《傷ついた青年》たずさわっていた青年、典型的な後退青年を見つけてこよ からその傷の告白をうけてきたわけである。そして、・ほく うと約束した。 らは、少なくとも・ほくと通訳兼タイ。ヒストの女子大生は 翌日、・ほくは教室のあいだを駈けまわり、また研究室や 《傷ついた青年》から告白をうけることに、・ほくらの心のサークル部室にも顔をだして、・ほくの狙いを説明してまわ 内部にもったわる、ある痛みを感じてきたのであり、また った。任意の学生、それでも一一三年前の学生連動について 《傷ついた青年》はみずからの傷を告白することに、ある くわしく知っている学生、そしていかにも挫折を体験した からだ 痛みどころか決定的な抵抗をのりきってしか・ほくらの という印象を躰のまわりに立ちめぐらせている学生がよか はす 0 にあらわれなかった筈である。思ってみれば、ほんとうった。希望者は多く、・ほくはそのうちから十人をえらん の後退青年が O—O にやってきていたこと自体、きわめてだ。みんなについてはよく知っていた。そしてかれ 異常な非人間的なことだったのだ。 らも、・ほくと同じように、後退青年研究所が・ほくらの演技 ・ほくの新しいプランでは、任意の無傷な学生にちょっとの結果、まったく不正確なデータをせおいこむことを愉快 っこ。・ほくらはおたがいにいいあったものだ、アメリカ した演技をもとめればよかった。しかも・ほくはその青年が 隣の部屋へインタヴィューを受けに入って行くのを見おく人ごときが日本のほんとうに《傷ついた青年》の傷に指を しんえん りながら、あたかもその青年が暗黒の深淵に入りこんで行っつこんでひっかきまわすことができると思っているな りようけん くのを見おくるような動揺をうけることはなく、またインら、とんだ料簡ちがいだよ、おれたちの気まぐれな告白遊 タヴィューをうけて出てくる青年の顔から、うちのめされびが、あいつらの学問の根本をかたちづくるとはね、など おぶつ