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検索対象: 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集
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1. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

ねむ 「私、知らない内に睡ってたの。変な気がして眼がさめる「そこを動くな。いや、小屋の中へ入れ。入らねえと鉄砲 をかけるそ」 貯と入り口で誰かがマッチをすって照してた」 「かまわねえ、おどしに射ってやれ」 「気づいたのか ? 」 声は言った。 「知らない。すっと出ていったわ」 おとな 「中で穏和しくして明日明るくなるまでそこにそうしてる 「大勢か ? 」 「わからない」 んだ。俺たちは一晩こうして見張っててやる」 、のう のぞ 少年は立ち上り戸口をすかして外を覗いた。 「お前がもし昨日町で巡査を殺した餓鬼なら穏和しくした ぎん あた 辺りは暮れてい、遠く街道の向うの山の上の空だけに残方がいいぞ。山狩りが始まってるんだ。もう動けやしね しよう え」 照が感じられる。 少年は身をすさって戸口まで戻り、入りしな声の聞こえ 「出ていって見よう」 てごた 「止めて ! 」 た繁みに向って射ち込んだ。葉が散る音がし手応えはなか っこ 0 初江は叫んだ。 離れた辺りで、 「今の内に出ないと逃げられなくなる」 だめ 「矢っ張りそうだな」 「もう、駄目、私、歩けやしない」 まわ 声が言った。 「お前はじっとしてろ、俺は周りを見て見る」 しばら 戸口の隙き間から少年がすり脱けて出た時、道の向いの声の後暫くして銃声がし、さっきの言葉の通り戸口の扉 の上に散弾がかかった。 繁みに気配があった。 初江がしがみついて来た。 「誰だ」 「畜生」 「お前こそ誰だ。そこで何してる」 「どうするの」 繁みから声が返った。 「どうするもねえや」 「道に迷って泊ったんだ」 一一時間ほどし、近い辺りに多人数の足音が聞こえ、暫く 「迷った ? ここらの道に迷う訳あねえ」 して離れた辺りにたき火が上った。 「どこのもんだ。名前を言え、言って見な」 なが 別の声が言った。 持ち上げた窓の隙き間から少年は燃え上るたき火を眺め

2. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

102 かんらく いや、その相違は、同じ陶酔に違いはなくとも、歓楽と戦 しようふ 陸へ上って確かめると、先に港に入った船はレースの奪慄の差ではなかったか。春子と言う娼婦の体の、熱く熟れ 権艇であった。″シルフ〃は十一一分の差で一着となったのた陶酔に引き代え、あの夜の驚きは、震えて、透明に澄ん ひろ 、び だ。ヒギンス氏は大ぎように飛び上ると夫人を抱きしめ、 で果しなく、星空の拡ごりの様に厳しくさえ美しいもので かんがい キャビンのぞ 次いで少年と手を握った。・、、 カ少年の胸には優勝の感慨は一あった。あの晩、ふと船室に覗いた光景の中には、少年の も物つ一ら . 向に湧いて来ない。船を整備しながら、終始青い顔をして始めて知った世界の驚きに対する、渇望と悩感に加えて、 とつじよ あざや 彼は黙っていた。 前夜突如として開け、彼の胸に鮮かな幻影を焼きつけた自 きようかくよいん 彼はそのまま急いで家へ帰ったのだ。 然への驚愕の余韻と言うには余りに激しい、鼓動が働いて いたのだ。 少年の願うものは、あくまで自らの手によるあの夜の再 おんな 春子の体を知った夜の夢のように、少年は娘の体への陶現であった。″そのためには ″どうしても自分のヨットの上で、同じことをして見るん 酔によって、海の上のあの夜の記憶に通じ、そして更に自 身のヨットに到るのた。 ゅうごう それはあの二つの世界の融合、懐しい海の上で、船と女 が果して春子に感じるあの熟れた歓びとあの夜の戦慄と は同じものであったろうか。 を同時に我が腕でかき抱く少年の切なる願いであった故 それは明らかに異っている。と言うことは、春子とヒギだ。 ンス夫人の違いであるのだろうか。少年はひょっとした ら、気づかぬ内夫人に恋をしていたのではないだろうか。 春が来ると少年達の仲間は一人前に学年度の及落を心配 まなざ 確かに彼が夫人を眺める眼差しはまぶし気であった。幼いした。彼等は互いに言い合うのだ。 頃母をなくした、この何知らぬ少年にとって、彼女は初め″少くとも、お前が大丈夫なら俺も平気だ″ ぐげん て具現した、すべての「女」の映像を与えた人かも知れな 少年は何とか及第した。 また 。夫人は美しく又大層彼には優しかったから。がこの少 シーズン前になると、仕舞われたヨットの整備や塗り直 おとな おお はす 年に、往々、大人にもっかぬ「母」と「恋人」の区別がどしで港は忙しかった。冬中覆われたカイ ( スが取り外さ うしてついただろう。 れ、塗り直され、去年と変らぬ姿で水に浮んだ船達を眺め ′ゲイ〃が入った。 わ よろこ せんりつ さら とう ーと、彼は単純に考える、

3. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

192 初めは胸が悪くなったが、終いには結構見られた。女はった。そして、声を返すことが菊江にとって何なのかをふ 血だらけだったが、叫んでいた。苦痛とか、おびえではなと思った。 。しんとした部屋の中で、その声と、驢馬が床を蹴るひ「悠ちゃん」 しばら づめの音だけがしていた。その後暫くし、その女は悠二に菊江が呼んだ。 また同じところへ連れていってくれないか、と言った。ど「なんだ」 そのままで答えた。今度は彼女が黙っていた。 れだけ金をもらったか知らないが、そのせいだけではな 「なんだ」 「ちょっと」 人間と言う奴は、しようと思えば、どんなものとも繋が ってひとつになれる、と悠一一は思った。とだって、驢馬「だめだ。今は手が離せねえ」 とだって。そして、白い粉だけで姿のない掌と指とさえも「誰かいるの」 「ああいる。仕事の相談をしている」 悠二はふり返り、本気に眼で箒を捜した。その時、階段それで充分だった。この部屋で仕事の相談をする相手が を上って来る足音があった。近づいて来る床の軋みは、男決っているのは菊江が知っていた。彼女だけが彼にとって ではなかった。戸口の曇りガラスに人影がさし、中の気配そうする必要のなかった女だ。あの時、彼のために、女が を捜るように小さな / ックがあった。菊江だとはすぐに知街に立った。そしてそのことを忘れるかまぎらわすために 彼女の方から薬に近づいた。 次いで彼女は返事を求めるように前よりも高く戸を叩 悠一一が薬のことを知ったのはその後だが、やがて菊江が た。悠二は答えずにいた。彼の下にいる女にはもの音は聞必要としているその薬を彼が扱って彼女に与えるように、 えていないようだ。聞こえても何とはわかるまい。今、彼すぐになった。 女は、つまり天国にいる。足音やノックは自分がその極に菊江はうかがうように戸口にじっとしている。知り尽し はず たことだろうが、必要な薬をとりに来た彼女が、後どれほ ある扉に近づいていってする物音の筈だ。 あせ なお 菊江は尚叩いた。声はかけないが彼がここにいるのを聞ど時間の期限があるかは知らないが、そのことで今少し焦 さと りながら外に立って、中で彼が何をしているかを覚った時 いて来たのかも知れない。 二は黙っていた。 : カふと、何故黙っているのか、と思どう感じるか、悠二はうつ伏していた頭をもたげ背と肩で たた つな

4. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

362 みれん もふく てから、未練たつぶりに一本、一本皿のはしへ並べていく。 った。今月は喪服を着て ( イビスカスの花をつむ若い寡婦 「いいかげんにして、いこうか」 の歌である。朝も夜もひっきりなしにこの都はうたってい る。 「もう帰るんですか ? 」 「帰るんじゃないよ」 「号令かけるまえに泣きたしたくなるね . しめ 「鳩は骨まで香ばしいや」 「弾丸まで湿りそうですねー 「コンガイだよ」 「これで戦争は無理だよ」 「あ。そうか。そうか」 「ほんとに悲しい歌をやるなあ」 「そうだよ」 「おれが兵隊なら脱走するな」 「知らなかった」 「おれ、あのレコード買ってやろ」 「いちいちいわせなさんな」 河の近くで一一人はおりた。 めいめつ あたりにはネオンもなく、電燈もなかった。空には明減 こずえ 少年は指をズ・ホンでふくと、素直にいそいそとたちあがする赤い点がうごき、砲声がとどろき、椰子の梢が照明弾 った。ほのぼの微笑して、まるで海か山へでかけるようなで蒼白に輝いているが、ここの闇には藁葺小屋がおしあい はれもの 顔をしている。この年齢は何をしても浄白なのか。凹み、 へしあいになっている。苔の群れというよりは土の腫物の しもんか あと 澱み、指紋、掻き傷、陽焼けした少年の顔には何の痕もなようであった。ぬかるみのなかを豚が走り、鶏がかけまわ っていた。どこかで赤ン坊のむずかる声がし、それをあや ほらあな によう 二人は洞穴のように暗い菜館をでると、表通りでシクロすゆるやかな子守唄の声も聞えた。尿、残飯、どぶの腐臭 を拾った。夜のなかには暑熱が湯けむりをたてんばかりにで眼もくらみそうな暗い小道へ二人は入っていき、誰かに もうもうとたちこめ、空、河、並木道、闇のかなたから大呼びとめられるまでゆっくりと歩いていった。すぐ反応が いなる息吹きが波うっておしよせてくる。栄養で眼をうるあった。一軒の小屋からつつましい、ひめやかな声がし、 あえ ませ、二人はぐっしより汗にまみれ、にぶく喘ぎながらはことなりの小屋からもおなじような声がした。闇のなかで二 ばれていった。どこまでいっても空には若い女の呻きがあ人はたちどまった。久瀬は。ホケットをさぐって、丸い」 り、からみつくような、鼻を鳴らすような声がひび、て、 ししさな物を少年の手に握らせた。少年はくつくっと笑った。 た。先月は風の迷うからっぽの廊下を歩きまわる娘の歌だ「あとで部落の入口で落合おう」 やみ うめ

5. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

らよっと 信があった。 あった。英子は計られたのを知ったが最後の文句に一寸安 その晩龍哉が勝ったのだ。道久は仕様なしにサリーを誘心した。が、やがて道久から渡されたその葉書に、彼と並 ったが、英子と消えた龍哉に怒った彼女は道久を突き飛ばんで英子の名が書かれ、他皆様、とあるのを見て、港を出 ひと した。翌朝泣きそうな顔で彼女は、孤り・ハスに乗って帰っる時からの彼女の芝居が、予期した以上の結果を生んだの あわ てしまった。 を知って英子は慌てた。第一道久はこの芝居をすっかり本 顔を合わすと道久は言った。 気にし出している。が彼女は未だ、兄弟の取り交した取引 「俺のマケ。家に帰ったら払うけどな。一つ条件があるんきについては気づかなかった。 龍哉がいなくなってはもうこのお芝居に用はない。彼女 じやけん 「今さら条件なんてきたねえじゃないか」 は手を返して道久を邪慳に扱い出し、やがて言った。 「でもさ、な、お前今日ここから消えてくれ、頼む。そう「私もう帰るわ。つまんないんだもの。龍ちゃんとこへ行 だめ じゃないと後がやりにくくって駄目だ。山へ行け山へ、金って驚かしてやろうかしら」 は俺が出してやるから」 道久は一一人の間の取引きまで言いかねたが、 あなた 龍哉は考えていたがやがて言った。 「行ったってもう無駄だよ。あ奴はもう貴女に興味は無い 「よし、あの五千円であ奴を売ってやらあ」 だろう。第一奴は約束固い男だよ」 道久はその言葉にいたく満足して答えた。 道久の顔には妙な自信があった。 「よし、買った」 「何、その約東って」 こうして龍哉は英子を女奴隷のように売り飛ばしたの 「出掛けてって訊いて見ろよ。 まあそう言わずつき合 あさって だ。彼は口実を作って船で帰って行った。岬まで見送りなってくれよ。もう明後日位に葉山へ帰るからー ゆくえ がら、英子はあのヨットの中にサリーと言う娘が隠されて龍哉は以後、夏休みの終るまで行方をくらまし、友人の 節 もと けんとう 季いるような気がしてならない。そうでなくても二人はしめ許を転々と遊んで廻って、帰るなり拳闘の合宿に入って新 陽し合わせているのではないだろうか。 潟に行ってしまった。英子はあの約束と言うのが何である ほか 太 三日して、志賀高原から龍哉の便りがあった。 のかを聞き糺そうとしたが、たまに来る返事には外の事し はず 「ーー・もう山は季節外れで人が少くちっとも面白くない。 か書かれていない。 一日中馬に乗ってる。たまには色気抜きも良さそうだ』と どれい みさき ただ

6. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

なが 眼に当てながら、どの方向をどの角度で眺めていいのかわ キタ。 2 からずにいた。 カメラマンの背に俺は指で書いた。 薄暗いスクリーンに、前方の闇の中の景色がまだらにな耳をすましたが、何も聞えない。前よりも固く重く沈黙 って浮かんで見える。それは闇よりは明るく薄暗いが、見と闇だけがある。 えているものがどの距離にあるのか、それが森なのか、た あれは幻覚でいい、 そうに違いない。そう思った。 かたずの だの茂みなのかわからない。闇にあきらめていた眼に、スその時、俺は初めてはっきりと、曹長が固唾を呑む音を クリーンの中の風景は、闇の中にひそんでいたもの、とい聞いた。それがなにかをひっくり覆すように、突然俺に別 うより、現実のものではない他の景色に見える。眺めながの知覚を与えたのだ。突然、俺は耳鳴りのように闇の中か スターライト しゃれ こどう ら、その赤外線望遠鏡に星明りという洒落た名前がついてら伝わって来る足音を聞いた。俺の鼓動に合わせて、それ いるのを俺は思い出した。 は一歩一歩近づいて来た。一歩一歩、俺はその数を数え 何を眺めていいかわからぬまま、望遠鏡を横に動かしてた。眼の前の闇にまぎれもなく何か近づいて来るものがあ 見た時、パンしてとまりかかるスクリーンの中で、手元のる。後一瞬で、俺はそれを見、確かに聞き、触れることさ 動作にかかわりなしになんか動くものをはっきりと見たのえ出来る。 う 0 め だ。薄暗い視界の中を手さぐりするように、俺は蠢くもの俺はもう、待っていなかった。恐怖もなかった。醒めか を確かめた。 けながら醒めきれぬ夢と現実のきわどい境に身を置いたま 距離感のない暗い視界に、それは濃い霧の中ににじんだま、また突然、俺は今自分がどこにいるのかがわからずに なんかの影のように立っていた。立ちながらそれはかすか はず に揺れて動いている。その影が近づいて来るのか、ただ立がその一方で、知る筈のない望遠鏡の倍率を想像し、さ ったまま動いているのかわからない。・ : カ少くともそれはっき見たものへの距離を割り出そうともしていた。 いよう 俺が今まで味わって来た闇と沈黙の中では異形で異質な何多分もうじき、どちらかの決着がつくに違いない。 、・こっこ 0 カー / なにかに預けたようにそう思った。 眺める代りに、俺は耳をすまそうとした。カメラマンに眼醒めのときに似て、意識が二つに裂けて重なり合い そうちょう こうこっ にじり寄って望遠鏡を渡そうとする俺の手から、曹長は預その中で自分への知覚が浮遊しているような、恍惚とも酔 けたものを奪うようにとり返した。 いともっかぬ、痺れながらもどかしい気分だった・ しび ふゅう

7. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

予想した通り、翌朝本部への手入れの余波のような手入ぐ横、この陽気に胸まではだけて前を掻きむしりながら、 見知らぬ同士で寄りかかり、会話にならぬことをつぶやき れがあった。しかし品物はとうに移されていた。 薬を必要としている人間たちが、最後の薬を使い切っ合っている女たち。その足元を右から左、また逆に、寝巻 て、その薬の期限が切れ出した頃になると、悠二の部下へきの上に外套を羽織った男が寝たまま転がっていた。 その間を、同じ表情、同じ眼つき、同じ手つきをした人 の問い合わせがしきりに来た。彼らは言われている通りの こうご ートを捜間たちが、交互に当てなくいき交っている。泣きながらひ 返事をしかしない。必要な人間は必然、他のル たた す。それも同じことだった。手入れがあり、三日すると悠とっかみ自分の髪を引き抜いて叩きつけている女。手の指 あふ 一一たちの周りの薬の切れた人間たちの悲鳴とうめき声が溢を刺すように腕と胸に突きたてている男がいる。待ち切れ ずそこまで出かけて来、彼らはただ当てなく待ちつづけて れ出した。 ずうたい いた。それは狂気とも少し違う、図体は人だが人間と言う 部屋の内で忍んでいた連中が、たまり切らず他のってを 捜して街頭にさまよい出す。と言っていくところは大方知より病んだ大か他の獣を想わせる群だった。 れている。彼らは次第に街中の一つ所に集り出す。いつもその時、中の誰かが耐えきれず向い側にいる悠二に気づ き指さして何か叫んだ。その声にそこにいる人間たちの動 売人の立つ、ガードの下から運河の橋にかけての辺りだ。 悠二の部屋からもよく見える。昼前彼が通った時、袖を引作が一瞬にして止んだ。 よみがえ それまでなかった彼らの眼の表情が蘇って自分に向け いて彼に手を合わせおがんだ人間がいたが、その数が昼を られるのを悠一一は感じていた。一瞬の間、それはひどく長 すぎて殖え出したようだ。 い時間に感じられたが、悠二はそのての視線に向 0 て応 竹田が来、 まな ちょっと 屋「兄貴、一寸出て眺めて見なさいよ。ひでえ眺めだ。道にえるように見返していた。彼の眼ざしにあるものは、まが よろこ いなく期待と、欣びですらあった。彼はそれを感じた。彼 寝っころがって苦しまぎれにごろごろしてる奴もいる」 れ悠二は部屋を出、離れたところで車道を横切り道をへだらに、そうやっていずりながら待たれている自分を、悠 ざてて彼らを眺めて見た。知らぬ通行人にはふと見ただけで二は徴笑する自分を感じる。今、そんな自分に酔えそうに はわかるまいが、それでもよく見ればその辺りに群がってすら思えた。 いる人間の風態は異様なものだ。酔っぱらったようにひと横で竹田が不安な声で彼の名を呼んでいた。が悠一一は彼 っところをくるくる廻っているものが何人もいる。そのすらに向って微笑いつづけた。 ばいにん なが あた そで わら

8. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

までみつめて、つぎにうつった。この瞬間、壇上には声と 俺がもってきたんだよ」 山口の顔から微笑が消えた。彼は体を起し、ロをあけ息が死に絶え、・ほくは自分にむかって肉迫の姿勢をとった ほお ろうばい た。狼狽の表情は眼にも頬にもかくすすべがなかった。・ほ重い体をいくつもひしひしと感じた。誰かが声をだせばぼ くのまわりで空気がゆれ腹がいっせいにざわめいた。山口くはたちまち告発の衝動に走っただろう。・ほくはかってそ のうみつ の顔は苦笑でひきつった。 のときほど濃密な感情で太郎を愛したことはなかった。 「君の画塾の生徒かい ? 」 審査員たちは息苦しい沈黙のなかでたがいに顔をみあわ 「そうだよ」 せ、山口をみた。彼はさきほどのはげしいまなざしを失っ 山口はしばらくだまってからささやくようにたずねた。 て肩をおとし、みす・ほらしげに髪をかきあげた。壇上から げん、 「誰が描いたんだ ? ー 審査員を侮蔑し、画家をののしった自信と衒気はもうどこ すみ ・ほくは講壇の隅のテープルでひとり静かに葉巻をくゆらにもなかった。彼は細い首で大ぎな頭を支えた、みじめな している中老の男を眼でさした。 ひとりの青年にすぎなかった。すでに彼は画家でもなく教 「太郎君だよ」 師ですらなかった。彼は苦痛に光った眼で・ほくをみると、 山口は色を失った。彼は刺すようにはげしい光りを眼になにかいおうとして口をひらいたが、言葉にはならなかっ うかべ、・ほくをみてくちびるをかんだ。・ほくはまわりにひこ。 しめく男たちの顔をひとりずつみわたして、 緊張はすぐとけた。審査員たちは山口を見放した。彼ら 「この画を描いたのは大田さんの息子さんです。山口君のはそっと背をむけ、ひとり、ふたりと礼儀正しく壇をおり 生徒ですが、画は私が教えています」 ていった。画家はハンカチでひっきりなしに顔をぬぐい 教育評論家はつんと澄まし、指導主事は世慣れた猫背で、 それそれ大田氏にかるく目礼しながら去っていった。大田 ・ほくははげしい波が体からあふれてゆくのを感じた。・ほ氏はなにも知らずにいちいちていねいに頭をさげ、満足げ くは椅子に腰をおろしたまま、ハンカチをもった画家や、 に徴笑して全員が立去るのを見送った。 ふちなし眼鏡の男や、ほくろの三つある赤ら顔や、そのほ はげしい憎悪が笑いの衝動にかわるのをぼくはとめるこ ぞうお まゆなが か名の知れぬつめたい眼、憎悪の額、ひきつった眉を眺めとができなかった。窓から流れこむ斜光線の明るい小月の こうしよう た。・ほくはひとりずつ眼をあわせ、相手が視線をそらせるなかで・ほくはふたたび腹をかかえて哄笑した。

9. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

しようらゆう つぎに焼酎を二杯飲んでから広場へでたときには、もと、カン・ハスや油絵具までこしらえてやることもある。・ほ 工の床に足をなげだしてすわり、まわりに子供 う駅員たちはいなくなっていた。ちょうど電車がついたばくはアトリ かりのところだった。女給やダンサーをまじえた深夜の客を集めて、ヘラをうごかしながら話をしてやるのである。 こんちゅう を拾おうとしてあちらこちらの辻や道からタクシーがけ太郎はぼくのしゃべる動物や昆虫や馬鹿やひょうきん者の たたましいきしみをたてて広場にとんできた。車や人をよ話に耳をかたむけ、よほどおもしろいと顔をあげて、そっ びこう けながらぼくは改札口に入って時計をあわせた。空気はと笑った。形のよい鼻孔のなかで鳴る小さな息の音や、さ 矣りとがソリンの匂いにみちていたが、タクシーにのろうきの透明な白い歯のあいだからもれる清潔な体温など、太 とする女のそばを通りかかると、花束のような香水と酒郎の体を皮膚にひしひしと感じながら、・ほくは彼と何度も 逃げたコイのことを話しあった。 の霧が鼻さきをかすめた。彼女は自動車にのりこむと、ぐ ひたい ったり額を窓によせて外をみた。顔は青ざめていたが、彼「水のなかではね、物はじっさいより大きくみえるんだ 女の眼はぬれたようにはげしくキラめいていた。誰が送っよ。だけど、あいつはほんとに大きかったんだ。そうでな てきたのだろう。彼女の視線をたどったが、深夜の駅に人きや、藻があんなにゆれるはずがないもんな。きっとあれ 、びす はあの池の主だったんだよ」 影はなかった。いそいで踵をかえした瞬間、大田夫人をの かんだか せた車は甲高い苦痛のひびきをあげてぼくのよこを疾過し「 : ・ 太郎はぼくの話がおわると、澄んだ眠にうっとりした光 をうかべた。それをみてぼくは巨大な魚が森にむかって彼 の眼の内側をゆっくりよこぎっていくのをありありと感じ のうたん こ。まくは話をしながら彼の眼のなかの明暗や濃淡をさぐ 川原へいった日から太郎と・ほくとのあいだには細い道がナを 様 ついた。彼はアトリ = にや 0 てくると、ぼくにび 0 たり体つて、何度もそうした交感の瞬間を味わった。そうや 0 て なが 王 ぼくは彼から旅券を発行してもらったのだ。画塾には二十 をよせて、グワッシュを練る・ほくの手もとをじっと眺め 裸た。・ほくは貧しいので子供に高価な画材を買 0 てやれな人ほどの子供がや 0 てくるが、そのひとりひとりがぼくに 。市販のものと効果に大差のないことがわかってから、むかって自分専用の言葉、像、まなざし、表情を送ってよ 町毎日ばくはアラビア・ゴムと亜麻仁油と粉絵具を練りあわこす。その暗号を解して、たくみに使いわけなければ・ほく せてグワッシュをつくる。ときに高学年の生徒が希望するは旅行できないのだ。他人のものはぜったい通用を許して にお しつか

10. 現代日本の文学48:石原慎太郎 開高健 集

けっさく はず ああリッ子 あれは俺の傑作だったあれだけは残るものの筈だった 道ばたに転された俺のリッ子 それは忘れるんだ事故という奴はいつも思いがけなく 一体この子の体の半分は何処へいった俺を見て駆け出 あし 起るものさ して来たあの小さな人形の肢は俺はあの肢のために ねら 何故あの車があの子だけを狙って轢き殺したんだ 何をかけがえてもいい俺のビアノもパップさえも 悦子はいつでも君を待っている・せ俺は君がこんなぼろ ・ほろに酔いつぶれているのは見ちゃいられないんだ 0 ! ジェリージャンプしてくれ ! 悦子のことはあれでいい俺たちの結婚には本当は何の牧野君もいけ ! 意味もありあしなかったあったとすりやリッ子だけ サクス入って来い このリフはどうだこのリフは プロー・フロー・フローするんだ ああ悦子君は何故いっそそんな眼でしか俺を見ない 忘れちまえみんな 俺にすがるのはよせ俺を許すんじゃない君が俺に 出来るか ? 出来るか ? 出来るか ? とって何かそして俺が何かお前が一番知っている ああ俺は今死んでもいい 筈じゃないか俺はお前の手でなら殺されてやるよ 俺たちのことをカードじや「悪い順番」というんだ 悪い巡り合わせと マキー君はまたヘロをやっているなその上酔ってる たあどういうことなんだ 俺はただ逃げ込んだだけだ出来はしないと思ったがあ なじみ の時だけは俺という・ほろ船が君の小っちゃな美し うるさいぜ古馴染が い港からまた這い出して出ていくのは始めからわかっ 言うことを聞いてくれ昔の仲間がみんな君を見ている ていた ぜ先ずヘロを止めろマリーナを捨てちまえ 悦子君は何故許そうとする何故見切ってしまわない それはわかってるわかってるんだ 君は知っているだろう俺には必要でないということあの女がそれを君に注ぎ込むのかあいつは気違いだ が君が始めからのことだったじゃないか そうじゃない摩耶はあ奴は俺の分身かも知れない