・、」すると紳士の長男がその後をつづけて言いました。をかいていました。その左側に、・ほくの蒲団を占領した老 じんえい したあごふりこ 「ヒューマニズムの陣営を武装することだ。」っづけて次男婆が、突出した下顎を振子のように規則正しく左右に動か たたか が、「暴力には正義の力をもって闘わなけれやならない。」して睡っていました。そのわきに並んで、片手と片足を老 突然紳士と、長男と、次男とが、 ・ほくのまわりをぐるつ婆の蒲団につつこむように、婦人が大の字になっていまし いしよう と取囲みました。「私は柔道五段で、警察学校の指導をし た。そのひらひらした衣裳は、白昼見ると、ひどく奇怪な ていたことがある。」と紳士が言いました。「おれは大学でものでした。オ。ヘラの、外国人 ( どこの国民から見ても ) レスリングの選手だったな。」と長男が言い、「おれはボクを代表する、特別な衣裳のようでした。緑の、ひだの多い シングの選手だったつけ。」と次男が言いました。長男と ドレスに、桃色の小片が、ところきらわずぶら下って、下 すそ 次男が左右から・ほくの腕をとり、紳士が・ほくのみぞおちに手にはいだ魚のうろこのように見えるのでした。着物の裾 大ぎな握りこぶしを突込みました。ズボンがずり落ち、そが高くめくれて、それがいかにもわざとめくったように思 くつじよくてき の屈辱的な姿勢のまま、・ほくは気を失ってしまいました。 われ、ひどく気になって困りました。紳士の右側に、紳士 の腹に頭をつつこむようにして、次男と長男が、向い合わ せにいびきをかいていました。いびきのたびに、相手の髪 気がついたときはもう朝でした。 がゆれました。紳士の足元に、「く」の字型になって、お おりたた ゅ ぼくは折畳まれたようになって、机の下に押込まれて いさげに結った十七歳前後の少女が、赤ン坊をだいて寝てい ました。 ました。少女は可愛らしい顔をしていました。紳士の頭の ちんにゆうしゃ はちあ 闖入者どもはまだ誰も目を覚していませんでした。部屋上、すなわち・ほくが押込まれた机のすぐ前に、鉢合わせに ふとん はなは 中に、ありったけの蒲団や衣類がしきひろげられ、その上なっていたずらざかりの男の子と女の子が、甚だしく複雑 者に折重なっていびきをかいているのでした。窓に木の葉をな姿勢でうつぶせに寝ていました。男の子は、走っている とうふ 入もれた朝日がキラキラと泳ぎ、その下を豆腐売りのラッパ 夢でも見ているのでしよう、時折り電気にかかったように 闖がひびき、そうした現実の生活感情と、目のあたり結びつ足首をふるわせ、女の子は、絶えず口をもぐもぐ動かし いた闖入者たちのふてぶてしい存在は、あまりにも現実的て、これはよほどいやしい子にちがいありません。 で、・ほくは恐ろしくなってしまいました。 ひとわたり見廻して、「夢ではないんだ。」心からそう思 うわぎ ひしまくら あんたん 中央に紳士が、上衣を脱いで腹にのせ、肘枕していびき 、暗澹とした気持で机の下からい出すと、全身が。へキ ま ねむ
のお じみだし、烙がうつり、煙をあげて燃えたった。痛む左手「ここは、どの辺りなんでしようねえ ? 」 ひざ タオナン を、膝の上に高くささげて、ほっとした調子で男がつぶや「もう五里も行けば沸南かな。」 「すると、町に入るんですか ? 」 「おれは、ものを考えるのが好きなんだよ、いろいろとな 「そうもいくまいさ。ここらはまだ敵と味方の境界線だか らな。おれの考えじゃな、なんといっても一番危険なのが それから二人は、しばらくのあいだ、じっと消化のあと境界線さ。そいつは、敵のまん中よりも、もっと危険なん にうわかんあしわ の飽和感を味いながら、湯の沸くのを待った。久三はあらだ。こいつはまったく : : : おれの経験だがね : : : 」 ためて男の服装や容貌を観察する。自分を安心させたかっ 「じゃあ、次の町は ? 」 カイト たのだと思う。しかし、顔の中心部にどことなく子供っ・ほ「次は、双崗だな : : : あそこも境界線だ。その次の開通 タンユイ タイピンチ第アン い跡があるというほかは、安心させてくれるような材料はも、辺昭も、胆楡も、太平川も、その次のその次も、・せん なにもなかった。いままではその特徴的な視線にかくされぶ境界線だ。こういう御時世には、どうしても境界線の幅 はおぼわ て気づかなかった、義眼の下の頬骨の線にそった一寸ほどがひろがってしまうようだな。」 の傷あとが、下から照らす烙にくつきりと浮かび上ってい 「すると、どこまで : ・・ : ? 」 がいとう た。男の過去のはげしさを物語るしるしである。また外套「ずっと村も町もないところを通って行くさ。」 そで 「四平までですか ? 」 は、その広い肩幅をつつみきれずに、袖のつけねが首のほ うにつり上っている。しかもすり減っているのがやはりつ 「いや、とりあえず、瀋陽に出たほうがいいように思う けねの線のすぐ下だということは古着を買ったか、あるい えり はもらいうけたかした証拠だろう。それに、その襟の下か「瀋陽まで : : : 」 「二週間もありや行けるさ。」 らのそいているのは、犬の毛皮でーーー久三だって襟の裏に のうさぎ は野兎の毛をつけていたーーーしかも明らかにナメシの不充しかし、八路軍の将校は瀋陽には行くなと言っていた。 しろうとざいく ぎわく 分な素人細工だ。これらが急に手に入れた服装であり、以さまざまな疑惑がわいてくる : : : が、聞きただす勇気はな 前はもっとちがった身なりをしていたということは、ほとかった。不安になるのが不安だった。失望するのがおそろ まぼろし んど疑いえないことだが : : だが、それ以上は考える気がしかったのだ。幻の道であっても、ないよりはましであ しなかった。 る。とにかく一歩でも日本に近づくことが大事なのだ。 0 0 シ当アンカン ビエンチアオ あた シン ~ ーン
136 ( 誰もいない、がらんとした寮の中 : : : 一人で歩ぎまわっ聞えてきたりすることがあるものだ。空気の波の屈折でお しんきろう ていると、だんだん子供にかえっていき : : : ドアを開けるこる、音の蜃気楼なのだろう。 と小学校の教室である : : : ダーニヤ軍医が出席簿をかかえ見えない馬車が近づいてくる。ーーー大きな木の車輪をつ しやじく て教壇に立っていた : : : 教壇の下に誰かがかくれているけた、あのいちばん原始的な二輪馬車である。車軸がきし : : : ドアや窓のかげから、幾つものずるそうな視線がこちって、悲しげな訴えるような歌をうたいつづけ、車台の下 あぶらっぽ らをのそいていて : : : ダーニヤが笑って、手まねきする。ダ に吊りさげられた、大きな黒い油壺が、なにかとぶつつか ささや ばんそう ーニヤが笑うと幸子に似てきた : ・・ : 耳もとで誰かが囁く、 りあっては、そのきしみにふさわしい伴奏をつけている。 ロスケと言っちゃいかんそ、ソ 1 べ 1 トと言え、女はみん鞭が鳴った。なまける馬を急がせているのだろう。ごとご : ダーニヤが出席簿をひらく : : : な髪を切れ ! うすいと揺れがひどくなる。 きぬ 絹のハンケチがすべりおちる : : : のぞくと、砂丘があっ毛布の端から手がのびた。黒い皮手袋だから、高の手 だ。毛布がもちあがって、高の肩からすべり落ちた。体ご て、大きな塩の塔が立っていて : : : その下に自分、久三自 身が死んでいる : : : 外の校庭では、級友たちが、教師の呼とのしかかって、久三をゆすり起こそうとする。天まみれ ろうまい ようす 子にあわせてスケートの練習をやっていた : : : ) の狼しきった様子で、あわただしく周囲を見まわす。ふ うん っと馬車の音が消えてしまう。しばらくのあいだ茫然とし 二十 ていたが、すぐにまたがつくり灰の中にのめりこんで、次 のど 四時半。ーー、、毛布の下の男たちは、天の中で抱きあったの瞬間にはもう寝息をたてていた。まるで喉をかきむしる まま、もうながいこと身じろぎもしない。あたりは一度うような音をたてて : す暗くなりかけたが、風がなぎ、ほこりが晴れると、また次にまた見えない馬車がやってきたのは、それから五分 明るくなった。本当の日暮れまでにはまだ間がありそうでほどしてからだった。高は反射的に起き上った。そして起 から ある。 きるなり、体を波打たせて止いた。しかし空っ・ほの胃から そのとき、二人のそばを何台かの荷馬車がとおりかかっ は何も出てこない。音の正体を見きわめようとして、死に たのだ。しかし、音だけで形は見えない。こんな時刻、こものぐるいで動ぎまわる赤く血走った目と、無関心に正面 ういう場所ではなにかのせいで、たぶん気温や風向きのせを見つめている白くすみきった義眼とが、異様に対照的だ いで、一里も二里も遠くの物音が、とっ・せんすぐ鼻の先に った。泣きそうな声で久三の胸を打ちはじめる。 むち っ
・ : 説明してやるよ。」 かきたてるそのにぶい輝ぎに、かえって身を引き裂かれる「そう : : : 説明してもいし そんな口約束を信じる気はなかった。ためらいは残って ような絶望を感じるのだ。 がけ いたが、結局、竿をといてばらばらにし、ひもと旗をたた 彼は駆けだした。崖をよじの・ほり、いっか歩いた野火の あとを、駆けまわった。ふくれあがった白い腹をむきだんでポケットにしまい、枝の中の丈夫そうなのを二本えら ねずみ し、仰向いてころがっていた、あの焼けた鼠をさがすのんで、そのうちの一本を高に投げおろしてやった。 だ。あったはずの場所からは消えていた。灰になった枯草「杖にいいですよ。」 「なるほど、杖こ、 冫ししな・ : : こ に手を入れてかきまわし、無駄だとは知りながらも、どう しても探しやめることがでぎなかった。 せき わな ふと、しわがれた、大が咳こむような声を聞いた。声は 第三章罠 崖の下からしていた。高が呼んでいた。 「おうい、旗を、おろせようー」 下をのぞくと、高は崖によりかかり、あぶなっかしい腰 つきで、しかしなんとか立ち、ためすように首を左右にふ ぎようじん っている。久三は相手のおどろくべき強靱さに圧倒され丘の傾斜をの・ほって行く途中、後ろからついてきていた ざた。久三に気づくと、高は、ほとんど陽気ともとれるきつ高の足音がとだえた。沼を発ってから四日目のことであ かたまり めばりした調子で言った。 る。五、六歩うしろで、高は黒い塊になり、地面にはい 郷「旗をおろせ ! 出発するんだ : : : 」 つくばっていた。かまわずに歩きかけたが、次第にその足 ま下唇をつきだし、息をつめて、崖から身をはなし、一歩どりがにぶくなり、やがてあきらめたように立ち止まって ちあるいてみせて、鼻のうえに皺をよせた。だがすぐにましまう。呼んでみたが、声にならない。無理に声をだすよ り、歩くほうが、まだ楽だった。のろのろと後戻ってき のた、坐りこんでしまう。 こ 0 け「 : : : まあ、出発は明日にしようか。しかし、とにかく、 : : : ? 」こごえた声で、肩に手をかけ、ひぎ起こそ 旗はおろすんだな。おれは、弱味につけこまれるような真「どう うとすると、相手はかえって力をぬぎ、べったり腹ばいに 似はしたくないからな : : : 」 なってしまう。顔の右半分が、斜めにさす月の光に照らし 「理由を説明するっていう、約東じゃないですか。」 しわ さお
な眠りというもの。片目はすぐに睡ったが、片目は容易につ描いてみよう。しかしそれは本物のリンゴになってころ 寝つけない。それは今日の満足にひきくらべて、まだ験しげ落ちるどころか、賰った紙片のようにはがれようとさえ けねん じはだ てない明日への懸念のせいなのだ。しかし、その片目もやせず、こすった手のひらの下で元どおり壁の地肌に消えて がて睡ってしまう。くい違った両目で一晩じゅうまだらなしまった。 夢を見る。 よろこびは一夜の夢にしかすぎなかった。すべてが終っ さて、心配な翌朝は次のようにして明けた。 て、何も始まらなかった前と同じになってしまったのだ。 いや、悲しみは五倍になって帰ってぎ 猛獣に追われて橋からおっこちた夢。ペッドからおっこそうだろうか ? た。そして空腹も五倍になって襲いかかった。たぶん食・ヘ ちた : : : のではなかった。目を覚ますと、ペッドなんかど かんげん たものが腹の中で、壁の成分とチョークの粉に還元してし こにもなかった。相変らず、あるのは、例の椅子ひとつ。 では、昨夜の出来事は ? アルゴン君はおずおずと壁を見まったに相違ない。 てのひら まわし、首をかしげる。 共同水道で、掌にうけた水をたてつづけに一リットルも そこには赤いチョークで、コップ ( それは割れていたー ) 飲むと、まだもやにつつまれて明けきらぬ寂しい街に出た。 すいじば とス。フーンとナイフと、それにリンゴの皮としんと・ハター百メートルほどの先の食堂の炊事場から流れだしている下 の包紙の図。その下に、ペッ 彼がそこからおっこちた水の上に身をこごめ、ねばねばしたタール様の汚水に手を はずの・ヘッドの図。 つつこみ、何やら引きだした。籠になった金網だった。そ 昨夜描いたもののうち、食べられなかったものだけが、れを近くの小川で洗うと、食べられそうなものが残った。 ふたたび絵になって壁にもどっているわけだ。不意に腰ととりわけ、米らしいものがその半分を占めているのが心強 肩に痛みを感じる。たしかにべッドからおちたとしたら感かった。そこに金網をしかけておくと、一日で一回分の食 強じるであろうような痛み。そっとペッドの図の、寝みだれ物にありつけることを、最近彼はアパートの老人から聞き かす のた敷布のあたりに手をやると、徴かなぬくもりが、ほかの知ったのだった。老人は、ちょうどひと月ほど前から、そ の分だけおからが買える身分になったので、食堂の下水を 魔冷い部分とはっきり区別された。 ナイフの図の刃のあたりを指でこすると、それはたしか彼にゆずってくれたのだった。 ・こちそうおも にチョークの跡にしかすぎぬ、なんの抵抗もなく、きたな昨夜の御馳走を想いだすと、これはまたなんて泥臭く、 いよごれを残して消え去った。ためしに新しいリンゴを一まずいことだろう。だが、魔法ではなく、実際に腹の足し ため
びしたおしつけるような繰返し : : : たまらなくなって、カれば、海図室の下のあの三人の部屋よりほかにはなかった ・ : 船長は海図室だろうし、大兼はまだ下にいる。残ってい まかせに突きとばしてしまう。ホ、ホ、ホ、と他愛もな い声をあげ、横倒しにたおれていった。足もとに罐を残るとしても、あのお医者一人だ。きっといつものように、 し、あちらこちらにぶつかりながら、夢中で逃げだしてい酔っぱらって寝ているんだろう : : : 起きているにしても、 こ 0 あいつならきっと話が分ってくれるはずだ : : : これはおれ 「どうじゃった先生、胸がせいせいしたじやろが ? 」と機の、当然の権利なんだからな : だが、運がわるかった。階段をあがりきったのと、ドア 関長が意地のわるい笑いをうかべて迎える。「あんたん部 を開けて船長が出てきたのとは、ちょうど同時だった。戻 屋のほうが、まだましなごとあろうが : ・ : こ 「つまらん ! 」くぐり穴に錠をおろしながら、大兼が作っろうとすると、下から大兼が上ってきている。ためらって いる余裕はなかった。頭を下げて、そのまま、つつかかっ たような笑い声をたてた。 「ともかく、あんたん部屋は、ありや、もともと死体置場ていっていた。 しかし、一と呼吸だけおそかった。踏みきった瞬間、船 じやけんなあ・ : ・ : わしは、心配しよったが : ・ : こ 「馬鹿な、ありゃあ、ただの物置だよ : : : 」と大兼がうわが逆に傾いて引戻された。船長が身をかわし、久三はつま ずいて部屋の中にころげこむ。正面に医者がこちらを向い っ調子にはしゃいで言った。 て掛けていた。振向くと、後ろには、もう船長と大兼がな す若い船員が叫びながら駆けこんできた。 ・ツ・トこ らんで立ちふさがっている。久三はいきなり左のヘ め「おかが見えたそう、おかがー」 郷入れちがいに外に出る。デッキに出るふりをして、すば駆けよって、覆いの毛布をはねのけ、手当り次第にかきま わしはじめた。 謙やく階段をかけあがった。高の運命はもう他人事ではない ちのだ。入港まえになんとかかたをつけてしまわなければな「なにをしやがるんだ ! 」と船長がとびかかった。つづい いまとなっては、万事がただ、あれをつかめるかて大兼が久三の足をつかんで、ひきずり倒す。医者はただ のるまい。 , も どうかにかかっている : : : あれさえっかんでしまえば、も黙って眺めていた。 け いや、半分じ うこっちのものだ。破って、風にまき散らすとおどしても「返せー半分はおれのものなんだ ! 」・ : そうすりや誰ゃなかったな。しかし、半分だってかまいやしない。おれ 海に投げこむとおどしてもいい : も、もうおれに手出しは出来なくなる : : : あれがあるとすにはそれくらいの権利はあるんだ。全部だって、いいくら じよう たあい おお
Ⅳ 8 いた。しかし男はからみあった・ハイ・フの中に手をさしこ船が動きはじめて、三十分ほどしてから、大兼が呼びに み、なにかの弁をひいては、シュッと抜ける空気の音に耳来た。船長と「お医者さん」が、デッキのところで待って をかたむけ、それをくりかえすばかりで、もう振向いてく いた。三人ともが申し合わせたように、無理にさりげない れようともしないのだ。久三は外套をぬぎ、それでも我慢ふうをよそおっているみたいな、浮ついた目つきをしてい はす できなくて、上衣のボタンも外してしまった。無意識のう た。しかし機関室から出してもらってほっとしたうえには ちに、ズボンの下に指をつつこみ、すっかりかさぶたになじめて見る海の輝きに夢中になっている久三には、ほとん ちくしよう、こど気にならなかった。 った腰・ほねのあたりを掻きはじめる。 「やつばり、ずいぶん青いもんですねえ : の人には、おれがこんなによろこんでいるのが、分らない のだろうか ? ・ : 大兼さんの言ったことを、もうちょっ「黄色いから、黄海っていうんだ。」と医者が笑った。 と注意して、聞いといてくれさえすりゃなあ : : : そら、面三人は久三をとりかこむようにして船尾のほうに歩きだ ・ ( そう、そんなこ 白いお客だって言ってたじゃないか : : : おれが、これまです。面白いものを見せてやるからな : に、どんな目にあってきたかって : : : それを知ったら、あとを白少将も言ったつけな。あのときは、血まみれになっ しあわ ・ : 行ってみりや た馬車夫のことだった。 ) なんです ? んただって、いま自分がどんなに倖せな状態でいるかが、 分るさ : マストの上を灰色の小鳥が輪をかいて飛んで よく分るはずなんだがな : 「スタン・ハイー」 ベルが鳴って、伝声管から、いら立いる。空は青い。なるほどこの海はあんまり青くはないか 。をのそ たしげな船長の声がした。「よう ! 」と、すばやく機関をな ? 青緑っていうところかもしれんな : きはう 見まわして、男が叫びかえす、「ナンパンのやっ、まだ来きこんだ。薄いコ・ハルト色の水の下に、無数の気泡がわき のど たっている。サイダーのようだと思い、急に喉がかわい よらんそう ! 」 コックを開き、弁をはずし、右のハン ドルを閉め、左のハンドルを加減し、ボタンを押してハズた。 しくぐり戸があった。中は 船尾楼に上る梯子の下に、低、 ミ車を振る。部屋中をゆり動かして、エンジンがかかっ た。ゆっくりハンドルをまわして、廻転数を下げていく。暗いトンネル。左右に一つずつドアがついている。右側の ひたい 久三は息をはずませ、額にびっしより汗をかいていた。 ドアをノックしながら、大兼が声をかけた。 「お客さん、お休みですか ? 」 「ああ、どうぞ、どうぞ : : : 」 三十三 ) しし」第ノ ろう
怖が僕を逆上させた。 「ほんとうの黒ん・ほだなあ」 いのししがり くちびる 大人たちは冬の猪狩の時のように重おもしく脣をひき「あいつをどうするんだろう、広場で撃ち殺すのかなあ」 しよう にとん はす しめて《獲物》を囲み、殆ど哀しげに背を屈めて歩いて来「撃ち殺す ? 」と驚きに息を弾ませて兎口が叫んだ。「正 はいかっしよく しんしようめ、 るのだった。そして《獲物》は、灰褐色の絹の飛行服を着真正銘 6 黒ん・ほを撃ち殺す」 なめ こみ鞣した黒い皮の飛行靴をはくかわりに、草色の上衣と「敵だから」と僕は自信なく主張した。 ぶかっこう ズボンをつけ、足には重そうで不恰好な靴をはいていた。 「敵、あいつが敵だって ? 」と兎ロは僕の胸ぐらを擱み脣 だえき そして黒く光っている大きい顔を傾けて昏れのこる空をあの割れめから唾液を僕の顔いちめんに吐きかけながら声を おぎ、びつこをひきながら足をひきずって来る。《獲物》嗄れさせて、どなりちらした。「黒ん・ほだ・せ、敵なもんか」 の両足首には猪罠の鉄ぐさりがはめこまれていて、それが「ほら、ほら」と子供たちの群れの中から、弟の熱中した 騒がしい音をたてていた。〈獲物〉を囲む大人たちの行列声が聞えた。 の後に続いて、僕ら子供たちはやはり黙りこんで群がりな 「あれを見ろ」 がら歩いた。行列は分教場の前の広場までゆっくり進み、 僕と兎ロは振りかえり、当惑して見守っている大人たち 静かに止った。僕は子供の群がりをかきわけて前へ進み出から少し離れて黒人兵が肩をぐったり垂れ、放尿している たが、部落長の老人が声をはりあげて僕らを追いちらすののを見つめた。黒人兵の躰は、作業服めいた草色の上衣と すみあんずこだち だった。僕らは広場の隅の杏の樹立の下まで後退し、そこズボンを残して、濃さをましたタ闇の中へ溶けこもうとし で頑強に踏みとどまると、濃さをます暗がりを透して大人ていた。黒人兵は頭を傾け長ながと放尿し、それを見つめ たちの会議を見守 0 た。広場に面した家の土間から白い上ている子供たちのの雲が彼の背後に立ちの・ほると、も つばりの下で躰を腕でしめつけた女たちが、危険な狩からの憂げに腰を振るのだった。 いらだ 《獲物》をえて帰った男たちの低い声に苛立ちながら耳を大人たちは再び黒人兵を囲んでゆっくり引きかえし始 わきばら みつくち すましていた。兎口が背後から僕の脇腹を強くこづき、僕め、僕らは間隔をおいて、その黙りこんだ行列について行 くすのき を子供たち仲間から引き離して楠の深ぶかした蔭へつれった。《獲物》を囲む行列は倉庫の横側の荷物積出口の前 っぷ て行った。 にとまった。そして、そこには、秋の実った栗の秀れた粒 「あいっ黒ん・ほだなあ、は始めからそう思 0 ていたんをよりわけ一一硫炭素で硬い皮の下の幼虫を殺したあと冬 みつくち だ」と兎ロは感動に震える声でいった。 をこえて貯蔵するための地下倉が黒ぐろと降り口を開いて わな うわぎ ほうによう
る。「いままでだって、けっこう危険でしたよ。なにもい 「いやだ、・ほくはここで休む。」 「二里か三里のしん・ほうじゃないか、ここまできて、つままさら : : : 」 「だから、説明するって言ってるじゃないかー」 らん : : : 」 「言うだけはね : : : でも一度もしてやしない。」 「そんならよけい、無理することはないさ。」 くちびる 「おれは : : : 」黒い短い舌の先で、すばやく下唇をなめ、 久三は、土手の下に荷物をおろし、道端の枝をあつめに っこ 0 さらにそれを手の甲で拭きとって、「おれは、追われてい 力、刀ー りんかく 「おい : こ息をつめたために輪廓の・ほやけた声で高が呼るんだ。」 「分かってますよ。それくらいのことは、・ほくだって : びとめる。「悪いことは言わんから、一緒にこい : こ枯草をまるめて枝の中におしこみ、マッチをする。一 「手つだってくださいよ。」 じくぎ 本目は軸木にもえうつらないうちに、消えてしまった。風 「悪いことは言わん。おれには、考えがあるんだ。」 りくっ 「どうせ休むんなら、ここで休むのが、いちばん理屈にがでているのだ。胴ぶるいをして、二本目をつける。 ・貴様がビストルの弾をおもちゃにしてしま 合っていますよ。うまく馬車でも通りかかってくれれば「畜生 ! っていなけりゃなあ・ : : こ 「分ってますよ。」 「つまらんことを言うのはよせー」 す「・ほくは腹がすいているんだー」 火がついて、白い煙がふきあがる。道にそって西になが め「だから、おれの言うとおりにしろといっているんだ。君れ、土手のちょうど高が足をかけているあたりでばっと散 うす って、ぶるぶる波立ちながら荒野のうえを、渦まきながら 郷は日本に帰りたいんじゃないのか。そうだったらおれのい せき 故 うとおりにしろ。危険なんだぞ、ここは : : だからあんな北のほうへ飛んでいった。高は咳こみ、のろのろと煙をよ ちに、旗のことだって、やかましく言ったんじゃないか。 けて、久三のいる側にやってきた。しかし火のそばまでは チュンチよ , す のさ、行こうや、明るいうちに向うに出て、中旗の様子をさ近づかない。誘惑にうちかとうとする強い決意が、義眼を どうこう ぐっておかにやいかん : : : さ : : : 」 までも上につりあげてしまい、まぶたのかげで瞳孔が小さ け 「でも、・ほくにはなにもそんなに、びくびくする必要はなく、穴のように黒くみえた。 いんだからな : : : 」久三は道のうえに一とかかえの枝をつ 「こいっ馬の糞じゃないか。」わだちで出来たうねとうね みあげ、せわしげな手つきでこんどは枯草を集めはじめのあいだのくばみにころがっていた、小石ほどの灰色の塊 かたま
まだ通信員とかいう職業を言いはるつもりなのだろう り、体の重みが三倍になったみたいだ。汪がわめいて倒れ たた か。 ( 甘くみてやがる。 ) むろんもう信用する気などはな た。溝があった。「あぶないぞ。」と汪が言い、厚い壁を叩 はす く音がした。レールを外れて転倒した家畜用の貨車の屋根 だった。こげくさい臭いがした。 「静かになりましたね。みんな死んじゃったのかな。」 「機関士のやつもおだぶつだろうな。」 汪の目的は、三輛目の貨車だった。久三が最初にかくれ ゅうがいしゃ 「あの赤ん坊も、死んじゃったかもしれませんね。」 ようとしたやつの、一つ前の有蓋車である。右にいで、 「なにもあんなに、後戻る必要はなかったんだ、・ ひくびく土手の下に頭をつつこみ、傾斜にそって後ろ半分を、まる しやがって : : : 」それから汪は久三の知らない言葉で、ぶで影の塔のように黒い空の中につき出していた。 つぶつ悪態をつきはじめた。 「完全にやられたな。」 とびら 「どうしたんだろうな、誰も来ない : : : 」 扉を開けようとしたが、ひずみがかかっていて、動かな 「わけが分らんよー」 胸がわるくなるような臭いがしてきた。下をくぐって 「本当のところ、汪さんは、どっちの味方なんです ? 」 反対側にでた。扉は砕け落ちていたが、異様な臭気で、と 「どっちの ? : ああ、なるほど : : : しかし問題は単純ても中をのぞくどころのさわぎではなかった。 じゃない、 一口で説明するわけにはいかんよ : : : ちくしょ 「なんのにおいです ? 」 しやペ すう、空気が歯にしみやがるな、あんまりお喋りしてるとロ 「まあ、こんなことだろうとは思っていたがな : ・ : こしか ようす めが凍傷にかかるぞ。とにかく君は、そんなことまで気にすし汪はかなりの打撃をうけた様子だった。「うまくいけば、 をることはいらんね : : : くそ、やつらのところに行きや、火ざっと五十万からの大仕事だったんだ。」 故もあるし、熱いス 1 プもあるんだ : : : 」 「なにが入っていたんです ? 」 「ポリタールさ。特別な銅線の被覆塗料だよ。」 ぢ「来なかったら、どうするんです ! 」 た「来るさ。」 そうだ、アレクサンドロフたちが、そんなものの話をし も「でも・ : ・ : 」 ていたつけ。しかし久三は黙っていた。もう自分には関係 「来るよ。でつかい取引なんだ。」 のないことだ。足踏みをしながら、耳たぶを叩いた。 汪はなにを思ったか、いきなり機関車のほうへむかって「こうしているわけにもいかんな。」そう言って汪は手鼻 ひざ 歩きだした。久三もすぐ後につづいた。膝の関節がつつばをかんだ。 みそ にお りト - 第ノ ひふく