「ぼくはエロ雑誌を編集してます」 おれの心は冷え、荒い酸がじりじりとひろがった。口をき いってからおれはくちびるを噛んだ。先生の顔を見てい くのがおっくうでならなくなった。・、 カらくたのいつばいっ ると渋紙色の巨大なおでこが血を差して赤黒くなり、眼がまった倉庫のなかに坐りこんでいるような気持がした。 こんちゅう ギラリとすさまじく光るかと思った。おれは観念した。ど「 : : : 動物でなし、昆虫でなし、学者たちはどう定義した んな嘲罵を浴びせられてもかまわないと思った。切るならら、 しいだろうかと考えているところなんだよ。ああいう病 切ってくれ。いまのおれには自分を結品するなんの鮮烈さ人のことはむつかしくてね。さしあたっておれは″植物状 ののし もない。むしろむざんに切り刻み、罵ってほしい 態″と呼んだらどうだろうかと思ってるんだ」 先生がぼそぼそとつぶやいた。 騎士は過労の顔に優しくて聡明な徴笑をうかべ、ゆっく ほのお 「 : : : ひょっとしたらおれだってけしからんやっかも知れりとタ・ ( コに火をつけた。小さな焔や白っぽい煙がおれに らり ないんだ。おれは患者に対して神様みたいな気持になっては遠いものに感じられた。言葉が塵と床油にまみれてころ るのかも知れないんだ。おれは大丈夫だ、こいつを救ってがっているような気がした。おれの言葉も騎士の言葉もこ やろうという優越心から患者にカンフルをうってるだけなわれた古い裏庭の玩具のように足もとにごろごろとしてい おきて のかも知れないんだ。腕をためそうと思ってるだけなのか た。善。悪。生存競争。ジャングルの掟。優勝劣敗。禁 も知れないんだよ。そうだとしたら、これくらい冷酷なこ句。ナチズム。国家を廃絶せよ。神。自信。腕だめし。カ とはないぜ、な」 ンフル注射。すべてが幾日も雨や霜にさらされたあとの玩 糖尿を恐れて先生はウイスキーを飲んだ。もう熱がとれ具のようになって床にころがっているような気がした。ウ たから飲んでいいといっておれにもすすめてくれた。院長イスキーがのどをとおるときは血がおちてゆくようで、体 室は狭くて薄暗く、やつばり壁には雨の地図があり、歩く は温かくなってきたが、なぜか、とっぜん、手も足もしび と ると床板がギイギイと鳴った。本や診断書や注射器などの散れてしまったような気持がした。おれは凍りついた、ぶ びん らかったテー・フルにウイスキーの壜をおいておれたちは低まな微笑をうかべ、少し口をひらき、規則正しく息をしな しっしん 生い声で話した。部屋のなかで光りかがやく物といっては酒がら、冬空のしたでいぎたなく湿疹に犯された赤い腹をひ 壜だけであった。窓のしたには赤い運河がよどんでいた。 ろげて寝くたれている運河を眺めた。首すじにのしかかっ 運河は大工場や小工場のあいだを縫 0 てい、よごれくたておれの背骨を曲けるタ 0 が気まぐれにとっぜん首をしめ びれた腹を見せて寝そべっていた。どうしてか、とっぜんつけたのだ。どこかへいきたいとおれは思った。温かい、 こお
ののし 「し、し、し、新町の飲み屋で飲んでて、そ、そ、外へではなんということもなしにことわった。友人は罵りながら たら自動車がきて、気がついたらこ、こ、こうなってたア」去り、駅で電車を待つうちに、偵察飛行の帰りがけに気まぐ さくれつ れにおとした一機きりの四の爆弾が京橋駅で炸裂した。 「もう大工はできないな」 おれたちはかけつけてあたりいちめんに飛散した肉と内 「で、で、できない」 そうじ 臓、腕や足や頭をスコップですくって掃除したが、どれが 「奥さんや子供さんをどうするんだ ? 」 むぎん おれはできるだけ冷酷無慚な声をだしたつもりだが、大彼のだかはわからなかった。けれどその日から友人の姿は トマ消え、家にもどらなかった。一円持っていなかったばっか 工はびくともしなかった。あいかわらず血色のよい トのような顔で笑いくずれ、眼も眉もひらきつばなしにひりにおれはそれから十九年暑がったり寒がったりして生き ている。出版社に勤め、外国へ遊びにゆく作家を見送りに らいて、うれしそうにうめいた。 羽田空港へいった帰りに自動車が衝突し、右腕がきかなく 「お、お、お、おたがいさまだよツ」 なって狂人たちといっしょに暑がったり寒がったりしてい 返答を聞いておれは毛布のなかにもぐりこんだ。眼をと じてじっとしていると、シュウシュウという息の音と松葉る。 たくましい青年が一ムこの病室にいるが、彼の頭はタ 杖の音がいそがしい笑いのしやっくりといっしょに頭のう コのようにやわらかい。長距離トラックの助手席にのって えをとおって廊下へでてゆくのが聞えた。まるでゴムまり みたいなやつだと思った。とけてはじける楽観も、もつれ東海道を往復しているうちに正面衝突をやったのだ。開頭 て凍りつく悲観も、結局のところは脳のうちどころひとつ手術をしたが額からうえの部分の骨が粉ごなに砕けてし くふう でどうにでもなるのだとも思った。五ミリか一センチ右へた。先生は何時間も苦しんで工夫をこらしたが、結局、砕 き よるか左へよるかというだけのことだ。ただそれだけのこけた骨片はとってしまうよりほかなかった。とったあとを と るとですべてが変ってしまう。あとは暑がったり寒がったり皮膚で蔽った。いま青年はごろりとペッドにころがって誰 するだけだ。敗戦の年に友達の一人が大阪の京橋駅で死んかが壁に貼りつけたヌード写真をぼんやり眺めてしるが、 カ 生だことがあるが、その三十分まえにおれはその友人と憲兵頭のうちで無慚な傷跡にかこまれた部分は髪がなくてつる つるし、大きな火傷をしたみたいになっている。先生に誘 の目をぬすんで『姿三四郎』を見にいこうかと相談しあっ ていた。映画館の入場料はその頃、一円だった。あいにくおわれて一度手をあててみたことがあるが、薄い薄い皮ごし れは持っていなかった。友人は貸してやるといったがおれに脳の熱いかたまりがびくんびくんと脈うっているのが手 おお
わめて正常だ。あれだけ狂っていてもまだ勝っか負けるかのだ。おれは人を生かす工夫にふける。そのために患者が 4 という意識だけは生きのびている。いまだにジャングルのどんなに苦しんでも、どんなに家族が泣き叫んでも、おれ てつや おきて 掟がこの世を支配しているのだ。それはこの世では大声ではカンフルうったり徹夜したりする。おれのうけた医学の いうべきことでないとされている。邪悪な禁句だとされて知識で三十分か一時間のちには十のうち十まで死ぬと判断 いる。ヒットラーは世界をその単純な原理に還元して成功したときは、積極的には支持の工夫をしないという努力を し、そして失敗した。ゲーリングはニ、ルンベルグ法廷をする。しかし、十のうち九までダメなら、おれは積極的に支 こうしよう じよく 侮辱し、カンラカラカラと哄笑して、勝てば官軍、負けれ持する工夫をするのだ。あとの一に期待してかどうかはわ ぞくぐん ば賊軍、こいつはおためごかしのアメリカ流感傷主義の茶からない。そんな瞬間には、おれは自分の心を分析してい 番だといいつづけ、青酸カリを飲んで自殺した。おそらくるゆとりがない。気がついたらありとあらゆる手をうって 東京裁判の本質もそうなのだろう。連合国はナチスの哲学へとへとになって椅子でよだれたらして眠りこけている。 「とても・ほくにはできません」 を俗流ニーチェ主義と俗流ダーウイニズムだときめつけた うれ * ほらとうげ ・ : 洞ケ峠をきめこんで高いところから憂わしげに″通俗「 : : : うん」 だ〃、″通俗だ″と叫ぶばかりだった。その通俗ぶりを打破「こんな人間を生きかえらせてどうなるのだろうと思って するにはあまりにおたがいにかけひきがありすぎた。ソヴしまいます。そう思ってしまったら身うごきできなくなり エトもそのかけひきに巻きこまれて右往左往した。臨時応ます」 急の技術として右往左往したというのだが、とにかく何百「 : : : うん」 万の血が流れてしまった。何百万の血が流れたあげく″国「正常な人間でもヒイヒイいって息を切らしてるところへ 家を廃絶せよ″というレーニンの大命題がのこされたのだ廃物になったのを追いかえしていいものかどうか、わかり が、おそらくこれは今後一一千年かかってやっと達成されるませんよ」 「 : : : それはそうだ」 ことなのではあるまいか。いや、おれはこんなことをいし 「なぜそんなことをなさるんですか ? 」 たいのではなかった。ちょっと酒を飲んだ。だからちょっ といってみたくなったまでである。聞き流してもらっても「おれの力は病院のなかだけにしかない。そういうふうに ひ、よう 。しかし、一つだけ、いっておきたい。まじめにおれ目をつむることにしている。卑怯なようだが、おれは年と って疲れたよ。それからさきは君たちが考えることだ」 はいうのだ。おれは人を生かすことだけ考えて暮している
295 こく ふつきゅう 「あの男の出入りをさしとめてください。そうでないと告う一度突くと相手は復仇を考える危険がある。俊介は窓ぎ 訴しなければなりません。あいつはわれわれの放したイタわをはなれるとさきに立って歩きながら、軽い口調で相手 の質問をやわらかく流した。 チを密猟して、おまけにそれをもう一度売りこみに来てい 「イタチは放す前に耳のうしろを焼いたんですよ。めんど るんです。ね、お会いになったときもむこう見ずな奴だっ うな仕事ですから、飼育係の奴が全部のこらずやっている たでしよう ? 」 ばいしゅう ろうばい 課長の眼をはっきりと狼狽の表情がかすめた。そしてふかどうかは疑問ですけどね。野田動物が買収していなけれ しようてん いと思ってるんです。ちょうどいま共産党と社会党が いに焦点のさだまらぬ顔つきにかわった。それを見て俊介ばい は薄笑いをうかべた。と・ほけるつもりだな、と思った彼は共同してリコール運動をやってるでしよう。つまらないこ とで足をすくわれるのもばかばかしいんですよー つづけて口早に先手を打った。 「私が出張中だったのがまずかったのです。課長は去年山課長はなにか抵抗するつもりらしく口をあけたが、あき 林課においでになったばかりなので、ナメられたんですらめたように頭をふってそのまま黙ってしまった。その場 たいせい よ。いま資材課の伝票で見ましたが、市価の三倍で買わさではしおれきった様子に見えたが、まもなく態勢をとりも つまようじ ずうずう れていらっしゃいますね。むかしからあいつの図々しさはどし、山林課の部屋に入るときはなに食わぬ顔で妻楊枝を ちんじよう くわえていた。そのあとで報告書や陳情書を持っていく 有名なものなんですよ」 言葉を切って彼は横眼で相手の表情をうかがった。勝負と、課長は彼を近くへ呼びよせた。 ゅう」ら - ようおう 「 : : : 今晩、君の体をちょっと借りたいんだがね、川端町 はあっけなく終った。はじめから相手は誘導されて供応の 事実を吐いてしまったのだから、いまさらどうにも身動きの『った家』へ六時頃に来てくれないか」 ろこっ がとれないのだ。県庁新築にからまる不正事件でしたたか追及が少し露骨すぎたかと、いくらか計算しなおすよう らつわんうわさ クな辣腕の噂をたてられたこの男もとうとうワナにかかってな気持になっていた俊介はその言葉で自分の快感を一挙に ぜにん ッ しまった。ゴミ捨場でネズミにガソリンをかけるときとお是認してしまった。 なじ快感を俊介は味わった。 ( : : : みごと、一〇〇点 ! ) 「 : : : しかし、君、それはどうしてわかったんだね ? 」 彼は課長のまえに立って、相手の禿げかけた頭を見おろ ようやく課長はショックから立ちなおると乾いた唇をなした。一 = 課長は彼の視線を感じて眼を伏せ、急所を思いのま ずがいこっ めつつささやくような小声でたずねるのだった。ここでもま観察させてくれた。俊介は薄い髪のしたに相手の頭蓋骨 やっ は
163 「俺あ、出ていくんだ。そう決めたんだ。いかねえか、よ少年は黙ったまま見返し、彼女は、 かったら、一緒に」 「どうしたんだい」 「出ていくの ? 」 少年を見据えながら咎めるように初江に訊いた。 あいまし 「そうよ。お前だって先刻そう言ったじゃないか」 初江は曖昧に背中をゆすっていた。それでおふくろの顔 「どこへ ? 」 はひっ込んだ。 「どこへったって、どこだっていい。 ここらじゃないどっ「決めろよ。決めてしまえばすぐだ。簡単なもんだぜ」 かもっとにぎやかな、派手なところへだ」 「あんた酔ってるのね」 「どうして」 初江はもう一度言った。 「どうしてったって、どうしてだっていいよ。俺あ急にそ「酔っちゃいないよ。どっちにしても俺あ間違いなくいく う決めたんだ」 んだ」 初江は耳を澄ますような表情をして見せた。 「親方は ? 」 「車で ? 」 「親方 ? 親方は黙ってるよ。黙らしたのさ」 「ああ、そうさ。あの車でだ」 「どうして」 「本当 ? 」 少年は黙って笑った。 「本当だ。荷物はもう積んである。お前は荷物なんか要ら「出ていきたくねえのか」 ねえ。金だってあるんだ」 「いきたいわ」 「どうして ? 「それじやきな」 戸の暗がりの中で少年は初江の一杯に見開いた眼を感「だって」 「なんだ ? 親父はいないんだろ」 じた。彼女の熱い息が頬に触れる。 「どうしてだっていいさ。後になりやわかるさ。そういう「母ちゃんがいるわ」 「本当のおふくろじゃないんだろう」 島ことになったんだ。そう決めたんだよ、俺は」 「本当にいくの」 「そうよ」 「本当だ。だから誘ったんだ。もう戻っちゃ来ない」 「黙って出て来りやいい」 のぞ 中で声がし、明りの中に初江のおふくろの顔が覗いた。 「初江」 とが
ただろう。 の幸運について。今それをどう証すことも出来ぬ自分に、 ひぐま もらろん 原始森の中で突然出会った大羆にしても、勿論言葉の通腹がたち、俺は怖しかった。 いんけんこうみよう じぬ相手に向って、俺は腰に下げた山ナイフを握ってい 今まで聞かされていた、やって来る奴らの陰険な巧妙さ とら そうわ た。羆が近眼でなく、俺たちの姿を捉えて襲いかかって来の挿話が、俺自身にとってもまぎれもない現実のものとし たとしたら、多分、負けたには違いないが、あのナイフでて、この闇と沈黙の中に俺をとり巻いているのをはっきり どうにかしようとしてみたに違いない。 感じることが出来た。 高等学校時代、つまらぬことで八人の相手に待伏せさ待ち伏せしている彼らにも、やって来ようとしている奴 にた れ、袋叩きにあった時も、鼻血が眼に入って前が見えなくらにも、俺なりにそれぞれ共感はあったが、しかし俺は いっちょうけんじゅう けんめい なるまで、なんとか夢中で闘った。囲まれている間は怖し今、この手元に一梃の拳銃があることを懸命に願い、その なぐ おど かったが、殴られ殴り返し出すともう怖くはなかった。人拳銃で、背後からあのビアノ線を持って忍びより跳りかか 間なんて誰もそうしたものに違いな、。 って来る奴らを射ち殺したい、と願った。なんだろうと、 恐怖に鼻をつき合わせながら、何も出来ないということやって来る奴らは、今は、この俺の敵なのだ。そのことに うかっ はどういうことなのだ。それも、迂濶に自分で選んでここ間違いはない。 にやって来たのだ。 もう一度時計を確かめたが、時間は非現実な速度でしか すご ″こいつはもの凄く馬鹿げたことだ″ 過ぎてはいなかった。こらえ切れず、叫び出しそうになる こうかし 俺は思った。そして全く後悔した。 自分をやっと抑えて、俺はもう一度にじり寄り、手をの 後悔すると、恐怖は倍になった。自分の立場が防ぎようべ、隣りのカメラマンの体に触れようとした。彼がそこに もなく、救いようもなく、全く何も出来ぬまま、ただ、あ いることを確かめる度、処刑台へ一緒に上る仲間を求める せるかどうかわからぬ幸運を祈るだけしか出来ないものであ囚人の気持を俺は理解出来た。 さと 手が触れる時、相手の身じろぎで地をこする音の聞こえ 伏ると悟った時、恐怖が胸につかえ、俺は吐きそうになった。 るほど、彼が大きく反応するのがわかった。俺の手が、そ 待″全体、なんのためにこんなところへ出かけて来たのだ″ 埓もなく、くり返しそればかりを考えた。俺は多分、生の背に触れた瞬間、彼が何を連想したかが、俺には自分と 貯れて初めて、本心、自分に愛想をつかしていた。 同じくらいよくわかった。彼がたった今背に感じたもの ある 出かけて来る前、或いは信じていたのかも知れぬ、自分は、あのビアノ線の感触に違いない。 あいそう こわ おさ たび あか
穴から廻りの気配目がけて射った。 「早く出て来い」 しながら少年は次第に体の内に暖く拡がっていく恍惚をゆっくり立ち上り蹴るようにして戸を開けた。 感じていた。それは初めて初江を抱いてその肉の間に押し「手を上げて出て来い」 入り、おびえながら嵩まっていく快感の末に知らぬ自分を待ち切れないように声は言った。 放出していったあの陶酔に似ていた。 手を上げ、少年は戸口に立った。外の明りが馬鹿にまぶ 体のにたかまって来るその陶酔が切りなく極点に向っしく見える。 あた しげ て近づいていくのを感じながら、少年は仕舞いに声を上げ辺りの繁みから銃を構えた男たちが並んで出て来る。 また て射った。 三つ股の蔭から携帯マイクを下げた警官が出て来る。 その瞬間、戸口からさし出した少年の掌の拳銃を飛んで 戸口に立ったまま少年はみんなを見廻した。どの顔にも こつけい 来た弾が射った。 彼が今まで見て来たあの滑稽などす黒い表情がある。少年 とうつう わら 衝撃の疼痛が腕を痺れさせた。恍惚の極点に少年はそのは想い出し、それを微笑った。 ほとん 痛みを殆ど快いものに感じた。 「ダボ」 下半身に熱いものが拡がっていく。 声がし、振り返った。 あえ 坐り込み、少年は喘いだ。 小屋の横の繁みから見知らぬ男と並んで武夫の姿が見え あの夜、初江の体の内に感じた安息と満足の代りに、ナ 「ダボお前って奴あー った今気だるさと虚しさのようなものが体中にあった。 外れて飛んだ拳銃に弾が集り、開いた戸の先で拳銃は爆努めたような笑い顔で武夫は言った。 発した。 違う、俺はダボじゃない ! 「出て来い。もう何も出来ないぞ」 「ダボよ」 声は言った。 逆戻りだ ! あせ なるほどこんなことか、少年は思った。 焦ったように少年は思った。腹だたしさだけがこみ上げ 彼はもう一度ずっと前の、始まりから考え直そうとしたて来た。彼は何かを叫びたいと思った。 町がもうそれはどうでもいいことに思えた。 向き直った彼に、武夫はいつもと同じじらすように嘲笑 しかしとにかく大丈夫だろう、彼は思い直した。 っている。 むな たか とうすい しび こうこっ やっ あぎわら
なが 眼に当てながら、どの方向をどの角度で眺めていいのかわ キタ。 2 からずにいた。 カメラマンの背に俺は指で書いた。 薄暗いスクリーンに、前方の闇の中の景色がまだらにな耳をすましたが、何も聞えない。前よりも固く重く沈黙 って浮かんで見える。それは闇よりは明るく薄暗いが、見と闇だけがある。 えているものがどの距離にあるのか、それが森なのか、た あれは幻覚でいい、 そうに違いない。そう思った。 かたずの だの茂みなのかわからない。闇にあきらめていた眼に、スその時、俺は初めてはっきりと、曹長が固唾を呑む音を クリーンの中の風景は、闇の中にひそんでいたもの、とい聞いた。それがなにかをひっくり覆すように、突然俺に別 うより、現実のものではない他の景色に見える。眺めながの知覚を与えたのだ。突然、俺は耳鳴りのように闇の中か スターライト しゃれ こどう ら、その赤外線望遠鏡に星明りという洒落た名前がついてら伝わって来る足音を聞いた。俺の鼓動に合わせて、それ いるのを俺は思い出した。 は一歩一歩近づいて来た。一歩一歩、俺はその数を数え 何を眺めていいかわからぬまま、望遠鏡を横に動かしてた。眼の前の闇にまぎれもなく何か近づいて来るものがあ 見た時、パンしてとまりかかるスクリーンの中で、手元のる。後一瞬で、俺はそれを見、確かに聞き、触れることさ 動作にかかわりなしになんか動くものをはっきりと見たのえ出来る。 う 0 め だ。薄暗い視界の中を手さぐりするように、俺は蠢くもの俺はもう、待っていなかった。恐怖もなかった。醒めか を確かめた。 けながら醒めきれぬ夢と現実のきわどい境に身を置いたま 距離感のない暗い視界に、それは濃い霧の中ににじんだま、また突然、俺は今自分がどこにいるのかがわからずに なんかの影のように立っていた。立ちながらそれはかすか はず に揺れて動いている。その影が近づいて来るのか、ただ立がその一方で、知る筈のない望遠鏡の倍率を想像し、さ ったまま動いているのかわからない。・ : カ少くともそれはっき見たものへの距離を割り出そうともしていた。 いよう 俺が今まで味わって来た闇と沈黙の中では異形で異質な何多分もうじき、どちらかの決着がつくに違いない。 、・こっこ 0 カー / なにかに預けたようにそう思った。 眺める代りに、俺は耳をすまそうとした。カメラマンに眼醒めのときに似て、意識が二つに裂けて重なり合い そうちょう こうこっ にじり寄って望遠鏡を渡そうとする俺の手から、曹長は預その中で自分への知覚が浮遊しているような、恍惚とも酔 けたものを奪うようにとり返した。 いともっかぬ、痺れながらもどかしい気分だった・ しび ふゅう
なっているのだろうと思っているうちに歌であるとわかっ 小さな穴のなかにおちているだけのことなのである。 おいおいは満足、呼びかけ、肯定、よろこびであるらしておれは耳を澄ませた。舌足らずで、たどたどしくて、迷 チ = ッチ = ツは、飢え、不満、否定、かなしみであるい迷いではあるけれど、じっと聞いていると老人はとうと らしい。老人は野球ポールの縫い目のような手術の跡をつうさいごまでうたってのけた。一語の誤りもなく、完全に けた頭蓋骨の内側に浮いたり沈んだりするさまざまな感想うた 0 てのけた。一番だけではなく、二番もちゃんとさい をこの二つだけであらわす。看護婦がどこかで見つけてきごまでうたってのけた。 たらしいねんねこを着こんで老人は猫背になり、ペッドに あぐらをかかせてもらって、一時間も一一時間も一人で、お 込のう 思えば悲し昨日まで いおい、チェッチェッ、おいおい、チェッチェッとくりか まっさき駈けて突進し えしていることがある。おそらくそうやって老人は長短さ そうわ 敵をさんざん懲らしたる まざまな生涯の経験、挿話、感想を思いだすままに物語っ 勇士はここに眠れるか ているのであろう。感動や幻減があるらしいことは微妙な 抑揚の変化のあることで察しがつく。もどかしがったり、 にようあか いらいらしたりして体をふるわせることもある。生の渚の失語症の老人が穢ないねんねこにくるまり、尿や垢のむ ふちにたたずんで老人はゆれているのである。家族、友んと熱い酸の匂いをあたりにただよわせてそんな歌をうた こよう ちょうば うのだ。嘲罵の赤い笑いとも絶望の黒い笑いともっかぬ笑 人、雇用者、誰一人として見舞いにくるものもなく、ただ 彼は生活保護法のとぼしい金で病院に牛乳を買ってもらっ いを老人は結晶したのだとおれは思いこんだ。 その日の夕方、医師が看護婦をつれて回診にやってき きて生きている。 ふうさい せいひく る老人はおいおいとチ = ッチェッだけしかいえないのだとた。彼は色が黒く、おでこが張っていて、背低で、風采は わかったが、その頃、もう一度だけおどろかされたことがあまりあがらないのだけれど、眼だけは鋭く光っている。 くっし 名 ある。なにを思ったのか、ある晩秋の午後、老人がとっぜ日本でも屈指の脳外科の権威であると聞いた。反骨がある 生 ん歌をうたいだしたのだ。泥が口をききだしたのかと思っので官僚臭をきらって東大病院をとびだし、この貧しい京 たほどおれはおどろいた。老人はどんよりとした灰青色の浜工業地帯の労災病院で院長としてはたらいている。チ = ーホフ、カロッサ、クローニン、モーム、魯迅など、医師 しいはじめた。なにをう 光がよどむ窓に向ってぶつぶっと、 にお 、た
きんりようしれし 俊介は髪の網目をとおして課長の頭の地肌を眺めた。皮「禁猟の指令を流すのさ。イタチだけじゃない。ヘビでも 膚はよくあぶらがのって血色がよいが、骨は固くて厚そうモズでもとにかくネズミをとる動物は全部禁猟ということ やっ やみね だ。その薄暗い内部を小さなけものが黄いろい炎をひいてにして、密猟した奴は厳重処分、つまりイタチの皮の闇値 ばっきん とんでいるのだ。どんな言葉もそのヒラめきを消すことはの十倍ぐらいの罰金をかけるんだ。それで万事解決だよ、 できないだろうと俊介は思った。こんなところで争っても君」 はじまらない。それに、いまはもうすべてが手おくれの段そういって立ちあがりしなに課長は軽く俊介の肩をたた いた。すっかり得意になっているらしかった。夋介はばか 階に来ているのだ。見方を変えると、なにに手をだしても だしすぎるということのない情勢である。たとえ一匹のイ ばかしさのあまり手の書類を思わずたたきつけたくなるよ タチでもないよりはましだ。俊介は方向を変えて課長の説うな衝動を感じたが、なんとかやりすごして表情にださぬ かんげい を歓迎することにした。 よう、顔を窓の方にそむけた。窓外の前庭には雪がつも 「おっしやるとおりです。イタチというのはいい考えです 踏み固められてコンクリートのように光っていた。人 よ。あれはネズミとみれば片つばしから殺してしまいます影はなかったが、ちょうどそのとき一台の高級乗用車がす からね。食う食わんは二のつぎとして、とにかく見つけ次べりこんで来て、するどくきしみながら氷の上にとまっ 第に殺してしまうんです。小さな島ならイタチを放すだけた。待ちかねたように課長が鞄を持って椅子から立ちあが たいじ っこ 0 で完全にネズミ退治ができますー 課長はだまって聞いていたが、話が終ると気持よさそう「じゃあ、君、お先に失敬するよ」 とっさに俊介は書類を抱えたまま飛んでゆくと、課長の に小指で頭を掻き、満足げに机をたたいた。 とびら ために部屋の扉をひらいてやった。相手が小走りに通りす 「わかった。あさっての月曜、対策会議を開こう。春にな ったら、すぐイタチを買い集めるんだ。君、至急、動物業ぎかけたとき、とっ・せん俊介は相手の足をすくってみたい ゅうわく 者の雀を作 0 てくれ。それから、新聞社と放送局に電話誘惑を感じて、声をかけた。 「課長、「つた家』ですか ? 」 ・、だ。猟友会にもね」 これは不意打ちだったらしい。ぎくっとしてふりかえっ 「どうするんです ? 」 た課長の眼にはうろたえた表情がでていた。それはすぐに 「わからんかね : : : 」 こうかっ まゆ 狡猾そうな薄笑いに変った。俊介は胸のポケットになにか 課長は眉をあげ、回転椅子にそりかえった。 ク しつけい かばん