谷川を跳びこし、向う側の草地を駈けた。朝鮮人の少年はれでも満足して口をつぐんだ。朝鮮人の少年は南から僕へ からだびんしよう 大柄な躰を敏捷に起し、攻撃にそなえる姿勢をとって、僕まぶしそうな眼をむけ、それから僕の赤く腫れあがってい にら る鼻孔へ注目した。僕もまた、相手の広く平べったい顔の らが近づくのを睨みつけた。 あおぐろ 「手伝ってやる」と僕は腕を振って叫んだ。「その石重い上のいくつかの蒼黒いしみを見かえした。僕の闘いの相手 は脣に笑いをうかべた。 だろう、手伝ってやる」 「一人で運べるものかよ」と南もいった。 「お前、何ていうんだ ? 」と僕はあわてていった。「え ? 」 ごんわく 増おしよう 少年は僕らを疑り深い眼で見つめ困惑した表情を厚・ほっ「李」と少年は自分の頬に性こりもなく浮んで来る微笑を くちびる わらあ たい脣からしだい冫 こひろげた。僕と南はだまし撃ちの意まぎらすためにうつむき、はだしの足にはいた藁で編んだ そうり つまさき 図のないことを腕をたれて誇示しながら少年へ近づいて行草履の爪先で柔らかい盛土の傾斜へそれを書いて見せた。 しゅうちこうふん った。朝鮮人の少年はおそらくは羞恥と昻奮から真赤にな「ああ」と僕は喉の奥であいまいな返事をしたが、その実、 った。僕らは彼に手をかして石を連んだ。土盛りの上へう少年の引く線が形づくる一個の文字の美しさに感心してい まく石が安定すると熱い吐息をついて僕ら三人は腰をのば た。「李か」 し向いあった。僕らはみんな不意におとずれた手持ぶさた「朝のこと、俺はなんとも思っちゃいないぜ」と李がうつ に困惑し、ぎこちなかった。 むいたままいった。 「お前の家だろ、赤い紙の旗たててたの ? 」と南が喉にか「俺もなんとも思っちゃいないよ」と僕もいった。 らんだ声で照れくさがりながらルねた。 僕らは眼を見つめあい意味もなく笑った。僕は李をすっ 「お袋が死んだのか」 かり気にいってしまっていることに気がついていた。 「お前たちも埋めたのか ? 」と李が南に親しい人間同士の 撃「父」と朝鮮人の少年はゆ 0 くり脣を動かしながらは 0 仔 きりいった。「俺の親父が死んだんだ。お袋は、村の連中ようなさりげない声で問いかけた。 「誰かが死んだんだろ」 しと一緒に逃げ出した」 「仲間が一人」 芽「な・せお前、逃げなかったんだ」と南がいった。 「親父が死んでそのままだから、俺は逃げなか 0 た」と朝「他にも一人、だ人の女が土蔵で死んでる」と僕は不意に 思い出してつけくわえた。「村で三人死んだというわけだ 鮮人の少年はいった。 、結局そな」 「ああ、親父がな」と南は不得要領な調子でいし のど たたか
やがて若者はたかく鞭をふりあげ、あざやかに 8 の字をが、ひらひら踊り子の手のようにゆらいでいる。その向う きり、道の両わきを交互に打って馬をすすめる。しばらくに、高い赤土の崖があり、地層の縞目が・ほんやり浮んで見 あらかんぼく 行ってから、振向いて言った。 えていた。ところどころ粗い灌木のしげみがあるほかは、 いわはだ 「親父、なにか食いものを分けてやれよ、町につくのは明よごれた雪と風化した岩肌がただどこまでも重なりあっ 日の朝だ。」 た、深い山ひだの中である。星の重さで黒い空がたわみ、 から だがそのときにはもう、二人の男は積みあげてあった空振向くと爪の跡のような月がかたく光りながらの・ほってく なんきんふくろ の南京袋にもぐりこんで、物のように眠りこんでしまってるところだった。そしてそこに、一本、いままで気づかな しる かった松の巨木がそびえている。見わたすかぎりで、ただ 一本の樹である。急に久三はすすりあげていた。 ほうっておけば、二人は、いつまでも食べやめなかった 陽が沈んでから、一度、馬車がとまった。年寄りが久一一一だろう。高が三枚半、久三が四枚目を食べておえると、若 の寝息がしなくなったのを案じて、若者に注意したからで者は火を消して食糧をいれた柳の籠に蓋をした。若者は親 ある。久三のロもとに耳をよせて、まだ完全には息絶えて切な心の持主であった。 いないことをたしかめてから、若者は道ばたに火をおこし だが一晩あけて、二人が目をさましたのは、どこか屋根 はいお ~ 、 て湯をわかし、二人を外にかつぎだした。ゆすっても、なのない廃屋の中である。すでに午後の日ざしが傾き、影が ぐっても、目をさまさない。強い酒をふくませると、やっ下から壁をつたって一メートルちかくもいあがって、 ま ) こわく と意識をとりもどした。冷たく凍った煎餅を火にあぶり、 た。床も柱もドアも窓枠も、材木をつかった部分はすべて れんが 味噌をぬ 0 て食べさせる。にんにくをかじらせ、熱い湯にとりはらわれてしま 0 ている。むきだしの煉の空にかこ 酒をたらしてすすらせる。二人は半分眠りながら、むさぼまれた五、六坪の土間には、一面にこわれた瓦やコンクリ り食った。いっぺんなど、久三が、まちがえて自分の指を トのかけらがちらばっていた。 咬んでしまったほどである。叫び声をあげ、そのときはじ はじめに目をさましたのは久三だった。どこにいるの くちびる めて周囲の光景に視線があう。頬がこけ、唇のとびだした か、どういうことがおこったのか、まるで見当がっかな 目の大きな老人が、貧乏ゆすりしながら、筋ばった厚い指 。体じゅうが重っ苦しく痛み、自分の寝ている姿勢さえ できせるの頭を焼いていた。表が赤く裏が緑のほのおの膜分らない始末なのである。こわれた窓の外に一本の樹がた 二十二 むち はお チェ / ビン しまめ かごふた
152 毛布も、どこにかくしたのか、さがし出すことができない で得意そうに言った。 「この荷物は、ほとんどが、閣 のだそうである。 下の私物なんだ・せ。」 「兵隊が : : : 盗ったんだ : : : おれじゃない : : こ若者は弱 若者は泣きつづけている。それを靴の先でこづきなが 弱しく機械的につぶやく。きっと同じことをもう、何度もら、残った兵隊たちが、動きだしたトラックにむかって一 くりかえしてきたことだろう。つぶやくたびに、唇の端か斉に挙手の礼をした。 ら血がにじみ出た。 じようだん 白が声をひそめて、なにか言い、冗談だったらしく、く 第四章扉 すくす笑いながらトラックのほうに歩きだした。高も笑っ た。笑いながらもう一度若者の顔をまともに蹴りつけ、自 分もよろめいた。若者は声をあげぶくぶくと血をはくと、 二十五 いっしょにはきだされた白い歯が赤い紐の先にたれさがっ ふんすし こ 0 そのこわれた噴水は、周六十メートルばかりの干上った 「君も、やるか ? 」息をはずませて、高が久三をうなが池の中心にあり、遠くからみるとちょうど軍艦の砲塔のよ す。兵隊の一人が親切に、若者の指を踏みつけ、動かない うな形をしていた。下のふくらんだ部分が、空洞になって ようにしてくれた。久三はあわてて首を横にふり、後ずさ いて、頭がっかえる不便をべつにすれば、なかなか住み心 っこ 0 持よさそうである。昔は内側に電球をつけ、とびちる水を の壁に厚い 白少将が久三たちを呼び、エンジンがかかった。若者が五色に染めわけていたのだろう、コンクリ 1 ト 泣きはじめた。兵隊たちが手つだって高と久三をトラック色ガラスをいくつもはめこんであり、それがいまは窓の役 のうえに押しあげてくれた。ぎっしり積みこまれた荷物の目をしてくれるのだ。太陽の移動につれて、五つの色が、 あいだに、運転台ちかく、二人分の寝床が用意してある。交錯しながら次々に光り、時をつげてくれる。はじめは 白は連転台に、将校の一人と従卒と兵隊四人が後ろの上青、それから赤、緑、黄とうつって、夕方紫になる。広さ ちょう り口に陣どった。最後に一梃の軽機関銃がつみこまれて準は・せんぶで一坪半弱、床は泥まじりの砂だが、よく乾いて とびら 備がおわる。布をかぶせたヘッド・ライトがっき、門の扉いた。 がひらかれた。水筒を一つ手わたしてくれて、従卒が小声もっと都合いいのは、入口が直接でないので外からは見 ひも くちびる とびら くっ
あひる かっこう ラブ人は追いたてられる家鴨のような恰好で小宴会場の中写真が一段落すると中年男は次の命令を発するまえに、ぼ 央に進み、かかえていたアラビア模様の一米四方ほどのくらの反応をにこにこして見まわし、再び厳しい顔に戻る じゅうたん と、アラブ人にむかって叫んだ。そして、また新しくアラ 絨毯をそこに敷き、その中央に長い両腕をたれて立っと、 きそうてんがい 全身これ耳という具合で、背後の独裁的健康法指導者の命ブ人のあわただしい動きと、奇想天外なポーズによる静 止、ゆったりした薄笑い、というコースがくりかえされた 令を待った。 わけだ。 そこで中年男は、再び・ほくらに愛想よく微笑し、 「カメラの方は前へどうそ。おもしろいポーズがありまし はじめ中年男の報道陣とアラブ人とへの態度の極端な変 たら、おっしやってください。その姿勢のままいつまででり方に不愉快な感じをうけていた・ほくも、アラ・フ人の薄笑 へいこう も続けさせますから ! もちろん、くりかえしてもいいで いを眼にしてからは、なんとなく心理の平衡がとれたよう で、結局、素直な見物人の役割にまわっていた。やがて中 すよ。いちばん気にいった所をとってください」といい ぎようそう そして青ざめた善良な鬼のような形相に戻ると、アラ・フ人年男の命令の言葉も、アラビア語とかスワヒリ語とかいう になにやら叫ぶのだ。 ものではなく、単なる英語にほかならないことがわかっ アラブ人はまず、・フルッと震いした。それからそそくた。中年男はこんな風にくりかえし叫びたてていたわけで さと左足だけに体重をかけて片足立ちになると、右足を頭ある。エンダ・ハニンギ、ファースト・ポーズークイック リ . 1 ー クイックリー ! ヘイ、ユー、ザ、ネクスト・ポー の上から肩のつけ根へとまわしてしつかり載せ、両腕をう ードンチュ ・アンダスタン ? クイックリー、 しろにさしだすと自分の右足の腿を赤ん・ほうを背負うようズ びげ エンダ・ハニンギーそこでは・ほくには、エンダ にしつかりと抱きかかえた。そしてアラ・フ人はその鬚だらックリー、 ・ハニンギというのがし 、まオレンジ色のパンツの下からプ けの小さな顔をいくぶんかたむけると、ぎっと眼をみはっ ゅうようせま て・ほくらを見つめ、突然、意外にも、悠揚迫らぬ薄笑いをルーのサポーターをちらちらさせて時に奇怪な味のする体 しった 浮べたのである。いまこそが、中年男の叱咤する声に怯え操をつづけるアラブ人のことだとわかった。 ることのない唯一の時だ、ということを確信し、一種の気 この日、 * * ホテルの小宴会場でエンダ・ハニンギ氏がく 分的な報復を中年男におこなっているとでもいう薄笑い りひろげたアラ・フの健康法のポーズをいちいち紹介するこ カメラを持った者らは一斉に写真をとり、・ヘンと手帳しとはさけるが、それでも二、三のポ 1 ズについては書いて か持っていない残りの大多数はなんとなく溜息をついた。 おきたいと思う。アラブ人がしやがみこみ子供の拳ほども メートル ためいき おび こぶし
か一点にじっと目をすえ、中腰になって、あたりの気配を部下たちが駆去った。 ようす いま急に目を覚ま「すぐ戻らなけりゃなりませんー」 うかがっている。その落着いた様子は、 と助士がくりかえした。 したのではなさそうだった。 ぎびす 前の車輛に乗っていた輸送指揮官と数名の兵士とが、す指揮官は黙って踵をかえし、客車に戻って一般乗客に呼 かさず飛び降りて機関車のほうへ走りだした。同時に機関びかけた。 ふりよ 士と助士の二人もこちらへ駆出してきていた。トラックを「皆さん、不慮の事態がおこりました。列車はただちに引 返さなければなりません。部隊はここから目的地を変えて 積んである無蓋車のところで出合った。 長春に向いますが、引返すことを希望のものはこのまま残 「どうしたー」と指揮官が叫んだ。 っていて下さい。長春に行くことを望むものは、われわれ 「見ましたか ? 」と助士がふるえ声でたずねた。機関士は と一緒に来て下さい。四時間歩けばまた汽車に乗れます。 ただ荒く息をはずませている。 以上、司令部からの申し伝えです。」 「信号は見た。」と指揮官がうなずいた。 誰もがすぐには決めかねた。二年間待ちに待った出発だ 「すぐに引返さなければなりません。」と助士がせきこむ。 ったのである。一時大混乱におちいった。頭をかかえてし 、三、二の合図です。危険がせまっています。」 やがみこむものもいた。しかし結局、一人が意を決して外 「あわてることはない、部隊が同乗しているんじゃないか に出ると、つづいて一人、また一人と、結局体の弱いもの す それにあの信号地点はここから一キロくらいのものだ ざ を除いた大部分が長春行きに変更することになった。長春 な。伝令がくるまで待ってみよう。」 に出れば、そこから先はまたなんとかなるだろう : を「来るか来ないか、そんなこと分りはしませんよ。向うに 久三も降りるつもりだった。いまは証明書もあるのだ 故どんな事情があるやら : : : 」 ぢ「それにしても君たちは、すこし余分に汽笛を鳴らしすぎし、金もある。本線でいこうと支線で行こうと、久三にと っては同じことなのだ。いそいで毛布をひろげ、縄でしば たようだね。」 の って荷物をつくりなおすと、うながすように汪をみた。 も助士は黙った。指揮官が振向いて部下に命じた。 一「三分隊はただちに戦闘位置につけ。四、五分隊汪は、「まあ待て。」というふうにうなずいて久三を制 せつこう は荷下し作業。それから君は三分隊の兵二名をつれて斥候し、身じろぎもせずに洗面台にあぐらをかいたまま、先を 争って駆け出していく乗客たちを冷やかに見送っている。 に出てほしい。」 こ むがいしゃ
久三は汪を指導者たちの一人だと見ていたから、その落着すこし一人でしゃべりすぎるんじゃないのかね。君は助士 きをべつに怪しみもしなかった。 だろう。私は、あの信号命令は、機関士だけが受けている 部隊はすでに配置についていた。しかし荷下し作業は難と聞いていたんだが : : : 」 じゅう 「じゃあ、機関士と話したらいいでしよう。機関車の中じ 渋をきわめている。トラックがこの部隊の第一の生命なの や・ほくが助士だが、組合に戻れば・ほくが副委員長で上なん だが、足場がないのでうまくおろせないのだ。人間がかっ ぐよりほかなかった。二十人が貨車の下に背をこごめ、おだからね。まあ、いま呼んできてあげますから、とっくと し出してくるトラックの重さにじっと耐えている。 話してみて下さい ! 」 「出発しなけりゃなりません ! 」と助士が叫んで繰返し助士はすっかりの・ほせ上った様子で、跳ねるような足ど た。機関士は運転台に戻ってしまったらしくてもうここに りで機関車のほうへ駆出していった。 よ、よ、つこ 0 乗客たちがトラックの荷下しを手つだいはじめた。一台 「こういう場合にそなえて、足場を用意しなかったのは、 目がすでに半分がた引出されている。残りの人数が二台目 たいまん に手をかけている。 君たち駅手の怠慢だ ! 」と指揮官も黙ってはいない。 「それは機関車乗務員の責任じゃない。」 最後の一人の後を追って久三が出ようとすると、汪が手 「そんなら黙っていなさい。」 をのばして久三の肩をつかんだ。 「われわれは司令部の命令を受けているんですからね。こ 「あわてることはないって、おれに委せておけ : : : 」 の貨車には絶対に敵の手に渡せない重要物資が乗っている その語気が妙なので、最初の予感が当ったように思い んだ。ソヴ , ト関係の依頼なんですよ。だからこそ、ああはっとした。汪は強く久三の肩をおさえたまま、じっと外 せんけんたい して先遣隊までだして、この列車を保護しようとしているの様子をうかがっている。 かん んじゃないですか。とにかく三、二、 三、二の信号をみた助士が運転台に戻ると、機関士は罐の前にじっと頭をか ら、なにをおいてもすぐ帰るのが : : : 」 かえこんでいた。助士ががたがたふるえながら言った。 「われわれだって司令部の命令をうけている。三、 「準備しろよ、もうじきだぞ ! 」 二の信号をうけとったら、ただちに積荷を下ろして、部隊「本当にやるのか : : ? 」と機関士がうめいた。 なっとく ふた をととのえなけりゃならんのだ。それに、私はすこし納得「当りまえさ。」と助士が罐の蓋を開けた。 がいかんのだがね。な・せ伝令が来ないんだーそれに君は機関士もふるえながら立上った。汗をぬぐいながら、 なん ようす
すき ばくが用件を話しはじめ、そろそろ内容が分りはじめる困難なことでしたが、その隙をねらってあらゆる機会に集 あわ くちびる と、弁護士は急に慌てて唇に指をあて、「小声で小声で、」めた紙きれに、あらゆる機会を利用して次のようなビラを と言いました。話している間中、彼は不安そうにキョロキ三十枚ほど書いたのです。 まっさお ョロ、話し終った時にはもう真青になっていました。「そ〈ア。 ( ートの諸君、ならびに良心と理性をもったあらゆる れだけですか。」と弁護士はかすれた声で言い、立上 0 て市民諸君。これは奇怪な侵犯を受けた諸君の一友人のな ぼくの腕を取り、追い立てるようにしながら、「そのことる訴えである。 とつじよ でしたら、お気の毒ですが、御役に立つわけには参りませ私は不当にも未知なる一家族によって、突如住居を奪わ あなた ん。私たちには貴方を守る力がないのです。現に、」とい れ、全生活を支配されるに至 0 た。私は一。の自由を失 っそう声を低め、「私からしてが闖入家族に襲われている 、餓死寸前にある。しかも私は労働によって彼らを養わ んですからねえ。御覧になったでしよう、十三人もの家族なければならないのだ。こうした不当なことを、彼らは多 です。貴方のように独身の場合ならともかく、私のような数決という美名にかくれ、家族の人数をたのみに、合法的 家族持ちは悲惨ですよ。女房は子供を連れて出て行ってしに押しつけてくる。諸君、こうした非合理が許されるとし まうし、いや、彼らに追い出されたと言ったほうが正当でたならば、社会は破減以外にたどる道がないではないかー くび しようね。その上使用人たちは全部馘になり、私は秘書か私一個の問題ではない。明日に待ち受けている諸君の運命 ら小間使いまで一人でしなけれやならん始末です。一月のである。私たちは団結してあの不当なる多数と闘わなけれ 間に三十キロも痩せました。もう一月ほどで、きっと体重ばならない。とりわけ、部屋代の値上に反対して立ったア がなくなってしまうでしよう。」別れぎわに・ほくは相手の 1 トの諸君、より本質的な自由のために、もう一度団結 手をにぎって言いました。「友達になりましようよ。」しかしようではないか。諸君の団結は私を守ってくれる。そし 者し彼は悲しそうに首を振って、「いや、もういらっしやらてそれは同時に諸君を守ることでもあるのだ。 入ないで下さい。」 愚かにも無意味なる多数をして、真の多数に代らしめ 闖 問題は、誰が猫に鈴をつけるかということでした。ビラ を賺る余裕は全くありませんでした。しかし、次の給料日 それはぼくの最後の努力でした。 帰 0 てくるごとに厳重な身体検査を受けるので、配めてもせま 0 ており、ここで決定的な手を打たないと、また一
さっそく っていました。どうぞ、まあ、こちらに。早速わたしたげると、 幻ちの温室を見てやって下さい。美しく着飾った有名人の家「おや、これは私のナイフだ。ああ、そうそう、あの焼跡 の時でしたな。」 族連が、はるばる参集の予定なので、これ、このとおり、 植物たちも着飾りました。葉を一枚一枚ていねいに磨き上きっとコモン君は完全に疲労しきっていたんだね。それ げ、その上ごらんの通りのテープ、万国旗。ひとつ、今日にしても、こんなに間のぬけた、こつけいな結果に終ろう ちょっと は一日にぎやかにやりましようー ( それから一寸声をひそなどとは予想もしていなかっただけに、驚いて、驚きから さび めて ) あなただってこれなら淋しかないでしよう。立派な立直る力は、もはや無かった。ナイフを取られてしまった かっこう もんですよ。なかなか良い所でしよう。はつはつは、やつのに、まだ突出した時の格好そのままで、手を引込めるの も忘れて・ほんやり立ちつくすばかり。ああ、コモン君、君 ばり、賭は私の勝でしたなあ。」 が間違っていたんだよ。あの発作が君だけの病気でなかっ 広々とした温室だった。スティームがほどよく通って、 たばかりか、一つの世界と言ってもよいほど、すべての人 ガラスは汗をかいている。コモン君もぐっしより汗をかい てしまったよ。しかし、ナイフをしつかり握りしめて、相の病気であることを、君は知らなかったんだ ! そんな方 変らずがたがた慄えていた。そり反え 0 たのや、いじけた法で、アルビイ = を・ほすことは出来ないんだよ。・ほくら のや、とろけるように垂れ下ったのや、重そうに腰を折 0 みんなして手をつながなければ、火は守れないんだ。 「アル・ヒイエ、俺の負けだった。」 ているのや、光ったのや、けば立ったのや、つるを噴水の 「負け ? それに私はアルビイエなんかじゃありません。 ように中空に走らせているのや : : : 、す・ヘての植物がコモ 勝つも負けるもないじゃありませんか。」 ン君を暗い悲しみにつきおとすのだ。 ふんむき 折よく、噴霧器で何かを撒いていた二人の男が出てゆ「あなたを殺すつもりだった。」 き、温室には園長と、コモン君と、もう一人反対側の隅「とんでもない。まあ、デンドロカカリヤさん。こうなっ かきもの た以上、あまり手間取らせないで下さいな。植物にとって で、せっせと書物をしている助手との三人だけになった。 コモン君はあたりを気にしながら、ゆっくりナイフを突ぎの晴の日じゃないですか。絶対にあなたの為です。政府の 保証つきですよ。」そして奥に居た助手を呼んだ。 出した。 「君 ! デンドロカカリヤさんの仕度だ。場所に案内し 「アル。ヒイエ、最後だー」 すると園長は不思議そうに、ナイフを一寸つまんで取上てくれたまえ。」 かけ りつば ふんすい おれ ほっさ したく
大きな・フローカーで、大兼のいい取引相手だということな どを知ることができた。しかし趙は、大兼のこんどの瀋陽 訪問については、あまりいい感情はもっていないらしかっ 日暮れちかく、二台の馬車が、瀋陽の郊外を南にむけてた。「あんたが海のほうをおさえているのなら、陸をおさ むち 出発した。馬車夫が鞭をならして馬を急がせる。日が沈むえているのは、私だからね : : : 」と趙はさも愉快そうに笑 うのだ。しかし本心から愉快がっているのでないことは、 までには、戒厳令の及ぶ範囲の外に出てしまわなければな 久三にもすぐ分った。「それじゃ、今度は、あんたが東光 らなかった。 ねすみ 遠のいていく平たい鼠色の町の上に、巨大な給水搭の頭丸に遊びにくる番だ : : : 」と大兼がさりげなく受け流そう がタ日をあびて赤く輝いている。久三はその下にいるにちとする。「いいや、私は船はきらいだよ。」と趙は妥協のい 、よ、、犬殺しの少年のことを考えつづけていた。たぶろもみせずに言いきった。 そうでなくてさえ久三は緊張していた。話がとだえたす んほかには考えるものが思いっかなかったからだろう。 大兼は空を見上げて、不平を言いつづけていた。天気のぎをみて、急いであいだに割りこんだ。 せいで、出発の予定を一日繰上げたのだった。朝からどん「日本、どんな具合ですか ? 」 より、変になまぬるい風が吹いていた。上流の氷がとけ「そうだな : : : 」と大兼も趙の厭味からのがれられたこと ようす すて、河があふれるおそれがあった。おかげで何か、大事なに、ほっとした様子で、手袋をとり中指の大きな名前入り め品物を仕入れそこねたということである。 の指輪の具合をなおしながら、「まあ、一口に言えば、一 郷一行は馬車夫をのそけば、全部で六人だった。後ろの車面の焼野原さ : : : おれが出てきたときの大臣の名前は、え 故に大兼と久三、それに色が白くて目の小さい趙という中国えと、片山っていったつけな : : いやもうあれは止めたか : まあ、船に行けば、日本の新聞があるよ。なかにい ち人。前の車にその弟と、たくましい体つきの二人の使用人な : のが乗っていた。趙は日本語が下手だし、大兼は中国語が下ろいろと書いてあらあ : : : 」 手なので、久三がときどき通訳してやらなければならなか「桜の木も、焼けたんでしようね。」 け った。 : 桜なんて、おめえ、どうってこともないじゃ 二人の話から久三は、馬車の積荷が、油や、砂糖や、木ねえか。」 1 めんたんもの 綿の反物や、薬用アルコ 1 ルなどであり、趙兄弟は瀋陽の 「ぼくはまだ、見たことがないんですよ。」 た。「すぐにふとんをたたんで、隣に返してこい へた
「どこもかしこも、鼠だらけだよ。」久三の声もぶよぶよて、玄関の上のむき出しの赤レンガの上に、大きな赤い星 をうちつけた。 として水っぽい。 「情けないことになったねえ、情けないことになったねえ久三たちのことは、案じたよりも簡単だった。若い軍医 が呼びよせられた。軍医は簡単に傷口をしらべ、脈にふ ・ : 」と母親が繰返した。 どうこう ドアを開けはなった。風がやんで、ひどくむし暑くなれ、瞳孔をのぞいてみたあと、なにか久三に質問してき こ 0 り、いやなにおいが部屋中にこもっていた。傷口がくさり はじめたのかもしれない。 「ロシャ語は分らない。」と久三は下手な英語で答えた。 長いタ暮がはじまった。どこかで自動小銃がエンジンの しかしそれでも英語だということは通じたらしく、アレ ようにうなっている。 クサンドロフが通訳を買ってでた。さいわい、久三と同じ やがて、悲しげな調子の軍歌が近づいてきた。高いすみ程度の出来だった。そしてこのことは、あとで久三の立場 きった声で一人が歌うと、あとを合唱がつづける。まるでを幾分有利にするのに役立ったようである。 音楽会のようだと思う。しかし、占領しにきたロシャ兵な「小便はでるか ? ろうば、 のだと気づいて狼狽した。心だけが穴をさがす鼠のように そういえば、昨夜から一度もしていない。 こころみに母 走りまわり、体はすくんで動けなくなった。 にたずねてみた。「小便、したくないかってさ。」 母は・ほんやり薄目をあけて、ゆっくり首を左右にふつ 最初に一台の蟹のような感じの軍用自動車が到着した。 アレクサンドロフと三人の下士官がおり立った。つづいてた。そのとき久三は、母の顔が変りはててしまっているこ 小型の貨車ほどもある鋼鉄の水陸両用車が通信機具を満載とに気づいた。なにか言おうとするらしいが、喉をごろご して、やってきた。それから裸馬に乗った黒い眼のモンゴろいわせるだけで、声にはならない。軍医が懐中電燈でて きよくのりし ルの兵士たちが、曲乗師のようにしなやかな動作で乗りつらしながら、彼女の顔に指を圧しつけた。指をはなすと、 くぼ あとに・ほっかり窪みが残った。 けた。兵士の数は四人だが、馬はぜんぶで十一頭である。 日本軍から徴用した馬にちがいない。しかし馬たちはもう ロシャ人たちは二言三一一 = ロ、なにか相談してから、二人を おと 彼らの影のように馴れ従っている。最後に、重々しく判音そのままにして出ていった。 あらし やがて、建物全体をゆるがせていた嵐のような靴音も静 をひびかせて、ロシャ兵士の群が到着した。着くとすぐ門 たきび 柱に大きな赤旗をなびかせ、庭にアンテナの鉄塔をうちたまり、窓からほうりだしたがらくたを集めて、庭で焚火が かに 〈た のど