裸の王様 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集
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1. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

あんい もほう て安易な模倣の道を選んだのだ。アトリエに絵本をもってている。街角と映画館には劇が散乱している。子供の下意 * すず きておたがいに交換しあっては錫の兵隊やイーダちゃんを識から紙芝居や雑誌や銀幕の像を追いだすことはできない 描いている子供をみてぼくはみじめな気がした。それは教相談だ。しかし、すくなくともぼくは彼らにそれを手本と 師の熱意を語るというより学校施設の貧困を暗示するものして利用するようなことをさせてはならないのだ。白鳥や さくり・やく であった。ぼくの頭からはどうしても大田氏の策略がぬぐ錫の兵隊を彼らのなかで熱い像にして運動させてやらねば いきれなかった。″教室賞″がなければ多忙な教師は宿題ならないのだ。・フランコやコイがまきおこすのとおなじ圧 にまで画を描かすというような努力をけっして考えないだ力を彼らの体内につくることだ。 ろう。 ・ほくは人形の王国の政権移動やお化けの行方を話しあう ・ほくの仕事にも多くの危険がふくまれていた。・ほくはアのとおなじ口調で、アンデルセンを書きかえてしゃべっ ンデルセンの童話だからといってあらたまるようなことは た。・ほくの部屋には童話本が山積しているが、一冊も子供 せず、ごくふつうの日常の会話のなかにそれをとかそうと にはみせなかった。・ほくはディズニー映画のかわりに動物 かんしよう 努めた。そして、物語の筋書だけはアンデルセンで、人名や園へ行き、展覧会の名画鑑賞のかわりに川原へ子供をつれ 地名はなるべく日本、しかもできることならそれもしょて行った。いずれは彼らの画に解説をつけてデンマークへ うと考えた。エキゾチシズムをほのめかせば子供はたちま送ってやるつもりではあったが、・ ほくはそのことを一言も がいねん ち大田氏の網にひっかかり、出来合いの概念をさがしに絵口にしなかった。子供が画をもってくると・ほくはロをきわ いらりつ 本へ走るだろう。のみならず、おとなが考えるほど子供はめて激賞して、みんな一律に三重マルをつけた。教室の習 アンデルセンをよろこばないのだ。なんの加工もなければ慣からぬけきれないために彼らにはマルがどうしても必要 あ込 白鳥や人魚姫よりスー ーマンや密林の王者のほうが子供だったのだが、・ ほくの博愛主義に呆れて彼らはしまいにマ ルを期待しなくなった。 様の生活とむすびついているのだ。子供が = ビガ = を描き、 王 ・ほくには自信のないことがひとつある。それはぼくのカ 遠足をしゃべり、母親の手を報告するようにアンデルセン 裸を彼らの生活にとけこませてやらねばならない。そのためがどれだけ子供のなかで持続されるかということだ。彼ら しんくう 工へくるきりだ。あと には演出や話術が必要だ。もちろん・ほくは自分が真空地帯は一週間に一回か一一回・ほくのアトリ 7 のなかに住んでいるのではないことを知っている。いくらは・ほくの手のまったくとどかないところで生活しているの こうずい ふせごうとしても絵本は侵入するのだ。概念は洪水を起しだ。ぼくのアトリエでどれほど自我を回復しても一週間た

2. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

しようらゆう つぎに焼酎を二杯飲んでから広場へでたときには、もと、カン・ハスや油絵具までこしらえてやることもある。・ほ 工の床に足をなげだしてすわり、まわりに子供 う駅員たちはいなくなっていた。ちょうど電車がついたばくはアトリ かりのところだった。女給やダンサーをまじえた深夜の客を集めて、ヘラをうごかしながら話をしてやるのである。 こんちゅう を拾おうとしてあちらこちらの辻や道からタクシーがけ太郎はぼくのしゃべる動物や昆虫や馬鹿やひょうきん者の たたましいきしみをたてて広場にとんできた。車や人をよ話に耳をかたむけ、よほどおもしろいと顔をあげて、そっ びこう けながらぼくは改札口に入って時計をあわせた。空気はと笑った。形のよい鼻孔のなかで鳴る小さな息の音や、さ 矣りとがソリンの匂いにみちていたが、タクシーにのろうきの透明な白い歯のあいだからもれる清潔な体温など、太 とする女のそばを通りかかると、花束のような香水と酒郎の体を皮膚にひしひしと感じながら、・ほくは彼と何度も 逃げたコイのことを話しあった。 の霧が鼻さきをかすめた。彼女は自動車にのりこむと、ぐ ひたい ったり額を窓によせて外をみた。顔は青ざめていたが、彼「水のなかではね、物はじっさいより大きくみえるんだ 女の眼はぬれたようにはげしくキラめいていた。誰が送っよ。だけど、あいつはほんとに大きかったんだ。そうでな てきたのだろう。彼女の視線をたどったが、深夜の駅に人きや、藻があんなにゆれるはずがないもんな。きっとあれ 、びす はあの池の主だったんだよ」 影はなかった。いそいで踵をかえした瞬間、大田夫人をの かんだか せた車は甲高い苦痛のひびきをあげてぼくのよこを疾過し「 : ・ 太郎はぼくの話がおわると、澄んだ眠にうっとりした光 をうかべた。それをみてぼくは巨大な魚が森にむかって彼 の眼の内側をゆっくりよこぎっていくのをありありと感じ のうたん こ。まくは話をしながら彼の眼のなかの明暗や濃淡をさぐ 川原へいった日から太郎と・ほくとのあいだには細い道がナを 様 ついた。彼はアトリ = にや 0 てくると、ぼくにび 0 たり体つて、何度もそうした交感の瞬間を味わった。そうや 0 て なが 王 ぼくは彼から旅券を発行してもらったのだ。画塾には二十 をよせて、グワッシュを練る・ほくの手もとをじっと眺め 裸た。・ほくは貧しいので子供に高価な画材を買 0 てやれな人ほどの子供がや 0 てくるが、そのひとりひとりがぼくに 。市販のものと効果に大差のないことがわかってから、むかって自分専用の言葉、像、まなざし、表情を送ってよ 町毎日ばくはアラビア・ゴムと亜麻仁油と粉絵具を練りあわこす。その暗号を解して、たくみに使いわけなければ・ほく せてグワッシュをつくる。ときに高学年の生徒が希望するは旅行できないのだ。他人のものはぜったい通用を許して にお しつか

3. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

角錐をかいま見るだろう。首都の大臣から県長、郡長、市ぞむべきである。 長におよぶまで、私たちの支配者はことごとくひとりの男新体制の波及には時間がかか「た。行商人たちは全国各 の無数の影のひとつにすぎないのだ。彼らは命令をつた都市の官庁においてめまぐるしい人事異動がおこなわれて え、その命令の原因をなす衝動を感ずることも理解するこ いることを告げた。皇帝の命令は彼がいままでの王の何人 しよめい ふしんとう ともなく書類に署名し、支配せずに、管理する。無数の枝よりも不浸透性へのはげしい憧にとりつかれていること みぞ かれつ にわかれた透明な溝のなかで彼らはたったり、すわったを証明して、苛烈であ 0 た。彼は諸国を壊滅、統一する困 り、排泄したりすることしかゆるされないのである。 難な事業においては、国籍を無視して才能を狩り集め、動 皇帝はこうして地方的英雄の出現する危機をのぞいてし員したが、統一後もこの習慣をすてなかった。彼は諸都市 まうと、万世一系を宣言した。これまで、各国歴代の王のの腐敗しき 0 た旧支配者を官庁から容赦なく追放して首都 はけん 名前は彼らがそれぞれ標楞する道徳をとって固有名詞とし から新人を派遣し、旧官僚たちがどれほど自分がその地方 ていたのだが、今後、私たちは、どのようにかりそめの人の実力者であり、地理と風俗に通じて有能であるかを証明 格の想像も皇帝の呼名からひきおこすことができなくな 0 して利権にありつこうとしても許さなか 0 た。彼は自分の た。帝位は個性で呼ばれない。それは一家族内の順列であ任命した吏員たちが職務を完遂できるよう、地方的特性を る。あらゆる官庁をつらぬいて東ねる透明な系は法律によ無視した無数の濕網を全国に張りわたした。さらに彼は能 って自動運動をおこない、 , 衝動は上から下へ流れ、帝位を率と規格にたいする欲望から、それまで全国ばらばらだ 0 犯すことはぜ 0 たい不可能なのだ。私たちは聖家族の首長た度量衡を統一し、車と道の幅を一定にすることを命令し を一世、始皇帝と呼ぶことにな 0 た。彼が死ねば帝位は遺た。そのため各県、各郡の主要都市の官庁前には首都か 言によ 0 てその十六人の子供のひとりにったえられ、一一世ら送られた数表がかかげられ、秤や桝や荷車の見本が展示 記皇帝と呼ばれることになるだろう。皇帝の視線は右に左にされた。違反者は理由の姆何によらず罸処分として夫役 亡 さまよい、寝殿は増築されてとどまることを知らないのでに徴集されるので、行商人たちの話によれば、はるばる村 流 ある。精液が彼の体から流れれば流れるほど嗣子の選択のや町からでてきた百姓、商人、職工たちが県庁前広場に長 可能性は増す。私たちはなんの発言権ももたないが、しか蛇の列をつくり、なかには展示場に入る順番を待っために しそれは明日の空が晴れか曇りかというよりはいくらかま道路に野宿するものもあるということだった。壁とカーテ しな期待の材料にはなる。人びとは皇帝の荒淫、乱交をのンと裸女のひしめきの奥でおこった皇帝の身ぶるいはその こういん せんたく

4. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

を筑摩書房より刊行。また、「ずばり東京 ( 上 ) 」を朝日新聞社より一月、「走れり、去れり」を「文芸」に発表。一一月、共編「平和を 刊行。六月、「五千人の失踪者ーを「文学界」に発表。十一月、三カ月叫ぶ声ーベトナム反戦・日本人の願い」を番町書房より刊行。六月、 の予定で朝日新聞社の臨時海外特派員としてベトナムに向かった。 「巨大なアミー ・ハの街で」を「展望」に発表。八月、「武器よこんに 十一一月、「すばり東京 ( 下 ) 」を朝日新聞社より刊行。 ちは」を「文藝春秋」に発表。九月、「岸辺の祭り」を「文学界」 昭和四十年 ( 一九六五 ) 三十五歳に発表。 一月、「南ベトナム報告」を「週刊朝日」に連載 ( 三月完結 ) 。同月、 昭和四十三年 ( 一九六八 ) 三十八歳 「青い月曜日ーを「文学界」に連載 ( 四十一一年四月完結 ) 。三月、「べ四月、「輝ける闇」を新潮社より刊行、第一一十二回毎日出版文化賞 トナム戦記」 ( 「南ベトナム報告」を改題 ) を朝日新聞社より刊行。を受賞。同月、インタヴ、ーを兼ねた作家論・作品論である「人と 五月、「ジャングルの中の絶望」を「世界」に発表。同月、「・ヘトナこの世界」を「文芸」に隔月に連載を開始。六月、・ハリ でいわゆる ムに平和を ! ー市民・文化団体連合の日本側集会呼びかけ人とな″五月革命れが発生し、文藝春秋より臨時特派員として観察に行 る。いっ・ほう、八・一五記念集会実行委員会の一員として「戦争と平 く。フランス、西ドイツ、東ドイツを廻り、サイゴンに入る。十月 和を考える」徹夜集会を企画、出席する ( 「文芸」九月増刊号に議に帰国。同月、「わが政治的直言」を「東京新聞」に発表。八月、 事録全文掲載 ) 。六月、「兵士の報酬」を「新潮」に発表。七月、「ヴ「小説のなかの″送りとを「新潮」に、「決闘」を「文芸」に、「革 エトナム戦争反対の広告」を「文芸」に発表。九月、「福田恆存氏へ命はセーヌに流れた」を「文藝春秋」に、それぞれ発表。十一月、 の反論ーを「文芸」に発表。十一月、日本全国からの基金によるべ「サイゴンの裸者と死者」を「文藝春秋」に発表。十一一月、「北ベト トナム反戦広告がニ、ーヨーク・タイムスに掲載される。これは開ナムの″躓ける神″」を「文藝春秋」に発表。同月、野坂昭如との 高氏の発案による。十一一月、鶴見俊輔、小田実との共編「反戦の論対談「われら焼け跡・闇市派」を「文学界」に掲載。また、神谷不 理」を河出書房より刊行。 二との対談「ヴェトナム戦争とアメリカ」を「中央公論」に掲載す 昭和四十一年 ( 一九六六 ) 三十六歳る。 一月、「フロリダへ帰る」を「文芸」に、「渚から来るもの」を「朝昭和四十四年 ( 一九六九 ) 三十九歳 日ジャーナルーにそれぞれ連載。三月、「青い月曜日」を「文学界」一月、「青い月曜日」を文藝春秋より出版。「みんな最後に死ぬ」を 譜に発表。同月、「饒舌の思想」を講談社より刊行。六月、「開高健集」「文春秋」に発表。三月、「七つの短い小説」を新潮社より刊行。 ( われらの文学四 ) を講談社より刊行。八月、「ベトナムに平和を ! 六月、「私の釣魚大全」を文藝春秋より刊行。同月、朝日新聞社の 年日米市民会議ーティーチ・インに参加。また、サルトル、ポーボワ臨時海外特派員として、アラスカ、ス = ーデン、アイスランド、西 ールを迎え、主催者の一人として「ベトナム戦争と平和の原理」集ドイツ、フランス、スイス、イタリア、ナイジェリア、アラブ連合、 イスラエル、タイなどを巡遊。この旅行により、ビアフラ戦争、中 会に出席。 昭和四十ニ年 ( 一九六七 ) 三十七歳近東戦争を観察した。十月末に帰国。七月、「開高健集」 ( 現代文学

5. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

に連載 ( 十一月完結 ) 。「汚れた夜」を新潮社、「青い糧」を講談社行。十一月、戯曲「名前を刻まぬ墓場」を「文学界」に発表。十一一 れより刊行。四月、「鴨」を「中央公論」に発表。「禁断」を「マドモ月、「人魚と野郎」を「女性明星」に連載 ( 四十年一月完結 ) 。 アゼルーに連載 ( 五月完結 ) 。五月、「闇から来る」を「週刊サンケ昭和三十八年 ( 一九六 = I) 三十一歳 イ」に連載 ( 六月完結 ) 。七月、「復権ー知識人の自画像」を中央公一月、「閉ざされた部屋」を「文学界」に、「顔のない女」を「別冊 ・論に発表。「雲に向かって起っーを「週刊明星冫 こ連載 ( 翌年九月文藝春秋 [ に、「傷のある羽根」を「オール読物ーに、「死のヨット 完結 ) 。八月、「花火」を「小説新潮」に発表。「海の地図」 ( 文庫 ) レース脱出記」を「文藝春秋ーに発表。一一月、「白い小さな焔」を を角川書店より刊行。九月、「十年選手」を「別冊文藝春秋ーに、「文芸」に発表。「銀色の牙」を「小説現代」に連載 ( 十一一月完結 ) 。 「喪われた街」を「オール読物」に発表。「死んでいく男の肖像」を三月、「雲の上にいた」を「別冊文藝春秋」に発表。「狼生きろ豚は 角川書店より刊行。また、「幻影の城 , を劇団四季により第一生命死ね・幻影の城」を新潮社より刊行。四月、「狼の王子」を「小説 ホールで上演 ( 浅利慶太演出 ) 。この年、日生劇場の取締役となる。新潮」に発表。五月、「還らぬ海」を「文学界」に発表。「青い糧」 昭和三十七年 ( 一九六一 l) 三十歳を講談社、「密航」を新潮社より刊行。六月、「リキとタクとルリ」 一月、「砂の花」を「婦人画報 , に連載 ( 翌年六月完結 ) 。「石原慎を「別冊文藝春秋」に、「弔鐘ーを「オール読物」に発表。「日本零 太郎集」 ( 昭和文学全集 6 ) を角川書店より刊行。同月、次男良純年」を文藝春秋新社、「汚れた夜」を光文社より刊行。同月、太平洋横 誕生。五カ国 ( 日本、イタリア、フランス、ドイツ、ポーランド ) 断ョットレースに参加。七月、「名前を刻まぬ墓場」を劇団四季・ はたち 合作映画コ一十歳の恋」の製作打合せで渡仏、関係者と会談し、同青年座合同により砂防会館ホールで上演 ( 成瀬昌彦演出 ) 。八月、 「屍体」を「文芸」に、「自身のための航海ーを「文学界」に発表。 月帰国した。一一月、「朝の微笑」を「新潮」に、エッセイ「エリ トへの疑問ー堤清一一氏のエッセーに接して」を「読売新聞」に発表。九月、「青春とはなんだ」を「新潟日報」に連載 ( 翌年七月完結 ) 。 三月、コ一十歳の恋」の日本版コ一十歳の誕生日」を完成。同月、十二月、「裸の踊り子」を「オール読物 , に、戯曲「琴魂」を「文 香港・マニラ間の第一回南支那海ョットレースに参加するため香港学界」に発表。「死の博物誌ーー小さな闘い」を新潮社より刊行。 三十一一歳 昭和三十九年 ( 一九六四 ) に渡る。四月、帰国。五月、「断崖」を新潮社、「雲に向かって起っ 1 」を集英社より刊行。同月から六月にかけて、連続ドラマ 一月、「悪い娘」を「別冊文藝春秋」に発表。「命の森」を「週刊読 取材のためアラスカに出発。六月、「石原慎太郎集」 ( 新日本文学全売」 ( 十二月完結 ) に、「お & い、雲 ! 」を「産経新聞」 ( 十一一月完結 ) 集 5 ) を集英社より刊行。八月、「小さい闘い」を「文学界ーに発に、「刃鋼」を「文学界」 ( 四十一一年一一月完結 ) に連載。「石原慎太 表。「石原慎太郎集」 ( 長編小説全集訂 ) を講談社より刊行。九月、郎集」 ( 現代の文学肥 ) を河出書房より刊行。一一月、「行為と死 , を 「青い島白い波」を「別冊文藝春秋」に発表。「てつべん野郎」を「週「文芸」に、「青年将校と文学」を「東京新聞」に発表。前者の性描 刊明星」に連載 ( 翌年十一月完結 ) 。十月、エッセイ「小説と「風写をめぐって替否の議論が起った。三月、篠田正浩監督によりすで 土ヒを「風景」に発表。「雲に向かって起っ 2 」を集英社より刊に映画化されていた「乾いた花」がようやく松竹系で上映された。

6. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

りじゅん はじめから答を予想していたように大田氏はうなずき、 てあげる利潤をつきとめる資料が皆無なのだ。完全さにつ うそにお きまとう嘘の匂い、それが鼻さきにただようばかりであだまってウイスキー瓶をさしだした。ぼくはそれに栓をし る。しかも彼は階段の意識でおびえる二〇〇〇万人の子供て彼の手にもどしながら、いきなりこういった。 の大群という巨大すぎる武器をほのめかした。こういうや「太郎君の画をごぞんじですか ? 」 かたはぼくにはにが手だ。有無をいわせぬたしかさとあ大田氏はとっぜん問題が思いがけぬ方向にかわったこと まばた いまいさを同時におしつけ、苦痛のうちにはぐらかされてにとまどったらしく、一「三度眼を瞬いた。・ほくの語気に しまう。質の問題がいきなり数の問題にかわって、抵抗の苦笑して彼は顔をそむけた。 「どうも、わしは忙しいんでね」 しようがなくなるのだ。たしかに大田氏は計算しているの ぼくは彼の表情につよい興味を抱いた。 「どうでしような」 ぼくは先夜も今夜も、彼が息子については通りいっぺん の挨拶をのそいてなにも積極的に発言しようとしないこと 彼はぼくにむかってウイスキー瓶をさしだした。・ほくが グラスをほすと、彼はしつかりした手つきでなみなみとつに気がついたのだ。二人の話はすべてビジネスに終始して やしき いた。のみならず、・ほくにはこの書斎と邸の静かさが異様 ぎ、おわりしなに瓶をキュッとひねって一滴もこ・ほさなか った。葉巻をコーヒー碗に投げたことをのぞけば、新興商に感じられたのだ。今夜も大田氏は会社から秘書に電話を 人らしい粗野さを彼はどこにもみせなかった。戦後十余年かけさせ、自分は書斎でひとりでぼくを待っていた。邸の はらん の波瀾に富んだ男根的闘争をたたかいぬいてきたはずなの玄関でぼくを迎えたのは太郎でもなく、夫人でもない。五 かもく 十すぎの寡黙な老女中であった。書斎の厚い扉が閉じられ に、一見彼の紳士ぶりには非のうちどころがなかった。 ると、広い邸内にはなんの物音も感じられなかった。挨拶 「やつばり御協力願えませんかな ? 」 ウイスキー瓶をおくと彼はぼくの顔をじっとみた。・ほくをすませると大田氏はただちにゲラ刷りをとりだした。と は視線をそらせて手をふった。 ちゅうで一度、老女中がコーヒーをもってきたときをのそ 「私のでる幕じゃありませんよ」 いて、・ほくはまったく人の気配を感じさせられなかったの 「しかし、アイデアはあなたのものです」 だ。夫人は留守かも知れないが、それにしても太郎はどこ 「大田さんがおやりになったほうがデンマークはよろこぶでなにをしているのだろう。ぼくは美しくて厚い壁と扉を でしよう。私はむこうの子供の画を頂くたけで結構です」眺めた。たしかにこれが藻と泥の匂いをさえぎっているの わん びん なが あいさっ せん

7. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

「しかし、西日本ではおっしやるとおりです。私がいくら験、就職となったら、画なんてどこ吹く風というのが実情 やったって敵さんの利益になるばかりだ。ソロバン勘定だです。だから少々悪達者でも、とにかく画を描かせるこ けなら今度のこれは間がぬけていますよ。私ももうすこしと。このほうが、目下の急務じゃないですかな」 じぜん 若かったらこんなことはやらんです。商売人の慈善事業な彼はそういって軽く吐鶯をつき、かたわらのサイド・テ んて誰も信用してくれませんからね。今度だって社員から 1 ・フルにあったウイスキー瓶とグラスをとりよせた。・ほく ずいぶんイヤ味だっていわれてるんです」 のと自分のとにつぎおわると、彼はグラスを目の高さまで えんじゅくけんきょ 彼の静かな言葉には円熟と謙虚のひびきがあった。それもちあげてかるく目礼した。 はぼくに奇妙ないらだたしさと違和感をあたえた。彼はソ 「さびしいことです」 そうめい 1 フアにゆったりともたれ、寛容で聡明であいまいだっ彼はウイスキーをひとくちすすってグラスをおくと、父 はん た。・ほくはコーヒ 1 をひとくち飲むと、探りを入れてみ親のような微笑を眼に浮かべて・ほくをみた。まるで牛が反 芻するようにたつぶり自信と時間をかけて美徳が消化れる 「賞金で釣ってもろくな画はできませんよ。子供は敏感だのを楽しむ、といった様子であった。 どうやら・ほくは鼻であしらわれたらしい。あらかじめ彼 からおとなの好みをすぐさとります。悪達者な画が集まる ばかりですよー は用意して待っていたにちがいないのだ。彼はすっかり安 うそ たいぎめいぶん 「わかっておりますー 心して微動もしない。彼のかかげる大義名分はどこかに嘘 大田氏はうなずいて葉巻をコーヒー碗に投げこんだ。彼があるからこそこんなみごとさをもっているのにちがいな しばふ は・ほくのとげをいっこう意に介する様子もなくつぶやし いのだ。彼の言葉はよく手入れのゆきとどいた芝生のよう こ 0 に刈りこまれ、はみだしたものがなく、快適で、恵みにみ たいしやく 様「賞金で釣ったってなんにもならんだろうということはわちている。彼は貸借対照表を・ほくにおおっぴらにみせびら 王かっております。しかし、日本全体としてみれば、せめてかしたのだ。彼は自分の儲けを率直に告白し、損を打明け の 賞金でもつけなきや画を描いてもらえないというのが現状た。彼は子供を毒するとみとめ、子供を解放しようとい う。教育制度をののしり、しかもなお巨額の資金を寄付し じゃないですか。幼稚園は小学校の、小学校は中学校の、 また高校、大学はそれそれ官庁会社の予備校でしよう。児童ようとするのだ。この口実のどれをとりあげても、ばくは けっこう 画による人間形成なんてお題目は結構たが、いざ進学、受歯がたたない。ばくには資料がないのだ。彼が美徳によっ すう びん

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242 つぼをむいて、こともなけにつぶやいた。 速に潮をひいていくのをありありと感じた。するどくにが 「ああ、それはね、つまり、今日の新聞をごらんになりま いものが・ほくをかすめた。 この瞬間に受けたぼくの予想は十日後に緻密に組織化さしたかな。教育予算がまた削られましたよ。そういう事情 れて・ほくのまえにあらわれた。大田邸の書斎で・ほくは全国なもんだから、個人賞より団体賞のほうが金が生きるだろ の学校長に宛てた児童画の公募案内のゲラ刷りをみせられうと思いましてな」 たのだ。大田氏はどこをどう連絡つけたのか、文部大臣と ぼくはあっけにとられて彼の顔をみつめた。この口実の しやこう 、ようさん デンマーク大使の協賛のメッセージを手に入れて巻頭にかまえで誰が教師の射倖心や名誉欲をそそる罪を告発するこ さしえ かげ、挿画の審査員には教育評論家や画家や指導主事なとができるだろうか。しかも美しいことに彼は自社製品の ど、児童美術に関係のある人間、それも進歩派、保守派、宣伝は一言半句も入れていないのだ。いったい結び目を彼 各派の指導的人物をもれなく集めていた。さらに・ほくは巻はどこにかくしたのだろう。・ほくはテ 1 ・フルにおかれたコ ーヒーをゆっくりかきまぜながらつぶやいた。 末の小さな項目をみて、計画が完全に書きかえられたのを おうま 知った。すなわちこの企画に応募して多数の優秀作品をだ「つまり子供に画を描く動機だけつくってやるわけです した学校には″教室賞れをあたえようというのである。そね。子供がどこの会社のクレバスを使おうが知ったことじ すみ れは感嘆符もゴジックも使わず、隅に小さくかかげられてやないと、こないだおっしゃいましたね。そうするとこれ はよそのものを売るために賞金をつけるようなものじゃあ いた。デンマーク大使館と文部省の協賛者として社名をだ す以外に大田氏はビラのどこにも自社製品の宣伝を入れてりませんか ? 」 、よ、つこ 0 「そうでもないでしよう けっさく 大田氏は葉巻の天を飲みのこしのコーヒー碗のなかへお 「どうです、お宅でも傑作を寄せてくださいよ」 大田氏は満足げな表情でソ 1 フアにもたれ、足をくんでとすと、微笑を浮かべた。 ほそまき 細巻の葉巻をくゆらせた。中肉中背の男だが、その血色の「私の市場は東日本、つまり東京以東ですな、ここは販売 ほお よい頬や、よく光る眼に・ほくはしたたかな実力を感じさせ網がしつかりしてるから、子供が買いに行きさえしたら売 れる。この分だけは儲かりますな」 られたような気がした。 彼は言葉をきると、事務的な口調をすこしやわらげて・ほ 「賞金をつけたんですね ? 」 留保条件のことをほのめかしたつもりなのだが、彼はそくの顔をみた。 ちみつ わん

9. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

あくしゅ を謝して握手したいところだが同内容の催しが二つあるこる仕事じゃないですよ。第一、一枚の画をみて、うちのク ル」ら′ゞ 0 とは子供を混乱させるばかりだから、討議の末一本にまとレ・ハスを使ったのか、よそのクレバスを使ったのか、そん むね められたいという旨の文面だった。手紙のさいごにはぼく なことはわからないじゃありませんか。たとえ先生がうち しる の名と住所が記されていた。大田氏は苦笑を浮かべてぼくのを使えといったところで、子供はよそのをいくらでも買 から手紙を受けとった。 える。私はそんなことを考えてるのじゃないんです」 こもん 「はじめはカッとなりましたね。負けたと思ったんです帰途の自動車のなかで彼は・ほくにこの企画の顧問の位置 よ。ところがあなたの身元をさぐってゆくと、なんとこれを申しでた。画塾のひまなときをみつけて会社へ遊びにき が息子の先生じゃないか。二度びつくりというところでてくれるだけでよいからというのであった。・ほくの先取権 じようほ す。私は息子が画を習っていようとは夢にも知りませんでに対する譲歩を彼はそんな形であらわそうとしているらし ようしゆく っこ・ : ぼくはことわった。・ほくは児童の原画がほしい したからね。うかつな話で恐縮ですが、そういうわけでかナカ 今晩きて頂いた次第なんです」 だけなのだ。ほかに野心はない。すると大田氏は話題をか その夜、ぼくは九時頃まで大田氏と話しあった。彼の考えて、創造主義の美育理論のことをぼくにたずねた。ぼく えは、要するに、ぼくの案を全国的な運動として拡大しよが画塾の教育方針をいろいろと話すと、彼はいちいちうな うというのであった。画を描くことがさかんになるのは根ずいて聞いたあげくにこういった。 しり 本的にぼくも賛成だが、学校の先生がむりやり子供の尻を「 : ・ : つまり、ひとくちにいえば子供には自由にのびのび たたいてひとりでも多くの入選者を自分の級からだそうと描かせようというわけですね。描きたいと思う気持を起さ いうのなら感心できない。入選した子供は得意になってそせて、どしどし惜しまずにやれということでしよう ? 」 も」み′ れ以後自己模倣をくりかえし、あとの子供たちはみんなそ「そういえないこともないですが : 様のまねをするという危険がある。また、大田氏が自社製品 、思想ですな。私のほうもありがたい」 王を売るための宣伝事業としてこれをやるのなら・ほくは先取「 : ・ : ・ ? ー りゆ - らノ」 の 特権にたてこもりたい。この二つの留保条件をつけて、ぼ 「つまりそのほうが、むかしより余計に絵具を使ってもら くは彼に企画をゆだねることとした。大田氏は・ほくの話をえますからな」 聞いてうなずいた。 大田氏はクッションに深くもたれてなにげなくつぶやい 「おっしやることはよくわかりますが、これは絵具の売れただけだったが、・ ほくはそれまでのコニャックの酔いが急

10. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

ごやっかい ークということを聞いて緊張するのは両親たちである。き「息子がたいへん御厄介になっているそうで、一度そのお かんしよう っと彼らはだまっていられなくなって子供に干渉しはじめ礼を申しあげようと思いましてね」 るにちがいない。彼らは訓練主義教育で育てられた自分の大田氏の挨拶は愛想がよかったが、会食の真意はそれで うわさ 肉眼の趣味にあわせて子供に年齢を無視した整形やぬりわはなかった。食事中の会話は児童画界の噂話や画塾の経営 ちっそく けを強制するだろう。その結果子供の内側では微妙な窒息状況、おたがいの酒の趣味などが話題にの・ほって、ほとん が起るのだ。個性のつよい子なら・ほくと両親の両方に気にど世間話の域をでないものであったが、大田氏はプランデ 入られるよう、二様の画を描いてきりぬけるかもしれない ーのグラスをもって食卓をはなれてから用件をきりだし が、薄弱な子は板ばさみになって混乱するばかりである。 た。意外たったのはぼくとコペンハ ーゲンの関係を彼が完 ・ほくがたまってさえいれば、いままでどおり、両親はすく全に知りぬいていることであった。彼はヘルガの名前まで なくとも画についてだけは子供に干渉することはないだろあげたのである。彼は革張りの安楽椅子に深く腰をおろ う。彼らの大部分は中産家庭の流行として子供を画塾にか し、ほとんど仰臥の姿勢で、顔だけぼくにむけて微笑し こ 0 よわせているにすぎないのだ。 キャルにそそのかされて・ほくは事をはじめたのだっこ ナ「これはすばらしいお考えですよ。なにから思いっかれた が、そのうちにこの話は思いがけぬ方向に発展しだした。 のか知りませんが、敬服いたします。あなたが、もし私の ヘルガ嬢の第二便から一週間ほどして、・ほくはとっぜん大商売敵の社員だったら、是が非でも高給をもってひっこぬ 田氏の秘書から、社長がぜひ会いたいと申しておりますかこうというところですよ」 ら、という電話を受けたのである。その日の夕方、アトリ 彼はそういって腕のポケットから航空便箋とそれの翻訳 ェで待っていると、迎えの自動車がやってきた。運転手に文をとりだして・ほくにわたした。差出人にヘルガの名前を いわれるままのると、ホテルのまえでおろされた。大田氏発見して、・ほくはあわてて椅子に起きなおった。読んでみ てすべての事情が判明した。大田氏は・ほくのとまったくお が別室で待っているはずだから帳場で聞いてくれという。 帳場ではすぐ連絡がついて、ポ 1 イが案内してくれた。大なじ内容の提案をしたのだったが、・ ほくのほうが一週間早 田氏は食卓を用意させて、ひとりで・ほくを待っていた。食かったのだ。大田氏は全日本に運動を展開するからと申し ごうか 事はマルチニからはじまってコニャックにおわる豪華なコ こんだのだが、ヘルガは先約者があるからといってことわ 1 スであった。 り、協会としては両氏ともそのアンデルセンに対する好意 がたき あいさっ びんせん