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検索対象: 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集
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1. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

す一「を第 ( ~ " をッ 3 「ー第 飯盛山の白虎隊士自刃の場所 ( 「榎本武揚」 ) 眼の内部が熱くなってきた。もう〈雪眼〉も〈砂 眼〉もなかった。砂を植えつけるにはばくの眼球 3 は、あまりにも」虚弱質だっこ。 再び横這いに歩きながら、砂防柵の方へ戻った。 くぐり口は、すぐ背後にあった。迷うはずはなか しっそ - フとどけ った。失踪届を出される、い配はなかった。 その時、ふと思った。〈はんこたんな〉の女た ちは、なぜ二本の道を教えたのだろう。 もしかすると、右手の道を行けば案外風も弱く、 難なく砂丘に入っていくことが出来たのではない か。たとえ、砂丘に迷い、万一失踪届を出される 状況にな「ても、〈砂漠〉との畆瞞韆を確かなも のにしえたのではなかったか。 でも、ばくは無造作に左手の道を選んでしまっ いま、雪片と砂の風に撃たれて後退する。〈は んこたんな〉の女たちは、どちらの道を行けとは いわなかった。選択はばくにまかせたのだ。 今にして田 5 えば、彼女たちの眼に残忍な光があ ったよ、つな気がしてならない

2. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

まぶたの裏にくいこむ砂が、幼年期の氏の柔かい眼 球に無数に突き刺さり、むろんそこには〈雪眼〉など とは比較にならぬくらい血がしたたり落ちる苦痛はあ 次の日、函館本線を南下して、函館に着く。途中札 ったろうが、その砂が精巧で特殊なレンズの役割をも まいばっ ちはじめ、荒野の下に埋没しているもう一つの荒野を幌に粉雪が舞っていたので、或いはと思ったが、やは もとらえることが出来るよ、つになったのではあるまい り函館は激しい吹雪になっており、灰色の家並はうす ごりようカく か例えば、人間がデンドロカカリヤという植物に変身 く消されかけていた。タクシーを拾って五稜郭へ行く この地に滞在した半日について、限られた紙数の中 していくさまとか、「魔法のチョーク」のアルゴン君の ように、壁の絵ばかり食べつづけた彼の肉体が、やがで書くとしたら、ばくを乗せたタクシーの運転手のこ ては壁の絵の成分におきかえられていき、ついに壁のとにしばるのが最適かもしれない 落圭日になっていくさまとかは、ばくたち人間をきっと 「やられたね、その眼、雪だろ : : : 」 ヾソクミラーの中で、ばくと視線が合ったその五十 その〈砂眼〉でとらえたに違いなく、もしそうでない とすれば、氏の限りなく自由で奔放なイメージのあり がらみの運転手は不意に話しかけてきた。泣きあとの かをなんと説明したらいいのだろうか。またその眼球ような顔を内心ひどく気にしていたばくは、突然の理 に突き刺さっている砂は、常に或るざらっきとかゆさ解者に出会ったように、くどくど〈雪眼〉について話 をともない、その感覚がいつも氏の五体を緊張させ、人しだした。 間が長い歴史の中で失ってしまったけもののような直 ところが一向に同情と理解のあいづちはえられない 感力を絶えす研ぎすます作用をしているに違いない 鼻の先で軽くふん、ふんといって聞いていたが、いき なり・、 それにくらべれば、ばくの〈雪眼〉は雪原を去れば ・、戦的に、 程なく尋常に戻るに違いなく、束の間の出来の悪いレ 「カラフトの雪はそんなもんじゃないね。内地から来 うみ ンズにせよ、いつまで持続しうるのだろうか た兵隊なんぞ、目玉からふき出す膿で、まぶたがニカ ワでくつつけたようになるんだ。そんなのがサラにい たね」

3. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

らしながら乗り出して、逆に村の人間たちを見まもり観察て僕らの日常には、躰や心を極度に傷つけながら慣れてゆ していた。弟にと 0 ては、村の人間たちのほうが極めて珍かねばならぬことが次からつぎ〈たちふさがり、僕らはそ なぐ しく好奇心を眼ざめさせる異邦人なのだった。そして弟れにぶつかって行くほかはなかった。殴りつけられ血を流 は、時どき僕のところへけてきては、感動に声をうわずして倒れることなどは最も初歩的な慣習にすぎなか 0 た らせ熱い息を僕の耳たぶにからませて、村の子供のトラコし、一箇月ほど警察犬の飼育の当番にあてられた仲間は、 くちびる がんきようあ・こ ーマにおかされた眼、割れた脣、村の女たちの畑仕事のた毎朝、餓えた犬に餌をあたえる時、頑強な顎に咬まれて形 めに黒ずみつぶれている魁偉な指さきなどについて熱中しのかわってしまった幼い指で器用に猥らな彫刻を壁や床板 て説明するのだった。僕は村の人間たちの注視のなかで、 に刻みつけることができたのだ。しかし、その朝遅くなっ こうさ、 弟の薇色に輝く頬、うるんだ虹彩の美しさを誇りに感じて、脱走した仲間一一人が巡査と保護教官の後について帰っ たものだった。 て来た時、僕らはやはり動揺せざるをえなかった。彼らは かんべき あまりに完璧に打ちのめされていた。 それにしても、捕えられた珍しい獣のような異邦人が、 彼らを見つめる他人の眼のまえで最も安全であるために教官と巡査が話しあっている間に僕らは、失敗した勇敢 は、石や花、樹木のように意志のない、眼をもたない存な仲間たちのまわりをとりまいて立った。彼らの脣は切れ 在、ただ眺められる存在であることが良いことなのだ。弟て轣いた血がこびりつき、眼のまわりは黒ずみ、頭髪は血 は、村の人間たちを見つめる眼であることに固執するせい に濡れてかたまっていた。僕は携帯品袋のなかからアルコ おうかっしよく で、時には村の女たちの太く黄褐色の舌さきから丸められ ールを取り出して彼らのおびただしい傷口を洗い、ヨー つば たくま た唾を頬にうけたり、子供たちから石を投げつけられる被 ド・チンキを塗りつけた。彼らの一人、年齢も上で躰の逞 害をうけた。しかし弟は、微笑をあふれさせながらポケッしい少年は内にあげられた打撲傷をも 0 ていたが、ま ぬいと りよろレ、・ ~ 、 トの鳥の縫取りのある広い手巾で頬をぬぐい、彼は凌辱 くりあげたズボンの下のそれを治療する方法は僕らには見 した村の人間たちを驚嘆の眼でみつめつづけるのだった。 当もっかなかった。 それは弟が、見られる存在、檻のなかの獣の立場にうま「爆は、夜のあいだに森をぬけて港の方向〈逃げるつもり く慣れていないことを意味するものだった。そしてそれにだったんだ。船に乗って南へ行くつもりさ」と少年は口惜 くら・ヘて、弟以外の仲間たちはそれに慣れきっていたのしがっていった。ふいに僕らは緊張したまま、しかし声を あこが だ。僕らはまったく実に様ざまなことに慣れていた。そし嗄らせて笑った。彼はいつも南の地方について憧れてお 力、し ハンカチ からだ くや

4. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

僕は自分の落ちこんだどんづまり、自分を捕えた罠が信じてりが内側から伝わって来る壁に汚れた額を押しつけ、声 はさみ られないで、傷ついた足音をしめつける鉄の鋏を見つめてをひそめて長い間すすり泣いた。夜は長かった。森で山大 のうさぎこ いる間に衰弱して死んでしまう野兎の仔だった。黒人兵をの群れがえていた。空気が冷たくなっていった。そして おろ 友人のように信じていたこと、それがいかに愚かしいこと疲れが僕を重く領し、僕はくずおれて眠った。 だったかということが僕を激しく責めたてる。しかし、あ眼ざめると僕の腕は、やはり黒人兵の掌の強い圧迫をう にお のいつも笑ってばかりいる黒くて臭う大男を疑ることがでけて、なかば痺れているのだった。明りとりから荒あらし ぎるか ? しかもいま、僕の前の暗闇のなかで鋭い歯音をい霧と、大人たちの声が吹きこんで来た。そして、書記が きし 時どきたてている男が、あの大きいセクスのばかな黒ん・ほ義肢を軋ませて歩きまわる音も聞えた。やがて揚蓋を太い うだとは思えない。 槌で殴りつける音がそれに交った。その重く強い音が空腹 おかん 僕は悪寒に震えて、歯をがちがち鳴らした。腹が痛み始にかりたてら、れる僕の胃に響き、胸をうずかせた。 しやが めていた。僕は下腹を押さえて蹲みこみ、そして急にひど 黒人兵が急に喚ぎたて、僕の肩をんで立ち上らせると げり い当惑につきあたるのだ。僕は下痢ぎみだった。僕の躰中地下倉の中央まで引きずり出して、僕を明りとりの向うの そくしん の神経の苛立ちがそれを促進してもいた。しかし僕は黒人大人たちの眼にさらした。僕には黒人兵の行為の理由がま うさぎ ったくわからなかった。明りとりから数かずの眼が兎のよ 兵の前でそれを果たすことはできない。僕は歯を喰いしば 、額に苦い汗をにじませてそれに耐えていた。それに耐うにつりさげられている僕の恥辱を見つめた。それらの眼 のなかに弟の濡れて黒い眼があったら、僕は恥じて舌を噛 える努力が、恐怖の占めていた場所をおおうほど長いあい みきっただろう。しかし、覗き穴には大人たちの眼だけが だ、僕は苦しみながら耐えていた。 あき * いしゅう しかし僕はやがて諦らめ、黒人兵がまたがっているのを蝟集して僕を見つめているのだ。 たる 見て笑いざわめいた樽へ歩いて行き、ズボンを下した。僕槌の音がより激しくなり、黒人兵は叫びたてると、背後 育 から僕の喉を巨きい掌でんだ。僕の喉の柔かい皮膚に黒 には剥き出された白い尻が非常に無抵抗で弱く感じられ、 くつじよく 飼屈辱が僕の喉から食道を通じ、胃の内擘まで、すべて真黒人兵の爪が食いこみ痛かったし、喉・ほとけが圧迫されて呼 にそめてしまうようにさえ感じられるのだ。それから立ち吸ができない。僕は手足をばたばたさせ、顔をのけそって うめ あがり、僕は壁の隅へ帰った。僕はうちひしがれ、屈服呻いた。明りとりの向うの大人たちの眼の前での僕の苦い し、すっかりどんづまりに落ちこんでいた。僕は地熱のほ屈辱、僕は躰をねじり、背に密着している黒人兵の躰から - ら うたぐ っちなぐ おお わめ したか

5. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

292 黙っていたが、央して土蔵へ帰ろうとはしないのだった。 うな充血して力ない眼を業らの問いかける顔へはしらせ こ 0 ぎどう 「トロッコの軌道を見に行ったんだ」と李が説明した。「あ 第六章愛 れなら外から村へ入って来て、この人を捕まえる奴はいな いだろう ? それをはっきり見に行ったんだ」 午後になって急に風が起り、空は晴れわたっていたが寒僕らは、兵士が村を閉鎖されたことで利益をえているこ やまはだ かった。谷をかこむ山肌の、新しい芽をふきはじめた灌とに改めて気がつくのだった。兵士は僕らに見つめられて ぞうきばやし 木、葉をおとした雑木林の下草が風に揺れて鋭く光った。 眼をふせた。 たきび ひざ 僕らは分教場前の広場で焚火をし、そのまわりに膝をかか「捕まえられたら : : : 」と弟が兵士に向っておずおずいっ えて群らがるか、あるいは背を屈めて広場をあるきまわるたが兵士は黙ったままでいた。 たんせい かした。焚火の淡青の煙は風にすぐかきけされて空へは上「裁判されるんだろ」と李がとりなした。 はんしようだい じゅうさっ って行かなかったし、僕らは既に低い半鐘台を中心にする「銃殺さ」と南がとげとげした声でいった。「あっという ほとんあんき 村の風景を見あき、殆ど暗記してしまってさえいたので・ほまに銃殺さ」 いらだ んやり風景に眼をそそいでいることさえ退屈すぎた。した 兵士がこわばる眼で南を見あげた。南はひどく苛立って がって僕らは何も見ないで、ただじっとしているか動きま いた。僕は兵士がふるいたって南を殴りたおすことを期待 わるかして時間をすごさねばならなかった。僕らはそししたが、兵士は子供のように驚きをあらわにして南を見つ て、ふいに自分が衰弱していること、村へ閉じこめられためているだけだった。 しようそう 生活に焦燥していることに気がつくのだった。共通の疲れ「ふん」と肩をそびやかして南はいった。 と無関心、持続力のなさが僕らをおおう一種の気分の特徴「この人は逃げるのがうまい。決して捕まらない」と李が っこ 0 だったのだ。 しー しかし、李と連れだって兵士が広場へやって米ると、僕「捕まらないさ」と弟がいった。「ね、あなたは捕まらな 、でしよ」 の仲間たちは動揺し、感情の昻揚をとり戻した。兵士もまし た、昨日暗い土間で見た時よりは元気だった。しかし彼は 兵士は弟を見つめた。僕は兵士がなぐさめられているの のうさぎ おとな 焚火の前へ坐りこむとやはりぐったりして野兎の眼のよを感じたが、そういう種類のなぐさめられかたをする大人 かん へいさ

6. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

なんぎんじよう はず きりこぎいく 揚蓋のものものしい南京錠が水滴をしたたらすのを外煮込、そして切子細工の広ロ瓶に入った山羊の乳。黒人兵 し、中をイて父だけがまず、注意深く銃を支えて降りては長いあいだ、僕が入って来た時のままの姿勢で食物籠を 行った。蹲みこんで待っている僕の首筋に霧粒のまじった見つめつづけ、そのあげく、僕が自分自身の空腹に痛めつ がんじようかっしよくりようあし 空気がまといついて離れない。僕の頑丈で褐色の両脚が震けられ始めるほどなのだ。そして僕は、黒人兵が僕らの提 えるのを僕は、背後にびっしりたちこめて僕を見つめる数供するタ食の貧しさと僕らとを軽蔑して、決してその食物 しれない眼に羞じていた。 には手をつけないのではないかと考えた。羞恥の感情が僕 「おい」と父が押し殺した声でいった。 をおそった。黒人兵があくまでも食事にとりかかる意志を 僕は食物の籠を胸にえて短い階段を下りて行った。光示さなかったら、僕の羞恥は父に感染し、父は大人の恥辱 度の低い裸電球に照しだされて、そこに《獲物》がうずくにうちひしがれ、やぶれかぶれになって暴れ始め、そして の、さり わな まっていた。彼の黒い足と柱を結びつける猪罠の太い鎖が村中が恥に青ざめた大人たちの暴動でみたされるだろう。 誰が黒人兵に食物をやるという悪い思いっきをしたのだろ 僕の眼をぐいぐいひきつける。 《獲物〉は長い両膝を抱えこみ、顎を臑に乗せたまま充血う。 しかし、黒人兵はふいに信じられないほど長い腕を伸ば した眼、粘っいて絡んで来る眼で僕を見あげた。耳のなか へ躰中の血がほとばしりそそぎこんで僕の顔を紅潮させし、背に剛毛の生えた太い指で広ロ瓶を取りあげると、手 にお る。僕は眼をそらし、壁に背をもたせて銃を黒人兵に擬しもとに引きよせて匂いをかいだ。そして広ロ瓶が傾けら とん ている父を見あげた。父が僕に顎をしやくった。僕は殆どれ、黒人兵の厚いゴム質の脣が開き、白く大粒の歯が機械 眼をつむって前に進み出、黒人兵の前に食物の籠を置いの内側の部品のように秩序整然と並んで剥き出され、僕は た。後ずさる僕の躰のなかで、突発的な恐れに内臓が乳が黒人兵の薇色に輝く広大な口腔へ流しこまれるのを のどはいすいこう はきけ えし嘔気をこらえなければならない。食物の籠を黒人兵が見た。黒人兵の咽は排水孔に水が空気粒をまじえて流入す 育 る時のような音をたて、そして濃い乳は熟れすぎた果肉を 見つめ、父が見つめ、僕が見つめた。犬が遠くで吠えた。 糸でくくったように痛ましくさえ見える脣の両端からあふ 明りとりの向うの暗い広場はひっそりしていた。 飼 黒人兵の注視の下にある食物籠が僕の興味を急にひき始れて剥き出した喉を伝い、はだけたシャツを濡らして胸を きようじん ぎようしゆく める。僕は餓えた黒人兵の眼で食物の籠を見ているのだ 0 流れ、黒く光る強靱な皮膚の上で脂のように凝縮し、ひ た。大きい数個の握飯、脂の乾くまで焼いた干魚、野菜のりひり震えた。僕は乢羊の乳が極めて美しい液体であるこ あげぶた か・こ から あごすね にこみ びん

7. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

こんなふうにして、また一晩すごすのかと思うと、たま「あれから、もう、二日目ですよ。」 らない。明日は、なんとか、きりをつけよう。昼まで待つ「旗は、おろせって ! 」 「なぜです : : : 飢え死にするのはいやですよ。」 て、もしまだ誰も旗をみつけてくれなかったら : : : ふと、 高が、眼を開らいているのに気づいた。不思議そうにあた 「ばか : : : 」 りを見まわし、じっと旗を見つめる。すると、意識をとり「まるで、人に出逢うのを、こわがっているみたいです もどしたのか。大声をあげて叫びたいほどうれしかった。 のぞきこもうとすると、ほとんど表情をかえずに、息だけ「じゃあ、ビストルを返せ。」 「病気がなおったら、返します。」 の声で言った。 : は、はたなんかー 「ばかー 高はそろそろと右手をあげて、苦しそうに左腕をおさえ 「だって、もう二日目ですよ。」 た。「いまは、朝かな、夕方かな : 「はずせ : : : 」 「タ方です。」 裏切られたような気持で、久三は黙った。高は体を動か「情けないことになったな。そりや、恩にはきるさ : : : だ が、旗は困るんだ。」 しかけて、うめき、くいしばった歯のあいだから、なにか 「だから、理由を言ってくれればいい。」 ぶつぶつ言った。水、と聞えた。ちょうど冷めかけていた ぶしよう くちびる 、さ。言ってやるよ。病気 のを、唇の縁から流しこんでやる。びつくりするほど不精「気のつよいやつだな。ま、いし ひげがのびている。死にかけた人間は、早くひげがのびるがよくなったら、言ってやる。」 ということだ。むせかえり、涙をうかべ、苦しそうだ。眼久三はロをつぐんだ。これはたぶん、人眼をのがれてい る犯罪者かなにかなのだろう。高がくすくす笑いだした。 は血走り、いぜんとして熱がたかい。 「おまえ、土人の顔みたいだそ。ロのまわりに輪が入っと ・ : 痛みますか ? 」 「気分、どうで・す ? 「なにか、食べてみますか ? 」 「自分だって、そうじゃないですか。」 のどぼとけ もう一度笑いかけて、ふいに血の気がうせ、舌をもつら 喉仏を上下させて、眼でうなずく。チーズのかけらと、 湯にひたして柔くした乾。 ( ンを、噛ませてやった。時間はせながら叫びだした。「たまらん、ちょっと、手の具合を みてくれんか : : : 」 かかったが、八つも食べた。これで死ぬのだろうか ?

8. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

第 Sö3 雲間から太陽がのぞき始めたため、雪の照り返しが まぶ その瞬間からばくは或る不安をおばえた。な幻 ぜ雪を持「てこなか「たのだろう。また眼をやら れるのではないだろうカ 、。ばくは雪国高田の生れであ る。そのくせすぐに雪で眼をやられる。雪国で言う ゆきめ 〈雪眼〉というやつだ。 いーしかりめ・わ ひしたかす 蛇行する石狩川を渡って約二十分。東鷹栖町へつく 町といっても、例の町村合併の落し子で〈村〉である ことには亦夂りない 、 : フや 一面の雪。だだっぴろい白い曠野。彼に大雪山が 見えるはすなのだが、がスのため地平線と空が溶けあ っている。 ここが氏の〈原籍地〉だ。むろん〈原籍地〉になっ ているには、それなりの理由がある。明治の中期、氏 の祖父が四国からこの地へ開拓民として入植した。石 とんてんへ、 狩川を境にした反対側の永山という土地は屯田兵で有 名なところで、それより数年遅れてこの東鷹栖という 土地に入植がはじまったとい、つ ところカオ 、こった本川をへだてただけなのに、永山 にくらべて東鷹栖の土地の肥沃度はきわめて低く、三 代たった今でも、村の経済状態は格段の違いらしい この自然の厳しい条件の中で、氏の祖父は初代村長 として虫が地を這うように開拓をすすめていった。や

9. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

えてきた。こんなことは初めての経験ではないので、 車のシートに背をもたせ、眼をつった。 のうり その時ふとばくの脳裡に氏のエッセイ集「砂漠の 思想」の一節が甦ってきた。 : 空が暗褐色にそまり、息がつまりそうな砂ばこ ) の日、乾ききったまぶたの裏に、 拭いてもふいてもぬぐいきれない 化カくいこむ、あのいらだたし、 気分の裏には、不决感だけではな く、同時にいつも一種の浮きうき した期待がこめられていたように 思うのだ。それは、一つには、春と いう季節との結びつきもあったろ う。大陸の春は、永い冬のあと、砂 ばこりとともに突然やってきて、 さじん また突然いってしまう。砂塵は春 の象徴でもあったわけだ : これは幼年期をすごした満州に ついて書いたものだが、 この砂ほ こりに関して、突然ばくの他愛な い空想が発展しだしたのだ。まぶ たの裏にくいこむ砂の感触に、 つには春という季節への期待があ よみえ ミいリ誌ー = 第なを叮当レ硎第。第・産ーー 当、 % , い、 . ら第をゾ強 : ッいを 0 、査 0 ったと述べているか、一つにはと書くからには、別の 理由もあったのではないか。ここからはあまりに滑檮 な空想で聿日くのもおこがましいが、〈雪眼〉があるな ら、〈砂眼〉というようなものがあったのではないか 北海道函館市にある五稜郭で ( 「榎本武揚」 )

10. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

僕らは雪の上に乾いた落葉を敷いて腰を下し小鳥の到来「ああ。レオのこと謝って来てやる」 繝を待 0 ていたのだ。僕は立上り、樹木の風下の乾いた落葉僕は雪を蹴ちらして斜面をけた。僕の腰にふれて枯れ 小んぼく しばら をかきあつめにいった。そこは深く掘ると落葉の中に清冽た薇科の灌木の枝が。ほき。ほぎ折れ、ほんの暫くのあいだ な水があふれてい、白っ。ほい鮮明な空色の芽がふくらんで僕を追ってきたレオがその一本をくわえて弟のところへ戻 いて僕をあっけにとらせたりするのだった。それに殻にくって行った。 こんちゅうさなぎ るまった昆虫の蛹など。 わな 落葉を新しく敷きつめた上に坐りなおして弟は熱心に罠土蔵の中は冷たく、地肌や花植物、樹皮の匂いがむん ふく を見はった。弟の小さく赤い手のしもやけに脹れた指に紐むんしていた。僕は板戸を押しひらいたまま、眼を暗がり きようき にぎ ひざ が鋭い兇器のように握られているのを僕と、弟の膝に肩をに慣らすために暫くそのままでいた。戸外は陽と雪の乱反 すりつけてじっとしているレオとが見つめた。 射であまりにも明るかったからそれは長い時間を必要とす ふとん 鳥はまったく長いあいだやって来なかった。僕と弟とレるように思われた。それから板の間に薄い布団を首のまわ うぶ オが罠を軸にしたゆるやかで根深い時間の回転へまきこまりに巻きつけた少女の熱に赤らみ耳から頬にかけて濃い生 あくび れ、僕も弟も欠伸をしては涙を眼にいつばい浮べ、犬はた毛が金色に光っている小さい顔がうかびあがった。彼女の えまなく耳を動かした。僕は少しずつ、今となっては日常動物の仔のような眼を見かえしながら僕はゆっくり板戸を ねむ 的になった不安と睡りに躰をひたされ始めた。 閉ざした。 「ああ」と弟が嘆息をもらした。 「寒いだろ」と僕は嗄れた声でいった。 「どうかしたのか ? 」と僕はこぶしを握りしめていった。 「ああ」と少女は眉をひそめていった。 「大きい鳥が枝から飛びおりて来たかと思ったの、と弟は僕はといえば駈けてきたせいでシャツの下の皮膚には汗 眠そうな幼い顔に優しい微笑をたたえていった。「小さなをにじませていたのだ。そして僕は自分が走りながら少女 クサビのような葉っぱが僕のすぐ眼の前に落ちたから」 の土蔵で起る何を望んでいたのか今となっては思いたせな おれ あせ 僕は立ちあがって弟にすばやくいった。「俺は下までちくて、焦ってしまう。 よっとだけ下りて来る」 「病気なのか」と僕は自分の質問に失望しながらあわてて するしわ 「あの鳩みたいな女の子のとこ ? 」と弟は狡い皺を眼もと いった。僕は少女が僕を馬鹿だと思いはしないかと考え によせていった。 からだ 歩ら せいれつ こ 0 あやま しわが ・いん お にお