しつかり包みこんだ死者を草原の高み、獣たちを埋めた小多くの人間がそれらを埋める穴を掘るのだ。僕には僕らの 高い盛土の向うに横たえると、僕らの穴掘り作業を手伝い 一つの墓が世界じゅうへ無限にひろがりつらなって行くよ くわ ほとん に来た。谷の向うでは鍬を肩と伸ばした腕と殆ど垂直にな うに思われた。 るほど大きく振りかぶりながら朝鮮人の少年が彼の死者の僕らの仲間はいま土の中に横たわり、彼の皮膚や開いた ために穴を掘っているのだった。 肛門の粘膜、頭髪などを、地下水がじくじくひたしてい あか 僕らの厚い下着のなかで皮膚が汗ばみ、垢がむれた臭いた。その地下水といえば、獣たちの数知れない死骸をひた きよう をたてはじめてから、僕らは毛布に包まれたものを運んでしたあと地面の下を流れてきたのであり、やがては草の強 来て、そこへはめこんでみたのだが、穴はまだ浅すぎた。靱な根に吸いつくされてしまう。 新しい土に汚れた包みを外にひきあげ、再び僕らは穴へ入僕はうちのめされ、それについて考えたくなかった。僕 りこんで鍬をふるった。 は立上り川の向うを見た。朝鮮人の子供も彼の埋葬を終っ はかど 向う側の草原でも作業はなかなか捗らない様子だった。 たところだった。 , 冫 彼よ付近の一えほどある石を両腕に持 にじ なんじゅう 僕らの穴の深くうがたれた底から地下水が豊かに滲み出てちあげようとして難渋しているのだった。僕には彼のけな せつかっしよく きはじめた。僕らは急速にたまった赤褐色の水たまりの上げな意図がわかった。彼は自分の死者のために記念の石を へ硬く毛布でまかれた死者をおろした。植物の球根を植えおくか、あるいはその死者が夜ふけに起きあがることをお るように丹念に死者の位置を設定し、それから柔らかい土それて重い蓋を置こうとしているのだろう。どちらにして をその上へかぶせる仕事に熱中している南たちから離れもその行為は英雄的で僕のうちのめされた心に訴えかけ ひざ たた こ。僕は斜面を駈けおり、墓に盛土している南の肩を叩い て、僕は大を膝にひきよせて屈んでいる弟の横へ坐りに行ナ からだ った。弟と躰をよせあって坐った草原の高みからは、僕らた。 の死者を埋めた穴と、獣たちの死骸を大量に埋めた穴とが 「あ」と南が紅潮した顔をあおむけていった。 一組の基点ででもあるように、規則的な配列の始まりを思「見ろ」と僕は対岸を指していったが、丈の高い草と地面 とうかんかく わせた。僕はそれらの基点から等間隔をおいて無限に造らの起伏が石の上にみこんだ朝鮮人の少年の姿をかくして れて行く簡素な墓、処理されたおびただしい死者について いた。「あいつが困っているんだ、手伝ってやろう」 考えた。戦場もふくめて世界じゅうで、ああ、なんと多く南は僕を見つめて当惑した表情をうかべた。しかしそれ の人間が死んで行くことだろう。そしてそれよりもなお数にかまわずけ出す僕に彼はつづいて来た。僕らは一息に かた たんねん ようす にお じん こうもんねんまく ふた たけ
えんさ せんう すみ えきびよう の怨嗟にまで高まった羨望の熱い吐息を背いつばいにうけゆる隅ずみを黒人兵でみたしていた。黒人兵は疫病のよう しんとう おとな とめて歩くということの快楽だけで、僕はこの作業をやり に子供たちの間にひろがり浸透していた。しかし大人たち 続けただろう。 には、その仕事がある。大人たちは子供の疫病にはかから しかし僕は、午後一度だけ兎口が地下倉へ入って来るこない。町役場からの遅い指示を待ちうけてじっとしている とを特に父に頼んで許してもらったのだった。それは、僕ことはできない。黒人兵の監視を引受けた僕の父さえ、猟 一人でなしとげるには過重な労働の一部を兎口に肩がわり に出はじめると、黒人兵はどんな保留条鮏もなしに、オナ させるためだった。地下倉には、黒人兵のために古い小型子供たちの日常をみたすためにだけ、地下倉の中で生きは の樽が柱の蔭に置かれている。午後になると僕と兎ロは樽じめたのだった。 に通した太い縄を両側から注意深くさげて階段を上り、共 たいひ 同堆肥場へ黒人兵の糞と尿のまじった、・・・ とふとぶ音をたて昼の間、僕と弟と兎ロは、始めは規則を犯すことの誘惑 す 悪臭をまきちらす濃い液体を棄てに行くのだ。兎ロはその的な胸の高鳴りを感じながら、そしてすぐその状態に慣 わき 仕事を過度な熱心さでやりとげ、時には堆肥場脇の大きいれ、まるで大人たちが山や谷へ出はらっている昼間、黒人 すいそう ゆだ 水槽にうっす前に樽を木片でかきまわして、黒人兵の消兵を監視するのが僕らに委ねられた守るべき職務でもある 化、特にア町の状態を説明し、それが雑炊の中の謇能ように平然として、黒人兵の坐 0 ている地下倉〈こもる習 に原因することなどを断定するのだった。 慣をつけた。そして、兎ロと弟とが放棄した明りとりの覗 ほこりかわ 僕と兎口が父につきそわれ、樽をとりに地下倉へ下りてき穴は、村の子供たちにさげわたされた。熱く、埃の乾い 行き、黒人兵がズボンをずりさげ黒く光る尻を突き出している地面に腹ばった子供たちは、僕と兎ロと弟が黒人兵 ほとん て、殆ど交尾する大のような姿勢で小さな樽にまたがってを囲んで坐っている光景を、羨望で喉をほてらせながら代 いるのにでくわしたりすると、僕らは黒人兵の尻のうしろるがわる覗きこむのだった。そして、羨望のあまりに我を しばら で暫く待たねばならない。そういう時、兎ロは畏敬の念と忘れ、時に僕らの後について地下倉へ入って来ようとする 驚きとにうたれて、夢みるような眼をし、樽の両側にまわ子供がいると、彼はその反逆的な行為のつぐないに、兎ロ わな された黒人兵の足首をつなぐ猪罠がひそかな音をたてるのから殴りつけられ鼻血を流して地に倒れねばならない。 を聞きながら僕の腕をしつかりんでいるのだった。 僕らは既に、黒人兵の《樽》を階段の降り口にまで運び 僕ら子供たちは黒人兵にかかりきりになり、生活のあらあげるだけで、それ以後の、樽を共同堆肥場まで炎天の下 たる によう しり たる せんーう えんてん
手袋をぬがせるのに、まずひどく骨がおれた。そのあい やがて、指全体が黒く、冷たくなる。ナイフは、鉛筆け だ高は、歯をむきだし、足で地面をひっかいて、わめきつずりをすこし大きくしたくらいなもので、とても人間の体 づける。小指の先が赤黒く、二倍もの太さに腫れあがっての細工につかえるような代物ではなかった。思いきって、 力いカ・つ しばり目のすぐ上のあたりにつきたててみる。皮がやぶ いた。中に、爪が、貝殻のように白くくいこんでいる。 れ、黒い血がゆっくりあふれだしてきた。しかしそれ以上 高は一目みるなり言った。 どうにもならない。横に引いても切れないのなら、ついて 「切ってくれー」 久三が黙っていると、せかすように、「早く、暗くならひきはがす以外、方法がないわけだ。しかたなしに、また んうちにな : : : おれの、左のポケットに、ナイフが入って・ヘつのところに突ぎとおす。可度かそんなことをしている ぞうもっ る。つけ根のところを、ぎゅっとしばって、二番目の関節うち、血管や神経や筋などが臓物のようにはみだしてぎ て、噛みきれずに吐きだしたすじ肉のようになってしまっ のところから外ずすんだ。さ、急いでたのむよ : : : 」 こん そう言うと左腕を体から遠く、地面にころがし、根っきた。それに、手がぬるぬるで、うまく力がはいらないの だ。そうかといって、いまさらやめるわけにもいかぬ。薪 た様子で顔をそらして、目をとじる。しかし久三は、なが いこと決心がっかなかった。そのあいだ高は、身じろぎもの中から一本、ふと目の枝をみつけてきて、地面におき、 せず、また意識をうしなったみたいだ。意識をなくしたのそのうえに指をのせて、ナイフの刃で押しころがす。それ 冫をし力ない。・こ、、 すだとすると、切るわけこよ、 ナししち、意識がなでもまだうまくいかなかった。弾力のある固い部分が、骨 めくなる寸前の言葉に、どこまで信用がおけるものか。次にのうしろに逃げてしまうのだ。高のナイフをよして、自分 郷気がついたときには、忘れていて、勝手に人の指を切 0 たの蒙古刀にかえ、同じ要領でこんどはルの新でふみつけて みる。骨のくだける音がした。もう一度強くふむと、刃ロ まなどとわめかれたりしたのでは、たまったものではない ちだが高は、気を失ってはいなかった。急に目をむき、おそは指を切りはなし、ついでにその下の枝も一一つに切って、 どな 地面にくいこんだ。胸がむかむかした。 のろしい声で怒鳴った。 しいつのま しかし高は、身じろぎもせず、声もたてな、 け「早くしろ ! 」 久三はあわてて、言われたとおりに、手ぬぐいの切れ端にかまた、意識をなくしてしまっていた。あまり静かなの をその小指にまきつけた。 で、心配になり、時計のガラスを鼻の下にあてがってみた 「もっと、もっと強くだー」 が、まだ息はしていた。五時一一分、ついでにねじをまいて ようす しろもの
」うまん 気どられないように傲慢に顔を歪めていった。 広場には大人たちが群らがり、彼らのなかに子供たちが 「ああ」と弟は自分の臆病さを恥じて眼をふせた。「あい 小さな汚れた顔を不安にこわばらせてあおむけていた。そ みつくち しやが つ、どう ? 」 して彼らから離れ、兎ロと弟が地下倉の明りとりの傍に蹲 ゅうしゆっ 「とても臭うだけさ」と僕は疲れの湧出のなかでいった。 みこんでいるのだった。あいつらは覗いていたんだ、と僕 ほんとうに僕は疲れきって貧しい感情をもてあましてい は腹を立てて考え、兎ロたちに駈けよろうとして、地下倉 まつばづえ た。《町》への旅、黒人兵の夕食、僕は長い一日を働き続の降り口から松葉杖で軽く身を支えた書記が顔をうなだれ けた後、水を大量に吸った海綿のように鉢を疲れで重くして出て来るのを見た。激しく暗い虚脱、なだれてくる失望 ていたのだ。僕は枯れた草の葉や、多毛質の草の実のこびが僕の鉢をひたした。しかし、彼のあとに続いて黒人兵の はだしぞうきん りついているシャツを脱ぎ、汚れた裸足を雑巾でぬぐうた死体が運び出されて来るかわりに僕の父が銃身に袋をかぶ めに躰を屈め、弟の次の質問をうけつける意志のないことせたままの銃を肩にかけ、部落長と小声で話し合いながら うちまた を誇示した。弟は脣をとがらせ眼を見はり、僕を心配そう出て来たのだった。僕は吐息をつき、脇や内股に、たぎる に見守っていた。僕は弟の横にもぐりこみ、顔を汗と小動湯のように熱い汗をしたたらせた。 そろ 物の臭いのする毛布に埋めた。弟は僕の肩に膝を揃えて押「覗いて見ろ」と兎口が立ったままの僕に叫んだ。「見ろ しつけて坐り、僕を見守っているだけで、質問を続けようよ」 とはしないのだった。それは僕が熱病にかかった時と同じ僕は熱い敷石に腹ばい、地面すれすれに開いている狭い ことだった、そして僕も熱病にかかった時と同じように、 明りとりから中を覗きこんだ。暗がりの水の底で、黒人兵 ねむ かちく ひたすら、睡りたいのだった。 が打ちのめされ、叩きふせられた家畜のようにぐったりし からだかが 鉢を屈めて倒れていた。 翌朝、遅く眼ざめると、倉庫脇の広場からざわめきが伝「殴ったのか」と怒りにふるえる上体を起して僕は兎口に 育 わって来ていた。弟も父も部屋にいなかった。僕は熱い瞼いった。 を開き壁を見あげて、そこに猟銃がないのを確かめた。ざ「足を縛られて動けないあいつを殴ったのか ? 」 飼 からきわく わめきを聞き、銃架の空の木枠を見つめていると僕の胸は「え ? 」と僕の怒りをはねかえすために、頬をこわばらせ 5 激しい鼓動をうちはじめる。僕は寝台から跳び出し、シャ 口をとがらせて闘いの姿勢をとり兎ロはいった。「殴る ? 」 なぐ ツを手にんで階段を駆け下りて行った。 「あいつを殴ったのか」と僕は叫んだ。 にお じゅうか かいめん
こうよう いほどの事実だった。僕は感情の昻揚、おびえと喜びに歯 動物の住む穴のように見えるのだった。黒人兵を囲んだま そうちょう ま大人たちは儀式の始まりのように荘重にそこへ沈みこんが音をたてて噛みあうほどだったし、弟は毛布をかぶって かんう あげふた で行き、大人の腕の白い揺らめきが厚い揚蓋を内側から閉足をちぢめ、悪性の感冒にかかったように震えていた。そ して僕らは、父が重い猟銃と疲れを支えて帰って来るのを ざした。 倉庫の床と地面の間に細長く露出している明りとりの小待ちながら、自分たちにふってわいたすばらしい好運に徴 窓の向うでオレンジ色の灯がともるのを僕らは耳を澄まし笑みあうのだった。 ながら見まも 0 ていた。らは明りとりから覗きこむ勇気僕らが餓えをめるためよりも、むしろ胸のなかで湯の めんみつ をふるいたたせることができないのだった。その短く不安ようにたぎる心理のざわめきを、腕のあげおろしゃ綿密な そしやく な待機が僕らを限りなく疲れさせた。しかし銃声は響かな咀嚼によってまぎらすために、冷たく汗ばみ硬くなってし なか かった。その代りに、降り口から半ば開いた揚蓋の間に黒まった馬鈴薯の残りを食べ始めた時、僕らの期待の膜をお つ。ほい顔を覗かせた部落長が、どなりたて、僕らは明りとしあげて父が段階を上って来た。僕と弟は躰中をそくそく きわく りようじゅう りをへだてて遠く見守ることさえ放棄せねばならなかったさせて、父が壁の木枠に猟銃をかけ、土間に敷いた毛布 が、子供たちは誰一人失望の声をあげず、夜の時間を悪夢の上へ腰を下すのを見つめていたが、父は黙りこんだま なペ ふく でみたす充実した期待に胸を膨らまして敷石道を記けさつま、僕らの食べている馬鈴薯の鍋を見ただけだった。僕は て行くのだった。恐怖が彼らの高い足音に呼びおこされて父が、死ぬほど疲れて都だっているのだと考えた。子供の 僕らには、それをどうすることもでぎない。 彼らを背後からおそう。 ぶしようひげ あんす 倉庫にそった杏の樹立の暗がりにひそんで、なお大人た「米は無くなったのか」と父が不精髭の荒あらしく伸びひ ふくろ ふく ちと獲物の動静を監視する決心をしている兎口を残して僕ろがっている喉の皮膚を袋のように膨らませて僕を見つめ まわ と弟は倉庫の表ロへ廻り、屋根裏の僕らの住居へいつも湿ながらいった。 育 っぽい手すりに躰を支えながら登って行った。僕らは《獲「ああ」と僕は低い声でいった。 うめ 飼物》と同じ家に住んでいる、ということになるのだ。屋根「麦も ? 」と不機嫌に呻くように父がいった。 裏で耳を澄ましても地下倉の叫びは決して聞えないであろ「なにひとっ無い」と僕は腹を立てていった。 「飛行機は ? 」と弟がおずおずいった。「どうなったの」 うが、黒人兵が連れこまれた地下倉の上で寝台に坐 0 てい られるのは豪華で冒険的な、僕らにとって全く信じられな「燃えた。山火事になるところだ」 のそ ばれいしょ ふる はほ
ものすご のりこえた。塀と塀にはさまれて、曲りくねった物妻い路みくだかれる骨のような音をたてた。 地が、町ざかいの堤防まで五十メートルほどっづいてい 行く手にぼつんと一つ常夜燈がみえてぎた。そこに目指 る。地面と空の区別もは 0 きりしないほどの暗さだ 0 たす橋がある、旧市街と、パル。フ工場のためにあらたに日本 が、十九年もこの町で暮してきた彼にと 0 ては、塀の落書人が建設した新市街とを結ぶ橋である。トラ , クでも通れ の一つ一つでさえすぐに思い出せるほどによく知りつくしるほど厚く凍 0 ているのだから、河をわたることも出来る た場所だった。 わけだが、水面が低く、岸壁がきりたっているので、降り かっては子供たちにとってのすばらしい遊び場だった。 ても上るのがむつかしい。石段は、興安嶺から下ってくる ジャングルでもあり、連河でもあり、トンネルでもあり、筏をあげる場所が、ず 0 と上流のほうに一カ所あるきり あらゆるものに変形する空想の舞台だった。しかしロシャ た。駅にいくためには、どうしてもそこを渡らなければな 人技術将校の仮宿舎にな 0 てしま 0 た今は、ただときおりらないのである。七時までは戒厳令で、巡視兵にでも見つ 野鼠の群がかけぬけてとおるだけである。戦争がおわって かればもう望みはない。 じんあい からの、この三年間、誰も塵埃をあつめに来てくれるもの 六時十分・ーー巡視兵は一時間おきに橋の両側からやって がいないので、のよいごみすて場にされてしま 0 た。 きて、懐中電燈で確認しあい、またそれそれの受持区域に かた そのごみが石のように硬く凍りつき、まるで出来たての熔かえ 0 ていくことにな 0 ている。戒厳令のきれる七時に つめしょ 岩石のような有様だ。 は、彼らは自分の詰所に帰っているわけだから、最後にこ 左手に荷物をかかえ、塀を右手でたしかめながら、幾度の橋にや 0 てくるのは大体六時一一一十分から四十分ごろにな も足をふみすべらせて進んだ。一度はあやうく、片方の足るだろう。すると一応、いまが一番安全というわけだ。 かわ 首を捻挫しかかった。 一気に橋を駆けぬけた。乾いた足音がひびきわたった。 塀がおわる。ここまでくると、もう家は一軒もない。堤どこか遠くで呼子が鳴 0 たような気がした。しかし風の中 防に這い上り、駅にむか 0 て歩きはじめる。風が真正面かでは、そんな音はいつでも聞えている。渡りきると、すぐ ら吹きつけ、地面を足もとからまき取 0 ていく。顔がしび左に折れた。材木置場があ 0 た。ここまでくれば安心だ。 のど れて、つつばってきた。 旧市街の道は迷路である。喉の奥で血の味がした。 十五分ほど行くと、河が町の中に曲りこむ。河にそ 0 て材木置場をぬけ、右に折れ、小さな鋳物工場の裏をとお くすや * かんおけや しばらく高粱畠を横切る。切株が足にからんで、地面が咬り、 屑屋の仕切場を横切り、四五軒並んでいる棺桶屋のま
かに飛び去ってしまったような、とりとめもない放心と虚た。 それから、あの、彼がいちばん恐れていたことがおこっ 脱にうちのめされ、相手の姿を見失ってしまうこともあっ おもわく えじき た。そのたびに、やっとの思いでいだして、また後を追たのである。犬の思惑どおりに、こちらが負けて餌食にさ う。大はそのあいだちゃんと待っていて、彼が歩きだすのれるのも、恐ろしいことだったにはちがいないが、これは を見とどけてから、また一定の距離を県つて前をゆっくりもっと打ちのめされたというに値いする結末だった きわけにされてしまったのだ : 逃けていくのだった。 こんどにかぎって、犬は立ちどまってくれなかった。振 それにしても、そろそろ残された全力をふりし・ほって、 一気に解決にもっていくべきときがきていた。そう思いな向きもしなかった。大のほうでも力の限界にきていたのか がらも、その結末をおそれて、なかなか決心がっかなかつもしれない。尾をす・ほめ、ひょろひょろと、地面に鼻をす りつけ宙にうかんだ足取りで、荒野の中を、まっすぐ東の たのだ。といって、べつに特別な計画があったわけではな 、。ただ、倒れたふりをよそおって、相手をできるだけ近ほうへ走り去ってしまったのである。 くに、たぶん三、四メートルのところまで引きつけてお久三は、起き上ろうとしたが、できなかった。ぬれた・ほ き、いきなり体ごと・ハネにしてとびかかろうというだけのろ布のように、その場にべったりはりついてしまう。犬の しよう・、う ことである。そのときに必要とするだろう筋肉の消耗を、闘いでは引きわけだったにしても、生命との闘いでは負け 心臓の苦痛を、考えただけでもそっとする。とにかく一回である。とりかえしのつかない敗北だった。生きのびよう かぎりで、二度とは繰返す見込のないこころみだった。しとする気力さえ、もうお・ほっかない。 かし、なしくずしに命をすりへらすよりは、まだましなよ高がにじりよってきて、久三の顔を引ぎおこして言っ うに思われる。それに、なによりも、狂暴な飢えが、相手た。 ねんまく しし、刀 の肉にくいっこうとして全粘膜を苦しいほどに張りひろげ「。ヒストルさえ、使えてりゃあ、こんなこと きさまのせいだぞ、くそったれ : : : くそったれが、きさま て待っているのだ。 じ」く 高に合図を送ると、ただでさえ倒れたがっている彼は、 の馬鹿のおかげで、地獄に行くんだ : ・ : こ よく意味をたしかめもせずに、すぐに地面にころがってく高が手をはなすと、久三の頭はことりと氷のうえにおち ひざ れた。つづいて久三も、片膝をつよく胸にひきよせ、両腕た。 をだきこむようにいつでも飛びだせる姿勢で斜めに伏せ「その地獄行きでさえ、ビストルが使えねえばっかりに たたか
のどなんこっ りを、久三が杖の先でついてみた。塊りは、簡単に地面か高は唇の両端の肉をゆっくりと持ちあげ、喉の軟骨を らはなれて、くるりと腹を上にむける。そこは、霜がはがはげしく上下させながら、重そうに右足をひいて体を向う れて鮮やかな馬糞色をしていた。手もとにひきよせ、のむきによじり、顔だけを残して、じ 0 と久三の耳のあたり かかと 踵でふみわると、粉つぼい割れ口に、草の繊維がなまなまを見つめている。 「じゃあ、おれは行くぞ : : : 」 しく浮きたっている。「まだ新しいや・ : : こ 久三はあつめた薪をかかえて火のそばに戻り、もどかし いつまでたっても、新らしくみえるさ。」 「凍ってりや、 「だって、まわりの氷がまだ薄いですよ。それに、そんなげな手つきで、靴をぬぐ。右の靴下の半分が、生がわきの にながいこと : : : そのうち何かが来て食ってしまいます血でごわごわに固まっている。それを火にあぶりながら、 だるそうなひしやげた声で言った。 「いいですとも。」 「なにが ? 」 「そうかい : : : 後悔するな : : : 」 「鴉とか、大とか、とかさ : : ・こ ねむ 「なあ、無駄な期待はよせ : : : 」高は苦しげに背をこご久三は毛布をひきよせて目をとじ、するともう半分睡り め、しかし表情はくずさず、折れた杖の先で半長靴の胴をかけているのを感じて、身ぶるいする。高が歩きはじめ 小刻みにうちながら、「いくら待ったって、なんにも来やた。靴をひきずり、傾斜にそって左のほうへ、迂回しなが せん。来るもんか : : はっきり言っとくがな、ここいらがら登り遠ざかっていくその足音を、まるで死の宣告のよう 一番危険なんだ。どこにどんな野郎が待ちかまえているかに聞き、しかし休息への強い欲求がすべての不安を消しさ 知れたもんじゃないんだからな。いまどき、こんなところって、結局おれは最上の選択をしたのだと、繰返し自分に 言いきかせては、自分でうなずいてみるのだった。 を通る馬鹿はいやせんよ。」 ひざあご 「そんなら、あんただって、安心じゃないか。」 かかえた膝に顎をのせ、眠むろうとする、ところがな・せ 「へらずロはよせ : : : とにかく悪いようにはせんのだか か、いつまでたっても寝つくことができないのだ。ゆっく りと移動する大気の地面とふれあうひびきが、世界をとほ 「とにかく、・ほくはここにいます。」払いのけるように言うもなく大きなものに感じさせ、重荷をおろしたという安 0 て、また薪をあつめだす。「 : : : おせ 0 かいはもう沢山堵監の中にかくれていた小さな不安の芽が、その世界のひ ろがりに合わせて成長しはじめていた。ふと、自分がもう せんい くちびる
174 * リアオトン 「どうってことはねえさ、おめえ、おかしな野郎だな よいよ遼東半島を横断して、それで最後の旅行をおえるわ けだ。興奮のあまり寝つけなかった。そのせいか、翌日の 大兼は笑いながら鼻をかんだ。手鼻ではなく、 ( ンカチ山越えは、これまでの苦しみをぜんぶ合わせたよりも、も を出してかんだ。 っとひどいものに思われた。出発したのが、午前五時。珍 趙が万年筆と、・ヘニシリンの相場のことで話をしはじらしく樹の多い、見とおしのわるい山である。途中で趙が め、久三は眠くなってきた。夢をみた。やはり肥哈林の夢荷物を持てなくなった。大兼もびつこをひきはじめた。久 ・こっこ 0 十ー十ー 三の右のは、後ろ半分が完全に分解し、足がじかに地面 翌朝、一行は、ー 月にそった山ひだの、小さな部落にとま にさわっていた。ふもとについたのは、もうタ方ちかかっ り、そこで馬車をおりた。三人の人夫をやとい、趙が馬車た。 の下から・ヒストルをとりだして人夫と久三をのそいた全員そこから、また馬車をやとった。馬の背中にはそれぞれ にくばり、手分けしてめいめいが荷物をかつぐことになっ赤旗がかざってある。疲労のあまり、誰もほとんど口をき ふしんじんもん た。やはり簡単な旅行ではないのだと思い、久三は気が減 かなかった。夜ふけに一度、不審尋問をうけた。趙が証明 入ってしまう。しかし一番の難関である国府と八路の対峙書らしいものを示し、なにか長い分りにくい組合の名前を 線は、昨夜のうちに無事通過したのだということだった。 言って、そこにおさめる品物だと説明すると、簡単に通し 山の下の町から、汽車に乗った。一台しかない客車は満てくれた。ひどくひかえめな、おとなしい兵隊だった。ぐ 員だ 0 た。久三は趙の弟とい 0 しょに屋根にの・ほ 0 た。 0 すり寝込んでいたので、ほかのことはなにも厩えていな 煙のひどさには閉ロしたが、のろのろ走るので危険はな い。三時間ほどすると、遠く右手に、乳色に光る海がみえゆすり起こされて、気がつくと、なにか不思議なにおい リアオトン た。遼東湾だと趙の弟が教えてくれた。ひとりでに頬がゆがたちこめていた。魚のにおいだ。草むらが鳴っているの るんで、にやにや笑いだす。しかしそれは一行のめざす海かと思ったが、それが波の音だった。しかし、なにも見え よい。じっと立っているためだけにも、手さぐりしていな ではなかった。下車したのは、それからさらに二時間ほど ビンシュイ ければならないほどの、きい夜だっこ。 いった、平水という小さな駅だった。 駅前の小さな旅館で、一泊する。久三は人夫たちといっ懐中電燈の光が息づく馬の腹をす・ヘり、旋回し、いちど しょに、アンペラを敷いた土間にごろねした。これからい地面におちてから、はねかえって久三の顔にとんできた。 そうば ほお せんかい
132 おおかみ 身の、神経と筋が統制をうしなって互いにもつれ合い、息 「犬じゃない、狼だそ、あれは : : : 」 久三には信じられない。狼というのは、もっと大ぎく切れがして思うように踏みだせない。高も立上っていた。 て、も 0 とスートなものだと思 0 ていた。高にも確信は例の小さなナイフをにぎり、のままそろそろと焚火の あとをまわって犬の向う側にでるつもりらしい。 ないらしく、あいまいにつけ加えて言った。 「狼じゃないかもしれんが、大でもないな : : : そのあいだ「刃を上に向けるんだー」 の、なんとかいう動物かもしれん・ : : ・なんというのか忘れ大も起上った。喉をならして、だるそうに地面のにおい たが、たしかにそういうのがおって、狼よりもどうもうだをかいでいる。 ということだ。朝鮮山大っていったつけな : : : 」 高が近づいていきながら、あやすようにロ笛をふいた。 大はくるりと向きをかえ、のっそりと歩み去る。こちらが 「でも、あいつは病気ですよ。」 立ちどまると、むこうも立ちどまり、こちらが進むと、 「そうかもしれんな。」 むこうもそれだけ後ずさるのだ。はさみうちにしようと 「捕まえましよう。」 くちびる 「どうだかね : : : 」高の唇がなにか言いたげに皮肉にゆ思っても、そこはちゃんと心得ていて、高と久三とを底 辺にした二等辺三角形の頂点の位置をあくまでも守りつづ がむ。 それがビストルの弾のことをさしているのだということけ、けっしてまごっいたりはしない。犬の足どりはひどく は久三にもすぐ分ったが、すんだことを言ってもはじまる不確かなので、いまにも追いつけそうな気がするが、こち まい、差し引きすればおれのほうに歩があるのだ。おまえらが近づく速度以上には走らなくても、それ以下というこ の命を助けてやったんじゃないか、そのうえおまえは一度とはなく、一一人は道の両わきを、さそわれるまま、どこま おれを置き去りにしようとしたーーー・そんなことを心の中ででも追っていった。彼らの目にはもう、犬が、すぐにも食 かたま えるばかりになっている肉の塊りに見えているのだ。 繰返しながら、相手の皮肉を無視して腰をあげた。 のど 「あいつ、いま、ぼくのうえにはい上って、喉のにおいをとっ・せん、犬が、横にとんで土手の南側に姿を消した。 かいでやがったんだ。それでも咬みつけなか 0 たくらいだ声をあげてあとを追 0 たが、すでに律方を見失 0 ている。 から、そうとう弱っているんですよ。」 あたりは小さな地面の起伏がはげしかった。一一人は近くの ナイフを抜いて右手にかまえ、腰をのばすと、睡眠不足小高い場所に並んで立って、申し合わせたように歯をがち と飢えと疲労がいちどきに襲いかかり、全身のとくに下半がち鳴らした。しばらくは身動きすることも、ロをきくこ