りじゅん はじめから答を予想していたように大田氏はうなずき、 てあげる利潤をつきとめる資料が皆無なのだ。完全さにつ うそにお きまとう嘘の匂い、それが鼻さきにただようばかりであだまってウイスキー瓶をさしだした。ぼくはそれに栓をし る。しかも彼は階段の意識でおびえる二〇〇〇万人の子供て彼の手にもどしながら、いきなりこういった。 の大群という巨大すぎる武器をほのめかした。こういうや「太郎君の画をごぞんじですか ? 」 かたはぼくにはにが手だ。有無をいわせぬたしかさとあ大田氏はとっぜん問題が思いがけぬ方向にかわったこと まばた いまいさを同時におしつけ、苦痛のうちにはぐらかされてにとまどったらしく、一「三度眼を瞬いた。・ほくの語気に しまう。質の問題がいきなり数の問題にかわって、抵抗の苦笑して彼は顔をそむけた。 「どうも、わしは忙しいんでね」 しようがなくなるのだ。たしかに大田氏は計算しているの ぼくは彼の表情につよい興味を抱いた。 「どうでしような」 ぼくは先夜も今夜も、彼が息子については通りいっぺん の挨拶をのそいてなにも積極的に発言しようとしないこと 彼はぼくにむかってウイスキー瓶をさしだした。・ほくが グラスをほすと、彼はしつかりした手つきでなみなみとつに気がついたのだ。二人の話はすべてビジネスに終始して やしき いた。のみならず、・ほくにはこの書斎と邸の静かさが異様 ぎ、おわりしなに瓶をキュッとひねって一滴もこ・ほさなか った。葉巻をコーヒー碗に投げたことをのぞけば、新興商に感じられたのだ。今夜も大田氏は会社から秘書に電話を 人らしい粗野さを彼はどこにもみせなかった。戦後十余年かけさせ、自分は書斎でひとりでぼくを待っていた。邸の はらん の波瀾に富んだ男根的闘争をたたかいぬいてきたはずなの玄関でぼくを迎えたのは太郎でもなく、夫人でもない。五 かもく 十すぎの寡黙な老女中であった。書斎の厚い扉が閉じられ に、一見彼の紳士ぶりには非のうちどころがなかった。 ると、広い邸内にはなんの物音も感じられなかった。挨拶 「やつばり御協力願えませんかな ? 」 ウイスキー瓶をおくと彼はぼくの顔をじっとみた。・ほくをすませると大田氏はただちにゲラ刷りをとりだした。と は視線をそらせて手をふった。 ちゅうで一度、老女中がコーヒーをもってきたときをのそ 「私のでる幕じゃありませんよ」 いて、・ほくはまったく人の気配を感じさせられなかったの 「しかし、アイデアはあなたのものです」 だ。夫人は留守かも知れないが、それにしても太郎はどこ 「大田さんがおやりになったほうがデンマークはよろこぶでなにをしているのだろう。ぼくは美しくて厚い壁と扉を でしよう。私はむこうの子供の画を頂くたけで結構です」眺めた。たしかにこれが藻と泥の匂いをさえぎっているの わん びん なが あいさっ せん
「しかし、西日本ではおっしやるとおりです。私がいくら験、就職となったら、画なんてどこ吹く風というのが実情 やったって敵さんの利益になるばかりだ。ソロバン勘定だです。だから少々悪達者でも、とにかく画を描かせるこ けなら今度のこれは間がぬけていますよ。私ももうすこしと。このほうが、目下の急務じゃないですかな」 じぜん 若かったらこんなことはやらんです。商売人の慈善事業な彼はそういって軽く吐鶯をつき、かたわらのサイド・テ んて誰も信用してくれませんからね。今度だって社員から 1 ・フルにあったウイスキー瓶とグラスをとりよせた。・ほく ずいぶんイヤ味だっていわれてるんです」 のと自分のとにつぎおわると、彼はグラスを目の高さまで えんじゅくけんきょ 彼の静かな言葉には円熟と謙虚のひびきがあった。それもちあげてかるく目礼した。 はぼくに奇妙ないらだたしさと違和感をあたえた。彼はソ 「さびしいことです」 そうめい 1 フアにゆったりともたれ、寛容で聡明であいまいだっ彼はウイスキーをひとくちすすってグラスをおくと、父 はん た。・ほくはコーヒ 1 をひとくち飲むと、探りを入れてみ親のような微笑を眼に浮かべて・ほくをみた。まるで牛が反 芻するようにたつぶり自信と時間をかけて美徳が消化れる 「賞金で釣ってもろくな画はできませんよ。子供は敏感だのを楽しむ、といった様子であった。 どうやら・ほくは鼻であしらわれたらしい。あらかじめ彼 からおとなの好みをすぐさとります。悪達者な画が集まる ばかりですよー は用意して待っていたにちがいないのだ。彼はすっかり安 うそ たいぎめいぶん 「わかっておりますー 心して微動もしない。彼のかかげる大義名分はどこかに嘘 大田氏はうなずいて葉巻をコーヒー碗に投げこんだ。彼があるからこそこんなみごとさをもっているのにちがいな しばふ は・ほくのとげをいっこう意に介する様子もなくつぶやし いのだ。彼の言葉はよく手入れのゆきとどいた芝生のよう こ 0 に刈りこまれ、はみだしたものがなく、快適で、恵みにみ たいしやく 様「賞金で釣ったってなんにもならんだろうということはわちている。彼は貸借対照表を・ほくにおおっぴらにみせびら 王かっております。しかし、日本全体としてみれば、せめてかしたのだ。彼は自分の儲けを率直に告白し、損を打明け の 賞金でもつけなきや画を描いてもらえないというのが現状た。彼は子供を毒するとみとめ、子供を解放しようとい う。教育制度をののしり、しかもなお巨額の資金を寄付し じゃないですか。幼稚園は小学校の、小学校は中学校の、 また高校、大学はそれそれ官庁会社の予備校でしよう。児童ようとするのだ。この口実のどれをとりあげても、ばくは けっこう 画による人間形成なんてお題目は結構たが、いざ進学、受歯がたたない。ばくには資料がないのだ。彼が美徳によっ すう びん
242 つぼをむいて、こともなけにつぶやいた。 速に潮をひいていくのをありありと感じた。するどくにが 「ああ、それはね、つまり、今日の新聞をごらんになりま いものが・ほくをかすめた。 この瞬間に受けたぼくの予想は十日後に緻密に組織化さしたかな。教育予算がまた削られましたよ。そういう事情 れて・ほくのまえにあらわれた。大田邸の書斎で・ほくは全国なもんだから、個人賞より団体賞のほうが金が生きるだろ の学校長に宛てた児童画の公募案内のゲラ刷りをみせられうと思いましてな」 たのだ。大田氏はどこをどう連絡つけたのか、文部大臣と ぼくはあっけにとられて彼の顔をみつめた。この口実の しやこう 、ようさん デンマーク大使の協賛のメッセージを手に入れて巻頭にかまえで誰が教師の射倖心や名誉欲をそそる罪を告発するこ さしえ かげ、挿画の審査員には教育評論家や画家や指導主事なとができるだろうか。しかも美しいことに彼は自社製品の ど、児童美術に関係のある人間、それも進歩派、保守派、宣伝は一言半句も入れていないのだ。いったい結び目を彼 各派の指導的人物をもれなく集めていた。さらに・ほくは巻はどこにかくしたのだろう。・ほくはテ 1 ・フルにおかれたコ ーヒーをゆっくりかきまぜながらつぶやいた。 末の小さな項目をみて、計画が完全に書きかえられたのを おうま 知った。すなわちこの企画に応募して多数の優秀作品をだ「つまり子供に画を描く動機だけつくってやるわけです した学校には″教室賞れをあたえようというのである。そね。子供がどこの会社のクレバスを使おうが知ったことじ すみ れは感嘆符もゴジックも使わず、隅に小さくかかげられてやないと、こないだおっしゃいましたね。そうするとこれ はよそのものを売るために賞金をつけるようなものじゃあ いた。デンマーク大使館と文部省の協賛者として社名をだ す以外に大田氏はビラのどこにも自社製品の宣伝を入れてりませんか ? 」 、よ、つこ 0 「そうでもないでしよう けっさく 大田氏は葉巻の天を飲みのこしのコーヒー碗のなかへお 「どうです、お宅でも傑作を寄せてくださいよ」 大田氏は満足げな表情でソ 1 フアにもたれ、足をくんでとすと、微笑を浮かべた。 ほそまき 細巻の葉巻をくゆらせた。中肉中背の男だが、その血色の「私の市場は東日本、つまり東京以東ですな、ここは販売 ほお よい頬や、よく光る眼に・ほくはしたたかな実力を感じさせ網がしつかりしてるから、子供が買いに行きさえしたら売 れる。この分だけは儲かりますな」 られたような気がした。 彼は言葉をきると、事務的な口調をすこしやわらげて・ほ 「賞金をつけたんですね ? 」 留保条件のことをほのめかしたつもりなのだが、彼はそくの顔をみた。 ちみつ わん
あくしゅ を謝して握手したいところだが同内容の催しが二つあるこる仕事じゃないですよ。第一、一枚の画をみて、うちのク ル」ら′ゞ 0 とは子供を混乱させるばかりだから、討議の末一本にまとレ・ハスを使ったのか、よそのクレバスを使ったのか、そん むね められたいという旨の文面だった。手紙のさいごにはぼく なことはわからないじゃありませんか。たとえ先生がうち しる の名と住所が記されていた。大田氏は苦笑を浮かべてぼくのを使えといったところで、子供はよそのをいくらでも買 から手紙を受けとった。 える。私はそんなことを考えてるのじゃないんです」 こもん 「はじめはカッとなりましたね。負けたと思ったんです帰途の自動車のなかで彼は・ほくにこの企画の顧問の位置 よ。ところがあなたの身元をさぐってゆくと、なんとこれを申しでた。画塾のひまなときをみつけて会社へ遊びにき が息子の先生じゃないか。二度びつくりというところでてくれるだけでよいからというのであった。・ほくの先取権 じようほ す。私は息子が画を習っていようとは夢にも知りませんでに対する譲歩を彼はそんな形であらわそうとしているらし ようしゆく っこ・ : ぼくはことわった。・ほくは児童の原画がほしい したからね。うかつな話で恐縮ですが、そういうわけでかナカ 今晩きて頂いた次第なんです」 だけなのだ。ほかに野心はない。すると大田氏は話題をか その夜、ぼくは九時頃まで大田氏と話しあった。彼の考えて、創造主義の美育理論のことをぼくにたずねた。ぼく えは、要するに、ぼくの案を全国的な運動として拡大しよが画塾の教育方針をいろいろと話すと、彼はいちいちうな うというのであった。画を描くことがさかんになるのは根ずいて聞いたあげくにこういった。 しり 本的にぼくも賛成だが、学校の先生がむりやり子供の尻を「 : ・ : つまり、ひとくちにいえば子供には自由にのびのび たたいてひとりでも多くの入選者を自分の級からだそうと描かせようというわけですね。描きたいと思う気持を起さ いうのなら感心できない。入選した子供は得意になってそせて、どしどし惜しまずにやれということでしよう ? 」 も」み′ れ以後自己模倣をくりかえし、あとの子供たちはみんなそ「そういえないこともないですが : 様のまねをするという危険がある。また、大田氏が自社製品 、思想ですな。私のほうもありがたい」 王を売るための宣伝事業としてこれをやるのなら・ほくは先取「 : ・ : ・ ? ー りゆ - らノ」 の 特権にたてこもりたい。この二つの留保条件をつけて、ぼ 「つまりそのほうが、むかしより余計に絵具を使ってもら くは彼に企画をゆだねることとした。大田氏は・ほくの話をえますからな」 聞いてうなずいた。 大田氏はクッションに深くもたれてなにげなくつぶやい 「おっしやることはよくわかりますが、これは絵具の売れただけだったが、・ ほくはそれまでのコニャックの酔いが急
ごやっかい ークということを聞いて緊張するのは両親たちである。き「息子がたいへん御厄介になっているそうで、一度そのお かんしよう っと彼らはだまっていられなくなって子供に干渉しはじめ礼を申しあげようと思いましてね」 るにちがいない。彼らは訓練主義教育で育てられた自分の大田氏の挨拶は愛想がよかったが、会食の真意はそれで うわさ 肉眼の趣味にあわせて子供に年齢を無視した整形やぬりわはなかった。食事中の会話は児童画界の噂話や画塾の経営 ちっそく けを強制するだろう。その結果子供の内側では微妙な窒息状況、おたがいの酒の趣味などが話題にの・ほって、ほとん が起るのだ。個性のつよい子なら・ほくと両親の両方に気にど世間話の域をでないものであったが、大田氏はプランデ 入られるよう、二様の画を描いてきりぬけるかもしれない ーのグラスをもって食卓をはなれてから用件をきりだし が、薄弱な子は板ばさみになって混乱するばかりである。 た。意外たったのはぼくとコペンハ ーゲンの関係を彼が完 ・ほくがたまってさえいれば、いままでどおり、両親はすく全に知りぬいていることであった。彼はヘルガの名前まで なくとも画についてだけは子供に干渉することはないだろあげたのである。彼は革張りの安楽椅子に深く腰をおろ う。彼らの大部分は中産家庭の流行として子供を画塾にか し、ほとんど仰臥の姿勢で、顔だけぼくにむけて微笑し こ 0 よわせているにすぎないのだ。 キャルにそそのかされて・ほくは事をはじめたのだっこ ナ「これはすばらしいお考えですよ。なにから思いっかれた が、そのうちにこの話は思いがけぬ方向に発展しだした。 のか知りませんが、敬服いたします。あなたが、もし私の ヘルガ嬢の第二便から一週間ほどして、・ほくはとっぜん大商売敵の社員だったら、是が非でも高給をもってひっこぬ 田氏の秘書から、社長がぜひ会いたいと申しておりますかこうというところですよ」 ら、という電話を受けたのである。その日の夕方、アトリ 彼はそういって腕のポケットから航空便箋とそれの翻訳 ェで待っていると、迎えの自動車がやってきた。運転手に文をとりだして・ほくにわたした。差出人にヘルガの名前を いわれるままのると、ホテルのまえでおろされた。大田氏発見して、・ほくはあわてて椅子に起きなおった。読んでみ てすべての事情が判明した。大田氏は・ほくのとまったくお が別室で待っているはずだから帳場で聞いてくれという。 帳場ではすぐ連絡がついて、ポ 1 イが案内してくれた。大なじ内容の提案をしたのだったが、・ ほくのほうが一週間早 田氏は食卓を用意させて、ひとりで・ほくを待っていた。食かったのだ。大田氏は全日本に運動を展開するからと申し ごうか 事はマルチニからはじまってコニャックにおわる豪華なコ こんだのだが、ヘルガは先約者があるからといってことわ 1 スであった。 り、協会としては両氏ともそのアンデルセンに対する好意 がたき あいさっ びんせん
明した。こんなときは地を這うような、糞虫のような誠実る事実に貴殿の注意を喚起いたしたく存じます。今後、宛 しよかん さよりほかに迫力を生むものはなにもないと思ったので、 名はかならず″ミス″称によって頂くことをこの公用書翰 ・ほくはなりふりかまわずくどくどしゃべった。そして、結を借りて申しそえます。希望と誠意にみちてヘルガ」 丿ーベフラウ』は『愛妻』という意味だろうと・ほくはお 論として、子供にアンデルセンの童話を話して挿画を描か『 1 せ、おたがい交換のうえで比較検討しようではないかと提・ほろげなドイツ語の知識にたよって、ついうつかり″ミセ 案したのである。共通のテーマをあたえれば、風土や慣習ス″と呼んだのだった。彼女はミスの四字を大文字で打 りようかい の相違がもたらしやすい誤解をさけて、かなり公平に画のち、わざわざ二重の下線をそこにひいていた。了解の意を 背後にあるものを観察しあえるのではないかと・ほくは考表するため、・ほくはまた図書館へかけつけた。 え、またそのように手紙にも書いた。 太郎が画塾へきたときは、ちょうどこのヘルガ嬢の第二 第一便に対してはなんの答も得られなかった。第二便に便のあとで、・ほくは仕事に着手しかけたばかりのところだ ついても同様だった。あともう一回書いて断念しようかとった。約束の期間は三カ月なので、相当の枚数を用意しな 考えて送った第三便に対して返事がもどってきた。差出人ければならなかった。ぼくはいろいろと案を練って、いま エスデルガーデ は、「デンマーク、コペンハ 1 ゲン、東通り筋、アンデレ / までの方針のなかへこの期間内にすこしずつ空想画の要素 セン振興会」。署名はヘルガ・リーベフラウ。内容は全面と時間をふやしてゆくことを考えた。子供たちに、彼らの じゅだく 的受諾の吉報であった。これを受けとると・ほくはまたあわ画がデンマークへ送られるということを打明けてやりたい てて辞書を繰り、ミセス・リー べフラウに宛てて謝意を表気持はたえず・ほくのくちびるの内側までの・ほってふるえた ・まくはなにも話さない決心をした。話せば子供たちは するとともに、作品は三カ月以内にまとめて送りたいと返が、 ~ こうふん 事を書いた。リー ペフラウ夫人からはすぐに便りがもどっきっと新鮮な刺激をうけて昻奮するだろうし、両親たちも 様てきた。作品を受けとり次第、ただちに当方からも航空便・ほくを援助する気になるだろう。しかしそこには美しい危 むね 王 を発送したいという旨のものであった。この手紙の本文は険が生まれるのだ。子供たちはいままでよりも自由でなく の 短いが、追伸がついていた。 なり、束縛を感じ、画のことを考えはじめるにちがいな こくふく 「私は私自身責任を有しないドイツ姓のために少女時代よ い。彼らにとって画はあくまでその場その場の克服手段に 9 りしばしば、そしてまたはからずも貴殿からも、甚だ不すぎず、一枚描きあげるとたちまち忘れてつぎへ前進する 当、かっ悲観的なユ 1 モアを得ました。私がまだ未婚であものなのだ。彼らは画そのものに執着しないのだ。デンマ ついしん くそむし そくばく かんき
三カ月ほどまえに・ほくはこの記事を『ニュ 1 ヨーク・タデン海溝もおよばないくらいの深さと渾沌がよどんで ぐうぜん イムス』で読んだ。まったくの偶然である。山口が本を返た。ところが何ロめかの焼酎が胃から腸にしみわたった瞬 すときに包んできた新聞だったのだ。・ほくは大衆食堂でラ間、・ほくはまったくとっぜん衝動を感じてコペンハーゲン ーメンをすすりながらなにげなくこの記事を読んで、いかへ手紙をだすことを決心してしまったのだ。これは完全な にもアメリカ娘らしいキャルの現実処理に感むした。・ほく 不意打ちだった。ぼくは自分の体内でよみがえった小児マ すみ はその新聞を本といっしょに家へもってかえったのだが、 ヒのキャルのつよさにおどろき、しかも計画がすでに隅か しばらくたってからさがしたときには新聞は部屋のどこにら隅まで完備しているのを感じてたじたじした。 もみつからなかった。 その晩、・ほくは焼酎を一杯できりあげると、いそいでア しゆくがん 外国の児童画を入手したいというのは・ほくの年来の宿願 トリエにもどり、辞書と下書用紙を机にそろえた。そし であった。新聞社やユネスコはときどき国際的な児童画のて、単語の密林をさまよいながら、「デンマ 1 ク、コペン あてな 交換をやって展覧会をひらいてくれるが、短い会期と人ご 1 ゲン、文部省内児童美術協会御中」と宛名を書き、ア さしえ みが・ほくを満足させてくれない。 ときにはいそがしくてみンデルセンの童話の挿画を交換しようではないかという内 にいけないこともある。また、そうした展覧会の代表的作容の原稿を書いたのだ。コペンハーゲンがデンマークの首 てんさい 品が美術雑誌に転載されることもなくはないが、印刷がわ都であることをのぞくと、あとはすべて一杯の焼酎の創作 るくて、原画の色感がよくわからない。モノクロ 1 ムになであった。とにかく誰かが読んでくれたらいいのだ。返事 ると、せいぜいフォルムや・ハタ 1 ンを知るくらいが関の山がこなければくるまで何回でも書いてやれと・ほくは辞書を だ。原画にじかに接して、それを描いた子供の肉体を知りひきながら酔いにまかせて考えた。原稿は翌日、図書館へ たいという・ほくの希望はとうていかなえられそうもないのもっていき、タイプライターを借りて正式の手紙に打っ である。 ある日の夕方、・ほくは生徒に画を教えおわってから、駅その手紙のなかで・ほくは自分の立場と見解をつつまずの しようらゆう 前の屋台へ焼酎を飲みにでかけた。豚の心臓が焼けるの・ヘた。自分が画塾をひらいていること、その生徒の数、年 らやわん を待ちながら、・ほくはいつものように茶碗をなめ、タレの齢、教育法。・ほくはできるたけくわしくそれを説明し、創 壺を眺めて、いったい何日ほっておくとこんな深淵の色が造主義の立場から空想画が児童のひとつの解放手段である でるのだろうなどと考えた。じっさい、壺のなかにはエムと思うことをフランツ・チゼックの実験などを引用して説 つばなが しんえん かいこう こんとん
とならんで葦の根もとにねそべり、おなじように池のなかぶやいた。 けんこうこっ をのぞきこんだ。・ほくの腕のよこで太郎の薄い肩甲骨がう「逃げちゃった : ほうぜん 茫然として彼はぼくをふりかえった。彼の髪は藻と泥の ごいた。彼は温い息を・ほくの耳の穴にふきこんだ。 匂いをたて、眼には熱い混乱がみなぎっていた。そのつよ 「あそこへ逃げたんだよ」 彼のさしたところには厚い藻のかたまりがあった。それい輝きをみて、案外この子は内臓が丈夫なのではないかと は糸杉の森のように水底から垂直にたっていた。日光が水・ほくは思った。空気には甘くつよい汗の香りがあった。 にすきとおり、森の影は明るい水底の砂の斜面におちてい た。たしかにこの水たまりの生命はその暗所にあるらしか こうちゅう ニューヨークにひとりの少女が住んでいた。名前を忘れ った。さまざまな小魚や幼虫や甲虫類が森をかきわけて砂 地の広場にあらわれると、しばらく日なた・ほっこして、またので、かりに、キャル、とでもしておこう。彼女は小児 マヒで小さいときからずっと病院暮らしだった。毎日・ヘッ た森の奥へもどっていくのがみえた。 ・ほくは太郎といっしょに息を殺して水底の世界をみつめ ドにねたぎりの生活にたいくっした彼女は、ある日、ふと た。水のなかには牧場や猟林や城館があり、森は気配にみ思いついてべッドを窓ぎわに移させると、看護婦に封筒と びんせん ちていた。池は開花をはじめたところだった。水の上層に便箋をもらい、不自由な手で手紙を書いた。その日その日 らぎよ はどこからともなくハヤの稚魚の編隊があらわれ、森のなの病室の出来事をこくめいに書きこむと彼女は封をし、窓 ぎいく かでは小魚の腹がナイフのようにひらめいた。ガラス細工のあいているときをみすまして外へ投げた。毎日彼女はそ ざっとう せつけい のような川ェビがとび、砂のうえでは ( ゼが楔形文字を描れをせっせとつづけた。窓のしたには五番街の雑沓があっ 、こ。・ほくは背に日光を感じ、やわらかい風の縞を額におた。二週間ほどすると、彼女のばらまいた日記に対して、 げきれ、 マニラやリスポンやロンドンなど、世界中から激励の返事 様・ほえた。 あてな 王池の生命がほ・ほ頂点に達したかと思われた瞬間、ふいにや贈り物がもどってきた。キャルの手紙の宛名はいつも の 水音が起って、ぼくは森に走りこむ影をみた。′ 、ヤは散『誰かさんへ』となっていた。 り、エビは消え、砂地にはいくつものけむりがたった。影「ここから投げたのよ」 どうよう の主の体重を示して森の動揺はしばらくやまなかった。ぬ新聞記者が訪ねると、彼女は母親に支えられて十五階の れしよびれた顔を水面からあげて、太郎はあえぎあえぎつ窓から体をのりだして、ニ = 1 ョ 1 クの空をさした。 にお
をさかの・ほっていた。広い空と水のなかでひとりの男がシ太郎はませた表情でぼくの顔をのぞきこんだ。・ほくはだ ガラミをあげたり、おろしたり、いそがしく舟のなかでたまってたちあがると葦の茂みのなかへ入っていった。 ち働く姿が小さくみえた。・ほくは太郎をつれて堤防の草む葦をかきわけて歩くと、一足ごとに、泥がそのまま流れ らをおりていった。 るのではないかと思うほどおびただしい数の川ガニがし 「あれは魚をとってるんだよ」 せいに走った。ぼくは太郎といっしょに彼らを足でつぶし たり、つかまえたりした。はじめのうち太郎は泥がつくこ 「こんな大きな川でもウナギやフナの通る道はちゃんときとをいやがっていたが、そのうち靴にしみが一点ついたの まっているんだ。だからああして前の晩にシガラミをつけをきっかけに、だんだん大胆に泥のなかへふみこむように ておくと、魚はこりやいい巣があると思ってもぐりこむんなった。カニを追うたびに彼の手は厚く温かい泥につきさ ・こよ」 さり、爪は葦の根にくいこんだ。やがて彼がひとりで小さ 橋脚だけのこされたコンクリート橋のしたで、ほくと太郎な声をあげつつ茂みのなかを這いまわりはじめた頃をみは は腰をおろした。橋は戦争中に爆撃されてからとりこわさ からって、・ほくはあたりに水たまりがないことをみとど れ、すこしはなれたところに鉄筋のものが新設された。強け、もとの爆弾穴のほとりへもどった。 さつか こんせ、 ほっとう 烈な力の擦過した痕跡は、いまは川のなかにのこされたコ ・ほくが葦笛をつくることに没頭していると、しばらくし あしも ンクリート柱だけで、爆弾穴は葦と藻に蔽われた、静かなて太郎が手から水をしたたらせてもどってきた。彼は足音 池にかわっていた。太郎は腰をおろすと、絵具箱を肩からをしのばせつつやってくると、ぼくのまえにたち、青ざめ はずし、スケッチ・・フックをあけようとした。・ほくはそのて 手をとどめて、右の眼をつぶってみせた。 「先生、コイ : : : 」 「今日は遊・ほうや。カニでもとろうじゃないか」 そういったままあえいだ。 「だって、ママが : : : 」 「どうしたんだい ? ー ・ほくはつぶった眼をあけ、かわりに左の眼をつぶって笑「コイだよ、先生。コイが逃げたの」 ひたい 彼はぬれた手でいらだたしげに額の髪をはらい、ぬき足 「画は先生がもって帰ったっていえばいいよ」 さし足で池にもどっていった。そのあとについていくと、 みずべ 「うそをつくんだね ? 」 彼は水辺でいきなり泥のうえに腹ばいになった。ぼくは彼
めいめつ 事実にはどこか秘密の匂いがあった。いまの大田夫人が田まわるたびに軽い毛糸のしたで明減する若い線を惜しむこ 舎にいたとはちょっと考えられないことだった。・ほくは床となく・ほくにみせた。 にあぐらを組みなおすと、もつばら話題をェビガニに集中 しばらく応接室で待っていると太郎が小学校から帰って して太郎といろいろ話しあった。 きた。彼は部屋に入ってきてぼくを発見すると、おどろい さべったいぐう その翌日、・ほくははじめて差別待遇をした。月曜日は太たように顔を赤らめたが、夫人にいわれるまま、だまって 郎は家庭教師もビアノ練習もない日だったので、ぼくは彼ランドセルを絵具箱にかえて背にかけた。そんな点、彼は をつれて川原へでかけたのだ。ほかの生徒には用事があるまったく従順であった。夫人は自動車を申しでたが、・ほ といってアトリエを閉じると、ぼくは正午すぎに大田邸をはことわった。太郎はデニムのズボンをつけ、ま新しい運 訪ねた。すでに・ほくは太郎が母親といっしょこ九 = こ、 冫少冫した動靴をはいた。 ことがあるのを彼の口から知っていたが、夫人にはなにも「汚れますよ」 いわなかった。太郎はエビガニについては熱心だったが、 ぼくが玄関で注意すると、大田夫人はいんぎんに微笑し こ 0 話のなかで母親にはスルメを自分にくれる役をあたえただ けっこう けで、当時のことについてそれ以上はあまりふれたがらな「先生といっしよなら結構でございますい い様子だったので、ぼくは夫人に太郎の昔をたずねること 口調はていねいでそっがないが、・ ほくはそのうらになに をはばかったのだ。彼女はぼくから太郎を写生に借りたい かひどくなげやりなものを感じさせられた。いわれのない いわかん と聞かされて、たいへんよろこんだ。 ことであったが、その違和感は川原につくまで消えそうで 「なにしろ一人子なもんでございますからひっこみ思案で消えず、妙にしぶとく・ほくにつきまとってきた。 困りますの。おまけにお友達にいい方がいらっしやらなく 太郎をつれて駅にゆくと、・ほくは電車にのり、つぎの駅 ていばう 様て、おとなりの娘さんとばかり遊んでおります」 でおりた。そこから堤防まではすぐである。・ほくのいそぎ 王夫人はそんなことをいいながら太郎のために絵具箱やス足に追いっこうとして太郎は絵具箱をカタカタ鳴らしつつ ケッチ・・フックを用意した。いずれも大田氏の製品で、専小走りに道を走った。月曜日の昼さがりの川原はみわたす ごうしゃ らんぐい 門家用の豪奢なものだった。その日は夫人は明るいレモン かぎり日光と葦と水にみちていた。対岸の乱杭にそって一 しばふ せき 色のカーディガンを着ていた。芝生の庭に面した応接室の隻の小舟がうごいているほかにはひとりの人影も見られな 広いガラス扉からさす春の日光を浴びて、彼女の体は歩きかった。小舟は進んだり、とまったりしながらゆっくりⅡ あし