黒人 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集
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1. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

ら、大人たちの集って来るのを待った。谷間の畠や林から落長の家の暗い土間を出、倉庫に向って近づいて来るのを 仕事着をつけ、不満に頬をふくらませた大人たちが次第に見た。 帰って来、僕の父も、銃身に小柄な野鳥を数羽くくりつけ僕は坐っている黒人兵の肩を揺すぶり、方言で叫びたて た。僕は苛だちで貧血をおこしそうだったのだ。僕にどう て、土間に入って来た。 会議が始まるとすぐ、黒人兵を県に引きわたすことになすることができよう、黒人兵は黙ったまま僕の腕に揺すぶ ったという意味のことを書記が方言で説明し、子供たちをられて、太い首をぐらぐらさせているだけなのだ。僕はう はず 打ちのめした。そして、軍隊が黒人兵を受取りにくる筈だなだれて彼の肩を離した。 それから急に黒人兵が立ちあがり樹のようにの前にそ ったのに、軍隊の内部に行きちがいと混乱があるらしくて ′レト・うは・、 びえ、僕の上膊を握りしめると、殆ど僕を引きずるように 村の方で《町》まで運びおろしてくれといって来たのだ、 めいわく と書記はいった。大人たちの迷惑は、黒人兵を運びおろす強く彼の躰におしつけ、地下倉の階段を駈けおりた。地下 倉の中で僕は短い時間、あっけにとられて、すばやく動き という作業によってひぎおこされるものだけにすぎない。 しり しかし、僕らは驚きと失望の底にいたのだ、黒人兵を引渡まわる黒人兵の引きしまった腿の動ぎ、尻の肉の収縮など あげぶた す、そのあと、村に何が残るだろう、夏が空虚な脱けがらに眼をうばわれていた。黒人兵は揚蓋をおろし、上側の かんぬき てつわくつい 閂を支える鉄枠と対になって内側へ突き出ている環と壁 になってしまう。 僕は黒人兵に注意をあたえてやるべきだった。僕は大人から差し出された揚蓋の支えとを、修理されたままそこに トな りようて たちの腰のあいだをすりぬけて倉庫の前の広場に腰をおろかけてあった猪罠で連結した。そして、両掌を組みあわ あぶら どろ している黒人兵のところへ駈け戻った。黒人兵は彼の前にせ、うなだれて降りて来る黒人兵の脂と充血のために泥を つめられたように表情のない眼を見て、急激に僕は、黒人 立ちどまって息をつく僕を、どんよりした太い眼球をゆっ くり動かしながら見あげた。僕には、彼に何を伝えること兵が捕えられて来た時と同じように、理解を拒む黒い野 もでぎない。僕は哀しみと苛だちにおそわれながら、彼を獣、危険な毒性をもつ物質に変化していることに気づいた 見つめているだけなのだ。黒人兵は膝をかかえたまま、僕のだ。僕は大ぎい黒人兵を見あげ、揚蓋にからみついた猪 飼 きようがく じゅたい の眼を覗きこもうとしていた。受胎した川魚の腹のように罠を見、自分の小さい裸足を見おろした。恐怖と驚愕とが うず だえきはぐき こうヤ・、 丸い彼の脣はゆるく開かれ、白く光る唾液が歯茎の間から洪水のように僕の内臓をひたし渦まく。僕は黒人兵から跳 流れた。僕は振りかえり、書記を先頭にした大人たちが部びのき、壁に背をおしつけた。黒人兵はうなだれたまま地 こら

2. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

囲まれた黒人兵に出会うと顔をそむけて横に避けるだけな注意して、それを共同堆肥場へ棄てに行ぎ、汚れた指を広 のだった。 い木の葉でぬぐいながら帰って来ると、すでに鼬の皮は脂 ぼうまく くぎ 子供たちがそれそれの家の仕事にかりだされて忙がしく肪の膜と細い血管を陽に光らせ、裏がえされて板に釘づけ 黒人兵の地下の住居を訪れない時にも、広場へ上って来てられようとしている。黒人兵は脣を丸め鳥のような声をた 樹かげにいねむったり、敷石道をゆっくり前屈みに歩いててながら、父の太い指さきで乾きやすいように脂をしごか 来たりする黒人兵を、僕ら子供たちも、大人たちも驚きのれる皮の襞ひだを見つめている。そして板壁に干された毛 気持なしに見るのだった。黒人兵は猟大や子供たちゃ樹々皮が爪のように硬く乾き、そこを血色のしみが地図の上の と同じように、村の生活の一つの成分になろうとしてい鉄道のように走りまわっているのを見て黒人兵が感嘆する 時、僕と弟は父の《技術》をどんなに誇りに思ったこと 夜明けに僕の父が、板をうちつけて作った細長く不恰好 か。父さえ毛皮に水を吹きかける仕事の合間に黒人兵へ好 な罠の中で暴れまわる、信じられないほど長い胴を丸まる意的な眼をむけることがあるのだった。そして、その時、 いたちわき かわ 太らせた鼬を脇にかかえて帰って来る日、僕と弟はその皮父の鼬処理の技術を株にして、僕と弟と黒人兵と父とは一 剥ぎを手伝うために午前中ずっと倉庫の土間ですごさねばつの家族のように結びついた。 のぞ かじゃ ならない。そういう時、僕らは黒人兵が僕らの仕事を覗き黒人兵は鍛冶屋の仕事場を覗きに行くことも好きだっ みつくち こむためにやって来るのを心から待っているのだった。 た。僕ら子供たちは、特に兎口が半裸の躰を火に輝かせて くわ 黒人兵がやって来ると僕と弟は皮剥ぎ用の血に汚れ柄に鍬を造る手伝いをしている時など、黒人兵を囲んで鍛冶屋 あぶら 脂のこびりついたナイフを握りしめた父の両側に息をつめの小屋まで出かけるのだった。鍛冶屋がその炭の粉に汚れ びんしよう ひざ てぎわ て膝をつき、反抗的で敏捷な鼬の十全な死と手際よい《皮た掌で、赤く熱した鉄片をみあげ水に突っこむと、黒人 剥がれ》を見物客の黒人兵のために期待するのだった。鼬兵は悲鳴のような感嘆の声をあげ、子供らはそれをはやし すさま は死にものぐるいの最後の悪意、凄じい臭気をはなちなが たてた。鍛冶屋は得意がって、たびたびその危険な方法で ら絞め殺され、父のナイフの鈍く光る刃先で小さくはじけ彼の手腕を誇示するのだった。 しんじゅ る音をたてながら皮が剥がれると、そのあとには真珠色の女たちも黒人兵を恐れなくなっていた。黒人兵は時には 光沢をおびた筋肉にかこまれた、あまりにも裸の小さく猥直接に女たちから食物をあたえられた。 ぞうもっ らな躰が横たわる。僕と弟がその臓物をこ・ほさないように こ 0 トな からだ ひだ たいひ くちびる かわ

3. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

えんさ せんう すみ えきびよう の怨嗟にまで高まった羨望の熱い吐息を背いつばいにうけゆる隅ずみを黒人兵でみたしていた。黒人兵は疫病のよう しんとう おとな とめて歩くということの快楽だけで、僕はこの作業をやり に子供たちの間にひろがり浸透していた。しかし大人たち 続けただろう。 には、その仕事がある。大人たちは子供の疫病にはかから しかし僕は、午後一度だけ兎口が地下倉へ入って来るこない。町役場からの遅い指示を待ちうけてじっとしている とを特に父に頼んで許してもらったのだった。それは、僕ことはできない。黒人兵の監視を引受けた僕の父さえ、猟 一人でなしとげるには過重な労働の一部を兎口に肩がわり に出はじめると、黒人兵はどんな保留条鮏もなしに、オナ させるためだった。地下倉には、黒人兵のために古い小型子供たちの日常をみたすためにだけ、地下倉の中で生きは の樽が柱の蔭に置かれている。午後になると僕と兎ロは樽じめたのだった。 に通した太い縄を両側から注意深くさげて階段を上り、共 たいひ 同堆肥場へ黒人兵の糞と尿のまじった、・・・ とふとぶ音をたて昼の間、僕と弟と兎ロは、始めは規則を犯すことの誘惑 す 悪臭をまきちらす濃い液体を棄てに行くのだ。兎ロはその的な胸の高鳴りを感じながら、そしてすぐその状態に慣 わき 仕事を過度な熱心さでやりとげ、時には堆肥場脇の大きいれ、まるで大人たちが山や谷へ出はらっている昼間、黒人 すいそう ゆだ 水槽にうっす前に樽を木片でかきまわして、黒人兵の消兵を監視するのが僕らに委ねられた守るべき職務でもある 化、特にア町の状態を説明し、それが雑炊の中の謇能ように平然として、黒人兵の坐 0 ている地下倉〈こもる習 に原因することなどを断定するのだった。 慣をつけた。そして、兎ロと弟とが放棄した明りとりの覗 ほこりかわ 僕と兎口が父につきそわれ、樽をとりに地下倉へ下りてき穴は、村の子供たちにさげわたされた。熱く、埃の乾い 行き、黒人兵がズボンをずりさげ黒く光る尻を突き出している地面に腹ばった子供たちは、僕と兎ロと弟が黒人兵 ほとん て、殆ど交尾する大のような姿勢で小さな樽にまたがってを囲んで坐っている光景を、羨望で喉をほてらせながら代 いるのにでくわしたりすると、僕らは黒人兵の尻のうしろるがわる覗きこむのだった。そして、羨望のあまりに我を しばら で暫く待たねばならない。そういう時、兎ロは畏敬の念と忘れ、時に僕らの後について地下倉へ入って来ようとする 驚きとにうたれて、夢みるような眼をし、樽の両側にまわ子供がいると、彼はその反逆的な行為のつぐないに、兎ロ わな された黒人兵の足首をつなぐ猪罠がひそかな音をたてるのから殴りつけられ鼻血を流して地に倒れねばならない。 を聞きながら僕の腕をしつかりんでいるのだった。 僕らは既に、黒人兵の《樽》を階段の降り口にまで運び 僕ら子供たちは黒人兵にかかりきりになり、生活のあらあげるだけで、それ以後の、樽を共同堆肥場まで炎天の下 たる によう しり たる せんーう えんてん

4. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

わな ・、りかける 0 も、黒人兵は指を埃じみて古くなったグリスで汚し、猪罠 僕らは駈けて部落長の家へ行き、村の共有財産の一つのの発条の接合部の咬み合いがうまく行くように、低い金属 道具箱を土間からかつぎ出して地下倉へ運んだ。その中に音をたててはその試みをくりかえしていた。 てのひらわな は武器として使えるものが含まれていたが僕らはそれを黒僕は退屈しないで、黒人兵の桃色の掌が罠の刃に圧さ くぼ 人兵にゆだねることをためらわなかった。僕らにとって家れて柔かに窪むのを見たり、黒人兵の汗にまみれて太い首 あか 畜のような黒人兵が、かって戦う兵士であったということ に脂肪質の垢がよれて筋になるのを見たりした。それらは こば はきけ は信じられない、あらゆる空想を拒んでしまう。黒人兵は僕の心に、不快ではない嘔気、欲望と結びついたかすかな反 こうこ ) 道具箱を見つめ、それから僕たちの眼を見つめた。僕らは撥をよびおこすのだった。黒人兵は広い口腔のなかで低く ふく そくそくする喜びに躰をほてらせて黒人兵を見守ってい 歌っているように、頬の厚い肉を膨らませながら彼の仕事 こ 0 に熱中していた。弟は僕の膝によりかかり、黒人兵の指の みつくち 「あいつ、人間みたいに」と兎口が低い声で僕にいった動きを感嘆に眼を輝かせながら見守っていた。蠅が僕らの しり 時、僕は弟の尻を突っつきながら笑いで躰がよじれるほどまわりを群らがってとびまわり、僕の耳の底で蠅の羽音が 幸福で得意な気持だった。明りとりからは子供らの驚嘆の熱気とからみあって反響し、どよみまつわりつくのだっ 吐息が霧のように勢よく吹きこんで来るのだった。 あら ひときわ重厚で、短く喰いこんで来る音をたてて罠が荒 朝食の籠を運びかえり、僕ら自身の朝食をすましてか なわたば ら、僕らが再び地下倉へ戻ってみると黒人兵は道具箱から縄の束を噛み、黒人兵は罠を床に丁寧に下してから、僕と ほほえ スパナーや小型のハンマ 1 を取り出し、床にしいた南京袋弟を微笑んでいる鈍重な液体のような眼で見た。彼の黒ぐ の上に規則正しくならべていた。傍に坐る僕らを見て、黒ろと光る頬を汗が震える玉になって流れていた。僕と弟は 人兵の黄色く汚れてきた大きい歯が剥き出され頬がゆるむ徴笑みかえした。僕らは実に長い間、山羊や猟犬に対して と、僕らは衝撃のように黒人兵も笑うということを知ったそうするように、徴笑んだまま、黒人兵のおとなしい眼を とん のぞ のだった。そして僕らは黒人兵と急激に深く激しい、殆ど覗きこんでいた。暑かった。そして暑さが僕らと黒人兵と 《人間的〉なきずなで結びついたことに気づくのだった。 を結びつける共通な快楽ででもあるように僕らは暑さにひ かじゃ くちぎたなののし 午後遅くなり、兎口が鍛冶屋の女にロ汚く罵られながらたりきって微笑みあっていた : 連れ戻され、僕らの土間にじかに坐った腰が痛みはじめて ある朝、書記が泥まみれになり、顎から血を流しながら きようたん こ 0 ふる

5. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

368 カカと すねけ 逃れようとし、踵で黒人兵の臑を蹴りつけたが、黒人兵のりのように熱い交流が僕らをそこで結びつけるのを感じ うめ 毛むくじゃらの太い腕は硬く重かった。そして僕の呻き声た。そして僕は交尾の状態をふいに見つけられた猫のよう に敵意を剥きだしにして恥じていた。それは階段の降り口 より高く、彼は喚くのだ。明りとりの向うの大人の顔が引 あげふた っこみ、おそらく彼らは黒人兵の示安に負けて、揚蓋の打にかたまって僕の屈辱を見まもり、じっとしている大人た ちこわしを中止させに走ったのだろうと僕は思った。黒人ちへの敵意、僕の喉に太い掌をおしつけ柔かい皮膚に爪を のど 兵の喚き声が止み、喉への岩のような圧迫が弱まった。僕立てて血みどろにする黒人兵への敵意、そしてあらゆるも のへのいりまじりかきたてられる敵意なのだ。黒人兵は吠 は大人たちに親しみと愛とを回復した。 しかし、揚蓋を打っ音はより激しくなったのだ。明りとえていた。それが僕の鼓膜を麻痺させ、僕は夏の盛りに地 りから再び大人たちの顔が覗き、黒人兵が喚きながら僕の下倉の中で、快楽の中でのように充実した無感覚へおちこ 喉をしめつけた。のけそった僕の歪んだ開く脣から、小動もうとしていた。黒人兵の激しい呼吸が僕の首筋をおおっ かなきりごえ 物の悲鳴のような、弱よわしい金切声がもれるのをどうすていた。 なた ることもできない。僕は大人たちからも見棄てられてい 大人たちの塊りの中から父が鉈をさげて踏み出た。僕の た。大人たちは僕が黒人兵に絞め殺されるのを見殺しにし父の眼が怒りにもえて大のそれのように熱つ。ほいのを見 て、揚蓋を砕く作業を続けていた。彼らは揚蓋を砕いたあた。黒人兵の爪が喉の皮膚に深く喰いこみ、僕は呻いた。 こうさっ と鼬のように絞殺された僕の、かじかんだ手足を見るだろ父が僕らに襲いかかり、僕は鉈が振りかぶられるのを見て う。僕は、憎しみにもえ、絶望して、のけぞったまま恥さ眼をつむった。黒人兵が僕の左の腕首を握り、それを自分 の頭をふせぐためにかかげた。地下倉じゅうの人間が吠え らしに呻きたて、もがきながら涙を流して槌の音を聞い ひだりて たて、僕は自分の左掌と、黒人兵の頭蓋の打ち砕かれる音 数しれない車の回転音が耳をみたし、反響し、鼻血が僕を聞いた。僕の顎の下の黒人兵の油ぎって光る皮膚の上で の両頬に流れた。そして、揚蓋が砕かれ、指の背まで剛毛どろどろした血が玉になり、はじける。僕らに向って大人 におおわれた泥まみれの裸足がなだれこみ、地下倉を狂気たちが殺到し、僕は黒人兵の腕の弛緩と自分の躰の焼きっ みにく のようにもえた醜い大人たちがみたした。黒人兵は叫びたく痛みとを感じた。 からだ てながら僕の躰をしつかり抱きしめ、壁の根へにじりさが ねば った。僕は彼の汗ばみ粘っく躰に僕の背と尻が密着し、怒ねばねばした袋の中で、僕の熱いまぶた、燃える喉、灼 こ 0 いたち わめ おとな かたま しかん すがい

6. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

を、悪臭になやまされて運ぶ作業は、僕らが尊大に指名す罠を壁に放りつけ階段を逃げ上って行ったが、僕と弟は立 る子供らに委ねていた。指名された子供らは喜びに頬を輝ちあがることさえでぎず、鉢をしめつけあうだけなのだ。 かせ、樽をまっすぐに支えて、彼らにとって貴重に思える僕と弟を突然回復した黒人兵への恐怖が息もたえだえにす わし おうだく 黄濁した液体を一滴もこぼさないように注意しながら運んる。しかし、黒人兵は鷲のように僕らへ招みかかって来る で行くのだった。そして僕らを含めて、あらゆる子供たちかわりに、そのまま腰を下し長い膝をかかえこんで、どん ぞうぎばやし よりした涙と脂に濡れた眼を壁の根に落ちている猪罠にそ が、毎朝、尾根の道から下る雑木林の間の細道を、気がか りな指令を持った書記がやって来ないことを殆ど祈りながそいでいた。兎口が恥にうなだれて地下倉へ戻って来た 時、僕と弟は彼を優しい徴笑でむかえた。黒人兵は家畜の ら見あげるのだ。 黒人兵の猪罠にしめつけられた足首の皮膚が剥かれ炎症ようにおとなしい : なんきんじよう あげぶたおお その夜ふけ、地下倉の揚蓋の巨きい南京錠をおろしに来 を起し、そこから流れる血は足の甲に乾いた草の葉のよう に縮れてこびりついていた。僕らはいつもその桃色の炎症た父が、黒人兵の自由になった足首を見たが、不安に胸を を起した傷ついた皮膚を気にしていた。樽にまたがる時、熱くしている僕をとがめはしなかった。黒人兵が家畜のよ 黒人兵は苦痛を耐えるために、笑う子供のように歯を剥きうにおとなしい、という考えは空気のように子供らも大人 だすほどだ 0 た。僕らは長いあいだ、お互いの眼の底をさたちも含めて、村のあらゆる者たちのへしのびこみ融け はす ぐりあい、話しあったあと、黒人兵の足首から猪罠を外すこんできているのだった。 決心をしたのだ。黒人兵は黒い鈍重な獣のようにいつも眼翌朝、僕と弟と兎ロは朝食を届けに行き、黒人兵が猪罠 あふら を膝の上でいじりまわしているのを見た。猪罠は兎口が壁 を涙か脂かはっきりしない濃い液体でうるおし、膝をかか こわ えこんで地下倉の床に坐り黙っているのだから、猪罠を取に投げつけたために咬みあう接合部が壊れているのだっ わなしゅうぜんや た。黒人兵は春、村へ来る罠の修繕屋のように、技術的な りのぞいたところで、僕らにどんな危害を加え得よう ? 育 一匹の黒ん・ほにすぎないのだから。 確固としたやりかたで罠の故障部分を点検していた。それ かぎ 飼僕が父の道具入れから取りだしてきた鍵を兎口が強く握から急に彼は黒く輝く額をあげて僕を見つめ、身ぶりで彼 りしめて、黒人兵の膝に肩がふれるほど屈みこんで猪罠をの要求を示した。僕は兎ロと顔を見合せながら、頬をゆる 外した時、黒人兵は急に呻くような声をあげて立ちあがめときほぐす喜びを押さえることができない。黒人兵が僕 り、足をばたばたさせた。兎ロは恐怖に涙を流しながら猪らに語りかける、家畜が僕らに語りかけるように、黒人兵 うめ

7. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

夏は盛りになり、県庁からの指令は来なかった。県庁のがるまで潜り続けるのだった。水に濡れ、強い陽ざしを照 うわさ ある市が空襲で焼けたという噂があったがそれは僕らの村りかえして、黒人兵の裸は黒い馬のそれのように輝き、充 にどんな影響もあたえはしない。僕らの村には、一つの市実して美しかった。僕らは大騒ぎし一水をはねかえして叫 を焼く火より熱い空気が終日たちこめていたのだ。そしび、そのうちに最初は泉のまわりの樫の木のかげにかたま っていた女の子供たちも小さい裸を、大急ぎで泉の水へひ て、黒人兵の躰の周りには、風の吹きこまない地下倉で一 のうみつあぶら 緒に坐っていると、気が遠くなるほど農密で脂っこい臭たしに来るのだった。兎ロは女の子の一人を擱まえて彼の みだら 、共同堆肥場で腐った鼬の肉のたてるような臭いがぎつ猥らな儀式を始め、僕らは黒人兵を連れて行って、最も都 きようじゅ ごう しりつまってぎ始めていた。僕らはそれをいつも笑いのた合の良い位置から、彼に兎ロの快楽の享受を見せるのだっ ねにして涙を流すほど大笑いするのだったが、黒人兵の皮た。陽が熱く僕らすべての硬い躰にあふれ、水はたぎるよ うにあわだち、きらめいていた。兎ロは真赤になって笑 膚が汗ばみはじめると、僕らには傍でいたたまれないほ なぐ 、女の子のしぶきに濡れて光る尻を拡げた掌で殴りつけ ど、それは臭いたてた。 みすくみば みつくち ある暑い午後、兎口が黒人兵を共同水汲場の泉へつれてては叫び声をあげた。僕らは笑いどよめぎ、女の子は泣い あき 行くことを提案し、僕らはそれに気づかなかったことに呆た。 あかねば れてしまいながら、黒人兵の垢で粘っく手を引っぱり、階それから急に僕らは、黒人兵が堂どうとして英雄的で壮 かんせい 段を上 0 た。広場に群らが 0 ていた子供たち、が喚声をあ大な信じられないほど美しいセクスを持っていることを発 げて僕らを囲み、僕らは陽に焼ける敷石道を記けて行っ見するのだった。僕らは黒人兵の周りで裸の腰をぶつけあ いながらはやしたて、黒人兵はそのセクスを握りしめると た。 ひょうかん おすやぎ 僕らはみんな鳥のように裸になり、黒人兵の服を剥ぎと牡山羊がいどむ時のような剽悍な姿勢をしてわめいた。僕 ると、泉の中へ群らがって跳びこみ、水をはねかけあい叫らは涙を流して笑い、黒人兵のセクスに水をぶつかけた。 育 びたてた。僕らは自分たちの新しい思いっきに夢中だっそして、兎口が裸のまま駈け出して行き、雑貨屋の中庭か 飼た。裸の黒人兵は泉の深みまで行 0 ても腰がや 0 と水面にら大きい牝山羊をつれて戻 0 て来ると僕らは兎ロの思いっ 彼よ僕らが水をかけるたきに拑手喝采した。黒人兵は桃色のロ腔を開いて叫ぶと、 かくれるほど大きいのだったが、 , 。 にわとり びに、絞め殺される鶏のように悲鳴をあげ、水の中に頭泉からおどり上り、おびえて鳴く山羊にいどみかかってい を突っこんで、喚声と一緒に水を吐きちらしながら立ちあった。僕らは狂気のように笑い、兎ロはカみかえって山羊 まわ いたち にお しりひろ

8. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

なんぎんじよう はず きりこぎいく 揚蓋のものものしい南京錠が水滴をしたたらすのを外煮込、そして切子細工の広ロ瓶に入った山羊の乳。黒人兵 し、中をイて父だけがまず、注意深く銃を支えて降りては長いあいだ、僕が入って来た時のままの姿勢で食物籠を 行った。蹲みこんで待っている僕の首筋に霧粒のまじった見つめつづけ、そのあげく、僕が自分自身の空腹に痛めつ がんじようかっしよくりようあし 空気がまといついて離れない。僕の頑丈で褐色の両脚が震けられ始めるほどなのだ。そして僕は、黒人兵が僕らの提 えるのを僕は、背後にびっしりたちこめて僕を見つめる数供するタ食の貧しさと僕らとを軽蔑して、決してその食物 しれない眼に羞じていた。 には手をつけないのではないかと考えた。羞恥の感情が僕 「おい」と父が押し殺した声でいった。 をおそった。黒人兵があくまでも食事にとりかかる意志を 僕は食物の籠を胸にえて短い階段を下りて行った。光示さなかったら、僕の羞恥は父に感染し、父は大人の恥辱 度の低い裸電球に照しだされて、そこに《獲物》がうずくにうちひしがれ、やぶれかぶれになって暴れ始め、そして の、さり わな まっていた。彼の黒い足と柱を結びつける猪罠の太い鎖が村中が恥に青ざめた大人たちの暴動でみたされるだろう。 誰が黒人兵に食物をやるという悪い思いっきをしたのだろ 僕の眼をぐいぐいひきつける。 《獲物〉は長い両膝を抱えこみ、顎を臑に乗せたまま充血う。 しかし、黒人兵はふいに信じられないほど長い腕を伸ば した眼、粘っいて絡んで来る眼で僕を見あげた。耳のなか へ躰中の血がほとばしりそそぎこんで僕の顔を紅潮させし、背に剛毛の生えた太い指で広ロ瓶を取りあげると、手 にお る。僕は眼をそらし、壁に背をもたせて銃を黒人兵に擬しもとに引きよせて匂いをかいだ。そして広ロ瓶が傾けら とん ている父を見あげた。父が僕に顎をしやくった。僕は殆どれ、黒人兵の厚いゴム質の脣が開き、白く大粒の歯が機械 眼をつむって前に進み出、黒人兵の前に食物の籠を置いの内側の部品のように秩序整然と並んで剥き出され、僕は た。後ずさる僕の躰のなかで、突発的な恐れに内臓が乳が黒人兵の薇色に輝く広大な口腔へ流しこまれるのを のどはいすいこう はきけ えし嘔気をこらえなければならない。食物の籠を黒人兵が見た。黒人兵の咽は排水孔に水が空気粒をまじえて流入す 育 る時のような音をたて、そして濃い乳は熟れすぎた果肉を 見つめ、父が見つめ、僕が見つめた。犬が遠くで吠えた。 糸でくくったように痛ましくさえ見える脣の両端からあふ 明りとりの向うの暗い広場はひっそりしていた。 飼 黒人兵の注視の下にある食物籠が僕の興味を急にひき始れて剥き出した喉を伝い、はだけたシャツを濡らして胸を きようじん ぎようしゆく める。僕は餓えた黒人兵の眼で食物の籠を見ているのだ 0 流れ、黒く光る強靱な皮膚の上で脂のように凝縮し、ひ た。大きい数個の握飯、脂の乾くまで焼いた干魚、野菜のりひり震えた。僕は乢羊の乳が極めて美しい液体であるこ あげぶた か・こ から あごすね にこみ びん

9. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

とを感動に脣を乾かせて発見するのだった。 脂 0 こい異国的な大盤ぶるまいの馳走に変るのだ 0 か・こ 黒人兵は広ロ瓶を荒あらしい音をたてて籠に戻した。そた。僕は籠を運びあげる時、そこに食物のかけらが残って れからは、もう彼の動作に最初のためらいはしのびこまな いでもしたら、秘密の快楽におののく指でそれをつかみあ かった。握飯は彼の巨大な掌に丸めこまれて小さい菓子のげ、呑みこんでしまっただろう。しかし黒人兵はすっかり さら ように見えたし、干魚は頭の骨ごと黒人兵の輝く歯にかみ食物をたいらげたあと、煮込のいれられていた皿を指の腹 砕かれた。僕は父と並んで壁に背を支え、感嘆の感情におでこすり取りさえしたのだ。 そしやく わきばら わいざっ そわれながら、黒人兵の力にみちた咀嚼を見守っていた。 父が僕の脇腹をこづき、僕は猥雑な夢想にふけっていで 黒人兵は熱心にその食事に没頭し僕らに注意をはらわなかもしたように、羞恥と腹だたしさにおそわれながら、黒人 0 たから、自分の空腹をおし殺す努力をしなければならな兵の前〈進み出、籠をとりあげた。そして、父の孔にま い僕は、父たちのすばらしい《獲物〉を検討すゑかなりもられて黒人兵に背をむけ、階段を上ろうとした時、僕は 息苦しい余裕をえたのだった。それは、確かになんという黒人兵の低く厚ぼったいしわぶきを聞いたのだ。僕は足を すばらしい〈獲物〉だったことだろう。 踏みはずし、躰中の皮膚がおびえから鳥肌になってしまう おお 黒人兵の形の良い頭部を覆っている縮れた短い髪は小さのを感じた。 く固 0 て溿をつくり、それが狼のそれのように切りた 0 倉庫の一一階〈階段を上りき 0 たところ、柱のく・ほみに歪 た耳の上で色の炎をもえあがらせる。喉から胸〈かけてんで暗い鏡が揺れていゑそこ〈僕が階段を上るにつれて ぶどう の皮膚は内側に黒ずんだ葡萄色の光を押しくるんでいて、青ざめて血の気のない脣を噛みしめた、全くとるにたりな きようしんしわ 彼の脂ぎって太い首が強靱な皺を作りながらねじれるごと い日本人の少年が頬をひくひくさせて薄明りの中へ浮かび のど にとん に僕の心を捉えてしまうのだった。そして、むっと喉へこあがって来るのだった。僕はぐったり腕をたれて、殆ど泣 ふしよくせい みあげてくる嘔気のように執拗に充満し、腐蝕性の毒のよき出したいような感情、うちひしがれ涙ぐましい感情に耐 うにあらゆるものにしみとおってくる黒人兵の体臭、それえながら、僕たちの部屋の、いつのまにか閉ざされている は僕の頬をほてらせ、狂気のような感情をきらめかせる板戸を開いた。 弟は寝台の上に坐りこんで、眼を光らせていた。弟の眼 どんらん えんしよう 黒人兵の貪婪なむさぼりを見ている僕の炎症をおこした は熱をおび、そして少し恐怖に乾いているのだった。 ようにうるんで熱い眼には、籠のなかの粗末な食物が、芳「板戸を閉めたの、お前だろ ? 」と僕は自分の脣の震えを とら びん

10. 現代日本の文学47:安部公房 大江健三郎 集

下倉の中央に立 0 ていた。僕は脣を噛みしめて肢の震ら明りとりの向うで長い話合いが始ま 0 た。黒人兵は、僕 しび えに耐えなければならない。 の腕を痛みのために痺れるほど強く握りしめたまま、不意 あげぶた そげき 揚蓋の上に大人たちが来て、始めは優しく、そして急激に狙撃されるおそれのない壁の隅に入りこみ黙って坐りこ わな におそわれた鶏のように大騒ぎで、揚蓋にからんだ猪罠をんだ。僕は彼に引きずられ、彼と親しかった時そうしたと 揺さぶり始めた。しかし、かって村の大人たちが黒人兵を同じように、彼のむんむんする体臭の中に裸の膝をつい かしざい 地下倉に安心して閉じこめておくために役だった厚い樫材た。大人たちは長い間、話し続けていた。時どき僕の父が むすこ の蓋は、いま黒人兵のために、村の大人たち、子供ら、樹明りとりから覗きこみ、おとりにされた息子へうなずいて 木、谷間、それらすべてを外側に閉じこめていたのだ。 見せるたびに僕は涙を流した。そして、始め地下倉の中 明りとりから、あわてふためいた大人たちが覗きこみ、 に、そして明りとりの向うの広場にタ暮が汐のように満ち それらはすばやく、ごっごっ額をぶつけあいながらいれかナ こ。暗くなると大人たちは幾人かずつ、僕に励ましの言葉 わった。地上で大人たちの態度が急速に変って行くのが感を投げて帰って行った。僕は父がそのあとも長、 、間、明り じられた。彼らは始め叫びたてた。そして黙りこみ、威嚇とりの向うを歩く足音を聞いていたが、急にあらゆる人間 びんしよう する銃身が明りとりからさしこまれた。黒人兵が、敏捷な たちのけはいが地上に消えたのだ。そして夜が地下倉を充 獣のように僕に跳びかかり、彼の躰へ僕をしつかりだきしたした。 うめ めて、銃孔から彼自身を守った時、僕は痛みに呻いて黒人黒人兵は僕の腕を離すと、その午前まで僕らの間にあふ 兵の腕の中でもがきながら、すべてを残酷に理解したのだれていた親しい日常の感情に胸をしめつけられるように、 った。僕は捕虜だった。そしておとりだった。黒人兵は僕を見つめた。僕は怒りにふるえて眼をそらし、黒人兵が 敵》に変身し、僕の味方は揚蓋の向うで騒いでいた。怒背をむけて膝の間に頭をかかえこむまで、うつむいたまま たちわな りと、屈辱と、裏切られた苛立たしい哀しみが僕の躰を火頑くなに肩をそびやかしていた。僕は孤独だった、胞罠に のように走りまわり焦げつかせた。そして何よりも、恐怖とらえられた鼬のように見棄てられ、孤りぼっちで絶望し が膨れあがり溿まいて、僕の喉をつまらせ嗚咽をさそ 0 きっていた。黒人兵は闇の中で動かなかった。 た。僕は荒あらしい黒人兵の腕のなかで、怒りに燃えなが僕は立ちあがり、階段の所へ行って、猪罠に触ってみた ら涙を流した。黒人兵が僕を捕虜にする・ : が、それは冷たく硬く、僕の指と、形をなさない希望の芽 銃身が引きさげられ、大人たちの騒ぎが高まり、それかとをはねかえした。僕はどうしていいかわからなかった。 ほりよ こ ひたい かた ひと しお さわ